育児

不要品を捨てると愛される女性になれる

●結婚後10年目のガタクタの山

 大抵の主婦たちは、行動はのろいし、話は散漫で要領を得ていない喋り方をするものである。そのため、仕事で迅速な行動を要求され、結果報告を求められる夫にとってみれば、妻のチンタラした言動には我慢がいかないものだ。結婚当初はこうではなかったのに、結婚して10年以上経つと、どうしてこんなに変わってしまったのか?

 理由は簡単! 自宅がガラクタの山になっているからなのである。自宅に不要品が大量にあれば、その管理責任者である妻の行動が遅くなり、喋る内容も要領を得ない話をして来るものなのである。妻の心の状態が、確実に自宅の有様となって現れてしまうのである。頭の中が不要な物で一杯だから、自宅も不要品で一杯となり、言動も不要なもので一杯になってしまうのである。

 結婚して10年以上経てば、いかなる既婚女性であっても、家の中はガラクタで一杯になるものなのである。それゆえ、勇気を出して自宅を刷新して行かないと、自宅はガラクタの山になってしまうものなのである。テレビで「片づけられない女たち」が報道されていて、他人事で見ているようではあるけれど、どの既婚女性も似たり寄ったりの状態なのである。ただ。あそこまで酷くはないということだけなのである。

 どんなに頑丈な船舶も、長期間に亘って航海し続ければ、船底に貝がこびりついてしまい、エンジンの性能も低下してくるので、速度が遅くなってしまうものなのである。だからこそ、定期的にドックに入って、大掛かりな修理を行い、再び速度の速い船にさせるのである。結婚もなんの刷新もなく、結婚当初以来、そのまま走り続けていたら、余計な物を大量に抱え込んでしまい、その夫婦が持っているパワーを最大限に引き出すことができなくなってしまうのだ。だから、10年経てば自宅を大掃除して、不要品を捨ててしまうべきなのである。

 決して不要品を甘く見てはいけない。不要品があるだけで、自宅は狭くなり、妻の言動がピント外れになり、ダラダラとした生活になってしまうのである。不要品があればあるほど、運気は落ちて行くものなのである。だから、「夫の仕事が巧く行かない」「子供たちの成績が悪い」「家族の人たちが病気がち」といった現象が起きて来るのである。母親の言動が散漫になっていれば、夫も子供たちもそれに釣られてしまい、最悪の方向へと誘導されてしまうものなのである。

●不要品は捨てて、換金しよう

 不要品は捨てるに限る。この大原則が解っていれば、自宅は奇麗サッパリになり、母親自身も、夫も子供たちも運気が上昇して行くのである。母親の不要品こそが、自宅を窮屈にさせ、夫や子供たちの運気を奪ってしまっているのである。母親にとって気に食わないのは、夫の所有物であったり、子供たちの所有物であるが、どの家庭も母親の所有物が一番多く、それが大量にあるからこそ、夫も子供たちも大量に不要品を溜め込んでくるのである。まずは母親自身が不要品を捨てれば、夫も子供たちもそれに続いて不要品を捨て始めるのである。

 母親にとって、もう絶対にこれは使わないなという物は、結婚前に使っていた服なのである。女性は結婚してしまうと、服装の好みが変わってしまうために、独身時代に着ていた服は、もう二度と着ないものなのである。だから、まずはこれを捨ててしまうのだ。これを捨ててしまえば、満杯になっていたクローゼットや箪笥は大幅に空きが出て来るものなのである。

 漫画や小説の類も大幅に場所を食うものなので、捨ててしまうことだ。本は実用書などは要る可能性があるので、そう簡単に捨てられないが、漫画や小説は余程面白い物でない限り、もう二度と読まないものなのだ。それゆえ、漫画や小説に対しては、勇気を出して捨ててしまった方がいいのだ。

 一番下の子供が大きくなっているというのに、いつまでも赤ちゃんグッズを持っているなら、とっとと捨ててしまうことだ。母親の中には育児が余りも面白過ぎたたため、その思い出として赤ちゃんグッズを捨てずに持っている母親がいるものだが、こういう行動は子供をいつまでも赤ちゃん扱いしているのと同じであって、今後、子育てに於いて重大な問題が発生する原因となるのだ。

 不要品は換金できるなら、換金してしまおう。リサイクルショップや古本屋に売ってしまうことだ。才能があるなら、自宅で売ってみたり、露店を開いてみたり、ネット販売をしてもいい。大事なことは、僅かなお金でもいいから、不要品をお金に変えて、家計の足しにしてしまうことだ。これは臨時収入になるので、僅かな金額でも家計を預かる者にとっては有難いお金であるのだ。

●不要品を捨てると、新たな物が入って来るもの

 不要品を捨てると、自宅が奇麗サッパリになるものである。今までガラクタの山だったのに、隙間ができるものなのである。その隙間があると、その空間を埋めようとして、新たな物が自然と入って来るものなのである。どこからともなく、自分にとって必要な物が遣って来るのである。

 例えば、誰かから貰い物をしてしまったとか、買い物をしている際に偶然に掘り出し物を見つけてしまったとか、雑誌を読んでいたら突然に欲しい物が飛び込んで来たとか、偶然としか思えないような出来事によって、自分にとって必要な物が入って来るようになるのである。

 自宅に隙間がなければ、新たな物は入って来ないものなのだ。不要品で自宅を満杯にしてしまうと、新たに必要な物を欲しいと思わず、せいぜい食料品だけを購入する生活になってしまうものなのである。そんな陳腐な生活をしていても、不要品を捨てると、なぜか新たな物が入って来て、生活が一気に豊かになっていくものなのである。

 経済的な豊かさというのは、お金を貯め込むだけでは豊かになれないのだ。新たな物を消費してこそ、豊かになれるのである。独身時代は大した貯金もないくせに、結構、豊かな生活をしていたのは、お金を使って新たな物を購入していたからなのだ。結婚して新婚時代や赤ちゃんを育てている時は豊かさを感じることが出来続けたのは、新婚生活のために、育児のために、お金を使って新たな物を購入し続けたからなのである。

 それが結婚して10年も経つと、自宅が不要品で満杯になっているがゆえに、新たな物を購入することができなくなり、そのために購買欲が急低下し、収入はある筈なのに、貧乏じみた生活になってしまうのである。確かに消費をしなければ、貯金をすることで豊かになっていくものだが、かといって消費をしなければ、生活の豊かさを実感できないものなのだ。

●スマートに生活しているからこそ、スマートに愛される

 経済というのは、男女平等には出来ていないのだ。いかなる国民も、男性がお金を稼ぎ、女性がお金を使うようにできているのだ。だからこそ、デパートでは下の階が女性客用に作られ、しかもオシャレな空間になっているのである。男性客がデパートで買い物をしようなら、わざわざエスカレーターに乗って上の階に行き、しかも殺風景な売り場で商品を買う羽目になるのである。

 女性がお金を使わなければ、いくら男性たちが仕事に精を出しても、経済が一向に良くならないのである。女性が大量に消費し始めるのは、なんと言っても結婚してからである。家計に於いて消費の主導権を握るのは妻なので、妻が生活のためにじゃんじゃん消費してくれるからだ。それゆえ、結婚率の高い国ほど、経済力が強く、その国のGDPに関わりなく、国民は豊かな生活を送っているものなのである。日本が長期間に亘って不況に襲われ、GDPが高い筈なのに国民が貧乏になってしまったのは、政府が法律によって強制的に女性たちを働かせたことで結婚率がガタ落ちになり、そのために商品を生産する労働者は増えても、商品を消費してくれる既婚女性たちが激減してしまったからなのである。

 女性は商品を消費するように作らているのだから、新たな物を購入することで、その欲求を満たしてしまうことだ。女性が買い物をしなくなったら、いかに肉体的に健康であったとしても、最早、精神が異常になっているものなのである。結婚していれば、自分のために、夫のために、子供のために、いくらでも買わなければならない物はたくさんある筈だ。

 だからこそ、不要品を捨てるのである。不要品を捨てることで、自分の生活をスマートにしてしまうと、新たな商品を買いたくなるものなのである。そうやって生活を巧くメリハリつけていくと、夫からも、子供たちからも、スマートに愛されるのである。スマートに生活しているからこそ、スマートに愛されるのである。

 不思議なことに、勇気を出して不要品を捨ててしまうと、運気が非常に良くなって、ツキに恵まれるものなのである。幸運の連続が自分の身に起こって来るし、夫は仕事が巧く行き始め、子供たちの成績も良くなっていくものなのである。収入が少なくて家計が苦しいとか、どうも不幸ばかりが続くとか言うのなら、自宅を見まわして見ることだ。貧乏だという割には、自宅が不要品で埋め尽くされているものなのである。不幸だという割には、自宅には換金できる不要品がたくさんあるものなのである。

 肺の中から空気を吐き出さなければ、新鮮な空気を吸えないように、不要品を捨てなければ、新しい物を手に入れることはできないのだ。今ある物をすべて握りしめていたら、結局はすべてを失ってしまうことになるのだ。手放すべきものは手放すべきなのである、そうすれば新たな物を掴むことができるようになるのである。

 自分の体重が増えて来れば、生活自体もブヨブヨな生活になってしまうものなのだ。生活をスマートにすると、自分の体形もスマートになっていくものなのである。自宅で夫や子供たちの悪口を言っていないで、自分自身がスマートな女性になって、愛される女性になれることだ。夫や子供たちから愛されているんだと解れば、自分もちゃんとした愛を出して行くことができるようになるのだ。母親がそのような心になってくれるからこそ、家庭の中は愛で満たされるものなのである。

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母親の笑顔が家族に幸福をもたらす

●顰めっ面の母親たち

 世の中には自分が幸福の真っ只中にいるというのに、顰めっ面になってい母親たちがいるものなのである。結婚でき、高収入をもたらしてくれる夫がいて、健康に育った子供たちがいて、大きな家に住み、自動車も持ち、年に何度かは旅行に行っている。それなのに、なぜかその母親は笑っていないのである。こういう女性から「自分は不幸なんだ」と愚痴を聞かされたら、結婚も出来ず低所得者でしかない貧乏な女性たちからブーイングが起こるのは当然のことなのだ。

 なぜ、こんなことが起こるかといえば、それは夫が無表情でいるから、その無表情に釣られてしまい、自分も無表情でいるようになってしまい、いつのまにか自分は不幸なんだと思い始めるようになってしまったのである。「まさか顔の表情だけで自分の幸不幸を決めるなんて!と」思うかもしれないけど、人間の表情は重要な意味を持って来るのである。

 そもそも人間の表情には男女で性差がある。男性というのは、狩猟をしなければならなかったので、どんなことが起ころうが無表情でいるものなのである。無表情になって獲物に近付き、仕留めなければならなかったからだ。それに対して女性は狩猟をせず、家事や育児をしたり、女性たちでお喋りをしながら木の実を採集したりしていたので、顔の表情が豊かなのである。相手の顔の表情の変化で、相手の喜怒哀楽を読み取り、それによって人間関係を深めていったのだ。

 だから、結婚したとしても、妻の方は表情が豊かかもしれないが、夫の方は無表情なものなのである。しかも夫は仕事で疲れ切って帰って来るので、帰宅直後の夫は無表情を通り越して、不機嫌な顔でいるものなのである。そのため、その夫の顔を毎日見続けていたら、妻の方も無表情になり、顰めっ面になり、自分は不幸なんだと思うようになってしまうのである。

 断言してもいいが、女性として生まれたのに、不幸になってしまう人たちは、絶対に顔が明るくないのである。笑っていないのである。一日の内に笑顔になる回数が非常に少ないのだ。顔が暗く、笑っていないからこそ、不幸になっていくのであって、そういう女性たちが自分の顔の表情を変えず、何か対策を講じても、絶対に幸せになることはできないのだ。自分自身が女性としての本能を自ら踏み躙っているからなのである。

●家族の幸せは母親の笑顔が作り出す

 多くの女性たちは実に根本的な勘違いをしているものだ。幸せな女性というのは、その女性が幸せだからこそ、笑っているのではないのだ。幸せそうにしている人たちは、幸せだから笑っているのではなく、いつも笑顔だから幸せになれるのである。笑顔は幸せの結果ではなく、幸せを作り出す原動力になっているのである。

 自分自身が幸せになりたいのなら、夫や子供たちを幸せにしたいのなら、夫や子供たちがどのような表情でいようとも、自分は笑顔で居続けることだ。家族の幸せは母親の笑顔が作り出すものなのである。母親がいつもニコニコしていれば、いくらでも幸せはやってくるし、いかに大きな不幸が訪れたとしても、簡単に撃退できるものなのである。

 夫は男性である以上、無表情でいるのは当たり前なのだから、それに釣られてしまわないことだ。夫が無表情でいても、自分が笑顔で居続けてしまえば、夫もその笑顔に釣られて、笑顔になってしまうものなのだ。どんなに仕事で疲れて帰って来ても、妻が笑っていれば、その夫は元気を取り戻すことができるのであって、仕事で成功する確率が高まって来るのである。

 人間の脳は顔が笑っている状態にあると、何か楽しい事があるのではないかと錯覚してしまい、実際には不幸な状況にあっても、その辻褄が合うように幸せを探し始め、幸せを実現させてしまうのである。笑顔は笑顔で留まらないのだ。笑って脳を騙すことで、自分の人生を幸せに満ちたものにしてしまばいいのである。

 現在、自分たち家族がどのような状況にあろうとも、母親が笑顔でいれば、不幸を撃退し、幸福を招き寄せてしまうものなのである。母親の脳だけが騙されるのではなく、夫の脳も、子供たちの脳も騙されてしまうのである。いかに現実が不幸だからといって、笑顔を失っていると、巨大な不幸を招き寄せてしまうものなのである。

●笑顔の練習

 人間は笑顔を忘れてしまうと、無理矢理に笑っても気持ち悪い笑顔もどきをしてくるものなのだ。そのため、鏡の前に坐って、鏡を見て笑顔を作る練習をすることだ。どうすれば素敵な笑顔ができるが、自分の顔を使って練習してみることだ。美しい笑顔というのは、口角が上に上がった笑顔なので口角を上げて、美しい笑顔になれるように努力することだ。

 既婚女性にとって最大の難関が、夫が帰宅して来る瞬間なのである。夫は無表情で帰って来るし、しかも疲れ切っているので、自分自身も家事や育児で疲れ切っていれば、その無表情に釣られてしまうからだ。それゆえ、夫が帰って来る前に、洗顔するなり、香水をかけるなりして、生活の疲れを取り、気分をリフレッシュさせることだ。この些細なテクニックがあると、夫の無表情に釣られてしまうことがなくなるのだ。

 日常生活で危険なのは、ニュース番組を多く見てしまうことだ。ニュース番組は殺人事件や政治腐敗といった暗くて腹立たしい情報しか流して来ないので、そのような番組を見る時間が長ければ、妻の顔から笑顔がなくなってしまうのは当然のことなのだ。ニュース番組を極力抑えるというのは、自分の家族を幸せにするために、絶対に必要な措置なのである。

 下らないテレビをダラダラと見るよりは、内容の濃い映画やドラマをDVDを借りて来て見てしまうことだ。その心地いいフィクションの世界に没頭して、様々な喜怒哀楽を見せて、女性としての顔の表情の豊かさを回復するのだ。大きく笑いたければ、大きく悲しみ、泣いてしまうことなのである。女性はとことん悲しんでしまうと、笑うことしかできなくなってしまうのである。

 たまには落語家の寄席に行くというのもお勧めである。落語はナマで見ると、本当に面白くて、ゲラゲラと笑えるものなのだ。テレビで落語家たちを見て、落語ってのはあの程度のものだろうと思ったら大間違いなのである。落語家でも真っ当な芸を持っている人は、ただ単に笑わせてくれるのではなく、人間として非常に奥深い教訓を持っているので、その後の人生に大いに役立つものなのである。

●笑顔とユーモアで夫や子供たちを支援しよう

 結婚していれば、様々な出来事に出合うものだ。良い事も悪い事も色々なことが起こって来るものだ。その際、自分が嫌だと思う事ばかりに囚われていたら、自分の人生は不幸になってしまい、その不幸が夫や子供たちまでに及んで来るものなのである。結婚していて、すべて自分が気に食わないことが起こる既婚女性なんていないものなのである。必ず面白いことだって起こっている筈なのである。自分の顔の表情が豊かでないために、どうしても面白いことには目が行かず、気に食わないことばかりに目が行ってしまうのである。

 だからこそ、笑顔が必要なのである。自分が笑顔でいれば、自然と面白いことに目にが行き、自分が気に食わないことには目が行かなくなるものなのである。自分の気に食わないことに、いちいち腹を立てていたら、自分がより一層不幸になっていくのは当然のことなのである。

 自分にとって不都合なことが発生したのなら、笑顔とユーモアで以て対処してしまうことだ。ほんの些細なユーモアを言ってしまえば、その不都合と思っていたものが、好都合に変わってしまうものなのである。少しの冗談も言えないからこそ、洒落にならない深刻な人生を歩んでしまうものなのである。

 夫は全力を振り絞って仕事をして来るし、子供たちも全力を出して遊びまくって来るものである。それゆえ、家族の中で余力を残しているのは、母親だけなのである。だからこそ、家庭の中で笑顔を振りまき、ユーモアを言って笑わしてあげるのだ。笑顔とユーモアを以て夫や子供たちを支援してしまえば、家族は幸福で満たされるものなのである。

 女性が結婚して幸せになるか不幸になるか、その最大のポイントは、いつも笑顔でいるかいないかであるのだ。その大事なポイントを忘れてしまったら、いくら経済的に恵まれていようが、最終的には不幸になってしまうのである。結婚して当面の間は貧乏になるものなのだから、その間、妻が笑顔で居続けると、いつの間にかに経済的にも恵まれて幸せな生活を送れるようになってしまうものなのである。結婚をしたら、絶対に笑顔を忘れないことだ。

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ほんの僅かな口癖を変えるだけで、夫婦は変わって行くもの

●言葉遣いの修正が人生を大成功に導く

 夫婦だからといって、何を言っていいわけではない。夫婦だからこそ言ってはならない言葉もあるのである。夫婦は他のいかなる人間関係よりも非常に強い信頼の上に成り立っているので、それに甘えて遂々なんでも言っていいのではないかという錯覚に陥ってしまうものだ。しかも、新婚当初の緊張感はとっくに薄れ、結婚が10年以上も経つと、自分の不注意から相手を傷つける言葉を平気で言ってしまうものなのである。

 この世の殿方というものは、大抵、仕事で心身ともに疲れ切った状態で自宅に帰って来るものなのである。問題はその時に、妻が良き言葉で迎えてくれるのか、悪しき言葉で迎えてくれるのかで、その男性の人生が大きく変わってしまう筈だ。自分自身が疲れ切っているがゆえに、普通の人々に対してなら当然の防御できるものでも、それを怠ってしまうからだ。

 夫が帰宅して来た直後に、夫婦喧嘩を発生させた場合、それがどのような理由で発生したとしても、その発生の責任の大方は妻が負うべきなのである。仕事で働いて生活の糧を得て来た以上、その手柄のある者に対して喧嘩を起こさせるというのは、絶対にしてはならないことだからだ。自分の言い方や、話の内容や、物の仕草など何かしらに落ち度があったと見て、早急に改善措置を施すべきなのである。

 夫婦であるなら毎日一緒にいるために、会話の仕方を改善するということを完全に忘れてしまっているものなのだ。この御時世、見知らぬ人と会話をして、口論になろうものなら、暴力事件や殺人事件に巻き込まれるのが必至なのである。それなのに夫婦で口論になっても、暴力を振るわれたりしないからといって、それを放置しておくと、最終的には自分の命が奪われてしまう結果になってしまうものなのである。

 女性は男性よりも言語能力が達者なのだから、その言語能力を夫を遣り込めてしまう方向には使わないことだ。夫の運気を上昇させていくために使うべきなのである。人間は放置して行くと悪しき事を仕出かして来るので、言葉遣いの修正こそが人生を大成功に導くと、常に心のどこかで思っていた方がいい。

●嫌な言葉をひっくり返せ

 結婚をして10年以上経つと、無意識の内に或る特定の言葉を頻繁に使ってしまい、それによって自分の思考や行動を大いに狭めてしまっている既婚女性たちがいるものである。例えば、「やっぱり」「でもね」「仕様がないな」とかいう言葉だ。こういう言葉を使う母親たちは、家事や育児にだらけ切ってしまい、自分が何をやってもどうにかなるものではないと思い込んでいるのだ。自分の行動量が少ないから、常に他人の行動を批評する側に回ってしまい、「やっぱり」「でもね」「仕様がないな」と言い出して来るのである。こういう言葉を使われると、夫も子供たちもカチンと来るものなのである。それゆえ、この手の言葉を使いたくなってしまう時は、「凄いわね~」と正反対の言葉を言ってしまえばいいのだ。そうすると、相手を褒めることにもなるし、自分も何か行動して行こうという気になるものなのである。

 それから、経済的な問題として、「お金がない」という言葉は絶対に使うべきではないのである。家計を担当している主婦は、お金がなくても、どこからか捻り出すのが仕事なのであって、「お金がない」と日頃から言っている主婦は、家計簿をつけていないために、家計を把握していないのである。お金がない時は、「お金がなければ、お金を作り出せ!」と言ってしまい、貧乏を吹き飛ばして行くべきなのである。

 また、夫が浮気した場合、夫が浮気したことにカンカンになって怒り、離婚にまで発展させてしまうのは、愚かな女性がすることなのである。夫が浮気したことで、何か自分が被害を受けたわけではないのである。寧ろ、夫を相手するのを愛人に任してしまい、自分は家事や育児に専念できるというものなのである。それを結婚最大の危機に悪化させてしまえば、折角築き上げた結婚が一瞬にして破壊されてしまうものなのである。自分が激しい感情に任せて、愛人側の利益になるようなことをしているのである。自分の旦那が浮気したら、「うちの旦那は女にモテるいい男なんだ!」と言って、自信を持てばいいのである。そうしておけば、夫は愛人に飽きたら、妻の元に戻って来るものなのである。

 嫌な言葉はひっくり返すことに限るのだ。嫌な言葉をひっくり返した時に、自分の思わぬ欲望や利点が見えて来るものなのである。例えば、「貧富の格差」を社会問題視して来る人々は、実は「仕事がもっと楽になって、お金がもっと欲しい!」と言っているにすぎないのだ。そんな美味い話はこの世にはないものなのだが、仕事できちんとした成果を出していないと、こういう間違った考えに取りつかれてしまうのだ。難民のことを余りにも問題視しすぎてきたり、ニュース番組ででホームレスの話を食いいるように見ている既婚女性たちは、自分がやっている家事や育児に適切な改善措置を施していなかったり、お金に関して欲求不満が溜まっていると見ていいのだ。

 これは「男女の性差」を盛んに主張して来る女性たちも同じであって、いくら男女の性差を解消しようとして来ても、男女平等を本当に実現するのではなく、「人間を平等に扱わないで、自分だけを特別扱いをして欲しい!」と言っているにすぎないのだ。だからこそ、フェミニズムが女子大という、存在そのものが男女平等に違反している場所で広まってくるのである。フェミニズム運動を真剣にやっていた女性でも、誰かと恋愛をするなり、結婚するなりして、自分を特別扱いして欲しいという欲求不満が解消された時、フェミニズム運動から去って行くものなのである。それゆえ、フェミニズトたちの意見をそのまま鵜呑みにしてはならないのである。

●頭に来る言葉はオウム返しで処理する

 こういった言葉の使い方は、夫婦で相手の嫌な言葉を封殺する際にも、効果的に利用することができる。例えば、夫から「馬鹿!」と言われてカチンと来た時には、その馬鹿という言葉をそのままにしておくと、自分の頭は怒りで一杯になってしまう。そういう時は、自分が怒る前に、「あなた、私のことを馬鹿って言ったわね」と切り返せばいいのだ。そう言われたら、夫は「ああ、そう言ったよ」としか言わざるをえないので、それ以上、暴力的な言葉が使えなくなってしまうのである。

 頭に来る言葉は、オウム返しで処理するというのが、夫婦喧嘩を抑止する最大のテクニックだと思っておいた方がいい。夫婦だからこそ、自分の言って欲しくない言葉を言って来る確率が非常に高くなってしまうものなのである。だからこそ、自分がカチンと来る言葉に対しては、オウム返しで処理して、遣り過ごしてしまうべきなのである。

 もしも自分が肥満になったことを気にしているなら、遅かれ早かれ夫は「最近、太ったな」と言って来ることだろう。そういう時は「あなた、太ったなって言ったわね」と切り返せば、夫は妻の圧力に恐怖してしまい、もうそれ以上、妻が怒るような言葉を言わなくなるものなのだ。既婚女性の肥満は典型的な「幸せ太り」なので、肥満だからどうのこうのするものではないのだ。ただ夫は事実を指摘してくれただけなので、その会話を切っ掛けに運動でもして、肥満を解消していけばいいのだ。

 子供はまだまだ言語能力が発達していないので、親子がどんなに会話量を多くしても、子供は自分の言っていることが、母親に受け入れられないと、ストレスを溜め込んでしまい、それが反抗期に時になって爆発して来てしまうものだ。そうならないためにも、子供が真剣に何かを言ってきたら、子供の言っていることを、オウム返しで言ってあげればいいのだ。子供はこれをやられると、お母さんは自分の言っていることを受け入れてくれたと思い、下手なストレスを溜め込まなくなるのだ。

 オウム返しは、感情的になって相手が言葉の暴力を振るって来るのを防ぐのには非常に効果的なので、家族以外の者でも言葉遣いの悪い人に対してオウム返して切り返して、言葉の暴力を振るって来ることを封じてしまうべきだ。このテクニックがあるだけで、人間関係のトラブルは激減するものなのである。

●運気を最大限に上げる言葉遣い

 人間には口は1つしかないが、耳は2つあるものである。ということは、自分が喋っている2倍以上、他人の話を聞かねばならないということだ。言語能力が高い筈である女性たちが、仕事をしても巧く成果を作り出せないのは、自分が喋ってばっかりで、他人の意見を聞かないからなのである。いつも自分ばかりが喋っているので、その内、意見を言って来る人はいなくなり、自分の独善だけが暴走してしまい、仕事が失敗してしまうのである。

 自分の運気を最大限にあげたければ、まずはその口を閉じるべきなのである。自分が喋る量よりも、相手の話を聞く量を増やしてしまえば、自然と運勢が上がって行くものなのである。今、自分が不幸だと思うなら、自分が喋り過ぎたことによって、他人の意見の聞かなかったことに、その不幸の原因があるものなのである。

 「他人の話を聞く時は、口を閉じて聞き、他人の言葉に従う時は、自分の声で言い返せ」。これを夫婦間で用いたら、いかなる馬鹿女でも、良き妻になってしまうものである。これを親子間で用いたら、いかに駄目な母親でも、賢い母になってしまうものなのである。この当たり前すぎることができないからこそ、夫婦で揉め、親子で揉めてしまうのである。

 他人の話を聞き入れるということは、他人を受け入れるということなのである。他人を拒絶しているからこそ、悩みが膨らんでいくのであって、他人を受け入れると、悩みが消えて行くものなのである。しかし、人間は他人のすべてを受け入れることはなかなかできないものだ。だからこそ、まずは相手の話を聞くようにするのである。それだけで正常な人間関係が成立するものなのである。

 夫婦の間では基本的に困ったことは起こらないものだ。夫婦のどちらかが問題を抱えても、もう一方の知恵や行動によって巧く解決できてしまうものだからだ。だが、結婚しているのに、相手の力を使えないとすれば、自分だけがすべての悩みを抱え込んでしまい、いずれ自分自身が破綻して行ってしまうのである。離婚してしまうような女性は、自分の夫の力すら使いこなすことができなかったのだから、その結婚が破綻してしまって当然なのである。

 結婚しているからといって、妻の意見ばかり通していたら、どんなに温和な夫でも嫌になってしまうものである。いずれ妻への愛をなくし、妻の元から去って行くものなのである。そうならないためにも、結婚しているからこそ、夫の話を良く聞き、夫の意見を通してあげるのである、夫の意見を通していれば、自分の意見だってなんの障害もなく通ってしまうのでる。そうやって夫婦が円満になると、夫婦から強烈なエネルギーが発生してきて、いくらでも幸せになってしまうものなのである。

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幸せな結婚生活はポジティブな考え方でこそ巧く行く

●核家族化と脳の情報過多

 結婚して10年も経てば、それだけ夫婦としての思い出をたくさん積み込んでしまうということなのであるが、既婚女性の中には良い思い出を一切思い出すことなく、悪い思い出だけをしっかりと記憶している妻たちがいて、夫婦で揉め事があると何かと過去のことを持ち出して、夫のすべてを否定しようと躍起になっている女性たちがいるものである。当然、このような遣り方をしては、夫婦関係は巧く行かないのだが、夫の前になると、どうしてもこういう悪態をついてしまうのだ。

 これは脳の記憶が満タンになってしまったということなのである。人間の脳は記憶量が一杯になってしまうと、目の前にあるものすべてを否定しようと躍起になるという、最悪の機能を持っているものなのである。解り易い例を上げるなら、現在、日本は平和で繁栄を享受しているものなのだが、朝から新聞を読みテレビを見まくっている人に限って、日本のことを悪くいい、政治家を罵倒して来る人たちがいるものだが、これは情報の過剰によって、脳が建設的な作業をすることなく、破壊的な作業をするようになってしまったのである。

 人間の脳は狩猟採集経済の頃と基本的なメカニズムは殆ど変っていない。文明以前ではいくつかの家族が小さな部落に住み、たとえ結婚したとしても、日中は夫が狩猟に出かけ自宅にはいないし、妻たちは集団になって家事をしたり、木の実などを採集しに行っていたのである。そのため、どの妻も夫に対してそれほど重点がかかることがなかったのである。

 それなのに文明が誕生し、核家族になってしまうと、夫は平日は家にはいないけど、休日にはいる訳だし、日頃、妻同士で家事をしたり、食料を探しに行くということはなくなってしまったのだ。そのため、女性は結婚してしまうと、どうしても夫に対して重点がかかりすぎてしまい、そのために脳の情報量が限界に達してしまい、今まで愛し合っていた夫婦が一転して、夫の遣ること成すことを否定する最悪の妻になってしまうのだ。

 結婚しているのに、夫の悪口を言っているような既婚女性たちは、とにかく夫に対して重点を置き過ぎないことだ。もう一人赤ちゃんを産むなりして、子供の方に目が行くようにすべきなのである。更には妻同士の付き合いを大事にし、既婚女性しか入れないクラブに入るとか、既婚女性が多く働いている職場で働くことで、女性脳を満足させてあげ、自分の夫を否定するような悪妻をすぐさまやめることだ。

●結婚は足し算! 絶対に結婚を引き算にすること勿れ

 我々の生活の中に自動車が普及してしまったために、物事を進めて行く際に、アクセルを踏むか、ブレーキを踏むかの選択肢しかないと思っている。しかし、結婚は前進するか、後退するしかの2つに1つの選択肢しかないのだ。決して結婚を停止させる選択肢など、どこにもないのだ。

 結婚は絶対に足し算で進めて行くべきなのである。夫婦がいい思い出をたくさん作り出して行くからこそ、脳が「この結婚は面白い!」と思うようになってしまい、いくらでも面白いことを作り出そうとして行くからだ。面白い経験がたくさんあればあるほど、如何なる不幸が遣って来たとしても、それを撃破してしまうことができるようになるのである。

 結婚を絶対に引き算にすること勿れ。いくら愛し合っている夫婦でも、悪い思い出ばかりを積み込んでしまったら、到底やっていけるものではないからだ。確かに或る程度までの不幸には耐えるべきだけれども、夫婦でいる時に、互いがネガティブモードでいれば、その結婚が破綻するのは時間の問題なのである。

 人間の思考は習慣性を持つものなのである。一度、脳に「この人といる時はポジティブモードになる」と思いこましてしまうと、脳はその人を見るたびにポジティブモードになってしまい、積極的な考え方や積極的な行動だけをしてくるようになるのである。しかし、一旦、脳に「この人といる時は最悪!」と思いこましてしまうと、脳はその人を見るたびにネガティブモードになり、否定的な考え方や破壊的な行動だけをしてくるようになるのである。

 結婚して10年以上も経って、「夫のことがどうしても気に食わない」というのなら、その妻の脳の方がいかれているのである。結婚して10年以上も経って、「夫のことが好きで好きで堪らない」というのなら、その妻の脳は相当いかれているのである。同じいかれているのなら、良い方にいかれてしまうべきなのである。脳が良い方にいかれてしまえば、結婚は幸せだらけになってしまうものなのである。

●前に進めば問題は解決できるもの

 我々は学校で長らく勉強してきたために、何か問題が発生した時は立ち止まって考えれば、答えが出るのではないかと思ってしまう。しかし、結婚では立ち止まって考えていると、碌でもない考えしか浮かんで来ないものなのである。丁度、結婚について書かれた書物の殆どが結婚に対して否定的な考えを述べているのと同じように、結婚について深刻になって考えれば、否定的な考えしか浮かんで来ないものなのである。

 どうして結婚について立ち止まって考えると、否定的な考えしか出て来ないかというと、結婚は夫婦双方に前進することが求められているのであって、如何なる問題が発生したとしても、その問題は夫婦が前に進むと解決できるように出来ているからだ。そのため立ち止まって考えてしまうと、一見、それが素晴らしい思考法だと思ってしまうが、前進してしないために、正当な解決策を見つけ出すことができず、破滅的な解決策を勝手に作り出してしまうのである。

 結婚していて、現状維持というのは、実は後退していることなのである。立ち止まってしまえば、進むべき所を進んでいないからだ。後退してしまうと、問題が解決できるどころか、問題は更に悪化していくものなのである。当初は些細な問題であったのに、自分が後退しているために、様々な問題が生じて来てしまい、挙句の果てには結婚そのものを破壊することでしか解決できなくなってしまうのである。

 結婚していれば常に良い事があるとは限らないから、時には後退せざるを得ない時がある。そういう時は後退することによって、態勢を整えて行かねばならない。しかし、いつまでも後退し続けることはできないのだ。必ず前進に転じて、前に進んでいかねばならないのだ。そういうことをしなければ、後退して行く際にエネルギーを奪われ、ジリ貧になってしまい、すべての分野で崩壊が始まってしまうのである。

 夫婦で抱える問題など、それほど大したものは起こらないものなのである。「生活をしていくのにお金がない」。だったら、収入を多くするなり、生活費を切り詰めるなりすればいいのである。「子供が病気である」。だったら、あの手この手を尽くして治療して行けばいいのである。「嫁姑の争いごとを起こしてしまう」。だったら、妻の方が姑に折れるか、姑が介入できないほど裕福になって、お金の力で圧倒してしまえばいいのである。

●何もしないでいると、雑念に取りつかれてしまう

 結婚しているなら、常にポジティブモードになり、前進して行くことを忘れないことだ。結婚し続けていれば、「面白いこと」「楽しいこと」「嬉しいこと」はいくらでも起こりうるものなのである。大事なことは、結婚して10年も経てば、結婚そのものを如何なることがあっても維持するということが、絶対的重要性を持って来るということなのだ。

 結婚に問題が発生したからといって、結婚を破壊してしまえば、恐らくその後の人生で幸せなどやってこないものなのである。離婚して一時的な幸せを獲得できたとしても、その一時的な幸せのために何百倍もの不幸を発生させてしまうものなのである。結婚に問題が発生した場合、結婚自体に問題があるのではなく、自分がネガティブモードになり、後退しているからこそ発生させてしまったということに、一刻も早く気付くべきなのである。

 結婚して10年以上の経てば、家事や育児に余裕が出て来るために、変化のない無為な日々を過ごしてしまうがちだ。しかし、人間は何もしないでいると、雑念に取りつかれてしまい、その雑念が自分の生命力からエネルギーを奪ってしまい、苦しみや悲しみや怒りを呼んで来るものなのである。

 結婚に余裕が出て来たのなら、暇を弄ぶのではなく、行動を起こすべきなのである。行動を起こせば、苦しみや悲しみや怒りは吹き飛んでしまうものなのだ。夫が外で仕事をしているというのに、子供たちは勉強やスポーツに精を出しているというのに、妻が自宅で一日中テレビを見、友達と下らない会話をしていたら、その妻の脳がおかしくなるのは当然のことなのだ。妻一人だけが何もしていないから、邪悪な考えに取りつかれてしまうのである。

 「嵐の前の静けさ」と言うが、結婚して余りにも平凡な日々が続いてしまうことは、表面的には幸せであっても、それは非常に危険な状態になりつつあるということなのである。今まで築き上げて来た結婚を根底から破壊されないためにも、ポジティブモードになり、積極的に行動を起こして行くことだ。行動を起こして行く内に雑念が吹き飛んでしまい、自分が新たにやるべきことが見つかり出すというものなのである。

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夫婦共通の目標の再設定

●結婚後10年目の危機

 結婚して10年も経てば、夫婦が結婚当初に思い描いていた夢はほぼ実現できてしまっていることだろう。大概の夫婦は、子供たちがいて、大きな家に住んで、年に何度かは旅行に行く程度の夢なので、結婚して10年経てばそれらを実現してしまっていることだろう。10年という歳月は、夫婦が「夫婦の夢」を実現させるには丁度いい期間なのだ。

 一方、結婚を成し崩し的に行ってしまい、結婚当初に何も夢を持っていなかった夫婦は、生活に四苦八苦するような結婚生活になってしまっていることだろう。夫婦自体に「夫婦の夢」がないために、自分たち夫婦から夢を実現させるパワーが出て来なくなってしまい、パワー不足のまま、ただ単に生活を維持しているだけの日々になってしまうのだ。

 この夫婦の夢を実現できた夫婦も、生活に四苦八苦している夫婦も、結婚して10年目に同じような危機を迎えてしまう。それは「夫婦の会話がない」という危機である。結婚して10年も経てば、夫婦として話すべきことはすべて話してしまっている状態になってしまうので、夫婦の会話がなくなってしまい、たとえ会話ができたとしても日常の些細な話になってしまい、夫婦が会話で盛り上がるということはなくなってしまうのだ。

 この危機は重大な危機だと思っておいた方がいい。というのは、結婚して10年経ってから、夫婦で揉め事を起こす夫婦というのは、大抵がこの夫婦の会話がなくなってしまったということを引き金に始まるからだ。女性は男性と違って、会話をすることで相手とのコミュニケーションを遣り取りすることを最重要視して来るので、夫婦の会話がないというのは、妻にとっては最大級のストレスになってしまい、夫婦の深刻な危機になってしまうのである。

 夫婦の会話がなくなるという危機は、何も夫に言語障害が発生したのではなく、「夫婦の夢」がなくなってしまったことにこそ起因して来るものなので、夫婦が話し合って、新たに夫婦共通の夢を再設定しない限り、夫婦の会話で盛り上がるということはなくなってしまうのだ。要は自分たち夫婦は今後何をすべきかが解れば、この重大な危機を回避し、それだけでなく、結婚のパワーを最大限に引き出せることが可能になるのだ。

●目標があればこそ、夫婦は力を合わし前進できる

 まず、どんなに夫婦喧嘩をし合う夫婦であっても、夫婦に共通の目標があれば、夫婦は力を合わして前進できるのだということを再確認すべきなのである。どんなに仲のいい夫婦でも、目標がなければ、前進したくても、前進できないものなのである。自分たち夫婦の共通の目標を具体的な形で指示することができれば、それに向かって走り出すことができるのである。

 夫は丁度、働き盛りの時期に差し掛かっているので、、夫が自分の仕事をどのように進めて行くか、きちんと話し合って行くことだ。会社員ならどこまで出世して行くのか、社長ならどのような経営展開をして行くのか、夫婦で話し合う機会を持っておいた方がいい。夫婦で具体的に未来を見出すことができれば、夫はその夢を実現する可能性が非常に高くなるからだ。

 子供たちは第一子が小学生になっているので、この子を将来、どのように進学させていくかを、夫婦で話し合っておくことだ。勉強に重点を置くのか、スポーツに重点を置くのか、芸術に重点を置くのかで、進路は丸っきり違ってしまうものだ。周囲のみんなが進学塾に通っているからといって、それに釣られて自分の子供も通わせるようであったら、その母親は自分の子供の器量を見切っている訳ではないのだ。自分で独断して行くのではなく、夫婦で話し合えば、子供にとって最善の決断ができるものなのである。

 妻としては、将来、このまま同じ家に住むのか、それとも豪邸を購入するのか、高級マンションに住むのか、具体的に決めてしまうことだ。結婚して10年も経てば、最初から自宅を持っている人は別だが、もう家が手狭になっているものなのである。自分たち家族の規模に合わせるためには、引っ越しは欠かせないものなのである。だったら、無闇に引っ越しするのではなく、具体的に新たな住宅を思い描いて、その家に住めるように努力をすべきなのである。

 結婚して10年目も経てば、最早、抽象的な夢を持つのではなく、自分たち夫婦の力量に合うような具体的な夢を持つべきなのである。そのために夫婦が二人っきりになって、きちんと話し合うことだ。夫婦二人で話し合う機会を持たねば、日々に追われる生活になってしまい、夫婦として新たなパワーを生み出すことができないからだ。

●プライベート会社設立の勧め

 資産に余裕があるなら、「プライベート会社」を設立することをお勧めしたい。夫婦が一緒に結婚生活を営むだけでなく、プライベート会社を運営すると、夫婦の会話が尽きることがないからだ。会社経営のことでいくらでも話が出て来るので、それを切っ掛けに夫婦の仲が非常に良くなってしまうのだ。

 これは農家や酪農家や自営業者の夫婦が仲がいいと同じことだ。夫婦が共同で同じ作業をしているために、夫婦に非常に強い結束が生まれて、夫婦の会話が尽きることがなくなってしまうのだ。夫の悪口を言いまくっているような妻は、仕事をしていないからこそ悪口を言っているのであって、夫婦で一緒に仕事をしてしまえば、その悪口が消えてしまうものなのである。

 プライベート会社は内も大々的に事業を展開して行く必要性はないのだ。休日に少しだけ仕事をすればいいようにすればいいのだ。そうすれば大儲けはできないけど、赤字にならない程度で、地道に事業をやっていけばいいのだ。仕事を仕事と思ってするのではなく、仕事を遊びと思ってやってしまうことだ。

 事業内容は自分たち夫婦が好きなものであるなら、なんであっても構わない。例えば日曜日だけ開店するパン屋さんというのもいいだろう。自分の好きなパンだけを週1回だけ作り、それを売るのだ。それ以外にも自分独自のデザインを施した洋服やアクセサリーを売ってしまうのもいい。下手に競争を激化するような事業を展開するのではなく、競争が起こりにくい事業を展開して行くようにすればいいのである。

 投資に才能がある夫婦なら、株式投資や、不動産投資を専門にやってしまうのもいいだろう。自分たち夫婦の資産をそのまま投資に使ってしまうと、安全な所にしか手を出せないので、危険度は高いが収益も高い投資商品には自分の資産から切り外して、プライベート会社でやってしまった方がいいのだ。

●夫婦で情報を共有し合うこと

 夫婦は黙っていても解りあえるということは絶対にない。以心伝心というのは、仏教の真理を悟る時に使われるべきものであって、それを夫婦の間に用いるべきではないのだ。夫婦だからこそ、話し合って、情報を共有しないと、些細なことで喧嘩になってしまうのだ。夫婦喧嘩を回避するためにも、夫婦で話し合う機会を日々きちんと持ち続けることだ。

 夫婦で話し合う時は、いくらでも時間があるので、ダラダラと話してしまいがちだ。特に妻の方は日中は子育てをしているので、その感覚で夫に話すようになってしまい、会話が非常に幼稚なものになってしまうのだ。そのため仕事から帰って来た夫は、妻と会話することに興味を示さなくなってしまい、自宅でむっつりしているという光景になってしまうのだ。

 そのため、夫が帰って来る前に、シャワーを浴びるなり、服を着替えるなりして、自分をリフレッシュしてしまう時間を持つべきなのである。これをやると妻の方で気分転換が巧く行き、夫婦が内容の濃い話ができるようになり、意思疎通がきちんと行えるようになるのだ。夫が帰宅して来て、夫も妻も何かすべきことはたくさんあるので、会話できる時にきちんと会話しておかないと、碌な会話ができなくなってしまうのだ。

 朝のように忙しい時間帯は、「今日の予定はどうなっているの?」とテキパキと訊いておくことだ。夫婦が双方、今日やるべきことが解っていれば、夫婦双方充実した日にすることができるのである。朝という大事な時間を新聞を読んだり、テレビを見たりして過ごしてしまわないことだ。夫婦が朝という大事な時間に話さないと、夜まで夫婦は話し合う機会はないのである。だからこそ、朝という大事な時間に、夫婦がきちんと話し合って、情報を共有しておくべきなのである。

 結婚して10年目というのは、大きな曲がり角なのだ。ここで夫婦の夢を再設定して、新たにパワーを生み出すことができれば、大抵の夢は実現できてしまうものなのである。夫婦愛は確かに大切だが、それと同じくらいに結婚をビジネスライクにしてしまい、夫を自分のビジネスパートナーとして大切に扱うことは非常に大事なことなのだ。夫に獅子奮迅の働きができるように結婚を変えて行けば、夫はそれを実現できてしまい、莫大な資産を得ることができるようになるのである。結婚で大儲けできる時期を絶対に見逃さないことだ。

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育児や子育てには失敗が付きもの

●失敗を嘆くことより、挑戦を繰り返すこと

 人間は成功することも大好きであるが、失敗することも大好きなのである。成功すれば自分の考えや遣り方が正しかったことを証明することになるが、失敗すれば自分の考えや遣る方が間違っていたことの証明になるからだ。それゆえ、失敗を経験しておかないと、自分の考えや遣り方に修正を施すことができなくなるのだ。

 育児や子育てでも、自分の考えや遣り方が巧く行く成功することもあるが、自分の考えや遣り方が間違っていたために失敗してしまうのは、当然に起こる現象なのである。失敗したら、その場は嘆いたり、後悔したりするが、時間をかけて自分の考えや遣り方を修正すれば、その失敗は後でいい成果を生み出す原因になるのである。

 子供が1人や2人しかいないと、どうしても母親としては未熟だから、育児や子育てで失敗したら、嘆いてしまうものだ。「あの時はああすれば良かった」などと、変えられない過去を一生懸命になって変えようとしているのだ。これでは失敗したことで、全面停止してしまい、そこから一歩も前に進むことができなくなってしまうのだ。こういう生き方をしてしまう母親は、真面目すぎる女性に多いので、絶対に気をつけるべきだ。何事も過剰というのは良くない結果を産んでしまうものなのである。

 だからこそ、子供は3人以上必要なのである。子供を3人以上産めば、失敗が余り気にならなくなり、たとえ失敗したとしても、凹たれないだけの強さを身につけてしまうものなのである。一度や二度の失敗を嘆くよりも、何度も挑戦を繰り返して行くことだ。幾ら失敗しようが、挑戦を繰り返していれば、最終的には成功してしまうものなのだ。

 育児や子育てでは、試行錯誤というのは絶対的重要性を持って来る。最初から「これこそが正しい育児なんだ!」と決めてかかる育児よりも、「これでいいのかな?」と戸惑いながらして行く育児の方が、結果的によりよい育児や子育てをしてしまうものなのだ。大事なことは、成功や失敗に取りつかれるよりも、自分自身がじっくりと考えながら前に進んでいくことなのである。

●要領が良過ぎると、大失敗してしまう

 世の中には要領のいい女性がいるものである。我々は社会に出る前に学校や大学に通わざるを得ないから、そこで要領のいい勉強をしてくれば、高い成績を得ることができるし、偏差値の高い大学に進学することができる。しかし、その要領の良さが育児や子育てでも通用すると思ったら、大間違いなのである。

 赤ちゃんの成長は驚くほど遅いものだ。子供たちは驚くほど馬鹿なのである。それゆえ、母親が要領が良すぎると、どこかに歪が生じてしまい、大失敗をしてやらかしてしまうのだ。育児や子育てで深刻な悩みを抱えるのは、決して学校で頭の悪い女性たちではないのだ。要領がいいために、学校や大学でいい成績を取って来た頭の良い女性たちなのだ。

 要領がいいとは、自分の考えや行動をシンプルなものにさせて、最小限の努力で成功させようとするものだ。しかし、赤ちゃんや子供たちは考えや行動が散漫で出鱈目で纏まりがないのであって、そうやって色々なものに手を出して行くからこそ、赤ちゃんや子供たちは巧く成長して行くのである。

 それゆえ母親が要領が良すぎると、赤ちゃんや子供たちの考えや行動を予め縛ってしまうことになり、表面的は母親の思い通りに動いていても、赤ちゃんや子供たちにはストレスが溜まりまくり、いずれ大爆発を引き起こして来てしまうのである。要領の良さは、学校や大学で成功することに導いても、育児や子育てでは成功には繋がらないのだ。

 人間の生命力というのは元気溌剌としたものなのである。赤ちゃんや子供たちは、なまじ知識を持っていないために、既存の考えや行動に囚われることがないから、いつでも元気一杯に振る舞うものなのである。別に要領が良くなくても、きちんと生きていけるし、成長して行くことも可能なのである。

●満足を求めるより行動を求めよ

 いい学校に進学し、いい大学に進学し、いい就職先に勤めることができ、そしていい相手をみつけて結婚してきたような女性は、自分の人生の中で脱線したことがないために、失敗することを恐れてしまうし、要領の悪さを忌諱してしまうし、すべての段階で満足を求めてしまいがちだ。

 しかし、育児や子育てでは、100%満足できる場所というのはどこにもないのである。どこかで幸せを感じることができるものがあれば、どこかで不幸を感じるものがあるものなのである。例えば、赤ちゃんは可愛いものだが、その可愛い赤ちゃんが夜泣きを繰り返して、母親の安眠妨害を働いて来るのである。健康に育った子供が、外で遊んでいてくれればいいのに、なぜか怪我をしたり、事故に遭ったりして来るのである。

 育児や子育てでは、何かに満足してしまえば、どこかで不満足が生じて来るものなのである。それゆえ、過度に満足を求めてしまわないことだ。満足を求めるより、行動を求めるべきなのである。自分自身が行動していけば、満足なものにも、不満足なものにも、きちんと対処できるようになり、自然と成長して行くことができるようになるのである。

 自分が行動を起こしてさえいれば、満足する中でもその危険性が見えて来るものだし、不満足する中でもその解決の糸口を掴めるものなのである。最も危険なことは行動を起こさず、現状に安穏としてしまうことの方なのである。現状を変えずに完璧や満足を求めるようとすると、絶対に破綻してしまうのである。

 有難いことに、育児や子育てをしていれば、赤ちゃんや子供たちは常に動き回っているので、母親といえども動かざるを得ないのである。それを面倒臭いとか疲れと言わずに、一緒に付き合って動き回っていることだ。身軽に動いていれば、満足できるものも、不満足なものも、きちんと受け止められることができるものなのである。

●幸せは動くからこそ得られる

 こういうことは結婚それ自体にも言える。結婚での幸せは動くからこそ得られるものなのである。それなのに、結婚して10年以上経過すると、どうしても体重が重くなり、動きが鈍くなって来るから、行動量が減少してしまい、長年結婚し続けているというのに、幸福の発生量も減少してしまうのである。

 自分の夫から何かを頼まれたのなら、文句を言って反対するのではなく、素直に聞いて、行動を起こすべきなのである。そうすれば夫は喜ぶし、夫婦として幸福を掴むことができるし、自分の体重だって減って行くものなのだ。自分が動かないからこそ、夫婦でトラブルを発生させてしまい、結婚を不幸と感じてしまい、自分の体も雌豚のような体型になって行くのである。

 人間は考え事で頭の中を一杯にしてしまうと、動けなくなってしまうものなのである。そういう女性に限って、夫婦で何か問題があれば、夫婦で話し合って解決しなければならないと思っているのだが、夫婦で話し合って解決できるのは、夫婦双方が行動している時だけなのである。夫は仕事で行動しているが、妻が家庭の中で行動していなければ、いくら話し合っても、まともな議論にならないし、その内、話し合っているのに、喧嘩に悪化して行ってしまうものなのである。

 ぐだぐだと能書きを垂れていないで、行動を起こしてしまうべきなのである。行動量が少ないから、成功に慣れていないし、失敗にも慣れていないのだ。行動すれば、不幸にも出会うけど、幸せにも出会えるものなのだ。母親は成功したり、失敗したり、幸福に直面したり、不幸に直面したりするからこそ、母親として実力がついていき、何があっても動じないほどの強い母親になることができるのである。

 育児や子育てをしていれば、どうしても家中心に行動になってしまうから、自然と行動量が減少してしまうものなのだ。行動量が減少してしまえば、徐々に母親の考え方や遣り方がおかしくなって来るものなのである。そうならないためにも、休日になったら、家族で遠出をするとか、どこかに宿泊する旅行をするとかして、日常生活から離れることで、自分をリフレッシュして行けばいいのだ。

 そして、日常生活でも、一日中テレビを見て、テレビの前から動かない生活をしているのではなく、とにかく動き回って、あれやこれやに手を出して行くことだ。体を動かし続けていれば、どんなに激しい運動量でも体が疲れることがないものなのである。しかも、動いていれば幸せを見つけられることができる訳だから、動いていた方が断然お得なのである。

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タマティーの研究報告『日本人女性を悩ます水毒について』

 最近、日本の漢方医と中国の中国医学の医者の双方から水毒に関する話を聞くことができたので、水毒に関して少し研究してみました。今まで水毒こそ病気を引き起こしている原因だと解りつつも、イマイチ良く解っていなかったので、今回は突っ込んで研究してみた所、「そういことだったのか!?」と自分でも良く納得できたので、その研究成果を報告します。

●水毒と文明の歴史

 現在、日本人女性の多くが病気で苦しんでいる。病気だけでなく、病院に行っても病気と認定されないような「病気以前の病気」で苦しんでいる。これらの「典型的な病気」や「病気以前の病気」が水毒によって引き起こされているといったら、驚きであろう。そう、水分を過剰に摂取していることで、体の調子を狂わしてしまい、それによって病気を引き起こしているのだ。

 人間は本来「果実食動物」なので、水そのものを飲めないという制約を課せられた動物なのである。果物や野菜には大量に水分が含まれているのだから、わざわざ水を飲まなくても生きていけるのだ。それなのに人類は肉食を開始したために、どうしても水を必要とするようになり、そこで初めて口にした水が、「岩清水」なのである。岩清水なら、酵素水分と同じく、水の分子が細かいために、飲んだとしても、体の中を巧く循環して排泄されるからだ。

 しかし、人類は人口の増加と共に、どうしても平地に展開しなければならなくなり、そのために岩清水以外の水を飲まなくてはならなくなった。そこで考え出されたのが、「スープ」であり、「お酒」であり、「お茶」なのである。分子が大きな水を使わざるを得ないが、野菜を入れるなり、発酵させるなり、茶葉を入れるなりして、なんとか工夫して安全に水分を補給することができるようにしたのである。

 ところが、これですら水毒を発生させるもので、そのために文明の誕生と共に、病人は続出して来てしまい、それによって医学も誕生して治療に当たって来たのだ。医学がこれほど深い歴史を持ち、しかも病気を根絶できないとするなら、それは医学自体に問題があるのではなく、人間の食生活にこそ問題があるのである。

 しかも、近代化されると上下水道が全国津々浦々に整備されたこともあって、人類史上始まって以来、大量に水を確保できる時代を迎えてしまい、多くの人々が水を大量に摂取するようになってしまったのだ。更にお金を払って清涼飲料水やミネラルウォーターをガブ飲みしている状況なので、当然に水毒の餌食になってしまい、病気になってしまうのである。

●水毒の症状

 水毒によって何が起こるかといえば、それは「腎臓の弱体化」だ。腎臓は酵素水分が豊富な状況でこそ、健康的に機能するのであって、それなのに水を大量に飲んだり、お酒を大量に飲んだり、清涼飲料水を大量に飲んでしまえば、腎臓の機能は低下してしまうのである。腎臓は大腸から得た水分を濾過したり、血液を浄化する機能を持つので、この腎臓が弱体化すると、立ち所に全身の各器官が機能を低下してしまうのである。

 腎臓が弱体化すると、腎臓の近辺にある脾臓も弱体化してしまうことになる。脾臓は十二指腸や小腸にホルモンを分泌しているので、脾臓が弱体化するとそのホルモンの分泌が巧く行かなくなり、それによって十二指腸と小腸の機能が衰え、食事からまともな形で栄養を消化吸収できなくなるのだ。

 病人や病気の一歩手前の人が「胃が重い」といって食欲不振に陥るが、それは脾臓が弱体化することによって、十二指腸や小腸が働かないために、食欲が湧いて来なくなるのだ。また、高血圧や低血圧になったりするのも脾臓の弱体化が関係しており、子供なら冷たいジュースの飲み過ぎ、老人なら体を冷やすお茶の飲み過ぎを控えされると、簡単に治ってしまうのだ。

 十二指腸や小腸が正常に機能していないのだから、小腸から栄養を補給して貰い、それをエネルギーに変える機能を持つ肝臓にとっても、大きなダメージを食らうことになる。まともに栄養がやってこないのだから、肝臓を大いに疲労させることになってしまい、そのために全身に必要なエネルギーを供給できなくなってしまうのだ。水毒に犯されると、スタミナがなくなり、元気がなくなってくるが、これは肝臓が弱体化してしまったからなのである。

 人間にとって水分は必要なのだけれども、水分が有り過ぎることにより、血液やリンパ液が薄まった状態になり、人体各器官の機能の低下してしまうのである。こうなると、体が重くなり、免疫力が低下し、疲労が抜けなくなってしまうのだ。水毒に犯されている人に限って、風邪をひき易くなり、いつもダルそうにしているのは、健康的な血液やリンパ液がないからなのである。

 腎臓や脾臓や肝臓、血液やリンパ液に異常が出て来るのだから、水毒に犯されてしまうと、「体の冷え」「頭痛」「眩暈」「近視」「難聴」「嗅覚の低下」「子宮筋腫」「子宮内膜症」「子宮癌」「乳癌」「脳疾患」「心臓疾患」という様々な病気に犯されてしまうのだ。現在、日本人女性が抱えている病気の殆どが出揃っているといっていいだろう。

 西洋医学だとこれら一つ一つの病気に何か一つ一つ原因があって引き起こされると思っているのだが、実際には水毒という原因こそが根本的な原因であって、水毒さえ解消してしまえば、これらの病気はすべて消え去ってしまうのである。逆にいえば水毒を抜かない限り、いつまでも病気は様々な様相を呈しながら、発生し続けて来るのである。

●水が変われば、医学も変わる

 水毒はこれほどまでに恐ろしいものなのだが、水道が普及して来るまで、水毒の恐ろしさがイマイチ解っていなかった。江戸時代の漢方医たちは、病人に対して、「葛根湯」を多く処方したらしい。これは江戸時代の町人たちは白米を常食とするようになり、緑茶を嗜むようになったからだ。白米も緑茶も体を冷やす効果があるので、体が冷えることで免疫力が低下し、病気になってしまったのだ。そこで漢方医たちは、体を温める効果のある葛根湯を飲まして、体を温かくすることで免疫力を上げて、病気を治したのである。

 ところが、日本が近代化し、水道が普及し、水を大量に摂取するような時代になってしまうと、当然に水毒に犯される訳であって、水毒によって病気が引き起こされる以上、水毒を抜く漢方薬を処方しない限り、病気は治らなくなってしまったのだ。まさか水を飲めない人間たちが、ペットボトルを持ち歩いて、水を飲みまくるなど、想像もしていなかったのだ。

 一方、中国の中国医学の医者たちは、この水毒の恐ろしさを充分に解っていた。なぜななら、中国の水は日本の水と違って硬水なので、軟水のように排泄力が弱く、体内に溜まってしまうので、それによって病気になってしまったのだ。しかも、中国の水は非常に汚いので、そのまま飲めば下痢になってしまうのだ。そのため、中国人たちは基本的に生水は飲まず、必ず温かいお茶にして水分補給をするのだが、こうでもしないと水分補給ができないのだ。

、硬水ということはヨーロッパ大陸も同じことなのだが、ヨーロッパの医者たちは水毒を発見することができなかった。そのために大量の病人を続出させてしまい、それが皮肉なことに西洋医学の発達を促してしまったのだ。高度な医学がある所は、文明度が高いのではなく、逆にその国の人々が間違った食生活を営んでいたり、医者たちが病気の根本的な原因を見つけられないからこそ、医学が発達してしまったのである。

 世の中には「水飲み療法」があるが、それは水の分子が細かい水を使った場合だけ許されるものなのである。人間の体は1日3ℓ以上の水分を摂取すると、自動的に体内の水分を強制的に排出することになるので、体内の老廃物や毒素も一緒に排出できるのである。しかし、それを通常の水でやってしまったら、逆に体を水毒で犯してしまうので、非常に危険なのである。

●水毒の解消法

 女性は赤ちゃんを出産すると、一時的に体重が増えることになる。これは母乳を出すために、体が余計に水分を溜め込んでしまい、母乳用の水分を確保するからなのである。しかも、授乳させていくと、どうしても喉が渇いてしまうので、大量に水を欲しがるものが、その際に水をガブ飲みしていたら、途端に体を壊してしまうのだ。出産してからは、安全な形で水分を摂取すると同時に、水毒に犯されないようにすることだ。

①飲水を制限する

 まず、飲水を制限することだ。特に夕食後は水分を摂取しないようにすることだ。夜間に水分を摂取してしまうと、どうしても体内に溜まり易くなってしまい、水毒に犯されてしまうからだ。水分を補給したいのなら、午前中にすることだ。午前中だと排泄の時間なので、この時間帯なら水分補給をしても、小便で排泄されるからだ。

 水分補給は果物や野菜をメインに行うことだ。但し、果物や野菜は体を冷やすので、必ず味噌汁を飲んで体を温めることだ。食事以外で水分を摂取する時は、黒砂糖入りの生姜湯がお勧めである。授乳が終わったのなら、黒砂糖入りの紅茶でも飲んで、体を温めることだ。

②家事をテキパキとこなす

 女性の体は家事のようなチョコマカした労働をすると、汗が出るし、小便の量も多くなるし、呼気から水分が出て行くのだ。そのため、家事をテキパキとこなしていると、水毒が抜け易くなるのだ。家事はダラダラと行うからこそ、大変になってしまうのであって、迅速に行えば、苦痛にはならず、逆に快感になるものなのである。

③ウォーキング+軽ジョギング

 人間は歩行量が多ければ、血液循環が良くなるので、大量に小便を排泄することができる。それゆえ、1日の歩行量をとにかく増やすことだ。日々の生活の中でウォーキングを多く取り入れることだ。今まで自動車に乗っていたのなら、なるべく自動車を使わないで、歩くようにすることだ。

 それから「軽ジョギング」もお勧めであって、週に2回か3回はゆっくりとしたペースで走り、汗を流してしまうことだ。軽ジョギングをする時は、厚着をして走ると、汗が大量に出易くなるので、走り終えたら気分爽快になってしまうのである。休日に夫婦で長躯して、ヘトヘトになるまで走ってしまうと、水毒は完全に抜け落ちてしまうことになる。

④サウナ+風呂

 運動するのが面倒臭いというのは、最早、水毒が脳にまで回っている状態なのである。そういう女性はサウナに行って汗を流してしまうことだ。サウナで汗が出き切るまで入っていれば、水毒が抜け落ちる筈だ。また、時には自宅で長風呂に浸かるのも水毒を抜くには効果的で、43℃以上の熱いお風呂に入って、汗を流してしまうことだ。汗が出き切ったら、上がればいいのだ。

⑤断食

 授乳中は断食を行うことは無理だが、子供が卒乳してくれたら、断食をして、水毒を抜いてしまおう。断食といっても、本格的な断食ではなく、水毒を抜くための断食なので、日中断食でいい。日中断食とは朝食と夕食の間、一切の飲食物を禁止するという断食で、これをやると水毒が抜けてくれるのである。1日で1㎏は確実に落ちて行くので、体重の減少が止まったら、断食をやめればいい。但し、日中断食で注意すべきことは、朝の段階で多目に水分を補給しておいて、排便をスムーズに行わせるということだ。女性は便秘がちなので、水毒を抜きたい余りに、必要最低限の水分すら摂取しないと、立ち所に便秘になってしまうのだ。断食で水毒を抜いてしまうと、体が今まで有り得ないほど軽くなり、健康的になることができるのである。

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育児や子育ては「母親育て」でなく、楽しみながらできる「人生の修行」

●純粋無私の追求の姿勢

 夫婦が本物の夫婦になって行くためには、出産や育児を経験して、3人以上の子供を持たねばならないし、一緒に暮らしながら10年という歳月も必要とするし、最終的には大喧嘩することで、古い愛の形を破壊して、新しい愛の形を築いていかなければならないのだ。愛すればすべて巧く行くことなできないのだ。愛以外にも、大切なことがあって、それらをするからこそ、夫婦は本物の夫婦になっていくのである。

 ところが、育児や子育ての話になってしまうと、母親が育児や子育てに追われる日々を疎い、育児や子育ては「母親育てである」という輩が必ず出て来るのである。育児や子育ては母親育てをするためにやっているのではないのだ。自分が産んだ子供を育てるためにやっているのだ。母親は出産したと同時に母親に成るものであって、いくら育児や子育てを経験した所で母親として育って行く訳ではないのだ。母親は最初から母親であり、時間の経過と共に「育児の仕方」や「子育ての仕方」を学んで行くだけなのである。

 母親育てなる議論を展開して来る女性たちは、大抵が子供の数が3人以上に達していないのだ。母親として未熟なくせに、一丁前の意見を言ってくるからこそ、出鱈目な意見を言って来てしまうのである。赤ちゃんを産めば、赤ちゃんは二時間ごとに泣き出して来るのだから、それに母親が対応していたら、母親育てなんて言っていられないものなのである。でも、身も心もフラフラになりながら育児をしているからこそ、いつの間にかに育児の仕方を身につけてしまうのである。

 母親育ての議論の根本的誤りは、育児をしているのに、自己中心的に物を言っていることなのである。育児をすれば当然に赤ちゃん中心に展開して行くから、母親が真面目に育児に取り組んでいれば、我執が抜け落ちてしまい、自分の限界が突破されて、未婚時代とは比べ物にならないくらいに成長して行くものなのである。

 仏教用語でいうなら、解脱した状態になってしまうのである。ただ、解脱と何が違うかといえば、煩悩から逃れて涅槃の状態になるのではなく、自分が純粋無私の状態になり、その状態で物事を追求して行くと、新たな世界に突入し、新たな義務が神様から授けられ、それによって以前の自分では獲得できない「大いなる幸福」を得ることができてしまうのである。

●出産や育児はこの世で最も素晴らしいもの

 女性が女として生まれて、出産や育児をなんで最高の幸せと思えるのかといえば、出産や育児をすることで、我執が剥がれ落ち、自分が純粋無私となって、新たな世界に突入できるからなのである。女性が出産や育児以外で、これよりも低いレベルでこの現象が起こることはあっても、これより高いレベルでこの現象が起こることは決してないのだ。

 人間は若い時は、既成概念に反抗して来るものだから、結婚以外にも幸せになれるものがあるのではないかと、生意気な女性なら思ってしまうことだろう。確かに結婚以外にも幸せになれることは、この世に存在する。しかし、結婚以上に幸せになれることは、この世には存在しないのである。

 だからこそ、10代や20代で「結婚なんかしない」と宣言していた女性たちが、様々な人生経験を経た結果、或る日突然に結婚したりするのである。若い時に結婚を拒否する宣言をしておいて、本当に結婚しないでいると、或る時期から自分の人生に何も変化が起こらない、成長がピタリと止まった人生を送ってしまうことになるのである。

 たとえ結婚しても、赤ちゃんがいなければ、女性は大いなる成長を遂げることができない。だから、不妊症の女性なら赤ちゃんができないことに焦るのである。出産や育児をしてこその結婚であって、それができないとなれば、どう夫婦が愛し合った所で、大切な何かが欠けた状態のままになってしまうからなのだ。

 いつの世も若者の考えは間違っているものなのである。若者がまともになっていくのは、その間違っている自分の考えを捨てた時からなのである。孔子様だって「三十にして立つ」といったぐらいだから、10代や20代の時は間違った考えを持って、この世の彷徨っていたのである。

 母親なら自分の娘が間違った人生を進まないように、育児や子育てが大変だったと教えるのではなく、最高に面白かったよと教えておくべきなのである。育児の仕方は母親から娘へと継承されていくものであって、娘が出産を拒否したり、育児で喜びを見出せないのなら、母親の育て方に相当な問題があったということなのである。

 母親から育児の仕方を継承すれば、娘は時が来れば母親として自然に成長して行くのである。育児本や育児雑誌はそれを補完するものであって、絶対にそれがメインになってはならないのだ。育児本や育児雑誌に頼るからこそ、母親として成長できなくなってしまうのだ。大事なことは、いつも文字化することはできないのである。直接に自分が誰かから経験することでしか、伝えて行くことはできないのである。

●女性が幾ら働いても、出産や育児には適わない

 世の母親たちが育児や子育てに全力を投入し、本物の母親になれなかったからこそ、育児や子育てに否定的になり、結婚しても損するだけと、自分の娘に教えてしまい、それによって娘たちが大学に進学して、フェミニズムに洗脳されてしまい、結婚を拒否して、仕事に生き甲斐を見出す女性に成ってしまったのである。

 女性が社会に出て働くなとは言わないが、結婚を否定するまでの仕事など、この世には存在しないものなのである。女性が仕事をするなら、産休を取るとか、育児の間だけは退職するとか、自宅で育児しながらでもできる仕事を探せばいいのである。働く既婚女性を優遇することは必要であっても、働く行かず後家を保護する必要性などどこにもないのだ。

 男性が結婚せず、子供がいないのなら、どんなに功績を上げようが一人前と看做されないように、女性だって結婚せず、子供がいないのなら、どんなに功績を上げようが一人前と看做されないのである。フェミニストたちは、「日本は男社会だ」と決めつけてくる。しかし、日本の社会で高位に就いている男性たちは、単なる男性ではなく、既婚男性であり、子供がいる男性たちのなのである。男としてやるべきことをやったからこそ、一人前と看做されるようになって、この社会で高い地位に就くことができたのである。

 男といえども、いつまでも独身でいたり、結婚しても子供がいなければ、高い地位が与えられないものなのである。男としての重みがないから、重要な仕事を任すことができないのである。フェミニズムに洗脳された女性たちが、或る時期に出世が止まってしまうのは、何も女性だから差別を受けたのではなく、結婚せず子供がいないから、どうしても女としての重みがないから、重要な役職に就かせて貰えないだけなのである。

 フェミニズムは「女性の地位向上」や「女性の権利の充実」を唱えて来るから、頭の悪い女性たちはフェミニズムこそ女性の味方ではないかと思ってしまう。しかし、フェミニズムこそが「女性の尊厳」を破壊するものなのである。なぜなら、女性として最高の幸福を得ることができる結婚を否定して来るからなのである。女性が最高レベルで成長できる機会を奪ってしまうからこそ、どうやっても自分が満足できる幸せを得ることができない人生を送ってしまうのである。

●「一時の快楽」より「一生の修行」

 この世には「一時の快楽」などいくらでも出回っているものなのだ。若ければお酒やタバコやギャンブルだし、堕落的なセックスに耽ることもあるだろうし、法律で禁止されているというのに麻薬だって出回っているものなのである。社会主義やフェミニズムも「一時の快楽」の一つであろう。そのイデオロギーに取りつかれていれば、現実を忘れることができるからだ。

 もしも自分が素晴らしい人生を歩みたいのなら、人生の早い段階で「一時の快楽」は自分の人生には何も貢献しないということに気付くべきなのである。「一時の快楽」はどうやったとしても、刹那の快感しか得ることができないのだ。「一時の快楽」を求めるのではなく、「人生の修行」に目覚めるべきなのである。

 女性にとっては、結婚がまさにそうだし、妊娠や出産や育児や子育てというのが、結局は人生の修行となって、自分を大いに成長させてくれるのである。育児や子育てに何かしら不平不満を言うのではなく、10年間、腰を据えてじっくりと物事に取り組むべきなのである。10年間やっていれば、どんなに頭の悪い女性だって、育児の仕方や子育ての仕方が解って来るものなのである。

 「自由」を矢鱈滅多らに主張して、いつまでもフラフラとしているべきではないのだ。そんなことをやっていれば、時間はあっという間に過ぎ去ってしまい、自分が気付いた時にはお婆さんになっているものなのである。大事なことは、いつまでも迷っているのではなく、「これが自分の生き方だ!」と決めてしまうことなのである。

 自分の夫がどのような男性であれ、結婚して10年も経てば、返品することも、誰かと交換することもすべきではないのである。「これが自分の旦那なんだ!」と腹を括れば、自分が大きく変わって行くのである。自分が産んだ子供たちも、それが健康に育とうが、病気になろうが、頭が良かろうが、バカだろうが、「この子たちは自分の子供なんだ!」と腹を括れば、子育てで大した問題など起こらなくなって来るものなのである。

 自分の利益になることばかりを考えるのではなく、「結婚も修行」「育児も修行」「子育ても修行」と思ってしまえば、自分はいつまでも成長して行くことができるのである。時間を止めてしまうことよりも、死ぬまで修行し続けることの大切さに気付いた時、自分は死ぬまで成長し続けて行くことができるのである。

 人間は未熟であるなら、この「人生の修行」という考えになかなか辿りつけないのだ。重荷を背負って坂道を上がって行くよりも、重荷を捨てて坂道を転げ落ちる人生を歩んでしまうものなのである。人生の落後者たちが人生を破綻させる切っ掛けになったものは、どれも些細な物なのである。お酒やギャンブルや麻薬程度の代物で自分の台無しにしてしまうなんて、詰らない人生なものなのである。

 育児や子育てを一生懸命にやっていれば、傍から見れば地味な生活をしているに決まっているのだ。しかし、その地味な生活を繰り返して行く内に、派手な生活をしている人たちが転落して行き、いつの間にかに自分は圧倒的な実力を持ってしまうのである。だから、焦ることなく、楽しみながら育児や子育てに取り組むべきなのである。人生の修行を楽しみながら行えば、いつも楽しくしていられるものなのである。

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本物の夫婦になってしまうと、突然に資産が集まり出す

●夫婦の再生

 男女は結婚式を挙げれば、夫婦になれるが、本物の夫婦になれるためには、子供を3人以上産み、10年という歳月がどうしても必要なのである。当初は夫婦仲が良くても、子供がいなかったり、子供がいたとしても数が少なければ、双方が成長して来ないから、いつまでも未熟な夫婦になってしまうのだ。結婚して10年も経てば、夫婦として良い事も悪い事も経験するから、その経験が夫婦の貴重な財産となって、如何なることがあっても、動じない強い夫婦になっていくのである。

 自分たち夫婦が本物の夫婦になって行く時、それまでの夫婦の愛の形ではもうどうにもすることができないから、どうしてもその旧式の夫婦の愛の形を破壊して、今現在の自分たち夫婦に合うような愛の形に作り変えていかなければならないのだ。一旦、今までの夫婦は死に、再生してくるからこそ、今後とも夫婦仲のいい夫婦でいられるのである。

 この世には人を愛しさえすればすべてを解決できるという幼稚な考えを持っている人々が跡を絶たない。この世には愛した所で、どう仕様もない出会いだってあるものだし、自分が愛してしまえば、相手を不幸にしてしまう愛だってあるのだ。他人を最高レベルで愛したいのなら、ちゃんと結婚すべきであって、結婚してからも結婚を巧く操縦して、正しく愛し合えるように仕向けて行かねばならないのだ。

 愛こそすべてではないのだ。いつまでも愛し続けたければ、愛以外の大切なものに気付かねばならないのである。愛以外に大切なものは、それは「厳しさ」なのである。自分の愛が本当にこれでいいのかを、正しさを突き詰めることによって、愛が洗練され、純度の高い素晴らしい愛に変わって行くのである。厳しさのない愛は、いずれ堕落して行ってしまい、自分のすべてを破壊してしまうものなのである。

 夫婦の場合、結婚して10年も経てば、夫婦としての正しい行為が解って来るので、それによって夫婦の愛の形が整い、高品質の夫婦愛が順調に流れ出し、家族内を回転し始めるのである。それによって爆発的エネルギーを生み出すのであって、今後は内向きに生きて行くのではなく、外に向かって撃って出て行く人生に変えて行くべきなのである。

●夫婦愛と資産の関係

 結婚して10年も経ち、夫婦の愛の形が再生されると、今まで夫婦間で浪費していたエネルギーがなくなり、僅かなエネルギーでも家族を運営して行くことができるようになるのである。夫婦双方に家族の負担が少なくなって来るので、それによって自分たちのエネルギーを他の物に使うことができるようになるのである。

 冷静に考えれば、夫婦2人に子供1人の家庭の方が、夫婦2人に子供3人の家庭よりも、生活費がかからないのだから、裕福になって行く筈である。ところが、実際にやってみると、子供が3人以上いる家庭の方が、裕福になって行ってしまうのである。子供が3人以上いれば、夫婦が親としてベテランの領域に達して来るので、無駄なエネルギーを使うことがないから、それによって裕福になって行ってしまうのである。

 少子化になると、途端に貧乏人が続出して来るのは、夫婦が未熟であるがために、家族の内部でエネルギーを奪われてしまうから、資産を溜め込んでいくことができないのである。自分の精神レベルが低ければ、見栄を張ったり、無駄な出費をしたり、堕落的な物にお金を使ってしまい、いくら収入があっても、貧乏になって行ってしまうものなのである。

 家庭での心配事がなくなると、資産は急激に増えて行くものなのである。夫婦がレベルの高い夫婦愛を出して行けば行くほど、生活に余裕が出来て、収入を遥かに下回る出費で暮らせるようになり、それが積りに積もって莫大な資産を形成して行くのだ。資産が多ければ素晴らしい夫婦とは必ずしも言えないが、レベルの高い夫婦愛を出し合っている夫婦なら、確実に資産を増大させていくものなのである。

 無闇にお金を溜め込んでいくのではなく、自分たちの夫婦愛の証明として、お金を溜め込んでいくべきなのである。預金通帳の金額が高ければ高いほど、自分たち夫婦はきちんと愛し合っているのだということが解れば、自分たち夫婦の愛が目に見える形で評価されて来るのである。

●投資の勉強をしよう

 現在、日本はデフレ経済に突入しているので、銀行に預金していても、大して金利がつかないものだ。そのために不動産や株式や債券に投資せざるを得ないのだ。そのため夫婦で投資の勉強をしておくことだ。素人感覚で投資の世界に手を出せば、自分たち夫婦が溜め込んだお金がすべて奪われてしまうものなのである。

 投資で大事なことは大儲けすることではないのだ。自分たちの資産を目減りさせないことなのである。大儲けできる投資物件というのは、ハイリターンではあるけれども、ハイリスクなのである。そういうものを狙うのではなく、自分たち夫婦の資産を減少させることなく、地道に資産を増やして行くためには、安全な投資物件に手を出して行くべきなのである。

 自分の目で確かめられないような投資物件には手を出さないことだ。海外で鉱山開発を行うので投資をしてくれとか、余りにも話が巧すぎる投資信託とか、今までに聞いたことのない不動産投資の話とか、そういうものには絶対に乗らないことだ。夫婦で投資するなら、安全な物件にしか手を出すべきではないというのは、鉄則だと言っていいのだ。

 不動産投資をするなら、自分たち夫婦が現地に行って、その土地を自分たちの目で確かめてみることだ。株式投資をするなら、自分たち夫婦が株主総会に出席して、その会社の経営者たちを自分たちの目で確かめてみることだ。債権投資をするなら、債権の中で最も安全な政府債務に手を出すべきであり、政府の情報を集めて、政府が危険なことを遣り始めたら、すぐさま売り払ってしまうことだ。

 投資には得手不得手があるので、自分の得意分野で活躍することだ。不得手なことや、怪しい投資物件には絶対に手を出さないことだ。投資を遣り始めた時には、何度か痛い経験をするだろうが、それは勉強させて貰ったと謙虚に受け止めて、投資の勉強を積極的に進めて行くことだ。試行錯誤しながらやっていけば、自分の得意分野というものが解って来るものなのである。

 もしも、積極的な投資をしたいというなら、その時は株式会社を作って、そこで投資を展開して行くことだ。既婚女性の中には不動産投資に卓越した能力を持っている女性もいるだろうし、株式投資でデイトレーダーのようなことをやって巨万の富を稼ぎ出す女性もいることだろう。そういうのは、自分たち夫婦の資産運用で行うのではなく、ビジネスとして行うべきなのである。

●資産で儲けたら、資産に再投入する

 投資で得た利益は絶対に生活費に回さないことだ。資産で儲けたら、資産に再投入することで、資産を雪達磨方式で増やして行くべきなのである。資産での利益を生活費に回してしまうと、途端に経済感覚が狂ってしまい、真面目に働くことをバカにし出すようになってしまうからだ。世の中には資産収入で派手な生活を送っている人がいるものだが、絶対に真似をしないことだ。これをやったら、その家族は大抵破滅していくものなのである。

 いくら資産収入があったとしても、自分たち夫婦は質素な生活を心掛けるべきなのである。自分たち夫婦が質素に暮らしているからこそ、資産は増え出すものなのであって、その質素な暮らしを資産がいくら増えた所で崩さなければ、資産は爆発的に増えて行くもののである。

 資産を大量に持つことが、自分たちの夫婦の愛の証明なのであって、その資産収入で自分たち夫婦の生活を破壊すべきではないのだ。その資産は神様から委託されたと思って、誠実に運用して行くべきなのである。自分たち夫婦がいくら莫大な資産を持っても、夫は外で働き、妻は家庭内のことを切り盛りすることに、なんの変わりもないのだ。

 夫婦にとって投資の原点になったのは、貧しい生活であっても、収入から天引きして貯金に回して行ったことなのである。だから、資産収入がいくら大きくなったとしても、収入から天引きして貯金に回す生活をし続けるべきなのである。これを守り続ければ、いつまでも夫婦仲良く暮らして行けるし、資産も確実に増えて行くものなのである。

 結婚して10年も経てば、夫婦として話すべきことは殆ど話し尽くしてしまうものだ。そのため、夫婦仲はいいのに、夫婦の会話が減少して行くものなのである。そこで夫婦が投資の話をすれば、その話で話が盛り上がるし、その話の成果が自分たちの資産の増大に繋がるのだ。だからこそ、資産収入が出た所で浮かれてしまうのではなく、地道に資産運用をし続けることにこそ、夫婦として価値があるものなのである。

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本物の夫婦になるための試練

●人間の生き方は十年が限界

 人間の生き方は10年間しか持たない。10年も生きていれば、環境が変わってしまうことだろうし、自分の考えも根本的に修正しなければならなくなってくることだろう。生まれて来て10歳前後に幼稚さが抜け始めて思春期を迎え始めるし、20歳前後では大人の仲間入りを果たして行くし、30歳前後なら女性は結婚適齢期の真っ最中である。人間は10年ごとに大きく変わって行くのだ。

 結婚も結婚してから10年経てば、夫婦の愛の形を変えて行かざるを得なくなるのだ。結婚当初のような溌剌として気分はもうないし、かといって結婚を御破算にする必要もないのだ。夫婦双方が今まで遣り続けて来た生き方を根本的に修正することで、結婚を新たなものにしなくてはならないのだ。

 結婚して10年も経てば、子供たちは大きくなり、第一子は小学生になっている頃だろう。まだまだ子供ではあるのだけれども、子供の将来の進路をもうそろそろ決めねばならない時期に差し掛かっているものだ。子供を子供扱いしなくなる時期こそ、夫婦もその幼稚さを捨て、じっくりと将来を見据えねばならぬ時期になっているのである。

 気をつけなければならないのは、夫婦の愛の形が限界に達していることに、先に気付くのは大抵、妻の方だということである。そのため、妻の方が悲観してしまい、結婚を破壊する方向へと自分の意思で導いてしまうことだ。はっきりと言っておくが、結婚の愛の形が限界に達しているだけであって、結婚そのものが駄目になっている訳ではないのだ。

 10年間も結婚して来て、しかも子供たちがいるなら、離婚という選択肢は絶対に取るべきではないのである。その夫婦はそれがどうであれ、運命の出会いを果たして出会った二人であり、今更、離婚するには余りにも代償が大きくなりすぎてしまうのだ。結婚の愛の形を変えればいいだけであって、配偶者まで変える必要性はないのだ。

●出産と育児で自分の精神レベルが上がる

 要は出産と育児によって、妻の方の精神レベルが上がってしまったのである。毎日、子供の面倒を見てくれば、どんな馬鹿な女性といえども、生命の尊さや、人を育てて行くことの素晴らしさが解り、それによって自分の精神レベルが上がり過ぎてしまい、もう昔のような生き方が出来なくなってしまっているのだ。在り来たりの夫婦から、本物の夫婦に変わって行かざるを得なくなっているのである。

①条件は子供3人

 本物の夫婦になるためには、子供が3人以上は必要なのである。子供を3人以上産み育てないと、妻の方が不自然な生き方をしてしまい、どうして育児の仕方をきちんと学ぶことができなくなってしまうのだ。本来なら妻の方が精神レベルが上がらなければならないのに、その上昇が起こらなくなってしまうのだ。

②育児や家事に追われる

 妻の方が育児や家事で追われる日々をすごしているこということは、非常に重要な条件である。暇を持て余しているような既婚女性であれば、邪念が頭の中に蔓延ってしまい、自分の精神レベルを上げるどころではなくなってしまうからだ。育児や家事に追われる日々を過ごしていない既婚女性に限って、日々のニュースで流れる殺人事件がどうのこうの、政治問題がどうのこうの、社会問題がどうのこうのと言い出し、「それではあなたは一体何をやりましたか?」という問いには一切答えることができなくなってしまうのだ。

③大喧嘩

 本物の夫婦になるためには、夫婦が大喧嘩することも必要なのである。夫婦によっては怒鳴り合いの喧嘩になったり、殴り合いの喧嘩になったり、口を聞かない喧嘩になったりと、様々であるが、大喧嘩することで、夫婦のそれまでの愛の形が壊れてしまい、新たな愛の形を作り出して行くことが可能になるのだ。

 古来より、日本では夫婦が余りにも仲良くし過ぎることを戒めて来たのは、夫婦仲が余りにも良すぎると、夫婦双方が互いの精神レベルの上昇に気づけず、新婚当初と変わらない生活をし続けてしまうからなのだ。夫婦仲が冷え切ってしまうのは、それはそれで問題だが、夫婦は双方、互いに少し距離をおくことで、相手を冷静に見ることができ、本物の夫婦へと成長して行くことが可能になるのである。

●問題ある既婚女性たち

 本物の夫婦になるためには、これら3つの条件を収めてしまえば、自然と変化が起こって来るものなのである。だが、これらの条件を収めた筈なのに、どうしても変化が起こってこない夫婦がいる。こういう夫婦は夫の精神レベルが余りにも低すぎるか、それとも妻の方に問題があるか、2つに1つなのだ。

①なんでも夫任せの妻

 子供を3人以上産み育てて行くのは、精神的に独立していないとできるものではない。ところが、子供の世話をしている日々の中で、妻の方が幼稚化してしまい、夫に従属するようになってしまい、なんでも夫任せにする妻が出て来るのだ。こうなると、いくら条件を満たしていても、本物の夫婦に変化して行くことができないのだ。

②頑張り過ぎる妻

 一方、精神的にはきちんと独立しているのだが、何事にも自分で頑張り過ぎてしまう妻たちも出て来るものである。妻が頑張ることで家事も育児も巧く行くことがいいことなのだが、しかし、頑張り過ぎる女性ほど、夫に甘えるということを忘れているのだ。自分が必要以上に力を出しているために、相手のことをきちんと思いやって、正しく愛するということが出来なくなってしまったのだ。そして何より、自分の心を開いて、相手と真剣に向かい合い、話し合うことを忘れているのだ。

③温和すぎる妻

 性格的に余りにも温和すぎるために、夫婦喧嘩を一切しない妻というのも、この期に及んでは問題となってくるのだ。人間は誰でも喧嘩すべき時は喧嘩しなければならない。それなのに、自分の性格から争いを避けてしまい、自分に変化を引き起こすということをしないのである。そのために、本物の夫婦になれる機会を失ってしまうのである。

 結婚して10年経ったのに、何も変化が起きない方が危険なのである。なぜなら、その夫婦が本物の夫婦になっていないから、表面的には平穏無事に過ごしているように見えても、実は結婚そのものを破壊してしまうような危険な火種を持っているのである。本物の夫婦になれなければ、離婚してしまう可能性も出て来るし、結婚jを続けても利益を得ることが非常に少ないものになってしまうのだ。

 自分たち夫婦が本物の夫婦に変わることができないなら、第三者の手助けを借りることだ。既に本物の夫婦になっている既婚女性から何かしらのアドバイスを受けることだ。本物の夫婦になれた既婚女性なら、自分の根本的な過ちを的確に指摘してくれて、それによって自分なりに激変が起こり、本物の夫婦になって行くことだろう。

●身も心も夫婦になる瞬間

 夫婦というのは、結婚式を挙げればそれで完成なのではない。結婚当初はまだまだ未熟者なのだ。しかし、結婚して10年も経てば、ベテランの域に達するほど、急成長して行くものなのである。自分たち夫婦が成長し過ぎたからこそ、新婚当時のような夫婦の愛の形では最早不可能になり、夫婦の愛の形を刷新することで、新たな未来を切り開こうとするのである。

 本物の夫婦になっていなければ、夫婦愛が巧く流れていないから、配偶者をきちんとした形で愛せないし、夫婦にとって大事なことを他人に話して解決の糸口を掴まざるを得なくなってしまうのだ。結婚しているのに、非常に無駄なエネルギーの遣い方をするのであって、だからこそ、結婚が重苦しいものになってしまうのである。

 身も心も本物の夫婦になると、夫婦双方の心の壁が崩れ落ちて、夫婦愛が最高レベルで流れ出して、夫婦の間から爆発的なエネルギーが湧き出して来るものなのである。どの夫婦も本物の夫婦に変わって行く時期は、夫は働き盛りに差し掛かっているし、妻も家事や育児が最も充実した日々を過ごす時期に差し掛かっているのだ。

 どのような夫婦になるかは、夫婦それぞれなのである。今まで亭主関白でいた夫婦が嬶天下になってまったり、今まで嬶天下だったのに亭主関白になってしまったりすることもあるのだ。今まで対等な夫婦関係を築いていたのに、夫婦のどちらかが主導権を握ってしまうこともあるのだ。結婚して10年も経てば、夫婦の力関係に於いて最善と思えるような形に変化して行くものであって、そのような形を受け入れることなのである。夫婦はこういう夫婦にしなければならないということは、絶対にないのである。夫婦は本当に人それぞれなのである。

 本物の夫婦になってしまったら、後は夫婦双方が足を引っ張り合うのではなく、外に向かって攻撃を仕掛けて行くべきなのである。最早、夫婦の至らないもののために、エネルギーを浪費するべきではないのだ。自分たち夫婦の間から湧き起こって来たエネルギーを物理的な豊かさを実現して行くために使用すべきなのである。だからこそ、本物の夫婦は今までとは有り得ないような豊かさを実現することができるのである。

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