『鹿の王』
●児童文学と文学レベル
平成27年度の本屋大賞は上橋菜穂子の『鹿の王』に決まったのだが、これは実に良い事である、児童文学作品がベストセラーになるのは、その国民の文学レベルが高いということなのであり、日本はデフレ不況の中で民度が着々と上昇していったと考えていい。
人間というのは常に進歩していくのではなく、
「豊かだからこそ退行現象が起こる」
という奇妙な行動を取る。進歩どころか退歩なのであって、このため社会主義とかフェミニズムに洗脳されてしまうと、まともな文学作品を作ることができなくなる。文学自体、或る意味、退行現象のようなものだからだ。
日本では児童文学作品は子供たちが読む物と考えられているのだが、この考えこそ文学を根本から間違う要因になっている。絵本を見れば解るように、母親は子供たちに読み聞かせるのであって、ということは、母親が「これは良い本だ」という物でないダメなのである。
確かに大人向けの小説というのはレベルが高い。しかしそうやって大人向けの小説ばかり読んでいては、作家たちはいずれネタがなくなり、それで猟奇的な殺人事件を取り上げたり、堕落的な性愛の話を取り上げたりと、全く道徳という物を喪失し、悪徳まみれになってしまうのである。
その点、児童文学は親と子供たちを相手にしているので、そういう堕落をすることが許されず、健全な小説を書かねばならないことになる。だから児童文学の歴史には時折、凄い小説が現れて来るのであって、そういう小説はベストセラーになるだけでなく、ロングセラーにもなっていくのである。
●物語内容
『鹿の王』の物語内容を簡単に言えというのは実に難しい。内容の濃い小説なので、とにかく実際に読んで頂かないと、幾ら話をしても理解させることはできない。この小説には2人の主人公がいて、一人は独角の頭として東乎瑠に抵抗した「ヴァン」であり、もう1人が「ホッサル」という天才的な医術師である。
ヴァンは東乎瑠との戦いに敗れ、奴隷として岩塩鉱で労働に従事することになる。しかし或る夜、犬たちが岩塩鉱を襲い、その後、疫病が発生して、奴隷たちは死に絶えた。だがヴァンだけが生き残り、ユナという幼な子と共に逃亡する。
一方、オタワル深学院に勤めるホッサルは、この疫病を調べて行く内に、これが「黒狼病」であることを突き止める。だが、この疫病は誰かが人為的にばら撒いているのではないかと疑い、最終的にはそれが東乎瑠の占領政策で酷い目に遭わされた「火馬の民」の仕業であることを突き止める。
火馬の民の出身であるシカンは疫病を大流行させるべく行動を起こすが、アカファ王の手下であるモルファたちに食い止められ、犬たちはヴァンによって奪われ、計画は頓挫する。ユナたちは森の中に消えたヴァンを負って、自らも森の中へと消えていった。
物語の内容は複雑なので、この説明では不充分なのだが、とにかく黒狼病という疫病が重要なキーワードになっているのに、その疫病が大流行しなかったので、どうも巧く説明することができない。疫病の事を扱うなら、疫病を大流行させてしまった方がいいのであって、それなのに疫病の大流行を止めてしまったので、それで物語内容を説明するのが非常に困難になってしまったのである。
●この作品の問題点
この作品には多々問題点がある。最大の問題は疫病を大流行させなかったことなのだが、それ以外にも決して見過ごすことのできない問題が存在している。上橋菜穂子の文章が巧いので、問題を見過ごしてしまう者たちが続出してしまうのだが、問題は問題なのであって、それを見逃してはならない。
①ヴァンの性格は明らかに女である
ヴァンの性格は明らかに女なのであって、女性の読者たちは解らないかもしれないが、男性の読者から見れば「なんでそんなことをするんだ?」と疑問が連発してしまう。例えば岩塩鉱でユナを連れて逃亡するというのは、子連れ狼じゃあるまいし、今から逃亡しようとするのに、なんで敢えて目立つ赤子を連れていくのかということになる。
ラストシーンでヴァンが犬たちを連れて森の中に消えて行くのもおかしい。ヴァンは独角の頭目として東乎瑠に戦いを挑み、自分の仲間たちが全員殺されたのである。それなのに東乎瑠に対してなんの復讐をしかけてこないというのは、戦士として絶対に有り得ない行動なのである。
②ユナの成長が余りにも不自然
ユナの成長が余りにも不自然である。ユナは岩塩鉱では「立っち」ができる程度なのに、その後、すぐに「一人歩き」ができるようになってしまう。立っちができた後は、転びまくりながら一人歩きをするようになるので、それまで結構時間がかかるのである。
それに岩塩鉱から逃亡した際に、「オムツはどうした?」と言いたくなってしまう。上橋菜穂子には子供がいないので、自分が妊娠出産育児をしていないと、必ずどこかでボロを出してしまう。子供がいないなら、赤子のキャラは出さない方が無難である。
③サエのような女性はいない
サエのような女性はいない。文化レベルが低ければ低いほど、男女の区別はきっちりとしているのであって、幾らモルファという設定でも、それは無理なのである。しかもその実力はヴァンと互角であり、ヴァンは戦争で戦ったことがあるというのに、戦争を経験していない者が戦争を経験した者と同等の力を持つといのは絶対に有り得ないことなのだ。
④疫病で滅んだ国家は1つもない
疫病に関しても上橋菜穂子は根本的な所で勘違いをしている。疫病で滅んだ国家など1つも存在しないのであって、疫病は個人に対して致死率が高くても、国民レベルになると、それなりの免疫力を発揮してくるので、国家を滅亡させるほどの威力を発揮することはない。
⑤作者が更年期障害
上橋菜穂子が現在、更年期障害を発症中で、その病気を抱えたまま『鹿の王』を書いたということは決して見逃してはならない事実だ。上橋菜穂子は『獣の奏者』を書いていた時、第3巻から明らかに更年期障害の症状が出ている。だから『獣の奏者』の第1巻と第2巻は良くても、第3巻と第4巻は読むに耐えないほど酷い出来になっている。
今回、『鹿の王』は3年間かけて書いた。本来なら2年程度で充分なのに、3年というのは時間をかけ過ぎである。そのため内容を濃くしたのだろうが、その反面、とにかく文章が非常に重たい。俺はこの手の本なら1日で読めるのに、なんと5日もかかってしまった。
●執筆の意図
上橋菜穂子の執筆の意図は、
「人は身体の内で何が起きているのか知ることができない」
「人の身体は細菌やウィルスやらが日々共生したり葛藤したりしている場である」
「それって、社会にも似ているな~」
ということであり、この3つを組み合わせることで『鹿の王』を作り上げた。
人間の認識能力には限界があるので、自分が全てのことを知りうることはできない。厄介なのは、外界に対してなら認識量を増やして行くことができるのだが、自分のこととなると途端に認識量が激減するということなのである。だから高尚なことを言っているのに、実は裏では碌でもないことをやっているひとたちがいるのだ。
人間がこの世で生きて行くためには善悪の判断をしていかなけれがならないのだが、ところが物理的現象というものは、そもそも善悪を持たない。善悪とは関係なしに起こるものなのであって、そのことを知らないと、間違った認識をしてしまうことになる。
そしてこここそが『鹿の王』の物語が巧く盛り上がらなかった理由なのだが、「人間の体と人間たちが作る社会は同じである」という作者の考え自体が間違っており、それが物語を複雑にした割には、劇的な物語にすることができなかった理由でもあるのだ。
人間たちが作る社会は自生的な物であり、誰かが計画して作ったものではない。確かに社会自体は善人も悪人も包み込むことができ、その者たちだけなら均衡点に到達する。しかし人間たちの社会は国家という枠組みの中にあるのであって、となれば政治が存在し、政治家たちは政治権力を行使してくることになる。
社会に存在する自由という物は、人々が思っている以上に脆い物なのであって、そのことを踏まえて政治権力に縛りをかけていかないと、政治権力は暴走し、自由は一瞬の内に破壊されてしまうことになる。だが、政治の力があればこそ、自由は守れば、自由は増大していくこともできるので、政治と社会は常にリンクしながら考えていかなければならないのである。
●評価
『鹿の王』に対する俺の評価としては、
「問題点は多々あるが合格」
ということになる。これは上橋菜穂子の作品の典型的な例で、彼女は問題点があるけど、それでも合格レベルに行く傾向が非常に強い。今回の問題点は、上橋菜穂子が妊娠出産育児をしなかったこと、それに政治と社会は別物だということを解らなかったことに起因している。
『鹿の王』は内容が濃い物なので、時間をかけて読むようにお勧めする。速読で読んでしまうと、内容を巧く理解できないと思う。そして読み終わったのなら、もう1度読んで欲しい。この本は1読して終わりという物ではない。それではこの本の内容をきちんと理解したとは言えない。
俺がこの本を読み終わってつくづく思ったのは、
「これはと児童文学作品なのか?」
ということであり、児童文学作品にするにはレベルが高すぎるだろうと判断せざるを得ない。この本を小学生が読んだ所で、どれだけの小学生たちが理解できるのか?
それと同時に、
「本屋大賞に賛成票を投じた書店員たちは本当にこの作品を理解することができたのだろうか?」
と思ってしまった。本屋大賞は女性の書店員たちが大多数を占めるので、彼女たちはただ単に「作者が女性だから」「架空の世界にトリップしただけ」という理由で賛成したのであり、この本の内容をきちんと理解できたのだろうかと思ってしまった。
主人公たちがすべきことは疫病を流行させ、それを利用して祖国の復興を図ることなのであり、独立を回復してしまえば、アカファの人たちの苦しみは一瞬にして消滅することになる。自分たちを征服した者たちと共生して行こうなどというのは、男としてやるべきことではないのだ。
それが「男女の性差」と言ってしまえばそれまでだが、作者が結婚して親から独立しなかったということも、このことに関係していると最後に指摘しておく。
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