映画・テレビ

夏休み特別企画「〈バンドじゃないもん!〉に対して勝手に運命鑑定!」

●「バンドじゃないもん!」って?
 タマティーはAKBが登場して以降、「アイドル絶滅論者」になってしまった。AKBのように没個性になってしまうアイドルグループを見ていると、全体主義の臭いがしてくるからだ。北朝鮮のマスゲームと、AKBの歌やダンスに一体なんの違いがあろう。自分たちの自由を守るためには、全体主義的な傾向を有する集団には、武器を持って立ち上がらねばならないのである。
 
 そんな中、
「バンドじゃないもん!」
というアイドルグル―プを目にしてしまった。バンドじゃない。だから何? グループ名にはなんでも付けていいのだが、こういうグループ名にしてしまうと、自己規定し続けなければ成らなず、それができなくなってしまうと滅亡してしまう事になる。
 
 このグループのキャッチフレーズが、
「サカナルイズム! カナデルリズム! アイドル界のミックスメディア」
なのだが、何を言っているのか、さっぱり解らない。ま、色んな事をやりたいって事かな? どうぞご自由に。
 
「バンドじゃないもん!」の一体何がいいのかといえば、メンバーたちの個性が生かされているという事である。尤も、グループを存在させるための商法は、かなりAKBの手法を満でいる。あこぎといえばあこぎなのだが、デフレ不況下で生き残ろうとすれば、そうするしかないであろう。
 
●メンバー
 驚かされるのが、メンバーたちの芸名である。
 
①鈴姫みさこ
 鈴姫みさこがリーダーなのだが、「みさこ」とは、「穀霊を持つ身」、即ち「巫女の事」を意味する。それに「鈴姫」が付くのだから、「神楽担当」という事になってしまう。総格は31画なので、彼女こそリーダーとなる。
 
②恋汐りんご
 恋汐りんごの「りんご」とは「リンゴ」の事で、別に深い意味はない。しかし「恋汐」が付くと、総格が24画になるので、このグループ内ではアイデアマンとなる。
 
③七星ぐみ
 七星ぐみの「ぐみ」は「グミ」の事で、これまた別に深い意味はない。しかし「七星」とは「北斗七星」の事で、リーダーを支える重要な役割を担う事に成る。総格は17画なので、行動力を駆使して、仕事を進めて行けば大吉となるであろう。
 
④望月みゆ
 望月みゆの「みゆ」とは「聖なる身」、即ち「巫女」の事である。「望月」とは「満月」の事で、「願いを叶える」という意味を持つ事に成る。総格は21画なので、リーダーとして通用する能力を持っている。
 
⑤甘夏ゆず
 甘夏ゆずの「ゆず」は「柚子」の事で、これまた別に大した意味はない。「甘夏」がこれに加わるので、更に大した意味はない。しかし総格は23画なので、勢いに乗れば人気爆発となる。
 
⑥大桃子サンライズ
 大桃子とは「大変に長寿な子」、即ち「巫女の長」の事を意味する。「サンライズ」はそのまま「日の出」という意味に解釈していいだろう。総格が29画なので、若い人たちから圧倒的な支持を得る事が出来る。
 
 芸名が実に素晴らしい。
 偶然ではあるかもしれないけど、よくぞここまでいい芸名を揃えたと思う。駄目な芸名が1つもないというのは凄い。但し、このメンバーだと、「攻撃力100%」で「防御力0%」という事になってしまう。この問題をどう克服していくかである。既に2名ほど脱退者を出しているのだが、これは余りにも攻撃に重点を置きすぎるからで、この問題を克服しないと、またもや脱退者が出て来てしまう事であろう。
 
 芸名に於いて果物の芸名を付ける事は大吉である。例えば「椎名林檎」なんてのは代表例であろう。果物は甘いので、それでその甘さに人々は惹かれる。巫女に関連する名が3つ、果物に関連する名が3つで、丁度バランスが取れているのも実にいい。巫女たちだけだと、宗教団体になってしまう所なのだが、果物の芸名が入る事で、アイドルグループになれるのである。
 
●ブレイクしたければ「バンもん」か「バンもん!」か「BANMON!」か?
「バンドじゃないもん!」に要求されるのは、「ギアチェンジをどうするのか?」という事であろう。このアイドルグループは鈴姫みさこによって作られたのだが、彼女とこのグループ名の相性が良すぎて、彼女をリーダーとしつつも、彼女の手から巧く離れていかないと、一皮剥けないのだ。
 
 このアイドルグループ内でリーダーが務まるのは、「鈴姫みさこ」と「望月みゆ」と「大桃子サンライズ」の3人なので、3トップ制にしてしまうのもいい。サッカーで3トップにするという事は、「攻撃モード」に切り替える事なので、攻撃力に重点を置くこのアイドルグループでは最も適した体制となる。
 
 但しこのアイドルグループには防御力がないので、これをどうするかなのである。通称を、
「バンもん」11画
「バンもん!」13画
「BANMON!」19画
のどれにするかで運命は全然違ってくる。11画なら防御力が備わるが、13画だと音楽重視路線になり、19画だと全国規模で人気を得て行く事ができる。
 
 通称は絶対に「バンもん」しかない。これをファンたちに徹底させれば、「バンドじゃないもん!」はブレイクしていく事が可能になるであろう。

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「おにぎり」と「おむすび」の違い

●おにぎりとおむすびの違い
「おにぎり」と「おむすび」を同じ物だと思っている人たちが多いのだが、「おにぎり」と「おむすび」は違う。簡単に言ってしまうと、
「おにぎり」は握り飯の事で、
「おむすび」は山形の握り飯の事である。
 
「おにぎり」はなんと稲作が始まった弥生時代からあったらしい。「おむすび」とは宮中の女房言葉から出て来た物で、本来は「おにぎり」の事を上品に言った物らしい。それが江戸時代に普及して、山形の握り飯の事を指すようになった。なんで形を問わない「おにぎり」が、形が山形に限定される物になったのかは謎である。
 
 考えられるのは「粽」が起源に成っているという物であろう。中華粽では、三角錐を組み合わせた格好になっている。これでは幅を取る事になるので、「おにぎり」を商品化しようとした際に、「おむすび」の形に変化したのではないか? 「おにぎり」に必ず焼いた海苔が付くというのも、やはり商品化した結果、そうなったという事であろう。
 
●おにぎりの方が合理的
 現在では、コンビニとかで「おむすび」が売られているのだが、「おにぎり」の方が断然に合理的である。なぜなら「おむすび」の場合、1つの角から食っていく事に成るが、そうなると、角の向かい側にある辺の強度が弱くなってしまい、それで「おむすび」が2つに崩壊してしまう危険性があるからだ。
 
「おにぎり」の方は球状か俵型なので、食べていて「おにぎり」が崩壊するという事はない。それだけでなく、「おにぎり」の方が作り易い。「おむすび」だと、手を山形にしなければ成らず、余りにも不自然な形になってしまう。しかもきちんと山形にするためには、多少修正する必要性があるので、時間を食ってしまうのだ。
 
 帝国陸海軍では「おにぎり」を将兵たちに支給した。「おにぎり」2つで1食分の食事としたのである。将兵が何十万人と成ってしまえば、「おむすび」を作っている閑などないのだ。但し、日露戦争ではその「おにぎり」が寒さのやめに凍ってしまい、それで寒冷地では「乾パン」が支給されるようになった。日本の乾パンがやけに固いのは、寒冷地でも凍る事無く食えるようになっているからなのである。
 
●なぜ売れる芸能人はおむすびを食べるのか?
「おにぎり」の方が合理的なら、「おにぎり」だけ食べればいいのではないかと思ってしまうのだが、しかし「おむすび」には「おむすび」なりに存在理由がある。それは「縁起物」として食べるという物であり、単なる食べ物ではないからこそ、「おむすび」には根強い人気が存在するのだ。
 
「おむすび」のように山形にしてしまうと、「山」を意味する事に成るので、山の神様、即ち「スサノオ」の御加護を頂けるようになってしまうのである。縄文人たちは地母神を山の神として祀ったのだが、出雲神族が出て来ると、その山の神の上にスサノオを乗っけた。「オオヤマツミ」というのも、実はスサノオの事である。
 
 だから売れる芸能人は「おにぎり」ではなく「おむすび」を食べた方がいいという事に成る。但し、白米だけ食べると栄養が偏るので、栄養を考えるのなら具にそれなりの工夫をし、更には味噌汁を付けた方がいい。なんと有村架純は「おむすび」に「味噌汁」を昼食にしていた。それでブレイクする事ができたのである。
 
●売れるのはどっちだ?
「おにぎり」と「おむすび」、「売れるのはどっちだ?」と訊かれれば、即答する事はできない。「おにぎり」は「お寿司」や「稲荷寿司」という形で結構売れているからである。「おむすび」はコンビニを中心に飛ぶように売れている。普通に白米を食べるより、断然に食い易いので、「おにぎり」でも「おむすび」でも売れるのだ。
 
 食べ易いを更に突き詰めると、作り易いを要求するようになり、それで、
「おにぎらず」
という物が出て来た。「おにぎらず」というのは、ご飯を手で握らず、大形の海苔でご飯を包んでしまう物である。面倒臭いからこそ、こういう物を考え出したのだろうが、衛生の事を考えると、結構バカに出来ない。手で握れば、どうしても食中毒の問題が出て来るからだ。
 
 ハンバーガーが売れている事を考えるのなら、「円形のおにぎり」という物もあっていいだろう。但しこれは手で作る事は出来ない。円形の型にご飯を詰め込んで、作らなければならない。名称は「丸にぎり」とでも言えばいいだろうか? 「押し寿司」の一種と考えれば、確実に売れる事だろう。
 

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毎年恒例! 第7回タマティーの超マイナー流行語大賞

●今年の流行語大賞

 今年、流行語は大量で、なんと候補に挙がったのは30個。

アスリートファースト/新しい判断/歩きスマホ/EU離脱/AI/おそ松さん/神ってる/君の名は。/くまモン頑張れ絵/ゲス不倫/斎藤さんだぞ/ジカ熱/シン・ゴジラ/SMAP解散/聖地巡礼/センテンススプリング/タカマツペア/都民ファースト/トランプ現象/パナマ文書/びっくりぽん/文春砲/PPAP/保育園落ちた日本死ね/(僕の)アモーレ/ポケモンGO/マイナス金利/民泊/盛り土/レガシー

 それなのに流行語大賞はなんと、

「神ってる」

えーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!

  俺、使った事がありません。

 流行語大賞は野球に甘い! 日本のスポーツは今やサッカーこそがメインなのだから、スポーツネタで行くなら「アモーレ」だろ。流行語大賞が「アモーレ」になれば、表彰式に中森明菜が出て来たりして。「それは『ミ・アモーレ』だって!」 というツッコミが可能になってくるのだ。

 大体、今年の流行語大賞は「ゲス不倫」じゃないの。それか「ポケモンGO]だよ。流行語大賞の選考委員たちの感覚が一般大衆と完全に遊離してしまっている。「やくみつる」を除いて、選考委員たちを全て変えるべきであろう。流行語の選考は老齢になったらもう無理だよ。

●超マイナー流行語大賞トップ10

 超マイナー流行語大賞というのは、タマティーの超個人的な流行語の中から最も優れた流行語を表彰する物である。

 それでは今年の超マイナー流行語大賞を発表します!

第一位 「おっぱいファースト」

 「おっぱいファースト」とは、おっぱいを最優先にする事。育児では絶対に欠かせない流行語であろう。良質の母乳を出せば、赤ちゃんは健康になり、病気に罹りにくくなる。但し、育児中の母親たちが気を付けるべきは、常におっぱいを出しっ放しにしない事だ。宅急便とかが来るからね。

 「おっぱいを見ればむしゃぶりつく」というのは、考えてみれば、俺は赤ちゃんの頃からやっている。あれから何十年と経つのに、全く進化していない。男性である以上、そうなってしまうのだから、女性たちはどんどんおっぱいを見せて行こう。男性なのに女性のおっぱいに興味がなくなれば、その方が遥かに危険だ。

第二位 「ポコチンGO」

 「ポコチンGO」とは、ゲイの男性たちがハッテン場で相手の男性を捕まえるゲームを言う。男性同士でセックスできるよう了解を取り、相手の男性のパンツを脱がしたのなら、

 「ポコチン、ゲットだぜ!」

と決め台詞を発して、ポコチンを咥える。

第三位 「ゲス不倫特需」

 「ゲス不倫特需」とは、川谷絵音とベッキーのゲス不倫によって発生した特需の事を言う。マスコミででゲス不倫ネタが持ち上がると、必ず「矢口真里」の出番が発生する。不倫を自宅でやり、しかもセックスの最中に旦那に見つかるという、もうこれ以上ありえない失態をやったので、今となってはそれが貴重な収入源。

 「バスクリン」もゲス不倫特需で大儲けできた。マスコミで散々「ゲス不倫」と言われると、なぜだかバスクリンが懐かしくなってしまって買ってしまうという消費者たちが出て来た。できる事なら「バスクリン ベッキー味」「バスクリン ゲスの極み」とか出して欲しかった。CMの際にはベッキーのヌードを使用すべし。

 ゲス不倫ネタで盛り上がっている時、俺は国語辞典の著者たちの本を読み、そこで、

「ゲスる」

なる言葉を見つけてしまった。「ゲスる」とは九州地方の方言で、「嫌らしい」という意味を持つ。だから、この方言を使うと、

「ゲスるショー」:不倫ネタばかりやっているワイドショーの事

「ゲスリマクリティー」:嫌らしい事をやりまくる事

なんて言葉を生み出す事ができる。

第四位 「マジデチュウ」

 「マジデチュウ」とは、「マジでチュウする事」または「マジでチュウするように口を窄めて口の周りの筋肉を鍛える事」を言う。俺は普段、自転車に乗っている時にマジデチュウをやるのだが、そうやって口を鍛えている。こういう事をやっていないと、口が衰えてしまい、はっきりと物が言えなくなってしまうのだ。

 著名な学者さんなんだけど、その人は腹話術師じゃないかと思うほど、全く口が動かないので、話が物凄く聞きづらい。言っている事は正論なんだけど、喋り方でかなり損をしていると思う。特に女性たちはそういう喋り方をされると、聞く耳を持たなくなってしまう。だから口を鍛えておく事は必要。

第五位「SMAP解散予知夢」

 「SMAP解散予知夢」とは、俺が夢の中でキムタクに呼ばれ、メンバー全員の前で、SMAP解散を告げられた予知夢を言う。あの夢は本当にリアルだったので、予知夢を人に話したのだが、その後、SMAP解散報道があったのだから、これまた驚き。SMAPの解散はアイドルが活躍する時代がもう終わったと考えた方がいいかも。

第六位「二の腕ぷる~ん」

「二の腕ぷる~ん」とは、吉木りさの二の腕がぷる~んとなっている事を言う。そのようなブヨブヨの二の腕の持ち主が、芸能ネタの事をあれこれ言う事は問題があり過ぎる。他人に何か言いたいのなら、まずは筋トレでもして、自分の二の腕をどうにかしてから言え。吉木りさの年齢の考えると、そこまで二の腕が緩むのは早すぎる。

第七位「老害タレント」

 「老害タレント」とは、老害を垂れ流しているタレントの事を言う。具体的には「みのもんた」「和田アキ子」「明石家さんま」などの事を指す。ギャラが高額なくせには、この人たちが出て来ると全く面白くない。高齢化社会では芸能界でも老害は発声するのであって、或る年齢に達したら、早目に引退させた方がいい。

 俺は「お笑い芸人50歳定年説」というのを発見した。お笑いに最も敏感なのは女子高校生たちだから、高校三年生が「18歳」なので、30歳でひと昔ゆえに、お笑い番組の司会者は「48歳」、切り上げて「50歳」を限界と考えた方がいい。50歳を超えると、どうしても女子高校生たちの考えている事や言っている事が解らなくなってくるので、それでお笑い番組の司会者としてはもう不適格になってしまうのである。

第八位「テレビ漂流ゴミ」

 「テレビ漂流ゴミ」とは、テレビの中で漂流しているゴミのようなタレントの事を言う。具体的には「古舘伊知郎」を指す。まず「報道ステーション」の司会を長らく務めたのに、バラエティ番組に出て来るというのは無理がありすぎ。それに彼みたいに喋り過ぎてしまうと、他のタレントたちが喋れなくなってしまうので、それで番組が本当に詰まらなくなってしまう。ゴミなんだから早く消えて欲しい。

第九位「拝みシャンプー」

 「拝みシャンプー」とは、狩野恵里がモヤさまで披露した、頭上で拝みながらシャンプーする事を言う。これは本当に衝撃的で、礼拝をしながら洗髪を行っているので、洗髪をする度に運が良くなっていく。尤もやるのは面倒臭いので、狩野恵里じゃないと長続きしないのかもしれない。

 この狩野恵里がモヤさまでやったのが「卒業詐欺」。「番組を卒業します」と言った癖に、長々と出続けたので、卒業の価値が激減。卒業するならとっとと卒業して欲しかった。尤も巷では常時「閉店セール」をやっている「閉店詐欺」が存在しているから、卒業詐欺に対してそれほどきつくは言えない。

第十位「引退詐欺」

 「引退詐欺」とは、宮崎駿が引退すると言ったのに、また映画を作り出し、引退宣言が事実上撤回された事を言う。アニメ映画の監督は体力がないとできないので、もう白髪になったら引退でしょう。引退すべき人が引退してくれないと、スタジオジブリでは監督が育たなくなってしまうって。

●敢闘賞 功労賞 奨励賞

 今年は超マイナー流行語も豊作だったので、それで「敢闘賞」「功労賞」「奨励賞」を設けた。

敢闘賞:「ノリコール」

 「ノリコール」とは、モヤさまの三代目女子アナ「福田典子」が何をやっても可愛いので、すぐに「可愛い!」とコールしてしまう事を言う。あんまり美人ではなく、それでいて声が良い。但し何をやっても普通の事しかしないので、逆にそれが好印象。

 但し我が家では、

「狩野恵里の時と対応が全然違う!}

と苦情殺到中。

功労賞:「セクシャル三村」「ミムハラ」「ミムる」

 「セクシャル三村」とは、三村マサカズが猥褻な発言をするキャラに変身する事を言う。尤も常時変身中という噂も。このセクシャル三村が行う物が「ミムハラ」で、三村マサカズが行う嫌がらせを言う。事実上セクハラなんだけど、笑いを取れるから許される物で、普通の人たちは真似しない方がいい。

 「ミムる」とは、ダメ親父になっている男性が、三村マサカズを真似て、猥褻な事を言って笑いを取る事を言う。例えば、「あいつ、ミムりやがってよ~」なんて使われ方をする。性的な事に触れる時は、出来る限り笑いを取ろう。そうしないと真面目な女性たちは、些細な事で怒り出すから。

奨励賞:「バカウィン」

 「バカウィン」とは、ハロウィーンバカたちの事を言う。ハロウィーンを理解してやっているのならいいのだが、全く理解していないでやっているので、傍から見ると本当にバカな行為にしか見えない。普段、詰まらない人たちって、こういう時にとんでもないバカな事を遣り出すから要注意。

 

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まさかのトランプ旋風

●ヒラリー確実だったのに
「今年のタマティーの大予言」ではヒラリーが大統領になると予言しておいたのだが、まさかのトランプ旋風でドナルド・トランプが大統領選に勝利してしまい、45代大統領になる事が決まってしまった。安倍晋三首相が9月に訪米した時、アメリカ合衆国政府から「ヒラリーが次期大統領である」と紹介を受けていた。それなのにたった2ヶ月で大逆転である。
 
 最大の敗因は「ヒラリーの汚職」と「クリントン財団の腐敗」であろう。ヒラリーは結局、汚職の疑いを拭えなかった。クリントン財団の事は夫のビル・クリントンが責めを負うべきだろうが、あのバカが夫なら、もしもヒラリーが勝ってしまえば、再度、ホワイトハウスでセクハラ事件が起こったに違いない。
 
 今回注目すべき事は、「ウィルソン大統領以来、国際投資銀行家たちが選んだ者ではない者が大統領になった」という事である。だからトランプは選挙資金が自前なのであり、これが白人たちの支持をしっかりと掴んだ。しかも選挙戦略が実に巧く、敵陣に乗り込んで切り崩しを図った。更に選挙演説では過激発言を繰り返し、討論会ではヒラリーを打ち負かしたのだから、これなら勝って当然であろう。
 
 トランプの過激発言が問題視されるが、オバマ大統領は「世界の警察官を辞める」と宣言していた以上、だからトランプが「アメリカ第一主義」を唱えるのは別におかしな事ではない。寧ろアメリカ合衆国の覇権が事実上終わったというのに、次のビジョンを描かなかったヒラリーの方に問題があるのだ。
 
 アメリカ合衆国は長く国際投資銀行家たちの支配を受けていたのであり、この連中は全てユダヤ教徒だからこそ、トランプが勝利宣言を行った時、会場からは「USA!」コールが響き渡ったのである。アメリカ人たちの愛国心を刺激したのはトランプなのであって、だからこういう現象が起こったのだ。
 
●ロスチャイルド財閥の大反撃
 今回のトランプの勝利は決して偶然ではない。ロスチャイルド財閥の大反撃が起っており、まずは「パナマ文書」を公開する事で、ユダヤ人以外の金持ちたちを淘汰しようとし、イギリスのEU離脱を引き起こす事で、EUとロシアに戦争させ、再びヨーロッパを焦土に化そうとしている。
 
 ビル・クリントンがロックフェラー家の隠し子である事からも解るように、アメリカ合衆国ではロックフェラー家の影響力が低下してきた。如何なる財閥でも3代が限界であり、4代目以降はどうしても没落していってしまうのである。アメリカ合衆国のマスコミは殆どがロックフェラー財閥に属するので、それでヒラリー有利の報道を最後までし続けたのだ。
 
 トランプ自身はキリスト教徒で改革派に属しているのだが、しかし娘はユダヤ教徒に改宗している。だからロスチャイルド家からすれば全くの赤の他人ではないのだ。恐らく、今回の選挙ではモルガン財閥が動いただろうから、それでトランプが選ばれたのは当然であるといえる。
 
 ロスチャイルド財閥がアメリカ合衆国にして欲しい事は、「ヨーロッパに駐留しているアメリカ軍を撤退させる事」である。第三次世界大戦を引き起こすためには、北大西洋条約機構というのは邪魔でしかなく、これさえ外す事が出来れば、EUとロシアは正面衝突する事になり、これによって第三次世界大戦の火蓋が切って落とされる事に成るのだ。
 
 EUはロシアに様々な経済制裁を加えたのだが、結局、プーチン政権を崩壊させる事ができなかった。プーチンは想像以上に強力な政権を作り上げたのであって、経済制裁が効かない以上、後は戦争しかない。EUとロシアが共倒れになってしまえば、イギリス一国だけが大儲けできるから、イギリスは没落するどころか、再度、覇権を握れる可能性も出て来ているのだ。
 
●アメリカ合衆国の国力低下
 覇権国家は国際貿易を展開する事によって世界中から富を掻き集める。だからアメリカ合衆国は「空前絶後の大繁栄」を実現する事が出来たのである。しかしその反面、工場は外国に移転するようになるから、国内では商品が作られなくなる。せいぜい兵器ぐらいであって、他の商品は競争力をなくしてしまう。
 
 それゆえ覇権国家では国民が徐々に貧乏になっていき、それに応じて国力は低下していく。確かに数字的にはアメリカ合衆国はまだまだ世界ナンバーワンの国家である。ところがもしもアメリカ合衆国と中国の間で戦争が始まれば、確実に負けるであろうとの、軍事予測がなされているのである。
 
 今、アメリカ合衆国がすべき事は、海外に展開している軍隊をできるだけ撤退させ、同盟国には自力で防衛するようにさせていく事であろう。しかしオバマ大統領は何をやったかといえば、日本に対して地震兵器ハープを使用して、東日本大震災や熊本地震を引き起こしたり、核拡散防止という事で日本にあったプルトニウムをごっそり持ち去ってしまったのである。
 
 アメリカ合衆国の民主党は、日本が日露戦争に勝利して以降、首尾一貫して日本を敵国としてきたのであって、だから大東亜戦争の時は民主党のルーズベルト大統領だったわけだし、その後も民主党の大統領が出ると、徹底的に日本叩きをやった。だが中国が次期覇権国家として登場してきた以上、そういう外交政策ではもうダメなのである。
 
 アメリカ合衆国が覇権を維持したいのなら、ヨーロッパではイギリス、東アジアでは日本を絶対に失わない事だ。これさえあれば、大西洋と太平洋の海上権力を握る事ができるので、中国が台頭してきても、なんとか繁栄を維持できる。朝鮮半島は歴史的に中国の勢力下にあったから、韓国のアメリカ軍は撤退させてもいい。
 
 
●日本が取るべき政策
 安倍晋三は憲法改正を主張して衆議院議員選挙で圧勝したのに、オバマ政権から「憲法改正しないように」と言われ、安倍晋三は首相就任後、憲法改正の事には沈黙するようになった。それだけでなく、オバマ政権は日本維新の会の橋下徹を危険視し、政治家を辞めさせるように強要し、本当に政界から引退する事になってしまった。
 
 ところがトランプが大統領になれば、日本は憲法改正を正々堂々と行う事が出来るようになる。中国が軍拡に突っ走っている以上、このまま戦争放棄の規定のある昭和憲法があっては、もしも戦争になった場合、本当に負けてしまう事に成る。中国は尖閣諸島の領有を主張しており、領土の事で揉めれば、いつでも戦争は起こり得るのだ。
 
 トランプが言うように、日本に核武装させれば、アメリカ軍の負担は相当に軽くなる。日本が核武装していないから、アメリカ軍は日本に駐留軍を置かなければならず、これでは時間が経過すればするほど、アメリカ合衆国の国力は低下していく。尤も日本には核実験を行う場所がない以上、核武装するといっても、その核ミサイルはアメリカ合衆国からレンタルする事になるであろう。
 
 日本では70年以上に亘って、学校教育で洗脳が行われてきた。アメリカ合衆国の属国となるために昭和憲法があるのだが、その国辱的な憲法を「平和憲法」だと称して、有難く崇めてきたのである。洗脳が解除されない限り、憲法に関してまともな議論をする事はできないであろう。
 
 それと日本人の民度の低さは相当に深刻である。オバマ大統領の大統領就任演説の本が売れるのに、彼の真意を見抜ける者は誰もいなかった。「Yes,We Can」と言ったオバマが日本に対して一体何をやったかを知れば、全ての日本国民が激怒する事になるであろう。無知だからこそ、アメリカ合衆国のなすがままなのである。
 
●「3つの潰し」が始まる
 今後、「3つの潰し」が始まる。何が潰されるのかといえば、
「ロシア潰し」
「中国潰し」
「北朝鮮潰し」
である。イギリスはあの手この手を使ってロシア潰しを行う事になるであろう。但し、ロシアは現在「人口減少」が起っており、国民の質が物凄く上がっている。絶対に油断できない相手である。
 
 アメリカ合衆国は中国潰しを行う事になるであろう。とにかく次期覇権国家は中国なのであって、中国を今の内に潰しておかないと、アメリカ合衆国は本当に滅亡する事に成ってしまう。中国は一党独裁なのであって、常に国家は1つに纏まっているのであって、アメリカ合衆国の感覚でやれば、とんでもないミスをしてしまう事になるであろう。
 
 北朝鮮は経済が破綻しているので、いつでも潰れていい国家なのだが、なんせ戦争という切り札を持っている。いずれ朝鮮半島からアメリカ軍は撤退するだろうが、その前にやっておかなければならないのは北朝鮮潰しであり、朝鮮半島を統一した上で撤退する事であろう。
 
 民進党は蓮舫を代表にしてしまったが、彼女は台湾出身で中国支持なのだから、政権を取る事は絶望的である。自民党内でも中国と関係を持っている政治家たちは汚職とかでどんどん逮捕されていく事であろう。アメリカ合衆国が大きく外交政策を変化させる時だから、日本は絶対に外交で失敗する事は許されないのだ。
 
 
 日本は現在、安倍晋三が首相になっているので、実にラッキーだったと言っていい。彼なら外交を間違う事はないであろう。但し1つ懸念があるのは、安倍晋三の後継者が誰もいないという事である。日本も首相公選制を導入する事によって、国民の選挙で首相を選出しないと、どうしても小者が首相になってしまい、それではアメリカ合衆国の大統領とまともに付き合っていく事は出来ない。憲法改正では「議院内閣制の廃止」もやらなければならないのだ。
 
 

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女人禁制「オスカルの楽しみ方」

●女性なのに感情移入できる
 
 女性が漫画を読む際、主人公の感情移入する事はし易い。女性たちが感情移入できる漫画であるなら、その作品はヒットする事であろう。しかし男性の場合、主人公に感情移入するのが難しい。況してや少女漫画となれば、主人公は女性なのだから、殆ど絶望的となってしまう。
 
 しかし『ベルサイユのばら』は主役のオスカルが女性なのに男性として生きているので、それで感情移入する事が出来てしまうのだ。女性たちには解らないかもしれないけど、男装している時のオスカルは確かに男性として生きているのであって、ただ単に女性が男装している訳ではないのである。
 
 しかしオスカルは女性である以上、男装していても、突如、女性に戻る時がある。だが、その時は女性として全くの無防備なので、そうなると男性の俺としては、
「可愛い~ッ!」
という事になってしまう。男性として生きてきたのに、女性として女子力を充分に持っている事は絶対に有り得ない。池田理代子はこの点、本当に巧い。
 
 俺ははっきりと言ってしまうと、オスカルの生き方には絶対に共感できない。近衛連隊長になった以上、最後まで王家を守るべきであって、それなのに革命側に付くなど言語道断だと言っていい。池田理代子も当初の計画ではオスカルが投獄されたマリーアントワネットを助け出す物なのだったが、様々の事情で物語が徐々に変化していき、最終的にはああいう結末になってしまったに過ぎない。
 
 近衛兵たちは王家を最後まで守る役目を負うので、元近衛連隊長とはいえ、近衛連隊にいた者が裏切るようでは、君主制は崩壊していくしかないだろう。『三国志演義』がなぜ男性たちに根づよい人気を持っているのかといえば、関羽や張飛や趙雲や諸葛亮孔明が決して劉備を裏切らなかったからである。
 
●ベッドの上でのオスカル
 
 オスカルは絶対に「処女」であるから、アンドレとのセックスシーンではあんな綺麗に行くわけがない。セックスに関する情報を全く仕入れてこなかったのだから、オスカルはベッドの上で「マグロ」になってしまい、何もする事が出来ない。それどころか処女膜を破れれば、その痛さに嘆く事であろう。
 
 漫画には出て来ないのだが、アンドレのキャラ設定では、彼は売春宿に行って既に女性とセックスを経験済みという事なので、セックスに関して何も知らないわけではないのだ。しかしアンドレが買春したとなると、女性の読者たちの印象が物凄く悪くなってしまうので、それでその情報は漫画には出さなかったのである。
 
 仮にアンドレが童貞ではなかったにしても、オスカルを相手にセックスするのは至難の業だろう。というのは、アンドレはオスカルよりも体力的に劣っているので、そんな女性を相手にセックスするのは本当に大変なのである。況してや娼婦しか相手にした事がないなら、余計にと言っていい。
 
 オスカルは運動神経がいいので、教えればどうにか使える。尤も男女のセックスに興味を持てばの話である。そういう事よりも仕事に興味を持ってしまえば、性生活は悲惨なままであろう。この手の女の場合、セックスする前に仕事よりも大切な事がある事を教える方が最優先なのであって、セックスはそれをしてからなのである。
 
 女性が仕事をする場合、恋愛して恋力を発生させて、その恋力を仕事に投入して成功して行くやり方もあるが、恋愛禁制によって恋愛をしないで突っ込んで行った方が成功確率を高くする事が出来る。女性のアイドルに恋愛禁制を要求するのはそのためなのだが、このやり方には欠点があって、恋愛をしなければならなくなった時に、仕事よりも恋愛に重点を置いてくれないと、仕事も恋愛も失敗する事になってしまうという事だ。
 
●結婚後のオスカル
 
 オスカルとアンドレは死の影が漂う中で結ばれる事に成るので、結婚後の事は全く想像できない。物語はオスカルとアンドレが結ばれると、死に向かって突進していく事に成るので、結婚の事は除外せざるを得ないのだが、それでも結婚後のオスカルは一体どうなるのか想像してみてもいい。
 
 オスカルは男として育てられてきたので、家事や育児が全くできない女性である。しかも貴族の令嬢ゆえに、自宅には女中たちがいるので、たとえ赤ちゃんを出産しても、自分で育てなくてもいいようになっている。だからこの問題の核心は、
「オスカルは結婚によって変わるか否か?」
にある。
 
 フランス革命が勃発し、オスカル自身、啓蒙思想に目覚めてしまっている以上、オスカルは出産しても仕事をする事になるであろう。アンドレにはオスカルを不自然な状態から解放させてあげる力を持っていない以上、幾らアンドレと結ばれたとしても、オスカルは絶対に生き方を変える事はないであろう。
 
 尤もオスカルは女性である以上、出産して赤ちゃんの事が可愛くなり、育児に専念する事も有り得る。「結婚には全然興味ない」「赤ちゃんなんて大嫌い」といっていた独身女性が、結婚後、結婚生活を大事にし、育児に専念する事になってしまう事があるが、そういう現象は起こる女性には起こるのである。
 
 オスカルは「六女」なので、別に結婚しようがしまいが、赤ちゃんを産もうが産むまいが、どうでもいい女性なので、オスカルの自由にすればいい。しかしその余りにも大きすぎる自由が、結局、自分の実力では自由をきちんと制御しきれないので、それで破滅に向かって突進して行ってしまうのである。
 
●なぜアランは「あんな女、やめておけ」というのか?
 
 原作のアランとアニメでのアランは全く別人格なのであるが、アニメ版のアランは、
「あんな女、やめておけ」
とアンドレに忠告させている。アニメ版は監督が男性なので、これは監督の意見だと判断していいだろう。
 
 仕事が出来過ぎてしまう女性は、妻や母親としては全く不適格である。オスカルには女子力が決定的に不足しているのであって、オスカルとアンドレは性別が違っても、結局、男同士の交際になってしまうのだ。男気あふれるアランにしてみれば、オスカルの事を自分の仲間であるアンドレには勧める事が出来ないのである。
 
 意外な事かもしれないが、アニメ版のアランには女性たちのファンが結構多い。原作のアランは反骨精神旺盛なので、女性たちは絶対に好きに成れないのだが、アニメ版だとアランのセリフはまさにその通りなので、女性たちはアランに男を感じてしまい、それで好きになってしまうのである。
 
 原作者の池田理代子はアニメ版の『ベルサイユのばら』を「目が疲れる」という理由で最後まで見ていないと発言している。しかしこの発言は本当に正しいのだろうか? というのは、『栄光のナポレオン』ではアランが大活躍する事になるので、アニメ版を見た上で漫画を描いていかないと、ああいう作りにはならないからだ。
 
 女性は結婚する事によって母親から自立していく事になる以上、女性であるなら絶対に結婚すべきである。女性として生まれたのに、結婚を否定して仕事を選んでしまえば、どう生きたとしても、絶対に自立できないのだ。オスカルは結婚適齢期が終わった時に死んでいるので、その点は物凄く評価する事が出来るのである。
 
 

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池田理代子の歴史漫画

●近代以前の国家では、専制君主制の国家こそ先進的であった
 
 近代以前の国家では専制君主制の国家こそ先進的であった。専制君主制はなかなか成立しない。君主が専制君主になるためには、有力貴族たちを全て粛清しなければならないので、国内で血みどろの内戦を経ないと君主は自分の所に権力を集中させる事が出来ない。
 
 しかし一旦専制君主制が誕生してしまうと、国内には政敵が皆無となるので、それで君主は積極的に戦争をしていく事が出来、だから専制君主制国家は大発展する事が出来るように成る。西ヨーロッパでは、スペイン、ポルトガル、イギリス、フランス、オーストリア、ロシア、ドイツと、続々と専制君主制国家が誕生し、国外に植民地を持つ事によって大繁栄を遂げた。
 
 日本では天皇が専制君主制ではなかったので、国民は専制君主制の国家というのがどうしても解っていない。日本は近代以前では全く振るわなかったが、近代化に成功したために欧米列強と争う羽目になってしまったが、アメリカ合衆国を除けば、全て専制君主制を経て今の政体があるので、専制君主制が解っていないと、まともな外交1つできない事になってしまうのだ。
 
 専制君主制の国家では「王位継承」という欠点があり、如何に名君に恵まれたとしても、名君が連続して出て来る事はなく、大概が凡庸か愚鈍な者が次の君主になってしまう。そうなれば国内では政争が発生し、国外では拡張した領土を維持する事が出来なくなってしまう。しかも国民は君主に服従するだけだから、政治に対してなんにも責任を持たず、それで政体が末期になると、国民は革命側に走ってしまうのである。
 
 専制君主制の国家は近代化の過程で、革命が起こる事によって専制君主制その物が消えた。現在、専制君主制の国家というのは1つも存在しない。近代以前では先進的と思えた専制君主制は、近代以降だと淘汰されるべき物と成ってしまった。かといって近代化された国家も名宰相を持続的に出していかないと、専制君主制同様に淘汰されてしまう事だってあり得るのだ。
 
●『ベルサイユのばら』
 
 漫画家の池田理代子は不思議にも専制君主制の時代の歴史漫画を描きまくっている。「少女漫画で歴史物はタブーである」と言われていたのに、敢えて『ベルサイユのばら』で大勝負を賭けた。これが大ヒットしたからこそ、池田理代子の名声は決定的な物となった。これ以降、他の女性漫画家たちも歴史漫画を描くようになるので、池田理代子の功績は大いに評価されていい。
 
 革命はそう簡単に起こる物ではない。革命が起こってしまう最大の原因は君主の方にあるのであって、特に碌でもない女性を妻に迎えてしまうと、王妃によって国政が乱され、それに反発する形で貴族や庶民たちが武装蜂起し、君主が弑逆されてしまう事に成る。ルイ16世は善良な人物であったかもしれないが、それでも妻のマリーアントワネットが余りにも酷すぎたのである。
 
 王妃である以上、全ての人たちに対して公平に接しなければ成らない。しかしマリーアントワネットがやったのは、ポリニャック伯爵夫人やフェルゼンといったごく一部の者たちを寵愛する事であって、これが貴族たちの怒りを買う事になってしまった。王妃が浪費をしようが不倫をしようが別にそれは構わない。だが王妃と貴族との関係を断ち切ってはならないのである。
 
『ベルサイユのばら』はオスカルが主人公なので、どうしてもオスカルの方に目が行ってしまうのだが、このオスカルはフェルゼンに対して、絶望的な片思いをする事に成る。思春期では自分がどんなに愛したとしても、どうする事も出来ないという事を経験する物だが、それが解った人たちはオスカルの事を正しく理解する事が出来る事であろう。
 
『ベルサイユのばら』で一言注意しておくと、作者の池田理代子は生活の全てを犠牲にしてこの漫画を描いたのであって、そのために赤ちゃんを産む事は不可能になっただけでなく、結婚もダメになってしまった。だからこの作品には「病的な部分」が或る程度は入っているので、それで女性読者たちは結婚したら読まなくなってしまうのである。
 
●『栄光のナポレオン』
 
『栄光のナポレオン』は『ベルサイユのばら』の続編と見るべき作品であり、『ベルサイユのばら』は本来ナポレオン戦争まで書く筈だったのに、作者の体力が限界に達してしまったためにアントワネットの処刑で一応終りにした。フランス革命は革命発生後、政争を繰り返し、大量の犠牲者たちを出して行き、人材が枯渇した時にナポレオンが政権を掌握し、皇帝になっていく。
 
 ナポレオンの人生で最大の汚点がジョセフィーヌと結婚してしまった事であり、彼女が子供を産まなかったからこそ、ナポレオンは後継者の事で苦しみ、帝政を安定させる事ができなった。しかしナポレオンはジョセフィーヌと結婚すると運勢が上昇し始め、彼女と離婚すると没落して行くのだから、人間の運命という物は不思議である。
 
 ジョセフィーヌはナポレオンと結婚した後に子供ができなかったので、これは結婚したが子供のいない池田理代子じゃないと描けない。ジョセフィーヌが非常に魅力的なキャラになっているので、ナポレオンだけではなく、ジョセフィーヌの事も堪能しながら読むと、この作品を非常に良く理解する事が出来るように成る。
 
 ナポレオンはクーデターをやったり、帝政を実現したりと、一見、専制君主のように見えてしまうのだが、しかしその権力は確固たる物ではなく、有力な政治家たちの支持を取り付け、敵対する政治家たちを排除する事で成り立っていたに過ぎない。学校の世界史の授業みたいな習い方をすると、歴史も政治も戦争も何も解らなくなってしまうので、歴史漫画を読む方が歴史や政治や戦争を学ぶ事に役立つ。
 
 池田理代子は『栄光のナポレオン』を執筆中に、音楽大学に受験する事になったので、それで途中から手抜きをしてしまったのが実に惜しい。手抜きをしなければ、『ベルサイユのばら』に続いて高い評価を受けた事であろう。『栄光のナポレオン』を読み終わったのなら、参考文献を読み漁って補完するという作業をやった方がいいかもしれない。
 
●『天の涯まで』
 
『天の涯まで』はポーランドの英雄ユーゼフ・ポニャトフスキの物語なのだが、ポーランドの歴史を描くのは非常に難しい。これは出版社の要請で描く羽目に成った物で、作者が最初からその気で書いた物ではない。しかし『栄光のナポレオン』に関係してくる物なので、書かなければ成らない必要性があったとも言える。
 
 ポーランド王国は君主制国家であっても「貴族共和制」を取り、貴族たちが議員となるポーランド議会によって国王を選挙するという選挙王制を取っていた。このために専制君主制に移行する事ができなかった。しかも議員たちには「自由拒否権」が認められており、自分の権益を犯す法案を悉く廃案にする事が出来た。
 
 このようなバカげた政体であったために、ロシアとプロシャとオーストリアによって分割されれてしまい、ポーランド王国は滅亡してしまった。「改革できない政治というのは政治をしていない事と同じ」であり、諸外国は専制君主制によって改革に次ぐ改革をやっているのだから、それで国力に圧倒的な差がついてしまうのである。
 
 ポーランドの事で特筆すべきは、ヨーロッパの中で最も「美女率」が高いという事であり、マリア・ヴァレフスカがその美貌を利用してナポレオンに近づき、一時的にではあるが「ワルシャワ大公国」として復活させる事が出来た。戦争や外交だけで国家の独立を維持できるのではなく、閨房も国家の独立には役立つのである。
 
 ポーランドの場合、政体に致命的な問題がある以上、革命を起こして政体を変革させない限り、どうにもならない。確かにユーゼフ・ポニャトフスキは英雄であるかもしれないが、その英雄と雖も政体を変革させなければ、腐った政体のために押し潰されて死んでいくしかない。
 
『天の涯まで』でのユーゼフ・ポニャトフスキはかなり脚色されており、実際の彼は軍人というべき人物で、軍人としては有能だったが、政治家としては全くの無能な人物なので、『天の涯まで』を史実だと思い込んでしまうと非常に危険である。大国に囲まれた小国は「巧妙な外交」をしないと生き残れないのであって、下手に戦争をすれば国家を滅亡に追いやってしまう物なのである、
 
●『女帝エカテリーナ』
 
『女帝エカテリーナ』はロシア帝国の女帝エカテリーナを描いた作品であり、『ベルサイユのばら』以降、最も出来の高い作品。しかしこの作品が大ヒットしなかったのは、池田理代子が結婚はしたが、子供がいなかったので、それでエカテリーナがまるで独身女性のように振る舞うからである。

 専制君主制では君主に権力が集中し、それに伴って富も女も集まって来るのだが、という事は女性が君主になれば、富も男も集中してくる事に成る。ロシア帝国ではこのバカげた事が本当に起こった。なぜ女帝による専制君主制が非難されるのかといえば、男性の皇帝は子孫を増やすために側室を設けて行くのだが、女帝はそうではなく、ただ単に性的な快楽のためにやっているからである。

 帝国という物はなぜだか女帝になると大発展し、領土が一気に拡張する。しかしその後、急速に没落してしまう事に成る。ロシア帝国では女帝エカテリーナで大繁栄を遂げるのだが、彼女が崩御すると、彼女を上回る皇帝が誰1人として出ず、最終的にはロシア革命で滅亡してしまった。
 
 女帝エカテリーナは池田理代子の作品の中で最も魅力的なキャラであり、『ベルサイユのばら』のキャラ以外では、読者たちの人気1位を獲得している。『女帝エカテリーナ』を読めば強い女になれる事間違いなしであり、女社長になるならこの漫画を読んだ方がいいかもしれない。
 
 但し、猛毒率高し。女帝エカテリーナがやった事を、現実世界で本当にやれば、非難集中になってしまうのは当然であり、猛毒を緩和しながら使わないと、自分が破滅させられてしまう事に成ってしまう。未成年者の女性は読むべきではない。大人になってから読んだ方がいい。

●『聖徳太子』
 
『聖徳太子』は聖徳太子を描いた作品である。日本では専制君主制がなかったので、それで専制君主ではないが、改革を目指す皇太子を抜擢して、それで政治を行っていく事の難しさを描いた。天皇と豪族たちによる政治から、一気に律令政治へ行ける訳がなく、その過程には様々な問題があり、それを1つ1つクリアして行かなければ成らない。
 
 この作品の聖徳太子は池田理代子本人であると思って読んだ方がいいかもしれない。どう見たとしても女性であり男性ではない。池田理代子は自分が聖徳太子であったのなら、どう考え、どう行動したかを描いたのであって、それを踏まえて読んでいくべきであって、聖徳太子の絵が旧1万円札の絵とは違うからといって笑っているようでは読む資格はない。
 
 国家という物は古ければ古くなるほど、「血統」という物が物凄く重視される事に成る。だから古代では、政治家は必ず名門の出でなければ成らず、名門以外の出あるなら政治に関与する事は出来ない。それと政治家は名門の娘と結婚する事によって、よりパワーアップしていかなければ成らない。
 
 それゆえフェミニストたちのように社会を見て「男社会」と見てしまうようでは、歴史も政治も何も解らない事になってしまう。女性たちは結婚する事によって政治に大きく関与してくるからだ。池田理代子は嘗てフェミニズム的な意見を言っていたが、『聖徳太子』を描くようになると、もうフェミニズム的な意見など一切言わなくなってしまった。それは歴史や政治をきちんと勉強したからであろう。
 
 歴史というのは唯物論で証明できる物ではない。歴史を実際に動かしているのは「人間の欲望」であり、「理想」であり、「陰謀と謀略」であり、経済力というのはそのための道具に過ぎない。唯物論のよって書かれた歴史学の書物を読むより、池田理代子の漫画を読む方が歴史の事を理解する事に役立つ。
 
●次回作は?
 
 池田理代子の歴史漫画で次回作は何かといえば、予想できる物は限られてくる。彼女が得意とするのは専制君主が居た頃の時代であり、しかもそれはヨーロッパが舞台なのだから、漫画の題材に出来る専制君主はそう多くいるものではない。老齢になって中国やインドの専制君主に手出しする事はない筈だ。
 
 まずは、
 
『デジレ・クラリー』 
 
であろう。デジレ・クラリーはナポレオンの初恋の女性で、しかしナポレオンはジョセフィーヌに出会ってしまい、彼女に夢中に成ってしまったので、それでデジレとは破局してしまった。ところが彼女がベルナドットと結婚し、その彼が事もあろう事かスウェーデン国王になってしまい、それで彼女は王妃になってしまった。但し、デジレ・クラリーは、運は良くても、平凡な女性なので、池田理代子が彼女を取る可能性は低い。
 
 となると、
 
『アレクサンドル1世』
 
という事も有り得る。アレクサンドル1世はロシア帝国の皇帝で、ナポレオンのロシア遠征で彼を打ち破った。アレクサンドル1世は美男子であるので、池田理代子の好みに合うかもしれない。彼の性格は複雑怪奇と言われているので、恐らくAB型であろう。AB型の池田理代子なら書けるかもしれない。
 
『ベルサイユのばら』関連でいけば、
 
『マリア・テレジア』
 
という選択肢も有り得る。彼女はオーストリア帝国の女帝で、マリーアントワネットの母親である。彼女が生涯に於いてなんと「16人」も子供を産んでいるので、子なしの池田理代子では描きにくいかもしれない。とはいっても、『マリア・テレジア』を書いてくれると、マリーアントワネットがどうして生まれてきて、嫁がされたのかが良く解るように成るであろう。
 
 日本版だと、
 
『持統天皇』
 
になるのが濃厚とみていい。『聖徳太子』を描いたのなら、次は『持統天皇」というのが予測できる。天武天皇は壬申の乱によって皇位を簒奪しているので、持統天皇は天智天皇の血統が絶えないように努力し続けた。そのためには手段を選んでいないのであって、奈良時代が非常に血なまぐさくなったのはこのためである。
 
 池田理代子の歴史漫画は超お勧め。読めば歴史が好きに成るのは間違いなしと言っていい。
 

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絶対にテレビでは放送されない震災ニュース

●被災したのに被害のない人たち
 
 自分の周囲にも熊本県出身者はかなり多く居て、自分たちはこっちに出ているけど、両親や兄弟姉妹は熊本県に住んでいるという事になる。だから熊本地震が起こると、
「被害はどうなの?」
と訊く事になるのだが、中には笑ってしまう回答もあって、
「家族で宮古島に旅行中」
というのがあったりした。
 
 確かに熊本県に住んでいるからといって、常に熊本県に居る訳ではなく、旅行する事だって有り得るだろう。旅行中に自宅が被害を受けても、自分たちは旅行中ゆえに安全なので、別にビクともしないのだ。尤も、こういう夫婦がまずしなければならないのは、どうやって帰宅するかなのである。
 
 一番笑えたのが、
「益城町に住んでいるのに、自宅が倒壊しなかった」
という物である。テレビの映像では益城町の家々が全て倒壊してしまった情報が流れているのだが、その人の家は益城町の中心部から離れていたので、倒壊には至らなかった。倒壊した家屋は震源地から近く、瓦屋根を持っている物が多かった。逆に言えば、震源地から巧く離れ、新しい耐震基準で作られて家は倒壊する確率が低いという事なのである。
 
 とは言え、震度7なのだから家の中はメチャクチャになってしまったらしい。そこで、
「何か欲しい物ある?」
と訊いたら、
 
『支援物資よりもカネをくれ」
 
と答えやがった。家があるのに家なき子か! 地震のために物流がストップしてしまったので、とにかく商品がないために、商品が入れば爆買いするしかないとの事であった。
 
 テレビ局の方としては悲惨な映像を流せば流すほど視聴率が取れるから、どうしても現地で悪い情報ばかり取り上げる事に成る。しかし震度7の地震で、死者が50名程度なのだから、家々の倒壊や橋の落下があったにしても、被害は想像以上に軽い。寧ろ熊本県で新しい耐震基準を満たした家屋が異様に少なかったという事の方が問題なのである。
 
 
●オムスビ1個とロケ弁1つ
 
 今回の熊本地震で、俺が最もショックだったのは、被災者たちが避難所で3時間も並んでオムスビ1個しか貰えなかったのに、現地で取材に当たった女子アナにはロケ弁が配られ、そのロケ弁が実に豪華であったという事であった。その女子アナは正々堂々とツィッターにその写真を載せたのだが、人間として当たり前の感覚すらなくなっているのであろう。
 
 テレビ局が取材チームを派遣する以上、ロケ弁は用意していく事になる。現地では食べ物を調達するのすら難しいのだから、ロケ弁を用意する事は当然とは当然だ。しかし現地では食べ物が無い状態なのだから、ロケ弁を食べるにしても、密かに食っていればいいのである。わざわざその情報を公開する事はないのだ。
 
 熊本地震のように大きな地震が起こった時、東京のテレビ局のスタジオで、冷暖房が完備され、食事も食べ放題の状態なら、幾らアナウンサーやコメンテイターたちが喋っても、現地の情報は巧く伝わらないであろう。こういう時は全員が全員、現地に行くべきであって、東京のスタジオで呑気にやっている場合ではないのである。
 
 しかし現地に行けば「食事はどうするんだ?」という事になり、そうなれば被災者たちが食事にありつけないのに、テレビ局の関係者たちだけは食事にありつけ、しかもその食事は豪華な物になっているのだから、これでなんの矛盾も感じない訳にはいかないであろう。これはアナウンサーたちに「食事をオムスビ1個にしろ」と言っているのではない。アナウンサーたちは被災者たちの感情を理解していないと、とんでもない間違いを引き起こしてしまうという事なのである。
 
 みのもんたなんかは、こんな大事な時にツィッターを始めたのだが、
「自衛隊にはきちんとやって欲しい」
とコメントして、ネット界から猛反発を食らってしまった。テレビ業界に長年いると、どうしても人間としての当たり前の感情がマヒしてしまうのであろう。大体、みのもんたなんかは、東日本大震災が起こった夜にはキャバクラに行って酒を飲んでいて、キャバクラ嬢から、
「こんな所にいていいの?」
と叱られたくらいなのである。
 
 
●熊本県民の県民性
 
 今回の地震で、非常事態だというのに、熊本県知事が政府に盾突いたり、避難所に避難者たちが殺到して大混乱になってしまい、「同じ日本人なのにどうも違うな~」と思った人たちは結構多い。それもその筈、熊本県は古代に於いて球磨族がいた所で、「難治」と言われた場所だからだ。
 
 中国の三国時代に於いて、呉の孫権が琉球遠征を行うのだが、それによって難民たちが肥後の国にやってきて定住してしまった。これを撃退するために邪馬台国が戦争を行ったが、逆に戦争に負けてしまい、それで近畿地方から大和朝廷に攻め込まれ、滅ぼされてしまった。しかしその大和朝廷も球磨族の統治には苦戦し、仲哀天皇は球磨族征伐の時に流れ矢に当たり、戦死している。
 
 江戸時代には細川家が統治し「手永制」を導入して分割統治した。このために統治は巧く行ったが、熊本の人たちは組織戦が非常に下手糞になってしまった。因みに、熊本県でも熊本藩とは別に人吉藩があったのだが、この地方の人たちは手永制がなかったので、組織戦が下手糞ではない。
 
 熊本県民の県民性は、男性は短気で強情で、議論が大好きという、最悪の県民性である。明治期に熊本バンドというキリスト教プロテスタントの一派が出て来て、この連中が新島襄の同志社に入ると、同支社を滅茶苦茶にしてしまった。熊本県出身の男性たちを甘く見ると、とんでもない目に遭ってしまう事に成る。
 
 熊本県の女性たちは、控え目で忍耐強いの特徴で、女性たちの能力は高い。しかし熊本県は男尊女卑の風潮が強いので、フェミニズムの蔓延度高い。だから避難所でテキパキと働く既婚女性たちがいる一方で、独身女性たちはバラバラになってしまい、効果的な働きが全く出来なかったのである。
 
 熊本県民は男女共々「衝動買い」する傾向が強く、貯金するのは下手糞。このためお金がないばっかりに避難所で飲食物にありつこうという連中が殺到してしまった。今後、崩壊した家屋を再建していかなければならないのだが、貯金がない人たちが多い以上、政府は仮設住宅を作るのではなく、いっその事、マンションを作ってしまい、それを格安の値段で払い下げるという事をした方がいい。
 
●非常事態では「断食しろ!」
 
 避難所ではオムスビ1個を貰うのに3時間も並んだりしたのだが、3時間も並べばもう何もする気力が起こらなくなってしまう。俺があの光景を見てつくづく思ったのは、
「非常事態では断食をしろ!」
という事である。人間は3日間、何も飲み食いしなくても生きていける。非常事態なのだから飲食などしていないで、他の事をすべきなのだ。
 
 大体、非常事態に食事をする動物はいない。ライオンだって火事などで住む場所を追われれば、逃げるのに必死になり獲物を捕らえて食べようとはしない。動物というのはそういう物なのであって、なんで人間たちだけが非常事態なのに飲食をしているんだって話になる。
 
 それなのにどうして非常事態に飲食をするのかというと、人間は緊張を解くために飲食をしてしまうのだ。地震は滅多に起こる物ではないので、突如、大地震を経験してしまうと、思いっきり緊張してしまい、別にお腹が空いている訳でもないのに、飯が欲しく成ってしまう。とはいっても、余震が続く中では緊張を解く事など出来ないのであって、暫くの間は緊張し続けた方がいいのである。
 
 どの大地震でも1週間後には水と食料が行き渡るようになっている。だったらその間は断食したり、少食に徹したりして、出来る限りまともな食事をしないようにし、その代り、食事にかける時間を他にすべき事の時間に充てて、被害を最小限度に抑えるようにした方がいいのだ。
 
 普段、断食していない人たちが非常事態に断食しろと言われてもしないだろうから、だから平時の段階で断食を行い、断食に馴れておくようにすべきなのである。断食になれていないからこそ、非常事態では断食などできず、数時間も並んで、僅かな食べ物を貰うという事をしてしまうのだ。非常事態では食べ物よりも時間の方が大事という事を考えると、断食しないという事は実に愚かな事をやってしまう事に成るのである。
 

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『ベルサイユのばら』はこうしてパクられた

●創作に於いてパクリは常套手段
 
 創作に於いてパクリは常套手段であり、パクリをしない限り創作をし続けていく事は出来ない。漫画家であるなら、自分が漫画を描く前に様々な漫画を読んで来たからこそ、新たな漫画を描いていく事が出来る。もしも漫画家になりたい者が1冊も漫画を読んでいないのなら、その者が漫画を描くというのは無理であり、やれたとしても最低レベルの物しか作れないのだ。
 
 世間の人たちの中にはパクリを非難する者がいるのだが、それは間違っている。パクリはどの漫画家たちもやっているのであって、パクリをせずにプロの漫画家としてやっていける者はまずいない。漫画家が絶対にやってはならないのは「盗作」であり、盗作は他の漫画をそのまま使うからこそ、著作権法で取締りの対象になっているのである。
 
 池田理代子は手塚治虫の『リボンの騎士』をパクって『ベルサイユのばら』を描いた。女性が男装して、男性たちと一緒に仕事をするというのは、何も彼女のオリジナルのアイデアではない。手塚治虫がもうやっているのだ。しかし『ベルサイユのばら』には新しい創作があるからこそ、高い評価を受けたのである。
 
 少女漫画黄金時代に大ベストセラーになった『ベルサイユのばら」は、今度は一転してこの作品こそが他の漫画家たちからパクリを受けるようになった。パクられるというのはその作品が一流の作品である証拠であり、一流の作品が出て来ると、その後、続々と面白い作品が出て来るように成る。
 
 
●機動戦士ガンダム
 
『ベルサイユのばら』を最も巧くパクったのは『機動戦士ガンダム』であろう。『ベルサイユのばら』は少女たちの間で大ヒットしていたのだが、それを見た連中が『機動戦士ガンダム』で思いっきりパクった。オスカルをシャア・アズナブルとセイラ・マスに分解して、それで美形悪役と美形善玉として使用している。
 
 パクリが明確に解る所はシャアの軍服である。シャアの軍服は特別仕様なのであるが、この軍服はオスカルが近衛連隊長の時に着ていた軍服と非常に似ている。キャラのデザインを担当した安彦良和はプロイセン軍の軍服を手本にジオン軍の軍服を描いたと言っているのだが、シャアの軍服ような軍服はプロイセン軍には全く存在していない。
 
 オスカルは女性なのに男として育てられたためにセクシャリティの問題で悩む事に成るのだが、セイラ・マスは男性たちの中で仕事をしながらも、そんな問題を全く抱えていない。因みにセイラ・マスは医学を志しており、サイド7では医療ボランティアに従事していた。戦争がなければ女医になっていた事であろう。
 
 監督の冨野喜幸はどうも『ベルサイユのばら』を読んでいなかったみたいで、それで『機動戦士ガンダム』は『ベルサイユのばら』のように物語が破綻していく事がなかった。企画段階ではシャアはホワイトベースとの最初の接触の戦いで戦死する事に成っていたのだが、このキャラに魅力を感じた人がいて、「シャアを殺してはならない」と助言したので、それでシャアは最後まで生き続ける事になった。
 
●一条ゆかり
 
 池田理代子は昭和42年に漫画家デビューしたのだが、一条ゆかりは高校1年生の時に若木書房から漫画家デビューし、昭和43年に集英社の方から漫画家として再デビューしている。漫画家デビューした時期が殆ど一緒で、若木書房と集英社から出たというのは、なんとも因縁めいている。
 
 一条ゆかりの漫画はキャラが実にリアルなのだが、それがは彼女が6人兄弟の末っ子で育ったからであろう。キャラ作りが巧いのは兄弟姉妹が多い中で育ったからであり、兄弟姉妹が少ないとキャラ作りが単調に成って来る傾向にある。池田理代子は4人兄弟の第一子長女であるが、兄弟姉妹が多いからこそ、キャラ作りが非常に巧い。
 
 一条ゆかりは結婚していたが、その後、離婚した。彼女がいい作品を描いていたのは結婚していた時期であり、離婚すると余り巧くなくなってしまった。女性は結婚する事によって人生が変わるので、漫画家と雖も結婚する事は絶対に必要であり、結婚しないといい作品を作る事はできない。
 
 池田理代子の血液型がAB型なのに対して、一条ゆかりの血液型はA型。だから性格は几帳面であり、几帳面だからこそ絵はしっかりと描いているし、物語も破綻させたりはしない。漫画家は労働時間が長いので、漫画家に最も向いている血液型はA型であろうと思う。
 
 池田理代子と一条ゆかりの決定的な違いは「美人かブスか」という事であり、池田理代子の方は美人なのだが、一条ゆかりの方は妖怪レベルのブスさであり、俺は一条ゆかりの顔を見た時に絶句してしまったぐらいだ。漫画家であるなら、ブスの方がいい。ブスはモテないから、あれこれ考える時間はたっぷりとあり、それで出来のいい漫画を描く事が出来るのである。
 
 一条ゆかりの代表作『有閑倶楽部』の剣菱悠里はオスカルからパクった物であろう。オスカルとそっくりな姿の絵が、剣菱悠里の絵として出ていたりする。剣菱悠里は女性たちにモテるが、彼女自身、セクシャリティの問題を全く抱えていない。単なるじゃじゃ馬娘だから、読んでいて痛快な所が多々ある。因みに剣菱悠里の血液型はO型。どう考えてもA型の女性だと思えるのだが・・・。
 
●パタリロ
 
『ベルサイユのばら』を最も多くパクったのは「魔夜峰央」であり、『パクリロ』は『パクリロ』だといっても過言ではない。『パタリロ』に出て来る「マライヒ」はオスカルが元ネタであり、オスカルの男性バージョンだという事に成る。マライヒはどう見ても女性にしか見えないのだが、一応、性別は男性なのである。
 
 それだけでなく、『パタリロ』の話の中には『ベルサイユのばら』の物語をパクった物が多々ある。魔夜峰央の凄い所はパクリが巧く新たな物語にしてしまっている所であり、彼のパクリの巧さは少女漫画の世界でトップだと言っていい。この凄さがあればこそ、しぶとく生き続けているのである。
 
 しかし彼の漫画は時間の経過と共にどんどん下手になっていくのが欠点であり、若い頃にやっていたような綺麗な漫画を描いていれば、もっと高い評価を受けた事であろう。俺自身、『花とゆめ』では『パタリロ』をメインに見ていたのだが、余りにも絵が下手に成ってしまったので、それで読むのをやめてしまった。
 
 因みに『パタリロ』のは「パタリロはみだしファンクラブ」というのがあって、これが実に面白い。通称「パタはみ」と言われている。『パタリロ』はマンネリ化して面白くなくなってしまったのだが、面白いファンたちがいるという事を忘れてはならない。何を隠そう、作家の東野圭吾も『パタリロ』のファンなのだから、ファンの層は想像以上に広居のである。
 
 魔夜峰央の血液型は「O型」。だから結構「雑」。少女漫画だと雑な描き方は実に損である。しかしO型特有の寛容さが、物語の幅を広くする事に成るので、それでどうにか生きて行く事が出来るように成る。漫画雑誌としてはA型の漫画家ばかり揃えてしまうとキツキツになってしまうので、それでO型枠という物が必要になってくるのだ。
 
●セーラームーン
 
『ベルサイユのばら』を巧くパクって大ヒットさせた女性漫画家に「武内直子」がいる。彼女の『セーラームーン』に出て来る「タキシード仮面」は、『ベルサイユのばら』に出て来る「ベルナール」を元ネタにした物であろう。美少女戦士たちに対して、タキシード仮面は余りにも不釣り合いなのだが、『ベルサイユのばら』を踏まえているのなら、それは良いという事に成る。
 
『セーラームーン』と『ベルサイユのばら』が決定的に違うのは、『ベルサイユのばら』ではセクシャリティの問題が存在しているのだが、『セーラームーン』ではそんな問題など存在せず、美少女戦士たちは女の子である事を徹底的に楽しんでいるという事である。だから女の子たちに大ヒットした。そして今読んでも面白い事であろう。 
 
 この世の中は、
「女性は何をやっても許されるけど、男性は何かをすると逮捕される」
物なのであって、自分が女性に生まれた事に感謝できれば、なんでも出来る物なのである。それなのに自分が女性である事に劣等感を持ってしまうからこそ、おかしな生き方をしてしまうのである。
 
 武内直子の血液型は「A型」。やっぱりと言いたくなる。A型は几帳面なので、漫画家には非常に向いている事に成る。どんなにいい物語でも、途中で手抜きをされてしまうと、読者の方の集中力が下がってしまい、その漫画を十二分に楽しめなく成ってしまうものなのである。
 
 平成11年には結婚し、ちゃんと子供もいる。この辺りも池田理代子と大いに違う。結婚しないと結婚後の事は描けないし、妊娠出産育児をしないと、妊娠出産育児の事も描けない。女性漫画家であるなら絶対に結婚すべきだし、子供も早めに産んでしまった方がいい。そういう事をしないと、いつまでも子供相手の仕事しか出来ないものなのである。
 
●バクリ甲斐のある作品
 
『ベルサイユのばら』はパクリ甲斐のある作品なのであって、少女漫画で漫画家になりたいのなら、まずは『ベルサイユのばら』を読んでパクってみる事をやった方がいい。但し、女性漫画家としては一条ゆかりの方が断然に巧いから、女性漫画家になるなら絶対に一条ゆかりを手本にした方がいい。
 
 漫画家の労働時間は長い物だから、血液型が「AB型」「A型」というのは断然に有利であり、絵も物語も巧いのはこの血液型を持つ者たちであろう。O型とかB型では、或る時期までは綺麗に描けても、時間が経過すればするほど、絵も物語も雑に成って来るという欠点があるのだ。
 
 女性漫画家の場合、20代でヒット作を出せる可能性があるので、そうなると結婚をいつするかが大事に成って来る。池田理代子は結婚していたが、『ベルサイユのばら』の大ヒットで結婚生活はボロボロになってしまった。その点、武内直子は『セーラームーン』を大ヒットさせながらも、巧く結婚する事が出来た。
 
 結婚しなければ、絶対にマンネリになってしまう。女性漫画家は仕事と結婚をどう両立させるかが問題になるからこそ、結婚する事を躊躇したり、婚期が遅れてしまうのだが、いい相手が現れたのなら、早目に結婚してしまった方がいい。幾ら仕事が忙しいからといって、結婚を後回しにしてしまうと、本当に結婚する事が出来なく成ってしまうのだ。
 

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『精霊の守り人』に対して勝手に運命鑑定

●原作がいい場合、原作に忠実に成った方がいい
 
 上橋菜穂子の『精霊の守り人』がNHKでドラマ化され、なんと『大河ファンタジー』として放送される事になった。このドラマが成功すれば、土曜日の午後9時枠は『大河ファンタジー』として大河ドラマに準じた扱いを受けるようになるかもしれない。NHKは大河ドラマと朝の連続テレビ小説以外、いいドラマがないので、もう1つドラマの枠が欲しい所だ。
 
 現在、大河ドラマでは『真田丸』を放送中なのだが、俺は毎回、ドラマを見ている最中になぜだか寝てしまう。視聴率的には善戦しているのだが、ネットで調べてみると、長澤まさみの演技が物凄く不評で、それで見るのをやめる人たちが続出しているという。主役は堺雅人なのだから、彼の魅力を食ってしまう女優を入れてしまったのが間違いなのである。
 
 『精霊の守り人』では綾瀬はるかが主役のバルサ役をやっているのだが、原作ではごっつい女になっているから、ミスキャストといえばミスキャストだと言っていい。しかし綾瀬はるかはこの役のために1日200回も腕立て伏せをして体を鍛えているので、そういう努力があればこそ長澤まさみみたいな不評を買う事がないのである。
 
 但し、この大河ファンタジーで気に成る点が1つあり、それは、
「原作に忠実になっていない」
という事だ。原作がいい場合、原作に忠実に成った方が良く、下手に弄ってしまうと失敗する可能性が高くなってしまう。脚本家が内容をてんこ盛りにしてしまうと、逆に面白味が減少してしまう事に成る。
 
 監督の方は質の高いドラマになるように撮影しているので、だからこそ脚本家のやっている事が異様に目立ってしまう。脚本家が書きたい事を100%書いてしまうのではなく、敢えて30%マイナスにすると、視聴者たちとしては非常に見易いドラマになる物なのである。視聴者たちに空想を許す余地を与えるからこそ、視聴者たちは自分で空想し、より楽しむ事が出来るように成るのだ。
 
             NHK放送90年大河ファンタジー「精霊の守り人」SEASON1完全ドラマガイド
●帝とチャグム王子
 
 大河ファンタジーのヒットを支援するために、『精霊の守り人』に対して勝手に運命鑑定をする。まずは原作の『精霊の守り人』を読んで欲しい。物語は原作に描かれている通りに進む事に成るのだが、登場人物たちに運命鑑定をしてみると、この物語の思わぬ真実が浮かび上がってきて、それでこの小説を十二分に楽しむ事が出来るように成るのだ
 物語では帝がチャグムを暗殺しようとするのであるが、運命鑑定をしてみると、
「帝とチャグムの相性は良い」
という結果が出た。チャグムは、
「実行力があっても孤独であり、それでいながら粘り強く行って事が出来る」
という少年である。だヵら王子としての能力を充分に持っており、帝から暗殺を仕掛けられるような人物ではない。
 
 問題があるとするなら、帝と二ノ妃の夫婦関係であり、この夫婦は、
「表面的には相性がいいのだが、しかし幾ら話し合っても理解する事は出来ない」
という間柄になっている。だから二ノ妃はチャグムを産んでいながらも、帝と仲が良いとは全く書かれていない。これはこれでいいのであって、帝と二ノ妃の仲がいいと、どうも変という事に成る。
 
 二ノ妃は母性愛の豊かな女性なのだが、チャグムの名は母親との縁が薄いために、それでバルサが登場してくる事に成る。バルサも母性愛の豊かな女性なので、それでバルサはチャグムの母親代わりの存在に成って行くのである。チャグムはバルサから母性愛を貰う事で、男として成長して行く事に成るのだ。
 
 バルサはチャグムを男として愛しているのではない。結婚していないくせに、母親としてチャグムを愛している。これは実に変な事なのだが、バルサにはジグロという、自分の父親代わりに成った男性がいたので、それでバルサはチャグムに母性愛を注ぐ事が出来たのである。
 
●バルサとジグロの関係
 
『精霊の守り人』ではバルサとチャグムの関係をメインに動いていくのだが、実はバルサとジグロとの関係の方が重要であり、これこそが本体という事に成って来る。なんでバルサは死んだジグロに執着しているのかといえば、この2人は相性がいいと同時に、バルサは自分がやらなければならない事をしなかったがゆえに、ジグロを死に追いやってしまったからだ。
 
 ジグロという名は、
「なんでも自分の思い通りにする男」
なのであって、それでバルサはジグロに散々振り回される事に成ってしまった。ジグロがバルサを育てたからこそ、バルサは女用心棒に成る事が出来たのだが、しかしそのために女としてまともに生きる事が出来なく成ったしまったのである。
 
 ジグロの名はその一方で、
「母性愛を刺激する男性」
なのであって、バルサはジグロに接すれば接するほど、母性愛が刺激されてしまったのである。しかしバルサはジグロに母性愛を注ぐ事は出来なかった。だからジグロは死んでしまったのである。
 
 バルサのジグロへの思いは非常に複雑であり、この問題は第二巻の『闇の守り人』で展開される事に成るのだが、とにかく愛憎にまみれ、素直に愛する事が出来なかったゆえに、ジグロを死に追いやってしまったのであり、それがバルサにとって深刻な心の傷になっているのだ。
 
 バルサが腕のいい女用心棒という評価を得ながらも、結構、負傷しまくるのはそのためであり、結局、自分の心の中に複雑な物を抱えているからこそ、巧く戦う事が出来ない。もしもバルサがジグロほどの人物と出会ったのなら、恋愛によって解消していく事が出来るのだが、そういう人物とは滅多に出会える物ではないからこそ、苦しまなければならなくなってしまうのである。
 
 
●バルサとタンダの関係
 
 タンダという名は、
「努力家であり、実行力を充分に持っている男性」
という事に成る。タンダはバルサの相手には丁度いい相手であって、バルサに何かあればすぐに手助けしてくれる事になる。
 
 しかしその一方で、タンダの名は、
「母性愛の豊かな女性が好き」
という名なので、それでタンダはバルサの事を女としてよりも、母親代わりの女性として見てしまう事に成る。2人の関係がなかなか進まないのはそのためであり、たとえ付き合ったとしても、まともな恋愛になる事はないのだ。
 
 タンダはバルサの心が複雑な事を或る程度は知っている。しかしバルサの不自然さを解放してあげるだけの力を持たない。バルサは結局、自分1人の力で心の闇と戦う事に成るのだが、それで自分の不自然さが完全に解消された訳ではない。だが守り人シリーズの最後では、バルサとタンダが結ばれる事に成るのだが、これではハッピーエンドには成らないのだ。
 
 なんでこんな事になってしまったのかといえば、作者の上橋菜穂子本人がまともな恋愛をしていなかったからであり、恋愛を小説に書くためには、作者自身が恋愛をしない限り絶対に描けないから、それでタンダでは役不足というのに、幼馴染みという事で無理矢理くっ付けてしまったのである。
 
 池田理代子の『ベルサイユのばら』も主人公のオスカルは幼馴染みのアンドレと結ばれてしまう事に成るのだが、池田理代子本人が一目惚れをしたのは、なんと「57歳」の時であったという。それまでに結婚は2度もしているのだが、実は恋愛をせずに結婚してしまっただけの事であり、自分が恋愛をしていなかったからこそ、漫画の中に恋愛をちゃんと描く事は出来なかったのだ。
 
 上橋菜穂子の小説は問題点が多々ありつつも、合格点を貰える出来に成っている。しかしそれで良いという訳ではない。如何なる小説であっても、主人公が様々な事を経験しながら、最終的には幼馴染みと結ばれてしまうような物語は、作者本人がまともな恋愛を一度たりともした事がないと判断した方がいい。
 
 バルサのような女性が様々な経験をして成長していけば、最早、幼馴染みの男性と結婚するという訳には行かないものなのである。
 

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我が家での「少女漫画黄金時代」

●チャンネルの主導権
 
 池田理代子の『ベルサイユのばら』によって少女漫画黄金時代は幕を開けるのだが、この漫画が連載されていた時期は、俺はまだ赤ちゃんなので、全くの無関係。姉も年齢的に少し早すぎたので、アニメで『ベルサイユのばら』を見た程度。しかし『キャンディ・キャンディ』になると、姉はまさにドンピシャで当たり、思いっきり嵌ってしまった。
 
 子供の頃の写真を見ると、姉は実に変な格好をしているのだが、これはキャンディ・キャンデイの服装を真似て母親に作らし、それを着ていたからである。当然の愛読書は『キャンディキャンディ』で、雑誌は『キャンディ・キャンディ・』が連載されていた『なかよし』(講談社)ということになる。
 
 子供たちでテレビを見る時、姉は第一子の特権を利用して、姉がチャンネルの主導権を独占。見るのはいつも少女漫画のアニメ。このため俺は『機動戦士ガンダム』はかなり遅れて見てしまい、ガンプラのブームが正にピークに成ってからガンプラを買う羽目になってしまった。
 
 姉以上に恐ろしいのが父親で、父親がいる時はプロ野球中継を見る事に成るから、これが実に嫌であった。というのは、アニメは1回ごとに話がかなり進むので、1回飛ばされると、話がよく解らなくなってしまうからだ。それで野球は或る時期から嫌いになってしまって、それが今でも続いている。
 
 
●引っ越し
 
 この姉に変化が起こったのは、姉が中学生の時に我が家が引越しをした時である。この引越しによって姉には1室が与えられたのだが、それでそなりに整理整頓する事になったし、女の子らしく部屋を彩った。するとどうであろう。姉の本棚から講談社の雑誌や本が消えてしまったのである。
 
 その代わり出て来たのが白泉社の『花とゆめ』であり、中学高校とこの『花とゆめ』が愛読誌となった。なんで『花とゆめ』が選ばれたのかというと、『なかよし』よりも遥かにセンスが良かったからだ。特に白泉社から出される単行本の表紙はセンスが実に良く、一目見ただけで「これは白泉社の物である」というのが解った。
 
 今から考えてみると、姉は集英社が出していた『週刊マーガレット』には全く嵌らなかったという事に成る。今回、俺が『ベルサイユのばら』に嵌ったので、当時の『週刊マーガレット』を探し出して読んだ所、ダサい事、ダサい事、『花とゆめ』に馴れてしまった俺としては、とてもではないが、読むに堪えなかった。
 
 姉は集英社の物を完全にパスしたのではなく、中学生からは集英社のコバルト文庫を大量に買い込んで読むようになった。集英社が出している少女漫画はダメだけど、少女小説ならいいという事であり、少女漫画を大量に読んでいたくせに、なんで集英社が出していた物を好まなかったのか、実に不思議である。
 
●物語重視の集英社、キャラ重視の講談社
 
 少女漫画黄金時代では、池田理代子の『ベルサイユのばら』(集英社)がトップに君臨し、そのほかに山本錫美香の『エースをねらえ』(集英社)、水木杏子の『キャンディ・キャンディ』(講談社)、美内すずえの『ガラスの仮面』(白泉社)が続く。『ガラスの仮面』は『花とゆめ』に連載されていたので、それで『花とゆめ』を愛読していた訳である。
 
 少女漫画黄金時代は集英社と講談社の争いなのであって、そこに後から白泉社が入ってきたに過ぎない。白泉社は集英社の傘下にあるので、この戦いは集英社の方が圧倒的に有利である。社風の違いが漫画の違いを生み出し、漫画の違いが読者たちを分けていった。
 
 俺が思うのに、
「集英社の方は物語重視なんだろうな」
という事であり、
「講談社の方はキャラ重視なんだろうな」
という事である。『キャンディ・キャンディ』を見ても、内容がイマイチよく解らなかったが、『ベルサイユのばら』や『エースをねらえ』では男の俺が見ても、内容が実に良く解った。
 
 白泉社は集英社で培った物を更に発展させたから、それで姉は講談社の方から白泉社の方に切り替えたという訳なのだろう。物語重視ではそれに耐えうるキャラを作らないと、ダメに成ってしまうから、集英社の方では大ヒットする少女漫画がある分、詰まらないな~と思ってしまう少女漫画も多々ある事に成る。『ガラスの仮面』が未だに続いているのは、物語もいいし、キャラたちもいいからであろう。
 
 
●集英社は講談社を殲滅できなかった
 
 小学館は『小学1年生』などの少年向け雑誌を出す事で、講談社の 『少年講談』を廃刊に追い込んでいった。集英社も『週刊マーガレット』が大ブレイクしていた時に、講談社の『少女フレンド』をすぐさま廃刊に追い込む事は出来なかった。『少女フレンド』は競争に耐え抜き、1996年になってやっと廃刊した。講談社の方にはまだまだ『なかよし』があるので、集英社は講談社を殲滅する事が出来なかったという事に成る。
 
 俺は今回、『ベルサイユのばら』に嵌った事で、なんで殲滅する事が出来なかったのか、その理由が解ってしまった。それは、
「集英社の編集部が余りにも乱雑である」
という事なのである。集英社の編集部は、まるで出版社の編集部の絵に描いたように、机の上に大量の書類が山のようになって積み上げられている。こういう編集部が作る雑誌だと、どうしてもパワー不足に陥ってしまうのである。
 
 我が家では部屋の中を汚くしていると、母親が掃除をしにくるので、それで出来るだけ整理整頓を心がけるようになった。こういう家だと、汚い所で作られた雑誌というのは、どうも合わないのである。白泉社の編集部がどうかは知らないのだが、恐らく集英社の編集部よりはマシなのであろう。
 
 因みにうちの姉が集英社のコバルト文庫に嵌っていた時、姉は家事手伝いを一切しなかrた。このため家事手伝いは全て俺がやる羽目になった。集英社の出している出版物には何かおかしな部分があると見た方がいい。集英社の社員たちの独身率は他の出版社に比べて相当に高いのではないかと思う。
 
 集英社が少女漫画の分野で講談社を殲滅出来なかった事は、デフレ不況になると。少女漫画の戦国時代というか、全体を牽引できるだけの実力を持った女性漫画家がいなくなり、小粒の女性漫画家たちが活躍して、そこそこの成功で満足するようにしなってしまった。やはり勢力地図を塗り替える時は思いっきりやるべきであって、攻めあぐねてしまうような事をしてはならないのである。
 

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