« 2015年8月 | トップページ | 2015年10月 »

2015年9月

福山雅治と吹石一恵の結婚のついて

●福山ショックに福山ロス 

 福山雅治が吹石一恵と結婚したのだが、この福山ショックで福山ロスに罹る女性たちが続出したという。今後、女性たちの結婚率が上がるかもしれない。福山ロスを埋めるためには、自分自身が結婚する以外にないであろう。

 前々から福山雅治は「子供が欲しい」と言っていたので、結婚を考えていた筈であって、年齢が46歳という事を考えれば、本当に遅すぎる結婚であった。もう少し早くに結婚しても良かったのだが、結婚相手と結婚に至るまで様々な事があったのであろう。

 芸能人の場合、高速道路を突っ走っているようなもので、好きだからといってすぐさま結婚できるものではない。この点が普通の人たちの結婚とは違う事なのであり、これが吉と出るか凶と出るかで、結婚の命運が大きく変わっていくことになる。

●福山雅治の性格

 福山雅治に対して勝手に運命鑑定をさせて貰うと、

「雅治という名は母性愛が豊かな名である」

というのが最大の特徴だと言える。男性なのに母性愛が豊かだからこそ、女性たちは熱狂的に支持してしまうのである。男性たちの支持も強く、キムタクとは違って、男性たちからも評価を受ける事になる。

 しかし自分にとって気に食わない事があると、すぐに旋毛を曲げるという欠点がある。マスコミに対してプライベートの事を徹底的に秘密にしてきたのはその表れであって、マスコミを巧く使ってこなかった事が、結婚の遅れに繋がったと言えなくもない。

 雅治の「雅」という文字は余り良い字ではない。字源的には「小鳥の牙」という事であり、転じて「カラスの鳴き声」になり、それが雅な夏祭りの舞の意味に通じて、それで「みやび」という意味を持つようになった。

 このため雅という字を持つ人は、意外とその性格が解りにくい。福山雅治自身、雅な部分があるんだけど、歌手をするし、俳優もするし、ラジオのパーソナリティーも務めたりする。芸能界向きといえばまさにその通りなのだが、では本性はどれだという事になる。

●吹石一恵の性格

 吹石一恵の「一恵」とは、「長女としての恵」という意味。「カズ」という名を持つ女性は、女性にしては物事を合理的に考えて来る。但し色気は不足気味で、その反面、男っぽくなる。人生では10代や20代で運勢のピークを迎える。

 一恵の「一」は文字としては良い字であって、名に一を入れると、1つの仕事に集中しさえすれば必ず成功する事が出来る。「恵」も「一途に成る」という意味なので、恋愛や結婚に於いても一途になれば巧く行く。

 画数的には11画なので本来なら美人なんだけど、精神レベルが低いために、余り美人ではない。父親が元プロ野球選手なので、精神レベルが低いのは致し方ないが、精神レベルを上げる事は絶対に必要だと思う。

●亭主関白で妻努力

 福山雅治と吹石一恵の相性は、姓名判断でなら「まあまあ良い」といった所であり、「抜群」であるとは言えない。母性愛豊かな福山雅治と、意外と男っぽい吹石一恵ゆえに、巧く噛み合ってしまったのだろう。

 しかしセックスの相性は「0%」であり、セックスは子作りのためと限定しないと、この結婚は維持できない。話が合うからといって、セックスの相性も合うとは限らない。福山雅治のように女性に大いにモテてしまうと、セックスに関して真剣に考えないので、結婚時にこういうミスをやらかすようになる。

 この結婚は典型的な夫唱婦随で、福山雅治が亭主関白に成り続けるのなら巧く行く。妻は夫の要求に応えて日々努力していかなければならず、そういう努力をしないとこの結婚は持たない。当たり前の事だが、子供は早めに作ってしまった方がいい。

 確実にこの結婚がダメになってしまうのは、男女平等の関係に成ってしまう事であって、その関係になってしまうと夫婦は推進力を失ってしまい、100%確実に離婚する事に成る。封建的な時代の夫婦関係が最も良く似合っている夫婦であると言える。

 俺が思うに、

「3年前位に他に結婚候補がいたのではないか?」

という事なのであって、それがダメになったからこそ、吹石一恵が浮上してきたのであろう。少なくとも吹石一恵は運命の相手ではないが、かといってこの結婚は努力しさえすればちゃんと維持することができるものである。

Portrait.Of.Pirates ワンピース STRONG EDITION トニートニー・チョッパーVer.2

| | コメント (6) | トラックバック (0)

常総市の水害は人災である!

●自然堤防の威力

 今年の9月に鬼怒川が氾濫してしまい、栃木県と茨城県に被害が出た。幸いな事に死者が2桁に行かなかったので、死者こそ少ないのだが、本来なら起こる筈のない場所で洪水が発生したので、それで被害が拡大してしまった。

 鬼怒川は洪水を起こす可能性がある河川だが、鮎などの魚も取れる河川であるので、「自然堤防」なる物を用いて治水を行っている。自然堤防というのは、氾濫原において河川の流路に添って形成される微高地をいう。

 自然堤防は堤防が低いのだが、川を蛇行させて流れを弱くすれば、洪水の危険性を防ぐ事ができるようになる。しかもコンクリートを使わないので、それで川魚が生息できるようになり、鮎などの魚が取れるようになるのである。

 堤防といえば人工堤防と思っている人たちからすれば、「自然堤防で洪水を防げるの?」と思ってしまうものだが、自然堤防は洪水に対して効果があるからこそ使用されている。自然堤防は何も鬼怒川だけでなく、他の川でも使用されているのであって、洪水に対しては充分な効果があるのは実証済みなのである。

 確かに今回、記録的な大雨が降ったから洪水が起こったのだが、そのまえに一週間以上に亘って雨が降り続けていたのであって、その上で記録的な大雨が降ったからこそ洪水が発生したのであり、もしも記録的な大雨だけなら洪水は起こらなかったのである。

●これは天災ではない。人災である。

 ところが今回の洪水を調べていくと、これは明らかに天災ではなく、人災であるというのが明確に解った。その人災を引き起こした最大の張本人が、常総市の高杉徹市長その人であった。彼は日本社会党の国会議員の息子であり、連合の推薦を受けて当選したので、社会主義者だと判断していい、 

 洪水を引き起こした若宮戸地区には「十一面山」という小高い丘があって、それが自然堤防の役割を果たしていた。そこに脱原発を唱える高杉市長はソーラーパネルを設置して、2m分の丘を削ってしまったのである。

 今回の洪水では川の水が堤防を越えて溢れてしまい、それで洪水を引き起こした以上、この2mという高さは決定的な物であるといっていい。もしも自然堤防を削らなければ、絶対に洪水は発生していなかったのである。

 となれば、これは明らかに人災であると判断すべきであろう。これが人災だと判断できる材料は他にもあって、被災地では偽情報が流され、

「モグラが堤防に穴を開けたから洪水が起こった」

という情報が出たというのである。俺はこれを聞いて大爆笑してしまった。モグラが堤防に穴を開けて洪水を引き起こしたのなら、他の河川でも起こりうる事だが、そんなアホな洪水はどこの河川でも起こっていないからだ。

 誰かが、より正確に言えば、どこかの組織が意図的に偽情報を流しているのである。

 高杉市長は市長就任時に所信表明演説で,

「「常総市は一番優秀なサービス産業だ」と言われることを目標にする」

と言っていたのだが、結果的には洪水を引き起こす事で、

「常総市は一番最悪のサービス産業になってしまった」

という事なのである。

●非常時に於ける社会主義者たちの特徴

 俺は洪水発生時に於ける常総市の高杉市長の対応を見た時、伊豆大島の災害を思い出してしまった。社会主義は私有財産制度を否定するために、社会主義者たちは人の命を徹底的に軽んずる。人の命を守るという考えが根本から欠如しているのである。

①避難指示を出さない

 気象庁が記録的な大雨になると事前に報道していたのに、高杉市長は避難指示を出さなかった。常総市が避難指示を出さずに洪水が発生し被害を拡大させたのなら、常総市はその責任を負うべきであろう。避難指示を出さないというのは、社会主義者たちの特徴であるので、不作為による不法行為に対しては徹底的に攻撃しなければ成らない。

②現地対策本部を設置しない

 高杉市長は洪水が発生したというのに、現地対策本部を設置しなかった。被災した市民たちが市役所に乗り込んで強硬に主張したからこそ現地対策本部を設置したのであって、もしも市民たちが激怒しなかったら、永遠に現地対策本部を設置しなかった事であろう。

 現地対策本部を設置しない限り。救助も復旧復興も巧く行かない。これは非常事態に於ける鉄則であり、非常事態になったというのに、平時の組織で乗り切ろうとしては絶対にダメなのである。平時の組織は非常事態を乗り切れるようにはなっていないのだ。

 阪神淡路大震災でも村山富市首相はなかなか現地対策本部を設置しなかったし、東日本大震災では菅直人首相はなんと大震災が発生してから3ヵ月間もの間、現地対策本部を設置しなかった。これでは被災者たちに「死ね」と言っているようなものなのである。 

③無能だと判明したのに辞職しない

 高杉市長ではこの非常事態を乗り切るのは無理であろう。だったら辞職して、この非常事態を乗り切る事のできる人に任せればいい。それなのに高杉市長は辞職せず、無能が判明したというのに、そのまま市長をやり続けるのである。

 市政という物は市長の良し悪しで決まってしまうものであり、自分が市に於いて善政を行う事が出来るのなら市長で居ててもいいが、悪政しか行えないのならとっとと辞任すべきであって、そのような無能な者に長居されては、市民が大損害を被ってしまう事に成るのだ。

●常総市の一体何が狙われたのか?

 常総市の一体何が狙われたのかといえば、

「高杉市長が《脱原発》を唱えていたため」

というしかない。原発は桁が兆を超えるほどの利権がある以上、原発業者たちはそう簡単にこの利権を手放す訳がない。それなのに無理矢理に脱原発をやるなら、洪水を引き起こすということしかねないのだ。 

 どこかの組織が意図的に洪水を引き起こしたとなれば構図は簡単なのだが、今回の洪水では自然堤防を削ったのは、高杉市長の方なのであって、その高杉市長の無能が利用されてしまったのである。

 被災地では火事場泥棒が発生したのだが、ボランティアと称して被災地に入り、火事場泥棒を行う、そういう組織が存在しているのであって、その組織は事前に洪水が起こる情報を得て準備し、洪水が起これば組織的に火事場泥棒を行ったのである。

 常総市は豊かな土地である。豊かな土地だからこそ、その豊かさの中で人々の忍耐力が失われ、それで禄でもない市長を選んでしまった。無能な市長は平時でも危険な存在なのであって、非常事態になればもっと危険であり、常総市の市民たちは無能な者を市長に就けてしまった事で、大損害を被る羽目になってしまった。

 洪水によって経済を破壊してしまえば、市民たちは脱原発を唱える市長を次の選挙で落とさざるを得ない。そうなれば脱原発を唱える政治家が1人消えるので、それで原発業者たちは自分たちの利権を維持する事が出来るようになるのである。

●「市民の声を聞いて」というのは「一般意思の言いなりになれ」という事

 今回の洪水で笑ってしまったのが、市長が被災地を見て回り、被災者たちから「早くに現地対策本部を設置しろ」と怒鳴られているのに、高杉市長は「市民の声を聞いてから決めます」と言っていたことだ。高杉市長は市民の目の前でこの発言をしていたのである。

 「市民の声を聞いて」というのは、本当に市民の声を聞くのではない。これは「一般意思の言いなりになれ」という事なのであって、ジャン・ジャック・ルソーの『社会契約論』をきちんと読んでいないと、彼が一体何を言っているのか全く解らない事に成ってしまう。

 ルソーは孤児上がりゆえに、「倒錯話法」を駆使して物を述べてくる。『社会契約論』というのは市民たちが契約して作る国家の事を述べたのではなく、立法者による独裁国家の事を述べた物なのであって、社会契約というのは、この独裁国家に自ら契約して入りなさいということなのである。

 高杉市長の父親は日本社会党の党員だから、一般意思というのは党首の意思だという事が解った事であろう。しかしその息子は無所属だから、一般意思というのは「俺の言う事を聞け」という事に成る。

 市政を運営していくためには、市長が様々な人たちの意見を聞いていかなけfればならない。しかし人間は愚かだから、知恵ある意見を言って来る者はごく稀である。だから市民の声を無暗に聞けば、何も決められなくなってしまう。だったら自分が独善的にやってしまった方がいいということになる。

 ところがそんな事をやれば、確実に市政は破綻してしまう。今回、常総市に起こったのはまさにこれであり、

「民主主義というのは実際の政治に於いて全く役に立たない」

という事が解らないから、市民たちが自ら禄でもない市長を選んでしまい、とんでもない目に遭ってしまってしまうのであfる。

Portrait.Of.Pirates ワンピース STRONG EDITION トニートニー・チョッパーVer.2

| | コメント (11) | トラックバック (0)

茨城県の水戸光圀と納豆の意外な関係

●御三家の共通の特徴

 茨城県の事を考えるに当たって、絶対に忘れては成らない事があり、それが「水戸藩は御三家の内の1つ」であったという事である。徳川家康は天皇家の宮家に学んで御三家を作ったのだが、役立ったのは紀州藩だけであり、水戸藩も尾州藩も江戸幕府を永続させることに役立たなかった。

 幕末、水戸藩は徳川斉昭が幕政で活躍したり、徳川慶喜が一橋家に養子に出され、その後、最後の征夷大将軍になったりした。しかし天狗党の乱で尊皇攘夷の志士たちを皆殺しにしてしまったために、討幕勢力に成らなかっただけでなく、明治になってから人材が完全に枯渇するという事態を招いてしまった。

 尾州藩は水戸藩よりも酷く、戊辰戦争に於いて官軍が侵攻してくるというにも拘らず何も抵抗せずに降伏してしまった。このような気概のなさでは、まともな人材など絶対に出て来ない事であろう。もしも将来、愛知県の出身者が首相になったら、日本は滅ぶ可能性があると見ていい。

 御三家は親藩の中でも優遇されたから、未だに独自の文化圏を持っている。だから余所者たちが入りにくく、地元出身者だけで固まってしまう。江戸時代に於いて冷遇された事がないから、それで今でもこれらの県民たちはなぜだか威張っているのだ。

 元御三家の三県の内、和歌山県は観光地として成功している。江戸時代に機能した藩は近代になっても機能するものなのであって、和歌山県の独自の文化を売りにすればそれなりに観光客を集める事が出来る事であろう。

 しかし茨城県と愛知県は失敗している。独自の文化圏があるのに、余所者を拒絶してしまうそのやり方が、観光業をやるに当たって大いな足枷になっている。観光客たちだって所詮は余所者たちなのであって、余所者たちを巧く取り込む政治をやっていかないと、県民たちの考えはなかなか変わらないものなのである。

●廃仏毀釈の悪影響

 水戸藩は徳川光圀の時に廃仏毀釈を行い、そのため茨城県は現在でも仏教寺院の数が少ない。近代以降、仏教の空白を埋めたのはキリスト教であり、茨城県の中でも水戸藩があった所はキリスト教が意外と強い地域になっている。

 今回のバス旅行でも、旧水戸藩領に入った途端に、とあるキリスト教の教団の看板が目に入ってきた。その看板は実に場違いな看板であり、俺は「未だにキリスト教はこの地に土着化していないんだな」と思ってしまった。

 僧侶の数というのは、神職者の数の30倍もあるので、廃仏毀釈によって仏教寺院が消えた事によって、旧水戸藩領の人たちは非常に豊かになった。袋田の瀧のある大子町も旧水戸藩領であり、だから茨城県の僻地にあるにも拘らず豊かなのである。

 しかし廃仏毀釈によって仏教を失った事の損害は非常に大きい。神道では「お祭り」があり、それによって観光業を生み出す事ができる。仏教では「一期一会」があり、観光業を行っていくためには、どうしてもこの精神が必要なのである。

 キリスト教では「愛」を唱えるのだろうが、観光客が観光地に行って、観光業者からベタな愛情を示されたら、逆に興醒めしてしまう。観光客という者は、一瞬でその良し悪しを決める傾向にあり、という事は、仏教の一期一会の精神の方が重要になってくるのだ。

●水戸光圀と納豆の問題点

 茨城県といえば、なんといっても水戸光圀なのだが、この人物こそが茨城県にとって最も問題のある人物なのである。茨城県の人材はまさに多士済々なのであるが、水戸光圀というスーパースターがいると、他に人材が出て来なくなってしまうのであり、それで人材がいても委縮してしまう事に成るのだ。

 特に気になるのが、茨城県は政治の分野に於いて優秀な人材が全く出ていない事なのである。県内に原子力発電所がある以上、今後、原発の問題で日本の政治が揺れ動くことを考えると、これは非常に危険な事であり、「第二の福島」になる事だって充分に有り得るのだ。

 水戸光圀は別に大した偉業をやった訳ではない。それまで日本には通史という物がなかったので、日本初の通史である『大日本史』の編纂に着手した事を評価されているに過ぎない。その『大日本史』だって江戸時代で終わらず、明治になってやっと完成したのであって、日本の通史として活躍したのは、頼山陽の『日本外史』の方なのである。

 この水戸光圀の問題は納豆の問題とそっくりだと言っていい。茨城県の特産品といえば納豆ということになるのだが、納豆があるために他の商品が目立たなくなってしまい、特産品として充分にやっていけるのに注目されないという事にしまうのである。

 例えば「あんこう鍋」は茨城県が発祥の地であり、「奥久慈シャモ」は全国特種鶏味の品評会で第1位を取ったほど美味く、「干し芋」や「吉原殿中」は美味だし、「行方ハンバーガー」なんかは東京に出しても充分にやっていける。

 それなのに納豆があるために、これらの特産品が掻き消されてしまうのである、

 もしも納豆を特産品にするなら、様々な納豆を作るべきであろう。臭いが強烈な物とか、栄養価が格段に高い物とか、乾燥した納豆とか、納豆に拘りを持つなら、そうやって特化していくべきなのに、そういう事をしないから、変な事になってしまうのだ。

●観光業は様々な産業があってこそ

 観光業を振興して行くに当たって気を付けるべき事は、

「観光業は様々な産業があってこそ成り立つ物である」

という事が解っていないと、とんでもない間違いを起こすことになるという事であり、それなのに往々にしてこの点を忘れてしまう輩が大量に出て来てしまうのである。

 もしも観光業だけやろうとすれば、それは後進国の連中がやっている事なのであり、貧乏から永遠に抜け出す事が出来なくなってしまう。日本は先進国なのだから、様々な産業を揃えた上で観光業を振興していくというやり方を取らねばならないのである。

 冷静に見てみれば、茨城県は第一次産業が充実し、農業も林業も漁業も他県では見られないほど充実している。製造業に関しえては日立グループが進出しているので、これまた充実している。だから「それなのに」という事になる。

 観光業は自由放任で巧く行くものではなく、地方自治体が整備しないと巧くいかないという最大の矛盾点がある。それで地方自治体が経済に介入してしまう口実を与えてしまうのである。逆に言えば県民たちが地方自治意識を高く持ち、地方自治能力を高めていかないと、絶対に観光業は巧く行かないのだ。

 茨城県を観光地にするなら、地平線まで続く田園風景というのは最大の売りになる。それなのに田圃を埋め立てて家を作るのは実に勿体ない事なのであり、そういう事をしては観光地に成り得ないのだ。都市計画をきちんと持って都市と農村を分け、都市には五階立て位のマンションを群生させれば、わざわざ農村に家を建てなくても済む事であろう。

 霞ヶ浦の水質改善は急ピッチで進めるべきであって、水が綺麗になりさえすれば、この湖に遊覧船を浮かべて楽しむ事が出来るようになる。筑波山には筑波神社があるからまだいいが、霞ケ浦は湖である以上、周辺住民たちの民度が高くないと、絶対に観光地にはならないのだ。 

 観光業がどんなに巧く行っても、観光業に力を入れすぎるのは非常に危険であるという事は肝に銘じておくべきであろう。茨城県の中でも大子町が多少巧く行っているのは、様々な産業があればこそであり、観光業だけでやっている訳ではないのだという事を絶対に忘れてはならないのだ。

Portrait.Of.Pirates ワンピース STRONG EDITION トニートニー・チョッパーVer.2

| | コメント (2) | トラックバック (0)

恐怖の茨城県観光バスツアー 後編

●昼食は海鮮丼、買い物は市場で

 袋田の瀧から大洗町に移動し、そこで昼食となった。時間は既に午後1時であり、お腹はもうペコペコである。場所は「海鮮処森田」であり、そこで「海鮮丼」が出された。この海鮮丼、味は合格なのだが、量が多少少ない。

 この海鮮丼には「マグロ」「ウニ」「イクラ」「蒲鉾」「玉子」「生姜」「ワサビ」が乗っている物で、別にこれはこれで海鮮丼として成り立っている。しかし近年、海鮮丼が豪華になってしまったので、普通の海鮮丼が出されても、感動できないのだ。

 このため、誰も「美味しい」とは言わなかった。

 これは結構恐ろしい光景である。

 海鮮処森田は森田水産の直営店で、その後、参加者たちはバスで海鮮処森田那珂湊本店に行き、そこで買い物をすることになった。だから昼食を大量に食べてしまうと、買い物どころではないので、あの食事の量はあれでいいという事になる。   

 那珂湊本店は市場にあるので、値段は確かに安い。しかし観光旅行をしている以上、乾物に成らざるを得ない。ナマモノを買ってしまうと、自宅に帰るまでに傷んでしまうからだ。そこで俺は乾物をあれこれ見ていたのだが、母親は市場で売られているタコが気に行ってしまい、すぐさま購入してしまった。

「ナマモノを買うな!」

「だって2匹で1300円なんだもん」

 まさに値段で釣られて買った類なのだが、確かにこれは安く、スーパーとかで買えば5千円になるくらいの代物である。それだけでなくメジナを買い、タコと合わせると結構な重さになった。この店には200円支払えば、発泡スチロールに入れてくれるサービスがあったので、そのサービスを利用した。

 これが実に重たい! 腐らないように氷が入っているので、タコとメジナ、そこに氷が加わるから、男の俺でも重たかった。両手が塞がっているので、もうこれ以上買う事が出来ず、時間を大量に残しながら終了してしまった。

 他の参加者たちは大半が乾物を買っていたので、

「買い物の仕方が余りにも下手糞だ」

と俺は母親に指摘し、バスの中で反省会をする羽目に。バス旅行に馴れていないので、商品を物色し尽した後に買うというのが全く出来ていなかったのである。

●ブドウ狩り

 那珂湊から石岡市に移動し、今度はそこでブドウ狩りとなった。石岡市に入るとバスは小さな道を進んでいき、一体どこに行くんじゃと思いながら着いた先にブドウ園があり、そこでやったと下車することができた。しかし出迎えたのは腰の曲がった爺さんであり、なぜだか嬉しくない。

 なんでブドウ園を持っている人の腰が曲がっているのか、ブドウ園に入ってからその理由が解った。ブドウの木は低いために、男女問わず、腰を屈めなければならない。ここで長年働いていれば、自然と腰が曲がってしまうことであろう。

 俺がこのブドウ狩りを最も楽しみにしていたが、ブドウなんて1房食べれば充分であり、しかし園内は食べ放題なので、2房半食べてしまった。そこまで食うと、もうお腹はパンパンに膨れ上がってしまい、完全にギブアップしてしまった。

 満腹になったというのに、母親はお土産としてブドウを買った。スーパーなら3千円する物が千円で売られているのだから、今回もまた値段に飛びつきやがった。ブドウ狩りをして更にブドウを買ったのは全て女性たちだったので、女性の性が見てしまったような気がした。

 さて、ブドウを食ってお腹がパンパンになったという事は、時間が経てば膀胱がパンパンとなる。しかしバスが予定よりも遅れてしまったために、次の休憩までかなり時間を取って長駆した。このため俺は座席で冷や汗を流しながら耐え、パーキングエリアに着くや否やダッシュで走り、便所で用を足した。

●バス旅行はバスガイドが花形

 今回のバス旅行でつくづく思ったのは、

「バス旅行はバスガイドこそ花形なのであって、バスガイドの腕がいいと、バス旅行は他の旅行とは比べ物にならないほど楽しくなる」

ということである。バスでの移動時間をバスガイドの喋くりで補えば、移動時間も効果的に使えるのだ。

 しかし、俺たちのバスガイドは余りにも酷いものであった。今回のバス旅行は東都観光バスが請け負ったのだが、バスの運転手の腕前は良くても、バスガイドが新人のために、読み間違えるし、それだけでなく話が詰まると喋らなくなってしまうのである。

 例えば、

「水戸藩の命を受け、菊池家が独占的に鮭漁を行いました」

という文章を、バスガイドは「命」を「メイ」と読まず、「いのち」と読みやがった。話を聞いていて、

「水戸藩の〈いのち〉を受け?」

と疑問に思ってしまい、考えた末に答えが解ると笑いを噛み殺してしまった。

 他の参加者たちも、後方の座席に座っている人たちはバスガイドに聞こえない事をいい事に、

「また読み間違えやがった」

「あ~あ、話が詰まっちゃった」

とボヤきまくり。突っ込める要素は幾らでも存在するので、客としては突っ込みを楽しみたい。

 バスガイドは喋りが下手なために、途中、テレビをつける事で逃げやがった、バス旅行にテレビは要らない。旅行中にテレビをつけてしまうと、バスガイドは喋る機会を失ってしまうので、それでバスガイドの喋りが更に下手糞になってしまうからだ。

 下手な喋りではあったのだが、それでもテレビよりもマシであった。生身の人間が目の前にいる人たちに向かって話すのだから、その話は下手でもいいから聞けるものなのである。俺としては、バスガイドは新人さんで一生懸命やっているから、本来なら不合格なんだけど、お情けで合格としてあげた。

 母親は女性であるがゆえに女性には手厳しく、

「仕事なんだから暗記してこいよ!」

と不合格にしてしまった。いつ就職したのか解らないのだが、仮に今年の春に卒業して就職したとなれば、まだ半年なので、下手糞であるのは仕方ないけど、下手糞が許されるのはせいぜい3年までであって、それ以降も下手糞なら、バスガイドとしての能力はないと判断せざるを得ない。

●ライフランドの対応

 この下手糞なバスガイドに比べて、ライフランドで俺たちの担当になった女性社員は実に優秀だった。仕事をテキパキとこなし、参加者たちから何か言われれば、すぐに対応した。美人ではないのだが、服をきちんと着こなし、如何にもヤリ手の女だった。

 そのためバス旅行の最後にこの女性社員がスピーチした際には、なんと参加者たちから盛大な拍手が贈られたのである。

 女性社員は「本部から派遣されてきた会員サービス室の何々です」といっていっていたので、帰宅後、ライフランドのホームページで調べた所、会員サービス室はライフランドグループ本社にあり、総務部、財務経理部、人事部、施設部、情報システム室と並んで存在する機関で、道理で出来がいい訳である。

 俺たちは2号車だったのだが、1号車の担当者の方が恐らく上司であろう。その女性社員はおっとりしているが、人徳のある女性。これは美人なのだが、なぜだか腹が出ていた。そのため、

「あの女、腹が出ている」

と母親に密告した所、母親は確認した後、

「本当だ」

と報告してきやがった。悪質極まりない親子なのだが、女性社員たちの方はコンビとして上出来であろう。人徳のある上司と優秀な部下を組み合わせれば、仕事は巧く行く筈である。

 今回のバス旅行は午前7時に出発し、午後7時過ぎに到着であり、参加者たちは本当に疲労しまくった。しかし女性社員たちは12時間労働であり、実際には準備と後片付けがあるから14時間労働である。バス旅行を企画し実行に移すというのは本当に大変な事なんだと思ってしまった。

 ライフランドの対応は満点を与えてもいいほどの合格点なのだが、強いて注文を付けるとするのなら、

「なんで謝恩ツアーを行うのか、その説明をしておくべきだった」

という事であろう。

 バス旅行の参加者たちはただ単にバス旅行をしに来たのではない。自分たちが葬式の際に、ライフランドに手伝って貰い、その事に感謝しているからこそ、参加したのである。もしも身内が亡くなれば、またライフランドを使用するのであって、冷静に考えると、結構壮絶な旅行だと言っていい。

 ライフランドの社長の精神レベルが低ければ、

「利益還元のため」

という事だろうし、精神レベルが高ければ、

「自分たちの会社とお客様との間で感謝を循環させ、より多くの感謝を生み出す」

と考える事であろう。

 もしも社長が極悪非道で、

「このバス旅行の参加者たちは全員いずれ死ぬから、我が社にとっては実にいいカモだ」

と考えていたら、まさに恐怖の茨城県観光バスツアーということになる。

Portrait.Of.Pirates ワンピース STRONG EDITION トニートニー・チョッパーVer.2

| | コメント (0) | トラックバック (0)

恐怖の茨城県観光バスツアー 前編

●利根川を越えると、そこには何もない

 千葉県と茨城県は利根川を境にして接しているのだが、茨城県民が千葉県に来たとしても、千葉県民は決して茨城県に行くことはない。千葉県民が茨城県に行かない理由、それは、

「茨城県には何もないから」。

 茨城県には何もない以上、行く必要性はない。だから行かない。こういう理路整然とした物があるので。それで利根川が自然の境界線として役立ち、千葉県民が茨城県の領域に入らないようにしているのである。

 しかし今回、我が家の葬式を手伝って貰った葬儀会社「ライフランド」が「会員謝恩日帰りバス旅行」を企画し、うちの母親がこれに応募すると、見事当選してしまった。なんでも四千通もの応募があり、40名が当選という、100分の1の確率であったらしい。

 当選すると、1名だけ同伴者を連れて行く事が出来、3千円を支払うと行く事が出来る。そこで俺が母親と一緒に行く羽目になってしまい、この旅行に参加にすることになってしまった。そしてその行き先はなんと、

 「茨城県」!

 ライフランドは千葉市に本社を置きながら、千葉県と茨城県の関係をよくご存じなく、千葉県内で旅行すればいい物を、敢えて千葉県民たちにとって未知の領域である茨城県を選んでしまったのである。

●茨城県の三大お勧めポイントが~

 実を言いますと、俺が母親と二人っきりで旅行するのは、なんと人生初なのであって、それなりに今回の旅行は楽しくしようと考えていたのだが、当日、観光バスに乗ってバスガイドの茨城県の説明を聞いていると、唖然としてしまった。

 茨城県といえば、真っ先に思い浮かぶのが「納豆」! バスガイドは納豆の中でも「天狗納豆」なる物が最高級品と説明していた、事実、茨城県のパーキングエリアではその納豆が売っていた。しかしその値段は、

 なんと800円以上!

「誰が食うか!」

 普通なら200円出せば買えるような量で800円以上である。普通の納豆と違うのは、藁に包んであるだけ。それで4倍以上の値段を付けるのは、商売的に無理があると思う。

 次に自慢する物が「筑波山」で、筑波山は『万葉集』にも歌われ、古代ではここで大規模な歌垣が行われ、単体峰であるので、「西の富士山、東の筑波山」と言われたという。だが筑波山の標高はなんと、

 877m

「ちっちぇ~」

 そんな低い山なのに、富士山に対抗するなって! 富士山は日本一の山なのだから、そうしておけばいい物を、それなのに富士山と比較するからこそ、変なことになってしまうのである。

 第三番目に自慢するのが「霞ヶ浦」で、霞ケ浦は日本三大湖の1つで、昔は京の都から霞ケ浦の水でお茶を点てるためだめにやってきた茶人もいたという。それほど霞ケ浦の水は綺麗だったのである。ところが、

「現在では、生活排水のために霞ヶ浦が汚染され、青藻が大量発生して飲料水としては適さなくなってしまった」

 それだけでなく、

「霞ヶ浦では鯉を養殖していたのだが、鯉ヘルペスが流行し、それで鯉が全滅してしまい、鯉養殖業者たちは事実上全員が廃業することになった」

 こうなってくると最早、観光気分ではなく、なぜ茨城県民は生活排水を綺麗にすべく、合成洗剤を使用しないようにするとか、条例で制定しないのかという事を考えてしまった。

 因みに霞ケ浦は本来「香澄ヶ浦」と呼ばれていたのであって、圧倒的に霞ケ浦よりも香澄ヶ浦の方がいい。香澄ヶ浦を霞ヶ浦と変えたしまった所に、現在の霞ケ浦の汚染があるのだ。

●袋田の瀧

 今回のバス旅行のメインは、茨城県大子町にある「袋田の瀧」である。この瀧は日本三大名瀑の1つであり、高さ120m、幅73mで、4段に落下する瀧なので、実に見応えがある。どんなに高い瀧でも、段がないと単調な瀧になってしまうのだが、4弾もあるといろんな所から見れて、様々な顔を見せることになる。

 茨城県と栃木県に洪水を齎した長雨で水量が物凄い事になっており、実にラッキーな事に成ってしまった。この瀧を雨天の時に見たり、乾燥して水量が減った時に見たりしたら、そんなに感動できなかったかもしれない。

 実物は実に感動物で、現地に行って、実際に見る価値があると思う。周辺にはハイキングコースがあるので、1日中遊ぶ事ができる。しかしバス旅行ゆえに、滞在時間は1時間しかなく、この点が非常に惜しかった。

 冬になると、袋田の瀧は氷結するそうだが、氷結すれば全く違った姿になるので、袋田の瀧を気に行ったのなら、もう一度、冬に行く必要性がある。何度見ても味わえる瀧というのは、そんなに多くないものなのだ。

 袋田の瀧周辺には「ミヤマスカシユリ」なる、ここにしか存在しない百合が存在しており、偶然にもその百合を見つけてしまった。他の人たちはただ滝を見て帰ってしまうので、この百合の事を知っているか否かで、その感動も随分と変わって来るものなのである。

●豊年万作のアップルパイが~

 袋田の瀧に行く前に、バスガイドが、

「豊年万作のアップルパイが実に美味しいと、先輩のバスガイドから教えて貰いました」

と言っていたので、滝を見終わった後に、わざわざその店に行った。掘立小屋のような所で売っていると聞いていたのだが、そこに行ってみると、

「館内で販売しております」

との表示があり、それで館内に行ってみると、

「今日は売っていない」

との事だった。バス旅行の参加者たちがこの事でバスガイドに苦情を言うと、バスガイドは慌てて豊年万作の所に事実を確かめにいった。すると、豊年万作はそもそも昨日の段階から作っていなかったらしい。だからマジで、

「そんな~」

という気分になってしまった。バス旅行が来る事は事前に知っているのだから、作っておけよ。売れよ。アップルパイを売り物にしておきながら、それを売らないとは、有り得ない商法である。

 この豊年万作は滝味の宿として旅館の方が本業なのだが、この旅館の外観がどうも美的センスがないのだ。夜間にライトアップされると美しく見えるみたいなのだが、旅館に行けば夜中は室内にいる以上、こういう考えはそもそもおかしい。

 豊年万作の事を弁護しておくと、館内はそれなりに豪華な作りになっている。だったら高級旅館としてやるべきであって、掘立小屋を作ってアップパイなど売るべきではないのだ。豊年万作がアップルパイを売らないのは、意図的な物だろう。いずれは売らなくなると思う。

 俺たちは出発時間が早かったので朝食抜きだったために、俺は母親にこのアップルパイを食べさせてあげようとしたら、この有様である。母親は腹いせに、

「ここのアップルパイ、実は不味いんじゃないの」

と言い出す始末。それに対して俺は、

「食ってねぇ~だろ~が!」

と反論する始末。

 それで仕方なく空腹のまま袋田の瀧を後にすることになってしまった。

Portrait.Of.Pirates ワンピース STRONG EDITION トニートニー・チョッパーVer.2

| | コメント (3) | トラックバック (0)

« 2015年8月 | トップページ | 2015年10月 »