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2016年2月

池田理代子に対して勝手に運命鑑定!

●理代子は良子なんだけど
 
 池田理代子の「理代子」とは「良子」の事であって、良子よりも強調される名であるが、良い部分が強調される余りに、それが巧く行く場合と、巧く行かない場合とがある。
「良い子」 非常に頭がいい優等生タイプ
「悪い子」 実行力が全く伴わない口舌の徒
池田理代子の事を考える際、この両極端な性格が必ず出て来る事を絶対に忘れてはならない。
 
 優等生だったからこそ東京教育大学(現:筑波大学)に進んだ訳だし、口舌の徒だからこそ漫画家に成ったのである。漫画家に成ればトップを目指して邁進し、本当に一番人気を獲得してしまった。そのくせ漫画家として精進し続けず、音楽大学で音楽を学んで、歌手になったりしてしまっている。
 
 女性が優等生の場合、その行きつく先は「王妃」とか「女王」とかであり、普通の女性が獲得できるような幸せなど最初から求めて来ない。俺が池田理代子を見てつくづく思うのは、
「この人は女王様になりたかったんだな~」
という事であり、事実、彼女は漫画『女帝エカテリーナ』を書いている。
 
 池田理代子はフェミニズムの影響を受けているが、絶対にフェミニストではない。自分の頭で良く考えている。フェミニストたちのように洗脳されている訳ではない。東京教育大学に進学したのなら、将来は学校の教師になる筈だったのであろう。だったら女性の社会進出とかは一切関係ない。既に出来ているのだから。
 
「自分は女王様なのだから、世間の人たちは私にそのように接しなさい」
と思っているのであって、だから社会で通常の扱いを受ければ、猛反発してくる事に成る。彼女がフェミニズムの用語を使用するのは、この手の用語を使えば敵を攻撃できるからなのであって、本心はフェミニズムとは全く違う考えを持っている。
 
●「理」「代」「子」は全て吉字
 
 池田理代子の「理代子」の文字は全て吉字であり、彼女の生家が先祖代々武家の家というのは非常に納得できる。両親が功徳を積んでいるからこそ、吉字を選べ、しかもその名を与えられた娘は漫画家として大成した。名で使える漢字は少ない物だが、それでも選ぶ時に徳があるのかないのかが出て来てしまうものなのである。
 
「理」は「玉の筋を美しく見せるように磨く」というのが字源で、そこから転じて「治める」と言う意味が生じた。名に「理」の字があると、理路整然と話す事が出来るし、物語を作れば実に巧い物語構成を作り上げる事が出来る。大事な事は「筋」なのであり、筋を通すと巧く行くが、筋を通さないと巧く行かない。
 
「代」は「二本の木を交差させて作った杭」の事で、そこから転じて「代わる」という意味が生じた。「代」の名を持つ女性は1つの事をやるより、複数の事をやるようになる。だから「良妻賢母」になる女性が多いし、仕事をすれば様々な仕事をこなしてくる。女性は1つの事に集中するより、複数の事をやった方が成功し易いから、それで女性の名には「代」の字が使われる頻度が高い。
 
「子」は「乳児」の事で、そこから「子供」の意味が生じた。女性の名に「子」があると、子宝に恵まれるものだし、締まりが実に良く成る。欠点としては乳児が頭でっかちのように、机上の空論に走ってしまうという物がある。池田理代子は結婚したが、子供はいないので、どうしても空理空論から抜け出せないのであろう。
 
●19画の芸能数
 
 池田理代子の地格は19画なので、父親とは縁が薄い。父親から離れると成功し易くなる。しかも19画は芸能数だから、芸能関係の方に進めば、突如、大ヒットを飛ばす事が出来るように成る。『ベルサイユのばら』の大ヒットは芸能数のなせる業であろう。他の女性漫画家でここまで大ヒットがないのは、芸能数を持っていないからである。
 
 19画の女性は母性本能が非常に強い。だから赤ちゃんを産まなかったのは大いにロスといえる。子供を産み育てれば、運勢はもっと良くなっただろうし、自分の考えだって変わっていった事であろう。因みに彼女が猫好きであり、その手の本まで出しているのだが、猫を飼う事で母性本能を満たしているともいえる。
 
 人格は16画なので、「人に尽す」という事をしなければ成らず、人に尽していると運が良くなり、思わぬ幸運が訪れてくる事に成る。結婚、離婚、再婚、再離婚、再々婚と繰り返したのは、人格が16画であったからであろう。女性漫画家は仕事が特殊なので、結婚するのが難しいし、結婚しても維持するのは更に難しいのだが、最終的に結婚でき、それを維持できたのは非常に立派である
 
 総格は30画だから、浮き沈みは激しいが、地道に漫画を描いているのなら別に深刻な問題は起こらない。危険になってくるのは、仕事をしなくなった時であり、老齢になったからといって老後を優雅に過ごそうと思うと、事故や病気で全てを失う事になる。労働時間を減少させてもいいから、死ぬまで働き続ける事が必要になってくる。
 
●亥戌天中殺
 
 池田理代子は亥戌天中殺なので、とにかく生まれ故郷から離れないと運が開けて来ない。彼女は大阪府生まれなのだが、中学生になる前に千葉県の柏市に引越したので、それが幸運を齎した。幼馴染みがいなくなってしまったので、中学生や高校生の時に自分の世界を持つ事が出来、それが漫画家になった時に大いに役立ったのである。
 
 亥戌天中殺は「溜め込んで放出」をすれば大ヒットを飛ばす事が出来る。『ベルサイユのばら』の大成功は資料を溜め込んだからであり、その後、『ベルサイユのばら』ほどの大ヒットが出て来ないのは、溜め込んで放出するという事をしていないからである。この手の女性は数よりも質なのであって、圧倒的に高い質で勝負するからこそ勝利していく事が出来るのだ。
 
 亥戌天中殺は結婚運に恵まれ、子宝にも恵まれるから、それなのに結婚はしたが、子供を作らなかったのは実に惜しい。子供たちがいると、子供たちの力によって自分の心が解れていくのだが、子供たちがいないとそういう事が起こらないので、それで心が頑なになってしまうのである。
 
●娘がAB型だと
 
 池田理代子の血液型はAB型なのだが、彼女は本当に二重人格であり、彼女の発言には矛盾した物が多々あり、彼女の意見を幾ら聞いても、その意見を鵜呑みにしてはならない。心の中では全く別の事を考えている事もあるので、普通の人たちだとまんまと騙されてしまう事に成る。
 
 娘の血液型がAB型なら、娘は二重人格だと理解しておいた方がいい。人格は1つだけというのは、他の血液型の人たちの事なのであって、AB型は二重人格が当たり前なのだ。出来る事なら「芸能の世界」にやった方がいい。芸能界ではAB型は成功し易い。スタイルがいいなら、ファッションモデルにでもした方がいい。
 
 父親がB型で母親がA型だと、子育てに於いて最悪の結果が生まれかねない。娘は父親の無責任ぶりに猛反発してしまい、それで手の付けられないような荒れ方をしてしまうからだ。池田理代子の父親は遊び人の色男で、娘の在学中に学費を打ち切った所をみると、父親はB型じゃないかと思う。
 
 父親がA型で母親がB型だと、母親は娘を自由に育ててしまうのだが、父親は世間の常識に従って欲しいと思ってしまう。娘は世間の常識通りには生きないのであって、父親の抑圧に抵抗してグレる事も有り得る。父親は娘の半分を理解すれば充分であり、残りの半分は理解不能だと思った方がいい。
 
 父親がAB型で母親がA型かB型だと、娘は母親との仲が良いのだが、それでいながら父親の二重人格ぶりにショックする事になる。父親がAB型ゆえ、父親と揉める事はないが、それでも揉めないからこそ、いつまでも自宅に居続けてしまう。AB型の娘はとにかく家から追い出すべきであって、その二重人格を利用して、仕事で成功していくべきなのである。

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只今『ベルサイユのばら』に嵌っております

●『ベルサイユのばら』は最高傑作
 
「女とはなんて現実的な生き物なのであろう」
 
 うちの母親が「ティーポットが欲しい」というからこそ、誕生日プレゼントで俺がティーポットを贈った。そのティーポットは俺が半日かけて探し出し、デザインも良く、機能的でもある。しかし値段が300円と解ったら、なんの感謝もない。お金持ちになればなるほど、高価な物を誕生日プレゼントとして贈らないというが、大事なのは「お金」ではなく、贈った人の「アイデア」だったり、「愛情」だったりするから、それでそういうようになるのであろう。
 
 まあ、仕方なく、 母親への誕生日プレゼント第二弾として、
 
アニメ版『ベルサイユのばら』全八巻
 
を贈る羽目になった。
しかし、これに嵌ったのは、贈った本人であり、母親そっちのけで見入ってしまった。抜群に面白い!
 
 内容が濃いために、1日2話か3話を見るのが精いっぱい。このため全てを見るのに16日間以上もかかってしまった。半月もの間、何かに嵌るというのは、トルストイの『戦争と平和』以来なのだが、池田理代子の『ベルサイユのばら』はトルストイの『戦争と平和』を遥かに上回る作品であり、最高傑作だと言っていい。普段手厳しい俺が最高の評価を下すのだから、本当にそうなのである。
 
 因みに、原作の漫画とアニメ版とでは内容がかなり違う。漫画の方はオスカルとアントワネットとフェルゼンの三者が主人公で、このために話が重層的になる。これに対してアニメ版の方はオスカルが主人公になっていて、こちらはこちらで爽快感がある。漫画は作者が女性の池田理代子、アニメ版の総監督は男性の長浜忠夫と出崎統なので、それで違いが出て来るのであろう。
 
 俺がアニメ版の『ベルサイユのばら』を見たのは子供の頃で、しかも再放送の物を見た。といっても、学校とか遊びとか用事が入るために、飛び飛びでしか見ていない。それが大人になってから纏めて一気に見られるのだから、話が実によく解った。『ベルサイユのばら』は子供が見ても、よく解んない話だと思う。
 
●オスカルって14歳から近衛隊隊長?
 
 原作ではオスカルは13歳で近衛隊に入隊し、15歳でマリー・アントワネットを迎えにいく大役を授かる。階級位は近衛連隊長付きの「大尉」だから、15歳なのに階級位が滅茶苦茶高い。軍隊の階級制度を知らない人たちのために説明しておくと、士官たちは、
 
「准尉」→「少尉」→「中尉」→「大尉」
 
と階級位を進む事に成るので、オスカルはジャルジェ将軍の息子として非常に優遇されていた事に成る。
 
 アニメ版では14歳で近衛隊隊長になっている。この「近衛隊」というのがよく解らない。歩兵を引き連れているので、恐らく「近衛歩兵隊」であろう。後にオスカルは近衛騎兵隊隊長に昇格するから、近衛歩兵隊と理解するのが妥当だと思う。「近衛連隊」が存在する以上、「近衛歩兵隊」「近衛騎兵隊」「近衛砲兵隊」によって1つの連隊を形成した筈である。
 
 このオスカルがフランス革命の際に34歳で死去する。女の34歳といえば、結婚適齢期が終わったまさにその翌年である。道理で女性たちが嵌る訳である。女性が人生の中で変化する時期とピタリと一致するから、この時期でしか感じられない事や経験できない事を書き続けていけば、若い女性たちの心を鷲掴みしてしまう事だろう。
 
 もう1つ指摘してしまうと、
「オスカルって結構年なんだ~」
という事であり、女性が34歳になれば、もうちょい老けていていいと思うのだが、そこは漫画でありアニメであるので、年齢に相応しくない若々しい姿が書かれている。
 
 漫画の『ベルサイユのばら』は池田理代子が24歳の時に1年間かけて描いた物だから、オスカルの年齢が25歳を超えると、読んでいる方としては、
「オスカル、甘いよ」
「ダメだね、そんな事じゃ」
と突っ込みをいれたくなってしまう。単行本では10巻になるので、もっと時間をかけて描いたと思いきや、そうではないので、それが実に残念な事である。
 
●オスカルってやっぱり女
 
 オスカルは性別的には女性なのだが、男性として育てられ、男性として生きているので、それで男の俺でもオスカルに感情移入する事が出来てしまう。女性が主人公だと、どうやっても感情移入など出来ないので、このオスカルというのは実に有難い。このためアニメを見終わると、言動がオスカル調になってしまう。
 
 しかしオスカルは所詮「女」なので、
「オスカルってやっぱり女だな~」
と解る時が度々出て来る。例えばマリーアントワネットがフェルゼンを好きなると、女性のオスカルは気づくが、男性のアンドレは気づかない。これは現実世界では確実にありえる事なので、笑ってしまう位に面白い。
 
 オスカルが批判に弱いのも、オスカルが女性だと解らせる事に成る。例えばロベスピエールやベルナールたちから貴族精度の事を批判されると、オスカルはただそれだけの事で動揺し、参ってしまい、その後、近衛連隊長を辞めて、衛兵隊に行って、最終的には革命側に付いてしまう。
 
 男性の場合、
「30にして立つ」
と言われるように、30歳までには精神的に自立してくる。オスカルがどんなに男勝りで生きようが、この現象が全くないので、こうなれば、ただ単に父親から男として生きるように命じられ、そのまま精神的に自立する事無く生き、そして死んで行ってしまう事に成る。
 
 オスカルが女性であると考えたのなら、結婚適齢期が26歳から33歳と長い期間あるので、この時期にもっと変化があっていい。それすらないのだから、オスカルは或る時期から成長をピタリと止めてしまった事に成る。尤も池田理代子が25歳で連載を終了している以上、原作者自身、我が身の変化を経験していないのだから、仕方ないといえば仕方ない。
 
●オスカルの体形
 
 オスカルの体形を調べてみると、なんと、
「身長178センチ」
「体重58キロ」
で、でかいし、痩せているし、「ファッションモデルか!」と言いたくなってしまう。この身長でこの体重なら、何かしらのスポーツをやっていないと、この体形を維持する事は出来ない。オスカルが「馬術」「剣術」「射撃」をやっているのは、それなりに理に適っているのである。
 
 オスカルの3サイズは、
「バスト 87センチ」
「ウェスト 63センチ」
「ヒップ 90センチ」
になっているのだが、オスカルはそれなりに胸があるという事になる。漫画でもアニメでもオスカルには胸がないので、このデータと完全に矛盾する。恐らくオスカルの3サイズは原作者の池田理代子本人のデータじゃないかと思う。
 
 オスカルはジャルジェ将軍の第六女で「末娘」。この末娘というのが重要なキーワードであり、オスカルが結構気楽で生きているのは、末娘だからこそなのである。長女だと責任感があるし、次女は頭が良い傾向にある。自分の年齢が上がって来ると、オスカルへの魅力が減少してしまう事に成る。
 
 オスカルの血液型は不明だが、原作者の池田理代子は恐怖の「AB型」。AB型の女性は誰がなんと言おうが「二重人格」の持ち主。登場人物の性格といい、描き方といい、実に巧いのはこのため。俺の言っている事に文句がある人は、横山光輝の漫画を読んで欲しい。似たような連中が大量に出て来るので、読者としては実に困るのだ。
 
 オスカルは晩年に結核に罹るのだが、これは少女漫画の定番。少女漫画家で一流になるような人は、必ず作品の中でヒロインが結核で死んでいく物語を書いている。池田理代子は定番を取りつつも、結核の発症で死を暗示し、最後には射殺される事で死ぬので、非常に巧く捻っているのだ。これもAB型の成せる技である。

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母親への誕生日プレゼント事件

●父親の死から3年
 
 父親の死から3年経って、母親は誕生日を迎えた。誕生日ではいつも祝っているのだが、服喪という訳ではないが、誕生日プレゼントを贈る事は控えていた。父親が死んでから様々な事が変わったので、そちらの方が忙しく、誕生日プレゼントを贈る気持ちすら起こらなくなったという方が本音かもしれない。
 
 しかし今回の誕生日では誕生日プレゼントを贈る気になった。そこで或る人に相談したら、
「女性は幾つになってもスカーフや帽子や洋服といった物ならなんでも喜ぶものよ」
と教えれたので、それで今回は、
「スカーフ」
を贈る事に決めた。
 
 ところが母親の親友が誕生日の直前になって洋服を贈り、その洋服に対して母親は、
「柄がちょっとね~」
とケチをつけていたから、急遽、変更する事にした。柄の好みは人それぞれなので、息子の俺がいいと思った物でも、必ずしも喜んでくれるとは限らないからだ。
 
 そこで俺は、
「ティーポット」
を贈る事に決めた。我が家にはティーポットがなく、母親は、
「ティーポットが欲しいわね~」
と言っていたからだ。ティーポットなら喜んでくれる筈である。
 
●ティーポットを探しまくり
 
 ティーポットを探すのに、半日用意した。ティーポットにも好みが存在するのであって、一発で探し当てる事は出来ない。時間をかけて探し出さないと、いい物を見つけ出す事は出来ないのだ。予算は5千円である。費用が高ければいいという物ではない。手頃の値段だからこそ喜ばれる物なのである。
 
 まずはユーズドショップに行った。店に入るとすぐに、1万5千円の品が4700円で売られているティーポットがあった。消費税を入れると予算を少しオーバーしてしまうが、許容範囲内であろう。しかし絵がダサい。しかも取っ手が掴みにくい。これではダメであり、俺は他の物を探した。
 
 陳列棚を一巡して戻って来ると、なんと最初に目を付けていた物がもうなかった。売れてしまったのであろう。実に残念な事だが、
「これは神様がここでは買うな」
と言っているのだと思い、他の店に行く事にした。
 
 しかし散々探しまくっても見つからなかった。そこで、
「100円ショップに茶器が売っていたな~」
と思い出し、それで100円ショップに行く事にした。するとこれまたすぐさま300円でティーポットが売られてのを見つけ、無地なのではあるが、そのデザインが実に良かった。
 
 因みにこのティーポットがはタイ製で、タイは紅茶を飲むので、それでこんなにも出来のいい物が作られていたのである。中国では中国茶を飲むために、中国茶用の茶器はあっても、紅茶用の茶器で出来のいい物はないのだ。これは日本も同じで、日本だと緑茶か珈琲を好んで飲むので、紅茶用の茶器には物凄く弱い。
 
 俺は滅多な事では100円ショップに行かないので、レジでティーポットを買うと、店員が、
「新聞をどうぞ」
と勧めてくれたのだが、100円ショップは商品を買った人に無料で今日の新聞をくれるのだ思い、感激してしまった。
 
 ところが貰った新聞はかなり前の物であり、しかも1枚1枚に切り取られている。なんてことはない。これは茶器を包むための包装紙であり、自分でティーポットをその新聞紙で包めという事なのである。100円ショップはお客が多いので、普通の店のように店員が包んでいる閑などないのだ。
 
●思わぬ失敗
 
 自宅に買って来ると、まずはティーポットの底に張られていたシールを剥した。電子レンジにも耐えられますとか書いてあったのだが、そういうシールは無粋であり、贈る前に剥しておいた方がいい。その上でティーポットを包装紙で包み、見事、誕生日プレゼントが出来上がった。後はバレないように隠しておいた。
 
 いざ誕生日当日になったのだが、肝腎のケーキを買い忘れた。我が家では誕生日ケーキは必ず手作りであり、ケーキ屋で出来上がったケーキを買う事はない。但しスポンジは買う。しかしそのスポンジを間違え、デニッシュを買ってきてしまった。とはいっても丸い形をしているので、それでも良しとした。
 
 デニッシュでケーキを作ると、それは「巨大な生シュークリーム」であり、実に美味であった。だがこの味は若者向けで、母親には多少きつすぎたらしい。デニッシュはバターの味が強いのだが、それを嫌ったのである。それでも全部食べたのだから、不味くて食えない物ではなかったのだ。
 
 母親は今回の誕生日プレゼントはなしと思っていたのだが、俺が誕生日プレゼントを贈ると、さすがに喜んだ。すぐさま包みを開けると。
「何これ! へ~、ティーポット! いいじゃない。300円」
と行き成り値段を当てやがった。
(母親は凄いな~)
と思ったら、なんて事はない。値札を外し忘れたのである。最後の最後で大失態を仕出かしてしまった。
 
 今回の誕生日プレゼントで最大の欠点はなんといっても、
「値段」
なのである。値段は300円である以上、この値段がバレるのが一番拙い。値段を知られてしまえば、なんてチャチな物を贈ったと思われてしまうからだ。でも品はいいのだ。散々探し回った挙句、俺はそれを選んだのであり、これは値段の問題ではないのである。
 
●商品の価値って一体何?
 
今回の誕生日プレゼントで
「商品の価値って一体何?」
と考え込んでしまった。値段なんてあってなきが如しであり、消費者に買われない限り、商品は価値を有しない。
 
 この問題はアダム・スミスが提議し、カール・マルクスが労働価値説を完成させる事で、その答えを導き出したのだが、社会主義国は労働価値説で経済を運営したら全く巧く行かず、社会主義国自体が「労働価値説は完全に間違っている」という結論を下す事に成ってしまった。
 
 まず労働価値説は理論的にも現実的にも絶対に成立しない。生産者が如何に労働を投入しようが、そんな事は消費者にとって関係ない事である。確かに商品は労働なくして出来き上がる事はない。だからといって商品の価値は労働価値で測れる物ではないのだ。消費者の側から見れば「使用価値」を取らざる得ない。かといってこれも正しいとは言えない。
 
「商品の価値は市場価値である」
 
 そう答えるしかない。商品は高価だからといって良い物とは限らない。ユーズドショップで売られていた物はまさにそれで、確かに値段は高いのだが、その商品を買った者は価値がないと思ったからこそユーズドショップに持っていき、店の方は格安の値段でそれを買い取って定価よりも値段を引き下げた上で売っていたにすぎない。
 
 俺は100円ショップで値段こそ安いが、
「この商品にこそ価値がある」
と判断して買ったのである。100円ショップの方は人件費の安いタイで作った以上、安価で売っても充分に利益は出る。買った俺の方も利益が発生しているのだから、それで取引は成立するのである。
 
 商品という物は売れなければゴミ同然の代物なのであり、売れるからこそ価値を有するに過ぎない。こんな事、商売をやればすぐに解るというのに、経済学者たちは自分で商売した事がないから、出鱈目な事を言っているに過ぎないのだ。

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一体何が「ゲス不倫」?

●「ゲス不倫の極み」増殖中
 
 ベッキーが川谷絵音との「ゲス不倫の極み」のために事実上廃業に追いやられたというのに、よりによって国会議員の宮崎謙介が「ゲス不倫の極み」を行い、国会議員を辞職する羽目になってしまった。この宮崎謙介のゲス不倫の極みは非常に悪質な物であって、妻の産休中に浮気をし、しかも国会議員として「育休を取ろう」と主張していたのである。
 
 はっきりと言わせて頂きます。
「男性が育休を取っても、やる事なんて何もありませんから!」
 それよりも仕事をして、お金を稼いで来い。男性にとって育児休暇は不要な物だから、「育休を取ろう」と主張していた国会議員が「育児休暇」の最中に、
「不倫休暇」
をやっていた訳である。
 
 日本語では既婚男性の不貞行為を「浮気」、既婚女性の不貞行為を「不倫」という。だから既婚男性の不貞行為に対して「不倫」というのは本来使用してはならない。しかし言語の歴史では言葉がひっくり返ってしまう現象が起こるので、それで既婚男性の不貞行為に対して「不倫」という言葉を使ってしまうのである。
 
 ゲス不倫とは、
「男性としてそういう浮氣はイカンだろう~と判断され、世間の人たちから非難を受けてしまう物」。
,「夫の不貞が悪質なため、結婚を破壊する事に成る物」。
「往々にして、ゲス不倫は〈ゲス不倫の極み〉に成る可能性が高い」。
と定義づける事が出来る。
 
「ゲス不倫」は新しい言葉なので、一体何がゲス不倫なのか明確にしておかないと、人々は、
「バスクリン」
と聞いただけ反応してしまったりする。
「バスクリンの極み」
というのは、ただ単にバスクリンを入れすぎだという事だ。
 
●「これはゲス不倫ではない」12連発
 
①「妻がシャブ中毒にかかっている際に行われる不倫」
 
 浮気をやる暇があるなら、とっと別れてしまった方がいい。妻がシャブ中毒に罹ったら、お金は幾らあっても足らないし、その内、ヤクザがやってきて、
「奥さん、えろう借金してんねん。払って貰いまひょ」
なんて言われかねない。
 離婚したのなら、妻をシャブ中毒に追い込んでしまった事を大いに反省しないと、また誰かをシャブ中毒に追いやってしまう事に成る。
 
②「妻がシャブシャブ中毒にかかっている際に行われる不倫」
 
「健康のため食べ過ぎには注意しましょう」
 シャブシャブなんて物は1年に1回程度食うからこそ美味しいのであって、毎日食べていたら絶対に飽きる。それにシャブシャブでは肉の旨味をお湯の中に落としてしまうから、絶対に「すき焼き」の方がお勧め。
 
③「妻が〈シャブばばぁ〉の肉を使って、〈ばばぁシャブシャブ〉を食っていると解った後に行われる不倫」
 
 恐怖の「人肉食い」。
 但し「不味そう~」
 所詮は婆さんの肉だからな。
 因みに正確には、
「シャブばばぁシャブシャブ」
 さて、ここで問題です。
「この料理に覚醒剤は一体何グラム使用されているでしょうか?」
 答えは、
「0g」
 
④「妻がプリン中毒にかかっている時に行われる不倫」
 
 妻がプリン中毒に罹る可能性は非常に高い。プリンのあの甘さ、それにあの量、小腹が空いたときには丁度いいのだ。しかし食べ過ぎてしまうと。糖尿病に罹ってしまうので、プリンを食べるのは程々にしておいた方がいい。それと妻を連れて遠出でもして、体内の糖分を燃焼させるような事をしなければ成らない。
 
⑤「妻の体形がほぼプリンと同じようになってしまった後に行われる不倫」
 
「気を付けよう。3サイズが全て同じ数値」
 女性は19歳以降、3サイズが膨脹していく事に成る。しかもなぜだかウェストの数値だけが猛スピードで上昇していくのだ。男性には理解不能な現象だと言っていい。女性の事をよく知っておかないと、
「バスト100センチ、ウェスト100センチ、ヒップ100センチ」
になってしまい、
「なんでお前はそんな体形になれるんだ?」
と男性は頓珍漢な疑問を発してしまう事に成る。
 
⑥「妻の冬眠中に行われる不倫」
 
「熊か!」
 冬になると睡眠時間が長くなるので、とにかく早寝した方がいい。早寝しても9時間も寝てしまえば、朝寝坊しかねない。妻が早々寝てしまうので、夫は人肌が恋しくなって浮気をしてしまったりする。冬に不倫が増加するのはそのためかもしれない。
 
⑦「妻の永眠中に行われる不倫」
 
「未亡人」
って聞くと、淫靡な印象を受けるのに、
「男やもめ」
って聞くと、なんにも感じない。
「未練を引き摺る男やもめ」か「性欲を剥き出しにする男やもめ」か。
どちらにしても綺麗じゃないな~。
 
⑧「妻が風林火山の旗を立てて、信濃の国に攻め込んでいる時に行われる不倫」
 
「信玄か!」
信濃の国って大きいから、なかなか現地の人たちは結束してこない。だから他国から攻め込まれる事に成る。甲斐の国は人々が纏るには丁度いい大きさなのである。それで武田信玄は甲斐の国を統一して、信濃の国に攻め込んだ訳である。
 
⑨「妻の口から〈それってまるで雷坊主の添い寝節ね〉と言われた後にする不倫」
 
ジャルジャル最高!
「ありそうでない諺」は今後大流行する可能性大である。例えば俺が作った、
「不倫自爆で袋叩き地獄」
なんてのは、不倫ネタが出る度に使えば流行する事だろう。
因みにベッキー騒動の際に矢口真里がテレビに出て、視聴者たちから猛反発を受けてしまったが、彼女はもう
「不倫アイドル」
として生きていくしかないであろう。
 
⑩「妻の口から〈私、あなたより愛犬の方が好きなの〉と衝撃的なカミングアウトを受けた後に行われる不倫」
 
 女性には犬派と猫派がいて、犬派の女性たちの方が忠誠度は高い。猫派の女性たちは家に居ついているといった方がいいかもしれない。犬派の女性が妻なら、夫はご主人様なのであって、或る程度、強圧的に臨んだ方がいい。そうしないと、とんでもないカミングアウトを受けてしまうのだ。
 犬ばかり相手にしていると、世間知らずに成ってしまうから、それで、
「愛犬家に悪い人はいないわ!」
なんて言ってきたりする。夫としてはこう反論するしかない。
「悪い人はどこにでもいますから!」

⑪「妻のマンコが悪臭マンコに成ってしまった後に行われる不倫」
 
 女性が1週間も便秘をすると悪臭マンコになる。何もしなければ問題はないのだが、その女性とセックスするとなると問題が大量に発生する事に成る。悪臭マンコに愛撫しろというのは無理が有り過ぎる。本来なら立つ物ですら立たなくなってしまうのだ。
「立て! 立つんだおチンチン!」
 妻が悪臭マンコになった場合に浮気をしたのなら、それは、
「確実に許される浮気」
であり、なんのお咎めもない。
 
⑫「妻のクリトリスが余りにも大きいから〈変だな~〉と思っていたら、それがおチンチンだと解った後に行われる不倫」
 
「結婚する時に全身を検査してから結婚しましょう」
 半陰陽でないにしても、女性たちの中には僅かではあるが、クリトリスが異様に大きかったりする女性がいたりする。体は女性なのだが、胎児の時に男性ホルモンがかかってしまうと、こういう変化が起こってしまう。
 だから妊娠中の食事というのは非常に大事で、妊婦だからこそ食事には気を付けなければならないのだ。
 
 

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年齢がゾロ目になったら、一体何が起こる?

●ゾロ目の法則
 
 人間、生きていれば、自分の年齢がゾロ目になる時があるのだが、殆ど人たちは自分の年齢がゾロ目になったというのに、ゾロ目の意味が解っていないから、それで1年間を無駄に過ごしてしまう。「ゾロ目の法則」というのがあって、この「ゾロ目の法則」が解ると、自分の年齢がゾロ目になった時、非常に効果的に使えるようになるのだ。
 
 ゾロ目は男女共々なるのだが、11歳と99歳は男女共々変化が起こるが、それ以外のゾロ目では男女が交互になって変化が起こる。
 
11歳 男女
22歳 男性
33歳 女性
44歳 男性
55歳 女性
66歳 男性
77歳 女性
88歳 男性
99歳 男女
 
 11歳は男女共々小学5年生であって、もう物心は着いた頃であろう。私立中学校に進学するなら、小学5年生までには学習塾なり予備校に行っておくべきであって、公立中学校に行くなら、学校以外の場所で何か習い事をやっておいた方がいい。この時期から始めると、物凄く伸びるから、一気にトップレベルに行く事が可能なのである。
 
 22歳は大卒の男性なら就職の年であり、どこに就職するかで人生が決まって来る事になる。大卒の女性も就職するのだが、女性の場合、結婚という物があるので、就職で自分の人生が決まってしまう事はない。今、人気の就職先は10年後にはダメになっているものだから、未来を見据えた上で就職しないと巧く行かない。
 
 33歳は女性にとって結婚適齢期最後の年であり、この時期にまでに結婚しておくべきであろう。33歳を過ぎてしまうと、結婚の事などどうでも良く成ってしまい、それで非婚の人生を歩んでしまう事に成る。「仕事はいつでも出来るが、結婚はいつでも出来ない」のであって、仕事のために結婚を犠牲にするのは絶対にやめた方がいい。
 
 44歳は男性にとって厄年が終わった年であり、人生のターニングポイントを迎える事に成る。実力は充分に備わっているので、仕事で大ブレイクする可能性は非常に高く成る。逆に言えば、この年までに実力を蓄えておかないと、仕事で大ブレイクする事が非常に難しくなってしまう。
 
 55歳は女性にとって閉経を迎える時期付近であり、閉経後に人生を大きく変えていかないと、人生を無駄に生きてしまう事になる。若い時はどうしても家庭の事にエネルギーを注がなければならないのだが、55歳になれば自分のエネルギーを外に向ける事が出来るので、それで今までとは違う生き方が求められるのだ。
 
 66歳は男性にとって定年退職が射程圏内に入る時期だ。男性は退職してしまうと、3年以内に死んでしまう者たちが続出する事に成る。だから定年退職しても、なんらかの仕事をし続けた方がいいという事に成る。老後の事をきちんと考えていないと、本当に老後を台無しにしてしまう事になる。
 
 77歳は女性にとってどう若く繕ったとしても、「お婆ちゃんの体」になってしまう時期であり、もういい加減に自分の老婆だと認めなければならない。この時期からは無理をしない生き方に変えていき、自分が面倒臭いな~と思う事はやめてしまった方がいい。そうやって自分の人生を身軽にしていくからこそ、長生きする事が出来るのである。
 
 88歳は男性にとって知力が衰え始めてしまう時期であって、頭を使う仕事はこの年齢になるまでにやり終えてしまった方がいい。88歳に成ったからといって、若者たちに何か遺そうと思っても、もうそれをやれるだけの体力も知力もないのであって、そういう事はもっと前からやっておくべきだったのである。
 
●運のいい事が起こる
 
 自分の年齢がゾロ目に成った時、「運のいい事が起こる」のであって、だからこの時期を逃してはならないのだ。例えば22歳の就職の事を考えれば、余程のバカな大学生でもない限り、いい所に就職できてしまう。33歳の女性なら、この時期までに運命の相手と巡り合えてしまう。通常の時期ではそういう事など起こらないのであって、自分の運気が良くなっている事を大いに利用していくべきなのである。
 
 運のいい事は自分の望んだ物が成就するなら、その変化を素直に受け取る事が出来るが、自分が望んでもいないのに全く違う方面で運のいい事が起こったのなら、その変化を素直に受け止める事は出来ない。しかし運がいい以上、一気に進めるべきであって、躊躇しては成らないのだ。
 
 自分の年齢がゾロ目になっている時は、運のいい事がただ単に運のいいようになっているのではなく、運の度合いが2倍になったり、3倍になったり、下手をすると10倍になっていたりする。それゆえ何か運のいい事が起こったのなら、「来た~ッ!」と感じて、突進していった方がいいのだ。
 
 しかしこの幸運は1年間しか続かないのであって、時間を無駄にすればするほど、運のいい事が起こらなくなってしまう。運の良さを巧く利用すれば、自分の人生が劇的に変化してしまう事に成り、今までの人生とは全く違った事になってしまうのである。無駄な時間があるなら、どんどん削っていった方が良く、そうすると何をやらしても集中して行く事が出来るのだ。
 
 年齢が高くなっていれば、結婚しているだろうから、運のいい事が起こり始めると、配偶者の力を巧く借りて、より成功していく事が出来るように成る。そうなっているからこそ、離婚など絶対にすべきではなく、結婚したのなら余程の事情が無い限り離婚しない方がいい。自分の人生が大当たりしてしまえば、今までの結婚で多少の問題があったとしても、もうそんな事は気に成らなくなるものなのである。
 
●魔が刺す事も

 自分の年齢がゾロ目になると、運のいい事が起こるのが、その反面、「魔が刺す」事も有り得る。通常の自分なら絶対にしないミスをやってしまい、それで自分が窮地に立たされてしまうのである。これは「注意深く生きなさい」と神様が教えているのだが、自分が謙虚になっていないと、なかなか神様の声が聞こえてこないのだ。

 例えば就職の際に、どうでもいいようなミスをやらかしてしまい、就職できず、就職浪人になってしまったという男性が出て来たりする。女性なら結婚直前だったのに、相手の男性が翻意し、他の女性と結婚してしまい、自分は結婚できなく成ってしまったとかいう女性が出て来たりする。

 今まで散漫な性格で生きてきたために、折角の大チャンスを自らの手で破壊してしまったのである。こういう時、「自分が悪かった~」と反省すれば、その後、いい展開になる事もありえるのだが、多くの人たちは自分の責任を取らず、「相手が悪いんだ~」と言い訳をし、それでまたとんでもない事態に陥ってしまうのである。

 魔が刺すといっても、死ぬほどの事件は起きない。これが厄年と大きく違う点である。厄年だと、死んでしまう事件が起こってしまったりする。災厄が訪れるかもしれないから、厄除けと言うのが存在するのだが、年齢がゾロ目に成っている場合、ゾロ目除けという物はないが、それはこの年では災厄が起こらないからなのである。

 かといって、魔が刺す事自体、注意力が低下しているという事であり、もしも魔が刺したのなら、その事件がどうのこうのではなく、「自分の注意力が低下しているな」と思った方がいい。注意深くしていないと、幸運を掴めないのであって、魔が刺すような事をしまくっていれば、大ブレイクは有り得ないという事に成る。

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もしも育児中に免疫力の刷新が起こったら?

●理論上は必ず起こる免疫力の刷新
 
 免疫力の刷新は1年の内に1回起こるのだから、理論上は育児中でも免疫力の刷新が母親の身に起こる事に成る。だから育児をしているのに、風邪やインフルエンザでダウンしてしまう母親たちが出て来るのである。20代ならまだ免疫力が高いからゲホゲホするだけでやり過ごす事が出来るのだが、30歳を過ぎればもうそれでは済まされず、ダウンすることになってしまう。
 
 母性ホルモンには免疫力を上げる効果があるので、それで女性は赤ちゃんを産むと風邪をひきにくくなる。しかし初産だとまだ巧く母性ホルモンが分泌されないので、それで第一子を大事に育てているのに、自分自身が風邪をひいてしまったりするのである。子供の数が増えると、母性ホルモンの分泌量が多くなるので、子供の多い母親は風邪をひかくなる。
 
 女性の体は19歳で肉体が成長のピークに達する以上、本来は20代で初産を迎えるように出来ているのであろう。だから昔は母親の風邪というのはそんなに問題にならなかった。だが現代のように初産が30代になってしまうと、母親の風邪というのは深刻な問題にならざるを得ないのだ。
 
 第一子を専業主婦の状態で育てている場合、自宅に風邪やインフルエンザを持ち込んでくるのは、絶対と言っていいほど「自分の夫」なのであって、夫が帰宅してきたのなら、すぐさま手洗いとうがいをさせ、その後に、赤ちゃんの所に来させるようにしよう。手洗いやうがいをしていないのに、帰宅早々に赤ちゃんの所に来て、ほっぺを触ったり、キスしたりするのは、赤ちゃんにとってだけではなく、母親にとって非常に危険な事なのである。
 
 母性ホルモンは既に子供が何人かいる母親と一緒にいると、なぜだか出易くなるので、ママ友を作る事は確かに大事な事なのだが、それ以上に、自分の母親とか義母とかと仲良くする事の方が大事なのだ。自分の親子関係が巧く行っていないと、母性ホルモンが巧く分泌されないので、それで風邪をひき易くなってしまうのである。
 
●とにかく寝る
 
 もしも育児中に免疫力の刷新が起こったのなら、とにかく寝る! 寝るに限る。寝ていれば免疫力の刷新がスムーズに行く。免疫力の刷新は1日で済む物ではなく、人によって1週間とか2週間かかったりする。だから無理に治そうとするのではなく、時間をかけて治していくようにする。
 
 気を付けるべきは「脱水症状」であり、寝ていても発汗するし、小便もするので、それで喉が渇く事に成る。水分補給は白湯でやった方がいい。水を飲んでしまうと、結構、内臓を冷やしてしまうので、体には良くないのだ。かといって熱湯では熱すぎるので、白湯のようにすぐさま飲める物の方がいい。
 
 免疫力の刷新の場合、寝なければならないという事は解ったかもしれないが、 しかし母親である以上、寝ていられないのだ。赤ちゃんに授乳しなければならないし、1歳児は喋る事が出来ないのに動き回るので、母親が寝ていれば大変な事に成ってしまう。だから寝られる時に寝るという方法を取り、普通の病人のように寝っ放しというのはダメなのである。
 
 こういう場合、夫が手助けしてくれればいいのだが、夫は自分が風邪をひいていなくても、妻の身に免疫力の刷新が起こっているのなら、病欠を取るべきであろう。恐らくこのような特殊な病欠は第一子の時だけなので、病欠を取って妻の看病をしながら、読書でもしていればいいだろう。
 
 但し、妻が風邪をひいている以上、夫にも感染してしまい、それで夫婦揃ってダウンしてしまう事も有り得る。こうなると「誰が赤ちゃんの面倒を見るんだ?」という事になってしまうから、妻が風邪をひいている時は、夫と雖も用心すべきであって、免疫力を高くするような食事でも食べて、風邪に罹らないようにすべきなのである。
 
●人間はそもそも大家族で生きる動物
 
 人間に免疫力の刷新があるなら、人間はそもそも大家族で生きる動物なのであって、決して核家族で生きる動物ではないという事が解る。なぜなら免疫力の刷新の際に、夫婦ともども風邪やインフルエンザで倒れてしまえば、育児や子育てをする事に深刻な問題が発生してしまうからだ。
 
 大家族なら夫婦が病気で寝込んでも、他の者たちが子供たちの面倒を看てくれるので、それで免疫力の刷新が起こっても、育児や子育てになんの支障も起こらないのであり、別に免疫力の刷新が問題になる事はない。しかし核家族になれば、誰も面倒見てくれないから、それでもしも夫婦が病気で倒れてしまえば、育児や子育てをする事が出来なくなってしまうのだ。
 
 だから核家族は「これが本当の家族である」とは絶対に思い込まないようにしなければならない。核家族ならこれを補完するシステムが必要なのであって、例えば「子守」とか「家政婦」のような人たちがいないと、もしも夫婦に何かあった場合、機能しなくなってしまうのである。
 
 核家族に問題があるからといって、政府に対してなんとか対策をしてくれというのは、まともな解決策になっていない。政府がこういう事に乗り出せば、政府の規模は格段に大きくなってしまい、それは国民に対して重税を強いるという事なり、そのような事をやり続けるのは絶対に無理があるのだ。
 
 では、人類はどうやってこれに対処してきたかといえば、それは宗教団体を作り、そこで信者同士で手助けし合う事で、核家族に何かあった場合でも、ちゃんと機能するようにしてきたのである。それゆえ我々がすべき事は、「宗教の価値を再確認する事」なのであって、宗教無しに何かをしようとする事など決してすべきではないのだ。
 
●女の時限爆弾
 
 既婚男性たちが気を付けなければ成らないのは、妻は育児に於いて殆どの事ならやってくれるが、免疫力の刷新の時だけは、自分自身がダウンしてしまうために、この時に何かしらの手助けをしておかないと、妻は自分がピンチになっているのに、自分に何もしてくれなかったといって、後で大爆発してしまうという事である。
 
 夫にしてみれば、妻は自宅にいるのだから、免疫力の刷新が起こって病気に成っているのなら、寝て治せばいいじゃないかと思ってしまう。しかし子供がいる以上、寝たくても寝ていられないのであって、それで妻は育児をしながら、その合間に寝込むという事をし、フラフラの状態になってしまうのである。
 
 これは女の時限爆弾みたいな物で、その時はなんとか巧くやり過ごせても、後大爆発が起こり、離婚を突き付けられ、それで本当に離婚してしまう事に成る。子供が1人や2人の時はまだまだ母性ホルモンの分泌が弱いために、怒りを爆発させてくれば、子供を連れて離婚という事に成ってしまう。
 
 だから子供が1人や2人の時に離婚する女性たちが結構いるのである。これは男女双方が「男女の性差」に無知だったからこそ起こった物なのであり、男性脳と女性脳は違うのであって、それが解っていれば、離婚しなくても良かったという事に成るのだ。学校や大学で男女平等なんていう嘘を教えるからこそ、離婚の件数が異様に高くなってしまうのである。
 
 俺は「母親として1人前になるには赤ちゃんを3人産んだ方がいいよ」と教えているのだが、赤ちゃんを3人も産めば母性ホルモンがきちんと分泌されるようになるから、それで離婚する事が無く成り、夫婦仲良く暮らしていく事が出来る。育児中に起こった免疫力の刷新にしても、母親として一人前になってしまえば、
 
「あの時はフラフラになりながら育児をしていたね」
 
と笑って話せるようになるものなのである。
 

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「免疫力の刷新」って「鬼の霍乱」の事だった。

●年に一度起こる「免疫力の刷新」
 
 俺が発見し、このブログで公表した物の中に、
「免疫力の刷新」
という物がある。これは年に1度、風邪などをひいて、免疫力を刷新させる物で、通常の風邪ではない。体は免疫力の刷新を行う事で、今後1年間、健康で生きられるようにするのである。
 
 しかし、この免疫力の刷新は医学的に証明されていない。それどころか免疫力の刷新を医者に言えば即座に否定してくる事であろう。西洋医学は科学化されてしまったので、科学的な事しか信じず、科学的に証明されていない物に対しては常に否定的な態度を取ってしまうのである。
 
 このため、
「あの人は風邪1つひかないほど健康だったのに~」
と言われる人ほど免疫力が加齢で低下しているので、風邪やインフルエンザで病気になったからといって病院で治療を受けてしまうと、呆気なく死んでしまったりする。
 
 免疫力の刷新は病気ではない。病気ではないのだが風邪やインフルエンザに罹っているために治療法を間違ってしまうという事を医者たちは平気でやってしまう。だが免疫力の刷新は確実に存在しているのであって、ただ科学的には証明されていない事だけなので、なんとかこれを巧く伝える物はないかと俺は探していた。
 
 すると今回突然に、
「鬼の霍乱」
なる言葉を知り、すぐさま俺は、
「これだ!」
と思った。まさに免疫力の刷新は鬼の霍乱なのであり、昔の人々は鬼の霍乱という言葉を使う事で免疫力の刷新を言い表して来たのである。
 
●鬼の霍乱
 
 事の発端はいつも元気な60代の女性が風邪で寝込んでしまった事にある。その女性の友人から、
「鬼の霍乱で風邪をひき、もうかれこれ5日ほど寝込んいます」
と伝えられたので、俺はその時点で
「これは絶対に免疫力の刷新に違いない」
と思った。
 
 ところが話は違う方向に行ってしまい、
「あの人、鬼だからな~」
という落ちに成ってしまった。鬼の霍乱ってのはそういう意味の諺ではないのだが、普段の行動がこういう時に思わぬ罵詈雑言を浴びせられることになってしまうのである。
 
 とは言っても、これは明らかに「免疫力の刷新の時期」に当たっていたので、俺はその後、風邪で寝込んでいる女性にこれは免疫力の刷新である事やその対処法をメールで教えておいた。出ている症状は風邪なのだが、風邪だからといって風邪に対する治療法をやっては成らないのだ。
 
 免疫力の刷新は、
「必ず1年の内の或る特定の時期だけに起こる」
「普段は健康で病気しない人に起こる」
「表面上の症状は風邪かインフルエンザである」
「1日では治らず、健康になるまで時間がかかる」
というのが特徴で、これらに当て嵌まれば、確実に免疫力の刷新だと判断していい。
 
 それにしても「鬼の霍乱」って、普段使用しない「霍乱」という単語が使用され、「カクラン」だからといって「攪乱」を使って間違えてしまったりする。「霍乱」というのは、病名で「夏の暑さにやられて急に下痢をしたりする事」を言う。免疫力の刷新では発熱や悪寒をする事があるだけではなく、下痢をする事もあるので、霍乱という単語を使っても決して間違いではないのだ。但し全ての意味を満たすほど正しい訳でもない。
 
●免疫力の刷新が起こった時の対処法
 
 免疫力の刷新が起こった時の対処法は、
 
「とにかく寝る」
 
に限る。
 
「寝ていれば治る」。
 
表面上の病気は風邪かインフルエンザかもしれないが、実体は免疫力の刷新なので、寝ていれば自然と体が変化して、それで終了という事に成る。それなのに風邪薬を飲んでしまうと、後でとんでもない事になってしまう。
 
 寝ていれば発汗したり、小便したりするので、それで「白湯」による水分補給が必要になってくる。白湯を飲む量はかなり多いので、お湯は大目に沸かしておいた方がいい。お湯をポットに入れておけば、お湯を沸かす手間が省けるので、それで病人は短時間で水分補給する事が出来るのである。
 
 免疫力の刷新中は断食した方がいい。断食すればその分、体が早く変化してくれるので、それで寝ている時間を短縮できるのだ。もしもこの時期に無理して食事をしてしまうと、そのために消化吸収のためにエネルギーを取られてしまうので、完治するまでに逆に時間がかかってしまうのである。
 
 免疫力の刷新が起こると、1週間か2週間はかかる。若ければ寝込むほどではないが、鼻水が出まくったり、微熱があったりして、それが3日以上は続くという事に成る。年を取れば取るほど、免疫力の刷新には時間がかかるので、時間をかけてゆっくりと治していくしかない。
 
 免疫力の刷新が終われば、免疫力が向上しているので、今後1年間は病気に罹る事はなくなる。逆に言えば、免疫力の刷新をやっていないと、表面的には健康に見えるかもしれないが、実は免疫力が低下しているので、それで何かしらの病気に罹ると、その症状は深刻化してしまったりするのである。
 
●注意すべき点
 
 しょっちゅう風邪をひいているような人は免疫力の刷新どころの話ではなく、ただ単に免疫力が弱いのであって、免疫力を上げるような事をすべきであろう。食事に問題があったり、運動量が少なかったり、睡眠時間が足りなければ、風邪をひきまくるように成るのは当然であろう。
 
 また免疫力の刷新が起こる時ではない時に風邪をひくのは
「単なる風邪」
であり、風邪をひいたからといって免疫力の刷新だと誤解してはならない。免疫力の刷新は必ず特定の時期に起こるので、特定の時期以外で風邪をひいたのなら、風邪だと判断した方がいい。
 
 免疫力の刷新といっても、子供は症状が大袈裟なので、症状が激しいからと言って安易に病院に連れていかなくていい。しかし激しい症状が実は違う病気のために起こっている場合もあるので、母親は多少なりとも民間療法には詳しくなっておいた方がいい。母親が知っていれば、「これは免疫力の刷新だな」「これは医者に見せた方がいい」と判断できるからだ。
 
 免疫力の刷新では免疫力が一時的に低下しているので、病院で下手に治療してしまうと、とんでもない病名を付けられたりしてしまう。最も考えられるのは、
「白血病」
であろう。確かに検査の数値的には白血病の条件を満たしている。しかし白血病ではないのだ。それなのに白血病の治療が施されれば、治療過誤のために死ぬ事に成ってしまう。
 
 免疫力の刷新では下痢が起こる事もあるので、発熱した上で下痢とか、悪寒が走った上で下痢とかなら、絶対に免疫力の刷新に該当し、他の病気ではない。現代の医学ではこういう判断が出来ていない以上、自分の体の免疫力の刷新の時期を知っておいた方が良く、そうしないと病院で殺人医療を受ける羽目になってしまい。殺されてしまうのである。
 

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