スポーツ

スポーツ政策の必要性

●野球は既に日本のスポーツ界にとって癌である

 スポーツをやるのは個々人の自由なのだが、政府はそれを放置せず、スポーツに関して法整備を行い、法の支配の下でスポーツをやるようにしていかなければならない。それと同時にスポーツ政策を持って、より合理的にスポーツを振興させていかなければならないのである。

 どの国も持てるエネルギーは限られている。だから全てのスポーツを振興させようとすれば全てのスポーツがダメになってしまう。自分たちの国に合ったスポーツを選択して、そこにエネルギーを集中させていくようにするからこそ、スポーツは健全な形で発展していくのである。

 日本のスポーツ界にとって野球は既に癌である。日本のスポーツが全体的に弱いのは野球に選手たちを大量に取られてしまうからなのであって、野球に対して多少の制限を加えていかないと、他のスポーツが発展していかないという高い代償を支払ってしまうことになるのである。

 日本人が冷静になって受け止めなければならない事実は、「野球が盛んな国はアメリカ合衆国とその衛星国だけである」ということである。つまり日本人が野球を好んでやっている限り、日本はアメリカ合衆国の衛星国であり続けるということなのである。

 確かに野球は戦後日本のプロスポーツを牽引し、その功績は多大な物があるのだが、その分、日本のスポーツに対して損害をも与えてしまったのである。国民の多くが野球をやり、野球に夢中になれば、日本のスポーツは思いっきり偏ってしまい、健全な発展をすることができなくなってしまうのである。

●サッカーとアメフト

 サッカーは野球の対抗馬として登場してきたので、サッカーと野球が緊張関係を持つことは実に大事なことである。野球が繁栄し過ぎてしまったために日本のスポーツ界に様々な問題を発生させているからといって、野球が潰れてしまっては意味がないのだ。成功した野球を維持しながら、野球を牽制できるスポーツを振興させていかなければならないのである。

 日本でサッカーを振興させるためには、アメフトを叩き潰さなければならない。アメフトはサッカーから派生してきたスポーツだが、サッカーよりも多くの人員を取ってしまうのである。日本でサッカーもアメフトも振興させるというのは、人口の少ない日本に於いては絶対に無理なのである。

 しかもアメフトは費用がかかりすぎる。防具を揃えるだけでも大金を要してしまうものなのであって、これはやはり覇権国家であるアメリカ合衆国だからこそできることなのであって、日本のようにデフレ不況が続く国でやるべきスポーツではないのだ。

 アメフトは防具を付けているにも拘わらず、スポーツ事故が最も多い非常に危険なスポーツでもある。怪我をする場所が頸椎とかになってしまうので、それで生涯に亘る障害を負ってしまうことになるのである。アメフトはスポーツとしては無理がありすぎるスポーツなのである。

 日本でアメフトを行うことは禁止すべきである。この禁令によってアメフトが持っていたエネルギーを全てサッカーに投入できるので、それで日本のサッカーが発展していくことになるのである。それとこの禁令によってアメリカ合衆国と距離を置くことができ、日本は独自の外交を進めて行くことができるということなのである。アメフトのファンは基本的にアメリカ贔屓になってしまうということを絶対に忘れるべきではない。

●バレーボールとバスケットボール

 バレーボールとバスケットボールは共にアメリカ合衆国生まれのスポーツであり、ボールを使った室内競技であるために、このスポーツは思いっきり被ることになる。しかも長身の選手を使って行くために、この2つのスポーツを同時振興させれば、日本では人材の欠乏に悩まされることになるのだ。

 日本はバレーボールを得意としているので、バレーボールに特化していくべきなのである。バレーボールなら世界で通用するレベルに達しているのである。しかし日本のバスケットボールはレベルが低く、世界に通用しないし、バスケットボールを存続させればバレーボールに悪影響が出て来てしまうのである。

 アメリカ合衆国はプロスポーツとしてのバスケットボールが発達しているので、日本人がどう努力してもバスケットボールでは勝てない物になっている。プロ化はそのスポーツを大いに発展させることになるのだが、もう日本が追いつくレベルの話ではなくなっているのだ。

 それにバスケットボールというのは黒人たちがやりだしたスポーツなので、この競技を冷静に分析すると実にバカらしいスポーツになっていることが解る。バスケットボールでは、ボールの占有率が51%を超えると、確実に勝ってしまう超単純な構造になっているのである。

 国際的に人気のあるサッカーとバレーボールというのは、ボールの占有率が高ければ勝てるというものではない。確かに占有率が高ければ優位に立つことができる。しかし相手方は防御に徹すれば攻撃を凌ぐことができ、攻め疲れた所を狙って反撃すれば勝ってしまうのである。だから人々は熱狂するのである。

●マラソンと駅伝

 マラソンと駅伝も競技的には被るスポーツである。日本はマラソンも駅伝も盛んな国なのだが、駅伝が盛んになってしまったために日本のマラソンが振るわなくなってしまったという痛い事実が存在しているのである。駅伝自体にマラソン選手を脅かす物が備わっているのである。

 マラソン選手が伸びて来るのは大体、大学を卒業してからである。大学生の頃までは1万メートル走をやらして、大学卒業後にマラソン選手に転向させるというのがベストな育て方であると言われている。しかし駅伝での距離は20キロになっているので、これでは長すぎるのである。

 駅伝は各選手の走行距離を10キロに制限すべきなのである。大学生の時に10キロ以上走っていると、逆に大学卒業後に伸びなくなってしまうからだ。今の駅伝は確かに人気があるかもしれないが、そのために将来有望なマラソン選手たちを潰してしまっているのである。

 確率論的に言えば、マラソンより駅伝の方が勝ち易い。駅伝はチーム競技であるために、優秀な選手たちを集め、巧くチームワークを作ることができたのなら、上位に食い込むことは可能である。しかしマラソンは個人競技なので、どんなに練習しても、競技会当日の体調が悪ければ負けてしまうのである。

 駅伝自体がダメなのではなく、駅伝は選手の走行距離が長すぎるという欠点があるだけなのである。駅伝によってマラソンを妨害しないためにも、ルールを変更して、駅伝もマラソンも発展していくことができるような環境を整えて行くべきなのである。

●限られた人口の中で合理的な選択

 日本の人口は限られている。恐らく日本の人口は1億2千万人で停滞することであろう。その限られた人口の中で全てのスポーツに手を出せば、全てのスポーツが破綻してしまうものなのである。人口はもうこれ以上増えないと解っているのだから、合理的な選択をすることで勝てるスポーツだけ確実に勝って行くようにすべきなのである。

 この合理的判断をして行く上で、とにかくアメリカ合衆国の物真似をすることだけは非常に危険だということを理解すべきである。アメリカ合衆国は覇権国家として世界中の富を集めるし、人口も未だ増加中である。日本のようにデフレ不況が続き、人口も増加が止まった国が手本とすべきではないのである。

 確かに戦後、野球が大ブームになり、日本のプロスポーツを牽引していった。しかしそのために他のスポーツの発展を阻害させたことを絶対に忘れてはならないのである。野球自体、国際的にはマイナーなスポーツなので、野球に執着すればするほど、日本のスポーツのレベルは低下して行くことになるのである。

 日本人が勝てるスポーツで、日本で人気が出る可能性があり、しかも出来るだけスポーツ事故が起こらず、そのスポーツをやっている選手の健康と寿命を保てるスポーツなら大いに振興させて行くべきなのである。サッカーはこれらの条件を満たしたからこそ、発展していったのである。

 報道界にはマスコミが存在しているために、どうしてもスポーツの情報は大きな競技にのみ注目が行ってしまいがちだ。しかしこれではダメなのである。各競技団体はしっかりと戦略を持って自分たちの競技を振興させていかないと、自分たちの競技を生き残らせることすら困難になってしまうのである。

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サッカーからフットボ-ルヘ

●なぜ日本のサッカーチームは勝てない?

 今回のサッカーワールドカップのブラジル大会で日本はグループリーグ敗退が決まってしまったのだが、日本のサッカーチームに褒める所は何もなかった。下手糞なプレーが目立ち過ぎて、合計2点取ったにも拘わらず、試合その物のレベルが余りにも低すぎた。

 敗因の筆頭として考えられるのが、時差を考慮せず、大会直前にブラジル入りしてしまったことにある。ブラジルは地球上では日本の裏側にあるので、現地に行っても1週間ぐらいは時差ボケが続き、体が本調子にならないのである。その状態でサッカーの試合をしろというのだから、無理がありすぎたのである。

 もう1つの敗因は、日本のチームにはストライカーがいないということである。これは以前から指摘され続けたことなのであるが、確実にゴールを決めるストライカーがいないと、ああいう大舞台では点を取れないのである。日本のチームはセットプレーが得意と言われるが、それはストライカーがいないということの裏返しなのである。

 日本のチームは攻撃主体で、試合になれば攻め込み続けるのだが、それなのにゴールを決めることができない。攻めあぐねている間に中盤が空いてしまい、そこをインターセプトで敵に突かれてしまい、逆にゴールを決められてしまうのである。

 攻撃陣が敵陣の奥深くに入り込んでいるので、敵の速攻を受けた時、防御陣だけで防御しきれるものではないのだ。攻撃してもいいのだが、敵が反撃した時にその反撃をすぐさま潰せるように戦力を配置しておくのは、戦術として絶対に考えておくべきことなのである。それができないとなれば、戦術自体が間違っているとしかいいようがないのである。

●音相から見たサッカーとフットボール

 日本のサッカーがなぜ攻撃主体を好むのかといえば、それは「サッカー」という名称それ自体に原因がある。サッカーは略称である。サッカーの正式名はフットボールである。サッカーは「アソシエーション フットボール」の略で、協会式フットボールという意味である。

 音相からみると、サッカーは攻撃主体のスポーツになってしまう。「サ」は華やかに感情的で、それが「カ」という合理性の強い音で強化されるので、それで攻撃をやりまくってしまうのである。サッカーという名称を使った場合、サイドに切り込んでから中央突破という遣り方を好んでしまう。

 これに対してフットボールは防御主体のスポーツになる。「フ」は生真面目に働く性格で、それが「ト」という粘り強い音で強化されるので、それで防御を重点に置いたゲームを展開してくるのである。フットボールという名称を使った場合、堅守速攻を好み、守りに守り抜いて、敵のミスを突いて反撃を仕掛け、それでゴールを決めるということをやる。

 サッカーとフットボールは競技自体同じ物だから、「名前なんて関係ないではないか?」と反論が来るかもしれないが、サッカーという名称を用いた国と、フットボールを用いた国とでは、ゲーム内容がまるで違うのである。アメリカ合衆国は国内にアメリカンフットボールがあるために、どうしてもサッカーという名称を使用しなければならないのだが、では彼等がどのようなゲームをやっているのかといえば、攻撃主体のサッカーなのである。

 因みに、サッカーという名称を用いている国は、日本とアメリカ合衆国とカナダとパラオぐらいなもので、国際的には少数派に属するのである。世界の殆どの国々はフットボールという名称を用いているのであって、だからフットボールを防御主体のスポーツだと思い、そういうゲームを展開して来るのである。

●字画から見たサッカーとフットボール

 日本でサッカーという名称が使われてしまったのは、それなりの理由が存在する。字画的にはフットボールよりサッカーの方が断然に良かったからだからだ。サッカーという名称を使った場合、サッカーが広まるまでに時間がかかるが、しかし一旦火がつくと一気に急上昇していき、国民的なスポーツにまで発展してしまうのである。

 サッカーは9画なので、これが確実に起こる。事実、サッカーは野球に押されてマイナーなスポーツで有り続けてきたのだが、Jリーグが発足すると大ブレイクし、現在のように国民的スポーツへと成長していったのである。フットボールは15画なので、こんな華々しい発展の仕方は絶対にできないのである。

 しかも9画にはスター選手を生み出してしまうというという機能がある。このためサッカーという名称を使っているとスター選手が出て来てしまうのである。スター選手の存在は、日本にサッカーを定着させるためには必要だったが、日本がワールドカップで優勝するために逆にスター選手の存在こそが邪魔なのである。

 この点、フットボールは15画なので、選手全員のチームワークを発揮することができるので、サッカーからフットボールの名称に変えると、スター選手が出て来なくなると同時に、選手1人1人が非常に強力になり、チームワークで勝利していくことができるようになるのである。

 サッカーはスター選手が出て来ると、大概負けてしまうのである。そのスター選手を徹底的にマークして潰していけばいいのであって、それによって攻撃力を減少させてしまうので、得点することができなくなってしまうのである。選手11人で守り抜き、攻めまくるのが理想的なのであって、サッカーのワールドカップで優勝するためにはスター選手などいない方がいいのである。

●日本サッカー協会の二枚舌

 サッカーとフットボールはこれほどまでに違う物になってしまうのだが、ところが日本サッカー協会は既にフットボールという名称を採用しているのである。日本サッカー協会の日本語表記は「日本サッカー協会」だが、英語表記では「日本フットボール協会」になっているのだ。

 これは余りにも酷過ぎる二枚舌である。日本サッカー協会は外国に対しては国際基準に合ったことをやっているのに、日本国内では時代遅れの名称を用いているのである。日本人選手たちは母国語が日本語だから、それでフットボールではなくサッカーを頭の中で考えてしまい、それを実行に移してしまうのである。

 当然に攻撃主体のゲームを展開しようとする。攻撃主体では相手が弱ければ勝てる。事実、予選のアジアリーグは中国を始め、サッカーの弱い国のチームを完膚なきまでに叩き潰すことができたのである。しかし防御主体の相手が出現してくれば、途端に負けてしまい、しかもボロ負けという形で負けてしまうのである。

 日本のサッカーチームを率いた外国人の監督たちが采配に間違いを起こしたのは、これが原因なのである。ジーコ、トルシエ、オシム、ザッケローニと、サッカーの監督としては充分に高い能力を持った監督であったのに、ワールドカップのように防御主体の出来のいいサッカーチームが多く参加するものでは、呆気なく敗戦ということになってしまうのである。

 今回のワールドカップでもザッケローニは選手交代の時間をかなり遅らせてしまって、それが敗戦の原因にもなってしまったのだが、防御主体のイタリアの選手なら防御しきれた筈なのに、攻撃主体の日本の選手だと守り切れなかったのである。

●オーストラリアは2005年に名称変更

 日本がサッカーの名称の使用を禁止し、フットボールの名称に移行することは急がねばならない。というのは2005年にオーストラリアはサッカーからフットボールに名称を変更しており、それ以降、着実に強くなっていったからだ。オーストラリアはオセアニアの国なのにアジアリーグに参加しているので、これは手強い敵になってしまうのだ。

 現在の所、日本のサッカーチームにとって厄介な敵は韓国のサッカーチームなのだが、韓国は非常に感情的な国民であって、理性というものがまるでない。しかも人口は日本の半分以下なのだから、時間が経過すれば自然と没落していくから、そんなに恐れなくていいのだ。

 しかしオーストラリアは国民レベルで感情的になったことがない国民なのであって、しかも国土が広いために、未だにヨーロッパからの移民を受け入れており、人材が豊富なために、サッカーは非常に強い国になる可能性を秘めている。日本はワールドカップに出場する前に、とにかくオーストラリアを撃破しておかなければならないのである。

 今回、日本のサッカー選手たちは、

「自分たちのサッカーができなかった」

と嘆いていたが、最早、自分たちのサッカーでは勝てないし、時代遅れであることに気付いて欲しい。攻撃主体のサッカーでは、相手チームが守りを堅めてしまえば、シュートを打ってもゴールできない。敵陣に敵の選手たちが大量にいれば、それだけ防御力が増してしまうのである。

 日本のサッカーチームはコロンビア戦に於いて二軍相手にボロ負けしてしまったので、帰国すれば選手たちに批判が集中することであろう。特にいつもでかい口を叩く本田圭祐には批判が集中してしまう筈だ。しかしボロ負けの本当の原因はサッカーという名称を放置している日本サッカー協会にあるということを絶対に忘れてはならない。

 サッカーからフットボールへという名称変更は日本サッカー協会の内部でも多大な議論を必要とするし、名称変更を国民の間に定着させるにも多大な時間を要する。時間がかかることはやる前から解っているのだから、だから早く動いて名称変更を実施していかなければならないのである。

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ロンドンオリンピックで考えたスポーツ哲学

●勝ちっ放しはありえない

 アマチュアスポーツとプロスポーツでは、スポーツとして決定的なことが違う。それはアマチュアスポーツでは勝ちっ放しを強いられるということだ。これに対してプロスポーツは負けてもいいから勝ち越せばいいのである。

 極端な話、プロスポーツでは例えば年間100試合をやるのなら、51勝49敗でもいいのである。勝ち越しているので、プロとしてはこれで合格なのである。その上で優勝したいのなら、敵のチームより多くの勝ち星をあげればいいのだ。負けてはならないことなど一度たりとも強いられないのだ。

 ところがアマチュアスポーツでは負けることが許されないのだ。勝ちっ放しが要求されるので、一度でも負けたらもうその時点で終わりなのだ。これがリーグ戦とトーナメント戦の違いであるのだ。アマチュアスポーツでは常に真剣勝負にならざるをえないのである。

 しかしこの世には勝ちっ放しなどというものはありえない。どんなに強い選手だって、時には負けるものなのである。だがそれは許されないのだ。だからみんな無理をしてしまう。それゆえアマチュアスポーツではプロスポーツでは有り得ないような高記録が出てくると同時に、怪我の発生率も極端に高くなるのだ。

 しかもオリンピックは4年に1度しかやってこない。オリンピックで負けてしまえば、次のオリンピックまで4年も待たなければならないのだ。「オリンピックには出ることに意味がある」と思っているような選手ならそれでもいいが、オリンピックでメダルを取りたいと思っている選手はオリンピックに出るに当たって、充分な対策を施しておかねければならないのだ。

●試合の前に運を使うな

 オリンピックに出場するなら、「スポーツの世界で勝ちっ放しはありえないんだ」と肝に銘じることだ。その上で、その有り得ないことをオリンピック選手はやらねばならないのである。ではそのために必要なことは何かといえば、「運を大事にする」ということだ。

 オリンピックでメダルを取るためには実力だけでは取れない。運が必要なのである。このことはメダルを取った選手なら誰でも言うものだ。逆にオリンピックでメダルを取れなかった選手は、「オリンピックには魔物が住んでいる」というものだ。運を軽視するからこそ、本来なら勝てる試合も勝てなくなってしまうのである。

 オリンピック選手は試合前に運を使うべきではないのだ。運を出来る限り温存しておくべきなのである。賭博など一切しないようにすることだ。パチンコや競馬競輪競艇などをやってしまえば運を使ってしまい、大事な試合で運がなくなってしまうのである。

 オリンピック選手がバラエティ-番組に出演するなどというのは以ての外なのである。ロンドン五輪ではその直前に日本テレビで有名なオリンピック選手たちを集めてバラエティー番組を作ったが、このためにこの番組に出演した多くの選手たちが無様な結果に終わってしまったのである。

 特に司会者の明石家さんまに求愛された田中理恵は最も悲惨で、その美貌と美しい演技力があるのに、オリンピックの本番ではミスを連発し、メダルを取るのを逃してしまったのである。オリンピック選手がバラエティー番組に出ても、芸能人たちに運気を吸い取られるだけであって、そのためにオリンピックで有り得ない失敗を犯してしまうことになるのだ。

●五輪だからこそ80%の出力で戦う

 トーナメント戦では勝ち続けなければならないのだが、そのためには絶対に100%の力を出さないようにすることだ。完全燃焼は確実に負けるのである。しかも実力以上のものを出せば怪我をするものなのである。

 オリンピックではその出力を80%に抑えるべきなのである。誰もがオリンピックだから力を出しすぎてしまい、それで自滅して行くのだ。実力の80%で戦えば、常に余力を残した状態にあるので、多少の無理は利くのである。試合をやっていれば、必ず相手が凡ミスをするので、そこを突いて一気に攻め込めば、簡単に勝ててしまうものなのである。

 実力の80%で戦うためには、なんといっても実力そのものを上げていかなくてはならない。だから「練習は試合のように真剣に行い、試合は練習のようにリラックスして行なう」べきなのである。日々の練習で手抜きをしているからこそ、試合で悲惨な目に遭ってしまうのである。

 オリンピックでメダルを取れるほどまでに実力を高めておかないと、いざ試合に出た時には緊張してしまい、普段の自分では絶対に有り得ないミスを犯してしまうものなのである。緊張は大敵なのである。オリンピックに出る以上、緊張するのは解っているだから、その対策は充分にしておくべきなのである。

 オリンピック選手は肉体的トレーニングだけではなく、精神的トレーニングをもやるべきなのである。自分の精神というのは或る程度までなら自分の意思で制御できるものなので、その制御方法を習得してしまい、試合に出た時に緊張するとかいうことは起こらなくなるのだ。

 日本のメダリストたちの中には「不動心」という言葉を座右の銘にしてる人たちが多い。オリンピックでは心がブレるものなのである。逆に言えば心がブレなければそれで勝利が確実になるのである。オリンピックに出れるからといって、浮わっつらいた態度でいれば負けるのは当然のことなのである。

●スポーツ以外の大事なものに力を入れる

 自分がスポーツの分野で勝ちっ放しにするためには、スポーツ以外の分野では負けておくことだ。メダルを取り、怪我をしたくなければ、スポーツ以外の大事なものに力を入れるべきなのである。これは遠回りに見えるかもしれないが、これこそが最も近道なのである。

①宗教

 オリンピック選手にとって宗教は殊の外、大事である。宗教心があれば、運が増強されるし、自己統御もできるようになるので、試合でj確実に勝てるようになるのだ。時折、宗教熱心なのに負けてしまう選手も出てくるが、それは宗教熱心な余りに神のために戦うのではなく、自分のために戦うようになってしまうからなのである。

②愛国心

 オリンピックの歴史で解ることは、開催国のメダル獲得数が多くなることと、愛国心の強い国家のメダル獲得数が多くなるということだ。日本では柔道が強いものだが、優秀選手を輩出する柔道場には必ず「日の丸」が掲揚されているのである。

③慈善活動

 慈善活動は地味な活動ではあるが、自分のマイナスの運気を清算するには劇的な効果を発揮する。オリンピック選手だからこそ、スポーツを通じて慈善活動を行なうべきなのである。日本のサッカー選手たちはこのスポーツを使った慈善活動をやり続けたからこそ、強くなっていったのである。 

 今回、三宅宏美はウェイトリフティングで銀メダルを獲得したが、その直後に、「父親の実家がある宮城県に行ってボランティア活動をしたい」と初発言したが、こういう心掛けがあるからこそ銀メダルを取れたのである。父親が銅メダルで、娘が銀メダル。となれば孫は金メダルになっていくものなのである。

④家族

 オリンピックに出るような人は子供の頃からそのスポーツをやっていた筈だ。当然に親がその資金を出したのである。だから親孝行をするのは当たり前のことなのである。親孝行というのは想像以上に強いパワーを出すものなのである。

 オリンピック選手が結婚しているのなら、その妻子の支援なくして絶対にそのスポーツを遣り続けることはできない。だから妻をきちんと愛し、良き父親として振舞うべきなのである。結婚しているだけで、最早、自分1人の力で戦っているのではなくなるのだ。

⑤支援してくれた人たちに感謝

 スポーツを遣り続けるためには、とにかくお金がかかるものだ。そのお金を出してくれた人たちに感謝をするべきなのである。メダリストたちは全員がこのことに関しては感謝の言葉をきちんと述べている。逆に言えば、きちんと感謝できたからこそ、メダルを取れたということなのである。

 今回のロンドンオリンピックでは反省すべき点は非常に多い。しかもスポーツの根幹に関わるような所に問題点を発生させているのだ。日本のマスコミは五輪開始前にはいつも調子いいことばかり言うが、実際の結果は常に悲惨なのである。もういい加減に、日本のマスコミこそがメダル獲得に対して妨害しているということに気づいて欲しいものだ。

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スポーツの「勝ち方」と「負け方」

●なぜ野球は衰退したのか?

 俺が子供の頃、子供たちで遊ぶ時は、2回に1回が野球だった。それほど野球には人気があったのである。野球をやれば誰もが熱中できるので、子供たちの遊びとしては好都合だったのである。俺たちの世代はテレビゲームが普及する直前の世代だったので、本当にラッキーだったと思う。

 ところが小学五年生になると、テレビのプロ野球報道に関して疑問を持ってしまったのである。どのテレビ局も読売ジャイアンツが勝てばいいという報道の仕方なので、「これはおかしんではないかい?」と思うようになってしまったのである。

 俺自身、アンチジャイアンツではない。その当時被っていた野球帽は読売ジャイアンツの帽子だったのである。東京ドームの前身の後楽園球場にも試合を見に行ったくらいだ。しかし自分の贔屓にしているプロ野球チームが勝ちさえすればいいとうのは、アンフェアな態度と思ってしまい、それ以降、野球熱が冷めてしまい、子供同士で集まっても野球をしなくなってしまった。

 俺は中学高校を私立学校に行ったのだが、その学校は男子校で当然のことながら、女性と付き合おうとすればひと苦労もふた苦労もしなければならない。それなのにうちの学校のサッカー部員たちは女の子たちにモテていたのである。それに比べて野球部員は男同士でつるんでいるのである。

 俺はこの時、直感で「サッカーはいずれ国民的人気を獲得できるのではないか?」と思ってしまった。事実、俺が大学生の時に「Jリーグ」が発足したし、その後もサッカー人気は順調に高まっていった。一方、プロ野球はナベツネ事件に端を発して、人気が凋落していったのである。

 俺が子供の頃に「日本のプロ野球は面白くない」と見破ったが、それを国民が解るまでには20年の歳月が必要だったのである。

●悪いゲームとは?

 なんでプロ野球の試合がつまらなく、サッカーの試合が面白くなってしまったのか?

①下手に勝つ

 その理由の筆頭は「下手に勝つ」からなのである。プロ野球だと読売ジャイアンツが勝てばいいだろうとやっているから詰まらないのである。他の球団も読売ジャイアンツに釣られて自分たちの球団が勝ちさえすればいいんだろうとやってしまうから余計に詰まらなくなるのである。

 ただ単に勝てばいいということでは、プロスポーツは面白くならない。勝利することは確かに面白いが、その勝利に持っていく過程が面白くなければならないのである。どこかの強いチームが一方的に勝つというのでは、それは勝って当たり前ではないかと思ってしまうのである。

②下手に負ける

 プロ野球が詰まらないもう1つの要因は「下手に負ける試合が異様に多い」ということなのである。7回辺りで点差が開きすぎてしまうと、観客たちは帰っていくし、選手たちは真剣になってやらない。幾ら負けていても、9回の裏まで真剣に戦ってくれれば面白いものを、翌日の試合のことを考えて体力を温存してしまうのである。

 時折、「高校野球の方がプロ野球よりも面白い」という意見が聞かれるが、高校野球にはこうした「下手に負ける」という試合が少ないからなのである。実際、県大会には悲惨としかいいようのない試合があるだが、全国大会になると確かに面白い試合の方が断然に多くなるのだ。

③下手に引き分ける

 プロ野球からファンを離れさせた要因の1つに「下手に引き分ける」ことをやったからなのである。野球は9回までやると結構時間を食うので、9回が終った時点で試合を終了するべきなのである。それなのに延長戦が行われれば堪ったものではないのだ。

 9回まで戦って引き分けなら、それでいいのである。ところが延長戦をやろうというのだから、引き分けの価値をグ~ンと下げてしまうのである。しかも野球の場合、延長戦を戦っても、そんなに面白い試合にならないのだ。野球は延長戦に不向きなスポーツだということが解っていないのである。

●良いゲームとは?

 これに対してサッカーは「良いゲーム」を多くやっているように思える。だからこそ着実に人気を得て、プロ野球の人気よりも上回ってしまったのである。

①上手に勝つ

 サッカーの試合の場合、「1ー0」で終る試合が非常に多い。サッカーは攻撃に重点を置くのではなく、防御に重点を置き、防戦することで敵陣を崩し、そこから攻撃に転じて得点するスポーツなのである。こういうことをやっていれば、攻守ともに優れていることになるので、当然に試合の出来が一気に高まってくるのである。

②上手に引き分ける

 サッカーの場合、引き分けの価値を高めたと言っていい。普通の試合では90分戦えばそれで終わりなので、双方のチームには勝敗以外に引き分けという選択肢もあるのである。特別の試合では延長戦があり、それでも決まらない時はPK戦になるのだが、サッカーなら延長戦でも盛り上がるし、PK戦なら「運」を楽しむことができる。

③上手に負ける

 試合に勝敗は付き物だが、上手に負けることを多くやっているのもサッカーなのだ。たとえ自分たちが失点していても、選手たち全員が全力で戦ってくれれば、それなりの感動を与えるものなのである。サッカーの試合では点差がそんなに開かないからこそ、選手たちが諦めないのだ。

 惜しい負け方よりも「ボロ負け」の方に価値があるものなのである。日本のサッカー史では「ドーハの悲劇」を絶対に忘れることができないことであろう。あの悲惨な負け方があればこそ、選手たちもファンたちも一体となってワールドカップを目指そうと言うことになったのである。

 試合に勝敗は付き物だが、かといって勝つことだけに拘ることは非常に危険なのだ。試合をやれば負けることがあるのだし、負けた時に上手に負ければたとえ負けたとしても明日に繋がるのだ。それに勝ち負け以外に引き分けがあれば、それを巧く使って試合を盛り上げていくこともできるのである。

●ポジショニングの面白さ

 サッカーが世界的な人気を得るスポーツになっているのは、なんといってもワールドカップが面白いからであろう。野球にもワールドベースボールクラシックというなんとも奇妙な名前の国際トーナメントがあるが、野球ワールドカップにしていない時点で、これでは世界的な人気を得ることができないと解る。

 サッカーのワールドカップがなんで面白いのかといえば、必ずしも優勝しなくていいからなのである。どのチームだって優勝を目指しはするが、必ずしも優勝しなくていいから、どのチームも参加のし甲斐があるのだ。野球なら負けたら終わりだ。ところがサッカーではそうなっていないのである。

 まずは予選リーグ突破だ。これをするだけで価値があるのだ。たとえ予選リーグを突破できなくても、予選リーグで1勝すればめっけもんなんおである。また予選リーグで1勝すらできなくても、得点さえすればそれでも価値はあるのである。

 大体、ワールドカップでは「8強」が最も実力のあるチームであろう。後は僅差にしかすぎないのだ。だから予選リーグを突破して、8強までに伸し上がっていく。その後、優勝できるかどうか運次第なので、しっかりとした実力をつけつつも、決して運を蔑ろにしてはならないのだ。

 サッカーのワールドカップの面白さが解ってくると、サッカー選手とファッションモデルが付き合う理由が良く解ってくる。ファッションモデルたちも職業柄、ポジショニングをやっているので、サッカー選手たちのように、これまた職業柄、ポジショニングをやっている男性たちとは話が合うのである。

●子供にスポーツを教える時

 現在、サッカーに人気があるから、我が子にサッカーをやらせるのが無難であろう。かといって野球は人気が凋落しているとはいえ、まだまだ需要はあるのだ。また他にもスポーツは沢山あるのだから、まだ人気が出ていない内に手を出しておけば、子供が大きくなる頃にはヒットしているかもしれないのだ。

 我が子にスポーツを教える時、親は、特に父親は、次のことを教えておかなければならない。

①とにかくトップを目指す

 我が子にはとにかくトップを目指すようにさせることだ。子供は能力が急成長することもありえるので、トップを目指してやらした方が良いのである。この点は野球方式でやった方がいいのだ。現在は少子化ゆえに、子供の頃にトップに立ってしまえば、その後もトップに立ち続け、日本代表として国際的に活躍することができるようになるのだ。

②上位2割に入っておく

 ところがトップを取るのは難しい。だから上位2割に入っておくことの大切さを教えるべきなのである。上位2割に入っていれば、いつでもトップを狙えるからだ。この点はサッカー方式でやった方がいいのだ。トップに立つことに拘りすぎれば、スポーツの面白さが解らなくなってしまうものなのである。

③上手な負け方を教える

 試合をやれば、勝つこともあるが、負けることもある。我が子が試合に負けて帰ってきた時は、叱るのではなく、その負けた理由を考えさせることだ。親子で話し合っていれば、いずれ上手な負け方ができるようになるのだ。そうなると負けが負けにならなくなり、着実に実力を上げていくことになるのだ。

 野球は子供の頃から野球ばかりやってきた人たちを集めてしまったからこそ、自分たちのやっていることの間違いに気付かなかったのである。サッカーも現在は人気があるが、子供の頃からサッカーばかりやっている人たちを集めてしまえば、いずれサッカーの欠点が露呈し、違うスポーツに取って代わられることになるのだ。

 だから小学生の頃には様々なスポーツにチャレンジさせることだ。中学生から1つのスポーツに絞ってやらせるようにすればいいのだ。どのスポーツも親の戦略が絶対に欠かせないのだ。親にしっかりとした戦略があればこそ、子供はスポーツの世界で活躍していくことができるようになるのである。

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女子小学生たちの夏休みの必読書 ~荒川静香著『乗り越える力』~

●若い時は必ず自叙伝を読むべし

 若い時は必ず成功者たちの自叙伝を読むべきである。人間がこの世に生きて行くためには、「人生の手本」というものが必要なのであって、成功者を真似てしまうことで自分の人生を成功させてしまえばいいのである。自叙伝を読まず、ゼロから自分の人生を切り開くなどという馬鹿げたことをすべきではないのだ。それは無駄な行為なのであって、そのエネルギーを効果的に使えば人生を簡単に成功させることができるものなのである。

 しかし自叙伝には欠点も存在する。それは自叙伝がその偉人の全生涯の記録になっていることだ。このためにその偉人が若い時に悪戦苦闘していた実態がイマイチ解らなくなってしまうのだ。もしも若者に本当に必要な自叙伝があるとするなら、「偉人の若い時だけの自叙伝」なのである。

 こういう状況下で、やってくれました! 荒川静香姫!!heart02

 若者にとって本当に必要な自叙伝を書き上げてくれたのである。

15歳の寺子屋 乗り越える力

 荒川静香著『15歳の寺子屋 乗り越える力』(講談社)は、様々な自叙伝の中でも非常に出来がいい。幼稚園児の時からフィギュアスケートをやり始め、最終的にはオリンピックで金メダルを取ったので、机上の空論を言って来ないのだ。自分が間違った考えや行動を取れば、確実に負けるというのがスポーツの世界なのである。

 女子小学生の中でフィギュアスケートをやっている子なら、当然の如くにこの本を読むべきであろう。それ以外でも、スポーツをやっている女子小学生ならこの本を読んだ方がいい。スポーツには種目が違っても、アスリートとしての共通なものがあるので、この本を読めばアスリートとして多いに利益をもたらしてくれるのである。

 この自叙伝は金言が鏤められた本であるので、一読して終わりにはしないことだ。何度も何度も読み返すことで、その金言を大いに味わって欲しい。しかもこの本は頁数が少ないので、その内容を暗記してしまうことだ。この本の内容が頭の中に入っていると、その後の人生が好転して行くようになる筈だ。

●切っ掛けは「ひらひら」

①最初が肝心

 何事も最初が肝心である。荒川静香はフィギュアスケートを遣り始めた切っ掛けが非常に良かったからこそ、その後の成功があったのである。幼稚園児だった荒川静香は或る日スケートリンクでひらひらの服を着ている女の子たちを見て、自分もその服を着たいということでフィギュアスケートを遣り始めたのである。

 男の子と女の子とでは脳が違うのである。女の子がスポーツをする場合、そのスポーツで使用される服装がお洒落であるのか否かが非常に重要なことなのである。女の子にとってはお洒落でないスポーツをやろうとしないし、たとえやってもいずれ飽きて行ってしまうことになるのだ。

②負けず嫌いに火をつけろ

 スポーツが上達して行くために大事なことは環境が整うことではないのだ。その子の負けず嫌いに火をつけることなのである。負けず嫌いは必ず驚異的な成長を引き起こすのである。負けて当たり前だと思っているような子が成長して来るなんてことは絶対に有り得ないのだ。試合で負けたのなら、悔しがれ、涙を流せ、怒りまくれ。そうやって感情を爆発させることはスポーツをやるためには必要なのである。

③親の育て方やコーチの教え方の巧さ

 荒川静香の母親である「佐知ママ」は、自分の娘に行き成りフィギュアスケートをやらせたのではないのだ。様々なお稽古事を経験させたのである。その中で荒川静香が最も気に行ったフィギュアスケートだけを選び、そこに集中したのである。これは一見無駄のように見えて、脳には非常にいい影響を与えたのであって、様々なお稽古事を経験させたことで、脳の機能が大いに高まり、その後の成長に繋がったのである。

 荒川静香が小学生の時に受けたコーチは「長久保裕コーチ」といって、生徒たちを殆ど褒めず、叱ってばかりいるようなコーチだった。こういう教え方は非常に悪い教え方なのである。しかし荒川静香は一人っ子で我儘に育って来たので、こうやって自分を叱ってくれる大人が必要だったのである。叱られるからこそ、傲慢にならず、忍耐強くなることができたのである。スポーツの世界では運不運が付き纏うが、コーチとの相性の良さがその後の人生を大いに変えてしまうのである。

●スポーツから離れることの大切さ

 長久保裕コーチとの相性が良かったために、荒川静香はメキメキと頭角を現すようになり、中学1年生の時には全日本ジュニア選手権大会で優勝することになる。中学3年生の時にはシニアの全日本選手権大会でも優勝してしまう。更には高校生の時に長野オリンピックに出場して、13位という惨めな結果ではあったけれども、とにかくオリンピックに出ることができたのである。

 しかし荒川静香は大学進学では大いに失敗してしまうことになる。荒川静香は私立大学の雄「早稲田大学」に進学することになるのだが、この早稲田大学の学生であった時期こそ、荒川静香が低迷しまくった時期なのである。というのは早稲田大学はスポーツ選手のために特別なカリキュラムを用意している訳でもなく、ただ単に普通の講義を施し、レポート提出を迫ったりしていたのである。荒川静香の方はフィギュアスケートの練習のために大いに時間が割かれ、しかも生活苦のためからバイトもしていたので、当然に睡眠時間を削ってしまい、それが大いに成績の低迷として出て来てしまったのである。

 スポーツをやっている女の子が大学に進学する際は、絶対に偏差値の高い大学を選ばないことだ。スポーツに力を入れている大学というのは、大抵が偏差値の低い大学なのである。偏差値が引くからこそ、そのままでは学生が集まらないので、スポーツに力を入れ、最新のスポーツ科学の研究成果を貪欲に導入し、日本一や世界一を取ることで知名度を上げ、学生たちを集めて行くということをしているのである。絶対に大学のブランドや偏差値に騙されてはならないのである。

 荒川静香は大学を間違えてしまったために、大学生の時はオリンピックの出場を逃し、しかもスランプに陥ってしまうのである。そこで荒川静香は何をしたかというと、一旦フィギュアスケートから離れたのである。フィギュアスケートから離れたことで、自分には「アスリートとしての自覚がなかった」ということに気付いたのである。ジュニアを引き摺ったままフィギュアスケートをし続けたためにスランプに陥ってしまったのである。

 自分がやってきたスポーツから離れるからこそ、そのスポーツの面白さが解って来るのである。

 野球選手の自叙伝が面白くない理由はまさにここにこそある。野球のようにステム化されたスポーツだと、そのスポーツを一旦やめるということが起こらない。スランプに陥ってもそのまま野球を遣り続けてしまうものだ。だがそういうことをやっていると、自分の欠点や、野球の本当の面白さに気付けないのである。だから野球選手が書いた自叙伝は詰まらないのである。

 スランプを克服してからの荒川静香は、「諦めたら勿体ない」と思い、真剣になってフィギュアスケートに取り組むようになる。これは一旦フィギャアスケートから離れた者からこそ言える言葉なのであって、逆に言えばこの世には些細なことを諦めてしまう者たちが非常に多いということなのである。この世には競争なんて殆どないことに気付くべきなのである。競争相手の殆どは自滅するような形で去っていくものなのである。

 この変化によって荒川静香の反抗期は終わりを告げ、父親の意見を素直に聞くことができるようになった。実を言うと、世界選手権では父親の勧めによって『トゥーランドット』の曲を使い、そのプログラムでなんと優勝してしまうのである。中学生以降、女の子なら父親に反抗してしまうものだ。その反抗は自分が自立して行くために必要なものであるが、かといっていつまでも反抗していいのではないのだ。親に反抗しつつも、できるだけ早い時に反抗期を終えるべきなのである。父親だからこそ娘のことを誰よりも愛するのであって、父親のアドバイスの中で価値あるものがあるなら素直に聞いた方がいいのである。

 中学生や高校生や大学生が持っている考えは、大抵が間違った考えなのである。それを自分の意見だと思い込むべきではないのだ。間違った考えはどうやっても間違った考えなのである。その間違った考えを自分が成長して行く過程の中で、できる限り早い段階で捨てて行くべきなのである。いつまでも生徒気分や学生気分でいるべきではないのである。大人になるということは、自分の幼稚な考えを全て捨てて行くということなのである。

●スポーツとは自分自身に勝つためにやるのである

 荒川静香は世界選手権を優勝したのを機に、フィギュアスケートを引退しようとしていたのだが、周囲の要請によってオリンピックを目指すことになる。しかし本人はオリンピックに出場する気がなかったので、次の世界選手権では大敗を喫してしまった。この大敗のために「こんなことでやめることはできない!」と思うようになり、本気になってオリンピックを目指すことになるのである。

①限界までやりもせず、できないというな

 荒川静香がオリンピックで優勝するためにやったことは、コーチをニコライ・モロゾフに変えたことなのである。このコーチの下で、自分の限界を打ち破っていったのである。大抵の人たちは自分で自分の限界を定めているだけなのである。限界までやりもせずに、できないといってはならないのである。とにかくやってみる。何度失敗してもいいから、成功するまでやってみるべきなのである。

 自分の限界を突破するような練習は苦しいに決まっている。しかし練習で死ぬほど練習して限界を突破するからこそ、試合に於いて楽しめるプレイができるようになるのである。結局、試合の駆け引きがどうのこうなのではなく、試合本番を楽しめるまでに努力した人が最も強いのである。

②サバイバルを楽しむ

 オリンピックの選手村は非常に不便な場所であるので、多くのスポーツ選手たちがこの不便さのためにリズムを狂わしてしまい、それが敗退に繋がってしまうのである。そこで荒川静香は考え方を変えて、サバイバルを楽しむようにしたのである。だからこそストレスフリーの状態になり、リラックスして試合に臨むことができたのである。

 スポーツをしていれば解ることだが、全ての準備が整わないとやろうとしない選手たちがいるものだ。大概、この手の選手たちは大成しないのだ。スポーツをするのに、自分が満足する状況になることは絶対にないのだ。誰がどうやっても不十分な状態にしかならないので、その不十分な状態でも戦い、勝利して行かなければならないのである。

③結果を思い過ぎてはならない

 頂上決戦になると、結果を意識し過ぎるとなぜだか負けてしまうことになる。試合の際に自分がすべきことを集中できなくなってしまうので、それでミスを犯してしまい、自滅して行くのだ。確かにオリンピックに出場するまでは、夢を持って取り組んできた筈だ。しかしいざ試合になったら結果を考えてはならないのだ。試合に全力を投入すべきなのである。、

 スポーツというのは、相手と競争し、切磋琢磨するということをするものだ。しかしスポーツの本当の醍醐味は「自分自身に勝つ」ということなのである。自分自身が一番の的なのであって、その自分というものを如何に自己制御できるかを競っているにすぎないのである。最も自己統御ができた者が勝利の栄冠を手にすることができるようになるのである。

 荒川静香はこれら3つのことができたからこそ、オリンピックで金メダルを取ることができたのである!

 若い時に本当に身につけなければならない能力は、実は「乗り越える力」なのである。乗り越える力は誰しも初めから持っているのではなく、1つ「1つの物事に向き合い、立ちはだかった壁を乗り越えて行くからこそ、身につくものなのである。それの力を身につけば、試合で優勝するだけでなく、日本一となり、世界一となり、そしてどこでも通用する人物になることができるのである。

 この世には「普通」というものは絶対に存在しないのである。中学生や高校生になれば、友達と群れることで普通になろうとする。しかしそんなことをしていれば、自分のその後の人生が悲惨なものになっていくのである。どんなスポーツでもいいから、自分が得意なスポーツに真剣になって取り組んで、一刻も早く抜きん出た人物になるべきなのである。自分がトップに躍り出た時、新世界が見えて来るものなのである。

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ウィークエンドエッセイ『日本がオリンピックでメダルラッシュをするための戦略』

●人種の差が問題なのではない!

 バンクーバー五輪では銀メダル3個、銅メダル2個と、五輪参加国中20位に終わってしまった。トリノ五輪では金メダル1個だったので、以前の五輪よは善戦したといえるべきだろう。今回の日本選手団の団長は橋本聖子氏であったのだが、この団長の素晴らしい采配が日本の躍進に貢献したことだろう。最高指導者は断固たる態度を取るべきであって、如何なることがあっても周囲にブレないからこそ、部下たちは安心して作業に取り組めるのである。

 現在のように人間は平等だと思い込んでしまうと、この指導者の役割を平気で無視して来るので、誰もが自分勝手に行動してしまい、なんの成果をも得られなくなってしまうのだ。戦いという現場では、現地に赴く指導者の役割というのは、想像以上に大きいのである。鳩山由紀夫首相みたいに、友愛を唱えてフラフラしていては、部下たちは不安だらけになってしあい、誰もまともな仕事など1つもできないのである。

 テレビ中継では、日本の選手たちが白人の選手たちに負けている姿を連発して放送して来るために、日本人は白人よりも劣っているのではないかと思ってしまいがちだ。しかし、人種の差が問題ではないのだ。同じ黄色人種である韓国や中国は善戦しているのだ。五輪参加国中、韓国はなんと5位であり、中国は7位である。明らかに日本が何かしらの問題を起こしているのである。

 では、日本は如何なる場所で問題を引き起こし、それがメダル獲得数の低迷に繋がっているかというと、日本には五輪に対するう戦略がないのである。日本に戦略がないために日本人選手は負け続けているだけなのである。韓国も中国も戦略があったがために日本人と同じような体をしていながら、メダルを大量に獲得しているのである。

 五輪に対する戦略は民間が立てるべきものではない。これは政府の仕事なのである。しかし、日本の政治家たちは無能であり汚職を繰り返して、まともな仕事をしてこないために、五輪への戦略を立てることができないのだ。「政治の貧困」が日本のスポーツに悪影響を及ぼしているのである。国民が選挙の度に無能な政治家たちを選び続けた結果が、自分たちの大損害となって現れて来ているのである。

●戦力の集中

 日本は経済大国であっても、政治大国ではない。政治大国になるだけの軍事力がないからだ。現代の国際政治では核兵器を持たないと、国際政治に於いて発言する権利を持つことができないので、非核三原則に縛られている日本は、なんの外交力も持っていないのだ。即ち、日本は弱者なのだということなのである。日本は決して強者ではな。日本が取るべき戦略は「弱者の戦略」しかないのである。

 日本はアメリカ合衆国と接しているために、スポーツのみならず、どの分野でもアメリカと比較せざるを得なくなるのだが、アメリカ合衆国は強者であり、覇権国家なのである。日本が真似できる訳がないのだ。絶対にアメリカの物真似をして「強者の戦略」を取るべきではないのだ。日本にはそれを行えるだけの人材も資金も物資もないのだ。

 日本が「弱者の戦略」を取るなら、徹底して差別化を図ることが、戦略の基本となる。アメリカ合衆国が強い分野に対して手を出すのではなく、アメリカが不得意としている所で戦い、勝って行けばいいのだ。即ち、メダルを取れる競技にエネルギーを集中することなのであって、全ての競技でメダルを取りに行かないことなのである。今のように全ての競技に手広く戦線を広げるのではなく、寧ろ逆に戦線を縮小して、戦力を集中させるべきなのである。

 具体的には、「フィギュアスケート」「スピードスケート」「ジャンプ」である。これらの競技は日本でもメダルが取れる可能性があり、アメリカ合衆国が圧倒的に強い分野ではないのだ。まずはこれらの分野に戦力を集中して、確実にメダルを取って行くことだ。最低でも8位以内に入賞する。8位であるなら、メダルの射程圏内だからだ。

 それと強化すべきは「カーリング」「モーグル」だろう。この分野は人種の差など大して関係ないので、要は頭脳プレイで勝てる競技だからだ。カーリングは五輪中継の度に人気が上がっている競技だし、今回でも8位になっている。ということはメダル射程圏内だということである。モーグルは五輪で最初の競技となるので、ここで日本人選手がメダルを取ってくれると、後の選手たちがメダルを取り易くなるのである。

 スキー関連は、日本は弱いものである。だからこの分野は戦線を縮小して、出たい選手に対しては最低限の資金だけを与えて、自由に遣らせることだ。アイスホッケーはアメリカが強い分野なので、絶対に除外する。こんな競技は日本に勝ち目がないので、人材や資金が奪われてしまうのが、非常に勿体ないからだ。ここで活躍できる人材を他の競技に回せば、日本はそれだけ多くのメダルを獲得できるものなのである。

 日本が単独でメダルを取ってしまうと白人国家から反発を食らってしまうので、中国や韓国が強い所は敢えて潰さず、白人たちによる反日感情を回避させるようにすべきなのである。白人たちは日本が弱いからこそ大切に扱ってくれるのであって、日本が単独で強くなりすぎてしまえば、途端に反日運動を展開してくるものなのである。

 白人たちが唱える「平等」を絶対に信じては駄目だ。日本は第二次世界大戦の際、アメリカ合衆国によって戦時国際法に違反する無差別爆撃を受けた訳だし、原爆だって落とされたのだ。それに対して、アメリカ合衆国は一度たりとも謝罪していないし、損害賠償だって支払っていないのだ。白人たちがいう平等など一切信用せず、中国や韓国を巧く使って、メダルを獲得しまくればいいのだ。

●スポーツに大量の資金を投入すべし

 では、この戦略を実施するに当たって、必要となる資金をどこから調達してくればいいかということが問題になって来る。お金がなければ戦略など実施できないからだ。現在の日本の財政は莫大な赤字を抱えているので、これ以上、借金をすることはできない。だったら、他の分野から調達してくればいいのである。

①ODAを削減して、スポーツ振興に振り向ける

 まずODAを削減して、スポーツ振興に振り向けることだ。国民が納めた税金は国民のために使うべきものであって、ODAのように外国や外国人のために使うべきではないのだ。国民が納めた税金をスポーツの振興に使って、五輪でメダルラッシュすれば、これほど日本国民に寄与することもないのだ。

②スポーツ振興宝籤

 次にスポーツ振興宝籤を行い、その収益をスポーツ振興に充てるのだ。銀行の手数料を10%とし、配当金を70%とすれば、残りの20%をスポーツの振興に振り向けることができるのだ。実をいうと、イギリスがこの方式でスポーツ振興を行い、日本よりも素晴らしい成績を収めることができるようになったのだ。日本では宝籤に人気があるので、それを巧く利用して、億万長者を出しながら、スポーツの振興を行えばいいのだ。

③スポーツ振興基金

 第三に大掛かりなスポーツ振興基金を作ることだ。これは民間主導で行い、政府の視点からではなく、民間の視点から行えばいいのだ。寄付してくれれば、所得税控除を行い、寄付金が集まり易いようにすればいいのだ。理事長は財界で有能な人物を起用すれば、効果的に寄付金を使えるようになるであろう。

 スポーツの振興のお金は、タダで上げては駄目だ。無利子で資金を融資するのだ。無利子で資金を貸す代わりに、経営コンサルタンティングを行うのだ。スポーツをやっている人々というのは、経済的に無能な人々が多く、経済的合理性が全くないのだ。だから経営コンサルティングを行い、スポーツに経済的合理性を貫徹させるのである。これができるようになると、お金の心配をすることなく、メダルを確実に取れるようになるのだ。

●スポーツ人口の増大を図る

 五輪への戦略はメダルを獲得して行くことであるが、スポーツ行政の目的は、スポーツ人口を増やし維持することなのである。スポーツ行政がしっかりと出来ていれば、五輪でのメダルとかはその副産物としてきちんと出て来るものなのである。如何なるスポーツ選手もスポーツ人口が増大するように寄与するべきであって、それをしてくれるからこそ、人材が続々と生まれて来るのである。

 嘗てサッカーの中田英寿は、ジャーナリストから「なんのためにサッカーをやっているのか?」と訊かれて、即答で「自分のため」と答えていたが、だからこそ、ワールドカップで大失態を仕出かしてしまったのである。スポーツ選手でありながら、自分のためだけにやっていたら、必ずその報復を食らうことになり、自分が悲惨な目に遭うのである。

 スポーツ人口が多ければ、優秀な選手も出て来易いのだ。冬季スポーツなら、雪国に於いて重点的に冬季スポーツの振興を行うべきなのである。日本列島は気候に富んでいるので、画一的にスポーツの振興を行うべきではないのだ。雪国には雪国の遣り方があるし、南国には南国の遣り方があるのだ。

 国民にスポーツをやらせるためにも、減税をしておくことだ。スポーツというのは大抵、金持ちから始まったスポーツは庶民にまで浸透し、長く続いていくものだ。それゆえ、現在のように累進課税制度を伴う所得税を廃止し、収入税に一本化してしまうことだ。国民がどのような収入があっても、収入の10%を税金として納めさせれば、誰も不満には思わなくなるものだ。マスコミは「金持ち優遇は怪しからん」というが、金持ちが更に豊かになり、スポーツに対してお金を使ってくれない限り、日本はメダルを大量に取ることは不可能なのである。可処分所得が多ければ、お金をスポーツに使って来るものなのである。

 スポーツは幼い時から基礎をしっかりと教え、早い段階でエリートコースに乗せることだ。いつまでもアマチュア感覚でいるからこそ、五輪という大舞台で負けてしまうのである。今回、ハーフパイプの国母和宏が服装問題でマスコミからイジメを受けたが、実は服装が問題なのではないのだ。彼は公式の場所でラフな格好をしていた訳ではないので、そんなの個人の自由なのである。問題は服装の乱れよりも愛国心のなさなのである。

 五輪というのは国家と国家のぶつかり合いで、選手たちは国旗を背負って出場して来るのである。そのため競り合った場合、愛国心に勝る選手が勝つものなのである 北海道は日教組が強いので、こういう異常な選手が出て来て、五輪の舞台で悲劇を見てしまうのである。君が代や日の丸に反対しているような教師から教育を受けてしまえば、子供たちは愛国心を喪失してしまうものなのである。教育の正常化は急務なのである。

 ソチ五輪ではメダルの大変動が起こることだう。ロシアは国家を挙げて、アメリカが得意とするスポーツを集中的に狙って来て、それによってロシアは大量のメダルを獲得することになるからだ。特に金メダルの獲得数はダントツの1位となることだろう。やはり五輪の開催国は強いのである。女子フィギュアではロシアの選手が金メダルを獲得する可能性が最も高い。現在の浅田真央では絶対に金メダルを取ることはできない。自分一人の力ではどうしようもない力が作動して来れば、どんなに頑張っても勝つことはできないのだ。

 日本はソチ五輪のメダル大変動を巧く利用し、メダルラッシュを行ってしまえばいいのだ。そのためには戦略が必要であって、しかもそれは「弱者の戦略」であらねばならないのだ。それさえあれば日本の選手たちが大量にメダルを獲得できるようになるのである。日本の選手が活躍してくれたことを心から嬉しいと思うなら、あなたにも愛国心があるということなのである。その愛国心こそが日本を繁栄させることになるのである。

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