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2015年5月

地震予測が外れたんだか、当たったんだか

●地震予測の結果

 俺は5月11日に地震雲を見たので、緊急警報を出しておいた。昼間に見た地震雲は幾つもあって、しかも綺麗と思えるほどであり、それが全て神奈川県方面を剥いていた。更に夕方にも地震雲を見、それは1つしかなかったが、東京方面を向いていた。

 その結果、一体どうなかったのかというと、翌日の5月12日にはネパールでマグニチュード7.8の大地震が起こった。翌々日の5月13日には岩手県沖で震度5強の地震が起こった。場所こそ完全に外れたのだが、大きな地震が2回ほど来るということは当てたということになる。

 まさに地震予測が外れたんだか、当たったんだかである。

 ネパールの大地震で恐ろしいのは、ネパールで大地震が起こるとアメリカの地質学研究所がすぐに地震速報を出していることであろう。アメリカ合衆国の地震観測の技術はそこまでレベルが上がったということなのであり、日本の技術の方が明らかに遅れているということになる。

 日本の場合、地震学のエキスパートではない者が政府系の有識者会議の議長になっているので、それで「地震予測は可能なんだ」という地震学者たちの意見があるのに、その意見を採用しないのである。その議長はキリスト教系の大学の大学教授なので、この人事自体が異常極まりないものであるのだ。

 地震予測は科学的に可能である。地震が起こる前に地形は歪むので、その兆候を確実に捉えることができる。しかも地震が起これば地形が動くので、それを計算すれば震源地も震度を正確に割り出せることができる。政府が地震予測をやらないというのであるならば、民間で新たな技術を開発していくしかない。

●東京を大地震から守っている人たち

 このブログを見ている人たちの中には、

「タマティーさんはなんだかんだ言って地震予測が外れたのではないか?」

と思う人もいるだろうが、そんな中、5月25日に埼玉県を震源に震度5弱の地震が発生した。2週間ほど遅れたが、やっと東京近くで地震が発生したのである。

 俺はこれらに一連の地震を見て、

「何かがおかしい」

と思うようになった。というのは、俺が見た地震雲は明らかに神奈川県で起こることを予想させる物だったし、2つ目の物は東京で起こることを予想させるものであった。それなのにまるで神奈川県や東京都を避けるように地震が起こっているのだ。

 実を言うと、かなり以前から「東京を大地震から守っている人たち」がいるという情報を俺は掴んでいた。その連中は俺の情報網に引っ掛かっているので既に正体を特定している。彼等は明らかに善意でやっているので、やりたいのであるなら、どうぞご自由にということで俺は何も対策を講じなかった。

 俺とその連中とでは、簡単に言ってしまえば宗教が違う。その連中は宇宙人がなんたらかんたらと言っている人たちなので、俺としてはまともに付き合うことができない。しかし厄介なのは、彼らが地震を止めるだけの技術を持っているということである。

 東日本大震災から10年後には関東で大地震が起こることは既に解っている。だから俺としてはそれまでの間に地震を多く起こして、出来るだけ大地震にならないようにした方がいいと思うのだが、世の中には大地震そのものを止めてしまった方がいいと考えている人たちもいるのである。

●東京都庁ビルと東京スカイツリー

「神様は高い建物を嫌う」

ということを覚えて欲しい。人間は大地から離れて生きる事の出来ない動物なので、大地から離れれば離れるほど、神の怒りを買うことになる。日本の運勢がおかしくなり始めたのは、東京都庁ビルを立ててからであり、これで西からの運気の流れを遮るようになってしまった。

 日韓関係や日中関係が揉めるようになったのは、東京都庁ビルを建ててからのことである。東京都庁ビルがある限り、日韓関係や日中関係は政府がどのようなことをしたとしても絶対に改善しない。韓国や中国は敵国だと思った方が寧ろ日本の外交は巧く行くようになる。

 しかも東京都庁ビルは二股のビルなので、これで気を分断する羽目になり、それで皇太子殿下夫妻に問題が出て来てしまった。皇太子の位置は「東」なのだが、皇太子妃の位置は「西」なので、それで皇太子妃を直撃したという訳なのである。

 はっきりと言ってしまうと、東京都庁ビルを設計した人に余程の悪意がないと、あのような作りにはならない。風水を充分に熟知した上であのビルを建てたのであって、目指しているのは天皇制打倒なのであろう。時折、遷都が話題になるが、遷都してしまえばこの魔力から遁れることができるので、それで遷都の議論は現実的な話として進められているのである。

 トドメは東京スカイツリーであり、東京スカイツリーが完成した直後に、東日本大震災が起こった。地方の人たちにはなかなか解らないだろうが、東京スカイツリーは本当にポツンと立っているのであって、なんであんな所に建てたんだと疑いたくなる。

 現在のように通信衛星が発達した時代には、寧ろ通信衛星を多様すべきであって、最早、電波塔を巨大化して何かをするということはしなくていい。東京スカイツリーの方はゼネコンの利権なのだろうが、ゼネコンを活かすために東京スカイツリーを作り、そして東日本大震災を引き起こしてしまったということなのである。

●宗教心の回復

 東京都庁ビルにしても、東京スカイツリーにしても、それを建設した人たちは宗教心が全くないか、有っても形式的な宗教心しかない人たちだ。本物の宗教心があれば、「神様が高い建物を嫌う」のだから高い建物を建てるのはよそうということになる。

 しかし宗教心がないのだから、そういうことが解らず、平気で危険な建物を建ててしまうのである。阪神淡路大震災にしても、東日本大震災にしても、宗教心の弱い地域を直撃してきたことを絶対に忘れてはならない。宗教心があれば地震を全く発生させないということはないが、事前に危険なことをやっていないので、被害を最小限度に食い止めることができるものなのである。

 現在、日本は人口減少に入っており、今後20年で全国の神社仏閣の20%が潰れるのではないかという予想が出ている。もしも神社仏閣が潰れていけば、今まで霊的防衛を担っていた神社仏閣が機能しなくなり、それで大地震が発生すると、とんでもない被害を発生させることになる。

 厄介なのは、こういう時に「宇宙人がなんたらかんたら」という宗教モドキが出て来るのであって、そういうインチキ宗教が出回ってしまうと、余計に危険なことになってしまう。日本は神仏習合の国なのだから、神道と仏教の良さを再確認しておけば、安全でいられるものなのである。

 自分たちに宗教心があれば、それに見合う形で科学技術も発達してくる。宗教心抜きで幾ら科学技術を追いかけても、先頭に立つことはできないものなのである。地震は予測できるし、それをある程度は止めることもできるし、起こせることもできる。科学技術はそこまで発達してきているのであって、日本だけがそれに取り残されているということは、ただ単に科学教育に問題があるというだけではないのだ。

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なぜ社長令嬢には「麗子」さんが多いのか?

●社長令嬢といえば「麗子」

 先日、電話があり、誰かと思って表示を見ると、そこにはなんと

「○○○麗子」

なる女性の名があった。「○○○」の部分には苗字が入っているので、その苗字から考えると該当する人物は1人しかいない。多分間違いないと思って電話に出てみると、やはりその女性からだった。

 その女性とは普段、苗字でしか呼んでいなかったので、まさか名が「麗子」だとは思わなかった。そのため、

「名前で随分と得をしているな~」

と思ってしまった。なぜならその名前を見れば、いいとこのお嬢様だと思ってしまうからだ。

 尤もその麗子さんの職業は介護士なので、このギャップが仕事をやって行く上で非常に有益となる。介護士といえば、現在、低賃金労働の代表とされてしまい、外国人を受け入れるまでになっているのだが、その女性は結構仕事が巧く行っているみたいである。

 女性の名前の中には或る漢字を用いてしまったために、随分と得をしてしまう名前がある。「麗子」はまさにそれに該当し、敢えて姓名判断をするまでもなく、その名前を見ただけで、「いい人生を贈っているんだろうな~」となぜだか思ってしまう。

 社長令嬢には麗子という名前が異様に多い。社長の娘に麗子という名が付くと、なぜだかしっくりと来てしまうのである。麗子という女性で、あんまりバカな女性はみたことがない。麗子と来れば「才色兼備」で「お金持ち」というのが殆どである。

●漢字の「麗」の意味

 なぜこういう不可思議な現象が起こってしまうのかといえば、それは漢字の「麗」が非常に強い意味を持っているからである。

麗とは「美しい角が出揃った鹿」

という意味で、小鹿を指しているのではなく、成長した雄の鹿を指している。このため女性でありながら男性並みのパワーを使うことができ、しかもその姿は威風堂々ということになる。

 麗には「華麗」とか「美麗」とか意味が派生して来るので、それで麗子と言う名の女性は美人が非常に多いのである。その美しさは通常の美しさではなく、華やか、煌びやか、見眼良い物で、男性たちからだけでなく、女性たちからも支持される美しさなのだ。

 麗には「対」とか「連なって行く」という意味もある。このため麗子という女性は必ず結婚してくる。結婚することで更に運気を上昇させてくる。単独でも充分にパワーを発揮できるのだが、結婚すると何倍ものパワーを発揮していくことになる。

 角は2本あるので、家庭と仕事の両立が出て来てしまうのは当たり前であり、それだけでなく仕事を2つ掛け持ちするということをやってくる。このため専業主婦とか、仕事をしていても1つの仕事しかしていないと、力を持て余してしまうことになる。

 漢字の中で動物が使われている物はかなりパワーが強い。しかし動物の持つ悪い部分が出てしまうという欠点がある。その点、麗は漢字に動物が使われているのだが、「鹿」という漢字があるために、直接に動物を指す訳ではないので、それで動物の持つ悪い部分が出て来ない非常に有難い漢字なのである。

●「麗しい」と「美しい」の違い

 親が娘に「麗子」と名付ける場合、「麗」の意味を踏まえてのことであろう。しかしそうとも限らず、日本語の「麗しい」を踏まえて名づけることも有り得る。実を言うとこれが問題となる。なぜなら、日本語の「麗しい」と中国語の「麗」には意味が違うからだ。

 日本語で麗しいは

「容貌が整った綺麗な姿」

を意味する。基本的に女子大生辺りの姿を想像すると解り易い。体が引き締まっている美しさを指す。漢字の熟語で言い表すと「「端正」ということになる。このため華麗とはかなり異なるのである。

 因みに日本語で「美しい」は「小さい者への愛しさ」を意味する言葉であって、実は子供向けの言葉なのであり、大人向けの言葉ではない。美しいが「美」を意味するようになるのは平安時代末期からであって、本来は美を意味する日本語は「麗しい」であったのである。

 麗しいという言葉は戦後になって急速に失われていった言葉なのだが、それでも、

『麗しのサブリナ』

という映画があった。オードリ・ヘップバーンはまさに「麗しい」であって、端正であるが、華麗ではない。その題名を付けた人は麗しいの意味をちゃんと理解して名付けたのである。

 親が麗しいという意味で命名したのなら、その女性は19歳から29歳までが当たりまくりの時期で、スタートダッシュで勝負を仕掛けていくと、人生は大発展を遂げることになる。しかし大卒後に大学院に行ったり、海外留学をやったりして世に出るのが遅れてしまうと、好機を逃してしまう。

●麗子さんの落とし穴

 麗子はいいこと尽くめの名なのだが、この麗子の名にも欠点が存在する。

①動物並みの体力ゆえに

 まず麗子には動物並みの体力があるので、その体力を過信してしまうと、無理をしてしまう。夜更かしや徹夜をしても、翌日は平気な姿で出勤してきたりする。しかしこういうことをやっていると、無理が祟って病気を発症してしまうことになるのだ。

②端正でなくなると、運気が急速に低下する

 次に麗子を麗しいという意味で名付けた場合、麗子が端正でなくなってしまうと、運気が急速に低下してしまうことになる。結婚しても、間食を控えるとか、スポーツをするとかしないといけない。女性は出産するとやや太るので、そのやや太った姿で止めておくというのが大事なのである。

③水商売に転落する可能性がある

 麗子は高級ブランド品が似合う女性である。このため普通の仕事をして充分に稼げばいいのだが、稼ぎが足りないと普通の仕事がバカらしくなってしまい、それで水商売をやるようになってしまう。だから水商売をやる女性にはなぜだか麗子という名の女性が多いのである。

 麗子の名を字画の方で運命鑑定をすると、22画ゆえに家庭向きであり、夫を立て、子供たちを産み育てる方が向いている名ということになる。麗子の名はパワーが強いゆえに、若い時にその強いパワーを使って何かを成し遂げ、その後、結婚して家庭に入ってしまうのが最善の遣り方であると言える。

 因みに俺の所に電話をかけてきた麗子さんは既婚女性であり、やはり結婚して家庭に入るという選択肢を取った。もう1つ付けくわえておくと、その女性は動物並みの体力があるので、実に良く動き回っている。動き回ることは結構なのだが、やはり無理をしないで動き回るということが必要なのである。

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宗教リテラシー

●プロステタントの聖書知らず

 本という物は、頁数が少なければ少ないほど多くの人たちに読まれ、頁数が多くなればなるほど殆どの人たちに読まれなくなる。しかし分厚い本に限って有名になってしまい、それでその本だけは購入するという者たちが出て来る。だがその本を買った所で読みはないし、読んだとしてもきちんと最後まで読むことはしないのである。

 この手の本の代表例が『聖書』である。

 キリスト教徒なら聖書を完読したことがあるであろうと思うのは大間違いで、カトリックだと祈ることを最優先にしてしまうので、まず読みはしない。プロテスタントたちは聖書至上主義を掲げるので、さぞかし読んでいると思いきや、実はそうではないのだ。

 教会員になれば教会で宗教活動しなければならないし、機関誌を読まなければならないし、キリスト教徒の学者が書いた本を読まなければならない。こういうことをやっていれば、聖書を読むことなど後回しになってしまい、それで聖書を通読するということを全くしていないということになってしまうのである。

 まさに「プロテスタントの聖書知らず」になってしまうのだ。

 今回紹介する本はこの本!

 スティーブン・プロセロ著『宗教リテラシー』(麗澤大学出版会)

 堀内一史訳

  宗教リテラシー[スティーブン・プロセロ]

 この本は実に文章が素晴らしい。これぞワスプのエリートの文章なのであって、実用的な英語をビシバシと使って来る。イギリス人たちが使う英語は経験論的な英語で、浮つく物がないのだが、それでいて教養が滲み出て来るような文章を書く。同じ英語でも、イギリスとアメリカ合衆国とでは英語がまるで違うので、その点を踏まえて読んで欲しい。 

 しかもこの本は翻訳が非常に巧い。翻訳者の堀内一史は麗澤大学の外国語学部イギリス語学科卒業なので、外語大学を出たのと殆ど同じ学力があると見ていい。原題の訳し方が実にいい。原題は、

「Religious Literacy」

なので、直訳すれば、

「宗教的教養」

になってしまう。これだと硬くなってしまうので、それで

「宗教リテラシー」

にして、原題の意味を維持しながら、日本人の読者たちにも解るようにしたのである。

 リテラシーというのは「識字率」「教育があること」「教養」とかを意味する。教養というと一般教養を指してしまうので、意味が広がりすぎてしまう。日本語だと「基礎知識」という言葉が妥当であると思う。英語のリテラシーは翻訳しづらい単語なのであって、だったらそのまま使ってしまった方がいいということになる。

●アメリカ合衆国の独立はフリーメソンたちによるものである

 『宗教リテラシー』を読むに当たって、アメリカ合衆国の独立の歴史を理解しなければならない。学校の世界史の授業では、

「アメリカ合衆国はイギリスのピューリタンたちがイギリスから遁れて植民地にやってきて、ボストン茶会事件を切っ掛けに独立戦争が始まり、そして独立した」

と教えられているのが、これは大嘘である。

 建国当時、キリスト教徒たちは人口のたった17%しかいなかった。アメリカ合衆国の独立を担ったのは「フリーメーソンたち」であり、フリーメーソンリーなくしてアメリカ合衆国の独立は有り得なかった。ボストン茶会事件ですら、フリーメーソンリーのロッジで計画された物だし、独立宣言も合衆国憲法もフリーメーソンたちが作った物なのである。

 西ヨーロッパで宗教改革が始まると宗教戦争が勃発し、誰がどうやっても収拾がつかなくなってしまった。そこに現れてきたのはフリーメーソンリーなのであって、この秘密結社は宗派の違いを超越することができた。その連中が西ヨーロッパに於ける宗教戦争を嫌ってアメリカ大陸に渡ってきて、そして自分たちの国家を作り上げてしまったというのが事の真相なのである。

 フリーメーソンリーにとってキリスト教系の教団はどれも危険なのであって、それで合衆国憲法には「政教分離」を定め、宗教団体が政治に手出しすることができないようにさせてしまった。しかし自分たちは宗教団体ではないので、それで連邦政府とフリーメンソンリーは常に密着することができたのである。

 「アメリカ合衆国はキリスト教国である」と考えるのは、合っているように見えて、実は間違っている。独立宣言や合衆国憲法で使用される「神」はフリーメンソンリーの神のことなのであって、キリスト教の神とは違う。このことが解っていないと、アメリカ合衆国の宗教事情を正確に理解することはできないのだ。

●独立後に信仰復興が起こり、歴史を塗り替えた

 アメリカ合衆国は独立当初、成人した白人男性たちに選挙権を与えたので、公立学校の建設を急ピッチで進めた。しかし中部や南部は人口が少ないので学校教育には適さず、それで教会が信者の子弟たちの教育を行い始めた。文字を読めるようになると、まず読み始めたのが聖書であり、それでキリスト教が急速に拡大し始めたのである。

 独立後に西ヨーロッパからやったきた移民たちはそもそもがキリスト教徒だってので、アメリカ合衆国は移民の数が増える度にキリスト教徒の数は増大していった。これだけキリスト教徒たちが増えて来ると臨界点を突破し、「大覚醒」という信仰復興運動が起こり、更にキリスト教徒たちの数は増大した。

 こうなると家庭でも我が子にキリスト教を教えたいという要求が出て来て、それで『ニューイングランド初等教本』など、初歩的な教理問答を教えながら、文字を教えていく本が普及した。アメリカ合衆国の子供たちはこういう本を読んでから聖書を読み始めたのであって、それでキリスト教徒なら誰でも聖書を読むという時代が到来したのである。

 しかしこういうような教育の仕方には落とし穴があった。それは宗教から道徳へと移行させてしまう動きであり、子供たちに賢明であるより善良であることを勧めた結果、宗教を道徳だと勘違いする連中が大量発生してしまったのである。

 キリスト教は「原罪」という教えがあって、誰もが罪人であると考える。救世主であるイエスが贖罪死してくれたからこそ、キリストj教徒たちは原罪から解放されたのであって、だったらまずは原罪を意識することから始めなければならない。だが、それがないのだから、まともな信仰を持てる訳がなくなってしまうのである。

●信仰に熱心な人たちが宗教的無教養人たちを産み出した

 キリスト教への信仰が高まる中で起こったのが「聖書戦争」であった。事の発端は公立学校で使用する聖書をどの翻訳の物にするかを巡っての争いだった。プロテスタントたちは欽定訳聖書を主張し、カトリックたちはウルガタ・ラテン語訳聖書を主張したので、それで激突してしまったのである。

 この聖書戦争はアメリカ合衆国の全宗派を巻き込むほどの大きな戦いになってしまったので、非常に深刻な結果を引き起こした。まずは公立学校で宗教を教えることがほぼ不可能になってしまったということである。教師が宗教のことで何か教えようものなら、新旧両派の親御さんたちから噛みつかれてしまうからだ。

 第二に宗教が道徳に完全にすり替わってしまったことである。宗派の教義を持ち出せば論争になる以上、宗教は敬遠し、宗教から産み出された道徳で協力関係を築き上げて行こうと誰もが思うようになったのである。学校でこういうことが起これば、いずれ大学もそうなってしまうのであって、それで教育の場から宗教が除去されてしまった。

 キリスト教の宗教家たちは「アメリカ合衆国の世俗化は世俗主義者たちによって引き起こされたものだ」と主張するのだが、実はそうではなく、キリスト教を深く信仰する者たちによって引き起こされてしまったものなのである。要は自業自得なのであって、自分たちがやってしまった悪行の結果を自分たちの所にやってきているにすぎないのだ。

 「信仰はあっても知識がない」というのは非常に危険なことである。その信仰は必ず「似非信仰」になってしまうのであって、キリスト教の場合、信仰義認説があるために自己義認説へと転化してしまい、それで「俺は正しい」「俺は正しい」ということを繰り返してしまうのである。

「なぜアメリカ人たちの信仰は胡散臭いのか?」

「なぜアメリカのキリスト教徒たちはキリスト教の知識を殆ど持っていないのか?」

「なぜアメリカのテレビ伝道師たちは世俗じみた顔をし、下らない話しかしないのか?」

 それはアメリカ合衆国に「歴史の逆説」が作動してしまったからなのであり、信仰に熱心な人たちがいたために宗教的無教養人たちを大量に産み出してしまったのである。

●宗教的無知と侵略戦争

 現在、アメリカ合衆国の国民たちはキリスト教自体を知らないだけでなく、他の宗教のことも知らない。これは憲法に政教分離があり、信教の自由が認められたしまったことの結果だから全く笑えない。このような無知な連中が覇権国家を動かしているのだから、碌でもないことしかしないのは当然である。

 宗教的無知と侵略戦争は密接な関係にある。

 アメリカ合衆国は国内に於いて宗教的空洞化が起こっており、これをこのまま放置すれば国家が崩壊してしまう。そこで共通の敵を見つけて侵略戦争をし、国家の延命を図るということをやる。

 それが第二次世界大戦だったし、冷戦だったし、湾岸戦争だったし、対イラク戦争だった。そして今はイスラム過激派たちに対して侵略戦争をやりまくっており、最早、戦争を止めることができなくなってしまったのである。こんなことを遣り続けていれば、いずれ国力は底を尽き、呆気ないほど簡単に国家が滅亡してしまうことになってしまう。

 プロセロはアメリカ合衆国のこの異常事態に対して「宗教学習」を提案しているのだが、これは憲法上無理であろう。裁判に持ち込まれれば必ず違憲判決が出てしまう。憲法の政教分離の規定は王手飛車取りの如くに効きまくっているのである。

 政教分離は確かに必要なものである。政治と宗教はお互いに距離を取っていた方がいい。しかし政教分離には国民を宗教的に無知にさせてしまうという弊害もあるのであって、そのことを配慮した上で憲法を作っていかないと、国家は政教分離のために滅亡してしまうのである。

 現在、アメリカ合衆国は古代ローマ帝国の末期と同じ症状になっている。離婚は当たり前となり、児童虐待は平然と行われ、同性愛は蔓延している。古代ローマ人はキリスト教に征服される形で滅んでいったが、アメリカ人たちはキリスト教を信仰しながら滅んでいこうとしているのだから、歴史の皮肉としかいいようがない。

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大阪府デンガナ計画

●大阪府を復活させる秘策

 大阪というのは日本にとって非常に特殊な地域である。江戸時代には「大阪城代」が置かれていたのであって、大阪府民たちの政治に関する自治能力は想像以上に低い。いっそのこと大阪府知事を中央政府から派遣して貰った方が巧く行くことであろう。

 これは京都府も同じであって、京都には「京都所司代」が置かれていたので、やはり京都府民も政治に関する自治能力は低い。戦後の歴代の京都府知事たちを見れば、大した業績を残していない。経済が発達し尽くしてしまった地域というのは、政治家を外から持ってきた方がいいということも有り得るのである。

 現在、長期デフレなので、大阪府知事がすべきことは、まずはリストラであって、減税していくことであろう。その次は都市の再開発であって、古い住宅を破壊し、高級マンションを作っていく。そして将来を見越して科学技術の開発を行って行く。こういうのは本当に地味な作業なのであって、大阪府民が民主主義に熱狂すればするほど、本来しなければならない仕事に着手せず、全てのことを先送りにしてしまい、それで最悪の結果を招いてしまうのである。

 俺には大阪府を復活させる秘策という物がある。それさえやれば大阪府は急速に復活していき、大阪府民の暮らしは今よりも格段に豊かになって行くことであろう。ではその秘策は何かといえば、それは、

大阪府限定地域通貨を導入することである」

という物である。

 大阪府内で日本円の使用を禁止し、その代わり大阪府が発行した通貨を使用して貰う。その通貨の名称は、

「デンガナ」

である。日本円とリンクしているので、千円なら、大阪では「千円デンガナ」ということになる。

●大阪人に値切らせるな!

 なんで大阪に特別な通貨が必要なのかといえば、大阪人たちは何を買うにしても値切って来るからだ。その値切りを防止するために、特別な通貨を導入するのである。例えば千円の商品があるとしよう。お店の人は客から値段を訊かれれば、

「千円です」

と答える。しかし大阪人はその答えに対して、

「そりゃあ、高いわ~。おっちゃん、負けてぇ~な~」

と必ずまるで決まり文句のように言ってくるのである。初対面だというのにこの有様である。お前、初めて見る物なのに、他の商品と比較したことがあんのか! それに大体、おっちゃんではない。慣れ慣れしいにも程がある。拳銃持っていたら、すぐさま射殺していたことであろう。

 一体何が悪いのかとえいば、大阪人に対して共通語で値段を答えている事が問題なのである。大阪人は品物を見れば値切りをしてくる以上、それを想定した答えを用意しておくべきなのだ。だから、デンガナを使用すると、値段を訊かれれば、

「千円デンガナ」

と答えることになる。この千円デンガナという言葉の響きの良さ! デンガナという粘り強い言葉が実に魅力的なのである。これに大阪人はノックアウトされて、

「そりゃあ、安いわ~。それ頂戴!」

と購入してくれることになる。大阪弁で答えるからこそ、大阪弁で反応してくれるのであって、「円」などという、味もそっけもないような物では、大阪人たちは素直に動いてはくれないのだ。

●紙幣の肖像画は全て「太閤さん」

 日本の1万円札の肖像画が聖徳太子から福沢諭吉に代わってから、日本はずっと不況である。大体、福沢諭吉は政治家ではないのであって、それなのになんで福沢諭吉の肖像画を採用したのか、全く理解できない。紙幣の肖像画は政治家にするべきであって、他の者がなるべきではない。これは国家の顔なのである。

 そこで大阪府のデンガナの紙幣では、大阪人なら誰もが大好きな「太閤さん」の肖像画を使用することにする。大阪で太閤さんの名を出せば、これに逆らう者は1人もいないし、太閤さんの名を出すことによって景気をどんどん良くしていこうという気持ちになる。

 尤も大阪人は口が達者な癖に、根性がない。そこで緊張感を維持するために、千枚に1枚の割合で、「辛子明太子」の肖像画の入った紙幣を出す。この紙幣を大阪人が手にすると、

「太閤さんと持ったら辛子明太子。ちゃうちゃう」

と笑いながら否定して来る。となれば、1万枚に1枚の割合で、「チャウチャウ犬」の肖像画が入った紙幣を出す。この紙幣を大阪人が手にすると、

「チャウチャウちゃうちゃう」

と大阪人なら誰でも人生の中で1度はやってみたい大阪のコテコテのギャクを言わせることができ、それでストレスを思いっきり解消させ、経済活動を真剣になって打ち込んで貰うのである。

●デンガナを使ってどんどん経済発展

 デンガナは飽くまでも地域通貨なので、日本銀行の通貨発行量とは関係なく発行することができる。だからデンガナをどんどん発行しまくって、そのお金で大阪の都市の再開発をどんどん進めて行くのである。大阪中の全ての住宅をぶっ壊して、大阪人たちには全て高級住宅や高級マンションに入って貰う。

 そんな広い家に住むのだから、高級家具が必要だし、華麗な洋服も必要だし、豪華な食事も必要になってくる。ドケチの大阪人たち全員がバンバンお金を使っていくのだから、大阪だけが景気は沸騰し、それで誰もが豊かになっていくのである。

 こうなると、デンガナを大阪府の外へ輸出したくなる。

 そこでデンガナの宣伝を密かに行う。例えば、8.6秒バズーカーの

「ラッスンゴレライ」

という意味不明の流行語を巧く活用し、

「ラッスンゴレライ、デンガナ」

と言わせ、サブリミナルでデンガナを宣伝していく。更に、

「ちょっと待て、ちょっと待て、お兄さん」

という所も、

「ちょっと待て、ちょっと待て、お兄さん、デンガナ」

と言わせると、デンガナの宣伝はより強化される。

 こういうことをやっていると、女子高校生たちを中心に、

「デンガナって何?」

と話題になり、それでデンガナが密かに売れて行くことになる。

 女子高校生たちがデンガナを使用し始めると、後は急速に拡大していくこtろになる。誰が見ても、福沢諭吉より太閤さんの方が景気はいいと感じるのだから、それで。

「お金持ちになりたければデンガナを持つべし」

ということになり、デンガナは日本国中に広まっていくのである。

 通貨を発行している場所に経済的覇権は移行する物だから、それで日本の経済の中心地は東京から大阪へと移行することになる。東京だって近代以降、日本経済の中心地になってきたが、もう150年もその地位で居続けたらヘトヘトになってしまった。大阪に経済的覇権を譲り渡すことで休息を取り、疲労が除去できたら、また元の地位に返り咲けばいいのである。

 日本国内で最も経済感覚の発達しているのは大阪人なのだから、大阪人が好むような紙幣を作らなければならない。現在、日本銀行はそれをしていないのだから、大阪人たちが反旗を翻してもいいのだ。断言していうが、今の大阪に必要なのは「大阪都」ではない。冗談に聞こえるかもしれないが、大阪府限定地域通貨「デンガナ」なのである。

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なぜ大阪は没落していくのか?

●大阪都構想は戦時中の政策がお手本?

 現在、日本は長期デフレに悩まされているのだが、この間に起こった最大の変化といえば、大阪が第三位の都市に転落したことであろう。第二位の都市は名古屋になってしまったのであり、大阪は近代以降、ずっと守って来た地位を失ってしまったのである。

 「日本維新の会」の橋下徹が「大阪都構想」を打ち上げているのも、このまま大阪が転落していくのに耐えられないからだ。大阪の下には福岡や横浜が控えているのであって、これらの都市では再開発を推し進めているので、大阪が抜かれるのは最早時間の問題だと言っていい。

 しかしこの大阪都構想は実に危険な計画であって、この計画はなんと戦時中にやった東京府と東京市の合併を手本にしており、誰がどうやってもこの計画は失敗することになる。というのはこの合併のために東京都は首都防衛に失敗し、大量の戦死者を出してしまったからだ。

 東京には23の特別区があるのだが、これは非常に危険である。もしも東京大震災が起こった場合、23区がバラバラに動いてしまえば、被害が余計に拡大してしまうことになるからだ。大阪都構想では大阪市を5つの特別区に分けるとしているのだが、もしも大阪大震災が起これば、一体どうなってしまうのか、全く考えていないのである。

 橋下徹は社会主義やフェミニズムに洗脳されていないので、逆に余計に危険であると言っていい。バカの1つ覚えの如く民主主義を妄信しているのだが、一般大衆がどうのような意思を示したとしても、大阪は地震多発地帯の上に存在していることは変わらず、そのことを無視して何かをやれば、最悪の結果となって現れてきてしまうのである。

 大体、「都」というのは、「天皇の宮城のある地」を意味するのであって、大阪は都になることはできない。もしも日本に2つの都が必要とするなら、皇太子殿下か親王殿下を大阪に住まわしてしまうとか、そういうことをすればいい。そういう政治的配慮を何もしないで都を作ろうというのは、事実上の大逆であると看做す他ない。

●大阪の宗教は本当に異常

 大阪には日本を代表する企業がそれこそ山ほどあるので、大阪の転落の要因は経済ではないということが解る。経済以外の所で、何か大阪に重大な問題があるからこそ、大阪は転落し続けてしまっているのである。じゃあ、それは一体なにかということになる。

 様々な統計を見て、大阪が明らかに異常であるというのが解るのが。

「大阪には神社が余りにも少なすぎる」

ということである。神社神道系の宗教団体の数は、なんと最下位の沖縄県に次いで下から二番目なのである。大阪の人口の多さや、大阪の経済力の高さからすればこれは異常事態なのであって、なんでこんなことになってしまったのか、本当に驚きである。

 これにはちゃんとした理由があって、浄土真宗では親鸞が神社に参拝しないよう教義に定めたのだが、浄土真宗の本願寺は嘗て大阪にあったために、それでその悪影響がモロにでてしまった。地方に行けば、浄土真宗の門徒でも平気で神仏習合をしているのだが、大阪となると真面目に神仏習合を否定しているのである。

 神社の数が少ないと、一体何かが起こるのかといえば、

「富の還元が全くなされない」

ことになる。神社がお祭りをする場合、企業やお金持ちたちから寄付金を募り、それでお祭りを行う。これによって富が還元されるので、それで貧富の格差があっても、それは激しくなることはない。

 しかし神社がなければ富の還元がなされない。しかも大阪の人たちはドケチの人たちが多いから、それでお金持ちたちは益々裕福になり。貧乏人たちは益々貧困化していく。大阪で生活保護の受給者たちが異様に多いことや、浮浪者の数が非常に多いことは、これが原因なのである。

 もう1つの宗教的理由は、浄土真宗が強いために曹洞宗と臨済宗の力が弱いということであり、このために文化レベルがなかなか向上しない。曹洞宗や臨済宗は信者たちに多大な経済的負担を強いるのだが、そのお金を使って文化の発展に貢献したりしている。だから曹洞宗や臨済宗の勢力が強い所では文化が発展してくる。

 浄土真宗のように念仏ばかり唱えていては心の平安を産み出すことには貢献しても、文化が発展することはまずない。これに対して禅宗のように座禅をしまくり、禅問答をやっていれば、どうしても知的刺激を受けてしまうから、それで文化が発展してくることになる。

 日本は神仏習合の国なので、宗教混淆力が弱いと、どうしても発展してこない。親鸞のように宗教の純粋性を求めてしまうと「歴史の逆説」が作動し、自分たちが目指した物とは全く逆の結果が出て来てしまうことになる。宗教は純粋性を維持しつつも。或る程度は不純にしておくべきであり、そういうことをやるからこそ、発展していくことができるのである。

●大阪の政治は伝統的に少数精鋭

 江戸時代、江戸幕府は30万人もの有する都市であった大阪をたった300人程度の武士たちによって統治した。このため税金が異様に安く、それで大阪は経済都市として君臨することができたのである。江戸の人口は50万人程度、京都は40万人程度であり、如何に大阪の経済的生産性が高かったかが解る。

 大阪が経済都市として君臨し続けるためには、大きな地方自治体など絶対に作って派ならないのであって、大阪は地方自治体を極限まで小さくしていかなければならない。民間でできる物は全て民営化してしまい、地方自治体がやるべきことは必要最小限度に留めるようにする。

 大阪では住民自治が異様に発達しているので、別に地方自治体が何かをやらなくていい。それよりも町内会の活動を充実させ、そこで処理するようにする。地方自治体が大きくなればなるほど、町内会の力は弱くなってしまうので、それで更に行政サービスを要求してくるという悪循環になってしまうのである。

 但し、大阪の人たちは大阪人特有の欠点を認識しなければならない。それは、

「大阪の人たちは想像以上に政治音痴である」

ということであり、優秀な政治家を選び出すことができないし、府知事や市長に制限された権限を与えるということも解っていない。

 経済力が達者な大阪の人たちにしてみれば、大阪都知事であれ、大阪市長であれ、何もしてくれない方が利益を大きくすることができる。政治家たちが何かを仕出かすと、結局、大阪の人たちが大損をすることになってしまうことになる。そのことを肝に銘じるべきであって、政治に対して下手に期待など抱いてはならないのである。

●大阪の教育の長所と短所

 大阪の教育で最も特徴的なのが、

「大阪は短大が非常に多い」

ということであり、この短大の多さが大阪の経済を支えているといっても過言ではない。女性の場合、大卒よりも短大卒の方が圧倒的に有利である。早くに就職してしまった方が、それだけ早くに仕事に慣れるので、それで30歳になる頃には一人前になることができる。しかし大卒だと一人前になるのは30歳を過ぎてしまい、そうなると結婚するのが難しくなってきてしまうのだ。

 大阪府出身の女性たちの中で、「この人は優秀な女性だな~」と思える人は最終学歴が短大卒であるというのが非常に多い。短大卒の人たちは、「短大ではそんなに勉強していなかった」というかもしれないが、必死になって勉強されても学者になれる訳でもないから、あの程度の勉強の仕方でいいのである。

 東京では短大から四年制大学へ移行しつつある。これはフェミニズムの大ボスの上野千鶴子が短大を批判したためであって、まともな変化ではない。女性の大学進学率は既に男性たちよりも上回っているのであって、それなのにこれ以上、女性たちを大学に進学させれば、いずれは大学に行ってしまったために人生が狂ってしまった女性たちが大量発生することになるであろう。

 大阪の教育の致命的な欠点は。

「大阪を代表する大学がない」

ということである。東京なら東京大学、京都なら京都大学なのだが、じゃあ、大阪にはなんの大学が代表するのかというと即答することができない。 

 大阪にはl国立の「大阪大学」、大阪府立の「大阪府立大学」、大阪市立の「大阪市立大学」の3つがあり、名称が実に紛らわしい。これだけ国公立大学があれば、エネルギーは分散されてしまい、どこの大学も低レベルになってしまうのは当然のことなのである。

 大阪の経済力を考えれば、私立大学で良さそうな大学があってもいいのだろうが、どうにかして「関西大学」が評価に値する大学となるのだが、これも実に紛らわしいことに兵庫県に「関西学院大学」というのがあり、近畿地方以外の人だと確実に誤解することになってしまう。関西大学が発展していけば、大阪の事情は随分と変わって来るのだと思うのだが・・・。

●大阪府と大阪市がすべきことは徹底したリストラ

 大阪の宗教や政治や教育を踏まえれば、現在、大阪府や大阪市がすべきことは大阪都構想を実現することではなく、徹底的なリストラであろう。浄土真宗が強いために富の還元がなされない以上、地方自治体の規模を大きくして住民たちに重たい税負担を負わせれば、他の地域ならどうにか耐えられるものであっても、大阪だとそれができなくなってしまう。

 まずは職員を半減させてしまうべきであろう。大学や学校や病院や交通機関を民営化すしてしまい、民間でできる物は民間にやらしてしまい、地方自治体にしかできないことだけをやるようにすれば、税率を引き下げて行くことができるようになる。

 大阪市長が刺青をした職員を解雇しようとするのは確かに立派なことである。しかし刺青をした職員がいること自体が異常なのであって、なぜそういうことになってしまったのかといえば、やはり地方自治体の規模が大きくなりすぎているからなのである。

 大阪府も大阪市も現在莫大な借金があるのだが民営化の利益で借金を返済していけば借金を全て返済することができ、府債や市債がないために利子の支払いがないので、それで少ない税収であっても、なんとやっていけることになる。とにかくデフレ時代に借金するのは危険なのであり、借金をなくしてしまえば想像以上に豊かな暮らしが実現できてしまうものなのである。

 二重行政の解消は必要なことだが、こういうことは少し工夫すればなんとかなるものなのであって、わざわざ大阪府と大阪市が合併する必要性はない。例えば現在、大阪市立図書館の蔵書数は日本の市町村立図書館の中で断トツのトップなのであるが、それなのに大阪府立図書館が闇雲に書籍や雑誌や新聞を集めて行くことはない。

 大阪市立図書館が書籍や雑誌や新聞を万遍なく収集しているのなら、大阪府立図書館は書籍だけ収集し、しかも学術書を中心に収集していけば、大阪市立図書館も大阪府立図書館も非常に充実した図書館になる。しかし大阪府と大阪市が合併してしまうと、こういうことはできなくなってしまうのであって、合併すれば一時的には素晴らしい現象が起こるかもしれないが、時間が経過すればサービスの質量は低下していくことになる。

 俺は橋下徹がやっているような遣り方は危険だと思っている。彼は大阪の人たちを扇動しまくっているのであり、もしも大阪の人たちがこの扇動に乗って感情的になってしまえば、まともな判断を下せなくなってしまうからだ。

「何事もぶっ壊すことは簡単だが、作り上げるのは大変なものなのである」。

 俺が大阪府知事なり大阪市長であったのなら、大阪府と大阪市が話し合う場を設け、役割分担をしていくことを推し進める。結局、今までそれがなかったからこそ、大阪府も大阪市もお互いに好き勝手なことをやっていたに過ぎないのだ。

※緊急警報!

 この記事を公開した後、5月11日午前11時半に大量の地震雲を見た。地震雲は全て神奈川県に向いていたので、神奈川県に住んでいる人たちは準備した方がいい。相当でかいのが来る模様。

 しかし夕方になって更に大きな地震雲を幾つか見、それらの地震雲は東京都の方を指していた。この大きさになると、本当に大きなのが来ると考えた方がいい。

 尤も、毎度お馴染で千葉県で起こるかもしれないので、その時はご容赦を。

 とにかく大地震が来る前に準備をしておけば必ず助かるので、このブログを見たら直ちに行動を起こすべし。

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女優「有村架純」を勝手に運命鑑定しちゃいました。

●偏差値のトリック

 学校で勉強する時、偏差値に悩まされた人たちは非常に多いと思うのだが、試験を受けさせられ、行き成り偏差値を見せつけられるからこそ、偏差値をどうすべきかと悩んでしまうのであって、勉強する前に偏差値のことを教えられないと、これが一体なんなのか、サッパリ解らなくなり、それで偏差値のことで苦しめられてしまうのである。

 偏差値に於いて「40台」「50台」「60台」は別に大差ない。これらの偏差値は「平均ゾーン」であって、「まあまあ授業内容を理解しているな」ということなになる。だから試験の時は、とにかく平均ゾーンに入っておくことが大事なのであって、偏差値が40を切らなければそれで充分なのである。

 偏差値は70以上取ると価値が出て来る。偏差値が70を超えると、基礎が出来ているだけでなく、応用問題も解けるということになる。学校の教師であるなら、偏差値が70以上の者たちに注目すべきであって、その者たちを更に引き上げていくと、他の生徒たちもそれに釣られ、それで学年全体の学力が向上していくことになる。

 「80対20の法則」を使うと。1学年300名なら、本当に優秀な生徒は12名しかいない。進学校であるなら、この12名たちが東京大学を目指して大学受験をすることになる。だから東京大学は様々な高校から入学生を募るのであって、どこか1つの高校だけが突出して凄いということはない。

 私立大学の中には付属校があり、その付属校の生徒たちを大学に入学させてしまうのだが、その比率が高ければ高いほど、学生たちの質は落ちて行くことになる。慶応義塾大学では付属校の生徒たちはなんと「99%以上」の者たちが進学してくるのだが、そのため人材は画一化してしまい、大学がどういう教育を施したとしても人材の多様化は起こらないのだ。

 東京大学が多様な人材を産み出しているのだから、本来なら国立大学のナンバー2である京都大学も多様な人材を産み出せる筈である。しかし京都大学は東京大学以上に左翼化しているから、それでなかなか優秀な人材が出て来ないのである。

●ビリギャルの最大の問題点

 偏差値のトリックが解ると、「ビリギャル」の話は実にバカらしいということが解る筈だ。ビリギャルというのは「小林さやか」という女性が自分の大学受験のことを坪田信貴に語り、その話を彼が『学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話』(KADOKAWA)に仕立て上げた物である。

「自分の話なのだから、自分で書け!」

と言いたい所なのだが、スタートの時点で既に何かがおかしいのである。

 この本の最大の問題点は、主人公の小林さやかが一体どこの学校に行っていたのかが解らないことである。本の中では「名古屋のお嬢様学校」「私立の中高一貫校」「上には大学が存在している」という情報しか出て来ないのだが、この情報を分析すると、

「それは≪愛知淑徳学園≫ではないか?」

ということになる。この情報こそ最も重要な情報なのであって、これが載っていないというのは、この本の記述は信用できないということになる。彼女は学年でビリといっても、進学校の中でビリなのであって、普通の学校の学年ビリとは訳が違うのである。

「本当のビリギャルは絶対に大学を目指さない」

 学校の勉強がダメなら、中卒か高校中退か高卒で就職してしまった方が断然にいい。その方が出世し易いものなのである。

 小林さやかの成績が落ちた原因はソフトテニス部の部活動が忙しかったことと、中学3年の時にギャル風の子と友達になって悪さを覚えてしまったからという。しかも親子の関係で深刻な問題を抱えており、それも成績が急降下していった原因の1つであろう。

 ビリギャルを変えたのは学習塾の講師に恵まれたことであり、彼の教え方が巧かったからこそ、成績がグングン上がっていったのである。偏差値が40を切った場合、「バカ」と罵らないで、まずは偏差値を平均ゾーンに持って行ってあげ、後は自分で勉強し出すように仕向ければいい。ただそだけのことなのである。

 ビリギャルが東京大学に進学したというのなtら、それは本当に凄い話である。しかしビリギャルが進学したのは慶応大学なのであって、なんでこんな話に感動するのかと反論したくなる。慶応大学は偏差値と学術レベルが全く合っていない大学なのであって、勉強することが好きになったというのに慶応大学に進学するのは進学先を完全に間違えている。

 ビリギャルの本はそれなりに正しいことも書かれているが、それを遥かに上回る大嘘が書かれているのであって、悪質極まりない本だと断定していい。一流大学に進学したいのなら、私立の中学高校に進学し、更に家庭教師を付けるなり、学習塾や予備校に行くべきなのであって、別に小林さやかだけが特別なことをやった訳ではないのだ。

 俺に言わせれば、

「みんな≪ビリギャル≫という言葉に騙されている」

ということなのであり、ビリギャルという言葉を抜いてしまえば、実に平凡な話であり、大学進学をした者なら誰でもするであろう話だということが解るのである。

●音相

 このビリギャルの話を映画化しようとするのだから、映画会社は本当にどうかしている。しかもその主役を演じるのが「有村架純」という女優で、俺に言わせれば、

「ギャルじゃねぇ~じゃねぇ~か?」

ということになる。彼女の目つきが余りにも優し過ぎるのだ。

 「カスミ」という名は「霞」の事を意味するのではなく、

「涙で霞む」

ということを意味し、両親はこの子が生まれてきたことを嬉しく思い、それでこの名を付けたのである。当然に両親は愛情深い人だし、彼女は愛情をたっぷりと貰って健全に育った。このため彼女が役を演じると、なぜだか愛情を感じてしまうし、なぜだか泣けてしまうのである。

 女優の場合、無闇に演技の上手下手に拘ることは非常に危険だと言っていい。この世には女優向きの女性たちと女優には全く向かない女性たちがいるのであって、まずはその選別をし、女優向きの女性たちに演技指導をして行くということをしなければならないのである。

 涙で霞むという意味が基本で、そこに「霞」という意味も加わって来る。霞は景色がぼんやりと見える現象なので、それで彼女の性格というのが意外と掴みにくい。様々なキャラを使いこなせるので、この点でも女優剥きの名前ということになる。

 霞は晴れると視界が明解になるので、それで女性にしては論理的に話して来る。男性たちにしてみると、女性たちの感情的な話というのは、仕事をやっていく上で実にしづらい。女性だからこそ多少は論理的に話をする必要性があるのだが、彼女はそれができるということなのである。

●字相

 音相で既に女優として非常に相応しいというのが出ているのだが、字相になると更に女優を意味する物が出ている。

 「架」は「架ける」であって、「棚」とか「架け橋」を意味する。映画館ではスクリーンが架かっているのだから、名前の中に映画女優の意味が含まれているのだ。バラエティで活躍するよりも、映画とかドラマとか舞台とかで活躍した方がいい。手広くやってしまうと、パワーを巧く発揮できないことになってしまうからだ。

 普通、「架」の字を名前に使わない。架といえば「十字架」を連想してしまうので、平凡な人生を送ろうとすれば、刑事事件に巻き込まれて死亡してしまう可能性が出て来るからだ。たとえファッションであっても、十字架のペンダントを付けることは絶対にやらない方がいい。突如として災厄が発生してくる可能性があるからだ。

 「純」は「混じりけのない糸」という意味で、そこから「純粋」という意味が派生してきた。名に「純」の字がある女性はファッションセンスが良い。特に高級ブランド品が似合うのであって、そういう服を着ることのできる女性になるよう目指すことだ。

 性格的に「本格的な物」を作りたがる性格を持っている。映画やドラマで碌でもない作品に出ていると、運気が急降下していくことになる。手本とすべきは「宮崎あおい」みたいな生き方で、仕事を選んでいかないと、自分の本当の実力を発揮することができなくなってしまう。

●画数

 音相も字相も良いのなら、画数はどうなのかというと、

「地格は19画」

であり、これも良いということになる。19画は典型的な芸能数であって、芸能界に深い縁があるし、芸能界デビューしてしまうと、急速に伸し上がって行き、ブレイクしてしまうことになる。

 基本的に若者たちに受ける女優になるであろう。演技の仕方が新鮮なので、年配の人たちより、若い人たちの方に支持されることになる。下手に先輩の女優たちから学んでしまい、演技がババァ臭くならないようにしなければならない。確かにその演技は素晴らしい物なのかもしれないが、自分には合わないのである。

 映画『ビリギャル』で主役をやるのは、彼女にとってみれば最も適した仕事だと言っていい。ビリギャルの原作はどう仕様もない物なのだが、それを自分なりに表現していけばどうにでもなるものなのである。ギャルではないので、言葉遣いには本物のギャルたちから突っ込みが入ってしまうだろうが、それ以外のことなら充分に善戦していくことができる。

 但し、彼女にはそんなに高い読解力などないので、ビリギャルの話を正しく理解していないことだろう。小林さやか本人は充分な愛情を貰えなかったからこそギャルになったのであって、有村架純本人は充分な愛情を貰って育ってしまったので、「なんでこのバカ女がギャルになってしまったのか?」、そのことが全く理解することができないのである。

 とはいっても有村架純は非常に有望である。将来的には大河ドラマの主役に抜擢されることだろう。運命学的には

「それは可能である」

というのがしっかりと出ている。期待すべき女優さんであることは絶対に間違いない。

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