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宗教リテラシー

●プロステタントの聖書知らず

 本という物は、頁数が少なければ少ないほど多くの人たちに読まれ、頁数が多くなればなるほど殆どの人たちに読まれなくなる。しかし分厚い本に限って有名になってしまい、それでその本だけは購入するという者たちが出て来る。だがその本を買った所で読みはないし、読んだとしてもきちんと最後まで読むことはしないのである。

 この手の本の代表例が『聖書』である。

 キリスト教徒なら聖書を完読したことがあるであろうと思うのは大間違いで、カトリックだと祈ることを最優先にしてしまうので、まず読みはしない。プロテスタントたちは聖書至上主義を掲げるので、さぞかし読んでいると思いきや、実はそうではないのだ。

 教会員になれば教会で宗教活動しなければならないし、機関誌を読まなければならないし、キリスト教徒の学者が書いた本を読まなければならない。こういうことをやっていれば、聖書を読むことなど後回しになってしまい、それで聖書を通読するということを全くしていないということになってしまうのである。

 まさに「プロテスタントの聖書知らず」になってしまうのだ。

 今回紹介する本はこの本!

 スティーブン・プロセロ著『宗教リテラシー』(麗澤大学出版会)

 堀内一史訳

  宗教リテラシー[スティーブン・プロセロ]

 この本は実に文章が素晴らしい。これぞワスプのエリートの文章なのであって、実用的な英語をビシバシと使って来る。イギリス人たちが使う英語は経験論的な英語で、浮つく物がないのだが、それでいて教養が滲み出て来るような文章を書く。同じ英語でも、イギリスとアメリカ合衆国とでは英語がまるで違うので、その点を踏まえて読んで欲しい。 

 しかもこの本は翻訳が非常に巧い。翻訳者の堀内一史は麗澤大学の外国語学部イギリス語学科卒業なので、外語大学を出たのと殆ど同じ学力があると見ていい。原題の訳し方が実にいい。原題は、

「Religious Literacy」

なので、直訳すれば、

「宗教的教養」

になってしまう。これだと硬くなってしまうので、それで

「宗教リテラシー」

にして、原題の意味を維持しながら、日本人の読者たちにも解るようにしたのである。

 リテラシーというのは「識字率」「教育があること」「教養」とかを意味する。教養というと一般教養を指してしまうので、意味が広がりすぎてしまう。日本語だと「基礎知識」という言葉が妥当であると思う。英語のリテラシーは翻訳しづらい単語なのであって、だったらそのまま使ってしまった方がいいということになる。

●アメリカ合衆国の独立はフリーメソンたちによるものである

 『宗教リテラシー』を読むに当たって、アメリカ合衆国の独立の歴史を理解しなければならない。学校の世界史の授業では、

「アメリカ合衆国はイギリスのピューリタンたちがイギリスから遁れて植民地にやってきて、ボストン茶会事件を切っ掛けに独立戦争が始まり、そして独立した」

と教えられているのが、これは大嘘である。

 建国当時、キリスト教徒たちは人口のたった17%しかいなかった。アメリカ合衆国の独立を担ったのは「フリーメーソンたち」であり、フリーメーソンリーなくしてアメリカ合衆国の独立は有り得なかった。ボストン茶会事件ですら、フリーメーソンリーのロッジで計画された物だし、独立宣言も合衆国憲法もフリーメーソンたちが作った物なのである。

 西ヨーロッパで宗教改革が始まると宗教戦争が勃発し、誰がどうやっても収拾がつかなくなってしまった。そこに現れてきたのはフリーメーソンリーなのであって、この秘密結社は宗派の違いを超越することができた。その連中が西ヨーロッパに於ける宗教戦争を嫌ってアメリカ大陸に渡ってきて、そして自分たちの国家を作り上げてしまったというのが事の真相なのである。

 フリーメーソンリーにとってキリスト教系の教団はどれも危険なのであって、それで合衆国憲法には「政教分離」を定め、宗教団体が政治に手出しすることができないようにさせてしまった。しかし自分たちは宗教団体ではないので、それで連邦政府とフリーメンソンリーは常に密着することができたのである。

 「アメリカ合衆国はキリスト教国である」と考えるのは、合っているように見えて、実は間違っている。独立宣言や合衆国憲法で使用される「神」はフリーメンソンリーの神のことなのであって、キリスト教の神とは違う。このことが解っていないと、アメリカ合衆国の宗教事情を正確に理解することはできないのだ。

●独立後に信仰復興が起こり、歴史を塗り替えた

 アメリカ合衆国は独立当初、成人した白人男性たちに選挙権を与えたので、公立学校の建設を急ピッチで進めた。しかし中部や南部は人口が少ないので学校教育には適さず、それで教会が信者の子弟たちの教育を行い始めた。文字を読めるようになると、まず読み始めたのが聖書であり、それでキリスト教が急速に拡大し始めたのである。

 独立後に西ヨーロッパからやったきた移民たちはそもそもがキリスト教徒だってので、アメリカ合衆国は移民の数が増える度にキリスト教徒の数は増大していった。これだけキリスト教徒たちが増えて来ると臨界点を突破し、「大覚醒」という信仰復興運動が起こり、更にキリスト教徒たちの数は増大した。

 こうなると家庭でも我が子にキリスト教を教えたいという要求が出て来て、それで『ニューイングランド初等教本』など、初歩的な教理問答を教えながら、文字を教えていく本が普及した。アメリカ合衆国の子供たちはこういう本を読んでから聖書を読み始めたのであって、それでキリスト教徒なら誰でも聖書を読むという時代が到来したのである。

 しかしこういうような教育の仕方には落とし穴があった。それは宗教から道徳へと移行させてしまう動きであり、子供たちに賢明であるより善良であることを勧めた結果、宗教を道徳だと勘違いする連中が大量発生してしまったのである。

 キリスト教は「原罪」という教えがあって、誰もが罪人であると考える。救世主であるイエスが贖罪死してくれたからこそ、キリストj教徒たちは原罪から解放されたのであって、だったらまずは原罪を意識することから始めなければならない。だが、それがないのだから、まともな信仰を持てる訳がなくなってしまうのである。

●信仰に熱心な人たちが宗教的無教養人たちを産み出した

 キリスト教への信仰が高まる中で起こったのが「聖書戦争」であった。事の発端は公立学校で使用する聖書をどの翻訳の物にするかを巡っての争いだった。プロテスタントたちは欽定訳聖書を主張し、カトリックたちはウルガタ・ラテン語訳聖書を主張したので、それで激突してしまったのである。

 この聖書戦争はアメリカ合衆国の全宗派を巻き込むほどの大きな戦いになってしまったので、非常に深刻な結果を引き起こした。まずは公立学校で宗教を教えることがほぼ不可能になってしまったということである。教師が宗教のことで何か教えようものなら、新旧両派の親御さんたちから噛みつかれてしまうからだ。

 第二に宗教が道徳に完全にすり替わってしまったことである。宗派の教義を持ち出せば論争になる以上、宗教は敬遠し、宗教から産み出された道徳で協力関係を築き上げて行こうと誰もが思うようになったのである。学校でこういうことが起これば、いずれ大学もそうなってしまうのであって、それで教育の場から宗教が除去されてしまった。

 キリスト教の宗教家たちは「アメリカ合衆国の世俗化は世俗主義者たちによって引き起こされたものだ」と主張するのだが、実はそうではなく、キリスト教を深く信仰する者たちによって引き起こされてしまったものなのである。要は自業自得なのであって、自分たちがやってしまった悪行の結果を自分たちの所にやってきているにすぎないのだ。

 「信仰はあっても知識がない」というのは非常に危険なことである。その信仰は必ず「似非信仰」になってしまうのであって、キリスト教の場合、信仰義認説があるために自己義認説へと転化してしまい、それで「俺は正しい」「俺は正しい」ということを繰り返してしまうのである。

「なぜアメリカ人たちの信仰は胡散臭いのか?」

「なぜアメリカのキリスト教徒たちはキリスト教の知識を殆ど持っていないのか?」

「なぜアメリカのテレビ伝道師たちは世俗じみた顔をし、下らない話しかしないのか?」

 それはアメリカ合衆国に「歴史の逆説」が作動してしまったからなのであり、信仰に熱心な人たちがいたために宗教的無教養人たちを大量に産み出してしまったのである。

●宗教的無知と侵略戦争

 現在、アメリカ合衆国の国民たちはキリスト教自体を知らないだけでなく、他の宗教のことも知らない。これは憲法に政教分離があり、信教の自由が認められたしまったことの結果だから全く笑えない。このような無知な連中が覇権国家を動かしているのだから、碌でもないことしかしないのは当然である。

 宗教的無知と侵略戦争は密接な関係にある。

 アメリカ合衆国は国内に於いて宗教的空洞化が起こっており、これをこのまま放置すれば国家が崩壊してしまう。そこで共通の敵を見つけて侵略戦争をし、国家の延命を図るということをやる。

 それが第二次世界大戦だったし、冷戦だったし、湾岸戦争だったし、対イラク戦争だった。そして今はイスラム過激派たちに対して侵略戦争をやりまくっており、最早、戦争を止めることができなくなってしまったのである。こんなことを遣り続けていれば、いずれ国力は底を尽き、呆気ないほど簡単に国家が滅亡してしまうことになってしまう。

 プロセロはアメリカ合衆国のこの異常事態に対して「宗教学習」を提案しているのだが、これは憲法上無理であろう。裁判に持ち込まれれば必ず違憲判決が出てしまう。憲法の政教分離の規定は王手飛車取りの如くに効きまくっているのである。

 政教分離は確かに必要なものである。政治と宗教はお互いに距離を取っていた方がいい。しかし政教分離には国民を宗教的に無知にさせてしまうという弊害もあるのであって、そのことを配慮した上で憲法を作っていかないと、国家は政教分離のために滅亡してしまうのである。

 現在、アメリカ合衆国は古代ローマ帝国の末期と同じ症状になっている。離婚は当たり前となり、児童虐待は平然と行われ、同性愛は蔓延している。古代ローマ人はキリスト教に征服される形で滅んでいったが、アメリカ人たちはキリスト教を信仰しながら滅んでいこうとしているのだから、歴史の皮肉としかいいようがない。

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コメント

タマティー様

最近懇親会で、非常に苦学した女性に会い、
意気投合してしまいました。

母親からは、
傷を舐めあうような行為をしてはいけないから、
そういうこととは関係なく努力している人と
付き合わなければいけないと言われました。
また、人付き合いは学内に限るべし、と言ってきます。

私は彼女から参考にしたい点があるし、
社会人のお話も色々と聞いてみたいのですが、
母親の望まない人間関係を築いても
問題はありませんか。

投稿: さこ | 2015年5月22日 (金) 23時11分

さこさん、意気投合したのなら、仲良くした方がいいです。

後、母親に対してなんでも報告するっては如何なものか?

投稿: タマティー | 2015年5月23日 (土) 06時05分

タマティー様

母親にとって、家庭は会社ですから、外出する時に、どこで誰と何時に何をするかを伝えるのが私の義務なのです。

ただ男女平等が常識になっている今、
フェミニズムに汚染されていない優秀な女性を探すのが非常に難しいです。
いくら意気投合してもフェミニストは避けた方がいいのでしょうか?

「政教分離」で思い出したのは、日本国憲法だったのですが、
あれもフリーメーソンが起草に関わったらしいですね。

そろそろこの辺りの昭和史を大河ドラマにしてほしいものです。
私が提案するのは、
80歳代(生前の健さんか釣りバカスーさんあたり)を主役にして、70歳代の脇役を揃えた高齢者大河です。
何かを成し遂げた俳優さん達だから、
人生観が反映された、
深みのある芝居を見せてくれそうですし。
『大鏡』みたいな作風になりそうですが、
その時代を生きてきた方々が演じるので、
リアリティーはあると思います。
ただし、途中で主役が死んだらそこで打ち切りになります
けど、いかがでしょうか?
きっと高視聴率が稼げます。

投稿: さこ | 2015年5月23日 (土) 21時18分

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