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自我のリストラ

●女の子だからこそ、女の子らしくさせる

 男の子と女の子では成長スピードがまるで違う。男の子はゆっくりなのに対して、女の子の成長は速い。成長が速い分、大人に成ってから老化のスピードも速くなるのだが、とにかく早くに成長して早くに老化していくというのが、女性のパターンなのである。このため男女で育て方を変えていかないと、後でとんでもない目に遭ってしまう。

 女の子だから大人しいというのは完全に間違った考えである。女の子は非常に活発であり、何もそれはお転婆の子だけには限らない。女の子は病気でもない限り、みんなよく喋るし、よく動く。これは脳の発達の仕方が違うからそうなる。女性は右脳も左脳も巧く使えるので、それで活発な事が出来てしまうのである。

 しかしこれはやりすぎると自我が増大してしまい、それで自分をきちんと統御する事の出来ない子に育ってしまう。女の子を育ててみれば解る事だが、お喋りすぎて家の手伝いを何もしないとか、行動しているのはいいだけれども何も考えていなかったりする。女の子は放置しておいてはダメなのである。

 親だからこそ、バカな事をしている娘に向かって、

「女の子らしくしなさい!」

「女なんだから身の程を知れ!」

とか、時には思いっきり叱ってあげないとならないのだ。こうする事によって肥大化した自我が巧く削減され、自分の身の丈に合った物となるのだ。

 これを学術的には「自我のリストラ」という。

 自我のリストラは娘にとって絶対に必要な物だが、親としてはこれをやるのが非常につらい。なんせ自分が世界で一番可愛いと思っている娘を叱り飛ばすのだから、叱られている娘以上に、親の心は痛むのだ。だが、これをやっておかないと、娘の初潮の祝いで御赤飯を炊いたら、

「パパ、最低~」

「ママ、最悪~」

なんて言われかねないのである。初潮を迎えたというのに、まだまだ子供になってしまい、こういう娘では将来禄でもない人間になるのがほぼ確定したといっていいのだ。

●結婚に於ける自我のリストラ

 自我のリストラで気を付けべきは、学校の教師たちは自我のリストラを生徒たちに行わせる事が出来ないという事だ。もしも学校の教師たちが生徒たちに自我のリストラを強いれば、教育自体に支障が出て来てしまう。だからよく説教する教師ほど、教育が下手糞という事になってしまうのである。

 思春期は荒れ狂う時期なので、女の子といえども荒れる事になる。荒れるからこそ成長していけるのであって、親としてはその荒れ方が変な方向に行かないように注意すればいいのであって、荒れる事無く静かにしている事の方を危険視しなければならない。初潮までに自我のリストラをきちんと行っていけば、大体巧く荒れてくれるので、それで自立していってくれる。

 女性が自立の最終段階で行うのは「結婚」であり、結婚する事によって人生で最大規模となる自我のリストラを行う事になる。女性は結婚すれば人生が変わるし、妊娠出産すれば更に変わるし、育児をしていく中で変わっていく。結婚している以上、夫から何か言われる事によって自我のリストラを起こるし、嫁姑の葛藤の中で成長していく事になる。

  この世で生きて行く中で最も大事な事は、

「何があっても自分の意思を貫く」

と同時に、

「何もかも自分の思い通りにしては成らない」

という事なのである。自分の意見が何も通らないのはまさに生き地獄だが、それ以上に自分の意見が全て通ってしまった時は非常に危険なのであって、そのような事ではいずれ確実に破滅がやってくる事になる。

 もしも女性が結婚しないなら結婚による自我のリストラができなくなってしまう。自我は増大していき、常に自意識過剰で、それでいて大した事を成し遂げる事もない。これでは家畜以下であって、幾ら生きてもなんの意味もない。女性が自立するためには結婚は絶対に必要なのであって、結婚なしに自立する事は絶対に出来ないのだ。

●悔い改めよ、されど・・・

 キリスト教系宗教団体が宣教や伝道に於いて、

「悔い改めよ」

と盛んに言って来るのは、悔い改めてくれれば自我のリストラになるから、それで教団は信者たちを思うがままに動かす事が出来るように成るからだ。神道系の宗教団体でも、仏教系の宗教団体でも、信者になれば自我のリストラを引き起こす事に成るのだが、それでもそれを前面に押し出す事はない。

 「悔い改めよ」と言われて、本当に悔い改めてしまう人は、想像以上に傲慢な人なのであって、たとえ信者になっても違う形で傲慢が維持される可能性が非常に高い。例えばキリスト教の場合、信仰熱心になりすぎ、キリスト教に反する物は一切受け付けなかったりする。こういう信仰では不幸が起こってしまうのは当然であろう。

 それと充分に注意しないと、「悔い改めよ」と言っている人自身が自我を増大させてしまうという事だ。実際、「悔い改めよ」と言っている宗教家に限って、「この人は本当に宗教家なのか?」と疑ってしまう例は非常に多い。親が娘を叱り飛ばすのは非常に心苦しいように、宗教家だって悔い改めを他人に強いるのなら、心が苦しく成って当然なのであり、それが起こらないとなれば、人格的に欠陥があると言っていい。

 神道なら潔斎を行い、それによって自我のリストラを行っていく。仏教なら修行を行い、それによって自我のリストラを図っていく。確かに教団が指導するかもしれないが、自我のリストラを引き起こすのは自分自身なのであって、他人にどうこう言われてするものではないのだ。

 しかし勘違いしてはならないのは、自我のリストラを自分の力だけで出来るのではないという事である。人間は自分の力だけでは自我のリストラが出来ないからこそ、宗教団体という物を必要としているのだ。その点を勘違いして、自分の力だけで出来るとか、教団が何をやってもいいと思ってしまうと、とんでもない問題を引き起こしてしまうのである。

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