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2016年1月

偉大なる思想家たちはみんな変だった。

●聖職者たちから知識人たちへ
 
 正月に入ってからポール・ジョンソンの本に嵌ってしまった。事の発端は彼の『ユダヤ人の歴史』という本が、『日本経済新聞』で広告の掲載が拒否されたという事件を知ってからなのであるが、この本を読んでみると、ユダヤ人の歴史に関する物では非常に優れた物で、ユダヤの真相を知られたくない日本のキリスト教徒たちから圧力がかかったと見た。
 
 ポール・ジョンソンはイギリス人で、オックスフォード大学卒である。長年、ジャーナリストをやった後、作家に転職した。専門は現代史なのだが、俺は現代史という物を認めていない。現代の事が歴史として評価されるためには70年以上の歳月が経たなければならないのであって、それでこのポール・ジョンソンを見逃していたのである。
 
 ポール・ジョンソンの本で特に出来がいい物は、
 
『ユダヤ人の歴史』
 
『キリスト教2000年史』
 
『インテレクチュアルズ』
 
の3つであり、これらの本を書くためには相当な蔵書量がないと出来ないのだが、彼は持っているのだろう。現代史の作家として成功したからこそ、蔵書を充実させる事が出来たのである。
 
 古代ローマ帝国に於いてキリスト教が国教になってから、西ヨーロッパでは長らく聖職者たちが歴史を動かしてきた。だからまずはキリスト教を知らねばならず、キリスト教を知るためにはユダヤ教も知らねばならない。そして近代化していくと、「聖職者たちから知識人たちへ」という動きが起こり、それで知識人たちの事も知らねばならないのである。
 
 日本には国教がなかったので、日本の歴史学者たちは常に「政治史は政治史」として捉えてしまう。しかしそれは間違いなのであって、宗教史が解らないと、政治史を論ずる事は出来ないのだ。日本が西ヨーロッパと共通しているのは、日本では廃仏毀釈によって「僧侶たちから知識人たちへ」という動きが起こったのであり、それでキリスト教国ではない日本が先進国入りする事が出来てしまったのである。
 
●誤れる近代の歴史はジャン・ジャック・ルソーに始まる
 
 西ヨーロッパで聖職者から知識人へという動きが起こった以上、聖職者レベルの人たちが知識人に成れば良かったのだが、ところが実際に出て来たのは、聖職者たちよりも遥かに劣る人たちであった。新しいタイプの知識人たちはキリスト教を批判する余りに、聖職者たちが人々を指導してきたという事を忘れ、キリスト教も聖職者たちもいない世界の出現を目指したのである。
 
 当然に知識人たちは碌でもない奴らがなる事になってしまった。
 
 謝れる近代の歴史はジャン・ジャック・ルソーに始まる。ルソーは生後まもなく母親に死なれ、父親も蒸発してしまい、孤児になってしまった。この孤児を引き取ったのがヴァラン夫人であり、彼女はルソーを愛人として使った。その後、ルソーはマリア・テレーズと結婚するが、彼女との間に産んだ子供たちを全て孤児院に出してしまったという人非人である。
 
 ルソーはヴァラン夫人を母親代わりにして、テレーズを乳母として育ったのであり、
「永遠の少年」として生き続けた。ルソーは大人になっても自立していなかったという事が解らない限り、彼が一体何を言っているのか解らない事であろう。ルソーは永遠の少年であるが、それと同時に「狂える天才」であった。確かに文章自体は巧い。しかしその内容は完全におかしい。
 
 ルソーは若い頃から頭がおかしかったらしく、ルソーの初恋の相手であるソフィー・ドゥードトー夫人はルソーの事を、
 
「面白い気違いでした」
 
とはっきりと指摘している。ルソーは女性にだらしなかったので、恐らく梅毒に感染し、それで精神異常を引き起こしたのであろう。梅毒は鼻が削げ落ちたりするのだが、脳を刺激して、常人では考え付かないような事を考え出す事もあるので、それがルソーの異常極まりない思想を生み出していったのである。
 
 ルソーの思想に痺れた者たちは多数出て来るのだが、カール・マルクスもその内の1人であり、貧乏なのに経済の研究をしたのだから、どう研究したとしても、まともな結論は出て来なかった。社会主義経済とはルソーが夢見た自然状態の事であって、そんな事を近代以降にやろうとすれば、国民全員が貧乏になるのは当然であろう。
 
 ロシアの文豪レフ・トルストイもルソーの思想に痺れた者の内の1人である。トルストイはイエスとルソーに憧れたのであって、彼もまた自立していない。『戦争と平和』は自立していない男ピエールが主人公の物語であり、ナポレオンのモスクワ遠征によって占領地が無政府状態になると、逆にそれを喜んでいる始末である。
 
●なぜ知識人たちは間違うのか?
 
 なぜ知識人たちは碌でもないイデオロギーや文学作品を作っていったのであろうか? 歴史の流れが聖職者から知識人へと来ているのだが、嘗て聖職者たちがそうしたように、知識人たちだって自分たちが出来る範囲内で優れた功績を打ち立てていくべきなのに、実際には知識人たちはそれをしなかった。
 
①「宗教心の欠如」
 その最大の理由は「宗教心の欠如」である。西ヨーロッパの知識人たちはその出発点に於いてキリスト教を批判しなければならなかった。だから宗教を批判する余りに宗教心が欠如してしまい、それでおかしく成って行ってしまったのである。人間の理性で解明できる物はごく僅かなのであって、自分の理性でこの世の全てを解明できると思い上がっては成らないのだ。
 
②「理性に対する過剰なる期待」
 知識人たちは理性の力を使って学問を発展させていく事に成るのだが、自然と理性に対して過剰な期待をしてしまう事に成る。人間は理性を有するが、必ずしも理性どおりには動かないという事が解っていないと、人間に対する理解に於いて根本から間違ってしまう事に成るのだ。
 
③「価値ある人生経験の無さ」
 人間は年が老い易いが、学問は成り難い物である。知識人が学問研究に携われば、本来なら経験しなければならない人生経験を経験しない事に成ってしまう。価値ある人生経験がないのだから、そのような知識人が人間や社会や国家を論じたとしても、おかしな結論に辿り着いてしまう事に成る。
 
 ルソーにしても、マルクスにしても、トルストにしても、まともな人生経験などない。ルソーは孤児だし、長らくフリーターのような人生を送ってきた。マルクスは親友のエンゲルスにたかって生き続けて来た。トルストイは農奴制の問題点に気づきながらも、農奴たちを使って資産を爆発的に増やした。
 
 このような人たちは往々にして現実には全く存在しないユートピアを夢想するものだが、そのユートピアに騙されてはならない。そのユートピアは誰がやったとしても実現不可能なのであって、人間として経験すべき事をやっていれば、ユートピアで実現できる物は今現在でも出来てしまうものなのである。
 
●反知性主義
 
 俺がポール・ジョンソンの『インテレクチュアルズ』を読みながら思ったのは、安本あんり著『反知性主義』であった。この『反知性主義』が典型的な針小棒大の本で、アメリカ合衆国は学歴重視の国家なのに、それを敢えて否定し、反知性主義だけを事更に協調した粗悪本なのだが、アメリカ合衆国の真実を追求した物ではないが、アメリカ合衆国の或る一部分を指摘した本ではある。
 
「アメリカ合衆国には国教がなかったために、偉大なる思想家が出て来なかった」
という事は幾ら協調してもしすぎる事はない。イギリスは覇権国家だった時代に、経験論や功利主義を生み出していったが、アメリカ合衆国は覇権国家になってもそういう新しい思想を生み出していない。正確に言えば生み出す事が出来ないのだ。
 
 アメリカ合衆国は未開の地で独立してきたのだが、西ヨーロッパからの移民たちによって国民が形成されたので、独立する以前から学問という物を重んじた。ハーヴァ―ド大学はアメリカ合衆国が独立する以前からあったのであり、大卒のエリートたちこそが独立戦争を戦い、そして独立宣言を出し、アメリカ合衆国憲法を制定していったのである。
 
 アメリカ合衆国の独立はフリーメーソンたちによってなされたのだが、独立後はキリスト教が盛んになり、プロテスタント系の教団では教会に教会学校があったので、国民の向学心というのは非常に強かった。大学は全米各地にできるようになったし、その大学の教育内容も非常に優れた物であった。
 
 しかしアメリカ合衆国にはそういう学歴重視とは正反対に反知性主義と言える物が有る事もまた事実である。反知性主義は決して主流に成る事はなかったが、それでも学歴重視の社会に対して或る一定の批判を与え続けた。国民が知識人たちに「バカ」と言える勇気があればこそ、アメリカ合衆国には共産革命が起こらなかったとも言える。
 
「バカはどんなに学問をしたとしてもバカ」
なのであって、知識人だからといって信用しては成らない。特にルソーの嘘を見破れるか否かは、その知識人の頭の良し悪しを判定するためには重要な物であり、嘘を見破る事が出来なければ、知識人であっても野蛮人であると変わらない。知識人が無暗に信用されてしまう社会の方が危険なのである。
 
●人間の心を持たないイデオロギーの危険性
 
 ルソー主義によってフランス革命は起こった。マルクス主義によってロシア革命は起こった。フランス革命もロシア革命も冷静になって分析すれば、非常にバカげた事であり、自国の国民を数百万単位とか、数千万単位とかで大量虐殺してしまったのは、近代以前にはなかった物なのである。
 
 今後、来たるべき革命は「フェミニズム革命」であって、もしもどこかの国でフェミニズム革命が起これば、共産革命以上の恐ろしい事態が発生する事であろう。今度の革命では女性たちがフェミニズムに発狂して革命を引き起こして来る以上、女性たちには徹底的に用心しなければ成らないのである。
 
 イデオロfギーは人間の作りし物であるが、イデオロギーはそもそも人間の心を持たない。人間の心を持たないからこそ、一度暴走を開始してしまうと、片っ端から人々を殺していくという事をやってしまうのである。イデオロギッシュな人たちは、
 
「自分たちのイデオロギーは正しいのだが、やり方が間違っていた」
 
と言うものだが、こういう事を言っているという事はイデオロギーの危険性に全く気付いていないという事なのだ。
 
 家族制度と私有財産制度を否定するイデオロギーは誰がどうやっても絶対に巧く行かず、必ず大量虐殺を仕掛けて来る。それなのに人間の心を持たない人ほど、邪悪なるイデオロギーに呆気なく洗脳されてしまう。人間は自分が思っている以上に愚かな動物なのであって、だから宗教によって謙虚にさせて行かなければ成らないのだ。
 
 人間は如何なる事でも言えてしまう。知識人となれば普通の人たちを騙すような事を兵器で言って来る。それゆえ、
 
「本を見るな。著者を見よ」
 
という事をすべきであり、著者の人生を判断した上で、その著者の言っている事を理解して行かなければ成らないのだ。
 
 近代以降、国民は学問する事によって自ら賢くなり、「思想戦」を戦い、それに勝利しなければ成らない。思想戦に戦う意思のない者たちは邪悪なるイデオロギーに洗脳された者たちによって殺されていったとしても文句は言えないのだ。近代国家にはイデオロギーが暴走してくる危険性がある以上、思想戦を戦う事によって自らの生命と自由と財産を守って行かなければ成らないのである。
 

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バス事故の構造的原因とその対策

●バス事故
 
 正月に入ってから立て続けにバス事故が起こってしまったのだが、車検がある以上、バスのアクセルやブレーキに問題があっという事はないであろう。運転手の人為的なミスなのであって、それ以外に考える事は出来ない。バス事故が全て夜間に起こっているのだから、やはり判断力が低下する夜間では、バス事故は起こり易いのだ。
 
 今回の多発したバス事故には、
 
「小泉純一郎首相の時の規制緩和」
 
と、その後に起こったバス事故を受けての、
 
「規制強化」
 
がその背景にある。だから1人のバス運転手の事故で処理できないのだ。
 
 小泉純一郎首相は郵政民営化という大功績があった一方で、滅茶苦茶な規制緩和を行い、それで日本経済に甚大な損害を齎したという負の側面がある。マンションの建築偽装事件でも小泉純一郎首相が規制緩和を行ったからこそ起こった物なのであって、バス事故も彼の規制緩和があればこそ起こったものなのである。
 
 政府の規制緩和と規制強化によって、バス業界の競争が激化すると同時に、バスの運転手が不足するようになり、それで低料金で請け負うようになり、バスの運転手の質が低下してしまった。こんな事をやっていれば、事故が起こるのは当然であって、旅行会社やバス会社の責任は問われるべきであっても、それだけで済ましてはならないのだ。
 
 経済は自由な方が発展していくから、
 
「経済は市場に任すべき」
 
という態度を政府は持つべきであり、その一方で、
 
「政府は最低限の規制を課すべき」
 
という事もしなければ成らない。競争と規制をどう調和させていくかが問われるのである。
 
●12時間を超える労働の危険性
 
 バスの長距離にはそもそも深刻な問題がある。長距離の仕事をしてしまうと、バスの運転手は12時間を超える労働してしまい、そういう労働の仕方ではどうしても事故の発生確率が高まってしまう事に成る。政府は対策としてバスの運転手を2人用意するようにしたのだが、こんな事をすれば、バスの運転手が2人とも12時間を超える労働になってしまう。
 
 最善の解決策としては、
 
「中継地点で交代要員を用意する」
 
という事であって、バスを6時間くらい走らせたら、中継地点を設けて、そこでバスの運転手を交代させる。こうすればバスの運転手は常に集中する事ができるので、それで事故を起こす事が無く成るのである。
 
 12時間労働というのは、若い時なら積極的にやった方がいい。体力が充分にあるので、12時間労働をしてもそんなに疲労することはないからだ。しかし35歳辺りを過ぎたのなら、もう8時間労働に切り替えるべきであって、いつまでも12時間労働などすべきではないのだ。
 
 バスの運転手が高齢者なら老眼になっているだろうから、その状態で夜間走行すれば、事故を起こす確率が高くなるのは当然の事なのである。視力が充分にあれば、咄嗟の判断もきちんと出来るが、視力が不充分なら判断力が鈍り、それで本来なら起こる筈のない場所で事故を起こしてしまったりする。
 
 バス事故を起こした運転手の中には、事故を起こした時、
「ボ~ッとしていた」
ので、
「全然記憶にない」
と証言している者もいる。若い時にはこんな事など起こらない。しかし年を取ればこういう事が起こってしまうのであって、だから年を取ったら労働時間を短くしていくという事をすべきなのである。
 
●安ければ良いという考えを捨てよ
 
 今回のバス事故では大学生たちが多く死んでしまったのだが、バス事故のために貴重な人材が失われしまった。どんなにいい大学に行っていようとも、死ねばそれまでなのであって、その死を嘆いたとしてももう失われた命は帰って来ないのだ。今後、こういう事故が起きないようにする事を考える事こそ、今の段階では必要なのである。
 
 そもそも料金が安い事で危険なバスツアーに参加してしまったのだが、そういう「安ければ良い」という考えを捨てなければ成らない。安いという事は安全性を蔑ろにしているのであって、安全性を重視するなら、少し高いくらいで丁度いいのだ。大体、旅行会社の社長が「福田万吉」なんて、如何にもお金の事しか考えていなさそうな名前なのであり、社長の名前を視た時点で、ピンと来ない方がおかしいのだ。
 
 バスツアーは政府の規制緩和と規制強化によって相当歪んでしまった。バス会社は安く請け負っても利益が出てしまうようになり、旅行会社はそれで料金を更に格安にしてしまう。政府が下手に手を出さなければ、こんな事にはならなかった事であろう。日本の場合、全国に鉄道が敷かれているから、鉄道料金と比較して、余りにも格安なら、何かがおかしいと見るべきなのである。
 
 忘れてならないのは「高速料金の高さ」であり、高速料金が高めに設定され続けているからこそ、バスは一般道を走ってしまい、そこで事故を起こしてしまったのであり、高速料金を引き下げるという努力をしないからこそ、バス事故が一向になくならないのだ。高速道路も民営化されたのだが、それなのに値引きしないというのは、一体なんのための民営化と言いたくなる。
 
 政府が間違った事をやっても、政治家たちや官僚たちが死ぬ事は殆どない。悪政の皺寄せが行くのは、常に若者たちなのであって、その事を絶対に忘れては成らないのだ。如何なる政治家も官僚も先の先まで見通す事は出来ないが、人命を最優先にしているのなら、下手な間違いを犯さなく成る事であろう。
 

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ゲス不倫の極み ~ベッキーの不倫騒動から学ぶ「絶対にやってはならない対応」~

●芸能人はスキャンダルを起こしてなんぼの者
 
 正月早々、ベッキーが「ゲスの極み乙女」の川谷絵音と不倫していた事が報じられ、ベッキーが謝罪会見する羽目になってしまった。この謝罪会見の出来が悪かったために、ベッキーへの批判は収まるどころか、益々激しくなってしまったのであり、更に事態は悪化してしまった。
 
 芸能人はスキャンダルを起こしてなんぼの者なのであって、不倫をする事など別に悪くはない。芸能界では運気が逆転しているので、普通の人たちなら不倫は悪い事ではあるのに、芸能人となるとそうではなくなるのだ。たまに愛妻家との評判を得る芸能人がいるものだが、大体、そういう芸能人は出世しないものであり、芸能人なら妻を泣かしてでも芸に精進すべきなのである。
 
 運命学的に、ベッキーと川谷絵音の相性的には非常に良い。ベッキーが相手の男性に妻がいると知っていながら不倫をやってしまったのは実に納得が出来る。これは普通の不倫ではない。マジの恋愛なのであって、川谷絵音が離婚を機にベッキーと再婚しようとしたのは当然であろう。
 
 しかしこのカップルは周囲の雑音が2人を引き裂いてしまうという関係にあり、それで今回のスキャンダルでどうにもならなくなってしまったのである。もしもマスコミに暴露されず、離婚が成立した後にこの報道がなされたのなら良かったかもしれないが、離婚前なので、ベッキーとの結婚は非常に難しい物になってしまった。
 
 ベッキーは別れるのか否かを明確にしていないが、恐らく確実に別れる事になるであろう。スキャンダルがあったから別れるのではなく、運命学的に2人の関係がきちんと確立される前に周囲が騒ぎ出してしまったので、もう2人で関係を構築する事が出来なくなってしまったのである。
 
●悪いのは川谷の方なのに
 
 今回の不倫騒動で悪いのは川谷絵音の方であり、結婚直後に不倫を始めたが、下手をすると結婚以前からベッキーと交際していた可能性がある。こんな事をやれば妻が激怒するのは当然であって、2人のやりとりを暴露したのはこの妻なのであって、この妻がそもそも結婚すべき相手ではなかったか、結婚したのに妻を大事にしなかったという事になってしまう。
 
 離婚を「卒論」と言い換えたのも、世間の人たちから見ればドン引きである。結婚している人たちから見れば、幾ら芸能人であっても、そういう事を絶対に許されないという事になってしまう。離婚したいのなら、もっと早めに離婚しておくべきなのであって、離婚交渉に手間取ったからといって、卒論と言い換えるべきではなかったのだ。
 
 ベッキーは謝罪会見を開いて謝罪したが、川谷絵音の方は謝罪会見を開いて謝罪していない。但しMステでは謝罪した。これがテレビ業界の人たちを激怒させてしまった。芸能人の場合、多額の現金が動いているので、不倫報道によって迷惑をかけた以上、なんらかの発言をしておくべきだったのである。それをしないのだから、余計にベッキーへの批判が強まってしまったのである。
 
 もしも不倫報道の後、川谷絵音が、
「不倫ではあるけれども、俺は本当にベッキーの事が好きだから、離婚した後はベッキーと再婚する」
とでも発言したのなら、流れは大きく変わった事だろう。芸能界では何も発言しない事が逆に窮地に陥ってしまう事に成るのである。
 
 後、不倫騒動以前の問題として、
「川谷絵音は結婚していた事をファンに隠していた」
というのも不倫以上に問題であろう。アイドルじゃあるまいし、なんで結婚していた事を可くしていたのかがよく理解できない。
 
●ベッキーの一体何が悪かったのか?
 
今回の不倫騒動では川谷絵音が悪いのに、ベッキーの方が大いに評価を落とし、大損害を受けてしまった。一体ベッキーの何が悪かったのか?
 
①ベッキーほどの人が不倫?
 ベッキーほどの人が不倫をしたからこそ、世間の人たちは思いっきり評価を下げてしまったのである。ベッキーはタレントとして高い評価を受け、スキャンダルは今まで何もなかった。今まで高い評価だからこそ、スキャンダルでは評価が激減してしまうので、今回はこの現象が起こってしまったのである。
 
②謝罪会見でのミス
 ベッキーは謝罪会見でも大きなミスをしている。この謝罪会見はスポンサー向けの謝罪なのであって、記者たちに対して質疑応答していない。バラエティ番組では言いたい事を言っているのだから、謝罪会見でもあれこれ言えば良かったのであり、それをしなかったから、これで終息しなくなってしまったのである。
 
 川谷絵音の妻にしてみれば、ベッキーの謝罪は妻への謝罪ではないので、だったら更にやりましょうかという事になってしまう。離婚の動きは出ていたのだから、
「離婚後に結婚する事になっていました」
とでもいえば、どうにかなるのに、それすらしないのだから、これではダメという事に成る。
 
 ネットでは謝罪会見でのベッキーの服装に対しても批判が及んでしまったのだが、「坊主にくけりゃ袈裟まで憎い」と諺で言われるように、普段通りの服装で行くか、謝罪会見を考慮した上で別の服装でやれば、これまた謝罪会見の評価が全く別な物になっていたのである。
 
③相手の実家に行った
 離婚が決まっていないのに、ベッキーが正月に川谷絵音の実家に挨拶しに行ったというのも、問題であろう。不倫している状態では、こういう事は絶対にやってはならないのであって、結婚している人たちから見れば、ベッキーがどう釈明したとしても許す事が出来なくなってしまう事になる。
 
●ベッキーの不倫騒動で学ぶべき事
 
 ベッキーには認めたくない事実であろうが、ベッキーの代役なら幾らでもいる。だから不倫騒動の後、ポストベッキーの争いがもう始まってしまったのだ。ベッキーのように売れっ子として長々とやっていれば、視聴者としてはもう飽きたのであって、いい加減に別のタレントに出て来て欲しいという事になってしまう。
 
 これに対して川谷絵音の方は、このスキャンダルを利用して、更に売れて行く事に成るであろう。もしもバンドの方がダメになっても、自分が作詞作曲して、他の歌手に楽曲を提供すればいいのであって、今回の不倫騒動でダメージを受けても、長期的に見れば充分に利益になってしまうのである。
 
 ベッキーの不倫騒動で学ぶべき事は、
 
「タレントという者は売れている時こそ危険である」
 
と言う事であろう。売れているからこそ慎重にならねばならなかったのに、慎重さを欠いたからこそ、こういう結果になってしまったのである。
 
 もう1つは、
 
「事件が発覚した後は巧い対応を取らないと、余計に事態は悪化していく」
 
という事であろう。人間、生きていれば何かしらの事件に遭遇するものだ。そういう時は巧い対応を取るべきであって、それによって事件を終息させ、自分の利益になるように変えていかなければならないのだ。
 
 最後の運命学の観点からの意見としては、
 
「離婚は絶対に損である」
 
という事である。川谷絵音にしても、結婚する際に、「俺はアーティストだから女の事をとやかく言わないでくれ」とでも妻に言っておけば、不倫した所で妻は激怒しなかった筈だ。結婚は不思議な縁で結びつく以上、正当な理由がないのに離婚してはならないのである。
 

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なぜ学校の教師は暴力を振うのか?

●無能な教師ほど暴力を振う
 
 昭和憲法体制下では、学校に於いて教師たちが生徒たちに対して暴力を振う事が当たり前になってしまった。戦前の学校では教師たちが生徒たちに暴力を振う事はなかった。但し武官たちは別で、軍事教練とかでは武官たちは生徒たちに暴力を振った。その結果、一体どうなかったといえば、帝国陸海軍は連合軍に完敗し、帝国陸海軍そのものが消滅してしまった。
 
 教育に於いて暴力を行使する事は徹底的に禁止されなければならない。教育に於いて暴力を行使してしまえば、その組織そのものがいずれ潰れる事に成ってしまうからだ。戦時中は国家総力戦のために一時的に異常な状態になってしまったが、戦後は異常な状態が長期間に亘って続いているのであり、事態の深刻さを国民は理解しなければ成らない。
 
 教育では「無能な教師ほど暴力を振う」物であって、暴力を振う教師は教育術をきちんと習得していないからこそ、それを誤魔化すために暴力を振うのである。教育は知識があればできるのではなく、教育術がないと出来ない。教育術は術である以上、習得可能なのであって、教師になるならまずはそれを習得していからという事に成る。
 
 日本は島国であるために、基本的に逃げられない状態にある。だから生徒たちも教師から暴力を振われると逃げない。そのために教師が生徒に暴力を振う余りに生徒を殺してしまったという事件が発生してしまう。恐ろしい事に、本来なら殺人事件に相当するのに、なぜだか裁判所は死刑判決を下さず、それで殺人犯がのうのうと生きているのだ。
 
 生徒たちに何を教えても、生徒たちが教えられた事を習得できまでには時間がかかるものなのであって、だったら時間をかけて教えていけばいい。生徒たちがすぐに習得しないからといって暴力を使って急かすようではダメなのである。教師たちは学校で無駄な事をやっているからこそ、本当に教えなければ成らない事を教える時間が不足してしまい、それで暴力を行使するという悪循環を生じさせてしまうのだ。
 
●師範学校の必要性
 
 戦前には師範学校があったのだが、この師範学校は連合軍の占領中に全て潰されてしまった。アメリカ政府は日本人が優秀なのは師範学校があると考えたので、それで師範学校を全廃してしまったのである。そのため師範学校で教育を受ける事無い者たちが教師になってしまった。それで学校教育は常に問題を抱え続けているのである。
 
 戦後は最終学歴に大きな変化があり、大学進学率は50%に達するようになった。だから師範学校を復活させるなら、まずは大学に行って貰い、その後に師範学校に行って貰うようにするしかない。師範学校を卒業すれば教員免許を与えるようにする。師範学校を出ていない人は如何なる事があっても教員免許を取得できないようにすれば、暴力教師に出現を最小限にまで引き下げる事が出来る事であろう。
 
 師範学校は大学院とは違う。大学院というのは専攻科目をより深く研究していく機関であり、大学院では大学教員の教育をも行っている。とはいっても大学を出て師範学校に行ったのなら、修士号レベルの学力を得る事に成るので、それで修士号を与えた方がいいという事に成る。
 
 学校は学士号ではなく修士号を持った人たちを揃えていかないと、遅かれ早かれ機能しなくなる。修士号レベルの学力を要求するのは何も学校だけではなく、国内の全ての組織がそうなりつつあるのであって、学校のように教育を行っている所では一刻も早くにこの変化に対応して行かなければ成らない。
 
 師範学校を復活させてしまえば、教育学部という物は必要なくなる。そもそも教育学部がある事自体、おかしい。というのは、大学が「教育研究所」を設けてしまえば、教育術を研究する事が出来、わざわざ教育学部で教育学の事を研究しなくていい事になる。教育は「術」なのであって、「学」に昇格させては成らないのだ。
 
●暴力を振ったら刑事事件で処理する
 
 もしも学校の教師が生徒に暴力を振ったのなら、刑事事件で処理するという方針を徹底すべきであろう。学校は教師が生徒に暴力を振っても必ず隠蔽してくる。だからこの問題は悪化してしまったのであって、警察権力を使って処理していかないと、絶対に解決しないのである。
 
 教師が生徒に暴力を振ったと解った時点で、教員免許は没収し、二度と教職には着けないようにする。しかも警察はその者に対して法の保護を与えず、刑事事件に巻き込まれても、一切救済しないようにし、その元教師が殺されても何も手を下さないようにする。こうすれば教師たちは戦々恐々となるので、それで学校に於ける教師による暴力が根絶する事に成る。
 
 教師による暴力を体罰と言い換えて、これを擁護する者たちがいるのだが、体罰を擁護する言論は絶対に許さず、必ず「言論責任」を取らせるようにする。政府は「暴力擁護罪」でも作り、その罪で処罰していくようにする。暴力を擁護する発言をするなら、その者に対しても暴力を行使していいのであって、容赦なく処罰していくからこそ、教師による暴力はやむようになるのだ。
 
 学校に於いて教師の暴力を完全に封じてしまった場合、じゃあ不良の生徒たちを一体どうすればいいのかといえば、それは退学で処分していくしかない。生徒たちの中で教育を受けたくないという者がいれば、無理をして教育を施す必要性などないのであって、退学処分にしてしまい、学校から追い出せばいいだけの事なのである。
 
 こうなると退学者たちが続出するから、それでそういう者たちを集めた特殊な学校が必要になってくる。この手の特殊な学校は教育というより「更生」という物だから、それで軍隊式で過酷な教育を施してもいい。自由がありすぎてダメになった以上、自由を最小限に抑える事で更生させていけばいいのである。
 
●生徒と教師の関係はもっとドライになるべき
 
 教育に於いて生徒と教師の関係はもっとドライに成るべきであり、ドライになった方が教育効果は高く成る。学校教育では教師と生徒が師弟関係を組む必要性は全くない。教師は定められた知識と技術を教えればいいだけの事であって、生徒たちも教えられた事を忠実に学んでいけばいいだけの事なのである。
 
 教師は生徒たちに対して暴力を振うほど、深い関係を築かないようにする。暴力教師と雖もなんの関係もない生徒に暴力を振う事はない。何かしらの関係があり、しかもその関係が深くなってしまったからこそ、生徒の事が気に食わなく成り、暴力を振ってしまったのである。だったら関係を希薄にしておけば、暴力沙汰という事はなくなる。
 
 生徒も教師と深い関係を築かないようにし、もしも教師から暴力を振われたのなら直ちに警察に通報し、絶対に泣き寝入りしないようにする。生徒は正しい教育を受けるために、教師が暴力を振ったら、すぐさまその学校から去るようにすれば、教師による暴力で殺される事はなく成る。
 
 西ヨーロッパのように同じような規模の国家が多数存在していれば、生徒は自国で教育がダメなら、外国に行って受けるという事を平気で出来る。だから嘗て西ヨーロッパ諸国も学校で教師たちが暴力を振っていたのに、近代化していくと学校での暴力は根絶してしまった。日本もいずれそうなるのであって、日本だけが特別な教育を施せる事は絶対にないと言っていい。
 
 学校に於いて未だに暴力教師たちがいるために、日本の大学のレベルはなかなか上がらない。東京大学ですら世界の大学ランキングでは43位なのである。この事実を重く受け止めなければ成らない。日本は教育に於いて後進国なのであって、これが日本の国力も国民の民度も引き下げている最大の要因と成っているのだ。
 

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禁断の記事『なぜ既婚女性は子供がいるのに、不倫し離婚してしまうのか?』

●運命学的には離婚はすべきではない
 
 運命学的には離婚はすべきではないと考えている。結婚は無理矢理結婚したのではなく、恋愛結婚であるなら恋愛をした上で結婚した以上、相性に関して問題がある事はまずない。あるとすれば結婚した時期に問題があるという場合であるが、これだって自分たちが不運な時に結婚するカップルなど大していない。
 
 離婚は誰がどうやっても絶対に損である。得する離婚など存在しない。離婚してしまえば片親になってしまうので、それで育児や子育てに深刻な事態が発生してしまう。しかも離婚によって夫婦の財産を分ける以上、経済的にも不利な状態に追いやられる。更には離婚した事で多大なストレスが発生するし、離婚した事が記録されるので、それで生き続けている限りマイナスの記録と成り続けてしまうのである。
 
 離婚は離婚だけの損害が起こるのでなく、「結婚後の災厄」という物が起こる。離婚した事で神の怒りを買い、それで離婚後に原因不明の不幸が発生してしまい、その不幸がなかなか片付かないという事になってしまう。この災厄は本人が離婚の事で反省しないと、絶対に終息しない。
 
 俺がこのブログでたまに運命鑑定をしたりしているが、それでも離婚を勧めたはたった1例だけであり、様々な夫婦に対して運命鑑定を行ったのに、たったそれしか例がない。だから自分の配偶者の事が気に入らないからと言って、すぐに「離婚する!」と主張するのは絶対に間違っている。そういう物は忍耐が足らないだけの事であって、離婚すべき物ではないのだ。
 
 しかし実際には離婚というのは大量に発生している。離婚する夫婦はなんと結婚したカップルの3分の1に及び、それで離婚経験者たちが腐るほど存在しているのだ。その手の人たちは運命学的にはそれなりの相手と巡り合えたのに、自分に身に「或る変化」が起こってしまったからこそ、自ら結婚を破壊してしまうという事をやってしまった。
 
 では「それは一体なんなのか?」という事に成る。
 
●第一子の時の危機
 
 結婚するに当たって結婚相手を間違えたとかいうのは論外であるが、結婚相手との相性にはなんの問題もないのに、結婚した時期を誤ってしまったために離婚する事になってしまう事は有り得る。女性は本来、16歳から19歳で結婚するようになっている以上、19歳以降に結婚するとなれば、どうしても結婚する時期を誤る事が出て来てしまうのだ。
 
 こういう結婚だと、夫婦のどちからが結婚してはならない時に結婚してしまったために、初めての赤ちゃんが生まれてしまうと、最早どうやってもその結婚を維持し続ける事が出来ない深刻な事態に陥ってしまう。夫婦の相性は良くても、夫婦のどちらかの性格が異常になっているので、それで生活できないのだ。
 
 性格の不一致は離婚理由にならない。人間である以上、夫婦と雖も性格が違うのは当たり前だからだ。しかし生活できない事は離婚理由になる。一緒に生活するには不可能になってしまうほどの物であれば、育児をしていくためにも離婚を決断しなければ成らないのだ。
 
 だから第一子を産んだ後に離婚してしまう夫婦が発生してくる事に成る。育児中の既婚女性たちにしてみれば、「なんでそんな大事な時に離婚するの?」と反論してしまいたくなるが、この離婚は育児のために行っているのであり、育児に相応しくない結婚なら勇気を出して離婚せざるを得ないのである。
 
 もしも無理矢理に結婚を維持した場合。夫婦であってもセックスレスになったり、どちからが精神病を発症したり、経済的に困窮したりと、離婚をするに充分な不幸が発生しまくる事になる。それゆえ絶対に離婚しては成らないとしては成らないのである。離婚しなければならない夫婦はどうしても出て来てしまうのだ。
 
●第二子の時の危機
 
 夫婦の相性とか、結婚した時期に問題がなければ、第一子を産んだ後は、すぐさま第二子を産む事に成る。既婚女性にしてみれば、第一子を産んだら、「もう1人!」と思うだろうし、子供が1人歩きできるようになれば、もう1人欲しくなるのは当然の事なのである。それで2年か3年間隔で第二子が産まれるkとに成る。
 
 しかし第二子の時に深刻な危機が発生する事に成る。子供を2人産めば、どちらかの子供は大人に成る事が出来、1人が死んだとしても生存を確保できるようになる。妻としては更に生存確率を高めようとすれば、夫の子供はもう充分に生んだので、他の男性の子を孕みたいと考えるようになり、それが不倫を引き起こすのである。
 
「子供がいるのになんで不倫するんだ?」と批判されても、これは女性の本能がなせる業なのであって、この手の不倫は遊びではなく、「本気の不倫」なのであって、夫よりもいい男性と巡り合ってしまえば、すぐさま離婚して、その男性と再婚する事に成ってしまう。その男性と結婚して更に2人の子供を産んでしまえば、その子供の内、どちから1人は大人にする事ができるので、それで自分は最低でも2人の子供を大人にする事が出来、女性としては第大満足という事に成るのだ。
 
 尤もそれは本能がなせる業で、人間はこの本能を巧く抑える方法をちゃんと用意している。それが「四の結界」であり、家族構成が4人に成る事で、エネルギーが内側に向かい、家族として固めて行くようになる。女として生きて行くのではなく、家族の一員として生きて行くからこそ、離婚を回避し、結婚を維持し続ける事で、より多くの生産力を発揮しようとするのである。
 
 四の結界が張られているというのに、そのエネルギーを外側に使ってしまうと、離婚という事になってしまう。離婚した女性がその後再婚すると、再婚相手の男性の子を立て続けに産んでしまえば、その時点で四の結界を脱してしまうので、それで巧く改心さえすれば、なんとか母親として巧くやっていく事が出来るのである。
 
●だから結婚したら3人以上産め
 
 だから俺は結婚したら、結婚の勢いで持って3人以上赤ちゃんを産めと勧めている。如何なる女性も3人赤ちゃんを産んでしまえば、母親として一人前に成るので、離婚する事などしなくなる。尤もただ単に産めばいいのではなく、既婚女性として成長していかなければならないのだが、それでも子供の数が3人というのは、重要な数値となるのだ。
 
 子供が3人以上になってしまうと、どんな夫婦であっても安定する事に成り、離婚する可能性は非常に低く成る。しかも子供が3人以上になると、子供たち同士で切磋琢磨するようになるので、それで子供たちの出来が良くなり、生存確率をより高める事が出来るようになる。
 
 しかし子供たちを多く生んだからといって、子供たちの父親が違ってしまえば、家族として結束していく事は不可能になってしまう。父系家族の場合、父親は1人なのであって、もしも自分の父親が他の男性というのであるなら、その精神的ショックは相当に大きな物になってしまい、それで子供が荒れる事になってしまうのである。
 
 夫婦には様々な人たちがいるから、相思相愛のようなラブラブの夫婦がいてもいいし、夫婦双方が愛人を持っているような夫婦がいてもいい。結婚制度は厳格に維持して行くべきだが、性欲に関してはルーズであった方が良く、性欲の事をあれこれ規制し出すと、逆効果になってしまうのだ。
 
 面白い事に、俺が「この人は凄い人だな~」と思う人は、全て結婚している。離婚を経験している者は少ない。たとえ離婚経験があっても、その後、すぐさま再婚してしまっている。結婚という物は夫婦2人が力を合わせる事によって、とんでもない力を発揮できるのであって、その力があればこそ、自分一人では絶対に成し遂げる事の出来ない偉業を成し遂げてしまうのである。

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平成28年度のタマティーのお年玉プレゼント

●今年のお年玉プレゼントは?
 
 毎年恒例と成ってしまった「タマティーのお年玉プレゼント」であるが、今年のお年玉プレゼントは手頃な物でありながら。実は非常に重要な物とする。というのは、今年、政治には全く期待できない年なので、とにかく個人が健康でいる事は何より重要で、健康でさえいればなんとかやっていけるからだ。
 
 それでは今年のお年玉プレゼントを発表する!
 
 それはなんと、
 
「赤いマフラー」と「白いマフラー」!
 
 この2つのマフラーがあるとどうなるのかといえば、風邪をひかくなり、健康でいられるようになる。「なんで風邪をひくのか?」と言えば、医学的にはウィルスに感染するからである。しかし宗教的には「邪気」に触れたからなのであって、首の周りをマフラーで隠すと、邪気に触れなく成り、それで風邪をひかくなるのだ。
 
 自宅に居れば邪気に触れる事はないが、外出してしまえばどうしても邪気に触れる事に成る。だから外出して帰宅したのなら、お風呂に入って体を洗うのが一番良い。入浴せずに寝てしまうと、邪気が少しずつ溜って行き、それで最終的に風邪をひいてしまう事に成るのだ。特に病院に行く時は気を付けるべきであって、病院に行ったのなら、必ず入浴して体を洗った方がいい。
 
 肌を露出させない格好をするという事も邪気防止には役立つ事に成る。女性の場合、ミニスカートなど足を露出させるような格好をしていると邪気にやられ易い。肩を露出させるような格好をすると、これまた邪気にやられ易い。暑かろうが寒かろうが肌を露出させない方がいいのだ。
 
 しかし肌を露出させない格好をしたとしても、どうしても首だけは露出させてしまう事に成る。だからマフラーが必要なのであって、マフラーをする事で邪気が付くのを防ぐのである。夏は暑くてマフラーなど巻けないのだが、その代り暑さで汗を流しているので、それが巧くコーティングしてくれ、邪気にやられなくなるのだ。
 
●赤いマフラー
 
 赤いマフラーは外出時に使用する物である。赤色が魔除けになってくれるので、邪気が付かなく成るのだ。赤いマフラーだと、どんな服でも似合うので、マフラーのために衣装がダメになってしまうという事がなくなる。マフラーを付けるのは服を着た後でやる事だから、マフラーはどんな服でも似合うようにしておくべきなのである。
 
 赤いマフラーだとたとえ汚したとしても汚れが目立たない。マフラーを汚す事は滅多にないものだが、それでも汚す事は有り得る。マフラーを汚してしまった場合、汚れのためにマフラーを外すとなると、首を無防備にしてしまう事に成るので、汚れてもいいような色にしておく事は必要な事なのである。
 
 赤いマフラーは目立つがゆえに、万が一、落としたとしてもすぐに気づく事に成る。マフラーを落としてしまう時は、屋内でマフラーを外した時である。赤い色であるなら、すぐに目立つので、それで落ちたマフラーを拾う事が出来る。マフラーを落として帰るような事があれば、それは確実に邪気にやられてしまう事を意味する。
 
 独身女性たちにしてみれば、赤いマフラーは恋愛運を上げる事に大いに役立つ事に成る。女性が赤いマフラーを首に巻くと、顔が綺麗に見えるので、それで男性たちが寄って来る事に成る。下手に化粧を厚くするよりは、顔以外の所を巧く使って顔を美しく見せた方が、いい男性が寄って来るというものなのである。
 
 首にはプラークが出来易いので、中高年の女性とかにしてみれば、赤いマフラーを巻く事で首を温める事に成るので、それで血栓が出来にくく成る。プラークが飛んだ場合、血栓が出来てしまうのであって、それで脳疾患を引き起こしてしまうのである。逆に言えば、マフラーを巻かないとそれだけ首が冷え、プラークが出来易いし、飛び易いのである。
 
●白いマフラー
 
 白いマフラーは睡眠時に使用する物であり、赤いマフラーではなく白いマフラーを使うからこそ、魔除けに成るのだ。色の中では白こそ最高の色であって、神社では白い服を着て祭祀を行う。だから睡眠時には白いマフラーを付け、寝ながら体を浄化させていくという事をするのである。
 
 白いマフラーを首に巻いて寝ると、確実に寝汗をかける事が出来る。首で体温調整を行って居るので、首に白いマフラーを巻いてしまうと、自然と体温が上昇するようになっている。冷え性で困っているような女性は是非とも白いマフラーを首に巻いて寝るようにすれば、冷え性が治って行く事であろう。
 
 寝汗をかくという事は汚れるという事である。マフラーが臭く成ってきたのならすぐに洗濯に出す。マフラーを洗う時、ネットに入れて洗わないと、傷みが激しく成ってしまう。マフラー自体、洗濯の頻度が少ないという事を前提に作られているので、そんなに耐久性はないのだ。
 
 白いマフラーは幾つも用意しておいた方がいい。洗濯してその日に渇かなければ、マフラーを巻いて寝る事が出来ないので、それでマフラーを幾つも用意しておけば、洗濯に出しても他のマフラーを使う事が出来、それで常にマフラーを巻いて寝る事が出来るように成るのである。
 
 もしも旅行などに行って外泊する場合、タオルが代用品と成り得る。旅館やホテルのタオルは白色なので、白いマフラーの代用品としては持って来いの物なのである。旅館やホテルには地縛霊がいる可能性があるので、邪気に触れる確率は格段に高く成る。だからその対策をすべきであって、地縛霊が見えた見えないのと騒ぐよりも、タオルを使って防ぐという事をすべきなのである。
 
●紅白のマフラーでおめでたい状態にする
 
 赤いマフラーと白いマフラーを交互に使うという事は、自分をおめでたい状態にさせ、それでより多くの幸運を得る事が出来るようになる。冬は地味な格好になりがちだ。そんな格好をしているからこそ、いい事が起こらないのである。いい事を起こすためには、格好を変えて行くしかないのだ。
 
 独身女性の場合、結婚するまでに成功していかなければ成らないので、男性たちのペースで仕事をするのではなく、猛スピードで仕事をしていかなければ成らない。確かに実力も大事なのだが、それ以上に「運」も大事なのであって、自分の運勢を高める工夫という物をすべきなのである。
 
 既婚女性の場合、自分が妊娠出産育児のために、自分が働くのではなく、自分の夫を働かせ、それで家族を豊かにして行かなければ成らない。だから自分の運勢を高め、それで夫の支援を行うという事をする。そういう事をやるからこそ、別に自分が仕事をしなくても、豊かな生活を実現していく事が出来るのである。
 
 丙申の年はいい事が起こりにくい。このため普通の人たちは自分の身にいい事が起こらず、それで無駄に1年を過ごしてしまう。しかしタマティーからのお年玉プレゼントで赤いマフラーと白いマフラーを貰った人たちにはいい事が起こってしまうので、それで普通の人たちと圧倒的な差を付ける事が出来てしまうのである。
 
 それではどうやってこのタマティーからのお年玉プレゼントを貰う事が出来るのかというと、洋服屋さんに行って赤いマフラーと白いマフラーを手にし、それをレジに持っていき、レジの人に言われた金額を支払うと無事貰う事が出来てしまう。後はそれを自分で自由に使えばいい。そうすると、いい事が起こりまくる事に成るので、このお年玉プレゼントの凄さを体感する事が出来るようになる。

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平成28年度のタマティーの大予言

明けましておめでとうございますheart04lovelyheart04

 小説に関してはまだまだ悪戦苦闘中ですが、今年こそ、いい報告が出来るようにします! まさかこんなにも苦労するとは思わなかった。新人賞を取るだけでなく、ベストセラー作品になる物は既に出来上がっているのだけれども、後は出版社の判断次第という事なので、後1歩の所まで来ています。

●「丙申」の意義

 平成28年度は「丙申」であり、「丙」は十干で3番目、「申」は十二支で9番目であり、天の気は益々盛んになるが、地の気はまだまだあるが徐々に弱り始める。この天の気と地の気が違うという事が、思わぬ変化を引き起こすのであり、国民の方はゆっくりとしたいのに、政府の方は忙しく動いてしまうという事に成る。

 「丙」は「脚の張り出た台」の事であって、そこから「伸びる」「広がる」といった意味が出て来た。台には脚がある以上、必ず伸びるのであって、伸びない事はない。しかし台である以上、上に台があるために上には伸びないのであって、伸びて来る先は下の方という事になる。

 「申」は「稲妻が走る」という物で、そこから転じて「伸びる」の意味が出て来た。伸びるといっても、一気に伸びるのであり、だから申年は油断が出来ない。突発的な出来事が起こり易いのであって、油断しているとその出来事のために大量の死傷者を出す事になってしまう。

  だから丙申の年は、

「政府は天の気を受けて拡大していくが、国民の方にはいい事も悪い事も極端な形で出て来る」

という事を意味する。政府の動きと国民の動きは違うのであって、政府の事ばかり見ていると、とんでもない目に遭ってしまう事に成る。

●丙申の年に起こった出来事

 過去に於いて丙申の年に起こった出来事にはいい事が殆どない。

①昭和31年(1956)

 今から60年前の昭和31年には新教育基本法が制定された、この新教育基本法によって日本の学校教育に於ける問題は深刻化し、未だに解決を見ていない。地方自治体に於いて教育委員会が独立した機関になっているために、都道府県知事や市町村長が選挙で選ばれても、教育改革を実施できないので、それが問題を長期化させている原因であるのだ。

②明治29年(1896)

 今から120年前の明治29年には民法が制定された。この民法は日本が近代化していくためには絶対に必要だったのだが、四民平等に基づいて現実の階級差を無視したがために、士族たちの家族制度を庶民たちにも押し付けてしまった。それでこの家族制度に反発する者たちが出て来て、その殆どが社会主義へと走ったがゆえに、戦前の日本は階級闘争で苦しみ、最終的には大東亜戦争で大敗北を喫してしまったのである。

③天保7年(1936)

 今から180年前の天保7年には天保の大飢饉が発生している。大雨による洪水と冷夏による冷害が原因で、餓死者数は30万人に達した。米不足ゆえに、百姓一揆が多発し、江戸の四大飢饉の中で最も多くの百姓一揆が発生した。長州藩と薩摩藩はこれを機に藩政改革に乗り出し、それで幕末に於いて活躍でき、討幕を行う事が出来た。

 丙申の年に起こった出来事を調べてみると、日本は丙申の年の使い方が巧くない。国民が一丸となって同じ目標に突き進んでいる時はいいのだが、政府と国民が違う方向に向かって走る時には意外と巧くいかないのである。だから丙申の年は気を付けるべきであって、慎重に慎重を重ねなければならないのだ。

●政治

 今年は選挙権の年齢が18歳以上に引き下げられた上での参議院議員選挙が行われる。政府としては国民により政治的関心を持って貰おうとしたいのだが、結果は必ず逆になる。確かに一時的には盛り上がる事であろう。しかし国民の、特に若者たちの政治的無関心はこれを機に増大していく事に成る。

 選挙権の年齢が18歳以上という事は、高校生でも投票できる事に成るのだが、そうなれば高校の教師たちには政治的中立性が厳しく求められなければならない。そうしないと公正な選挙を実現できないからだ。だが公立こ高校の教師たちは政治的中立性を絶対に守らない。だから日教組を殲滅する事が最優先課題になってくるのだ。 

 今年、韓国では大事件が発生する事に成る。その大事件がどのような物になるかは解らないが、パク・クネ大統領は今年、天中殺のド真ん中なので、何をやっても裏目に出るようになる。大事件が悲惨なだけでなく、その後の処理も間違った物になり、余計に被害が拡大する事に成る。 

 中国では民衆の暴動が発生する事に成る。原因は経済不況だが、中国共産党員たちによる汚職も、原因の1つになってくる。暴動に対して中国政府は武力を用いて弾圧してくるので、民衆の不満は相当に激しい物に成る。日本企業は一刻も早く中国から撤退すべきであって、革命が起こってからではもう全てが手遅れになってしまう。

 極東アジアの情勢は非常に不安定になる。絶対に安定する事はない。日本政府は下手に外交交渉を行うより、軍備増強に走るべきであって、特に海上自衛隊の戦力を増強しておかないと、何かしらの紛争が起こった時に日本が負けてしまい、それで悪い方向に一気に突き進んでしまう事に成る。 

 アメリカ合衆国は未だに覇権国家であるが、「大統領が44代目の時にその覇権が終わる」と神によって定められているので、「オバマ大統領の暗殺」というような象徴的な事件が起こる可能性はある。オバマ大統領はユダヤ教徒たちの言いなりになる事を拒否しているので、それでユダヤ教徒たちが強硬手段に訴えて来るかもしれない。

●経済

 今年の前半は景気が好調であっても、株価は秋に大暴落する事になる。夏にはリオデジャネイロオリンピックがあるので、オリンピックによる一時的な景気上昇には惑わされるな。オリンピックが終われば株価は大暴落する事に成るので、株券は高値の時に売ってしまい、大暴落による損害を受けないようにしなければ成らない。

 今はデフレが進行中なので、マスコミとかでは経済の変化がなかなか報道されない。経済の本当の事が解るのは、マスコミに出ない情報をせっせと集めていく事でしかない。だから未だに一般紙を読んでいるような人たちは、経済不況になると直撃してしまい、収入を思いっきり低下させる事になってしまう。

 日本マクドナルドは今年正念場になるであろう。業績が余りにも低迷しているので、アメリカの本社は日本マクドナルドの売却を検討しており、本当に売却するかもしれない。業績の低迷はバカな女性が社長になっているからなのだが、社長を交代させなければ業績はもっと悪化していく事に成るであろう。

 日本企業はとにかく中国からの撤退を加速させた方がいい。中国リスクは想像以上に高いのであって、秋に株価が大暴落すれば、中国国内がどうなるか解らないので、早目に撤退し、中国の事で貴重な時間を奪われないようにしなければ成らない。日本政府は中国政府に対して常に弱腰なので、いざ日本企業が事件に巻き込まれても、ちゃんとした対応を取ってはくれないから、それで被害が拡大する事に成る。

 オリンピックに対して一言言っておくと、日本の選手たちはブラジルには早くに現地入りした方がいい。時差があるし、気候が違うので、体が馴れるまで時間がかかるからだ。ブラジルには日系人がいるので、その伝手を使えば長期滞在する事も可能であろう。ブラジルのお物価は安いので、長居したとしても別に痛くも痒くもないのだ。

●自然災害

 今年は自然災害に要注意である。自然災害は必ず起こる年であって、何も起こらないという事は絶対に有り得ない。特に「台風による洪水」は日本国内のどこで起こってもおかしくはない。気を付けるべきは長雨の後に台風が来た時であって、これをやられると洪水が発生してしまい、死傷者が大量発生する事に成る。

 危険度が高いのは、三重県や愛知県であり、台風のコースが九州や四国に上陸してではなく、中部地方で上陸してしまうと、災害の規模は非常に大きくなってしまう。台風の進路はここ数年、東の方向に移動している事を考えると、今年は中部地方に大きな台風が来るというのは、正月の段階で予想できるのである。

 今年は火山の噴火が起こるかもしれない。既に去年の段階で、阿蘇山で噴火が起こっているので、日本の火山は活動期に入ったと見るべきであり、火山に対しては絶対に油断してはならない。丙申の年は前兆現象があってその後に噴火してくるのではなく、行き成り噴火してくるのであって、火山には近づかない事だ。

 火山が噴火する以上、地震だって起こる。「最近、地震がないな~」と思っているのなら、その地こそ危険なのであって、突如、大きな地震が発生する事に成り、被害が拡大する事に成る。東日本大震災後、関東地方での地震は減少しているので、逆に関東地方こそ危険という事に成る。

●個人レベル

 丙申の年を個人レベルでは一体どうすればいいのかといえば、

「政治には一切期待しない」

というのが最善の選択肢となる。政府は今年、国民の意に反した事を平気でやってくる。特に気を付けるべきは法律であって、新しい法律を制定すると、将来に於いてとんでもない悪影響が出て来てしまったりする。

 秋には株価の大暴落が起こる以上、これに対する備えを事前にしておく事は絶対に必要である。株券は高値の時に売ってしまうべきであって、何もせずに所有し続ける事をすべきではない。機関投資家たちほどマスコミの情報に騙され易いので、個人投資家たちはマスコミの情報に騙される事無く動くべきなのである。

 また自然災害を起こる事が予想される以上、防災意識を持ち、災害に備えて準備をしておく事は絶対に必要となる。災害時にどこに避難すべきか確認しておくだけでも、災害時に死傷者を出さなくて済むようになる。「災害は忘れた頃にやってくる」のであって、オリンピックで日本中がフィーバーすれば、国民の殆どが油断してしまうので、そこに災害が直撃してくる事に成るのだ。

 今年はいい事も悪い事も一気に広がる年なので、最初から猛スピードで進むのではなく、当面の間は通常のスピードで進み、何かあれば一気に加速できるようにしておいた方がいい。最初から猛スピードだと、何かがあった時にはもうバテており、それでは加速する事ができず、それで絶好のチャンスを逃してしまうのである。

Portrait.Of.Pirates ワンピース STRONG EDITION トニートニー・チョッパーVer.2

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