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実写映画版『ハイジ』はマジで名作

●これは名作
『ハイジ』はアニメ版で散々見て来たので、実写映画版の『ハイジ』には全く期待していなかった。
 しかしスイスとドイツの合作映画なので、仕方なく見たのだが、これが大当たり。文句なく「名作」である。まさに映画芸術! 
 アメリカ映画に毒されてしまうと、映画でも芸術が出来るのだという事を忘れてしまう。
 特筆すべきは「映像が綺麗」という事である。アルプスの自然が舞台となるので、それを巧く映していかないと、『ハイジ』は全然盛り上がらない。
 ドイツは美人に恵まれない国なので、子役たちが余り可愛くないのだが、逆にそれが現実味を出す事になる。可愛い子を出せばいいってもんじゃない。
 それと無駄なシーンが全然ないので、非常に内容の濃い映画になっている。映画の場合、どう撮影するかだけでなく、どう無駄なシーンをカットしていくかなのである。
 至る所に、日本アニメの『ハイジ』の影響があるので、すんなりと感情移入できる。
 絶対に、監督は日本アニメの『ハイジ』を見た上で、映画を作っている。映画の構成がアニメ仕様の物だ。
 これはドイツ映画の手法じゃない。

●なぜクララの足は動かないのか?
 改めて『ハイジ』を見ると、クララは母親が死んで、足が動かなくなる。
 つまり「母性愛」を得られなくなった結果、そうなったのである。
 題名が『ハイジ』となっているので、ハイジが主人公なのだが、主題は「母性愛の不足」なのだ。
 ユダヤ教はラビたちが全て男性なのだが、ユダヤ人女性が生んだ子をユダヤ教徒とする事で、多少なりとも母系家族的な物を残している。
 ところがキリスト教に成ると、「律法からの解放」を行ったので、母系家族的な物がなくなり、一気に父系家族へとシフトしていく事に成る。
 ローマカトリック教会は「マリア信仰」を作る事で、女性信者たちの不満を解消させているが、神父たちは全員男性であり、家族では男性が家長になるようにした。
 宗教改革が起ると、カルヴァン主義はマリア信仰の否定を行い、父系家族は完成したと言っていい。
 こう成ると、家族内では母親だけが母性愛を注げる存在となる。
 もしも母親が死んでしまえば、子供は母性愛の不足に襲われる事に成ってしまうのだ。そうなれば、家族その物が崩壊していく事に成る。
●なぜクララの足は動いた?
「ハイジは魔女である」。
 これがこの物語を解く最大の鍵となる。
 しかし彼女は孤児なので、クララには変化を引き起こせても、母性愛を注げない。
 事実、クララの悲惨な境遇にハイジは全然気づいていないのだ。自分の事で精一杯なのである。
 アルムおんじは、最初、ハイジを受け取るのを拒否したのに、なぜだかクララは受け入れる。
 理由は簡単だ。「クララはハイジの友達だから」である。
 父性愛は価値ある者にだけ愛を注ぐ事に成る。アルムおんじはハイジを価値ある者と認めたからこそ、その友達であるクララをも受け入れたのだ。
 ペ-ターは日本アニメの『ハイジ』だと「いい奴」なのだが。実写映画版ではまさに「悪童」である。
 このペーターこそが、クララの車椅子を壊してしまい、クララに歩く事を強いる事に成る。
 クララに足りないのは「悪の力」なのである。
 もう母親がいない以上、「いい子」ではダメなのであり、悪い男の子から「悪の力」を得る事で、死んだ母親の支配から脱して行く。
 最終的にはクララを立たせたのは「大自然の力」と成る。
 普通なら「地母神の力」となるのだが、キリスト教国ではそれができない。
 大自然は、「ハイジの魔力」「アルムおんじの父性愛」「ペーターの悪の力」が揃った所で、初めてクララを立たせるのである。
 日本アニメの『ハイジ』だと、ハイジとクララの関係で、クララを立たせるような格好になってしまうのだが、実はそうじゃないのだ。
●新たな物語を書くのは魔女
 原作者のヨハンナ・シュピリは改革派の信者なので、飽くまでも、
「クララはクララ、ハイジはハイジ」
という態度を貫く。
 魔女であるハイジは、改革派の家族であるクララの一家には入っていけない。
 それどころか、クララの父親は幽霊の正体がハイジであると見破ってしまう。それでハイジは家から追い出されてしまうのだ。
 改革派では、女性たちの居場所は妻の座しかない。
 女性の地位は想像以上に低いのである。
 だからハイジが「作家になりたい」と言い出してくる。
 クララの祖母はハイジに白紙の本を贈り、「あなたが新たな物語を書きなさい」と応援する。
 嘗て改革派は魔女狩りをやり、魔女たちの全てを破壊しつくした。
 しかし改革派の教義が貫徹されてしまえば、一転して父系家族の欠点が暴露されてしまうのである。
 スイスは改革派発祥の地なので、ヨハンナ・シュピリはさすがに改革派を否定しない。
 その代り、「文学の中で、魔女が新たな物語を作って行く」としたのである。
, 尤も、『ハイジ』はヨハンナ・シュピリの処女作なのだが、彼女は生涯に於いて30作品ほど書き上げたのに、『ハイジ』を超えるような作品を作る事はできなかった。
 なんとも歴史の皮肉である。

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コメント

今年32歳になる女です✨
以前、失恋と仕事を辞めた事がかさなり
トラウマになり現在またそういう経緯に
進む中で運命を占ってもらいたいです。
結婚出来る相手と出会えているのか、
これから先に出会えるのか教えて下さい😃

投稿: けい | 2019年2月27日 (水) 18時31分

けいさん、運命鑑定を受けるためには「試練」が必要なのですが、現在、試練は、

「『翔んで埼玉』を見て、自分の感想を言いなさい」

です。

できるかな~?

投稿: タマティー | 2019年2月28日 (木) 08時24分

タマティー さん、こんにちは。
以前、私の旧姓では家族で凝り固まると危険と仰っていましたが、詳細が知りたいです。お時間ある時で大丈夫ですので、よろしくお願いします。試練が必要ならやります〜

投稿: みちこ | 2019年2月28日 (木) 08時52分

みちこさん、現在の試練は、

1、「米倉涼子の二の腕を引っ張り、何メートルに成るか計測する」

2、「『翔んで埼玉』を見て、埼玉県を徹底的にディスりまくる」

3、「実写映画版『ハイジ』を見て、自分なりの感想を言う」

の3つです。
この内、1つを選んでやってみて下さい。

できるかな~?

投稿: タマティー | 2019年3月 1日 (金) 06時22分

タマティー さん、
実写版ハイジ、三軒まわってようやく見つけました〜
帰り道、黒猫が私どもの前を横切っていき、これはなにかあるなあ、考えすぎかな(謎)

ということで、試練はハイジを見た感想です。
早速見ました!
最近自分自身のことを改めて見つめ直していたため、そういう視点から眺めてしまいました。
まず、主人公のハイジは孤児なのに自分自身の境遇を哀れんでいなくて、それどころか素直に自分の意見をのびのび表現していて、子供らしい子供で、こういう子供が相手なら、偏屈そうなオンジの心も癒されるだろうなぁと…
オンジとハイジの別れのシーンには、思わずオンジに感情移入をしてしまい、グッときました。
都会暮らしか田舎暮らしかといったら、やはりのびのびできるのは田舎暮らし、しかも人里離れた山奥っぽい場所で、いいなぁ。
よく主人に、そういう場所にひとりで住めば、と言われていたのを思い出しました。
クララのおばあさんの存在はまともな大人に見えました。
お祖母さんはいい育ち方をしたのかな。
ペーターは悪ガキですね。
クララの置かれた環境はツライでしょうね。

映画はおもしろかったです。
子供を放置して見入ってしまいました。
感想は以上です。


投稿: みちこ | 2019年3月 1日 (金) 19時45分

みちこさん、感動してくれて有難うございます。

これは本当に名作なので、何度も見た方がいい。
最初見ても解らなかった物でも、もう1度見ると、「あ、そういう事か」と解ったりします。
ドイツ語版だと、子供たちの声は低いんですよ。
ヨーロッパでは、高い声を出す事は、はしたないとされているので。
そういう所を見るのも、乙なもんです。

とにかく合格。

それでは、みちこさんの実家の人たちの名前と生年月日、それに占って欲しい事を書いて送って下さい。

投稿: タマティー | 2019年3月 2日 (土) 06時51分

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