趣味

ここがヘンだよ、オスカル!

●女の友人を作らない
 
『ベルサイユのばら』の中で、オスカルは一番魅力的な存在なのだが、オスカルほど変な女はいない。女性として生まれながら、跡取りの問題で父親から男として育てられ、近衛士官になっているのが変なのではなく、人間が成長していくに当たって当然にすべき事をしていないから、実に変なのである。
 
 オスカルはなぜだか友人という者を作らない。オスカルの人間関係の基本は「上下関係」であり、「対等」に接する事ができない。アンドレは幼馴染ゆえに親しく接しているが、それでも伯爵令嬢と馬丁の関係がある事を前提に付き合っているにすぎない。唯一、最初から対等に接触したのはフェルゼンなのだが、彼は外国人であり、しかも伯爵という事で、実はオスカルと階級位が同じなのだ。それでフェルゼンだけは特別扱いなのである。
 
 フェルゼンは友人としてオスカルと付き合っているのだが、所詮、オスカルは女性ゆえに、どうしてもフェルゼンに対して友情以上の物を持ってしまい、それで関係が崩れしまう。アンドレもオスカルの事を女性だと意識するようになってから、友情以上の物を持ってしまい、それで関係が崩れてしまった。だからオスカルは男性たちと友情を築けなかったということになる。
 
 オスカルは男性たちとだけでなく、女性たちとも対等に接しない。アントワネットはオスカルの事が好きになり、自分のサロンに来るように誘うのだが、オスカルはその誘いを断ってしまう。このため後に、オスカルはアントワネットの心の内を理解する事が出来なくなり、それで近衛連隊隊長を辞める羽目になってしまう。
 
 女性は思春期に「親女」を作り、「永遠の友情」を獲得していく。永遠の友情があればこそ、その後、突如として恋愛可能な男性と巡り合い、恋をする事になる。『ベルサイユのばら』の中で、オスカルの親友になれる女性はマリーアントワネットしかいないので、オスカルがアントワネットと親友に成れなかった事は、オスカルの恋愛を不可能にさせてしまったのである。
 
●幼馴染とのセックスは身の破滅を引き起こす
 
 オスカルに女の友人が出来なかったのは、自分が父親から男として育てられたからかもしれないが、そうであったとしても、親友を持たない以上、恋愛は不可能であり、だったら恋愛などせずに仕事だけをして生きて行けばいい。物語の中で一時期、この決意をするのだが、結局はアンドレの思いに押し切られ、人生で最初で最後のセックスをしてしまう。
 
 幼馴染とのセックスは身の破滅を齎す事に成る。なぜなら「自分は何も成長していませんでした」ということになってしまうからだ。もしも幼馴染と何かしらの縁があれば、10代の時にセックスをしている筈である。そういう事がないなら、もう縁は何もないのであって、後は切り捨てて行けばいいだけの事なのである。
 
 女性の読者たちであるなら、オスカルとアンドレが結ばれるシーンは涙なくして読めないだろう。しかし男性の読者たちは「こんな物は恋愛でもなんでもない!」と見抜いてしまう事だろう。なぜならアンドレにはオスカルを不自然な生き方から解放してあげる力を持っていないからだ。
 
 男の子も女の子も、幼い時にはそんなに差はない。しかし大きくなればなるほど、差がはっきりと出て来る。どんなに幼馴染であっても、女の子たちの中には美人になり、卓越した能力を持って出世していく奴が出て来る。もうそういう女性には手出しなど出来ないのであって、幼馴染だからといって何かをしようなどというのは無理が有り過ぎるのだ。
 
 もしもアンドレが真剣にオスカルの事を愛しているのなら、オスカルの成長のために我が身を引くべきなのである。事実、ジェローデルは身を引く事で愛の証を示している。アンドレはオスカルとセックスした後に、オスカルの事を全て理解していた筈なのに、実は理解していなかった事に気づく。その直後に射殺されてしまうのだが、幼馴染だからといって、オスカルの事を全て理解していると考える事自体が万死に値する罪なのである。
 
●近衛士官なのに裏切る
 
 オスカルは近衛士官だから、国王と王妃を命に替えても守り通さなければならない立場にある。それなのにオスカルは近衛連隊隊長を辞めて、フランス衛兵隊隊長になり、フランス革命が発生すると、革命側に付くというとんでもない裏切りをやらかしている。オスカルのこの行為が如何に重大な罪であるかは、近衛軍という物がどういう軍隊であるのかを知らなければならない。
 
 フランス王国の軍隊には、
 
「近衛軍」
「陸軍」
「海軍」
「民兵隊」
 
の4種類が存在する。民兵隊は郷土防衛を、陸軍と海軍は国家の防衛を、近衛軍は国王の身辺警護を行う。陸軍と海軍は武装集団なので、クーデターを引き起こして来る可能性が常に有り得る。だから国王は近衛軍を持って陸軍と海軍がクーデターを引き起こせないようにするのである。
 
 国王は近衛軍の将兵が裏切らないように、近衛軍の将兵は良家の出身者たちで固め、採用すれば手厚い身分保障を与えている。オスカルは貴族だからこそ近衛士官になれた訳だし、オスカルがお金に困った事がないのも俸給が高いからなのである。それなのに裏切るのだから、本当にとんでもない事をしてくれたという事に成る。
 
 因みに、史実のバスティーユ襲撃では、守備隊の圧勝に終わっており、群衆の方に98名もの死者が出た。守備隊の死者はたった1名である。しかし守備隊の中に革命側に通じる者がいて、それで開門し、群衆たちが占拠したに過ぎない。フランス衛兵隊が裏切ったという事はない。
 
 古代ローマ帝国が内戦に次ぐ内戦に成ってしまったのは、近衛軍が裏切ったに他ならない。近衛軍が裏切れば、如何に専制君主であっても、弑逆されてしまうものなのである。フランス王国ではバスティーユ襲撃以降、政府が武力鎮圧に踏み切ったのであり、それで革命側が猛反撃を加えて、国王や王妃が処刑されるという最悪の事態になってしまったのだ。
 
●フリーメーソンでないのに自由思想に被れる
 
 物語ではオスカルが自由思想に被れて、それで革命側に走る事に成るのだが、これも実におかしな事であり、これは作者の池田理代子の完全なる錯誤が原因である。彼女はフランス革命を引き起こした自由思想は「サロン」で生まれたと考えていたのだが、確かにサロンで自由思想は活発に交わされたが、自由思想はフリーメーソン団が生み出した物であり、その事を理解できないと、フランス革命を何も理解する事は出来なくなってしまう。
 
 封建社会は縦の繋がりで成り立っているので、横の繋がりを生み出すためにフリーメーソン団が生まれた。フリーメーソン団はイギリスで生まれたのだが、フランスもイギリスと同じく封建社会であったので、それで急速にフリーメーソンたちが増えていった。フリーメーソン団には男性しか加入できないので、オスカルは女性であるために、フリーメーソン団には入会できない。
 
 貴族が庶民に接したからといって自由思想を持つ事はない。フリーメーソン団に入ったからこそ、自由思想を持つ事になる。イギリスはアメリカ独立戦争でフランスに負けたために、フリーメーソン団を通じて革命側に資金を提供し、それでフランス革命を引き起こした。フランスのフリーメーソンたちはまんまとイギリスに利用されただけの事であって、自由思想があればフランス革命が起こるというものではないのだ。
 
 因みに歴史上のフェルゼンはフリーメーソンであり、肖像画には堂々とフリーメーソンの勲章を付けて描かれている。オスカルはフェルゼンを通じて自由思想を知ったというようにした方が、より説得力のある物語になった事であろう。日本ではフランス革命の研究家たちがフランス革命を賛美するだけで、実際に何が起こったかを学術的に解明しないので、それで池田理代子のような錯誤者が出てしまったのである。
 
 フランス革命の際、貴族でありながら革命側に走ってしまった者たちがいた事は事実であるが、オスカルのように正義漢であるなら、最後まで国王や王妃に忠誠を尽くす筈だろう。 オスカルが革命側に走ってしまった事で、オスカルは自己矛盾に陥り、それで呆気なく死んでしまったのである。

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茨城県の水戸光圀と納豆の意外な関係

●御三家の共通の特徴

 茨城県の事を考えるに当たって、絶対に忘れては成らない事があり、それが「水戸藩は御三家の内の1つ」であったという事である。徳川家康は天皇家の宮家に学んで御三家を作ったのだが、役立ったのは紀州藩だけであり、水戸藩も尾州藩も江戸幕府を永続させることに役立たなかった。

 幕末、水戸藩は徳川斉昭が幕政で活躍したり、徳川慶喜が一橋家に養子に出され、その後、最後の征夷大将軍になったりした。しかし天狗党の乱で尊皇攘夷の志士たちを皆殺しにしてしまったために、討幕勢力に成らなかっただけでなく、明治になってから人材が完全に枯渇するという事態を招いてしまった。

 尾州藩は水戸藩よりも酷く、戊辰戦争に於いて官軍が侵攻してくるというにも拘らず何も抵抗せずに降伏してしまった。このような気概のなさでは、まともな人材など絶対に出て来ない事であろう。もしも将来、愛知県の出身者が首相になったら、日本は滅ぶ可能性があると見ていい。

 御三家は親藩の中でも優遇されたから、未だに独自の文化圏を持っている。だから余所者たちが入りにくく、地元出身者だけで固まってしまう。江戸時代に於いて冷遇された事がないから、それで今でもこれらの県民たちはなぜだか威張っているのだ。

 元御三家の三県の内、和歌山県は観光地として成功している。江戸時代に機能した藩は近代になっても機能するものなのであって、和歌山県の独自の文化を売りにすればそれなりに観光客を集める事が出来る事であろう。

 しかし茨城県と愛知県は失敗している。独自の文化圏があるのに、余所者を拒絶してしまうそのやり方が、観光業をやるに当たって大いな足枷になっている。観光客たちだって所詮は余所者たちなのであって、余所者たちを巧く取り込む政治をやっていかないと、県民たちの考えはなかなか変わらないものなのである。

●廃仏毀釈の悪影響

 水戸藩は徳川光圀の時に廃仏毀釈を行い、そのため茨城県は現在でも仏教寺院の数が少ない。近代以降、仏教の空白を埋めたのはキリスト教であり、茨城県の中でも水戸藩があった所はキリスト教が意外と強い地域になっている。

 今回のバス旅行でも、旧水戸藩領に入った途端に、とあるキリスト教の教団の看板が目に入ってきた。その看板は実に場違いな看板であり、俺は「未だにキリスト教はこの地に土着化していないんだな」と思ってしまった。

 僧侶の数というのは、神職者の数の30倍もあるので、廃仏毀釈によって仏教寺院が消えた事によって、旧水戸藩領の人たちは非常に豊かになった。袋田の瀧のある大子町も旧水戸藩領であり、だから茨城県の僻地にあるにも拘らず豊かなのである。

 しかし廃仏毀釈によって仏教を失った事の損害は非常に大きい。神道では「お祭り」があり、それによって観光業を生み出す事ができる。仏教では「一期一会」があり、観光業を行っていくためには、どうしてもこの精神が必要なのである。

 キリスト教では「愛」を唱えるのだろうが、観光客が観光地に行って、観光業者からベタな愛情を示されたら、逆に興醒めしてしまう。観光客という者は、一瞬でその良し悪しを決める傾向にあり、という事は、仏教の一期一会の精神の方が重要になってくるのだ。

●水戸光圀と納豆の問題点

 茨城県といえば、なんといっても水戸光圀なのだが、この人物こそが茨城県にとって最も問題のある人物なのである。茨城県の人材はまさに多士済々なのであるが、水戸光圀というスーパースターがいると、他に人材が出て来なくなってしまうのであり、それで人材がいても委縮してしまう事に成るのだ。

 特に気になるのが、茨城県は政治の分野に於いて優秀な人材が全く出ていない事なのである。県内に原子力発電所がある以上、今後、原発の問題で日本の政治が揺れ動くことを考えると、これは非常に危険な事であり、「第二の福島」になる事だって充分に有り得るのだ。

 水戸光圀は別に大した偉業をやった訳ではない。それまで日本には通史という物がなかったので、日本初の通史である『大日本史』の編纂に着手した事を評価されているに過ぎない。その『大日本史』だって江戸時代で終わらず、明治になってやっと完成したのであって、日本の通史として活躍したのは、頼山陽の『日本外史』の方なのである。

 この水戸光圀の問題は納豆の問題とそっくりだと言っていい。茨城県の特産品といえば納豆ということになるのだが、納豆があるために他の商品が目立たなくなってしまい、特産品として充分にやっていけるのに注目されないという事にしまうのである。

 例えば「あんこう鍋」は茨城県が発祥の地であり、「奥久慈シャモ」は全国特種鶏味の品評会で第1位を取ったほど美味く、「干し芋」や「吉原殿中」は美味だし、「行方ハンバーガー」なんかは東京に出しても充分にやっていける。

 それなのに納豆があるために、これらの特産品が掻き消されてしまうのである、

 もしも納豆を特産品にするなら、様々な納豆を作るべきであろう。臭いが強烈な物とか、栄養価が格段に高い物とか、乾燥した納豆とか、納豆に拘りを持つなら、そうやって特化していくべきなのに、そういう事をしないから、変な事になってしまうのだ。

●観光業は様々な産業があってこそ

 観光業を振興して行くに当たって気を付けるべき事は、

「観光業は様々な産業があってこそ成り立つ物である」

という事が解っていないと、とんでもない間違いを起こすことになるという事であり、それなのに往々にしてこの点を忘れてしまう輩が大量に出て来てしまうのである。

 もしも観光業だけやろうとすれば、それは後進国の連中がやっている事なのであり、貧乏から永遠に抜け出す事が出来なくなってしまう。日本は先進国なのだから、様々な産業を揃えた上で観光業を振興していくというやり方を取らねばならないのである。

 冷静に見てみれば、茨城県は第一次産業が充実し、農業も林業も漁業も他県では見られないほど充実している。製造業に関しえては日立グループが進出しているので、これまた充実している。だから「それなのに」という事になる。

 観光業は自由放任で巧く行くものではなく、地方自治体が整備しないと巧くいかないという最大の矛盾点がある。それで地方自治体が経済に介入してしまう口実を与えてしまうのである。逆に言えば県民たちが地方自治意識を高く持ち、地方自治能力を高めていかないと、絶対に観光業は巧く行かないのだ。

 茨城県を観光地にするなら、地平線まで続く田園風景というのは最大の売りになる。それなのに田圃を埋め立てて家を作るのは実に勿体ない事なのであり、そういう事をしては観光地に成り得ないのだ。都市計画をきちんと持って都市と農村を分け、都市には五階立て位のマンションを群生させれば、わざわざ農村に家を建てなくても済む事であろう。

 霞ヶ浦の水質改善は急ピッチで進めるべきであって、水が綺麗になりさえすれば、この湖に遊覧船を浮かべて楽しむ事が出来るようになる。筑波山には筑波神社があるからまだいいが、霞ケ浦は湖である以上、周辺住民たちの民度が高くないと、絶対に観光地にはならないのだ。 

 観光業がどんなに巧く行っても、観光業に力を入れすぎるのは非常に危険であるという事は肝に銘じておくべきであろう。茨城県の中でも大子町が多少巧く行っているのは、様々な産業があればこそであり、観光業だけでやっている訳ではないのだという事を絶対に忘れてはならないのだ。

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恐怖の茨城県観光バスツアー 後編

●昼食は海鮮丼、買い物は市場で

 袋田の瀧から大洗町に移動し、そこで昼食となった。時間は既に午後1時であり、お腹はもうペコペコである。場所は「海鮮処森田」であり、そこで「海鮮丼」が出された。この海鮮丼、味は合格なのだが、量が多少少ない。

 この海鮮丼には「マグロ」「ウニ」「イクラ」「蒲鉾」「玉子」「生姜」「ワサビ」が乗っている物で、別にこれはこれで海鮮丼として成り立っている。しかし近年、海鮮丼が豪華になってしまったので、普通の海鮮丼が出されても、感動できないのだ。

 このため、誰も「美味しい」とは言わなかった。

 これは結構恐ろしい光景である。

 海鮮処森田は森田水産の直営店で、その後、参加者たちはバスで海鮮処森田那珂湊本店に行き、そこで買い物をすることになった。だから昼食を大量に食べてしまうと、買い物どころではないので、あの食事の量はあれでいいという事になる。   

 那珂湊本店は市場にあるので、値段は確かに安い。しかし観光旅行をしている以上、乾物に成らざるを得ない。ナマモノを買ってしまうと、自宅に帰るまでに傷んでしまうからだ。そこで俺は乾物をあれこれ見ていたのだが、母親は市場で売られているタコが気に行ってしまい、すぐさま購入してしまった。

「ナマモノを買うな!」

「だって2匹で1300円なんだもん」

 まさに値段で釣られて買った類なのだが、確かにこれは安く、スーパーとかで買えば5千円になるくらいの代物である。それだけでなくメジナを買い、タコと合わせると結構な重さになった。この店には200円支払えば、発泡スチロールに入れてくれるサービスがあったので、そのサービスを利用した。

 これが実に重たい! 腐らないように氷が入っているので、タコとメジナ、そこに氷が加わるから、男の俺でも重たかった。両手が塞がっているので、もうこれ以上買う事が出来ず、時間を大量に残しながら終了してしまった。

 他の参加者たちは大半が乾物を買っていたので、

「買い物の仕方が余りにも下手糞だ」

と俺は母親に指摘し、バスの中で反省会をする羽目に。バス旅行に馴れていないので、商品を物色し尽した後に買うというのが全く出来ていなかったのである。

●ブドウ狩り

 那珂湊から石岡市に移動し、今度はそこでブドウ狩りとなった。石岡市に入るとバスは小さな道を進んでいき、一体どこに行くんじゃと思いながら着いた先にブドウ園があり、そこでやったと下車することができた。しかし出迎えたのは腰の曲がった爺さんであり、なぜだか嬉しくない。

 なんでブドウ園を持っている人の腰が曲がっているのか、ブドウ園に入ってからその理由が解った。ブドウの木は低いために、男女問わず、腰を屈めなければならない。ここで長年働いていれば、自然と腰が曲がってしまうことであろう。

 俺がこのブドウ狩りを最も楽しみにしていたが、ブドウなんて1房食べれば充分であり、しかし園内は食べ放題なので、2房半食べてしまった。そこまで食うと、もうお腹はパンパンに膨れ上がってしまい、完全にギブアップしてしまった。

 満腹になったというのに、母親はお土産としてブドウを買った。スーパーなら3千円する物が千円で売られているのだから、今回もまた値段に飛びつきやがった。ブドウ狩りをして更にブドウを買ったのは全て女性たちだったので、女性の性が見てしまったような気がした。

 さて、ブドウを食ってお腹がパンパンになったという事は、時間が経てば膀胱がパンパンとなる。しかしバスが予定よりも遅れてしまったために、次の休憩までかなり時間を取って長駆した。このため俺は座席で冷や汗を流しながら耐え、パーキングエリアに着くや否やダッシュで走り、便所で用を足した。

●バス旅行はバスガイドが花形

 今回のバス旅行でつくづく思ったのは、

「バス旅行はバスガイドこそ花形なのであって、バスガイドの腕がいいと、バス旅行は他の旅行とは比べ物にならないほど楽しくなる」

ということである。バスでの移動時間をバスガイドの喋くりで補えば、移動時間も効果的に使えるのだ。

 しかし、俺たちのバスガイドは余りにも酷いものであった。今回のバス旅行は東都観光バスが請け負ったのだが、バスの運転手の腕前は良くても、バスガイドが新人のために、読み間違えるし、それだけでなく話が詰まると喋らなくなってしまうのである。

 例えば、

「水戸藩の命を受け、菊池家が独占的に鮭漁を行いました」

という文章を、バスガイドは「命」を「メイ」と読まず、「いのち」と読みやがった。話を聞いていて、

「水戸藩の〈いのち〉を受け?」

と疑問に思ってしまい、考えた末に答えが解ると笑いを噛み殺してしまった。

 他の参加者たちも、後方の座席に座っている人たちはバスガイドに聞こえない事をいい事に、

「また読み間違えやがった」

「あ~あ、話が詰まっちゃった」

とボヤきまくり。突っ込める要素は幾らでも存在するので、客としては突っ込みを楽しみたい。

 バスガイドは喋りが下手なために、途中、テレビをつける事で逃げやがった、バス旅行にテレビは要らない。旅行中にテレビをつけてしまうと、バスガイドは喋る機会を失ってしまうので、それでバスガイドの喋りが更に下手糞になってしまうからだ。

 下手な喋りではあったのだが、それでもテレビよりもマシであった。生身の人間が目の前にいる人たちに向かって話すのだから、その話は下手でもいいから聞けるものなのである。俺としては、バスガイドは新人さんで一生懸命やっているから、本来なら不合格なんだけど、お情けで合格としてあげた。

 母親は女性であるがゆえに女性には手厳しく、

「仕事なんだから暗記してこいよ!」

と不合格にしてしまった。いつ就職したのか解らないのだが、仮に今年の春に卒業して就職したとなれば、まだ半年なので、下手糞であるのは仕方ないけど、下手糞が許されるのはせいぜい3年までであって、それ以降も下手糞なら、バスガイドとしての能力はないと判断せざるを得ない。

●ライフランドの対応

 この下手糞なバスガイドに比べて、ライフランドで俺たちの担当になった女性社員は実に優秀だった。仕事をテキパキとこなし、参加者たちから何か言われれば、すぐに対応した。美人ではないのだが、服をきちんと着こなし、如何にもヤリ手の女だった。

 そのためバス旅行の最後にこの女性社員がスピーチした際には、なんと参加者たちから盛大な拍手が贈られたのである。

 女性社員は「本部から派遣されてきた会員サービス室の何々です」といっていっていたので、帰宅後、ライフランドのホームページで調べた所、会員サービス室はライフランドグループ本社にあり、総務部、財務経理部、人事部、施設部、情報システム室と並んで存在する機関で、道理で出来がいい訳である。

 俺たちは2号車だったのだが、1号車の担当者の方が恐らく上司であろう。その女性社員はおっとりしているが、人徳のある女性。これは美人なのだが、なぜだか腹が出ていた。そのため、

「あの女、腹が出ている」

と母親に密告した所、母親は確認した後、

「本当だ」

と報告してきやがった。悪質極まりない親子なのだが、女性社員たちの方はコンビとして上出来であろう。人徳のある上司と優秀な部下を組み合わせれば、仕事は巧く行く筈である。

 今回のバス旅行は午前7時に出発し、午後7時過ぎに到着であり、参加者たちは本当に疲労しまくった。しかし女性社員たちは12時間労働であり、実際には準備と後片付けがあるから14時間労働である。バス旅行を企画し実行に移すというのは本当に大変な事なんだと思ってしまった。

 ライフランドの対応は満点を与えてもいいほどの合格点なのだが、強いて注文を付けるとするのなら、

「なんで謝恩ツアーを行うのか、その説明をしておくべきだった」

という事であろう。

 バス旅行の参加者たちはただ単にバス旅行をしに来たのではない。自分たちが葬式の際に、ライフランドに手伝って貰い、その事に感謝しているからこそ、参加したのである。もしも身内が亡くなれば、またライフランドを使用するのであって、冷静に考えると、結構壮絶な旅行だと言っていい。

 ライフランドの社長の精神レベルが低ければ、

「利益還元のため」

という事だろうし、精神レベルが高ければ、

「自分たちの会社とお客様との間で感謝を循環させ、より多くの感謝を生み出す」

と考える事であろう。

 もしも社長が極悪非道で、

「このバス旅行の参加者たちは全員いずれ死ぬから、我が社にとっては実にいいカモだ」

と考えていたら、まさに恐怖の茨城県観光バスツアーということになる。

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恐怖の茨城県観光バスツアー 前編

●利根川を越えると、そこには何もない

 千葉県と茨城県は利根川を境にして接しているのだが、茨城県民が千葉県に来たとしても、千葉県民は決して茨城県に行くことはない。千葉県民が茨城県に行かない理由、それは、

「茨城県には何もないから」。

 茨城県には何もない以上、行く必要性はない。だから行かない。こういう理路整然とした物があるので。それで利根川が自然の境界線として役立ち、千葉県民が茨城県の領域に入らないようにしているのである。

 しかし今回、我が家の葬式を手伝って貰った葬儀会社「ライフランド」が「会員謝恩日帰りバス旅行」を企画し、うちの母親がこれに応募すると、見事当選してしまった。なんでも四千通もの応募があり、40名が当選という、100分の1の確率であったらしい。

 当選すると、1名だけ同伴者を連れて行く事が出来、3千円を支払うと行く事が出来る。そこで俺が母親と一緒に行く羽目になってしまい、この旅行に参加にすることになってしまった。そしてその行き先はなんと、

 「茨城県」!

 ライフランドは千葉市に本社を置きながら、千葉県と茨城県の関係をよくご存じなく、千葉県内で旅行すればいい物を、敢えて千葉県民たちにとって未知の領域である茨城県を選んでしまったのである。

●茨城県の三大お勧めポイントが~

 実を言いますと、俺が母親と二人っきりで旅行するのは、なんと人生初なのであって、それなりに今回の旅行は楽しくしようと考えていたのだが、当日、観光バスに乗ってバスガイドの茨城県の説明を聞いていると、唖然としてしまった。

 茨城県といえば、真っ先に思い浮かぶのが「納豆」! バスガイドは納豆の中でも「天狗納豆」なる物が最高級品と説明していた、事実、茨城県のパーキングエリアではその納豆が売っていた。しかしその値段は、

 なんと800円以上!

「誰が食うか!」

 普通なら200円出せば買えるような量で800円以上である。普通の納豆と違うのは、藁に包んであるだけ。それで4倍以上の値段を付けるのは、商売的に無理があると思う。

 次に自慢する物が「筑波山」で、筑波山は『万葉集』にも歌われ、古代ではここで大規模な歌垣が行われ、単体峰であるので、「西の富士山、東の筑波山」と言われたという。だが筑波山の標高はなんと、

 877m

「ちっちぇ~」

 そんな低い山なのに、富士山に対抗するなって! 富士山は日本一の山なのだから、そうしておけばいい物を、それなのに富士山と比較するからこそ、変なことになってしまうのである。

 第三番目に自慢するのが「霞ヶ浦」で、霞ケ浦は日本三大湖の1つで、昔は京の都から霞ケ浦の水でお茶を点てるためだめにやってきた茶人もいたという。それほど霞ケ浦の水は綺麗だったのである。ところが、

「現在では、生活排水のために霞ヶ浦が汚染され、青藻が大量発生して飲料水としては適さなくなってしまった」

 それだけでなく、

「霞ヶ浦では鯉を養殖していたのだが、鯉ヘルペスが流行し、それで鯉が全滅してしまい、鯉養殖業者たちは事実上全員が廃業することになった」

 こうなってくると最早、観光気分ではなく、なぜ茨城県民は生活排水を綺麗にすべく、合成洗剤を使用しないようにするとか、条例で制定しないのかという事を考えてしまった。

 因みに霞ケ浦は本来「香澄ヶ浦」と呼ばれていたのであって、圧倒的に霞ケ浦よりも香澄ヶ浦の方がいい。香澄ヶ浦を霞ヶ浦と変えたしまった所に、現在の霞ケ浦の汚染があるのだ。

●袋田の瀧

 今回のバス旅行のメインは、茨城県大子町にある「袋田の瀧」である。この瀧は日本三大名瀑の1つであり、高さ120m、幅73mで、4段に落下する瀧なので、実に見応えがある。どんなに高い瀧でも、段がないと単調な瀧になってしまうのだが、4弾もあるといろんな所から見れて、様々な顔を見せることになる。

 茨城県と栃木県に洪水を齎した長雨で水量が物凄い事になっており、実にラッキーな事に成ってしまった。この瀧を雨天の時に見たり、乾燥して水量が減った時に見たりしたら、そんなに感動できなかったかもしれない。

 実物は実に感動物で、現地に行って、実際に見る価値があると思う。周辺にはハイキングコースがあるので、1日中遊ぶ事ができる。しかしバス旅行ゆえに、滞在時間は1時間しかなく、この点が非常に惜しかった。

 冬になると、袋田の瀧は氷結するそうだが、氷結すれば全く違った姿になるので、袋田の瀧を気に行ったのなら、もう一度、冬に行く必要性がある。何度見ても味わえる瀧というのは、そんなに多くないものなのだ。

 袋田の瀧周辺には「ミヤマスカシユリ」なる、ここにしか存在しない百合が存在しており、偶然にもその百合を見つけてしまった。他の人たちはただ滝を見て帰ってしまうので、この百合の事を知っているか否かで、その感動も随分と変わって来るものなのである。

●豊年万作のアップルパイが~

 袋田の瀧に行く前に、バスガイドが、

「豊年万作のアップルパイが実に美味しいと、先輩のバスガイドから教えて貰いました」

と言っていたので、滝を見終わった後に、わざわざその店に行った。掘立小屋のような所で売っていると聞いていたのだが、そこに行ってみると、

「館内で販売しております」

との表示があり、それで館内に行ってみると、

「今日は売っていない」

との事だった。バス旅行の参加者たちがこの事でバスガイドに苦情を言うと、バスガイドは慌てて豊年万作の所に事実を確かめにいった。すると、豊年万作はそもそも昨日の段階から作っていなかったらしい。だからマジで、

「そんな~」

という気分になってしまった。バス旅行が来る事は事前に知っているのだから、作っておけよ。売れよ。アップルパイを売り物にしておきながら、それを売らないとは、有り得ない商法である。

 この豊年万作は滝味の宿として旅館の方が本業なのだが、この旅館の外観がどうも美的センスがないのだ。夜間にライトアップされると美しく見えるみたいなのだが、旅館に行けば夜中は室内にいる以上、こういう考えはそもそもおかしい。

 豊年万作の事を弁護しておくと、館内はそれなりに豪華な作りになっている。だったら高級旅館としてやるべきであって、掘立小屋を作ってアップパイなど売るべきではないのだ。豊年万作がアップルパイを売らないのは、意図的な物だろう。いずれは売らなくなると思う。

 俺たちは出発時間が早かったので朝食抜きだったために、俺は母親にこのアップルパイを食べさせてあげようとしたら、この有様である。母親は腹いせに、

「ここのアップルパイ、実は不味いんじゃないの」

と言い出す始末。それに対して俺は、

「食ってねぇ~だろ~が!」

と反論する始末。

 それで仕方なく空腹のまま袋田の瀧を後にすることになってしまった。

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『残酷な天使のテーゼ』の謎

●『残酷な天使のテーゼ』は国語的にはおかしい

 アニメ『エヴァンゲリオン』の主題歌の『残酷な天使のテーゼ』は名曲であることは間違いなのだが、この歌は国語的にはおかしい。歌詞を幾ら読んでも意味が通じないのだ。

 特に問題なのは冒頭の、

「♪残酷な天使のように少年よ神話になれ!」

なのであるが、「天使」は「神」ではないのであって、残酷な天使のように少年が神話になることは不可能なのである。

 この歌詞は作詞家の及川眠子がやった物なのだが、神話という言葉を理解せずに使っている人ではないらしいというのははっきりと解る。神話という言葉を理解していない人は「土地神話」とか「安全神話」のように神話という言葉を間違った意味で使用してくる。及川眠子にはその臭いが全くないのだ。

 もう1つ付け加えておくと、エヴァンゲリオン自体、天使ではない。番組のオープニングで流れたために、しかも背景の画像にエヴァが出まくったので、「エヴァ=天使」と思い込む輩が大量に出てしまったのだが、この歌詞の図式は飽くまでも「天使=少年」なのであって、その少年が神話になれとおかしなことを言っているのである。

 国語的におかしいことがより明確になるのはサビの部分であって、

「♪残酷な天使のテーゼ

 窓辺からやがて飛び立つ

 ほとばしる熱いパトスで

 思い出を裏切るなら

 この宇宙(そら)を抱いて輝く 

 少年よ、神話になれ」

と来るのだが、ここではっきりと天使はエヴァを指しているのではないということが解る。巨大な兵器であるエヴァが窓辺から飛び立つことはできないからだ。このサビで「神話は輝く物」であると言っているのであって、神とか天使とか意味する物ではないということになる。

 「神話」の部分には本来は別の言葉が入っていたのであって、それが何かしらの事情で変更されたと考えるしかない。というのは他の歌詞は全て意味が通じるのであって、「神話」という言葉が出て来る文章だけが意味が通じないからだ。

●神話ではなく凶器だった

 この謎を調べた所、本来、「神話」の部分は「凶器」なのであって、及川眠子はそう書いて提出したのに、エヴァンゲリオンが始まる前に神戸市で「酒鬼薔薇事件」があったために、「凶器って言葉は拙いでしょう」ってことになり、それで凶器を神話に変えてしまったのである。

 神話ではなく凶器なら意味は通る。

 少年は凶器になって過去を断ち切らなければならないのであって、過去を断ち切るからこそ少年は旅立って行くことができる。男の子は母親の愛情をたっぷりと受けて育ちつつも、いずれは母親の許を去っていくのであって、そのことを歌った歌だからこそ、男性たちはこの歌に感動してしまったのである。

 それにしてもテレビ東京はとんでもないことをしてくれたが、凶器を神話と変えたことで、この歌詞に謎が出来たので、それで人々を魅了することができたのであろう。意味が解った上でこの歌を歌うと、母親から自立できてしまった男性たちには酷く恥ずかしい物になってしまうものなのである。

 「♪凶器になれ」では殺伐とした物になってしまうが、「♪神話になれ」と来るなら、これを聞いた人たちは神話を作って行こうという気になる。事実、(エヴァンゲリオン』は日本で大ヒットし、世界中でも大ヒットした。まさに現代の神話であり、歌詞どおりのことが実現されたということになる。

 歌詞という物は全体で意味をなしている物だが、その中で重要な単語という物があって、その単語がどう響くかでその歌の運命はがらりと変わってしまったりする。凶器は「狂気」とも聞こえてしまうから、その点では誤解を招くことすれ、運命を好転させることにはならない。神話だからこそ運命を好転させることができたのである。

●エヴァの中の唯識論

 古代の宗教では必ず神話が存在したのだが、現代では神話を有する宗教は神道しかなくなってしまっている。その理由は簡単で、古代エジプトに於いて人工宗教であるユダヤ教が登場し、そのユダヤ教からキリスト教が生まれ、そのキリスト教からイスラム教が生まれて全世界に広がっていったので、それで神話を持つ宗教が撃破されていったのである。

 その宗教に神話がないということは、その宗教は人工的に作られた証拠なのだが、人工宗教の側にしてみれば、神話を持つ宗教は自分たちの存在を根底から覆しかねない宗教なので、それで徹底的に攻撃を加えて行くことになる。信者たちが「自分たちの宗教は人工的に作り出した物だ」と解れば、とてもではないが信者たちを維持することはできないからだ。

 『エヴァンゲリオン』はユダヤ教やキリスト教から様々な物を持ってきて使ったというのに、主題歌のお蔭で結論がおかしな方向に行ってしまった。『エヴァンゲリオン』の最終話とその前の話は過労のために製作スタッフたちがガタガタになってしまったから、偶然にもああなってしまったのだが、あそこで展開された話は、実は「仏教の唯識論」のお話なのである。

 唯識論を簡単に言ってしまえば、この世は人間が認識する識によって成り立つが、その識を取り除いてしまえば、この世界だって自分自身だって存在しないのであり、無分別知に辿り着くことこそが悟りに他ならないとする考えである。主人公の碇シンジはこの境地に辿り着いてしまったから、母親から自立していくことができ、それでみんなから祝福されるという結末になったのである。

 及川眠子は『エヴァンゲリオン』の第一話と第二話を見て主題歌の歌詞を作ったのだが、彼女はすぐに「これは母親からの自立の話だ」と直感した。普通に考えればそう思うことだろう。しかしユダヤ教やキリスト教からネタを引っ張ってきている以上、それでは拙いということになる。ユダヤ教やキリスト教は男性社会の産物なのであって、「父親からの自立」はあっても「母親からの自立」は存在しないからだ。

 だから仏教の唯識論を引っ張って来て、論理の破綻を防いだのである。

●歴史創造

 『ガンダム』では主人公のアムロが父親からの自立を果たすということで話が終わるのだが、『エヴァンゲリオン』では主人公の碇シンジが母親からの自立を果たすことで話が終わっている。双方の話の内容は全く違っても、それを見ている少年たちからすれば、自立を果たして行くということが扱われているからこそ、熱狂してしまうのである。

 人間は自立できないと「唯物論」に走るようになる。如何に悲惨な状況下にあったとしても自分が行動を起こせば物事は変わっていくというのに、「社会が悪いんだ~」と嘆いて行動を起こさないのである。社会には様々な問題があるが、幾らそれを指摘した所で何にも変わらない。変わらなければならないのは社会ではなく自分自身だから、それに気付くまで不幸は延々と続くことになる。

 人間は自立してしまえば、「唯心論」をしっかりと持つことができるようになる。自分で考えたことを実現させていくからこそ、この世は動かされて行くのである。

「人間が歴史を作るのであって、歴史が人間を作るのではない」

どんなに優れた国に生まれたとしても、それは多少有利な条件にしかすぎず、それよりも歴史を作ろうという意欲のある国民の方が発展していくのは当然のことだ。

 歴史は様々な人たちが様々なことをするからこそ創造されていく。歴史創造には理性が必要だが、必ずしも論理的に動くとは限らない。自分がきちんと目標を設定し、自分の全力を投入すると同時に、周囲の人たちの力を利用しまくり、それによって自分の目標を達成していけばいいのである。

 そういう姿は自立できていない少年の目から見れば、まさに「神話」に他ならない。今の自分ではできないけど、自立してしまえば子供の頃には想像すらできない力を発揮することができるようになる。だから神話は必要なのであって、「神話なんて存在しない」と言っているようでは、結局、自立することができなくなってしまうものなのである。

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平成27年度、タマティーのお年玉プレゼント

●未年のラッキーアイテム

 未年だからといって、「羊」を出して来るのは如何な物かと思う、というのは、日本には近代化以前まで羊がいなかったのであり、羊がいないの干支で未年には羊ということで、それで羊を持ち出してきたにすぎないのだ。日本のような火山灰質の土壌では、山羊の方が適しているので、羊というのは飼うべきではない動物なのだ。

 なんで未年に羊が割り当てられたかというと、「未」には「今はまだ小さな出来事かもしれないが、後々に大きな出来事になる」ということを示しているので、それで羊は生まれた時には小さくても最終的には大きくなるがゆえに、羊が割り当てられたのである。

 干支の動物たちは、それが見事に合っている物もいるが、未年のように誤解を招きかねない物もある。未年の意味から言うなら、「若い木」こそ最も相応しい物なのであって、羊を持ち出して来るより、若い木を持ち出してきた方が余程良いのだ。

 未年になると、どこの神社仏閣も羊を持ち出して来るために、まさか未年のラッキーアイテムが「若い木」だなんて誰も知らない。だからみんなが知らないのに自分だけが知っていれば、若い木を購入して、自分だけがラッキーになっていくことができるのである。

 未年はそれほど激しい変化がないために、時間が確実に進んで行ってしまい、あっという間に1年が終わってしまうことになる。このためボサ~ッとしている人たちが大量に出現してしまい、未年に於いてすべきことをきちんとやらずに終えてしまうことになる。未年だからこそ油断禁物なのである。

●ラッキーアイテムの数々

①お榊

 未年では「お榊」に注目しておいた方がいい。神棚にお榊があると、確実にパワーを貰うことができる。お榊は毎月「1日」と「15日」に替えなければならないので、出来る限りきちんと守った方がいい。お榊が枯れているのにそれを放置しておくというのは絶対に良くない。

観葉植物

 室内に観葉植物を置くのも、未年には良い効果が出て来る。観葉植物を室内に置いておくと、それでパワーを貰うことができるし、自分から出た邪気を吸ってくれて、それを浄化してくれる。仕事でエネルギーを使っているのなら、職場に観葉植物を置いておいた方がいい。

③盆栽

 盆栽は未年には最も強力なラッキーアイテムなのだが、盆栽を趣味にする人たちは年がら年中、盆栽を弄っているので、なかなかこの効果を堪能してくれない。盆栽を趣味としなくても、気に入った盆栽があれば、盆栽を購入して、自宅に置いておくと、自分すら想像できなかった良い事が起こる可能性が出て来る。

④植林

 植林こそ未年には最も相応しい行為である。木の苗を植えれば、数十年後に大木になるのであって、そうすればなんの労力もなしに木材を調達することができてしまうのだ。尤も庭に木を植える時は、その木がどのくらい成長するのか考慮して植えるようにした方がいい。

⑤杖

 杖は若い木ではないのだが、杖もまた未年ではラッキーアイテムである。両手に杖を持ち、それを地面に突きながら散歩すると。足腰だけでなく、肩や腕も鍛えられるので、それでより健康な体を作っていくことができる。祖父母がいるなら、杖をプレゼントすると、長生きしてくれるようになる。

●自然に触れる機会を持つ

 未年には自然に触れる機会を持つようにした方がいい。というのは、未年は大地のエネルギーが放出してくるので、アスファルトで固められた都会で生活していてはパワー不足になってしまうからだ。自然の中に行くからこそ、その大地のエネルギーを調達できるのである。

 近年、パワースポットがブームになっているのだが、パワースポットがブームになること自体、それだけ人々のパワーが低下しているからなのであって、パワー不足は事の他深刻であり、自然に触れることでパワーを回復しておかなければならないのだ。

 但し、無闇に自然の中に行けばいいというものではない。未年は自然災害が起こり易い年であって、くれぐれも無理な旅行はしないことだ。平時であっても水難事故や遭難事故があるのであって、そこに台風や噴火という物が加われば、余計に危険度は増すことになるのだ。

 旅行に行ったら、現地で食事を取るようにした方がいい。大地のエネルギーは食事で取るのが一番効果的なのであって、現地で食事をしないで帰って来るというのは、かなり損をしていることになる。ついでに現地でお土産を買って来ると、大地のエネルギーを自宅に持ち帰ることができるので、更に良い結果になる。

 子供たちにはパワー不足が如実に出て来るので、家族で自然の中に行くということはとても大事なことになってくる。子供たちを自然の中に連れて行けば、すぐにパワーを回復するので、それで大地のエネルギーが一体どういう物なのかを理解することができるのだ。

●すぐに成果を出そうとしない

 未年ではすぐに成果を出そうとしてはならない。成果は後になって出て来るのであって、成果をすぐに出すようなことをしてはならない。今から始めるけど、気を長くして待つのが大事なのであって、そうやって気長にやっていると、確実に成果が出て来るのだ。

 1週間7日制で生きていると、どうしても早くに結果を出そうと焦ってしまう。現在では週休2日になっているので、5日間働いた所で成果が出て来る訳がないのだ。人間の脳は21日周期で動いているので、成果を出そうと思えば最低でもその半分、10日間は必要になってくるのである。

 だから神棚にお榊を供えて、毎月1日と15日に替えるというのは、生活のリズムを取るのに実に良く、基本的には1ヵ月30日制で動いているのだが、それを半分に分けて、15日をひと纏めにして働けるので、それで何かしらの成果を産み出して行くことができるようになるのだ。

 未年なのに焦って成果を出そうとする人たちは自滅していくことになるので、そうなるとゆっくりと歩いている自分としては、自分の競争相手が勝手に消えて行くので実に有難いことになり、別に競争しなくても勝利して行くことができるようになってしまうのである。

 そういった意味では羊のような動きをした方がいい。未年と羊は大して関係ないのだが、全く関係ないものではない。殆ど人たちはこのことが解っていないので、タマティーのお年玉プレゼントを貰った人たちは超ラッキーということになり、勝利はほぼ確定したことになる。

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平成27年度のタマティーの大予言

明けましておめでとうございます!heart04happy01heart04

本年も宜しくお願い致します!

去年は念願の小説出版が不可能だったけど、今年こそは小説の出版を実現してみせます。

それでは今年も「タマティーの大予言」からスタート!

●「乙未」の意義

 平成27年度は「乙未」の年である。

 「乙」は「ジグザグ」を形取った象形文字で、「物事がスムーズに進まない」ということを意味する。自分がやらなければならないことは沢山あるのだが、外界の抵抗が激しいために、なかなか前進していくことがない。しかし困難があるからといってやめるのではなく、少しずつ前進していかなければならないのだ。

 「未」は「木に枝が伸びた形」を形取った象形文字で、「まだ若い」ということを意味したが、転じて「否定」を意味することになった。新人たちが大量に出て来るのだが、なんせまだ若いために実力を思う存分に発揮できない。焦ってしまうと呆気なく失脚してしまうことになる。

 だから「乙未」は「既存の勢力は物事を推し進めてもなかなか進まないが、新人たちが続々と登場してきて、実力不足ではあったとしても、確実に変化が起こる」ということを意味する。簡単に言ってしまえば、「漸進」しながら「世代交代」が起こるということである。

 乙未の年は未来に於いて重要となることが起こる年である。この年に起こったことは、その当時としては重大な出来事とは思われないのだが、後々になって考えてみると、実は重大な出来事であったと判断されることになる。変化は必然だと言っていい。

 但し乙未の年で気を付けるべきは、最初は些細な問題として発生したのに、解決策を間違ってしまったために、後で大惨事になってしまうことが有り得るということだ。最も起こる可能性があるのは自然災害で、政府や地方自治体が対応を誤ると、大量の死傷者を出すことになってしまうから注意が必要である。

●乙未の年に起こった出来事

①昭和30年

 今から60年前の昭和30年には、自由民主党が結成されている。当時は日本社会党の結成に危機感を抱いた保守勢力が合併しだけのことなのだが、この自由民主党が60年に亘って長期政権を築いてきたのであって、自民党専制体制はこの年から始まったのである。

 昭和30年には「原子力基本法」が制定され、原発開発が始まった年である。日本のような地震国では原発など要らない物なのだが、アメリカ合衆国から原発を持つよう押しつけれられてしまったために持つことになってしまった。それが後に東日本大震災では福島第一原発事故になってしまった。

 石原慎太郎が『太陽の季節』を文芸誌『文學界』で発表したのはこの年で、それが翌年の1月に芥川賞受賞作品となり、大ブームを巻き起こした。芥川賞はこの事件を機に大ブレイクしたのであって、これ以降、マスコミに注目される文学賞になった。

②明治28年

 今から120年前の明治28年には下関条約が締結されて、日清戦争は日本の勝利で終結した。清国はこれを機に欧米列強の餌食になり、全土が植民地化されてしまい、最終的には辛亥革命で滅亡することになる。日本は日本で三国干渉に遭い、それでロシアとの戦争が不可避になってしまった。

 レントゲンがX線を発見したのはこの年で、X線の発見によってその後、原子爆弾が作られ、第二次世界戦争では縒りによってそれが日本に投下されることになる。X線は医学を劇的に変え、今まで解剖しない限り解らなかった物が、解剖しなくてもレントゲンを使えばできるようになったのである。

③天保6年

 今から180年前の天保6年には「天保通宝」を新鋳されている。天保通宝は百文銭で、これによって江戸幕府は通貨供給量を増やしたということになる。それで経済は活気づいて、文化も発展することになる。この成果が後にペリー艦隊来航後に出て、幕末の動乱の中で優秀な人材が続々と出て来ることになる。

④安永4年

 今から240年前の安永4年にはアメリカ独立戦争が勃発している。アメリカ独立戦争は、当初、植民地での課税問題に端を発した事件で、別に独立を目指して戦ったのではなかった。しかし独立軍がイギリス軍を打ち破ってしまったので、それでアメリカ合衆国として独立するということになってしまった。

 アメリカ合衆国が独立した時、まさかこの国家が第二次世界大戦後に覇権国家になるなどとは誰も予想できなかった筈だ。アメリカ合衆国はヨーロッパ諸国から見れば辺境の地にあったが、過去のシガラミに縛られることなく発展していくことができたので、それで瞬く間に覇権国家へと成長して行ってしまったのである。

●政治の動き 

 政界では新しい政党が出て来る可能性がある。民主党は東日本大震災の対応で大失敗をしてしまったので、もう2度と政権獲得のチャンスはない。そうなると自民党に代わりうる政党がないのであって、それで強力な野党の出現を求める声が出て来るのだ。

 しかし小沢一郎や橋下徹とかではダメなのであって、彼等は政界再編を唱えては破壊を繰り返すということをやり、全く政治的成果を出していない。破壊すべきは巨大化してしまった政府なのであって、政党が潰し合いをやっていては、行政改革を推進できる訳がないのである。

 覇権国家のアメリカ合衆国にとっては「破滅の原因」となる出来事が起こってくる可能性がある。アメリカ合衆国は早くに覇権国家になってしまったが、その分、早くに衰退していくことになる。その事件が一体何かは解らないが、その事件が発生した当初は些細な事件であったとしても、その事件が最終的にはアメリカ合衆国を滅亡へと追いやることになる。

 日中関係は今年も相変わらず最悪であって、中国が強硬な態度に出れば出るほど、中国が崩壊に向かう引金となる事件が起こる可能性が出て来る。中国が国家の独立を守るためには、絶対に日本を敵に回してはならないのだが、それを平気で破っているので、それで中国はいずれ革命によって滅ぶことになる。

 ロシアとヨーロッパ連合の関係は今年も悪化する。ロシアは軍備増強を繰り返しているので、戦争はいつでも行うことができるようになっている。ヨーロッパ連合はルーブル安を仕掛けることでロシアの行動を阻止しようとしているのだが、そういうことが逆にロシア人を怒らせ、戦争を引き起こしてしまうのである。

●経済の動き

 今年、景気は上向くことになる。安倍晋三首相の経済政策が徐々に効果を発揮し始める。乙未の年なので、明確な形で景気が良くなる訳ではなく、非常に曖昧な形で経済がゆっくりと良くなっていくという姿を取る。経済変化が出ていないからといって弄り回してしまうと、逆効果になってしまう。

 消費税増税は絶対に見送るべきである。景気が回復しつつあるというのに、ここで増税をしてしまえば、景気は急速に冷え込んでしまうことになる。政府が増税したいのなら、まずは政府の規模を縮小してからすべきであって、それをしないのに消費税増税を行うというのは絶対にダメなのである。

 新しいビジネスが出て来る可能性は非常に強い。ベンチャー企業には大いに期待していい。デフレ経済では既存の産業はどの分野も3社程度に集約していくので、人材は大量に余っているのである。その人材は新しい産業に回すべきなのであって、ベンチャー企業が大量に出て来ないと、デフレ経済という物はどうにもならないのだ。

 新しいビジネスほど、マスコミに取り上げられることはない。だから一般紙やテレビを見て経済情報を収集するというのは絶対にやってはならない。そんなことをやっても新しい情報は入って来ず、ビジネスマンとしてどうでもいい情報しか掴めなくなってしまうのである。

 日中関係は悪化しているし、中国には革命の不安定要素があるので、日本としては中国に頼った経済運営をやめ、他の国々に分散投資することで、中国の不測の事態に備えなければならない。中国に進出してしまった企業は、今はいいかもしれないが、その内、後で高い代償を支払う羽目になる。

●文化の動き

 文化面では今年、新しい人材が続々と出て来ることになる。行き成り大ヒットを飛ばす者もいれば、デビュー当時は大した評価を得られなくても、デビューした時期が良かったために、その後、順調に伸びて行き、後で大ブームを巻き起こしたりする。

 ベテラン勢は確かに第一線にいて活躍しているのだが、どのベテランたちも大した功績を打ち立てていないというのが実情なのだ。だから人々はベテランたちを見限り、新人に注目してくるのである。新人の登場によって、今までトップを走っていた者が急速に減速してしまうという事態も起こる。

 学術的には科学的発見が起こり易い年でもある。去年のSTAP細胞騒動のお蔭で、科学的発見に対して国民は期待を寄せているので、ここで一発ぶちかますと、見事、科学的発見に成功ということになる。科学的発見はかなり偶然性の強い物ゆえに、科学的発見がし易い年だからこそ集中してやった方がいい。

 大学の選別は急速に行われるようになる。どんなに名門大学であっても、大した教育を行っていないのなら、倒産していくのは当然のことなのである。しかし政府が憲法違反の私学助成を行っているために、なかなか大学の選別が進まない。補助金を貰わなければ、どの私立大学も必死になるのだが、補助金を貰ってしまうと、大学の倒産が先送りになってしまい、余計に問題を悪化させてしまうのである。

 乙未の年では、大学や学校に於いて凶悪な殺人事件が起こる年でもある。生徒や学生たちは新しい教育を望んでいるのに、教師や大学教授たちはそれをしないので、それで不満が蓄積されてしまい、殺人事件として爆発してくることになる。

●個人レベル

 個人レベルでは、現時点では困難に思える物であっても、今年の内に着手してしまえば、いずれはそれを実現していくことができるということなので、自分にしたい物があるなら、勇気を出して今年の内に着手してしまった方が良い。

 例えば赤ちゃんが欲しいのなら、とっとと妊娠してしまうことだ。お金がなくても、赤ちゃんが生まれる頃にはどこからともなくお金が湧いてきて、きちんと赤ちゃんを育てて行くことができる。大体、未年生まれの子は大人して頭の良い人が多いので、育児は非常に遣り易い物となる。

 既に子供がいるなら新しい習い事をさせるといい。乙未の年にお稽古事を始めると、それが上達して、大人になる頃にはその習ったことで充分に食っていけるようになる。お稽古事にはお金がかかる以上、出来る限り途中で投げ出しては欲しくないのだ。

 マイホームもこの年は得易い。今年中に建ててもいいし、今年は計画段階だけにして、3年以内に建設するというのも良い。夫婦にとってみれば、マイホームを建てることこそ、最大の大事業となるので、これが成功できるというのなら、やってしまった方がいいのだ。

 乙未の年は、目立った変化が起こらないが、それでも世の中は確実に変化しているのであって、ボサ~ッとして時間を無駄にしないようにしなければならない。自分がすべき物があるなら、今年に内にやってしまう。そういうことをやるからこそ、乙未の年で自分が望むような成果を得ることができるのである。

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生シュークリーム事件

●ジャンボシュークリームが大好きなのですが・・・

 俺がプレゼントされて嬉しい物に銀座コージコーナーのジャンボシュークリームという物がある。これは大きなシュークリームなので、これ1つを食べれば満足できてしまい、費用と効果を考えると非常に素晴らしい商品であるのだ。このジャンボシュークリームだけは何度貰っても嬉しい。

 しかしこのジャンボシュークリーム、徐々に小さくなっていきやがった。俺の体が大きくなったからそう感じるのではなく、本当にジャンボシュークリーム自体が小さくなっていったのである。こうなってくるとジャンボとは言い難く、普通のシュークリームより少し大きい程度でしかないのだ。 

 しかも味まで落ちたみたいで、昔は本当に美味しかったのだが、徐々に味が落ちて来て、少し甘いカスタードクリームが入っている程度しかなくなってしまった。俺の味覚が老化したのではなく、どうも材料をケチっているみたいで、それで味がガクンと落ちてしまったのである。

 トドメは皮が薄くなったことであり、俺がジャンボシュームリームを食っていると、反対側の皮がビリッと破れてしまい、それで中身が零れてしまうようになってしまった。こうなると慌てて反対側を食べる羽目になり、そうなると今度は前に自分が食べた方のカスタードクリームが零れてしまい、悲惨なことになってしまうのである。

 もうジャンボシュークリームはやめにしたい所なのだが、所詮、貰い物ゆえ、貰えるのであれば有難い。しかし食えば悲惨なことが起こる。「食うべきか、食わざるべきか、それが問題だ」と独りで考え込んでいると、家族の者に食われてしまうので、それなら自分がパクリと食べてしまった方がいいのだ。

●それは近所のパン屋から始まった

 銀座コージコーナーのジャンボシュークリームの件では悶々としていたのだが、或る日、我が家にとって大事件が発生した。それは近所のパン屋さんから始まったのだが、徒歩で20分程度の距離にあるパン屋がとんでもないことを仕出かしてくれたのである。

 そこのパン屋ではいつもパンを買っていたのだが、店の一番奥にガラスのケースがあり、そのケースの4分の3は何も置いておらず、その隅っこにケーキのような物が置いてあった。それは何かと良く見てみると、「生シュークリーム」だった。

 「生シュークリーム?」

 シュークリームに生があるとは知らなかったので、これは何かと店員に尋ねると、

「生クリームのシュークリームです」

と答えて来た。

「それなら普通のシュークリームは何?」

「あれはカスタードクリームを使っている物です」

 今まで生きて来て生シュークリームなる物を知らなかったのだが、そういう物があるなら試しに買ってみることにした。全然期待していなかったのだが、なんせ銀座コージコーナーの一件があったので、生シュークリームでもいいやという非常に安易な気持ちで買った。

 ところがこれを家に帰ってから食べてみると、なんと美味しいこと、美味しいこと。今まで食べていたシュークリームの価値が全て吹き飛んでしまうほどの美味しさだった。この生シュークリームの良さは、生クリームの美味しさプラスに、生地が硬いことであって、これによって歯応えが加わると美味しさが数倍に跳ね上がるのである。

●食パンに生クリームを付けて食べる

 生クリームとパン生地がこんなにも相性のいい物だとは、ケーキを食べたことがあるくせに全然気付かなかった。シュークリームはカルタードクリームでなければならないと思い込んでいたので、ケーキ以外にも生クリームとパン生地を組み合わせる方法があると知らなかったのだ。

 そんな折、俺の誕生日があり、誕生日ケーキを自宅で作り、普段ならケーキを作り終わった後すぐにボールに残った生クリームをペロペロと舐めてしまうのだが、今回はそれをやめ、翌日の朝食のために残しておいた。食パンの新しい食べ方を思いついたのである。

 翌日の朝は、その生クリームを出して来て、そこに焼いたパンを付けて食べた。これは滅茶苦茶美味しく、ケーキを手掴みで食べているようなものであり、朝から至福を味わうことになった。これはチーズフォンデュの生クリームバージョンであって、とにかく美味い。

 我が家では原則「白砂糖禁止」なのだが、ケーキのようにどうしても白砂糖を使わざるを得ない物に限っては、例外として白砂糖の使用を認めている。尤も俺は「白砂糖ではなく黒砂糖を使って欲しい」と頼み込んでいるのだが、なかなかこの意見は受け入れて貰えず、このことには関しては常に不満を抱いていた。

 しかしこの生クーリームをパンに付けて食べる方法を思いついたお蔭で、その不満が完全に吹き飛んでしまった。これを毎日食べるのは問題があるにしても、たまにはこういう物を食べて気分を上々にするというのは必要なのである。

●洋菓子と和菓子の違い

 和菓子も洋菓子も同じ菓子なのだが、その考え方には根本的な所で決定的な違うがある。和菓子は砂糖の分量を多くし、甘味を強調することになるのだが、用菓子は砂糖の分量を少なくして、甘味を無闇に強調しないようにしている。

 このため和菓子は1つか2つかで済むのに、洋菓子だと大量に食べることが可能になってしまう。だから和菓子の食べ放題などという物はないが、ケーキの食べ放題という物なら存在している。洋菓子は砂糖の量が少ないので、それで下手をすると沢山食べてしまい、その結果、肥満になってしまうのである。

 洋菓子の中でシュークリームが日本人に受けたのは、洋菓子の中でも甘味の強い物なのであって、だからシュークリームを1つか2つ食べれば満足できる。それなのにその甘さを抑えてしまったら、シュークリームを食う価値がなくなってしまうのである。

 菓子職人たちは、「フランスではこういう風に作られている」と反論してくるかもしれないが、フランスと日本では気候も民族も違うのであって、同じ物を出されても困ってしまうのだ。洋菓子の中には日本人受けする物があるのであって、それを作ればいいのであって、売れたのならその品質を維持すべきなのである。

 恐らく銀座コージコーナーでジャンボシュークリームの品質が落ちていったのはコストダウンの結果なのだろうが、そういうことをやっているとうちの近所のパン屋程度の者に呆気なく負けてしまうことになるのだ。「美味しいか美味しくないか」は食えば解ることなのであって、今後、俺がどちらを選ぶかといえば、絶対に生シュークリームの方であるのだ。

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U-18最強トーナメント優勝者「佐々木麻衣」ちゃんに対して勝手に運命鑑定

●小学生なのに既に大人

 女子小学生を20人ほど集めると、なぜだか1人大きな体を持った女の子がいるものだ。その子は運動神経が良い訳でもなく、頭が良い訳でもなく、しかし話をしてみると既に大人なのであって、女子小学生であっても幼稚さが全然ないのだ。

 『カラオケバトル』の2014年U-18最強トーナメントで優勝した「佐々木麻衣」ちゃんなんかはまさのその手の子で、小学生の段階で既に大人になっており、歌が巧いだけでなく、司会者との応答もきちんとできているので、こういう女の子こそ優勝すべきであろう。

 それにしても今回のトーナメントはハイレベルだった。「さくらまや」ちゃんって物凄く可愛いいし、歌も格段に巧いってのが良く解った。さすが史上最年少で歌手デビューしただけのことはある。そのプロ歌手を破っての優勝だから、佐々木麻衣ちゃんは本当に凄い。

 子供の頃から体格の良い女性は母性本能が非常に強いので、必ず結婚するし、子供を沢山産むことになる。だから早目に出世して自分のすべき仕事をしておかないと、出来ちゃった結婚とかしてしまうから、普通の道を歩ませない方がいいのだ。

 俺としては城南海の歌こそ最も素晴らしいと思っているのだが、点数に関しては佐々木麻衣ちゃんの方が上なのであって、現在、中学1年生であったとしても、彼女に適うプロ歌手というのはいないと見ていい。それほど凄い実力の持ち主なのである。

●字画

 そこで佐々木麻衣ちゃんに対して勝手に運命鑑定をすることにした。運命鑑定をしてみると、「さすが!」と俺が唸ってしまうほどの非常に素晴らしい鑑定結果が出た。本当の運命通りの人生を歩んでいるのであって、そのために自分の実力を遺憾なく発揮することができたのである。

 まず地格を見てみると、

「17画」

なので、両親から愛情をたっぷりと貰いながら育つことができる。このため体格が非常に良くなっただけでなく、人格的にも成長することができたのである。この点が他の子たちとの違いなのである。

 人格は、

「15画」

なので、1人でコツコツと何かをするより、自分の歌声を披露して、お客さんたちに楽しんで貰った方が人生は好転して行く。因みに15画は子沢山なので、結婚すれば赤ちゃんをバンバン産んで行くことになる。

 総格は、

「31画」

なので、トップに躍り出て来る運命を持っている。決して勝負運が強い訳ではないのだが、自分がトップに出なければならない時には必ずトップに出て来ることになる。かといって常勝ではなく、自分が優勝する必要性のない時は、後一歩の所で負けてしまうことになる。

 注目すべきは外格で、なんと

「16画」

なので、棚から牡丹餅的な幸運が訪れて来ることになる。今はこの運命が作動していないのだが、歌手デビューすればすぐに何かしら賞を取ったり、自分の行く手を遮る歌手が不祥事を起こして消えてしまったりとか、そういう本当に運がいいとしかいいようのないことが起こることになる。

●字義

 佐々木麻衣ちゃんの字義を調べてみると、もっと凄いということが解った。

 まず名の「麻衣」は「天使として母親の許に舞い降りてきた」という意味で、母親がそのように意識的に感じたか、無意識の内に感じたかしないと、この名前は名づけられないのだ。母親も精神レベルの高い人だから、母親の支援を常に得ることができる。

 それに麻衣は「麻の衣」という意味も持ち、これは「巫女」を意味する。このため佐々木麻衣ちゃんは直感がいいし、その立ち振る舞いも様になっているのだ。前世が巫女であるかは解らないが、名前に巫女を意味する物が入ると、普通の女性たちにはない特殊な力を持つことができる。

 「麻衣」ではなく「舞」としてしまうと、「舞妓」や「芸妓」を意味することになってしまうので、そうすると常に誰かの視線を気にするようになってしまい、佐々木麻衣ちゃんのように威風堂々とはならない。同じ発音でも、漢字が違うと性格が違ってしまうものなのである。

 麻衣の音相は「本当の意思」:という意味で、自分が本当にやりたいことがあれば、万難を排して成功させることになる。しかし自分が本当にやりたいことを見つけないと、遊び呆けてしまう。だから「まい」の名を持つ女性には、一生懸命になって何かをやっている人と、遊び呆けてしまう人の両極端がいるのである。

 「まい」の名を持つ女性は、学校の勉強を優先しない方がいい。というのは、学校では様々なことを学ばされるので、それで勉強している内に自分が本当にやりたいことが解らなくなってしまうからだ。「まい」という名は良い名なのだが、その使い方を誤ると、とんでもない不幸を産み出してしまうこともあるのだ。

●早く歌手デビューしておくれ~

 俺が佐々木麻衣ちゃんにつくづく感心するのは、「歌声」「体型」「ファッションセンス」「髪形」「会話の仕方」、どれをとっても合格点を与えることができてしまうということだ。特に歌声に関しては、ただ単に歌が巧ければ良いのではなく、ビヤ樽のような体型になった方がいい声が出るのであって、佐々木麻衣ちゃんのあの体型が美声を産み出しているのである。

 最近、NHKの女子アナ「橋本奈穂子」の酷いファッションが我が家で問題になっているので、佐々木麻衣ちゃんのようなセンスのいいファッションを見ると、本当にホッとする。多分、母親が選んでいるだろうが、こういう母親の許に生まれるというのは、本当に運がいい証拠なのである。

 ただ欠点があるとするなら、それはいつも不満顔でいることだ。何かしらの不満があるからこそそういう顔になってしまうだろうが、これは不幸を呼び寄せることになるので、この不満顔だけは絶対にやめた方がいい。この世は自分の思い通りにはならないのであって、自分の思い通りにならなかったといって不満を垂れていては、それが思わぬ不幸を産み出してしまうことになるのだ。

 佐々木麻衣ちゃんに望むことがあるなら、「早く歌手デビューしてくれ~」ってことである。素人の段階で運を使い果たしてしまうと、歌手デビューしてから伸びなくなってしまうからだ。もう既にプロ歌手よりも巧いのだから、中学生で歌手デビューしたっていいのである。

 普通の女性たちとはパワーが断然に違うので、歌手デビューすれば必ずヒットすることになる。幾ら歌が巧くても、いい曲に巡り会わないと、ヒット曲が出ないので、こういうのもまた運なのである。運のいい歌手はヒットするし、運のない歌手はどんなに努力してもヒットしない。それが芸能界なのである。

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『名著で読む日本史』 ~これを読めば日本史が解る!~

●歴史学と考古学の違い

 日本人として絶対に必要な物は「日本史を学び、日本精神という物を持つ事」である。幾ら日本人として生まれたとしても、日本史を学ばず、日本精神を持たなければ、いずれは消滅して行ってしまうことになる。血統は大事な物かもしれないが、それは絶対条件ではない。日本民族は純血だけで拡大してきたのではなく、帰化人を受け入れて発展してきた民族であることを忘れてはならない。

 ところがこの日本史が連合国の占領中に徹底的に破壊されてしまった。アメリカ合衆国は日本を破壊するためには、学校で日本史を教えることを禁止し、それだけでなく大学に於いても日本史研究を禁止してしまった。占領後はこれを解除したのだが、甚大な損害を発生させ、その悪影響は現代に至るまで及んでいるのだ。

 戦後の日本史学の根本的誤謬は、

「歴史学と考古学をごっちゃにしてしまい、歴史学だというのに考古学のことを延々と述べるということをやっている」

ということである。このため神武東征も、景行天皇の九州遠征も、日本武尊の東国遠征も、神功皇后の三韓征伐も、雄略天皇の朝貢停止もなくなってしまい、これでは日本古代史のことが全く解らなくなっているのである。

 歴史学と考古学の違いが解っていない歴史学者は歴史学者として失格である。歴史学は歴史書を研究する学問であり、考古学は発掘を行い、出土品を研究する学問である。これらの学問にはリンクする所もあるが、歴史学は歴史学であり、考古学は考古学なのである。

 今回紹介する本はこの本!

 渡部昇一著『名著で読む日本史』(育鵬社)

  名著で読む日本史[渡部昇一]

 渡部昇一博士は日本史の学者でなく英語学者なのだが、日本の歴史学者たちが歴史学者ではなくなってしまったので、敢えて自分の専門外の日本史に関する本を書いたのであって、戦後の日本が異常事態になっている以上、こういう仕事こそ日本にとって必要だし、有益であるのだ。

●歴史書と物語

 まず歴史を理解するために最も大事なことは、

「歴史の根幹となっている物は物語である」

ということであって、とにかくこのことを理解しなければならない。物語とは本来「我々先祖である霊魂たちが語るお話」ということなのであって、宗教的な意味合いが非常に強い物なのである。

 日本の場合、「語部」という物が存在し、巫女たちがこの仕事を担当した。だから日本最初の書物である『古事記』は女性である稗田阿礼が口述し、それを太安万侶が著述したのである。因みにこの『古事記』は後に忘れ去られた書物となり、江戸時代になって本居信長が『古事記伝』によって復活させた。

 天武天皇の壬申の乱によって律令体制が整えられていくのだが、その際、必要になったのが歴史書である。『古事記』もこの必要性で作られたのだが、朝廷としては『日本書紀』こそを初の国史とした。『古事記』は『日本書紀』を作るための資料だったに過ぎないのである。

 国史はその後、『続日本紀』『日本後紀』『続日本後紀』と続き、後は実録で『日本門徳天皇実録』『日本三代実録』となった。実録は国史ではなく、天皇の一代記というべき物で、この実録を集めて歴史書を作るのである。だから『六国史』という言い方は間違いで、朝廷は『四国史』しか作れなかったのである。

 なんでこうなってしまったのかといえば、日本では天皇家が続いているので、日本史を中国風の歴史書で書くことには限界があったからなのであり、中国のように易姓革命があり、先の王朝を倒した者が新たに王朝を興し、それで前の王朝の歴史を書き残すということができないからだ。

 そこで登場してきたのが、『栄華物語』であり、朝廷に於いて実権を握った藤原氏に注目して歴史を語って行くという手法を取った。この『栄華物語』も作者は女性で、赤染衛門という歌人が書いた物なのである。『栄華物語』の後に『大鏡』『今鏡』『水鏡』『増鏡』と続いて行くことになる。

●史上最悪の悪帝<後醍醐天皇>と「武士たちの忠誠心」の問題

 鎌倉幕府の成立によって天皇や公家たちから武士たちの世になっていくのだが、鎌倉時代は朝廷にかなり権限があり、朝廷と幕府が拮抗した形になっていた。だから『平家物語』や『吾妻鏡』なのであって、鎌倉幕府は歴史書を編纂していないのである。

 しかし後醍醐天皇が出て来ると事態は一変してしまい、朝廷側が鎌倉幕府を打倒したのはいいが、「建武の新政」に大失敗し、朝廷は分裂してしまった。これによって南北朝の動乱が起こり、この戦争の中で朝廷は完全に力をうしなってしまったのである。

 この過程で出て来たのが『神皇正統記』であり、『太平記』なのだが、「物語」や「鏡」ではなく、「記」なのであって、「記録」として歴史的事件を遺して行こうという考えが出て来たのである。文武天皇が築いた律令体制は南北朝の動乱の中で完全崩壊したと考えたからこそ、これらの作者たちは記録という形で遺したのである。

 『神皇正統記』と『太平記』はセットなのであって、この2つを読めば、大体、日本のことが解るようになる。

 まず1つ目は日本は神国なのであって、それを連綿と継承していかなければならないということ。

 2つ目は天皇は政治に手を出してはならないのであって、天皇は政治を武士たちに任すべきであるということ。

 3つ目は武士たちは政治を任された以上、死力を尽くして戦うべきなのであって、後世に名を残すような功績を打ち立てなければならないということ。

 天皇は後醍醐天皇以降、どの天皇も政治には手を出してきていない。天皇自体、天皇の身でありながら政治に手を出してしまうと、日本を大混乱に陥れてしまうと解っているのであり、ということは武士たちが政治意識を持って政治に参加しなければならないということになる。

●応仁の乱が日本を完全に変えた

 室町時代は鎌倉時代以上に日本史に於いて重大な変化が起こっていたのだが、室町幕府自体、強力な権力を持つ幕府ではなかった。南北朝の動乱のためにエネルギーを使いきってしまい、南北朝の合一ができても、幕府は強い力を持つことができなかった。

 そういう弱い幕府だったからこそ、応仁の乱が起きてしまい、これによって幕府の力は殆どなくなり、日本は戦国時代へと突入していくことになる。この応仁の乱は日本を完全に変えてしまったのであり、公家たちはこの争いの中で完全に没落してしまい、武士たちだけによって政治が動かされる時代がやってきたのである。

 戦国時代は群雄割拠することになるのだが、それによって地方が開発され、民度が急上昇した。これが江戸時代になると固定されてしまったので、余計にその動きが強化されることになった。封建制度と地方文化はセットなのであって、封建制度がないと地方文化が育ってこないのである。

 近代化は西ヨーロッパ諸国で起こったのだが、西ヨーロッパ諸国では封建制度があったために地方が充実し、それで近代国家へと飛躍することができた。日本は西ヨーロッパ諸国と遠く離れたいたのだが、封建制度をやり、地方が充実していたからこそ、近代化を行うことができたのである。

 中国では春秋戦国時代までなら封建制度を取っていたが、秦が中国を統一してしまうと、郡県制度を採用した統一国家になってしまった。朝鮮は新羅が統一すると統一国家になってしまった。だから地方文化が発達せず、近代化に踏み切ることができなかったのである。

 因みに道州制の導入は絶対にダメである。道州制では地方の規模が大きくなり過ぎてしまい、地方自治を行うことができなくなってしまうからだ。現在、日本は46都道府県があることで、地方は充実し、多彩な人材が出て来ているのであって、それを自らぶっ壊すことをやってはならないのだ。

●江戸時代に起こった日本史ブーム

 江戸幕府は朱子学を御用学問にしたのだが、その朱子学によって日本史ブームが湧き起こった。朱子学は歴史重視であって、その王朝は正統なのか異端なのかを分けるのであり、そうなると日本でもその峻別をやろうとしたのである。

 江戸幕府は『本朝通鑑』を編纂するのだが、この内容に反対したのが水戸藩で水戸藩は独自に『大日本史』を編纂し始めた。しかし両方とも巻数が膨大な物になってしまったので、それでよりコンパクトな歴史書が求められるようになった。

 そこで頼山陽が『日本政記』と『日本外史』を書き、これが大ベストセラーになったのである。意外なことかもしれないが、それまで日本人の多くは、自国の歴史を殆ど知らなかったのであり、これによって日本史を詳細に知ることができ、民族意識が高まり始めたのである。

 『日本政記』と『日本外史』は、「天皇こそ日本の国家元首である」という日本史に於いては当たり前のことを指摘した。江戸時代では征夷大将軍が事実上、日本国を代表する者だったので、それで天皇の価値を理解できない者たちが大量に存在していたのである。

 頼山陽は朱子学に立脚していたのだが、彼の本を読んだ者たちは朱子学とは違う考えを持つようになった。それが「尊皇」なのであって、日本は中国のように専制君主の国ではなく、天皇は国家元首であっても政治権力を持つべきではなく、武士たちが政治を取り行うべきであるというように考えた。

 この問題は幕末に「尊皇か勤皇か」ということで大いに揉め、尊皇派が「尊皇倒幕」という形で反幕府勢力を集結させ、それで明治維新がなった。だから『日本政記』と『日本外史』を読み、それらがどういう影響を与えたのかを知らないと、幕末の動乱や明治維新のことが全く解らなくなってしまうのである。

●近代日本を破滅に追いやった軍部大臣現役武官制

 明治維新は尊皇派が勤皇派を押し切って成し遂げたものなのだが、勤皇派が消えた訳ではない。薩摩閥の殆どは尊皇派だったのだが、長州閥では伊藤博文が勤皇派であり、よりによってこの人物が明治憲法を作ることになってしまい、それが後に大問題を引き起こすのである。

 伊藤博文はドイツの憲法学から学んで、ドイツ帝国憲法の皇帝主権を真似て、天皇主権の憲法を作ろうとした。しかし日本は天皇主権の歴史など一度たりともないのであって、それで天皇は神聖不可侵であって、政治的に無問責とした。 

 当然、明治憲法はそれ自体がおかしいのであって、憲法制定後、憲法学者たちが天皇主権説と天皇機関説で論争することになり、この論争に天皇主権説を取った上杉慎吉は破れ、天皇機関説を取った美濃部達吉が勝利することになった。憲法の条文では天皇が政治的に無問責になっている以上、憲法解釈としては天皇機関説が妥当ということになる。

 ところが論争で負けた筈の上杉慎吉が陸軍士官学校で憲法学を教えることになり、それで武官たちの間で負けた筈の天皇主権説が広まってしまうことになった。帝国陸軍の将校たちがおかしくなるのはこれ以降なのであって、陸軍士官学校で間違った憲法解釈を教え込まれたからなのである。

 よりによって時は大正デモクラシーの時代であり、政友会と民政党が激しく争い、民政党の浜口雄幸内閣の時に、政友会の鳩山一郎が統帥権干犯問題を政争の具に使い、それで暗殺へと追い込んでいった。この辺りから軍部が政治に手を出すようになり、犬養毅首相暗殺事件や青年将校の乱を引き起こしてしまう。

 そして岡田啓介内閣の時に、軍部大臣現役武官制が復活し、これによって軍部が内閣の命運を握るようになってしまった。首相のやっていることが気に食わないと、陸軍大臣や海軍大臣を出さなければいいのだから、それで総辞職ということになってしまったのである。

 この軍部大臣現役武官制は法律ではなく省令なのであって、憲法でもなく法律でもなく省令が日本の命運を誤らせてしまったということになる。尤も帝国陸海軍はこの軍部大臣現役武官制のために国防省を作ることができず、大東亜戦争では陸軍と海軍が別個に戦うことになり、それで大東亜戦争では完敗してしまったのである。

 戦後の日本では、明治憲法には統帥権の独立があり、それで軍部が暴走したと間違ったことを教えているのだが、歴史的事実はそうではないのだ。統帥権の独立は近代国家なら当たり前のことなのであって、軍隊のある近代国家ならどこでも統帥権の独立を行っているものなのである。

 鳩山一郎の憲法犯罪は重大なのであって、鳩山家の者を絶対に首相にしてはならない。鳩山一郎の孫が鳩山由紀夫であることを考えれば、鳩山家の連中は皆殺しにすべきなのであって、これに対して如何なる宥恕も与えてはならない。

●軍事学を知らない政治家たちによる悪政

 歴史というものは70年以上経たないと、正当な評価を下せない。というのは、70年未満だと情報が全て出て来ないのであって、その状況下で歴史を評価しても正しい評価を下せる訳がないのだ。特に20世紀は社会主義の世紀だったのであり、共産党が情報を隠蔽しており、それが出て来ない限り、歴史の総括など絶対にできないのだ。

 そうはいっても、戦後の日本が異常な政治をやってしまったということは、情報が全部出て来なくても解る。その原因はなんといっても昭和憲法にあるのであって、戦争放棄をアメリカ合衆国から要求されたために、日本の政治家たちは本当に政治的無能力者になってしまったのである。  

 その魁となったのは、「吉田茂」であり、彼のやった憲法犯罪は非常に重い。というのは、連合軍最高司令官のダグラス・マッカーサーは日本を7年間統治してみて、日本の満州事変と支那事変と大東亜戦争は「自衛戦争」であったということに気付き、吉田茂首相に憲法の改正と国軍を持つよう勧めたのである。それなのに吉田茂首相はそれを拒否してしまったのである。

 これに対して「岸信介」は日本のまともな独立国ではないということに気付き、それで安保改定を行い、どうにかに日本の地位を高めた。しかし日本の社会主義勢力は日本が本当の独立国になってしまうと社会主義革命ができなくなってしまうから、それで安保闘争を引き起こし、岸信介内閣を総辞職に追い込んでしまった。

 米ソ冷戦の最中、日本は経済発展を可能にさせ、国民を非常に豊かにしたのだが、冷戦が終結すると、途端に迷走し始めた。その魁が「細川護熙」であり、このバカ殿は戦後日本で唯一「大東亜戦争は侵略戦争であった」と認めた首相なのである。

 これ以降、中国と韓国が反日攻勢を強めて、日本の外交は非常に危機的な物になっていった。大東亜戦争は欧米列強がブロック経済を採用し、それによって日本が生存を確保するためにやった戦争なのであり、侵略戦争ではない。これは日本と戦争をやったアメリカ合衆国も戦後になってやっと解ったのであり、それなのによりによって日本の首相が侵略戦争だったと言い出したものだから、日本の政治がおかしくなっていくのは当然のことだと言っていい。

 政治学では、

「軍事力を握った者こそ、その国の最高政治権力者だ」

ということなのであり、戦後の政治家たちはこの鉄則を理解しないがために悪政を展開しまくっているのである。昭和憲法は日本国民が作った憲法ではない以上、とっとと無効にしてしまい、日本国民が本当に必要とする憲法を制定すべきなのである。

●『名著で読む日本史』を家庭での日本史の教科書にしよう!

 この『名著で読む日本史』の一体何が凄いのかといえば、この本は家庭で日本史の教科書になってしまうということだ。内容は決して難しくない。平易な言葉で書かれていながら、内容は非常に深い。しかもより詳しく知りたければ、この本の中で紹介された本を読めばいい。

 まずは親がこの本を読むべきだし、この本を読むことによって、学校で受けた洗脳を解除し、正しい歴史を見られるようにしなければならない。子供たちにしてみれば、実に勉強し易いようになっているので、文字が読めるようになれば、自分1人で読めてしまい、それで親子で日本史のことを会話することが可能になるのだ。

 戦後の日本では、歴史教育に関しては学校を信用することができないという異常事態になっている。だから歴史教育のことを学校に任せてしまうと、子供が大人になってからとんでもないことになってしまう。そういう異常な憲法体制下で生きている以上、それなりの対策を独自に取るべきなのである。

 中国でも韓国でも盛んに反日教育を行い、そのためその反日教育を受けた人たちが執拗に反日攻勢を仕掛けて来ることになる。だから日本は中国と韓国と揉め続けることになるのであって、中国や韓国が滅亡するまでその戦いはやむことがない。

 日本にとっては苦しい戦いが続くが、嘘をついているのは中国や韓国なのであって、日本人が正しい歴史を知っていれば、反日攻勢を打ち砕くことができるし、中国や韓国を滅亡に追いやることが可能になる。逆に言えば、日本人が正しい歴史を知らなければ、中国や韓国のために日本が攻め滅ぼされても、別におかしくはないのである。

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