妊娠

緊急告知:不妊症のカテゴリーを卒業します。(ついでに妊娠のカテゴリーも)

heart01heart01heart01heart01タマティーからのお知らせheart01heart01heart01heart01

●カテゴリーを変更します

 長らく「不妊治療」「妊娠」「育児」のカテゴリーで、この『幸せ色の出産ラブストーリー』を公開してきたのですが、今回を持ちまして「不妊治療」のカテゴリーと「妊娠」のカテゴリーを卒業します。最終章は不妊症の女性たちや現在妊娠している女性たちが見るべき内容ではないからです。

 このフブログはそもそも不妊症の女性たちのために作られたものです。最初は不妊症の女性たちのために『不妊症バトルロワイヤル』を展開して、不妊症の原因とその治療法を教えてのですが、その後、不妊症を克服した女性たが出て来たために、妊娠や出産や育児のことを教えるために『幸せ色の出産ラブストーリー』を展開しました。

 現在、不妊症で悩んでいる女性でも、不妊治療で頭の中を一杯にしてしまうよりも、妊娠や出産や育児のことを知ることで、脳をクールダウンさせた方が、不妊治療の成功率が上がるのではないかと思ったからです。不妊治療を真面目に受けてしまうと、心の余裕がなくなってしまい、成功する筈の不妊治療も成功しなくなってしまうからです。

 途中で不妊症ではない普通の女性たちも参加してきたために、不妊症の女性のために書いていることが薄れてしまった感じがあるのですが、タマティーは首尾一貫して不妊症の女性たちのために書き続けてきました。でも、もうそろそろ卒業した方がいいのではないかと思うようになりました。

 不妊症の治療は、どうしても病院での治療に頼ってくる女性たちが多いし、不妊症を克服させるためには、ブログで情報を公開するよりも、実際に不妊症の夫婦たちに会って話した方が不妊症を克服できるのが早いというのが解ったからです。ブログで不妊症の女性たちを気遣うよりも、そのエネルギーを直接に不妊症の夫婦たちに向けた方が効果が高くなるからです。

●不妊症の女性たちへ

 俺が長らく不妊症の女性たちを治療してきて、これだけは伝えたいことがあります。

・不妊症で悩んだり、不妊治療で失敗をしたことは絶対に無駄ではないということです。

・治療で失敗している内に、知らず知らずに内に実力がついているもの。

・自分の誤った考え方を変えた時、未来の赤ちゃんはやってくる。

 不妊症の女性たちは、今までの人生は順調に進んできた筈です、小中高大学と、それから就職、そして結婚と、今まで大した挫折もなく生きてきたと思います。それなのに結婚して大事な時に不妊症に罹ってしまうというのは、人生で初めての挫折といっていいものかもしれません。

 人間は順境な時ばかり生きていることはできません。人生のどこかで逆境の時を生きていかなければならないんです。その逆境の時期は自分が最も苦しい時期なのですが、その中で自分のマイナスの部分が剥がれ落ちて、今まで以上に飛躍的に成長していくことができるようになるんです。

 実際の不妊治療は失敗の連続です。たとえ不妊治療で失敗したとしても、すぐさま自分を立て直すことです。そりゃあ、失敗すれば落ち込んでしまうのは当たり前です。しかし、失敗していく中で知らず知らずの内に実力がついてしまい、不妊症を克服できるだけの力を持つことができるようになるんです。

 赤ちゃんは精子と卵子が融合したから生まれてくるのではありません。赤ちゃんは霊的な世界から、未来のお父さんやお母さんの姿を見ていて、赤ちゃんを育てられる準備が整い次第、雲の上から降りて来て、あなたのお腹に入り込んでくるんです。今はまだ母親の準備が整っていないだけなんです。だから、焦らないで、一つ一つクリアしていくことです。

 不妊症の女性たちは間違った考え方を持っています。どうしても不妊症の原因を精子や卵子の問題に持っていこうとしてしまうんです。現実には、どの男女も精子や卵子をきちんと輩出しているんです。では、どうして妊娠できないかというと、それは食生活や運動や睡眠や排便や性生活が余りにもひどすぎるからです。そして夫婦の愛の形が未だに出来上がっていないからなんです。間違った考え方を捨てた時、未来の赤ちゃんはやってくるものなんです。

 不妊症を克服し、赤ちゃんに恵まれた女性たちのすべてが、出産後に夫に感謝するようになります。ということは、それまでは夫に感謝していなかったということなんです。恋愛も長く続いてしまうと、「愛してる」という言葉を使わなくなるように、結婚も長く続いてしまうと、「感謝しています」という言葉を使わなくなってしまいます。自分の夫の欠点を指摘するのではなく、些細なことで夫婦喧嘩をしてしまうのではなく、夫を敬って、感謝するようになれれば、不妊症を克服できるようになるんです。

●現在妊娠中の女性たちへ

 現在、妊娠中の女性たちには、妊娠中なのに妊娠のカテゴリーを終了することは、「そんな殺生な」と思うかもしれないが、今まで『幸せ色の出産ラブストーリー』を見て来ていれば、出産は巧く行きます。もう充分に「出産力」は見についている筈です。後は実践あるのみです。

 ただ、妊娠は最後の最後まで解らないものなので、妊婦の方々にこれだけは守っておいた方がいいということを伝えておきます。

・妊娠中は妊娠中毒症には気をつけろ。

・出産予定日には惑わされないように。

・出産は普通のことをやっていれば絶対に安産になる。

 妊娠中はとにかく自分がスポーツ選手になった気分で、体を動かして体を鍛えていくことです。妊婦に最低限の運動量がありさえすれば、妊娠中に妊娠中毒症になることなんて絶対にないんです。妊娠中毒症とは要は運動不足なんです。塩分がどうのこうのに騙されないことです。最低でも1日1時間程度のウォーキングなら、どんな状況でもできる筈です。

 出産予定日は飽くまでも医者の都合なのであって、出産予定日は出産の目安として使い、決して出産予定日に惑わされないことです。早産をしないためには、マグネシウムをしっかり取っておくことです。妊娠前に飲酒の習慣のあった女性にはマグネシウムが不足しているので、マグネシウムをきちんと補給しておくことです。マグネシウムは「イチジク」「アーモンド」「ナッツ」「バナナ」などに含まれています。出産予定日が遅れても、なんら心配することはありません。逆に健康な赤ちゃんが生まれるものなんです。

 妊娠中に普通のことをやっていれば、絶対に安産になるものです。食事に気を使い、運動をし、睡眠をしっかりと取り、排便をちゃんとしておく。体が冷えないように厚着をして、風呂やサウナで体を温めておくことです。妊娠して自分のことだけで精一杯になるのではなく、夫のことにも気を使って、夫婦の会話を絶やさないことです。いざという時には夫が一番役に立つんです。中には例外があるかもしれないけど、大抵の夫たちは妻にとって最大の味方なんです。

 出産の時は、健康な赤ちゃんを産めるように全力を尽くすことです。女性にとっては、出産は人生最大のスペクタルになるんです。その上で、妊婦生活を思いっきり楽しむことです。妊婦生活は妊娠中にしかできません。自分が妊婦であることを楽しまないなんて絶対に損です。妊婦生活を楽しんでいるからこそ、出産も楽しめてしまうものなんです。

●タマティーはなぜ不妊症治療に関わったのか?

 そもそもなぜタマティーが不妊症治療に関わったかといえば、癌治療をやっている時に、不妊症の夫婦に治療の依頼を受けたからなんです。その当時は癌治療のことで頭が一杯だったのですが、癌の研究をしていたので、不妊症の原因にもなんとなく想像がつきました。要は、「水分過剰」と「食事過剰」と「血液汚染」の三つが揃えば、ありとあらゆる内臓疾患を発症してくるのであって、不妊症もその一つなんです。

 大方の不妊症の女性たちは、「冷え症」です。「36.5℃」という平均体温がないのです。これは「水分過剰」と「食事過剰」と「血液汚染」の三つが揃うと、女性は必ずこの症状を呈してきます。だからこそ、通常の形では妊娠することができなくなるんです。排卵誘発剤を使うと副作用で高熱を発するのですが、これが巧く持って行くと、そのまま妊娠へと持ち込むことができます。病院での不妊治療が失敗し易いのは、高熱を維持することをしないからです。これに対して、漢方医たちは排卵を強制的に行わせることなく、水分過剰を解消させる漢方薬と、体温を上げる漢方薬を与えることで、不妊症を克服させています。こちらの方が不妊症を克服するには、適切な処置なんです。

 その後、タマティーはニフティーでブログを遣り始めた時に、たまたまこの不妊症のカテゴリーに立ち寄ってしまい、そこで不妊症の女性たちのブブログを見て、その悲惨な現状に大いに心を痛めてしまったんです。病院の医者たちが不妊症の女性たちにきちんと説明をしていないからこそ、不妊症の女性たちは不安で一杯になり、悩まなくてもいい悩みを抱え込んでいたんです。それで俺はせっせと『不妊症バトルロワイヤル』を展開して、不妊症の女性たちに不妊症を克服させる情報を提供し続けたんです。

 実を言いますと、タマティーの母親は結婚してから7年間もの間、子供ができませんでした。ただそれは不妊症が原因ではなく、貧乏が原因でした。タマティーの両親は結婚当初、物凄い貧乏で妊娠どころではなく、四畳半一間のアパートに住んでいたんです。大人二人が寝てしまうと、もう空きのスペースなんてどこにもなかったそうです。当然に赤ちゃんの置ける場所など、どこにもなく、妊娠することができなかったんです。

 そこで両親は夫婦共働きで必死に働いて、お金を地道に貯めて込んで、結婚後6年目にして一戸建ての住宅を横浜に建てたんです。時代が高度経済成長期とはいえ、30代で一戸建ての住宅を建てたなんて凄いもんです。そこで、やっと赤ちゃんを置ける場所が確保され、両親は妊娠へと向かうことになります。

 現在、日本国民の多くは、この手の独立自尊の気概を持つことなく、自分の生活が苦しければ、すぐに政府や地方自治体に頼ろうとしています。独立している夫婦なら、政府から子育て支援などを貰うべきではないんです。政府や地方自治体に頼るからこそ、いつまでも貧乏から抜け出せないのであって、政府や地方自治体に頼ることを拒否し、夫婦双方が自助努力に目覚めれば、貧乏は駆逐されていくんです。

 タマティーの両親は若くして一戸建てを建てたことは、その後の人生で大いに貴重な経験となった筈です。その後、アパートやマンションを建設したり、株式投資をしたりして、資産家の道を順調に歩んで行ったからです。宝籤を買って一攫千金を夢見るより、若い時は我武者羅に働いてしまった方が、お金持ちになれるというものなんです。

 でも、さすがに結婚して6年間も赤ちゃんを産んでいなかったから、タマティーの母親は不妊症の女性たちと同じような精神状況に追い込まれてしまったそうです。他の夫婦の赤ちゃんを見ては悲しくなり、赤ちゃんを抱かせて貰えば、手が震えてちゃんと抱けなかったというのです。

 しかし、夫婦で一戸建てを建てたいう自信が、妊娠を可能にさせてしまいます。タマティーの母親もさすがに自分の体に何か問題があるのではないかと思ったらしく、当時、親戚が千葉大学の医学部で教授をしていたので、不妊治療の話を聞きに行ったらしいんです。だが、その教授は「不妊治療はホルモン剤を使うので、母親にも赤ちゃんにも健康に悪いから受けない方がいい。まだ若いんだから、生活を変えることで妊娠へと導いていった方が、健康的に赤ちゃんが生まれるよ」と教えてくれたそうです。

 そこで、母親はまず父親の禁煙を実行したそうです。当時、タマティーの父親はヘビースモーカーで、1日に1箱以上のタバコを吸っていたそうです。それをタマティーの母親は強制的に禁煙を実施して、禁煙を成功させたんです。それから、毎日、お風呂に入って体を温めたそうです。アパート暮らしでは、お風呂がなく、銭湯だったので、毎日入浴するというわけにはいかなかったんです。そして料理を工夫し、栄養バランスが整うようにしたんです。そういうことをしていたら、一年後には妊娠し出産することができたんです。

 もしも、タマティーの母親が赤ちゃんができないという理由で、病院で不妊治療を受けていれば俺は生まれていなかった筈です。たとえ赤ちゃんが生まれてきたとしても、違う赤ちゃんが生まれて来た筈。だから、不妊症の女性たちが、自分たちの生活を改善することなく、安易に病院で治療を受けてしまうことには、物凄い疑問を持ってしまうんです。もしかしたら、本来は生まれて来る赤ちゃんが生まれて来ないで、違う赤ちゃんが生まれて来てしまったのではないかと思ってしまうんです。

●赤ちゃんに執着するより、結婚に謙虚になること

 俺が不妊症の女性たちを見て来て、つくづく思うことがあります。それは「未だ生まれて来ていない赤ちゃんに、それほどまでに執着しなさんな」ということです。不妊症のために赤ちゃんが欲しいのは解るけど、赤ちゃんに執着してしまえば、赤ちゃんだって生まれにくいって。

 執着は発展を止めてしまうものです。人間には蟠りがあると、人間には不幸が襲いかかってくるものなんです。不妊症を克服するためには、夫婦として色々なことをやっていく必要性があるんです。例えば、夫婦の仲を正常なものにするとか、栄養バランスの整った食事を作れるようになるとか、家計簿をつけて夫婦のお金の流れをしっかりと把握するとかです。そういうことをやって、夫婦としての体裁が整うことの方が先決なんです。 

 結婚を自分の物だと考えるからこそ不幸になるんです。自分の夫を自分の物だと思うからこそ悲劇が襲いかかって来るんです。そうではなく、自分の人生を神様に預けてしまうことです。そうすると「無限の自由」が生まれてくるようになるんです。神様に命じられて、この結婚を管理運営していくという態度になると、いかなる結婚も幸福になることができます。

 不妊症の女性たちに足らないのは、そういう「謙虚さ」なんです。結婚に対して謙虚になっていないから、未来に生まれて来る筈の赤ちゃんがやってこないんです。赤ちゃんが「ママ、今のままでは妊娠できませんよ~」といっているようなもんです。医者の力を使ってどうにかするよりも、まずは自分自身を変えてしまうことです。

 執着から離れると、本当の楽しさが見えてくるものなんです。たとえ自分が不妊症であっても、今の自分をありのままで楽しんでしまうこと。結婚していても、今の生活を自然体で楽しんでしまうこと。そんなに肩肘を張らなくても、この世は生きていけるものなんです。頑張らなくても、人生を楽しむことはできるんです。

●最終章は育児をしている母親限定

 最終章は赤ちゃんを産み育てなければ絶対に解らないことなので、不妊症の女性たちや妊娠中の女性たちは排除します。赤ちゃんを産んでもいない女性たちが知るべきことではないんです。今までは妊娠や出産や育児のことを教えて来たけど、もうこれ以上の知識は不要で、後は不妊症を克服するなり、妊婦生活に集中するなりした方がいいんです。

 これから話すことは、育児をしている母親たちに起こる「とっても不思議なお話」なんです。育児を真面目にやっていると、母親が本物の母親になるために、とっても不思議なことが起こるんです。そのとっても不思議なことが起こらない限り、いくら子供がいたとしても、本物の母親になることはできないんです。

 言わば、本物の母親になるために通過儀礼が、母親たちを待ち構えているんです。女性という者は、結婚して自分の人生が変わったし、赤ちゃんを産んで自分の人生が変わったし、育児をすることで自分の人生が変わっていくんです。自分の人生が変わることで、巨大なエネルギーを発生させていくんです。

 結婚というのは、幸せを貰う立場から、幸せを与えていく立場に、自分の人生を転換することです。他人からエネルギーを奪う生き方から、他人にエネルギーを与えていく生き方に変えると、人生は劇的に好転して、幸福の連続の人生になります。自分の幸福な人生を決定づける転機が、或る日突然に起こってくるわけです。

 『幸せ色の出産ラブストーリー』は今まではすべての母親たちが解る内容であったけど、最終章だけは選ばれた母親たちだけにしか解らない内容になっています。選ばれた母親たちは「そうか! そういことだったのか!」と感嘆する内容になっています。しかし、選ばれなかった母親たちにとっては珍紛漢紛です。これだけはその不思議な体験をして貰わないと、全く解らないことなんです。いくら文章を読んだ所で、その文章を理解できたとしても、本当の所は解らないことでしょう。とにかく実際に不思議な体験をしてみることです。

●不妊症の女性たちに感謝

 この不妊症のカテゴリーを卒業するに当たって、今までこのブログを見て下さった不妊症の女性たちにお礼を言いたい。このブログは長らく不妊症の女性のために書き続けたものなんです。中にはドギツイ記事の回もあったけど、それは俺があなたたちに不妊症を克服してほしいからこそ、敢えて書いたまでで、俺が言いたかったことは、「不妊症は必ず克服できる病気だ」ということです。自分の何かが間違っているからこそ、不妊症を発症しているだけなんです。だから、それを改めてしまえば、簡単に治ってしまうんです。決して精子や卵子の問題ではないんです。

 未来に生まれて来る赤ちゃんは、あなたに母親としての準備が整い次第、あなたのお腹の中に潜り込んで来るんです。赤ちゃんはそれができるまでは雲の上で待っているんですよ。そのことを絶対に忘れないで下さい。

 このフブログを見て不妊症を克服できた人も、これから不妊症を克服しようとしている人も、2年間に亘り、このブログを見続けて頂いて、本当に有難うございました。タマティーは心から感謝しております。このカテゴリーを卒業しても、タマティーはこの国から不妊症を絶滅すべく、日々努力しております。決して不妊症の女性たちは一人ではないんです。目に見えぬ所で、タマティーを始め、色んな人々があなたたちを応援しているんです。

 不妊治療をやっていて、心がつらくなった時は、『不妊症バトルロワイヤル』を思い出して下さい。タマティーも悪戦苦闘しながら戦い抜いたので、その勇姿を見れば、あなたの心も奮起する筈です。大事なことは、いくら失敗してもいいから、悪戦苦闘しながら、不妊症を克服していく強さを持つということです。

 いくら不妊症といえども、自分が立ち上がって戦わないと、勝てる戦いにも勝てなくなります。不妊症は絶対に克服できる病気なので、自分が本当に赤ちゃんが欲しいと思えば、絶対に赤ちゃんがやってくるものです。あなたにはそれが絶対にできます。言い訳をいう暇があるのなら、せっせと自分の生活を改善していくことです。一つ一つ改善していけば、いつの間にかに妊娠しているものなんです。赤ちゃんを妊娠することは、決して難しい事ではありませんよ。

 何事もやればできる!

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三つ子の魂、百まで

●三歳までに人格の基礎が形成される

 人間の脳は、3歳児の時点で脳の80%が形成されるので、当然にこの時期までに子供の人格の基礎が形成されるわけである。3歳児の時点で出て来た性格は、その後の人生でそう簡単には変わらないものなのである。外向的な子供は、成長してもやっぱり外向的な性格だし、内向的な子供は、成長してもやっぱり内向的な性格のである。勿論、青春時代に何かしら道を踏み外してしまうこともあるが、それでも3歳児までがその人の人格形成にとって最も大事な時期なのである。

 昔の人たちはこれを「三つ子の魂、百まで」と言い伝えてきたのである。昔の人たちが何度も育児をしてみて、辿り着いた結論がこれであったのだ。昔と今とでは年齢の数え方が違うので、現在で言うなら、2歳児の時点で、その子の人格が決定してしまうと見たのである。離乳食の始まる前の親の育て方が、子供の人格に決定的な影響を与えてしまうと考えたのである。

 ところが、現在の医者たちは昔の言い伝えて来たこの教えを迷信だと決めつけ、3歳児神話を否定することに躍起になっている。特に仕事のために育児の時間を充分に取れない女医たちは、この3歳児神話を否定することを母親たちに教えているだけでなく、自らも実践して育児をせずに、保育園に我が子を預けながら仕事をしてしまっているのだ。

 勿論、食事さえ与えておけば、子供は肉体的には成長する。問題はそれではきちんと精神的に成長させることができないということなのである。子供が精神的にきちんと成長していくためには、両親の育児の仕方が大いに影響を持っており、それなくしては子供は健全な人格を作り上げていくことができないのだ。

 医者たちが3歳児神話を否定するなら、母親たちは3歳児以下の子供たちに構わなくても健全に育つ筈ではあるが、現実問題としては少年犯罪は多発しているし、学校ではイジメや自殺が絶えたことはないのだ。ということは医者の3歳児神話の否定という考え方が間違っているということなのである。医者たちが育児の現場で出鱈目な学説を展開してしまえば、そういう育児を受けて育ってきた子供たちの悪魔のツケを、学校や警察が処理しなければならないのである。

●母性愛は子供を甘えさせ、守り、見守ることこそが基本

 子供の人格形成に最も重要な役割を果たすのが、母親である。母親が母性愛を子供に与え続けるからこそ、子供は健全に人格を形成していくことができるのである。子供はとにかく母親からの母性愛を必要としている。母性愛は絶対肯定の愛であるがゆえに、母性愛を充分に貰えねば、自分の存在を肯定することができないからだ。

 それゆえ、母親は子供に充分に甘えさせることだ。子供はこの世がどういう状況になろうとも、母親のことが一番大好きなのである。だから、子供は母親に甘えたがるのである。子供が抱っこを要求することは、子供がただ単に抱っこをしてほしいだけでなく、母性愛の発露として抱っこして欲しいということなのである。子供が抱っこを要求しているのに、「歩けるでしょ」と突き放してしまったら、子供は自分の存在を否定されたと思ってしまうのである。

 母親は子供を充分に守ってあげることだ。子供は自分が弱い存在であるということを知っており、そのため母親の影に隠れようとする。人見知りが激しいのは、母親以外の人間は基本的に危険だと看做しているからなのである。だから、人見知りをしているのに、無理矢理に他人に挨拶などしなくてもいいのである。それよりも抱き締めながら、「大丈夫だよ」と励ましの声をかけてあげるべきなのである。

 子供は母親から充分に母性愛を貰うと、母親から離れて動くようになるので、その際はいつまでも手元に置いておくのではなく、子供を手放して、見守るようにすればいいのだ。子供は自分は母親から見守られていると解っていれば、自分が今まで知らない世界に突き進んでいき、自分の世界を広げていくようになるのである。

 母親が育児をしていて、最大の難関は、「構うべきことは構え」ということであり、かといって「子供に構い過ぎるな」というバランスを巧く取ることなのである。母親が子供に構わなければ子供の人格がおかしくなってしまうし、母親が子供に構い過ぎれば子供の人格は駄目になってしまうのである。これだけは育児の現場で経験値を積みながら、自分なりの結論を出していくしかないのだ。

●母親も一生懸命なら子供も一生懸命

 新米ママなら、初めての育児なのだから、一生懸命になっているものだ。しかし、その努力は空回りしている部分もあって、何度も失敗をしでかしてしまうものだ。時には育児で涙を流し、時には自己嫌悪に落ち込んだり、時には「自分は母親として失格だ!」と思うからこそ、いつの間にかに母親としてきちんと成長していくのである。

 新米ママは育児を一生懸命にやっているからこそ、育児には思い出がたくさんあるのである。育児の仕方を試行錯誤しながら掴み取っていくからこそ、育児の仕方が朧げながら解ってくるのであって、育児に於いて悪戦苦闘することは絶対に必要不可欠なことなのである。

 子供の方も未熟な母親から育てて貰うことに一生懸命になっており、子供はその未熟な母親といえども、未熟な形で育てて貰うことで、子供は一生懸命になって成長していくのである。子供は何も完璧な母親を望んでいるわけではないのである。未熟でもいいから、子供に向き合って育児をする母親を求めているのである。

 育児をするのに、育児書や医者に頼ってしまうと、なかなか育児が巧く行かなくなってしまう理由はここにこそあるのだ。育児で最も大事なのが、母親がちゃんと子供に向かい合っているのかということだからだ。それなのに母親が自分の子供にではなく、育児書に向かい合ってしまったり、医者に向かい合ってしまったら、そのアドバイスがいかに優れたものであっても、実際の育児の現場では絶対に巧くいかないのだ。育児の仕方というのは、母親の存在抜きに存在しえないものであって、まずは母親の気持ちなのである。

 育児に悪戦苦闘していれば、いつの間にかに育児の仕方は身についていくものなのである。子供が成長していき、母親がそれほど手間をかけなくてもよくなり始めた時でも、母親が自分の子供に向かい合っていれば、育児は順調に行くものなのである。自分の子供が言葉を初めて喋ってくれた時は嬉しくても、その後に子供が下らないことを喋ってくると途端に不機嫌になってしまうものだ。それでも子供に向き合って、子供の話して来ることを聞くからこそ、子供は段々レベルの高い話をしてくるようになるのである。

●夫婦仲が良ければ育児は巧くいく

 家族の中で愛がきちんと流れていくためには、夫婦仲を良くしていくことは絶対に必要なことである。夫が妻を愛し、妻が自分は夫に愛されていると感じているからこそ、我が子に充分な母性愛を与えようとしてくるのである。母親が自分の夫と仲が悪く、自分の子供だけを愛しても、正常な母性愛は出て来ないものなのである。

 愛は家族の中で循環しているものなのだ。愛は家族の中を循環することによって愛が増大していくのだ。妻は夫から愛されることが嬉しければ、子供をきちんと愛そうとするし、子供もきちんと愛が貰えればスクスクと成長していくのだ。夫はそういう妻や子の姿を見ると、益々仕事に一生懸命になって、収入を増やしていこうとするのだ。

 いくら育児をしているからといって、育児だけをしていてはならないのだ。夫婦関係にも充分に気を配って、夫婦仲を良好なものにしていかねばならないのである。夫婦仲が良ければ、育児は巧く行くのだ。夫婦喧嘩をしあっているのに、育児が巧く行くということは有り得ないのだ。

 新米ママなら育児が未熟だから、夫に育児を手伝ってほしいと言ってしまうものだ。しかし、夫に育児を手伝わせてしまうと、肝腎な仕事が疎かになってしまい、仕事が巧く行かなくなってしまうのだ。そうなれば夫は妻に対してきつく当たって来るようになり、そして夫婦喧嘩が始まってしまうのである。妻が自分に良かれと思ったことが、夫婦仲を破壊してしまうことになってしまったのである。

 夫は育児に直接参加していなくても、生活費を稼いで来ることで最大の貢献をしているものなのである。まずはそこを認め、夫を褒めてあげることなのである。夫も妻から認められ褒められていれば、余力がある時は自然と育児を手伝ってくれるようになるものなのだ。

 子供は父親と母親が喧嘩している家庭では健全に育つことができない。母親から母性愛を貰ったり、父親から父性愛を貰ったりするどころではないからだ。育児がどうこのうと言う前にまずは夫婦が仲直りして、夫婦仲をきちんとしておくことである。そういう夫婦のもとでは、子供は自然と健全に成長していくものなのである。

●胎内記憶の告白

 子供が3歳児になって行われる最大の行為が、「胎内記憶の告白」であろう。胎内記憶は、2歳だと巧く言えず、4歳だと消えてしまうのだ。明らかに3歳児は他の年齢の子供とは違うのである。3歳児でなければ、話してくれないものだって、この世にはするのだ。

 胎内記憶はすべての3歳児が話して来るわけではない。出産時に母親の体から胎内記憶を消すホルモンが分泌されてしまうために、大方の赤ちゃんは胎内記憶を失ってしまうのだ。3歳になっても胎内記憶を持っている子供は、せいぜい半分くらいで、しかも、胎内記憶をすべて覚えているわけではなく、記憶の断片を繋ぎ合わして、話してくるのだ。そのため、母親から見ると、胎内記憶に多少の食い違いが出て来るのだ。

 我が子から胎内記憶を告白されると、殆どの母親たちは感動して感涙を流すという。赤ちゃんは決して白紙状態で産まれてきたのではなく、妊娠中に人格の基礎を形成しており、ということは子供の最も大事な部分が、実は母親のお腹の中で作られたということであるからだ。

 昔から妊婦は感情を爆発させることがないよう、自宅で平穏な日々を過ごすべきとされてきたし、『幸せ色の出産ラブストーリー』でも妊娠中は夫婦仲を良くするよう最大の注意を払ってきた。なぜなら、妊娠中に平穏で最低限の幸せが確保される生活を営んでいれば、お腹の赤ちゃんは脳を巧く形成しえて、出生後に健全な人格を形成することになるからである。

 胎内記憶の告白は、ただ子宮内という目に見えぬ生活のことを知ることができるのではなく、子供の人格形成に、実は母親こそが最も深く関わっているということが解って来るのである。だから、母親たちが自分の子供から胎内記憶の告白を受けると感動してしまうのである。自分の子供にただ肉体的な要素だけが遺伝していくのではなく、母親が持っている精神的要素までが継承されていくからである。

●三歳以前の記憶の消去

 3歳児になれば、その子の人格もほぼ形成され、喋ることも充分にできて、人間関係を構築していくこともできる。しかし、そのまま成長していけばいいのに、4歳か5歳までの間にそれまでの乳幼児期の記憶が消去されてしまうのである。だから誰も乳幼児の記憶がないわけである。

 なぜ、脳がこのような措置を取るのか、正確な所は解らない。ただ、乳幼児期の不要な記憶を消去することで、新たな人生を切り開こうとすることだけは確かなようである。乳幼児期の記憶をいつまでも持っていては、新たな情報が入って来なくなってしまうので、乳幼児期の記憶を消去することで、新たな記憶が入って来るように仕向けるのである。

 但し、これには例外もいる。記憶の消去のかかり具合が弱く、乳幼児期の記憶を大人になっても持ち続けてしまうのだ。作家の三島由紀夫なんかはその代表例で、「自分は出生直後の光景を見たことがある」と小説に書いたのだが、この文章は作家や文芸評論家から嘘をついていると散々に酷評されてしまったのだ。三島由紀夫を決して嘘をついているのはなく、記憶の消去が弱かったために、出生直後の記憶を持ち続けることができたのである。通常の人々では記憶の消去がなされてしまったために、出生直後の記憶なんて持ち合わせていないのだ。これは記憶の消去がどのように起こったかの違いでしかないのだ。

 現在の人間の教育システムでは、4歳児と5歳児向けには幼稚園を完備している。これは子供の脳の成長からいうと非常に適した教育の遣り方で、この時期から教育を施すからこそ、子供の脳はグングンと成長していくことができるようになるのである。3歳以前は親元で過ごしていればいいのだ。保育園というのは飽くまでも親の都合のために子供を預ける施設であって、子供の脳の成長からいえば、優れた施設ではないのだ。

 子供の脳が充分に成長していないのに、早期教育を施すことは非常に危険なのである。その反面、子供の脳が充分に成長したのに、教育を施さないことも非常に危険なのである。幼稚園はただ単に子供を預かる場所なのではなく、「遊びながら学ばせていく」ということをしておけば、その後の教育が非常に楽に成り、子供は高い知能を形成していくことが可能になるのである。

●人が成長することは嬉しくて、悲しくて、そして楽しいもの

 我が子が成長していくことは嬉しいものなのである。この嬉しさは他の物では代えようがない物なのである。赤ちゃんが成長していく喜びというのは、女性が経験できる喜びの中で最高レベルのものであって、この喜びがあるからこそ、女性は精神レベルを高くしていくことができるようになるのである。この喜びは女性が結婚せずに、仕事だけをしていては、絶対に得られない喜びなのである。

 それと共に、我が子が成長していくことは悲しさを伴うものなのである。母親であるなら、我が子に対して成長を願うと同時に、「いつまでも赤ちゃんでいてほしい」「いつまでも幼児でいてほしい」でいてほしいと思ってしまうものだ。それは育児をちゃんとこなして、幸せな日々を送っているからこそ、時間が止まってほしいと願ってしまうのである。

 そして、だからこそ我が子が成長していくことは楽しいのである。育児は一期一会だ。その一瞬一瞬はもう二度と帰ってこないのだ。 今、育児をしている時に全力を尽くす。自分が育児に全力を尽くしているからこそ、育児は楽しいのである。注意を散漫にして、育児に全力を尽くさなかったら、育児の本当の楽しさなど決して解らないものなのである。

 人間は人間が作りし物に騙されてしまう。自分の経験をそっちのけにして、演劇や映画やドラマや小説や漫画に虜にされてしまうのだ。いくらフィクションの中で遊んでも、現実の世界の方が圧倒的に面白いものなのである。育児をしていれば、色々な経験をすることだろう。育児は楽しいことばかりではない。喜怒哀楽を伴うものだ。しかし、そうやって育児をしながら、悪戦苦闘するからこそ、育児の本当の楽しさが解ってくるのだ。

 育児とはうのは、母親の心を変えて行ってしまうものだ。母親は子供を産み育てることで、人が生きていく喜び、悲しみ、そして楽しさを知るのだ。時には怒ったりもするし、落ち込んだりもする。そうやって育児をしていくからこそ、人の命の大切さを知るのである。こういう命の大切さは、実際に自分が経験してみないと解らないものなのである。いくら命の大切さを教えても、妊娠も出産も育児もしたことのない女性たちに解らせるのは無理というものなのである。たとえ「命の大切さを理解しました」と言っても、それは偽善の塊にしかすぎないのだ。

●人間は3歳までに親孝行を果たしているもの

 人間の子供は3歳児が最も可愛くなる時期である。子供が男の子なら、有り得ないような可愛さを発揮してきて、母親はメロメロになってしまうことだろう。この可愛さは他の人間には決して持たざるものだからだ。子供が3歳までは如何なる乳幼児も母親の独占物なのである。

 それゆえ、人間は3歳までに親孝行を果たしているものだ。だから、その後の人生で、我が子に親孝行を強いてはならないのだ。いくら自分が育児で大変な思いをしたとはいえ、それ以上の物を我が子はくれた筈なのである。育児に見返りなど求めてはならなのだ。育児は見返りを要求しないからこそ、育児たりえるのである。

 自分の子供に求めていい親孝行は、大人になったら結婚して子孫を絶やさぬようにすることなのである。自分が育児の楽しい思いをしたのなら、我が子にもそれを味わって、子孫を繁栄させていくべきなのである。子孫の多い家族というのは、それだけ育児の楽しい想いが継承さている家族なのである。

 子供は母親が育児で楽しんでくれないと、大人になっても結婚しないし、結婚したとしても子供を産まないという異常な行動を取ってくるものだ。いくら勉強やスポーツや仕事で頑張ったとしても、育児を超えるような楽しさはないものなのである。子供を産まなかった女性たちには、心の中にまともな愛がなく、どこか寂しげで、常に誰かに対して憎しみを抱いているものなのである。自分の母親が育児で楽しんでくれなかったツケが、こういう形で現れてきてしまうのである。

 人間の人生の中で、育児をしている3年間というのは、決して長い歳月ではないのだ。実際に育児をやってみれば、あっという間に過ぎ去ってしまう歳月でしかない。その歳月ですら楽しめないのであるなら、他のいかなることをやっても楽しむことができないことだろう。

 子供にとってはその3年間で人格の基本が形成されてしまう最も大事な時期のである。子供はその人格の基礎を元にして成長していくのである。3歳児の時に現れて来た性格は、その後の人生でそれほど変わらないものなのである。そういった意味で育児に於ける母親の役割は最重要であるのだ。こういうことはいくら政府が育児支援に乗り出しても、取って代わることができないものなのである。母親が性根を据えて、育児に向き合って、育児を楽しむしかないのである。女の人生が一本道なら、母親の人生だって一本道なのである。

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卒乳の時期

●卒乳と断乳

 乳幼児は一体いつ母乳と縁が切れるかというのは、「この時期です」と明確に定められないものなのである。母乳育児をすれば、子供は正式な食事が始まっても、長らく母乳を飲み続けるだろうし、母親としても母乳を与えることが子供との深い関係を築いてしまうものなので、そう簡単には母乳を与えることをやめることはできないのである。

 母乳育児で乳幼児を育てた場合、「卒乳」が理想的な形となる。卒乳とは子供の方が自然に母乳を卒業するこという。これに対してミルクで育てた場合、「断乳」が通常の形式になる。断乳とは母親が意図的に母乳を与えるのをやめてしまうことをいう。卒乳になれば時期は遅くなるし、断乳をするなら時期は早くなるのだ。

 母乳育児の場合、卒乳の時期は人それぞれなのである。「子供は母乳を飲むのをやめたくなったら、自然と卒乳する」という説明できない。2歳までは正式な食事を与えても、それ以降も授乳をし続けるのが一般的だろう。2歳代で卒乳する子もいれば、3歳代で卒乳する子もいる。

 幼稚園児になると母乳を飲むのをやめるという子供は多い。さすがに幼稚園児になれば、友達との情報交換が進むので、他の園児がやっていなければ、恥ずかしがって母乳を飲むのをやめてしまう。でも、幼稚園児でも母乳を飲んでいても構わない。幼稚園児が母親の乳房をしゃぶっている姿は、ミルクで赤ちゃんを育てて来た人には驚きの光景だが、別にそれがどういう問題を引き起こすのでもないのだ。どんなに遅い子供でも、小学生になれば自然と卒乳していくのだ。

 ミルク育児の場合は、出生後、早い段階でミルクに切り替えるので、断乳という方法を取るしかない。ミルク育児なら卒乳という選択肢は発生しないのである。それゆえ、子供がいつになったら母乳を飲むのをやめてくれるかという問題は、母乳で育てた母親のみに発生するのである。

●母親の都合で断乳しない

 折角、母乳で育てたのに、母親の都合で断乳しないことだ。多くの場合は医者から言われたからなのであるが、医者は母乳育児とミルク育児とではまるで育児の仕方が異なってしまうということが解っていないのだ。母乳育児を選択したのなら、母乳を与えていることに関して、医者のアドバイスを拒否することだ。

 医者たちが勧める断乳とは、オッパイに絵を描いたり、唐辛子を塗ったり、絆創膏を貼ったりと、滑稽極まりない幼稚な行為なのである。この手の断乳は、赤ちゃんは母親から拒絶されたと思うようになり、その後の育児に悪影響が出て来るものなのである。赤ちゃんの方がまだ母乳を飲みたいと言っているのに、無理矢理に断乳などすべきではないのだ。

 母乳育児の場合、2歳を過ぎて、離乳食が終わって正式な食事は始まれば、免疫学的にも栄養学的にはもう母乳は必要ないのである。では、なぜ母親が母乳を与えているかといえば、それは母性愛の発露からなのである。子供がオッパイを吸ってくれることで、自分の母性愛が刺激され、母性愛を与えてしまうのである。だから、本来は必要ないのに、いつまでも母乳を与え続けてしまうのである。

 卒乳の主導権を握っているのは、飽くまでも子供の方なのである。子供がオッパイを飲まなくても、母親からの母性愛をきちんと感じられるようになったら、子供は自然とオッパイを卒業していくのである。母親が主導権を握れるのは断乳の方であって、卒乳では握ってはならないのである。自然の流れに身を任しておけばいいのである。

 医者たちは母乳をいつまでも与えていると虫歯になるというが、母乳を飲んで虫歯になった子供などいない。それは歯磨き不足で虫歯が起こるのであって、母乳を与えることで起こるものではないのだ。母乳にはカルシウムが含まれているので、子供が母乳を飲めば、歯が健康になり、虫歯など1本もなくなるのである。寧ろ、母親の方が食事の際にカルシウムを摂取して、カルシウム不足にならないように心掛けることなのである。絶対に卒乳の振りをして断乳をしてはならないのである。

●授乳は最高の乳癌予防

 早すぎる断乳は乳癌を生むことになる。乳癌は乳管が詰まって癌が発生してくるのだが、折角、赤ちゃんを産んだのに、早くに断乳してしまえば、乳管を余り使っていないことになってしまい、そこが癌化して乳癌になってしまうのだ。人間の各器官は使わなければ劣化していくのであって、乳房も授乳で使わなければ、表面的には形は崩れていないだろうが、内部ではしっかりと劣化が始まり、そこは癌細胞の格好の棲家になってしまうのだ。

 授乳は最高の乳癌予防であるといっても過言ではないのだ。乳癌検査を受けるより、3人以上の赤ちゃんを産んで、母乳で育てれば、絶対に乳癌になどならないのだ。女性として生まれたのに、赤ちゃんを産まなかったとか、たとえ赤ちゃんを産んでもミルク育児をしてしまったら、その代償は自分が乳癌になることで支払うことになるのである。

 母乳をきちんと出していない女性が、乳製品を始めとする動物性脂肪を大量に摂取してしまうと、乳癌になる危険性が飛躍的に増大する。日本では近代化以前は牛乳を飲まなかったので、乳癌の発症率が非常に低かったのである。犬や猫、人肉すら食べて来た中国人たちは、あれだけ食に貪欲なのに、なぜか牛乳を飲んで来なかったのである。牛乳というのは、危険な食品であると解っていたからこそ、中華料理では乳製品を使用して来なかったのであ。

 乳癌の発症時期は40歳以降となってくるのだが、これは加齢による女性ホルモンの分泌量の低下で乳房に変化が生じたからなのである。女性は40歳代の或る時期から急激に女性ホルモンの分泌量が低下していくので、ただでさえ更年期障害に陥ってしまう。この女性ホルモンの分泌量の低下が乳房にも影響をもたらして、乳房の中に癌細胞を発生させてしまうのである。

 女性ホルモンは体を冷やす副作用を有しているので、赤ちゃんを産まずに母性ホルモンを出さなかった人は、慢性的な低体温になってしまっているので、癌細胞が増殖し易い環境を与えてしまっているのだ。癌細胞と言うのは、女性が平均体温である「36.5℃」であったら、増殖できないのである。体温が平均体温を下回るからこそ、癌細胞は増殖できるのである。

●母と子の絆

 子供のいる母親が、いつまでも母乳を与えるというのは、子供に母性愛を与えるためにも、自分が乳癌にならないためにも、必要なことなのである。更に親子の関係とは他人がとやかく言えないものであって、母親が子供に母乳を与えることによって、母親と子供との間に深い絆が結ばれ強まっていくのである。

 母乳育児を選択した母親が、卒乳の時期に悩むのは当然のことであって、母と子の絆が目に見えて存在してしまうからこそ、そう簡単には卒乳できないのである。こういうことは他人から何を言われても気にしないことだ。他人の意見を聞き入れた所で、その他人は自分に取って代わることなどできないのだ。飽くまでも我が子が自分の母乳を必要としているから、子供が大きくなっても与えていけばいいのである。

 卒乳は子供の方から自然と起こるものだ。母と子の絆がしっかりと結ばれて、子供の心の中が母性愛で満たされれば、子供は或る日突然に母乳から卒業していくものなのだ。卒乳する時は、子供の方も「これが最後だ」と解っており、男の子なら「これが最後だからね!」と勇ましく言ってから母乳を飲んで、それが最後の授乳になるのだ。女の子なら、もっと可愛らしく言って、母乳から卒業していくことだろう。

 自然な形で母乳から卒業させれば、その後の親子の関係も順調に成長していくことだろう。子供の方は自分は母親から拒絶されることなく、充分に受け入れられて育ったということは、その後の人生に於いて大きな自信となって、外に向かって成長していくことになるからだ。母親と子供が得体の知れないトラブルを抱えてしまうのは、実はそのトラブルの発生原因よりも、乳幼児に時に断乳を受けてしまい、母親から拒絶されたと思ってしまっているからなのである。断乳は子供の心の成長に非常に悪い影響を与えてしまうのである。

 赤ちゃんに初めて母乳を与える時は、自然と始まっていくものだ。初産なら出産後48時間経つと、乳房が膨らみ、初乳が出て来るのである。だったら、母乳育児が終わる時も自然の流れに身を任せて、母乳育児を終わらしていけばいいのだ。自然の流れに身を任しておけば、自然の内に終わるのである。それを理性の力を使って人為的に終わらそうとするからこそ、凄まじい問題が家庭内で発生してしまうようになるのだ。折角、母乳育児で育てて来たのだから、最後まで楽しい気持ちのままで終わらせてあげれば、大きくなった我が子に世界で最高の素晴らしいプレゼントとなるのだ。

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オムツ取り合戦と寝小便合戦

●「オムツからの卒業」

 「オムツからの卒業」は、もっと前に書いておくべきだったのだが、かなり遅れてから出すことにした。というのは、「オムツからの卒業」で最も苦戦するのは、紙オムツで育った赤ちゃんたちであり、オムツからの卒業が異様に遅れてしまうのだ。布オムツを使って赤ちゃんを育てれば、オムツからの卒業に苦戦することはないからだ。

 基本的にオムツは離乳食を開始する2歳前までに取れるものである。赤ちゃんは母乳を飲んで育っている時は、ウンチは臭くないのだが、離乳食を食べ始めると途端にウンチが臭くなり始めるからだ。しかも、二足歩行を開始すれば、オムツがあれば邪魔になるので、赤ちゃんの方も二足歩行ができればオムツを脱ぎたがるのだ。布オムツで育てたのなら、どんなに遅くても2歳前までに取れるものだし、多くは1歳代のどこかでオムツを卒業してしまうものである。オムツは自然としなくなるものなのだ。

 しかし、紙オムうで育った赤ちゃんはそうはいかないのだ。オムツからの卒業が、大幅に遅れてしまい、2歳代になってもオムツをしているものだし、下手をすれば3歳代になってもオムツをしているものなのだ。布オムツと紙オムツとではどうしてこれほどまでに差が開いてしまったのかというと、それはオムツの構造自体が違うからである。布オムツだと小便をするたびにその小便で膀胱に刺激が行き、赤ちゃんは常に泣かざるをえなくなるからだ。だが、紙オムツだと赤ちゃんが小便しても紙オムツが小便を吸収してしまい、そのために赤ちゃんは小便のたびに泣くことがなくなるので、どうしても膀胱の発達が遅れてしまうのだ。

 オムツが取れるのが、2倍にも3倍にもなってしまうというのは、育児をしている上で非常に大きい。布オムツは面倒臭いものでも、赤ちゃんのオムツが1歳代で卒業してパンツになってくれれば、赤ちゃんのシモの世話がなくなり、育児が途端に楽になるからだ。しかし、紙オムツは当初は楽チンなものであっても、いつまでもオムツの時期が続き、しかもそれだけ余計にお金がかさんでしまうのだ。

 オムツというのは、本来、二足歩行をすることには対応ができていない。オムツは寝たきりになっている者が使うものであって、赤ちゃんといえども二足歩行が始まれば、オムツは邪魔になるのは当然のことなのだ。それなのに2歳代や3歳代までオムツをしていれば、足や骨盤が曲がってしまうのは当然で、子供の頃には症状が出て来ないが、成長するにつれて、「椎間板ヘルニア」や「股関節痛」や「O脚」になったりするのだ。「ガニ股」もオムツからの卒業が遅かったためになってしまったものなのである。

オムツ取り合戦に参加するな

 ウンチをしっかりと便所でできるようになるまで、オムツは必要である。便所でウンチができないのに、絶対にオムツを取ってはならない。母親と子供の間で壮絶なバトルが展開されてしまうからだ。多くの新米ママは、他のママさんたちがオムツからの卒業を試みていることを知って、我が子の現状を無視して、オムツ取り合戦に参加してしまうのだ。

 布オムツで育て、母乳で育てているなら、排便の時期は母乳を飲ませた後だと解っているので、二足歩行が充分にできるようになったら、オマルを買って来て、母乳をあげた後にオマルに乗せて、ウンチをさせればいいのである。しかし、それでオムツが卒業できるのではなく、オシッコはまだまだなので、オシッコもオマルでできるようになったら、オムツは卒業である。

 俺は赤ちゃんがオムツから卒業するのは、このようなものだと思っていた。ところが紙オムツで育て、離乳食が早いとそうはいかないのである。離乳食を早くから食べさせると、ウンチの時間がランダムになってしまうので、排便の時間が正確に掴めないのである。だから、新米ママが赤ちゃんをオマルに乗っけて延々と待つということをしなければならなくなるのである。

 「トイレトレーニング」なるものが必要になるのは、紙オムツで育ててしまった赤ちゃんだけである。ウンチがままならないわけだから、その次のオシッコも巧くいかないものだ。オムツを穿いている時に、小便すれば膀胱を刺激するということをしなかったから、尿意を感じたら、少し待つということができないのだ。小便をしたくなれば、垂れ流しである。

 我が子を紙オムツで育ててしまった場合、オムツ取り合戦には絶対に参加しないことだ。紙オムツならオムツからの卒業が遅れて当然だからだ。トイレトレーニングを延々と行って、ウンチがオマルでできるように仕向けていくことだ。但し、オマルでウンチができたからといって、オムツを卒業させてはならない。オシッコはまだまだなので、パンツにした所ですぐにお漏らしをしてまうのだ。余所の赤ちゃんのことは気にせず、マイペースでやっていくことだ、

●昼のパンツと夜のノーパン

 オムツを卒業して、パンツにすると、四六時中、パンツでいていいわけではない。起きている時はパンツを穿いて、夜はノーパンでいいのである。パンツは母親たちが思っている以上に腰を締め付けてしまうので、睡眠中に骨盤が成長していかなくなるし、血液やリンパ液の流れをも悪くしてしまうのだ。大体、パンツを穿きながら寝かされている子供と言うのは、腰回りが非常に小さくなっているものだ。

 夜はノーパンで寝かせると、骨盤は充分に成長できるし、血液やリンパ液の流れもよくなるので、歩いている際に転倒しにくくなるし、風邪などの病気もひきにくくなるのだ。子供にパンツをつけさせた上で寝かしつけている母親は、自分のパンツをつけて寝ている筈なので、自分もパンツを外してノーパンで寝てしまうことだ。ノーパンで寝ると血流が良くなるので、睡眠中に老廃物や毒素が回収され易くなるので、便秘が解消されるし、お肌は艶艶になるし、体はスリムになっていくのだ。

 夜はノーパンだからといって、昼もノーパンではいけない。昼のパンツは動き易い物にして、小便をし易い物にすべきなのだ。オシャレなどは二の次なのである。子供はパンツの穿き心地が悪いと、すぐに脱いでしまうので、そういう時は無理に穿かせるのではなく、これは穿きにくいパンツなんだなと思うことだ。

 子供は成長が早いので、いつまでも小さいサイズのパンツを穿いておかないことだ。小さいパンツだと骨の成長に悪影響を与えてしまい、骨盤が充分に発達しなくなってしまうのだ。特に女の子の場合、腰には子宮や卵巣があるので、これらの大事な器官が正常に発達してくれなくなってしまうのだ。子供用のパンツは安い物なので、僅かなお金をケチらないことだ。

 女の子の場合、スカートを穿くとパンツを剥き出しにしてしまうので、お尻が冷えてしまうのだ。そのため子供ながらにして便秘をしてくるという事態になってしまうのだ。温かい日にスカートを穿かせるのは構わないが、寒くなってきたらズボンを着用させ、お尻を冷やさないようにすることだ。これをするだけでも便秘は一気に解消されていくのである。

●子供は寝小便をするもの

 子供がオムツを卒業し、パンツになってからするものといえば、寝小便である。これには散々手古摺ってしまうものである。そういうい時は「「子供は寝小便をするもの」と割り切ってしまうことだ。子供の方もこれは意図的に行ったわけではないので、子供が寝小便をしたら、別に叱ることなく、きちんと処理してあげればいいのだ。

 ただ、寝小便対策はしておきた方がいい。まずは、日中に体を動かして汗を流させ、就寝前に水分を補給させないことだ。寝小便は体内に余分な水分があるからこそ、してしまうのであって、体内に余分な水分がなければしないものなのだ。特に就寝直前に水分補給をさせないと、寝小便をしてくる確率は減るものなのである。

 次に体を温めさせることだ。寝小便する子供は体が冷えている傾向にあるので、食事で温かい物を取らせるとか、風呂に入って体を温めるとか、温かいパジャマを着させて寝かせると、寝小便の回数は減るものである。夏は意外と体を冷やしてしまうので、クーラーなどは余りつけずに暮らした方がいいのだ。夏といえどもあ風呂に入らせて、体を温めることだ。

 子供も大きくなってくれば、夜に小便の合図をするようになるので、そういう時は子供にきちんと付き合うことだ。母親としても眠たいから、「自分で勝手に行け!」と言いたくなるのは解るが、子供は暗闇が怖いので、便所に行けないのだ。それで寝小便をしてしまうのである。

 寝小便を頻繁に起こすようであるなら、「銀杏」を食べさせることだ。銀杏は夜尿症を防止するので、子供の寝小便には特に効果があるのだ。銀杏はそのまま食べるのではなく、「茶碗蒸し」にしてたべさせればいい。但し、子供にとっては銀杏は中毒症状を起こす危険性があるので、一日5粒以上を絶対に食べさせないことだ。子供なら銀杏は1個で充分なのだ。

 子供が寝小便をしなくなれば、親の手から離れていくものだ。子供は寝小便をしなくなれば、親から自立し始めていく。それまでが自分の子供が自分の子供らしくいられる期間なのである。それゆえ、寝小便しても激しく叱るようなことはせず、温かい母性愛で包み込んであげることだ。そうすれば、子供が思春期を迎えても、親に得体の反抗をしてこなくなるのだ。

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子供には熱中するまでテレビゲームをさせない ~恐怖のゲーム脳~

●ゲーム脳の恐怖

 子供向けのゲームソフトは、それを販売している日々企業が努力を行っているために、いかなる子供がやったとしても、面白くなるようにできている。勿論、子供も遊びでやる紛にはテレビゲームをやっても構わない。寧ろ、テレビゲームをすることで、脳が刺激され、脳を成長させていくことができることだろう。

 しかし、子供がテレビゲームに熱中し、毎日何時間もテレビゲームをやるようであるなら、それは非常に危険なことなのだ。脳の成長をもたらすどころか、脳を「ゲーム脳」にしてしまい、脳の成長を止めてしまうからだ。ゲーム脳になってしまうと、脳の前頭前野が弱体化し、創造力がなくなってしまうのだ。

 更に人間の脳がゲーム脳になってしまうと、現実への適応力を欠いてしまい、テレビゲームにしか対応できなくなり、現実の生活でのトラブルを爆発的に増加させてしまうのだ。子供の脳がゲーム脳になった所で、子供にとっていいことなど一つもない。せいぜい凶悪犯罪者の予備軍になってしまい、もっと大きくなれば凶悪犯罪を犯すような少年少女になってしまうことだろう。

 母親としては、子供がテレビゲームをやっていると静かにしてくれるので、遂々テレビゲームを与えてしまいがちだ。しかし、子供がテレビゲームをそこそこやるというストッパーを持ち合わせていないのだ。テレビゲームを遣り始めれば、とことんやってしまい、テレビゲーム中毒になってしまうのだ。

 子供の脳は未だ成長期にあるので、子供の脳がゲーム脳になってしまえば、その悪影響は甚大なものになってしまうのだ。どんなにテレビゲームを巧く使いこなしても、それ以外の分野では何もできなくなってしまうのだ。子供は人間関係の仕方を学ばねばならないし、自然との付き合い方を学ばねばならないし、子供らしい頭の使い方や体の動かし方をやらなければならないのだ。これらできなければ、その子供が異常化していくのは当然のことなのだ。

●キレる子供のメカニズム

 子供は一見いつも遊んでいるように見えて、実は本能を鍛えている。子供は食事で満腹になれば、それ以上の物は絶対に食わない。子供は眠たくなればどこでも寝てしまう。子供は便意を催すと、全力をかけて排泄しようとする。これらすべてのことが本能を鍛えるために重要なことなのだ。これらのことは子供が体を動かしているからこそできるのである。子供にとっては体を動かしながら遊ぶことこそ、子供の本当の仕事なのである。

 しかし、ゲーム脳になってしまうと、子供が遊びながら体を動かそうしなくなってしまうのである。だから、本能が弱くなり、感情的になるのだ。確かに子供は時たま感情的になるが、その感情は高が知れたものである。ゲーム脳を持つ子供が感情的になると、もう手のつけられないように感情の爆発を行ってくるのである。

 それに、人間は創造的なことをしていないと、理性が衰えてしまい。物事を論理的に考えるということができなくなるのだ。ゲーム脳は、要はゲームに対する条件反射で鍛えられたものであり、何か物事を深く考えているわけではないのだ。そのために理性が衰えてしまい、普通の子供なら理解できるものであっても、理解できなくなってしまうのだ。

 テレビゲームばかりしていると、行動を起こしていないから、意志が弱くなるのだ。いかなる物事というのは、それをやってみれば失敗の連続だ。何度も失敗して、何度も師試行錯誤を繰り返すからこそ、物事を成功させることができうのである。ゲーム脳になってしまうと、自分が行動を起こしていないのに、頭の中だけで処理してしまおうという性癖が身についてしまうので、何も成功することができなくなるのだ。現実というのは、テレビゲームのように行かないものなのである。

 ゲーム脳を持ってしまうと、感情が乏しく、口数が少なく、物忘れが激しくなる。明らかに脳が委縮してしまっているのだ。こういう子供は自己中心的にしか動けないから、すぐに人間関係でトラブルを引き起こしてしまい、それで感情を爆発させて、キレてしまうのだ。テレビゲームはやってみれば確かに面白い。しかし子供の脳がゲーム脳になるまでやらしてしまえば、本能が衰え、感情や理性や意志が弱体化し、テレビゲームしかできない子供になってしまうのだ。

●ゲーム以外で熱中できるものをやらせる

 テレビゲームほど日本人に悪影響を与えた物は他にない。一番解り易いのが、オリンピックでのメダルの獲得数である。日本でテレビゲームが普及し出すと、それに比例するかの如くに、メダル獲得数は現象の一途を辿ったのだ。このメダルの現象を、「日本人は白人よりも体力が少ない」という人種学的な説明をする人たちがいるものだが、ところが、韓国にしても中国にしても、人種的には日本民族と同じなのに、オリンピックでは善戦して、かなりのメダル数を獲得しているのである。明らかに日本国内で異常なことが子供たちに起こったからこそ、日本のメダル獲得数が激減していったんである。

 その異常なことはテレビゲームの普及以外にないのだ。子供が成長期なのにテレビゲームに熱中しているからこそ、脳や体を鍛えることができず、世界で全く通用しない子供になってしまったのだ。この成長期は二度と帰って来ないので、この時期に脳や体を成長することができなければ、どうやったとしても取り返しのつかないことになってしまうのだ。

 子供がテレビゲームに熱中するよりも、テレビゲーム以外で子供が熱中できるものをやらせることだ。子供は物覚えが早いので、熱中してやらせれば、途端に上達してしまうものなのだ。子供に芸事をさせてしまい、テレビゲームをしている暇をなくしてしまうのだ。そうすれば自宅にテレビゲームがあったとしても、テレビゲームを遊び程度しかやらなくなるものなのだ。

 子供が成長期なのに、テレビの前に齧りついていたら、健康に悪いに決まっているのだ。背骨は猫背になり、筋力を衰え、近眼になっていくことだろう。勉強をやって近眼になったのならまだ同情の余地があるが、テレビゲームをやりすぎて近眼になったら、そいつは余程の馬鹿である。

 子供にはとにかく体を動かさせることなのだ。体を動かしていれば、子供の体は健康に成って、成長していくのだ。子供に芸事を教えることがなぜいいかといえば、子供は芸事を覚えていくに当たって、どうしても体を動かさざるを得なくなってしまい、それが自然と健康に繋がり、成長へと繋がっていくからなのだ。

●19歳までは脳の成長期であることを忘れるな

 この世には大人にとって良くても、子供にとっては悪い物がたくさんある。例えば、「ポルノ」なんかいい例で、大人がポルノを見て性欲を刺激することは良くても、それを子供がやってまったら、途端に悪影響が出て来るのは当然のことだ。子供はまだ判断力が低いために、それを正しく使うということができないのだ。

 女の子なら成長期に化粧品を使いすぎてしまえば、人体に悪影響が出て来るのは当然のことなのだ。肌が成長を繰り返している時に、化粧品を使えば、ホクロやシミになってしまうのは当然のことなのである。素肌を晒しても充分に生きていけるのだから、それで生きていけばいいのである。

 母親は子供といつも一緒にいるために、子供に大人と同じことをやらしてもいいのではないかという錯覚に陥ってしまう。しかし、人間は19歳までは脳の成長期であることを忘れてはならないのだ。子供がテレビゲーム中毒になるかは、その子の親の責任であるのだ。子供には経済力がない以上、その子にテレビゲームを買い与えたのは、その子の親であるからだ。

 子供の心身を健全に育てたいのなら、子供を外で遊ばせることだ。子供は遊んでいる内に、脳も体も勝手に鍛えてしまうのである。子供をより健全に育てたいのなら、幼い内に芸事を習わしてしまうことだ。そうすればその芸事が身につくだけでなく、この世を生きて行く上での人間関係をしっかり学べることができるのである。

 結局、人間は外に撃って出て行かない限り、成長が止まってしまい、その内に心の闇に覆われてしまうようになるのだ。少年による凶悪犯罪が起こるたびに、精神科医たちがその少年の心の闇をなんたらかんたらと言ってくるのだが、その少年の心に心の闇を作ってしまったのは、その子にテレビゲームを与えてしまったその子の親であるのだ。

 子供がテレビゲームに熱中しているのは、異常なことなのだ。成長期には体を動かす遊びをしていくべきなのである。体を動かしていれば、心身ともに健全に成長して行くのである。子供がテレビゲームに熱中させるくらいなら、芸事を教え込んで体を動かさせるべきなのである。そうすれば、その子の脳を正常な形で成長させることができるようになるのである。

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いつの世も子供はアホだと決まっている ~育児を巡る加点主義と減点主義の戦い~

●無知だからこそ知る喜びがある

 嘗て、ジョン・ロックは「人間は白紙状態で生まれてくる」という説を唱え、すべての知識は経験から得られるとして、経験論に基づく哲学を作り上げた。しかし、赤ちゃんの生態が解ってくると、ジョン・ロックの学説は誤りということが明らかになった。赤ちゃんは生まれながらにして泣くこともできるし、オッパイを見つければ吸いつこうとする。そして赤ちゃんには生得観念なんてないと思われていたが、赤ちゃんは明らかに胎内記憶を持っており、ただそれを言葉で喋れるだけ発達していないということに過ぎないのだ。

 しかも、赤ちゃんは自分が「神の世界」から生まれてきたことを知っており、赤ちゃんの肉体は精子と卵子の融合によって出来たものであっても、赤ちゃんの霊的な部分については神によって作り出されたということを知っているのだ。神とか、霊魂とか、宗教とかは、人間が生まれながらにして持っているものなのである。

 ところが、人間は理性の力が強まってしまうと、人間が持つ本能レベルの能力や、生得観念や、宗教の力を否定しようとしてしまう。理性というごく小さな能力だけで世界を認識し、行動しようとしてしまう。これこそが大人と子供の最大の矛盾点であって、子供はまだまだ本能のままで生きており、理性の力だけに頼って生きているわけではないのだ。

 知識という面に於いては、子供は本当に何も知らないものだ。いつの世も子供はアホだと決まっているのだ。無知だからこそ、知る喜びがあるのである。だから、理性が徐々に発達する時期に、子供はなんでも知ろうとする。この貪欲に知識を吸収しようとし出すと、子供は恐怖の「クエスチョンモンスター」に変身してしまうのだ。

 我が子がクエスチョンモンスターに変身すると、とにかくなんでも質問してくる。このなんでも質問して来られると、親は散々に手を焼いてしまうのだ。質問自体が非常識な質問だからだ。例えば、子供から「風ってどうして吹くの?」と質問されたら、どう答えればいいのだろう? こんなことを質問してくる人は自分の身の周りにはいないものだ。「お前は古代ギリシャのソフィストか!?」と突っ込みを入れたくなるくらいだ。

 これを真面目に答えようとすると、「地球は自転しているから、基本的に風は東から西へと吹くんだ。そして太陽の日照時間は四季では異なり、夏は日照時間が長いから気温が高くなって南風が吹くようになり、冬は日照時間が短いために気温が低くなって北風が吹くんだ。風は動けば山や川や谷にぶつかるから、それによって風向きを変動し、しかも家やビルなどの人工物でも変動するから、かなりランダムな形で動くんだ。」という答えが模範解答になる。

 だが、子供がその解答を聞くと更なる疑問が湧いてきて、「どうして地球は自転するの?」と訊いてきたりする。「風はどこにいった? いきなりガリレオレベルに行くな!」と言いたくなるのだが、クエスチョンモンスターになってしまった子供には無意味な反撃である。このエンドレスで続く質問攻撃に、いかに博識の親といえどもヘトヘトになってしまうのである。

●近くにいると欠点しか見えなくなる

 この点、古代人は神様を使って簡単に説明したことだろう。「どうして風が吹くの?」と訊かれれば、「それは神様が風を引き起こしているからだよ」と答えればいいのだ。子供にとってはそれで満足なのだ。時代が下ると、神様だけでは足りなくなって、妖怪をも生み出して、子供の得体に知れない質問に答えたのだ。そうなると、妖怪といえどもも、決して馬鹿にできないのだ。

 要は、子供がクエスチョンモンスターになった時、科学的に答えてもいいし、宗教的に答えてもいいのだ。しかし、子供への受け答えを知っていないと、この手の質問にはうんざりしてしまうものだ。しかも、子供はクエスチョンモンスターになって知識を溜め込んでいくと、今度は恐怖の「謎々モンスター」に変身してくる。子供が考える謎々って本当に下らないものだ。「知識は力なり」と言われるが、子供は知識を持つと悪用し出すものなのだ。

 子供がこの世の疑問点を持ったり、謎々をしてくるのは、脳が成長した証なのではあるが、親の方としては単純には喜べないものなのだ。近すぎると欠点ばかり目についてしまうものなのだ。だから、子供が質問攻撃をしてきたり、謎々攻撃をしてくると、それを否定的に受け取ってしまい、子供の成長を否定するような行動を取ってしまうのだ。

 子供の質問攻撃にうんざりしている母親たちは、夫婦仲も相当に危険になっていると見ておいた方がいい。夫と近くにいすぎるために欠点しか見えなくなっており、夫の言動をも否定しているからだ。夫は夫で、仕事で頭の中を一杯にしているので、妻がネガティブモードになっていることなどお構いなしになっており、夫婦として危険な状態に差し掛かりつつあるのだ。

 近くにいればすべてのことを見通せると思ったら大間違いなのである。例えば日本の知識人の中には、日本に長く住んでいるのに、日本の悪口を言ってくる人たちがいる。かと思えば、海外に短期間留学した程度で日本の悪口を言ってくる人たちもいるのだ。ところが、現実の日本国は、政治的にも安定しているし、経済力はまだまだ豊かだし、治安だっていいのだ。日本に来る外国人が称賛するのは、「和食の美味しさ」であり、「都市の清潔さ」であり、「国民の礼儀作法の美しさ」なのである。日本の悪口を言う知識人たちは、日本の近くにいすぎるからこそ、日本の良さが解らなくなってしまったにすぎないのだ。

●欠点を指摘するより、長所探し

 子供の質問攻撃や謎々攻撃を受けてうんざりしている母親たちは、まずは子供から離れてみることだ。できれば、難病奇病を抱えた子供たちの姿を見て、我が子が健康に育ってくれていることに感謝すべきなのだ。自分が冷静になった上で、我が子を見れば、我が子の長所がきちんと見えてくるのだ。

 母親がネガティブモードになってしまうと、子供の欠点を克服しようと躍起になってしまうものだ。しかし、いくら欠点を指摘しても、子供は決して良くならないのだ。欠点を指摘するのではなく、長所を探し、その長所を伸展させてしまうと、その嫌な欠点を克服することができてしまうのである。

 子供の好きなことを、その子の得意分野にしてしまえばいいのだ。親が子供を褒められるものを人為的に作り出せばいいのだ。芸事なんてのも、習えば得意分野になるから、子供の頃から習い事をさせると、子供の欠点が気にならなくなってしまうのだ。長所を伸ばしていないからこそ、短所が気になって仕様がなくなってしまうのだ。

 育児に悩む母親たちの愚痴というのは、ひっくり返してみると、実は子供にとっては長所だったということもある。例えば、「うちの子はお喋りで~」とかいう母親がいても、冷静に考えてみれば、「その子供は饒舌である」ということなのだ。「うちの子はいつまでも遊んでいる」とかいう母親がいても、冷静に考えてみれば、「その子供は体力があり運動神経がいい」ということなのだ。「うちの子は遊んだ後の後片づけをしない」とかいう母親がいても、冷静に考えれてみれば、「その子供はきちんと遊んだ証拠であり、病気ではない」ということなのだ。

 物の見方を変えるだけで、実はその子供の長所が見えてくるものなのだ。健康に育ってきている以上、その子供自体に問題があるのではなく、その母親自体に問題があるのだ。ネガティブモードで子供を見ているから、ネガティブなことしか見えてこないのだ。まずはネガティブモードを捨てて、ポジティブモードにしてしまうことだ。そうすれば、ポッジティブなことしか見えてこなくなるのだ。

●最低基準と加点主義

 子供の脳を巧く成長させるためには、母親自体が「最低基準」と「加点主義」というものを持たねばならない。子供の成長に応じて、これだけはやってほしいという最低基準を設け、その上で子供の行為に対して加点していくのである。例えば、ご飯を食べる時は、「頂きます」と言い、食べ終わったら、「御馳走様でした」と言うように教える。その上で、嫌いな食べ物を食べたら、大袈裟なほどに褒めるのである。そうやって育児をしていくと、子供は脳を健全な形で高く成長させていくことができるのである。

 これに対して危険なのは、母親自体が「最高基準」と「減点主義」を持ってしまうことである。子供の成長を無視して、最高レベルのものを要求し、それができなければ減点していくのである。例えば、自分がピアノをひけないのに子供に無理矢理にピアノを教え、しかも子供がコンクールで優勝しないと、執拗に怒りまくるのである。こういう母親のもとで育つと、子供は委縮してしまい、「自分は駄目な子なんだ」ということを心に刻み込んでしまい、事実、その通りになってしまうのである。

 子供が可愛いのは、無知だからである。母親から見れば馬鹿な子供ほど可愛いのだ。なぜなら、馬鹿な子供ほど急激に成長する可能性があるからである。人間は他人が成長している姿を見ると心から喜んでしまう性向を持っているのだ。だから、自分の子供にそんな最高基準など要求せずに、もっと基準を落として、どんどん加点していけばいいのだ。加点していけば、子供の方も勢いづいて、グングンと成長していくことができるようになるのである。

 育児をしていく上で、子供には最低限のことは守らせろ。最低基準は誰でも守れるものだからだ。それができないと、いかなる子供であったとしても叱らざるを得ないのだ。しかし、子供に最高基準など要求しなくていいのだ。子供はそんなに高い能力を持っていないのである。それよりも最低基準を守ったなら、どんどん褒めていけばいいのだ。

 加点主義に立脚すると、我が子の人生は上り調子になる。減点主義に立脚すると、我が子の人生は下り坂になってしまうものだ。子供が質問攻撃をしてくるようになると、母親が加点主義に立つのか、減点主義に立つのか明確になってくるものだ。自分が子供のことを叱りつけているようであるならば、減点主義になっていると思った方がいい。子供が間違ったことをしたのなら、叱るべきことは叱るべきだが、それよりも子供のいい所を探して褒めまくることだ。その方が子供の脳は成長していくことができるのである。

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育児に非常に役立つ「爺力婆力の偉大なる力」

●お爺ちゃん、お婆ちゃんは、人生の経験者

 自分たち夫婦には、夫の両親と妻の両親がいるのだから、この連中を育児に於いて巧く使ってしまうことだ。子供の脳の成長にとって「お爺ちゃん」「お婆ちゃん」は非常に大事な役割を果たすのである。自分たち夫婦はいくら収入が高くても、未だ人生を経験している身である。しかし、お爺ちゃんお婆ちゃんは人生の経験者として自分たちを先行しているのである。

 現在進行形で物事を話すのと、過去形で物事を話すのとでは、全然違う話になってしまうのだ。育児に追われてしまうと、自分の子供に「あれをしなさい!」「これをしなさい!」と命令口調になってしまうものだが、育児を終えた人なら、「何々をしたいんだよね」「何々が欲しいの?」と子供の意見を尊重した話し方になるのだ。

 育児に真面目になりすぎている母親にとってみれば、祖母の遣り方は子供に対して甘い物に見えてしまうし、育児を経験した祖母にしてみれば、母親の遣り方は強権的で見ていられないのだ。この矛盾は解消せずに巧く利用していった方がいい。というのは、これは育児をしている者と育児をし終わった者との違いでしかないからだ。

 子供にしてみれば、自分の両親だけに育てられれば、「親とはこういうものだ」という短絡的な回路しかできあがらないが、お爺ちゃんやお婆ちゃんがいれば、親とは別にもう一つの違う考え方に接することができるのだ。これによって脳が急激に成長して、様々な発想が可能になってくるのである。

 自分がお腹を痛めて産んだ場合、自分の遣り方だけで育ててしまいたいという考えに陥ってしまがちだが、お爺ちゃんやお婆ちゃんがいるなら、巧く利用して育児に貢献させよう。自分たちだけの力では足りないものでも、「爺力婆力」(ジリキバリキ)を使ってしまえば、育児に於けるパワーは充分な物となって、育児が楽しいものになり、子供たちも成長していくことができるのである。

●親では話しきれない話をしてくれる

 育児をしている夫婦というのは若い者たちだから、どうしても同じ話を繰り返すということをしたくない。しかし、子供には何度も同じことを言わないと、脳に記憶されないのだ。そのため、母親が普通の大人のように、1回いえば解ってくれるだろうと思っていると、子供は何も解っていないので、母親が子供に怒りをぶつけてしまうことになるのだ。

 それに比べて、お婆ちゃんというのは、歳を取ったせいか、同じ話を飽きずにしてくれるのだ。これが子供の脳の成長にとって非常に大きな成果をもたらしてくれるのである。同じ話を何度もしてくれれさえすれば、いかに聞かん気の子供でも素直に聞いてくれるようになるのだ。要は手のつけらない子供というのは、この何度も同じ話をして、脳に記憶の回路を作ることができなかったからこそ、母親に対して拒否反応を示しているだけなのである。

 子供のいる父親は、今まさに働き盛りに突入して、妻子を養うために、一生懸命に働かなくてはならない。そのため子供との会話というのが、どうしても二の次になってしまうのだ。仕事で全力を使っているために、子供ときちんと会話をするということができないのだ。どうしても子供と他愛のない話をして終わりになってしまうのだ。

 その点、お爺ちゃんというのは、現役だとしても終わりが近づいているし、退職したのなら気楽に暮らしているものだ。そのために、子供にとっては基本的に似たような立場にあって、巧く会話することが可能になるのだ。子供にとって父親とお爺ちゃんの違いはなんといっても、語彙の豊富さである。生きて来た期間が長いために豊富な語彙を蓄積しており、それを口移しで覚えていくことが可能になるのだ。

 いくら両親が真面目に育児に取り組んでも、話しきれない話というのは出て来るものなのである。実際に育児をしている自分たちではなく、育児から離れた現場から意見を言ってくれる人々というのは貴重な存在なのである。子供の方にとっても、両親だけではなく、お爺ちゃんやお婆ちゃんがいるからこそ、ストレスを分散できて、気楽に生きて行くことが可能になるのだ。

●爺力婆力の有効利用

 自分たち夫婦の親が社会的に問題のある人とか、駆け落ちして結婚した場合などを除いてl、子供にとって祖父母がいるなら、それらを積極的に有効利用をしていくべきだ。嫁姑の争いという不毛な戦いを避けることだ。姑には子供を使って仲良くしていくことだ。きついこと言われても、子供のためだと思って辛抱することだ。

 爺力婆力の有効利用としては、育児を具体的に手伝って貰うことだ。自分たち夫婦が忙しい時には、祖父母に子供を預けて、自分たちの仕事に全力を投入してしまうことだ。祖父母はその間に子供と戯れて遊んで楽しめるし、自分たちも仕事を終えてしまうことができるのである。まさに一石二鳥なのである。

 もう一つは、子供を祖父母の家に行かせて、お泊りさせてしまうことだ。子供にとってはいい経験になるし、祖父母も楽しい思い出になることであろう。夫婦にとっても、子供のいない夫婦水入らずの日を人為的に作り出すことによって、夫婦愛を高めていくことができるのである。育児をしていると、会話のすべてが子供の話題になってしまい、夫婦で夫婦のことを話し合うことをしていないのだ。だから、たまには子供の話題は抜きにして、夫婦だけの会話を楽しめばいいのだ。

 親子3人だけで行楽に行くのもいいが、祖父母を連れていくのもいい。行楽の費用を祖父母が負担してくれる可能性が出て来るからだ。それと荷物などを持って貰えるので、行楽を充分に楽しめることができるようになるのである。子供がいれば海外旅行のような大掛かりな旅行をしなくても、近場に出かけることでも楽しめることができるものなのだ。

 子供にとっては、大人というのは、父親母親だけでなく、違う人たちもいて、その人間関係の遣り取りを学べる絶好の機会を与えてくれるのだ。この世は決して自分の思い通りに動いてはくれない。かといって自分の意見が全く無視されるということもない。人間関係を巧く使っていけば、自分の思いは適っていくのである。その訓練をする機会が多ければ多いほど、人間関係のテクニックが向上していくのだ。

●愛は親が育むもの、優しさは祖父母が育むもの

 子供は両親だけで育てられた子と、祖父母も加わって育てられた子では、知能の面に於いては祖父母も加わって育てられた子の方が高くなる。両親以外の大人たちに接したことによって、両親によって作られた脳の回路とは別に、祖父母によって作られた脳の回路が出来上がることによって、しかもそれが相乗効果を起こして、高い知能を持つことができるようになったのだ。

 両親だけに育てられた子供というのは、大抵、気性が激しい子供になってしまう。親が自分を思い通りに動かして来たために、自分の世の中を思い通りに動かそうとしてしまい、それが実現されないからこそ感情的に怒るようになってしまうのだ。即ち生きて行くために人間関係が下手だということであり、その後の人生で様々なトラブルを発生させていくことになるのだ。

 両親だけでなく、祖父母にも育てられた子供というのは、大抵が温和な子供に育ってしまう。両親だけでなく、祖父母の行動をも見ているので、この世は自分の思い通りに動くことはないが、人間関係を巧く使っていけば、自分のしたいことはできるようになるというのが解っているのである。即ち人間関係が上手なので、トラブルを未然に防止して、人間関係を円滑に進めていくことができるのである。

 愛は人に優しくすることもあるが、愛は必ずしも優しさにならないということなのだ。愛は親が育むものであり、優しさは祖父母が育むものなのだ。両親にとっては、子供の成長のことを考えて、愛を注ぎつつも、厳しいこともしなければならないからだ。母親が母親として落ち着くまで、子供に優しくできないものなのである。お婆ちゃんが孫に優しいのは、母親として成熟しているし、何よりも育児を終えてしまったからなのである。

 最近、若い女性に「好きな男性のタイプは?」と訊くと、「優しい男性が好き」と答えてくるものだが、それだけ人に優しくされることなく育ってきてしまったから、男性に優しさを求めるという頓珍漢な態度を取ってしまうのだ。女性であるなら男性には強さを求めるのが当然の姿なのである。祖父母から優しく接して貰えたのなら、男性に優しさなど求めて来ないものなのである。子供の頃に祖父母に優しくされてこなかったからこそ、男性に優しさを求めてしまい、その結果、男性に優しくされないと、すぐさま破局してしまうのである。

 子供というのは、親がいればきちんと育ってくるものである。しかし、親だけでは何かが不足してくるものなのである。その足りないものは他の人に補って貰うしかないのだ。祖父母が生きている内に、孫を連れて行って親孝行をしておくことだ。そういうことが祖父母を喜ばすことになるだけでなく、我が子の成長にも素晴らしい貢献を果たしてくれるのである。

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寝る子は良く育つ ~子供の脳は睡眠中に成長する~

●子供は長い睡眠を必要とする

 寝る子は良く育つ。頭のいい子供は良く寝るものである。充分な睡眠を取らないと、脳を成長させることがないからだ。人間の脳は睡眠中に成長していくので、子供の頃から大人になるまで、充分な睡眠を取っておかないと、脳を高いレベルまでに成長させることができないのだ。頭がいいから寝ているのではなく、寝ているからこそ頭が良くなっていくのである。

 人間の睡眠は人間にとって非常に重要な役割を果たす。まず「体の修復」という作業だ。人間は1日間活動すれば、それだけ体の各所が傷むので、それを睡眠中に修復するのだ。特に血液は睡眠中に生産されるので、睡眠時間が短すぎれば、途端に血液に異常が出て来て、難病を引き起こしてしまう。子供は自分の体の疲労には敏感で、疲れてしまうとすぐに寝てしまうので、子供が眠たくなった時は寝かしてしまうことだ。

 次に「体の成長」である。人間の体は睡眠中に成長ホルモンが分泌され、それによって成長していくことができる。睡眠時間が長ければ身長が高くなるし、睡眠時間が短かければ身長が低くなる。それほど睡眠時間の長短は人間の成長に甚大なる影響を引き起こしてくるのだ。脳も睡眠中に脳細胞が増えていくので、子供を寝かさないと、充分な知能を持つことができないのだ。

 第三に「脳の情報整理」である。人間の脳は睡眠中に不要な情報を捨ててしまい、必要な情報だけを集めようとする。だからこそ、昨日の晩飯ですら覚えていないことになってしまうのだ。それは必要のない情報だからだ。しかし、何か記憶に残るような情報なら、いつまでも覚えていることになる。これを毎日繰り返すからこそ、必要な情報だけを脳内に残していくことにより、高い知能を生み出すことが可能になるのだ。

 電灯が普及して以来、夜更かしをすることが可能になってしまった。ところが人間の体は夜更かしをするようには出来ていないのだ。特に子供の体は成長期にあるので、子供の頃に充分な睡眠を取らないと、ちゃんと成長できないというツケを支払うことになるのだ。子供がいるなら、子供を早くに寝かしつけてしまうことだ。子供に夜更かしなど絶対にさせないことだ。子供は充分な睡眠時間を取っていれば、高い知能を持った健康な体になることができるのである。

●最低必要睡眠時間は9時間、平均睡眠時間は10時間30分

 子供にとって最低必要睡眠時間は9時間である。子供には最低でも9時間の睡眠を必要とし、それ以上の睡眠時間も必要とするのだ。人間の睡眠時間は90分サイクルなので、9時間を超えると、次は10時間30分となる。子供の平均的睡眠時間は10時間30分である。それゆえ、9時間睡眠なら、午後9時に寝かしつけて、起床は午前6時となるし、10時間30分睡眠なら、午後9時に寝かしつけると、起床は午前7時30分となる。

 子供は最低でも9時間睡眠を必要とするので、この時間を下回ってしまうと、病気をし出して来る。子供に病気をさせないためにも、長い睡眠時間を確保してあげることだ。子供は単純なもので、ベッドに入れて、照明を消してしまえば、基本的に寝るものなのだ。巧く睡眠を誘導するテクニックを母親が身につけると、早くに寝てくれるようになるのだ。

 人間の睡眠時間のサイクルは90分なので、このサイクルを無視して、子供を起こすのには無理がある。子供は心地よく目覚めることができれば、早寝をするようになるので、下手な起こし方だけは絶対にしないことだ。目覚めの悪い起こされ方をしてしまうと、寝付きが非常に悪くなるのだ。

 睡眠時間が10時間30分になってしまうと、起床時間が非常に遅くなってしまうので、遂々焦ってしまい、睡眠サイクルを無視して起こそうとしてしまうのだ。最善の起床の仕方は、子供が自発的に起きて来るように仕向けることであって、睡眠サイクルから見て、起床時間だなと思ったら、カーテンを開けるなりして、太陽光の力で起こしてしまうことだ。母親が寝ている子供の体を揺さぶるのは最終手段だと思うことだ。子供の頃から母親に体を揺さぶられない限り起きれないこ子供は、中学生や高校生になったら、遅刻の常習犯になってしまうのだ。心地よく目覚めるという習慣を持っていないから、どうしても起床すること自体が苦手になってしまうのだ。

 子供は長い睡眠時間を取っている上に、更に「昼寝」もするので、1日の大半を睡眠ですごしていることになるのだ。とにかく昼食を食べ終わったら、昼寝をさせてしまうことだ。昼食後は丁度その日の午前中の疲れが出て来るので、昼寝をすることでその疲労を除去してしまうのである。そのため昼寝をする子供は病気に罹りにくくなるのだ。

 但し、子供の中には昼寝が苦手という子供もいるので、そういう子供を無理に寝かしつける必要性はない。そういう子供は夜間の睡眠が深いために、昼食後になっても体の疲労が出て来ないのだ。昼寝をしたくないのであるならば、無理に昼寝をさせないで、遊ばしておけばいいのだ。

●短眠族には気をつけろ

 この世にはいつの時代で短い睡眠を自慢する人たちが出て来る。この手の短眠族には気をつけておいた方がいい。人間は大人になっても基本的に7時間30分の睡眠を必要とするので、この睡眠時間を下回ってしまうと、自分の寿命を削りながら短眠を実現させているということになるのだ。

 短眠のツケは自分が働き盛りの時に如実に現れて来て、高い能力を発揮できないし、いつも精神的に不安定で、人間関係にトラブルを抱えてしまうのだ。人間は睡眠によって情報を整理するので、短眠族になってしまうと、知能を高くすることができないのだ。下らないことばかり覚えているということになってしまうのだ。

 短眠族は芸能人に多い。そのため芸能人は深い思索をすることができず、軽薄なお喋りが達者なだけに過ぎないのだ。芸能人の人気に騙されて、芸能人を凄い人物だと思ってはならない。テレビの視聴時間の長い子供ほど短眠傾向にあるものだが、矢張り芸能人を見て育つと短眠が感染してしまうのだ。、

 父親や母親が短眠族だと、子供にも短眠を押しつけてしまうので、絶対にそれだけはやめておいた方がいい。子供は脳も体も成長の真っ最中であって、この時期を逃してしまうと、取り返しのつかないことになってしまうからだ。両親が短眠族だと身長は低くなるし、頭は悪いし、中には目の下に隈を作っている子供もいるのだ。

 親の方は自分が子供の頃は長い睡眠をしていたという事実を忘れてしまっているのだ。大人になってから短眠族になれたとしても、子供の頃はそうではなかったのだ。子供は長い睡眠時間を取らない限り、健康的に成長していくことができないのである。親と子供の睡眠時間が違って当たり前なのだ。この事実を絶対に間違えないことだ。

●質の良い睡眠を得るために

 子供に質のいい睡眠を取らせるなら、日中に遊ばして、体を適度に疲れさせておくことだ。また、頭を使うゲームなどをやらせて、脳も適度に疲れさせておくことだ。子供は日中に活動していれば、夜になれば自然と寝てくれるのである。子供がなかなか寝付かないのであるならば、それは運動量が不足しているだけなのだ。

 牛乳には質のいい睡眠をもたらす物質が入っているので、夕食時に「ヨーグルト」や「チーズ」を出すとか、夕食後に「ホットミルク」を飲ますなりして、牛乳や乳製品をしっかりと取っておくことだ。これをやると深い睡眠を取ることが可能になるので、子供の寝付きも良くなるし、目覚めも良くなるのだ。

 子供は寝像が悪いので、パジャマに関しては特に気をつけることだ。意外と運動性能のいいパジャマにすべきだし、お腹が出ないようなパジャマにするべきだ。寝汗をかくので、普段着では絶対に寝かせないことだ。使用したパジャマは翌朝には脱いで、洗濯することだ。パジャマを洗濯もせずに連チャンで使用しないことだ。パジャマは1着だけではなく、何着か持っておくことだ。

 子供はベッドに連れて行ってもすぐさま寝ることがないので、リラックスした気分で、子供の話を聞いてあげることだ。子供は母親に自分の話を聞いて貰えると、安心するのだ。そして、絵本を読んで話を聞かせれば、子供は眠りについてしまうのだ。この辺りのテクニックは、毎晩、練習して腕を磨くことだ。

 子供が寝たら、それからは母親にとっての自由時間だ。子供に邪魔されず、自分のために何かをすればいい。それとも、子供と一緒に寝てしまい、早起きしてしまうのもいい。要は子供を早く寝かしつけてしまえば、自分の自由時間が確保されるということなのだ。「育児が大変で~」という母親たちは、この辺りの時間の使い方が非常に下手なのである。子供の寝かしつけは、毎晩ある作業なので、何度も工夫して上達させていくことだ。そうすれば、育児など簡単になっていまい、育児が楽しくなるのだ。

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天井の高い家は大物を産む

●日本人の身長と日本の家屋

 子供の知能の発達と自宅の天井の高さには深い関係がある。天井が高ければ知能が高く、天井が低ければ知能が低くなってしまう。天井の高い家は大物を産み易いし、天井の低い家は小物を産み易い。育児をする時は、自宅の天井の高さには充分に注意を払っておくことだ。

 そもそも日本の住宅と言うのは、床に座って生活することを想定しているために、天井が低すぎるのだ。しかも、現代の日本人の身長は、日本の歴史の中で最も高い身長になっているので、当然に日本古来の住宅に合わなくなってしまっているのだ。現代の日本人の身長に合わせた住宅を作っていかねばならないのである。

 現在の日本人の生活スタイルは室町時代に出来上がったものだ。室町幕府は意外と礼儀作法にうるさかった時代で、しかも室町時代には征夷大将軍になった足利義政が天才的芸術性を発揮して、「書院造り」という洗練された家屋を作ってしまったのだ。金閣寺は金持ちの悪趣味にすぎないが、銀閣寺はその洗練された美的感覚を散りばめた凄い作りになっているのだ。その室町時代の生活スタイルが、応仁の乱と共に全国各地に飛び火して、現在までに続いているのだ。

 しかし、室町時代は日本人の身長が最も低くなった時代である。気温が下がり続けたために農作物の収穫量が少なく、そのために身長が低くなり、しかも内戦を連発させたので、身長の高い人物たちが先に死んでいってしまったのだ。そのため、甲冑も鎌倉時代に比べて小さくなっているし、家屋も鎌倉時代の物より小さくなってしまったのだ。

 現在、借家住まいで親子3人でいるなら、いくらでも住居を変えることができるので、住宅を変える際は、天井の高い家というのを基準として加えることだ。身長が高くなり、しかも机と椅子の生活をしているために、天井の低い家ではまともな生活ができなくなってしまうからだ。父親が頭を下げて暮らさざるをえない家では、我が子が大きくなってきた時に、我が子も父親と同じように頭を下げて、身を縮めながら生活をせざるをえなくなってしまうのだ。そうなれば姿勢は悪くなるし、近眼にもなってしまう筈だ。

●思考は酸素量に比例する

 思考は酸素量に比例する。酸素量が多ければ多いほど、いい思考ができるというものなのだ。酸素量が少なければ、碌な思考しかできなくなってしまうのだ。自宅の酸素量は、天井の高い家ほど多く、天井の低い家ほど少ない。こんなこと既に解りきったことだ。そのことが人間の思考にまで影響を及ぼしてくるのである。

 人混みの多い都会ではアイデアが生まれにくいが、森林に囲まれた別荘では斬新なアイデアが生まれ易い。これも酸素量によって人間のアイデアに変動をもたらした結果なのだ。いくら都会が便利だからといって、いつも酸素量の少ない都会だけに暮らしていては思考が衰えてしまうのだ。たまには自然の中に入っていって、新鮮な空気を吸いまくって、体をリフレッシュさせることだ。

 因みに、俺はこの『幸せ色の出産ラブストーリー』を天井の高い場所で構想を練っている。仕事場になっているビルで、主に2階で書いているのだが、2階のフロアは3階の部分が吹き抜けになっているので、非常に天井が高くなっているのだ。1階でも机があるので、そこで構想を練ってもいいものなのだが、1階ではなんとなく構想を練る気がせず、資料置き場になってしまっているのだ。天井の高い2階だと、いくらでもアイデアが浮かんできて、ネタが尽きることがないのだ。

 天井の高い家は常に解放感がある。小さなことには拘らなくなり、重要なことだけに着目していくことができるようになるのだ。そのため、小さな家に住んでいると、母親は我が子の些細なことまで指摘してしまい、子供を委縮させてしまうのだ。しかし、大きな家に住んでいると、母親の方が些細なことを指摘しなくなり、しかも子供の方が重要なことしかやらなくなるので、母親が怒る回数が激減するのである。 

 特に冬は寒さのために窓を締め切ってしまい、その上に暖房器具によって酸素が奪われてしまうので、親子3人が自宅に居る時は思考力を低下させ、イライラしないように気をつけることだ。些細なことで我が子を怒鳴りつけてしまったり、夫婦喧嘩に発展してしまったりするからだ。冬は寒くても、きちんと換気をして、酸素量が少なくならないようにすることだ。

●空白のスペースがあるということ

 天井が高い言えば、居住面積も多い筈だ。そうなれば自宅の中に空白スペースがあるものである。この空白のスペースがあるということが、子供の知能の発達にいい影響を与えるのだ。自宅に空白のスペースがあれば、子供はその空白のスペースを埋めようとしてくるのだ。例えば、自宅が広ければ、いくらでもオモチャを置けるが、自宅が狭ければ、新しいモチャなど買えなくなってしまうのだ。

 自宅に空白があるからこそ、そこを埋めたくなる。だから、空白スペースは子供の想像力を掻き立てるのだ。新築の家で育つと想像力の逞しい子供に育つものだ。驚異的な知能指数の高い子供は、大抵が新築の家で育った子供たちである。なぜなら、自宅が古ければ家財道具で一杯になっているので、想像力を鍛える場がなくなってしまうのだ。せいぜい伝統的な生活を受け入れることしかできなくなるのだ。それに対して新築の家なら家財道具が少ないから、子供にとってはいくらでも想像力を鍛えることができるのである。それが知能指数の高さとなって現れてくるのだ。

 しかし新築の家が何もかも素晴らしいというのではない。新築の家を資金の問題で小さな家にしてしまい、それを家財道具で満杯にしてしまうと、子供が精神的におかしくなるのだ。子供は新築の家なのに想像力を鍛えることができないし、かといって伝統的生活を受け入れることもできないので、思考が異常な方向に行ってしまうのである。

 新築の家を建てる時は、資金を最優先して考えないことだ。多くの夫婦がこの遣り方をするからこそ、碌でもない住宅しか作ることができないのである。資金のことは一旦忘れて、自分たち家族がどのような家に住めば幸せに暮らしていけるかを考えることだ。その夢の実現のためにお金が要るのであって、そういう夢を思い描くことができれば、資金はついてくるものなのだ。

 新築の家は満杯にはしてしまわないことだ。どこかに空白のスペースを作っておくことだ。どうしても空白のスペースがない時は屋根を高くして、屋根裏部屋を設けて、そこを空白のスペースにしておけばいいのだ。物事というのは、完成すると同時に崩壊が始まるのだ。自宅のどこかを欠けさせて、未完成の家にしておくことだ。この配慮こそが家族に幸せをもたらすのだ。

●気付いてみれば、都会は小物ばかり、田舎は大物ばかり

 現在、マスコミは「貧富の格差」を煽っているが、貧富の格差よりも恐ろしいのが、「天井の格差」なのだ。現在の日本はデフレ経済なので、物価は下がり続けているので、いくら低所得者でも贅沢をしなければ暮らしていけるのだ。低所得者なのに、1日3食の食事を取ったり、新聞を定期購読したり、働きもせずにテレビを見ているからこそ、いつまでも貧乏なのである。食事は1日2食にし、新聞を読むのをやめ、テレビを見ている時間を労働する時間に充てたら、貧困は克服されていくものなのだ。

 しかし、天井の格差は貧富の格差を超越して、襲ってくるものなのである。都市部では地価が高いために、しかも建築基準法や様々な規制があるために、大きな家をきちんと作っていくという発想ができずらくなってしまったのだ。ワンルームマンションなどは絶対に禁止すべきであるし、家族用のマンションならクローゼットや納戸などない住宅は絶対に禁止すべきなのだ。いくら高額所得者でも、粗悪なマンションンに住んでる人たちは多々いるものなのである。

 貧富の格差はいつの時代でもあるのだから、その格差を無謀にも解消しようとするのではなく、お金持ちたちが立派な家屋に住んで、優雅な暮らしをすべきなのである。金持ちたちがそのような生活をしていれば、お金が世の中を巡るようになって、貧乏人たちにもお金が巡ってくるものなのである。しかも、貧乏人たちにとっては、自分が豊かになった時に、どのような生活をすればいいかが解るようになるので、勤労意欲が湧いてくるというものなのだ。

 都会にはお金が豊富にあるのだから、住宅も大きな物にすればいいのに、国会議員や学者やマスコミたちが貧富の格差を是正しようと躍起になっているために、お金があるのに狭い住宅に住んでいるのだ。だから都市部で育ってくる人間はみな小物ばかりなってしまっているのだ。大志を抱かずに、堕落的な快楽に溺れて、退廃の極みに達しているのだ。

 それに比べて、田舎では貧富の格差に気兼ねすることなく、住宅を大きくすることができるので、大物が生まれて来易いのだ。特に北海道のように寒さの関係上、どうしても住宅を大きくしなければならない地域では、当然に大物が生まれて来易いのだ。このまま行けば、北海道から救国の英雄が生まれて来て、いずれ日本は北海道出身者たちによって歴史を大きく変革させられることであろう。

 嘗て日本史には住宅の変動こそ、時代の変革に繋がったということがあった。戦国時代は近畿が政治的にも経済的にも優位に立っていたのに、近畿圏外の尾張から織田信長が起こって来て、時代を変革させられている。尾張では戦争が続いたために、古い住宅が破壊されてしまい、新しい大きな住宅を作ることができたから、大物たちが続々と出現してきたのだ。

 明治維新では古い江戸の街並みの中に、西ヨーロッパ風の建物を建設していくことで、江戸時代では見られなかったような優秀な人材を生み出していくことが可能になったのだ。これが近代日本の発展を支えたのである。江戸幕府は庶民向けに都市政策をすることがなかったが、これだけ人口が密集して住むなら、政府による都市政策は絶対に必要なのである。

 だからこそ、「都市部は住宅を大きくし、天井を高くすべし」なのだ。小さな住宅や天井の低い家は取り壊していき、大きな住宅や天井の高い家を作っていくべきなのだ。日本の首都である東京にしても、その街並みは余りにも汚すぎる。今では世界一美しい首都であるといわれるパリも、その昔は非常に汚い街並みで、それをフランス帝国皇帝ナポレオン3世の政権の時に現在のように美しい街並みに作り変えているのだ。美しい都市を作るためには、強力な政権が必要だということだ。生活は個人レベルで解決できるものでも、都市政策は個人レベルではどうしようもないのだ。我々は「日本の首都を世界一美しい首都にする!」という目標を持った、強力な政治指導者を選び出し、その者に都市計画を実行させるべきなのである。そうすれば、日本の首都は世界一美しい首都になることができるのである。

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食事の習慣と運動の習慣で子供の脳を発達させよ

●栄養バランスが整うと礼儀作法も整う

 子供に与える栄養バランスが整うと、脳がきちんと成長できるようになるので、精神が安定化してくる。精神が安定化してくれば、育児は非常に楽しいものになってしまう。しかし、子供に与える栄養バランスを欠き、脳がきちんと成長できないと、精神が不安定化してくる。精神が不安定になれば、育児は苦しみだらけになってしまう。幼児であるならば、母親が与える食事で大いに変動してくるので、とにかく栄養バランスの整った食事を出すことだ。

 子供に栄養バランスが足りているのか否かが一発で解る基準がある。それは食事の際の礼儀作法がきちんとできているか否かだ。子供は親の食べている姿を見よう見真似で真似ていくので、栄養バランスが悪い場合、両親自体が礼儀作法を守らない食事をしているので、子供がすぐに悪い礼儀作法を真似てくるのだ。食事の際に子供の礼儀作法が悪い場合、子供だけが悪いのではなく、その親も相当に悪いのである。

 我が子にきちんとした礼儀作法を守らせたいのなら、栄養バランスの取れた食事を作って、食事の際に礼儀作法を守ることは、この食べ物を作ってくれた人や、この料理を作ってくれたお母さんに感謝を捧げることなのだということを教え込むことだ。「感謝をしないと食べられないんだよ」と教え込んでしまえば、子供は真面目になって礼儀作法を守るものなのだ。

 食事はただ礼儀作法を守って料理を食べればいいのではなく、会話をして情報交換をきちんとしておくことだ。会話は母親が話そうとしない限り、子供は話して来ないものだ。日常の些細なことを訊いたりして、話を引き出して、話を盛り上げていくことだ。子供は頓珍漢な返答をしてきたとしても、それを切っ掛けに笑いを取ってしまえばいいのだ。そうすると会話が弾み、子供も食べ物に好き嫌いなく食べることができるようになるのである。

 食事の際の会話を楽しいものにするためにも、料理を食べる時は音を立てて食べないことだ。食事で音を立てて食べると、どうしても会話が盛り上がらなくなってしまうのだ。しかも、音を立てて食べると、食べ物と一緒に空気が入ってしまうので、消化吸収にとって非常に悪いのだ。日本人には胃に関する病気が多いのだが、これは音を立てて食べる習慣があるからなのである。

●良く噛む習慣こそ脳を鍛える

 食べ物を口に入れた際は、一旦箸を置いて、一口三十回以上噛ませることだ。良く噛む習慣こそ、脳を鍛えることになるからだ。幼児は母乳を飲む習慣がまだ完全に抜けきっていないので、食べ物を噛まずに飲み込む習慣を取ってしまうのだ。そのため、母親が人為的に咀嚼の習慣を覚え込まさないと、どうしても食べ物を噛まずに飲んでしまうのだ。

 子供の好きな食べ物は、「カレーライス」や「ハンバーグ」のように別に大して噛まなくても、飲み込めてしまう料理なのだ。子供が好きだからといって、柔らかい料理ばかりを出していたら、咀嚼する習慣を身につけてくれなくなるのだ。子供のためにも、敢えて咀嚼せねば食べられない料理を出すことだ。

 白米や白パンは固くないので、子供はどうしても噛まずに飲み込んでしまうのだ。白米ではなく玄米、白パンではなく黒パンを勧めるのは、何も栄養価がいいだけでなく、咀嚼しなければ食べられないからなのだ。無精白穀物であるなら、咀嚼しない限り食べることはできないのだ。

 充分に咀嚼できるためにも、食事の時間を長めに設定しておくことだ。食事の時間が短いからこそ、子供は充分に咀嚼をせずに飲み込んでしまうので、食事の時間を長めに確保しておけば、咀嚼してくれるようになるのだ。とはいっても、日中は慌ただしいので、朝食や昼食は量を少な目にして、後は就寝しかないという夕食を豪華にすれば、子供は咀嚼してくれるようになるのである。

 食事で固い食べ物を出すと同時に、食事以外の時にガムを噛ませることだ。ガムを噛むことによって咀嚼していれば、自然と顎は鍛えられ、脳に大量の血液が流れ込み、脳を発達させることができるのである。ガムは勿論シュガーレスタイプの物で、絶対にガムを飲む込まないようにさせ、噛み終わったガムは銀紙に包んで捨てる習慣をつけさせることだ。子供の脳の成長期にガムを噛ませることは、脳の発達のために甚大な効果をもたらしてくれるのである。

●運動の習慣

 子供は栄養バランスが整い、礼儀作法を守って食事をし、良く噛んで食べるようになると、きちんと運動をするようになる。子供がはしゃぎ回るのは、要は体が軽いからこそできるのであって、子供の頃はとにかく運動しまくるものなのである。その大切な時期に、外で遊ばず、自宅で遊ぶような子供であるなら、それは栄養バランスが非常に悪いということなのである。子供はとにかく外に連れ出して遊ばせることだ。遊んでいれば自然と体の各機関が鍛えられ、充分な体力を持つことができるようになるのである。

 脳の発達ばかり注目するのではなく、「体力が脳力を作り出す」という視点を持つことだ。体力がありさえすれば、自然と脳は成長していくことができるのである。子供の体力を鍛えずに、脳だけをいじくっても、それは不自然な成長しかしてこないものなのである。脳の成長と体の成長はセットなのだということを決して忘れるべきではないのだ。

 子供を外で遊ばせておけば、日が暮れる頃にはお腹をすかせてくるので、それから夕食を作れば、子供は好き嫌いを言うことなく、出された物をちゃんと食べてくれるようになるのだ。子供が食べ物の好き嫌いを言うようであるなら、ただ単に運動不足なのだと思った方がいい。空腹になれば、嫌いな食べ物でも食べざるをえず、結局、その嫌いな食べ物を克服してしまうのである。

 子供は2歳や3歳の時点で急激に脳を成長させてくるので、この期間に体がヘトヘトになるまで体を動かしてあげると、脳はよりレベルの高い成長を遂げることができるようになるのである。子供と一緒に外出して、帰りには子供は疲れて寝てしまうというのは、親として理想の外出なのである。

 子供がいると、子供を連れてハイキングに行きたくなるものであるが、これは親の方が無意識レベルで子供を鍛えたいと思っているから、どうしてもハイキングに行きたくなってしまうのだ。そういう時は、子供を連れてハイキングに行ってしまうことだ。ハイキングに行けば、子供は日常生活での運動量を遥に超えて、体力を充分に発達させることができるのである。

●「タダの大人に終わる神童」と「後世に名を残す神童」

 人間の脳力というものは大抵がスタートダッシュで決まってしまう。才気煥発な人は、子供の頃から才気煥発な子供だったのである。勿論、例外もあっても、子供の時は馬鹿でも、大人になれば突然に脳力を発揮してくる人もいるし、逆に子供の時は神童でも、大人になればタダの人に終わってしまう人も出て来る。

 19歳までは脳の成長期に当たるので、いくら幼児の段階で頭が良くても、小学生の頃にきちんとした基礎教育を受けねばならないし、中学生や高校生の頃は不良の道に走らず、自分で努力して勉強する習慣を身につけないと、高い知能を持つことはできないのである。

 だから、子供の頃に馬鹿でも、中学生や高校生になって一念発起して、自分で勉強する習慣を身につければ、高い知能を持つことができるのである。逆に子供の頃は神童でも、小学校の基礎教育の仕方が悪かったり、中学生や高校生の頃に遊び呆けてしまえば、タダの大人になってしまうのは当然のことなのである。

 子供の知能のために、親が出来ることというのは、本当に基礎的なことだけなのである。子供に栄養バランスの整った食事を出し、食事の際は礼儀作法を守らせ、会話をきちんとさせ、咀嚼の習慣を持たせ、思いっきり運動させることなのである。こうしておけば、母親として最低限の役割は果たした筈なのである。後は学校や本人に任すしかないのである。

 母親が食事と運動を軽視すると、子供の頃は神童であったとしても、大人になればタダの大人になってしまうのだ。栄養バランスが崩れていたり、礼儀作法が悪かったり、会話を充分にすることなく、良く噛まずに食べたり、運動をしないような人だと、年齢が上がるごとに馬鹿になっていくのだ。

 これらのことは、大人になっても非常に重要なことなのだ。栄養バランスが崩れてしまえば、大した能力など発揮できないのである。礼儀作法を守らなければ、会話が弾まないので、情報不足に陥ってしまう。良く噛まずに食べていれば、脳が鍛えられないので、思考が硬直化していくのだ。そして仕事いうのは、最終的には体力勝負になるので、運動不足になってしまえば、仕事で敗北することが確実になっていくのだ。

 我が子を健全に育てたいのなら、まずは親の方が健全な生活を営んでおくことだ。正しい食事の習慣や運動の習慣を持っていない親に、まともな育児ができるわけがないのだ。親が正しい食事の習慣や運動の習慣を持っていれば、子供は自然とその習慣を受け入れてしまい、高い知能と強靭な体力を持つことができるようになるのである。

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子供の知能を高くする「賢脳食」

●脳は脂肪でできている

 我が子を頭のいい人間の育て上げたいのなら、ただ単に漠然と願っていては実現しない。我が子に賢脳食を食べさせることによって、我が子の脳を賢いものに仕向けてはいかねばならないのだ。人間の脳は19歳まで脳そのものが成長していくので、幼い時から賢脳食を食べさせていたら、その子は賢い脳を持てるというのは当然のことなのだ。

 まず、脳は脂肪で出来ているというこを知っておこう。女性は肥満を気にする余りに、脂肪を目の仇にしてしまうのだが、脂肪を極端に減らす食事は脳に非常に悪い食事になってしまうのだ。しかも、脂肪は炭水化物よりも高エネルギーを発してくるので、この脂肪を食べないと、どうしてもパワーが出て来なくなってしまうのだ。毎日の食事で適量の脂肪を摂取していくことが、脳そのものの容積量を増やすことになるのだ。

 脂肪は「植物性脂肪」と「動物性脂肪」の2つがある。大まかに言ってしまうと、植物性脂肪は安全で、動物性脂肪は少量なら対応できるが、大量に食べてしまうと危険な脂肪である。脳の容積量を増やしたいのなら、せっせと植物性脂肪を摂取していくことだ。植物性脂肪は「クルミ」「アーモンド」「ナッツ」「落花生」「アボガド」「豆類」「植物油」などに多く含まれている。特に豆類は高品質の植物性脂肪なので毎日に食事に必ず出すようにすることだ。木の実類は常に自宅に確保しておいて、食後にポリポリと食べさせればいい。

 植物油は「オリーブオイル」がお勧めである。オリーブオイルは木の実を絞って出来た油なので、植物油の中で最も品質がいいのだ。オリーブオイルを多目に使う食習慣を確立しておけば、脳にとって非常にいいのだ。古代ギリシャ人たちはオリーブオイルを大量に食べることで文明を起こしたことを決して忘れるべきではない。その他の油は「ゴマ油」「菜種油」「紅花油」などがお勧めである。油の中で「サラダ油」は絶対に使用しないことだ。この油は危険な油なので、血管をボロボロにしてしまうのだ。

 動物性脂肪は「魚の脂」「玉子」「肉の脂肪」「牛乳」「乳製品」などである。動物性脂肪の中でも、魚の脂は最も安全なので、魚を大量に食べさせて行くことだ。玉子も子供の時分から食べさせておくと、頭がいい子供になる。肉の脂肪は野菜をきちんと取っているなら、それほど心配するものではない。但し、霜降り肉のように人為的に脂肪を多くしてある肉は危険なのである。肉の中にビタミンが極端に少なくなっているので、この肉を食べ続けていると、若くして動脈硬化が起こりかねないのだ。

 牛乳はカルシウムが多いだけでなく、牛乳の中にある脂肪が腸内での進行を遅くしてくれるために、牛乳の栄養分の多くを吸収させてくれるのである。だから、牛乳を飲むと身長が高くなるのである。牛乳をそのまま飲ますより、より進行速度が遅くなる「ヨーグルト」にした方がよりいいのだ。それ以外にも「バター」や「チーズ」を食べると、脳の容積量を増やすことができる。

●脳のエネルギーは炭水化物

 脳のエネルギーになるのは炭水化物である。炭水化物も無精白穀物が最も優れたエネルギーになる。無精白穀物に含まれるビタミンやミネラルが、炭水化物を消化吸収する際に体に異常を起こさずに脳に送られることになり、しかも長時間に亘って血糖値が高く持続するので、脳が安定的にエネルギーを確保し続けることができるのである。炭水化物を脳に送るためには、ビタミンB1が必要となるので、無精白穀物とビタミンB1をセットにした食事を取ればいいのだ。

 お勧めは「押麦入り玄米食」と「味噌汁」のコンビである。押麦と玄米を半々の割合でいれると、最も栄養バランスが整うので、玄米だけを食べるより栄養価が高くなるのだ。そこに味噌汁を持って来れば、完璧な食事となるのだ。味噌汁は大きなお椀に入れて、多目に飲ますことだ。その方がビタミンB1を確保できるので、脳が高度に機能し続けることができるようになるのである。

 パンを食べるなら、「黒パン」と「チーズ」のコンビがお勧めである。白パンは精白穀物を使っているから危険なだけでなく、脱脂粉乳を使っているので、より危険なのである。脱脂粉乳は基本的に家畜の餌なので、人間が食べるべきものではないのだ。日本では長らく牛乳を飲む習慣がなかったために、酪農の常識を完全否定する野蛮なことをやってしまうのだ。黒パンを作っているようなパン屋は本格的なパン屋なので、その店で安全性の確保されたパンを購入することだ。

 麺類は米食やパン食ほどに拘らなくてもいいが、できれば「黒パスタ」「玄うどん」「玄蕎麦」を食べるようにすることだ。オリーブオイルをしっかりと絡めた黒パスタを食べると、頭の回転はまるで違ったものになって来るものなのだ。麺類の中でも最も頭を良くするのは、「お蕎麦」なのであって、お蕎麦は定期的に食べておいた方がいい。但し、お蕎麦の料理はビタミンB1が不足しているので、お蕎麦と共に豆料理を出してビタミンB1を補っておくことだ。

 お菓子を作る際は、「黒砂糖」や「蜂蜜」や「メイフルシロップ」を使うことだ。これらの甘味料を使っていれば、子供の脳も健全に成長していくことができるのである。白砂糖こそ子供の脳を破壊する危険な甘味料なので、絶対に避けることだ。子供の頃から安全なお菓子を食べていれば、危険な甘味料を使ったお菓子を食べても何か不自然に感ずるようになって、余り食べなくなるものなのである。

●頭の回転を良くするレシチンとグルタミン

 子供の頭の回転を良くしたいのなら、「レシチン」を食べさせることだ。レシチンは脂肪で脳細胞や神経細胞を増加させる重要な役割を果たす。レシチンをしっかりと食べておくと、記憶力が増大するので、子供特有の物忘れの激しさもなくなってしまうのだ。レシチンは「大豆」や「玉子」や「ゴマ」に含まれているので、毎日の食事に出すようにしておくことだ。

 因みに、関東勢が関西勢を圧倒することができるようになったのは、納豆を大量に食べ続けたからなのである。昔は農家では納豆を作ったものだし、都市部でも納豆屋が納豆を売りに歩いていたのだ。いかに関東の人たちが納豆を食べたかが解る。納豆は発酵させてあるので、レシチンの吸収がよりよくなるので、非常に頭が良くなるのである。

 「グルタミン」も脳の燃料になり、脳の疲労物質を取り除く重要な役割を足すことになる。グルタミンは蛋白質で、知能を高くする機能をも兼ね備える優れた蛋白質なのだ。グルタミンは小麦に多く含まれているので、小麦を多く食べると、自然に頭が良くなる。お米にはグルタミンが少ないので、お米を食べている人が、小麦を食べている人と争っても、知能の面で絶対に負けてしまう。古代四大文明はすべて小麦を食べて民族によってつ作られたという歴史的事実を決して忘れるべきではない。

 グルタミンは小麦の他に、「お麩」「海藻」「大豆」「ゴマ」「アーモンド」「落花生」に含まれている。ワカメの味噌汁にお麩を入れれば、最強のグルタミンスープの出来上がりだ。ご飯を食べる時は、擦りゴマをかけて食べるようにすれば、知能を高くすることができる。アーモンドや落花生はオヤツの時に出してたべさせればいい。

 解り易く言うなら、植物性脂肪や植物性蛋白質の方に、実は頭を良くする栄養が含まれいるということだ。動物性脂肪や動物性蛋白質は、高エネルギーを発してくるために頭が良くなったような錯覚に囚われてしまうが、ただ単に高エネルギーによって脳の活動を活発化させただけであって、知能が高くなったわけではないのだ。知能を高くしたいのなら、せっせと植物性脂肪や植物性蛋白質を摂取していくことだ。

●定期的に夕食を適度に栄養過剰にすること

 個別的な栄養学的知識とは別に、食事パターンを巧く使って、子供の知能を高めてしまうことだ。朝食や昼食を大量に食べさせても、日中の活動でその殆どのエネルギーが消費されてしまうものだが、夕食は食べてしまえば後は寝るだけなので、その食べた物がそのまま体の修復や成長に使用されるのだ。

 それゆえ、定期的に夕食を適度に栄養過剰にすることだ。飽くまでも定期的に適度の栄養過剰にするのであって、本格的に栄養過剰にしてはならない。要は朝食や昼食は少なくても構わないが、夕食だけを多目に摂取しておけば、体に無理をすることなく、知能を高めさせることができるのである。

 時たま、夕食だけは「高炭水化物」「高脂肪」「高蛋白質」にしてしまえばいいのだ。それだけ栄養過剰になっているので、野菜を多目に摂取してビタミンも過剰にしておくことだ。こうすると、過剰な栄養が体の修復のために使われるエネルギーを上回って、体の成長のために使用されるのだ。

 子供は食事を食べ終えても食休みをなかなかしてくれないので、夕食を大量に食べさせることで、食休みをしてくれるように仕向けるのだ。食後に15分以上は休んで貰わないと、胃や腸に血液が充分に送られず、消化がきちんとなされないのだ。食休みをしっかりと取っておけば、消化がきちんとなされ、より高いレベルで吸収がされるようになり、体は高い栄養素を持つことができるようになるのである。

 我が子に頭が良くなってくれることを願っているのに、自宅ではジャンクフードを食べさせ、白砂糖を使ったお菓子を食べさせていては、子供は知能を高くすることができないのだ。母親が我が子に最大限できることは、安全な食事を与えるということなのである。安全な食事を食べていれさえすれば、知能を高めていくことができるのである。できれば賢脳食を与えれば、驚異的に高い知能を持つことができるようになるのである。我が子の高い知能は母親の母性愛なくして決して生まれて来ないのだ。

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我が子の頭を良くさせたいのなら、空腹を味合わせよ ~空腹は知能を発達させる~

●満腹は頭を悪くする

 自分の子供を賢い人間に育てたければ、空腹を覚えさせることだ。人間は空腹になれば頭が良くなる。空腹になれば、脳に血液が集中するので、脳細胞が活発化するのだ。人類の歴史は飢饉が当たり前であったので、空腹になると血が騒ぎ、脳を進化させようとし出すのだ。

 逆に我が子を頭の悪い人間に育てたければ、満腹を覚えさせることだ。人間は満腹になれば頭が悪くなる。満腹になれば、脳に血液が行かなくなるので、脳の機能が衰えてしまうのだ。人類の歴史は飽食に慣れていないので、満腹になってしまうと、脳が退化していってしまうのだ。

 子供を育てていれば、すぐに食べ物を欲しがるのだが、それに付き合って食事やオヤツを出していては、子供は馬鹿になっていくだけなのだ。育児をしているなら、美味しい料理を作る努力をしつつも、人為的に空腹を作り出す努力もしなければならないのだ。子供に空腹を味あわせた上で、美味しい料理を出すようにするのだ。

 子供に空腹を覚えさせると、免疫力も高くなって病気をしにくくなる。白血球は血糖値が低下した時に最も効率良く働くようになるので、空腹によって血糖値を下げれば、免疫力が高くなって、いつも健康体で居られるのだ。裕福な家庭になってしまうと、遂々子供に飽食をさせてしまうので、いつも免疫力が低い状態になってしまい、それで病気に罹りまくり、難病奇病の餌食になってしまうのだ。

 子供の頃に病気で寝ていなければならないとすると、それだけ活動できないのだから、新たな情報を仕入れることができなくなる。一方、健康な子供はその間、動き回っているのだから、知能が高くなっていくのは当然のことなのだ。子供が罹る特有の病気に罹ることは致し方ないけど、それ以外の病気にはなるべく罹らせないようにすることは、母親の母性愛の大切な役割であろう。

●運動をさせてお腹をすかせる

 まず、朝起きたら、いきなり朝食を与えないことだ。「朝起きたら排便」ということを習慣づけることだ。朝の排便をしない限り、絶対に朝食を与えないことだ。何も食べず、排便に集中させれば、ウンチは必ず出るものなのである。起床後には、水でも飲まして、ウンチが出るように仕向けてあげることだ。

 次に、朝に運動をさせることだ。子供は睡眠中に、体の修復と体の成長を終え、エネルギーを使いきっている状態なのだ。しかし、肝臓にはグリコーゲンが大量に蓄えられており、そのグリコーゲンを放出することによって、活動することができるのである。このグリコーゲンを放出させると、脳に良質のエネルギーが行き届いて、脳の機能を活発化させることができるのである。

 朝に運動をさせず、いきなり朝食を食べる習慣を持ち続けてしまうと、肝臓はグリコーゲンを放出する機会を失ってしまい、肝臓が衰えてしまうのだ。肝臓を鍛えないからこそ、脳が発達しなくなり、能力が伸びなくなるのだ。朝は肝臓がグリコ-ゲンを放出する絶好の機会なので、子供を外に連れて行って走らせるなり、家の中でラジオ体操でもしてしまうことだ。この程度の運動で肝臓はグリコーゲンを放出してくれるのだ。

 肝臓が朝に次いでグリコーゲンを放出し易いのは、午後の時間帯である。昼食後、お昼寝をすると、体温が最も高くなるので、エネルギーを大量消費し易くなるのだ。その間に子供を外で思いっきり遊ばせておくと、昼食で得たエネルギーを使いきってしまい、肝臓がグリコーゲンを放出し始めるのである。

 「子供は風の子」と言われるが、子供を外で遊ばせておくと、子供は自然と体を鍛えることになり、健康そのものになってしまうのだ。しかも、外で遊ばせておけば、オヤツなど欲しがらないし、遊び終わったら完全にお腹をすかせた状態になるので、血液が脳に集中して、知能を高めてくれるようになるのだ。

●腹八分目を心掛ける

 子供は睡眠時間が長いために、その日の食事では夕食に重点を置くという方法を取るのが最善である。夕食で大量に食べさせても、睡眠中に消化吸収してくれるので、内臓に負担がかからなくなるのだ。子供はなかなか食休みををしてくれないので、朝食や昼食を大量に食べさせてしまうと、食休みせずに動くので、内臓には非常に負担になってしまうのだ。

 子供に好き嫌いを言わせず、きちんと食べて貰うようにする秘訣は、「出す料理を少しだけ少な目にする」ということなのだ。毎回、料理を作っていれば、子供が食べる量と言うのは大体解ってくるのだから、少しだけ料理を少なくして、意図的に満腹にさせないようにするのだ。要は腹八分目を心掛けるようにすることだ。

 食事は早く食べてしまうのではなく、時間をかけてゆっくりと食事をすることだ。食事のスピードが遅ければ、それだけ噛む回数が増えるので、顎を鍛えることによって、脳への血流を増やすことができるのである。一口30回以上咀嚼させるように義務付け、食べ物がドロドロになるまで噛ませることだ。

 例えば、たまには肉料理とかでも、「スジ肉」のように硬い肉も出して、そう簡単には飲み込めない料理を出すようにすることだ。子供の場合、この手の何度も噛まねばならぬ料理が出て来ると、大人以上に噛まねばならなくなるので、咀嚼の習慣がしっかりと身につくのだ。子供の言いなりになって、ハンバーグなどを出していると、子供は咀嚼の習慣が身につかなくなってしまうので、なるべく硬い食べ物を出すようにすることだ。

 料理で白砂糖を浸かったり、白砂糖が入っているお菓子を食べさせていると、すぐさま血糖値を上がってしまうので、食事のスピードも上がってしまうようになるのだ。それゆえ、料理で砂糖を使う時は、黒砂糖にするとか蜂蜜を使うようにし、白砂糖が入っているお菓子は出さないようにすることだ。この白砂糖を禁止した食生活を実現すると、子供は高い知能を持てるようになるのだ。

●休日には人為的に空腹状態を作り出せ

 休日は人為的に空腹状態を作り出せる絶好の機会だといっていい。休日になったら、子供を連れて普段では行かない場所へ外出してしまえば、子供は大量のエネルギーを使わねばならず、夕方になれば完全に空腹状態になってしまうのだ。見知らぬ土地に行けば、それだけ脳は活発に活動しなくてはならなくなるので、エネルギーを大量に消費してしまうのである。

 休日にはハイキングがお勧めだ。家族でハイキングに出かければ、いい運動にもなるし、新鮮な空気を吸えるし、日頃の疲労も吹き飛んでしまうのだ。子供はハイキングに出かけても、大人のようにただハイキングコースを歩くのではなく、あっちゃこっちゃに顔を突っ込んで、動き回っているものだ。当然にこんなことをしていれば、ハイキングが終わる頃には、お腹がペコペコになってしまう。空腹になったら夕食を食べればいいのだ。

 できることなら、キャンプしてしまうことだ。キャンプをすると、子供は水を汲んだり、料理を手伝ったりと、いつもなら母親がしてくれて当たり前と思っていることを自分から積極的に手伝おうとし出すのだ。夕食の前にこれだけ動けば空腹になって、当然に夕食を美味しく食べられるものだ。

 子供に料理が出て来て当たり前だとは思わせないことだ。如何なる食事といえども、親たちが稼いで来なければ、ありつけないものなのである。だから、いつも自宅で食べたり、レストランで食べるのではなく、自然の中に入り込んで、文明以前の生活を再現してしまうことだ。子供といえども、自分が本来持っている狩猟者としての血が騒ぎ、食べ物は取って来なければ、ありつけないということが解るようになるのだ。

 母親として子供に一体何を食べさせれば頭が良くなるかを考えることは確かに大事なことだ。しかし、それ以上に大事なことは、子供に空腹を味わせることなのだ。空腹になれば脳に血液が集中して頭が良くなるものなのである。しかも、空腹になればどんな料理でも美味しく食べてくれるものなのである。子供が食べ物の好き嫌いを言っていることは、空腹を味あわせていないからなのである。どんなに気性の激しい子供でも空腹になってしまえば、嫌いな物でも食べてくれるものなのだ。

 現代は飽食の時代だ。だから、時代に流されて、子供を飽食にさせておけば、確実に我が子は馬鹿になっていくものだ。子供に早期教育をさせたり、お受験をさせたりしても、結局、そのような教育を受けても、優秀な人材が育ってこないのは、子供に空腹を味あわせていないからなのだ。「教育の前に食事であり、食事の前に空腹」なのだ。そのことを絶対に忘れてはならないのだ。これさえしっかりと守っていれば、我が子は将来、優秀な人間になっていくことだろう。

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人が精神的に自立するということ

●経済的自立と精神的自立

 育児をしていみれば解ることだが、赤ちゃんというものは、親に従属するものだ。そうでもしなければ赤ちゃんは生きては行けないからだ。人間は進化の過程で相当無理をして進化してきたので、脳を大きくして高い知能を持つことはできたのだけれども、その反面、どんな健康な赤ちゃんでも未熟児状態で生まれるということになってしまったのだ。

 しかも、脳の成長が80%に達するのは3歳辺りで、その後も成長は続き、19歳辺りでほぼ完成する。そのため、他の動物たちのように生まれてからすぐに立ち上がって行動したり、数年で群れから離れて自立するというわけにはいかないのだ。家族の中で両親に従属して、長期間に亘って養育され続けねばならないのだ。

 そのため、中には大きくなっても自立ができない人々が出て来ることになる。人間は働きさえすれば、経済的自立を得ることはできる。だが、経済的自立を得たからといって、精神的自立も得られるのではないのだ。精神的自立は精神的に親への従属を解かない限り、絶対に精神的に自立ができないのだ。

 フェミニズムのイデオロギーは凶暴で、どの先進国もフェミニストたちの悪逆非道に悩まされているものだが、フェミニストたちの最大の功績は、実は、「女性たちは経済的に自立できても、精神的には自立できない」ことを指摘した点なのである。もしもフェミニズムを唱えることによって、「女性の自立」ができるのなら、もうとっくにすべての女性たちは自立を果たしている筈だ。しかし、何十年とフェミニストたちが「女性の自立」を唱え続けたのに、フェミニストたちは精神的に自立できなかったのである。女性の自立という問題は、フェミニズムというイデオロギーでは決して解決できないものなのである。

 人間は一足飛びに成長することはできない。親への従属を経て、親から離れて自立していき、そして結婚することによって独立していく。そういう成長過程をきちんと行わない限り、誰であったとしても、親から自立することはできないし、独立していくことができない。大事なことは、親に従属している時はきちんと従属し、親から離れて行く時は、親から離れることによって自立していくことなのである。間違っても親に従属すべき時に自立を強いてはならないし、自立していく時に親に頼ってはならないのだ。

 もう一つは、人間は環境に左右されるということだ。人間は自立していく際に絶対に無視できないのは、「家族」と「学校」の存在である。家族の中で充分に愛や厳しさや夢を貰っていれば、来るべき時が来れば、自立していけるものだ。人間が自立していく時は中学や高校に通っている時期と重なるので、学校が生徒たちの自立を損なうようなことをしなければ、男女共に自立していくことが可能になるのだ。

●自立の性差

 男の子と女の子では自立にも性差がある。男の子は上位自我が貧弱なために、冒険旅行でその上位自我を自分の力で破壊してくことができる。しかし、女の子は上位自我がしっかりと出来上がっているために、男の子ように冒険旅行に出たとしても上位自我を破壊することはできず、女の子同士で友情を育み、そして自分の上位自我を破壊できる男性を見つけて、恋愛をしていく中で上位自我を破壊していくのである。そうやって男女双方、上位自我が破壊されれば、精神的に自立することができるのである。

 そのため、男の子と女の子は育て方が違うのだ。男の子は充分すぎるほどに愛してから、時が来れば突き放すしかないのだ。男の子は女の子よりも甘えん坊なものだが、これは男の子は母親からたっぷりと愛を貰わねば、成長できないからなのである。男の子は母親から充分すぎるほどの愛を貰えば、時が来れば母親から離れ、冒険旅行に出かけていくのである。昔から「可愛い子には旅をさせよ」というが、いくら我が子とはいえ、いつまでも手元に置いておいたら、男の子は鬱屈してしまい、自立できなくなってしまうのだ。

 女の子は適度に愛しながら、結婚まで守り通す態度を貫かねばならない。女の子は母親だけでなく、父親からもたっぷりと愛を貰い、祖父や祖母にも愛を貰おうとする。上位自我がしっかりと入っているので、大人相手であっても会話が成立するので、両親が娘のことを適度に愛する態度を貫くと、きちんと成長していくものなのである。そして自立していく時期を迎えた時、娘が親に反抗しつつも、親は娘を信用し支援している態度を貫き、いかなることがあっても娘を守るという態度を貫いておれば、娘は自立していくことが可能になるのだ。

 肝腎の両親が精神的自立を果たしていないと、平等イデオロギーに取りつかれてしまい、男の子も女の子も平等に育てようとしてしまうことになる。そうなると、男の子は充分な愛が貰えず、女の子の方も自分を取り巻く人々から適度な愛が貰えないので、男の子は冒険旅行に行かなくなるし、女の子は友情や恋愛で失敗の連続になってしまう。そのために精神的自立が不可能になってしまうのだ。

 赤ちゃんを産んで育ててみれば、男の子と女の子は全く違う成長の仕方をするということは解る筈だ。しかし、平等イデオロギーに取りつかれてしまうと、その現実が全く見えなくなってしまうのだ。間違っているのは現実の方であって、平等イデオロギーは如何なることがあっても正しいと思い込んでしまうのだ。こういう両親から育児を受ければ、当然にその子供は愛が決定的に不足してしまうことになるのだ。

●両親と片親

 子供は両親から愛されて育つ以上、家族には両親がいることが理想であり、正常な状態なのだ。両親がちゃんとした結婚生活を営んでいれば、夫婦の間に夫婦愛が巡ることになるので、有り余った愛が子供たちに流れ込んでくるのだ。育児をする際は、夫婦が愛し合っていることが前提なので、育児ばかりに集中しないで、夫婦仲もきちんと保つ努力をすべきなのである。

 ふた親が揃っているというのに、夫婦の仲が悪ければ、子供たちに愛は巡ってくることはない。両親は常に夫婦喧嘩をしているし、殴り合っている所を見ていれば、愛を貰うどころではないし、子供たちは「大人たちは信用できない!」と思い込んでしまうのだ。こうなってしまうと、子供の心の中には愛が決定的に不足してしまうので、自立すべき時期が来ても、そう簡単には自立できなくなってしまうのである。こういう育ち方をした子供が大きくなって結婚しても、親と全く同じような光景を繰り返してしまうのである。

 親の離婚や死別というのは、子供たちの甚大なる影響を与えてしまう。母親がなく男親のもとで育てられると、男親によって精神作用が刺激されるので、精神レベルが急激に上がるが、家族の中での潤いというのがなくなってしまう。男親のもとで育つと、女性はすぐさま結婚してしまう。精神レベルが上がってしまったために、自分にとっての理想の男性を見つけ易いのだ。男親のもとで育った男性は、自分がかなり潤いのない生活をしてきたために、自分の生活に潤いをもたらしてくれる女性を見つけ出さないと、自分自身がかなり偏った人間になってしまうのだ。

 父親がなく女親のもとで育てられると、女親によって物質作用が刺激されるので、経済的には豊かな生活を送ることができるが、精神的には低レベルな見方しかできなくなってしまう。女親のもとで育つと、女性はビジネスを展開し易い。物質レベルが上がってしまったために、自分の天職を見つけ易いのだ。そのために結婚が遅れたり、失敗してしまったりする。結婚を大事にするという考え方に辿りついていないので、どうしても結婚を犠牲にしてしまで働こうとしてしまうのだ。女親のもとで育った男性は、男として一本筋が通っていないが、女性相手の仕事では天性の才能を発揮して成功することが可能になってくる。芸能界を見ても、母子家庭で育った子が人気タレントに成り易いのだ。

 片親のもとで育つと、どうしてもバランスを崩し易い。そのため、青春時代に男の子なら冒険旅行に行こうとしなくなるし、自分の上位自我を破壊するだけの力を持てなくなってしまう。女の子はきちんと友情を作り上げたり、恋愛をきちんと行うということができなくなってしまう。青春時代に失敗が続くのなら、相手が間違っていると思い込むのではなく、自分が間違っていると思うことだ。片親のもとで育てば、どうしても自分の心は歪むものなのである。

●児童養護施設育ち

 では、両親も片親もおらず、親から捨てられてしまった子供はどうなるのであろうか? 当然に愛の不足で苦しむことになる。愛といっても、子供が欲しい愛は、母性愛であり、父性愛である。いくら他人から愛を貰っても、母性愛や父性愛でない限り、子供は満足できないものなのである。

 キリスト教は孤児院作りに積極的になったために、かなりの数の孤児院を設立したのだは、この孤児院上がりの子供たちに不気味な変化が起こってしまったのだ。それは孤児院を出ても精神的な自立ができなかったのである。孤児院は主に女子修道会が運営したために、独身女性のシスターが親代わりになったので、孤児たちの間で決定的な母性愛の不足が起こってしまい、大人になっても精神的な自立ができなくなってしまったのである。

 これに対して、政府や地方自治体によって運営された児童養護施設ではこういう現象は起こる確率が激減した。施設で働く職員に既婚者たちがいたので、母性愛や父性愛を貰えることができたのである。児童養護施設は所詮、官僚の組織なので、かなりドライなのであるが、そのために施設で育った孤児たちは逆に自立し易いのだ。

 児童養護施設を出た孤児たちが経験するのが、とにかく自分が生活することで精一杯になってしまい、自分が精神的に自立していく作業を等閑してしまうことなのだ。しかも、児童養護施設で愛を貰ったとはいえ、充分な量とは言えないものなので、どうしてもパワー不足が目立ってしまうのだ。

 このため、いつまでも自分が「孤児」だとか「施設上がり」だとか言っていると、精神的に自立できなくなってしまい、普通なら得られるであろう幸せを得られなくなったり、たとえ幸せがやってきても自らの手で壊してしまうのだ。こうならないためにも、弱い自分と戦って精神的に自立していくべきだし、愛が不足している以上、周囲の人々の関係を切ってしまわないことだ。親戚が一人もいなければ、人為的に人間関係を築いていくしかないのである。

●異常なる結婚

 経済的自立というのは、目に見えるものだ。しかし、精神的自立は目に見えないものだ。経済的自立は裕福になっていくのだから、それはそれで素晴らしいことではあるが、精神的自立は裕福になるということとは関係ないので、それをしなくても生きて行くことはできる。

 だが、精神的自立をしなかったというツケは必ず至る箇所で出て来る。例えば、精神的自立をしていない人たちは、訊いてもいないのに、「俺のお袋がよ~」「私の父の仕事は~」とか言い出して、会話を白けさせてしまう。自分の人生なのに、自分が主人公になっておらず、親が主人公になっているので、幾ら会話をしても高いレベルの会話ができないのだ。これを繰り返されると、友人たちは徐々に避け始め、自分の友人たちが低レベルな人たちだけになってしまうのだ。

 精神的自立ができなくても、結婚適齢期を迎えれば、結婚をすることはできる。しかし、その結婚は「正常なる結婚」を営むことができず、「異常なる結婚」になってしまうのだ。結婚しましたというから祝福しにいったのに、どうも話がおかしいと思ったら、「事実婚」だというのだ。事実婚とは、要は「同棲」のことなんであって、「そんなもののために結婚式を挙げるな!」と言いたくなる。

 結婚したのに、夫婦別姓を唱えるのも、明らかに精神的自立がなされていない証拠だ。結婚した女性にとっては、改姓の手続きは面倒臭いだろうが、苗字が変わるというのは、自分の運命に大きな変動をもたらしてくれるので、それによって新たな人生が開けていくものなのだ。苗字を変えないというのは、その本人がどのような理由を持とうが、自分の両親から精神的に自立できないということの現れなのだ。それが解っていないのだ。

 結婚すれば、次は妊娠出産育児とドミノ倒しのように進んでいく。しかし、精神的自立がなされていないと、「不妊症」を患ってしまい、躓いてしまうのだ。実を言うと、肉体的理由で本当に不妊症になっているのはごく僅かなのだ。大半は夫婦仲が巧く行っていないだけなのだ。夫婦双方が精神的自立を果たしていないから、夫が妻の心の壁を打ち破って、妻の心の中から「無限の愛」を溢れ出させるということができないのだ。

 たとえ赤ちゃんを産んだとしても、育児放棄をしたり、児童虐待をしたり、とにかく自分より弱い者へ残虐な行為を仕出かして、そこに邪悪な悦びを見出すのだ。両親が精神的自立をしていないならば、その家族の中ではまともな愛が流れないから、子供は家出をしていくかない。家出をするような子供というのは、まともな愛を貰ったことがないから、非常に寂しい顔をしているものなのである。

●神の奴隷として生きる

 人間は精神的自立を果たしていなければ、不幸の連続になってしまう。精神的自立を果たしていなくても、その弊害を防止して、不幸が起こらなくさせようとしたのが、「キリスト教」である。「偽りの上位自我」を、「イエス」に置き換えてしまうのだ。言わば、親に従属していた人生を、イエスに従属させることに変えて、違う人生を歩ませてしまうのだ。

 キリスト教ではこれを「神の僕」というが、「僕」とは奴隷のことで、だから「神の奴隷」として生きるのだ。人類の歴史では奴隷制度が廃止されていったものだが、未だにキリスト教の中ではしっかりと奴隷制度が残っているのである。しかし、大人になっても親に従属している人が、そのままで人生を歩めば不幸の連続になってしまうので、神の奴隷として「物」になってしまえば、精神的自立がなされていないことは関係なくなってしまうのだ。

 確かにキリスト教を正しく信仰しさえすれば、それはそれで素晴らしい人生を送ることができるのである。自分が精神的自立を果たしていなくても、神の奴隷として「愛と奉仕」に生きればそれは素晴らしい人生になるものである。精神的自立を果たしているからといって、他人に愛を与えず、他人に奉仕をしなければ、それは精神的自立を果たしていないキリスト教徒たちよりも劣るのである。

 だが、キリスト教徒たちは信仰によって精神的自立ができていないことを隠してしまうために、双方で争ったら悲惨なことになってしまうのだ。キリスト教徒が神学論争をした場合、大抵が論争が戦争に発展してしまい、虐殺が行われている。キリスト教は「アガペー」を掲げるが、実際にやっていることは正反対の「大量虐殺」をやっているのである。

 キリスト教の歴史は、いくら信仰で誤魔化したとしても、その本人がきちんと精神的自立を果たしていなければ、まともな愛を出せないということを証明したようなものなのだ。人間はいくら敬虔に信仰したとしても、まともな愛は出て来ないのだ。まともな愛を出したいのであるならば、自分の青春時代の中できっちりと精神的自立を果たさなくてはならないのである。

●煩悩からの解脱

 仏教では信仰ではなく、「解脱」することで、精神的従属から逃れようとする。確かに釈迦が言うように、解脱してしまえば、精神的に自立できなかった自分は消滅してしまうのである。解脱というのは、決して難しいものではないのだ。解脱というのは、この世で生きている自分を消滅させてしまうことなのだ。こうすれば、確かに精神的に自立をしていない自分も消えてなくなってしまい、仏陀として生きて行くことができるのである。

 釈迦は人類史上の中で有り得ない世界を切り開いたのだが、その後の仏教徒たちは仏教を信仰しながら、釈迦が一体何を言っているのかが解らず、解脱することができないようになってしまった。釈迦を信ずる余りにこの世に執着が湧いてしまい、自分を消滅させることができなくなってしまったのだ。

 我々日本人が知っている仏教というのは、出家して僧侶になっても解脱しないという堕落した仏教なのである。なぜ、この仏教を歪めたものが生き続けたかというと、精神的自立を果たしていない者たちをいつまでも修行させることによって、人畜無害なものにさせようとしたからなのである。

 そして戒律を守って修行している僧侶たちを全国各地に送り、その住民たちの精神的な悩み事を聞いてあげるのである。そうすれば、住民たちは政治に対して不穏な動きをしなkなるし、精神的におかしくなった者たちの犯罪も抑えることができるのである。だから、日本全国各地に仏教寺院が点在しているのである。

 ところが、親鸞が出て来て、釈迦如来への信仰よりも阿弥陀如来への信仰を優先させてしまったのだ。仏教の戒律を守らず、僧侶が結婚して子供を産んでしまうと、その僧侶の家族の生活を信者たちが支えなければならなくなるので、信徒たちは非常に貧しくなってしまうのだ。僧侶自体は生産を何もしていないので、僧侶や僧侶の家族が多ければ、それは直接に信者たちの負担となって現れてくるのだ。浄土真宗が出て来たことで、我々日本人が仏教の本当に姿が見えなくなってしまったのである。浄土真宗ではいくら親鸞を崇めたとしても、親鸞は解脱していないのである。解脱していない僧侶の教えを、釈迦の教えより優先させてはならないのだ。

●神の予定と独立自尊

 結局、イエスも釈迦も所詮は人間だということだ。イエスを救世主に仕立て上げたり、釈迦を仏像にして崇めるからこそ、彼等が人間として生きた軌跡が解らなくなり、一体何を言いたかったのかが解らなくなってしまうのだ。彼等は精神的に自立できない人たちに、精神的に自立しなくても生きていける方法を説いたにすぎないのだ。キリスト教の教えが絶対でもなく、仏教の教えが絶対でもないのだ。

 人間は自立すれば、それ以前の自分を否定してしまうことになるのだ。それは非常に恐ろしいことなのである。いくら親に反抗しているとはいえ、子供の頃は親といるのが楽しかった筈だ。その家族の思い出が消えていくのだ。青春時代はすべての物が輝いて見え、青春の熱気に突き動かされるように生きた筈だ。その青春時代が消えて行くのだ。精神的に自立を目前にすると、我々は自立していない自分が消えてしまうことに、恐れおののいてしまう。施設育ちなら、もっと悲惨で、親への記憶がないから、施設での思い出が消えてしまい、自分が育った場所がなくなってしまうのである。

 青春時代は様々な喜びや悲しみが溢れ返るものだ。しかし、青春時代が終わりに差し掛かり始めた時には、もう青春時代の喜びでは喜べなくなるし、青春時代の悲しみでは悲しめなくなるのである。いつまでも同じ場所には居られないという焦燥感の方が自分を突き動かしてしまうのである。青春時代はいつの日にかは終わるものだ。「生涯青春」などと馬鹿げた人生を送ることなどできないのだ。

 若者が精神的に自立していくということは、青春時代に作り上げた自分の考えを捨てて、神の摂理に自分の人生を合わせるということなのだ。自分の幼稚な考えを捨てた時に、神に指し示された一本の道がはっきりと見えて来て、その道を全速力で駆けて行くことができるようになるのである。青春時代になぜ悩み迷うかといえば、自分のやるべきことがみつからないからなのだ。

 人間は精神的に自立できなければ、平等な社会を作ろうとし出すものだ。自分が精神的に従属状態にあるからこそ、精神的自立を果たしていかなくてもいい社会を作ろうとし出すのだ。社会主義やフェミニズムに走るのは、10代や20代である。還暦を過ぎてしまえば、平等イデオロギーに走ることはないことだろう。社会的弱者に慈善を施すことと、平等社会を作ろうとすることは、全くの別物なのである。社会を変えるよりは、まずは自分を変えるべきなのである。

 何もかも自然に育てていけばいいのではないのだ。中には自立できずに親になってしまう人たちもいるのだ。そういった親たちは精神的に独立していないから、まともに家族を運営をしていくことができず、すぐに政府に頼ろうとするのだ。もしも政府が救いの手を差し伸べなければ、政府の悪口を散々に言ってくるものなのである。まともな愛が出せないから、無制限に憎しみをぶつけることしかできないのだ。

 男と女は憎しみ合うものではないのだ。お金持ちと貧乏人は憎しみ合うものではないのだ。共に愛し合い、手を携えて生きて行かねばならないのである。しかし、まともな成長過程を経ないと、まともな愛が出て来ないから、他人に憎しみをぶつけることしかできなくなってしまうのだ。

 だから、宗教は必要なのである。精神的自立を果たしていない人たちは、政治に手を出すべきではなく、精神的自立を果たしていなくても、宗教の力を借りて生きていくしかないのである。政府がどのような政策を実行した所で、精神的自立を果たしていない人たちを満足させることはできないし、増してや精神的自立を果たすようにさせることもできないのだ。

 人間たちがどのような成長過程を経るにせよ、精神的自立を完成できる人は、神によって予定されているのである。神に選ばれた人たちは、自分が両親のいる家庭に育とうが、片親の家の育とうが、児童養護施設の中で育とうが、精神的自立を成し遂げ、精神的独立を果たすことができるのである。しかし、神に選ばれなければ、淫祀邪教や平等イデオロギーに洗脳されてしまうだけなのである。神に選ばれた人たちは、決して精神的自立を果たしていない人たちに警戒を怠ってはならず、ありとあらゆる場面で主導権を握って、彼等が暴虐な行いをしないように管理し続けなければならないのである。

 自分が産んだ子が、将来、ちゃんと精神的自立や経済的自立を果たしてくれるかは解らないものだ。ただ、親としては、その子に充分な愛を与え、何が正しいかを教え、夢を持つことの大切さを教えていくしかないのだ。今はまだ可愛い子供も、青春時代が来れば飛び立つ日がやってくるのである。だから、親ができることは、自立することをせかすのではなく、親に従属すべき時にきちんと従属させておくことなのである。

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下位自我の幻想狂想曲

●悪いと解っているのに犯罪が止まらない

 下位自我は上位自我より遥に厄介なものなのである。上位自我は男の子なら父親だし、女の子なら母親によって形成される。しかし下位自我は「親に甘えている自分」によって形成されたものだからだ。下位自我は青春時代が終わるまで存在し続けるのだから、自分で制御しておかないととんでもないことになる。

 中学生になって不良に走る連中というのは、必ずと言っていいほど、この下位自我を制御しきれなかったからなのである。不良というのは幼稚さの現れにすぎないのだ。勿論、若者の爆発的なエネルギーを吸収できない学校側にも問題があるが、青春時代の初期という最も大事な時に不良に走ってしまうのは、自分の人生に於いて非常なマイナスになってしまうのだ。

 大人になって麻薬に手を出す連中も下位自我の暴走を食い止めることができなかったからなのだ。理性的には麻薬に手を出すことは悪いことであり、麻薬中毒は恐ろしいものであるということは解っているのに、麻薬に手を出して、麻薬中毒になってしまうのだ。麻薬犯罪が見つかり、警察沙汰になって事態の重大性に気付いた時、大抵が「俺は馬鹿だった」というものだが、この馬鹿を平気でやってしまうのだ。

 結婚したら一家の家長として責任を持って行動しなければならない。しかし、中には幼稚な夫たちがいて、いつまでも子供っぽいことをして、妻を散々に困らせる夫もいるものだ。結婚して幼稚な亭主は救いようがないのだ。責任感というものがないために、責任感を伴う地位を与えられても、一体何をすればいいのか解らなくなってしまうのだ。

 下位自我の恐ろしさは、それが甘えて愛を貰ったり、探究心の発露になるのに、その一方で悪いと思っているのに犯罪が止められないのだ。母親なら叱って許してくれるものでも、大人になれば叱って済まされることなどなくなってくるのだ。今まで自分が築き上げた地位や財産や信用のすべてを失ってしまうこともありうるのだ。

●真面目人間の落とし穴

 下位自我が暴走していくのは、何も不良たちだけとは限らない。真面目人間も下位自我を制御しておかないと、暴走してしまうことになる。理数系の人たちは真面目人間が多いものだが、余りにも真面目すぎるために、冷静に考えれば、明らかに嘘というものまで信じ切ってしまうのだ。

 科学は精密な学問体系を作り出しているのだが、それをそのまま現実にも当て嵌まると思ってしまうのだ。だから、科学を使って宗教を否定したり、逆に霊魂の存在を証明しようとしたりするのだ。彼らには「人間は科学のようには動いてくれない」という大事なことが解っていないのだ。科学など所詮は人間が作りし物なのである。

 余りにも真面目になりすぎて、それが科学的発見に繋がればいいが、そうでないと、どこかでその探究心が歪んでしまい、邪教の餌食になってしまうのだ。オウム真理教は理数系の大学生たちをターゲットにして勧誘していったが、真面目であればあるほど、邪教の嘘を見破ることができなくなってしまうのだ。人間は小さな嘘には気付けても、大きな嘘には騙されてしまうからだ

 夫婦の中には、夫が高学歴で高収入で、真面目な紳士だったのに、突然にその真面目な夫が犯罪に手を染めてしまう事件が発生してくる。自分が真面目に働いているのに、その組織が自分の働きを正当に評価してくれないと、裏切られたと思って、横領や背任を平気でやってしまうのだ。

 嘗て幕末の尊王攘夷の志士である橋本佐内は、若者たちに向かって「稚戯を捨て去れ」と言って、若者たちの立志を促したものだが、男性というのは若い時はかなり幼稚なのである。その幼稚さを捨て去って、要は下位自我を暴走させないように、勉学やスポーツや仕事に精進しないと、立派な大人にはなれないのである。たとえ真面目に生きて来ても、その幼稚さを捨て去っていないと、どこかで破綻してしまうものなのである。

●下位自我は上位自我の影

 下位自我の破壊はそんなに難しいことではないのだ。下位自我上位自我の影であるがゆえに、上位自我が破壊されると、下位自我も消滅してしまうのだ。男性が冒険旅行に行って上位自我を破壊してしまうと、下位自我も同時に消滅するので、男性としての不自然さがなくなると同時に、幼稚さも消えてしまうのだ。

 暴走族あがりの人たちが、暴走族を卒業し、心から改心すると、悪さをしない男性に生まれ変わってしまうものだ。嘗ては暴走族だった癖に、良き夫にして、優しい父親になってしまうのだ。下位自我がなくなってしまえば、自分の妻に幼稚な行動を取らなくなってくるのだ。ちゃんと家長として責任感ある行動が取れるようになるのである。

 結婚すれば、妻が夫に甘えたり、夫が妻に甘えたりして、愛を貰い合う行為は、いつまでも必要である。しかし、それが余りにも幼稚になっていると、それは下位自我が破壊されていない証拠になってしまうのだ。その幼稚さは最初は家庭内で現れてくるかもしれないが、時間が経てば職場に出て来てしまい、その幼稚さのために大失敗をやらかしてしまうことになるのだ。

 育児や子育てで大事なのは、「甘えは必要だけど、甘やかしは必要ではない」ということなのである。子供が親に甘えることができなければ、父性愛や母性愛を貰うことはできない。だからといって、甘やかして育ててしまえば、我儘な人間に成長してしまい、下位自我の暴走で苦しむことになってしまうのだ。裕福な家庭になると、必ずといっていいほど、甘やかされて育った人たちが出て来るものだが、だからこそ、大人になっても大人に成りきれなくなってしまうのだ。

 人間には生まれながらにして向上心が備わっているものだ。赤ちゃんなら最初は動けないのに、寝返りを打てるようになり、ハイハイができるようになり、一人歩きができるようになっていく。その成長に最高の喜びを感じるように出来ているのだ。だからこそ、青春時代が始まれば、下位自我を制御して幼稚なことを捨て去って、学問やスポーツに精進して、向上していけねばならぬのだ。そのようなことをしていれば、来るべき時が来れば、自然と下位自我が破壊されてしまうのだ。

●良心が悪用される時

 人間は下位自我が破壊されないと、想像を絶する悪事を仕出かしてくるものである。最初は小さな犯罪だったのに、悪事が暴走していき、その内、凶悪犯罪を仕出かしてしまういのだ。ところが、自分が精神的に自立を果たしていないと、この凶悪犯罪者たちの肩を持つようなことを仕出かしてくるのだ。自分が精神的に自立していないから、凶悪犯罪者を処罰して、治安維持をもたらすという責任感を果たせなくなってしまうのだ。

 彼等は自分は良心的だと思っているが、この世には想像を絶する悪人がいるということが解らないのだ。「死刑廃止論」も「裁判員制度」も、この手の馬鹿たちが主張してきたものなのだ。しかし、この手の幼稚な意見は常に凶悪犯罪者たちに悪用されてしまうものなのだ。

 嘗て、死刑廃止論が最も高まった時に、オウム真理教が地下鉄サリン事件を引き起こしたのである。裁判員制度も今は新しい制度だと浮かれているかもしれないが、裁判員制度が定着した時に、恐ろしいテロ事件が起こる可能性があるのだ。人間の良心というものは、どうやったとしても凶悪犯罪者たちの心には届かないものなのである。

 自分が上位自我を破壊して、精神的に自立を完成させないと、自分がこれは良心であると思っても、正しい考えにも正しい行為にもならないのだ。良心は常に悪用されるものなのである。なぜなら、精神的に自立を果たしていないから、相手を見切ることができず、決して相手のためになる行動を取ることができないのだ。飽くまでも自分が良心的な行為をしたろいうことに酔いしれているだけなのである。

 結婚している夫婦が「これは正しい!」と思って決断しても、そうはならないということもあるということなのだ。自分が正しいと思っても、実際にやってみれば間違っていることなどいくらでもあるのだ。家族を運営していくのに良心など当てに成らないのだ。、では、一体どうすればいい?

●「良心」ではなく「正心」

 精神的に自立して、精神的独立状態になることで、「正しい心」を持つようにすることなのである。「良心」ではなく、「正心」こそ、家族を巧く運営していくことができるようになるのである。自分が良いと思うから正しいのではなく、自分が正しい道を歩くからこそ正しいのである。絶対にこのことを間違ってはいけないのだ。

 これを『大学』では、「格物致知正心誠意」と説明した。「格物」とは、文武両道に励むことをいい、「致知」とはそれによって思いを巡らすことをいう。そうやって正しい心に辿りつくことができ、その正しい心であるからこそ、人間は誠意を発することができる。このような人間になってこそ、初めて身を修めたといえるのである。

 「心は一身の主宰」である。かといって、自分が勝手に正しいと思うのはなく、文武両道に励み、その精進をしながら自分なりに考えるからこそ、正しい心を持つことができるのである。これが大人になって仕事をするなら、現地に行って情報を収集するなり、本を読むなりして情報を集めて、その情報を元に自分が考え、そして正しい考えをすることができるということなのである。

 例えば、育児をしているなら、自分が正しいと思うことをいきなりするのではなく、育児経験者たちから育児の仕方を聞くなり、育児書で調べるなりして、育児の情報を集め、その情報を元に自分で考えて、正しい育児の仕方に辿りつくのである。しかもいきなり成功するわけないから、何度も試行錯誤しながら、やっと正しい育児の仕方に辿りつくことができるのである

 ここに「哲学の不思議」というものが現れて来る。「格物致知」とは哲学的に言えば経験論に立脚し、経験論を突き詰めれば唯物論になる筈なのである。しかし、経験論を出発点にしているにも拘わらず、唯心論になってしまうのである。心がすべでを生み出していくという考えに辿りついてしまうのだ。

 一方、「良心」とは哲学的に言えば合理論に立脚し、その合理論を突き詰めれば唯心論になる筈なのである。ところが、合理論を出発点にしているにも拘わらず、唯物論になってしまうのである。だから 何か新しい物を生み出せることができなくなり、環境に支配されてしまうのだ。

 唯物論は誰がどうやろうとも憎しみしか生まれない。なぜなら、自分が自分の人生の主人公になっておらず、環境の支配下にあるので、自分で豊かになっていこうという気概を持たずに、裕福な人たちから物を奪い取って、貧しい人たちに分配しようという考えを持ってしまうからだ。キリスト教徒だって、社会主義者だって、フェミニストだって、良心的な心情から発している。しかし、現実はその良心的な人たちほど残虐なことをやってきた歴史であるのだ。

 良心では我が身を以て全世界に立ち向かっていく愛と勇気がないのだ。ただ、この世の誰かに憎しみをぶつけることしかできないのだ。偽りの上位自我を破壊していないということは、こういう所に歪んだ物として出て来るのである。正心は試行錯誤の連続なのだ。「これで正しいのかな?」と自問自答しながら進んでいくしかないのだ。その歩みは良心的な人たちから見れば遅いように見える。しかし、その歩み方こそ、結果として正しい成果を生み出せることができるのである。こういうことは育児をしていれば当然に解ることのである。母親が悩みながら育児をしている時、実は最も成長していて、結果的に正しい育児の仕方に辿りついてしまうものなのである。自分が自分勝手に正しいとは思わず、試行錯誤を繰り返したからこそ、正しい育児に辿りつけたのである。

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子供のイタズラは探究心の現れ

●下位自我と甘え

 女の子を育てていると、母親の前では普通の態度を取っているのに、父親が帰ってくるなり、突然に父親に甘える行動を取るものだが、これは下位自我が発達したからこそできるものなのだ。赤ちゃんの頃は父親が帰って来ても、特別な対応などしなかったものだが、成長するにつれて、父親に甘えるという行動が取れるようになるのだ。

 上位自我が出来ると、下位自我も出来上がる。女の子の場合、上位自我がしっかりと出来上がってしまうので、下位自我もしっかりと出来上がってしまう。そして上位自我や下位自我の使い方をオママゴトなどで練習しているから、実際の生活でも下位自我の使い方が巧いのだ。

 これに対して男の子は上位自我のでき方が悪いし、下位自我のでき方も悪い。そのため、父親が帰って来たから態度を変えて甘えるというのは、相当年齢が上がらないとできないものなのである。昔から、「一姫二太郎」と言われるが、女の子の方が育て易く、男の子の方が育てにくいのだ。だから、男の子を育てる場合、大きくなったら上下関係をしっかりと教え込まないと、手につけられない反抗をしてくるのである。

 人間は群生動物なので、決して平等な関係を築こうとはしない。必ず組織を作ろうとする。組織を作ることで協業と分業を行って、個人レベルでは決してできない生産力を手にしようとするのだ。この組織というのは、誰がどう作ろうとも、上下関係を伴うものなのである。家族の場合、子供が両親に服従しない限り、食べ物にありつけないし、父性愛や母性愛といった物も貰えなくなってしまうのだ。

 子供が親に甘えるというのは、非常に重要な行為で、子供がこの行為をし出すと、精神的にも肉体的にも健全に成長していく。女の子は2歳か3歳辺りに父親とベッタリになる時期を迎え、男の子は幼稚園児になっても母親とベッタリする時期を迎えることになる。この甘えを充分にさせておけば、下位自我は満足し、大きくなってから下位自我の暴走に悩まされることがなくなるのだ。

●甘えるから愛が貰える

 父性愛や母性愛は対等な愛ではなく、上から下へと流れていくので、親子が上下関係にならない限り貰うことができない。だからこそ、子供たちは知能が発達してきて、親と対等の会話ができるようになったのに、親に甘える行動を取って、父性愛や母性愛を貰おうとするのである。甘えるというのは、一見、幼稚なものに見えても、知能が高くないとできないものなのだ。

 日本では親が子に添い寝をする習慣があるので、子供が親に甘えることがし易く、父性愛や母性愛を蓄積し易いのだ。添い寝というのは、何も夜泣きに対応するのが便利だから行っているものなのではないのである。子供の精神的な成長のためにも必要な行為なのである。

 これに対して白人というのは添い寝をする習慣がない。赤ちゃんの頃から個室を与えて育ててしまうために、子供になっても親に甘える行為ができないし、やったとしても巧くないのだ。そのため、幼児期に決定的な父性愛や母性愛の不足に陥ってしまい、そのために青春時代に有り得ないような反抗をしてくるようになる。白人たちはキリスト教を熱心に信仰して、「天にまします我が父よ」と言ったり、「マリア信仰」をしたりするのは、この添い寝の習慣がないことによる甘えの不足が原因であるのだ。父性愛や母性愛がきちんと蓄積していれば、キリスト教など信仰することはないのだ。

 女の子がグレる確率が低く、犯罪の発生率も低いのは、幼児期に於ける下位自我の扱いが巧く、両親から父性愛や母性愛を貰うのが巧いからなのである。女の子の方も、両親から父性愛や母性愛をきちんと貰っていれば、間違った道を歩む必要性がなくなり、女の一本道を突き進んでいくことができるようになるのである。

 一方、男の子とはいうと、下位自我の使い方が巧くないので、母親がしっかりと母性愛を与えて、男の子を肯定していかないと、男の子は暴れまくるし、青春時代が始まればグレてしまうのだ。男性の偉人たちというのは、その殆どが母親から愛されて育って来た人たちであって、子供の頃から母性愛を貰い続けたからこそ、間違った道を歩むことなく、自分の才能を開花させる道を歩めたのである。

●子供のイタズラは成長している証拠

 男の子は下位自我の使い方が下手であるがゆえに、母親にイタズラすることで、母親の関心を惹こうとする。イタズラは甘えのサインなのであって、男の子がイタズラをしたからとって真面目に怒っていると、男の子が更にひどいイタズラをしてくるのである。こういう場合は、「こういうことしちゃ駄目でしょ」と叱りつつ、じゃれあっていればいいのである。それで男の子の方は母親から母性愛を貰えたと思うのである。

 イタズラにはもう一つ大事な側面がある。それはイタズラは探究心の発露だということだ。男の子にとっては、人間関係よりも、物体に興味があるので、物を使って探究することで、その物が一体なんなのか確かめていくのである。この探究心の発露がイタズラとなって現れてくるのである。

 男の子は探究心の発露としてのイタズラが出来ないと、知能を高く発達させることができない。それゆえ、この手のイタズラに関しては、多目に見てやらしておけばいいのである。子供のイタズラなのだから、所詮、他愛もないイタズラなのである。気長に付き合うことだ。

 しかし、すべてのイタズラが許されるわけではない。中にはやってはいけないイタズラだって存在する。人に危害が及ぶようなイタズラだ。こういう時はしっかりと叱って、制裁を加えておくことだ。男の子の場合、肉体的に痛い目に遭わないと決して悪事をやめようとしないので、お尻をペンペンして叱っておけばいいのだ。

 女の子もイタズラをしてこないことはない。しかし、男の子ほど盛んにイタズラをしてこないものだ。男の子と女の子の育て方は違うのだということを、早い段階で悟ってしまった方がいい。女の子ならこういうことをしないからといって、男の子にもそれを適用していたら、男の子は鬱屈してしまい、大きくなってから悪事をすることで、子供の頃にできなかったイタズラをしてくるのだ

●子供のイタズラは親がいくら叱っても続くもの

 真面目な母親であると、子供のイタズラにうんざりさせられるものだ。子供のイタズラは母親がいくら叱っても続くものだからだ。イタズラをし始めた頃に、巧く対処して、母性愛をきちんとあげていたら、子供のイタズラは悪化しないものだが、巧く対処できないと、母性愛が貰えないために、子供のイタズラは悪化していってしまうのだ。

 子供のイタズラが余りにもひどいなら、子供部屋を与えてイタズラし放題にさせることだ。こうするとイタズラがいくらでもできるので、外で行うイタズラが減少するのだ。日本が世界に誇るドクター中松は、子供の頃に母親から研究部屋を与えられることによって、様々な実験を行うことができ、それができたからこそ、大きくなってから発明家として活躍することができたのである。

 イタズラ封じには、子供が好奇心を持っていることをやらせることだ。自然科学に興味があるなら、その関連書物を買って与えたり、博物館に連れて行ってみたり、学者に合わせたりして教えを乞うことをしてみることだ。今までイタズラに向けていたエネルギーが学問に向けられ、大いに学力が向上していくことになるのだ。

 頭が弱いけど、体力がある子供にはスポーツをやらせることだ。スポーツで体力を使いきってしまえば、イタズラをするだけのエネルギーがなくなってしまうものだ。しかもスポーツをやることで体が丈夫になるし、礼儀作法も学ぶことができるので、母親は子供を健全に育てることができるのである。

 子供が親に甘えてきたり、イタズラをしてくるのは、成長している証拠なのだ。子供は理屈を捏ねて来ないから、間違った行動は取ってこないものだ。子供が甘えて来ているのに、甘えを否定したり、子供がイタズラをして来ているのに、イタズラを否定していると、子供は健全に成長していくことができないのだ。人間は脳を発達させて進化して来た以上、子供の甘えにもイタズラにも付き合っていくことだ。

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児童虐待の連鎖

●虐待は幼児から始まる

 女の子は男の子よりも自分が愛されていることに敏感なので、父親や母親からちゃんと愛されれば、青春時代が始まるまでに愛を蓄積してしまい、その愛の蓄積があるからこそ、女性同士できちんとした友情を育むことができ、たった一人の運命の男性を見つけて恋愛をし、結婚していくことができる。その過程を経てしまうと、上位自我が破壊され、きちんと精神的自立を果たしていくことができるのである。

 女性はしっかりと上位自我が形成されてしまうために、上位自我が破壊されないと、結婚してから自分の悪事を止めることがでず、悪事を暴走させてしまう悲惨な事態になってしまう。その典型例が「児童虐待」である。如何なる母親であっても、生まれた直後から児童虐待をするわけではない。自分が産んだ赤ちゃんを育てて行く中で、自分の蓄積していた愛が枯渇してしまうと、児童虐待が始まるのだ。

 児童虐待は幼児に成る頃から始まるものだ。丁度、言葉を喋り出した頃から、児童虐待が始まるのだ。これは父親が幼児が喋ることによって、自分の偽りの上位自我が刺激されt怒り出したように、母親も幼児が喋ることによって、自分の偽りの上位自我が刺激されて児童虐待が始まるのだ。

 児童虐待というのは、余程の鬼母でもない限り、児童虐待をやっている母親が「これではいけない!」と思いつつも、我が子に暴力を振るってしまうのである。偽りの上位自我といえども良心の源泉なので、児童虐待が悪いことだと認識しているのだ。だが、どうやっても児童虐待が止まらないのだ。

 なんせ自分自身が自分の母親から暴力を振るわれながら育って来たために、我が子に暴力を振るうのは当然であり、そうやって子供は育つものだと思い込んでいるのだ。しかし、実際にそれをやってしまうと、良心の呵責に悩まされてしまい、幼児の体は傷だらけ、自分の心も傷だらけになってしまい、地獄の日々が展開していくのである。

●躾が虐待に変わっていく時

 児童虐待が本格化するのは、幼児に「躾」を教え始めた辺りからなのである。躾と称して、幼児に躾を教える振りをして、児童虐待を働くのである。「なんで躾を教えることが児童虐待に繋がるの?」という疑問を持つ方は、児童虐待の悲惨な現実を知らないからこそ、そういうことが言えるのであって、躾を教えるというのは、親の方が精神的に独立していないとできないものなのである。

 解り易い例をあげるなら、学校で校則を教える振りをして、生徒たちに暴力を振るう暴力教師がいるものだが、これも教師本人が精神的に独立していないために、校則を教えることが暴力を振るうことに変わってしまうのだ。精神的に従属状態にある人たちは言っていることと遣っていることが一致しないものなのである。

 実を言ってしまうと、幼児に躾はまだ必要ないのだ。躾とは身にこなしの美しさであって、幼児はまだ身をこなすことさえできていないのだ。躾が必要となるのは小学生1年生辺りからであり、身のこなしは普通はこうだけれども、このようにやれば美しく見えるよというものなのだ。そこには暴力など入る余地がないのだ。

 ところが母親の方が精神的に従属状態にあると、躾と称する虐待が展開されるのである。この母親の言っている躾とは、「母親の言いなりになりなさい」と言っているようなものであって、母親の意にそぐわない行動を取ろうものなら虐待が始まるのだ。だから、子供にとっては一体どれが「躾の基準」なのか解らないので、戦々恐々としながら生きて行かざるをえなくなってしまうのだ。

 児童虐待を働く母親たちは、自分もそうやって自分の母親から躾と称する虐待を受けてきたので、我が子が自分の意にそぐわない行動を取ってくると、暴力を振るってしまうのだ。暴力を振るっている母親自身が「これはイケナイことだ」と思いつつも、暴力が止まらないのである。

●蘇る記憶

 児童虐待が発覚した時、子供の虐待の傷跡は悲惨なために、その母親の蛮行だけ批判されてしまうものだが、その母親も精神的に悲惨な日々を送ってきたのである。自分が虐待されて育ったからこそ、我が子にも虐待してしまう。この「児童虐待の連鎖」に自分が吸い込まれてしまっただけなのである。

 親から子へ遺産が相続されるように、育児の仕方も親から子へと相続されていく。遺産は主に男系相続を展開していくが、この育児の仕方は母系相続を展開していく。母親から娘へと受け継がれていくのだ。そのため、良い育児の仕方も相続してくることもあるが、児童虐待のように悪い育児の仕方も相続してくることもあるのだ。

 児童虐待を受けて育って来た女性は、まさかこの世に愛に満ちた育児の仕方があるとは、夢にも想像できないから、どうしても我が子に暴力を振るってしまうのである。しかも、夫は仕事で外に出かけてしまうために、児童虐待は夫にも発覚することがない。夫が児童虐待に気付くのは、相当遅くなってからなのである。

 精神的に従属状態にある女性は、育児を開始すると、自分の過去の記憶が蘇ってくるものだ。自分が母親から愛されて育たたなかったために、我が子を抱いても母性愛が少ししか出て来ないのだ。それが順調に育ち、我が子が喋り始めると、自分の悲惨な過去に自分が乗っ取られてしまい、児童虐待の連鎖に吸い込まれてしまうのだ。

 母親に僅かな母性愛さえなければ、乳児に育児放棄をするということもある。この場合、乳児は死んでしまう危険性が非常に大きいのだ。乳児はまだ自分で一人歩きできないので、児童虐待の連鎖に吸い込まれている母親にとっては、格好の餌食なのである。乳児は免疫力の関係上、死に易いものだが、乳児が死亡した場合は、必ず検死を行うべきなのである。そうしないと児童虐待による殺人を食い止めることができないのだ。

●妻が生まれ変わる

 児童虐待は児童虐待を行っている母親の方が、「これは悪いことだ」と心の中では認識している点で、夫が怒り狂う時とは違うのである。妻の方が夫よりも自分の不自然さを敏感に感じるのである。自分が精神的に自立をしていなくても、さすがに結婚して育児をしていれば、自分の心の中に自分ではない誰かがいるということに気づいているものなのである。しかし、それを自分の手で取り除くことはできないのだ。

 児童虐待がより悲惨になるのは、その妻の夫が児童虐待に気付かないし、気付いたとしても止めるだけの力を持ち合わしていないのだ。妻が妻なら、夫も夫なのである。妻が精神的に自立していないとするなら、夫も精神的に自立をしていないということなのである。夫に妻の児童虐待が発覚しても、家庭内で止めることができないのだ。

 児童虐待は悲惨な事件であるために、児童の命を守るために、政府や地方自治体が介入してくるのだが、これは大方失敗してしまうものだ。さすがに一時的に児童虐待を止めることはできても、その夫妻の精神的従属状態をどうにかすることができないのだ。そのためいくら児童虐待を止めたとしても、また再発してしまうことになってしまうのである。この仕事は政府や地方自治体が手を出すべき仕事ではないのだ。

 この児童虐待を止めさせ、妻を生まれ変わることをすることができるのは、「宗教の力」によってのみなのである。宗教団体では児童虐待をやっている母親を諭し、まともな育児ができる母親に生まれ変わらせることができるのでものなのである。独身女性ではこの心の闇を解きほぐせない。子持ちの既婚女性で、自分も育児を経験したからこそ、児童虐待をやっている母親の心の闇を解きほぐすことができるのである。

 いくら児童虐待の連鎖に吸い込まれようとも、そこから抜け出せる方法も存在しているのである。そうやって児童虐待の連鎖から抜け出した時、徐々に偽りの上位自我は破壊されていき、精神的に独立できるようになるのである。児童虐待を放棄する時は、本当に感動的なものだ。母親が自分の子供に対して心から謝り、号泣するのである。いくら法律の力で児童虐待を止めても、児童虐待は止まることはないのである。母親が心から自分を改めない限り、児童虐待は止まらないのだ。

 児童虐待を阻止しているか、していないかが、宗教団体の正邪を判別する基準と見ていい。仏教系の宗教団体では鬼子母神を祀っている教団が多々あるものだ。日本では中国は違い食人の風習がないのに鬼子母神を祀ったということは、これは児童虐待をしてしまった母親たちが昔から結構いて、それゆえに自分が犯した罪に懺悔して、信仰してきたものなのである。我が子を育てるために、我が子に暴力を振るってしまったからこそ、鬼子母神を祀り罪滅ぼしを行ったに違いないのであろう。

 人間は自分が生まれ育って来たものがすべてではないのだ。その後、自分が誤れる方向に突き進んでしまったとしても、その誤れる方向を修正できる凄い力を持っているものなのだ。ただ、その人生の方向修正を自分の力ではできないのだ。それが精神的に従属している人の悲劇の引き金になってしまうのだ。自分の子供がいるなら、どんな時でも精神的に独立していることである。精神的に独立していれば、自分が間違った方法に突き進んだ場合、自分の力で方向を修正することができるのである。

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子供が喋り始めると、どうして夫は怒り出すのか?

●偽りの上位自我が揺れ動く

 上位自我は、子供の頃には良心の源泉になるし、若い時は青春の飛翔の原動力になってくれる。しかし、その上位自我を大人になれば破壊して、親から精神的に自立していかねばんらなぬのだ。もしも上位自我を破壊しなければ、その上位自我は偽りの上位自我となり、自分が通常では考えられないような異常な行動を取ってしまうことになるのだ。

 その最たるものが、幼児が喋り出すようになってから、なぜか些細なことで怒り出してしまうのだ。自分が怒ることになった理由は些細なことなのである。だが、自分の子供が喋ることによって、自分の偽りの上位非我を刺激してしまうのだ。要は自分が未だに精神的自立をしていないことを暴露されてしまうのだ。

 殆どの場合、夫がこのように怒り出したら、妻は夫がなんで怒っているのかさっぱり見当がつかない。このため、夫の怒りの爆発で子供が泣き出してしまい、妻は自分の子供を守る手前、「子供の前なんだから静かにしてよ」「いい加減にしてよ」と諭すように言ってしまい、それが更に夫の怒りに火を注ぎ、夫の怒りは妻への暴力へと転化してしまうことになるのだ。

 もしも妻の方が精神的自立を成し終えていたのなら、夫が怒り出した姿を見て、これは子供の言動が夫の偽りの上位自我を刺激しているのだなと解るものだが、こういう夫を持つ妻は夫と同じく精神的自立を果たしていないので、夫の異常な行動の原因を見破ることができないのだ。

 こうなると夫の怒りは益々激しくなり、夫婦間暴力も激しくなってしまう。挙句の果てには、妻はDVシェルターに逃げ出してしまうことになる。このDVシェルターにはこの夫婦問題を解決してくれる人々がいるのではなく、フェミニズムに汚染された女性たちが待ち構えているので、夫婦仲を再建するどころか、人為的に離婚へと突き進まされることになるのだ。

●妻の愛情を貰うことを子供と争う

 子供が喋り出してから、怒り出し、暴力を振るうようになった夫でも、それ以前は優しく、怒ることなく、育児に協力してくれた夫だったのである。それなのに或る日突然変わり始めたのであり、すぐさま離婚というわけにはいかないのだ。妻にとっては未練タラタラなのである。

 夫が精神的自立を果たしていないと、妻が育児をする姿は、夫に幼稚化をもたらしてしまい、妻の愛情を貰うことを子供と争おうとする。こういう場合、妻は育児で大変になっていても、矢張り夫の幼稚化に対応しておくべきなのである。夫は自分の母親から充分な母性愛を貰えなかったために、妻にその不足分を求めているのである。

 しかし、育児で忙しいと、この夫の甘えを振り切ってしまい、夫に母性愛を与えようとしなくなってしまうのだ。これが繰り返されると、夫は妻から拒絶されたと思い、怒りを爆発させ始め、母性愛をくれなかったからこそ、妻に暴力を振るってくるのである。母性愛は絶対肯定の間から、相手を絶対否定する凶暴な行動に駆り立ててしまうのである。

 赤ちゃんを産めば母性愛が出て来るのだから、夫が幼稚化したら、赤ちゃんにだけでなく、夫にも母性愛を与えておけばいいのである。夫は常に逞しい男とは限らないのである。妻から絶対的に肯定して貰えないと、外で戦うことができないのだ。自分が育児に専念するためにも、夫が妻に甘えてきたら、甘えさせてあげればいいのだ。

 結婚というものは、子供が1人目と2人目の時が、経済的に最も苦しくなる。このため夫は仕事に精進して稼ぎを増やさねばならぬのだが、そうなると今までのように遊ぶことなどできず、職場と自宅を往復するだけの日々を送るようになってしまうのだ。妻が育児で大変になっているように、夫も仕事で大変なことになっているのだ。かといって、夫は妻に仕事の愚痴など言ってこないものだ。妻は育児の愚痴を言ってくるというのに。妻は自宅にいるために、夫の大変な姿を見ていないだけであって、夫が妻に甘えてくるというのは、余程疲れきっているからなのである。

●キレる夫に平謝りの妻

 夫が怒り出すとか、夫婦喧嘩なら、それは家庭内の問題だが、これが激しくなると近所迷惑な事態に発展してしまうのだ。俺が昔住んでいた横浜には、日頃は腕のいい鮨職人なのだが、酒が入ると酒乱になってしまい、その怒鳴り声が近所中に鳴り響いてしまい、非常にうるさいのだ。しかも時間は真夜中である。睡眠妨害の何物でもないのだ。このため、翌日にはその鮨職人に妻が近所中に平謝りして、詫びを入れに来たのだった。

 精神的自立を果たしていないと、何かに対して中毒症状を引き起こすことで、自分の精神のバランスを保とうとする。代表例がお酒であり、タバコもそうだし、麻薬にも手を出してしまうことになる。タバコを1日に1箱以上を吸っていたら、それはタバコが好きというわけではなく、精神的自立を果たしていないことこそが、そういう異常な行動に駆り立ててしまうのである。

 アルコール中毒やニコチン中毒や麻薬中毒は、お酒やタバコや麻薬に中毒性があるから中毒症状に陥ったわけではないのである。そうであるならそれらの物に手を出した人は、すべて中毒症状に陥った筈だ。そうなのではなく、自分が精神的自立を果たしていないからこそ、自分の弱い心にそれらの物に付け込まれてしまい、それで中毒症状に陥ってしまったのである。

 医者が中毒症状に陥った人を治療する時、病気を医学的に限定してしまうために、中毒症状を引き起こした物と縁を切り、体をクリーンにするという方法を取ってしまう。だが、それではたとえ中毒症状から抜け出せたとしても、また再び中毒症状を引き起こした物に手を出してしまうのだ。精神的自立を果たしていないからこそ、何度でもそこを付け込まれてしまうのである。

 夫が中毒症状に陥ってしまうと、夫婦仲もひどいものとなってしまう。夫婦がいくら話し合っても、まともな形で会話が成立しないのだ。しかも、夫が中毒症状に陥っていると、夫が無駄遣いをしてしまうために、家計は火の車になってしまうのだ。精神的にも経済的にも追い詰められているのに、妻にとっては夫の異常な行動の理由が解らないのだ。

●夫が生まれ変わる時

 この手の問題は政府や地方自治体では解決できないのだ。国家権力は家族に介入すべきではないのだ。国家権力は国防や治安維持や公共事業といった民間ではできないことをやるべきであって、民間が解決できるものは、民間に任しておくべきなのだ。政府がいくらDVシェルターを作ったとしても、それは税金の無駄遣いでしかないのだ。

 こういう場合、夫婦の異常事態を解決してくれるのは、宗教団体と相場が決まっているのだ。この手の問題は宗教団体にとってはお茶の子さいさいのものでしかないのだ。神の絶対性を主張して、人間を相対化させてしまえば、問題を起こしている自分を絶対化することができず、徐々に自分を冷静に見れるようになり、問題解決の糸口を掴めるようになるのだ。

 夫婦が拗れてしまった場合、第三者の存在がどうしても必要なのである。夫がトラブルの原因である場合、子持ちの既婚男性から諭されれば、夫も自分自身に非があると認めてくるものなのである。独身男性では駄目だし、結婚していても子供がいない男性ても駄目だ。互いに結婚し子供がいるからこそ、結婚で成功している男性から諭されれば、自分を変えていくことができるのである。

 神の存在を否定してしまえば、自分が強い人間だと思い込むし、賢く、間違いを起こさないと思ってしまう。しかし、実際の人間は予想以上に弱い人間だし、愚かで、何度も間違いを起こすものなのである。この世は弱かろうが、愚かだろうが、間違いを起こそうが生きていけるものなのである。しかし、神の存在を否定し、自分自身を絶対化するからこそ、様々なトラブルを引き起こし、この世で生存できなくさせてしまっているのである。

 結婚前に精神的自立を果たしていなくても、第三者の手助けを借りながら自分を変えていき、結婚してから精神的自立を果たし、精神的に独立していくことができるのである。それは冒険旅行の時とは違い、上位自我が一気に崩れ去ることはない。徐々に一つずつ上位自我を破壊していき、気付いてみたら子供に対しては立派な父親、妻に対しては優しき夫に成長しているものなのである。こういうことはDVシェルターに行ってしまっては、絶対に辿りつかないゴールなのである。国家権力ではなく、宗教の力を使うからこそ、できることなのである。

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子供の嘘は現実と空想の区別がつかないだけ

●子供の心の中で出来上がる上位自我

 赤ちゃんを産み育て、その赤ちゃんが初めて「ママ」や「パパ」と言った時は感動ものだが、子供がちゃんと喋られるようになってから、有り得ないような話を聞かされるのも、それと匹敵するくらいの感動なのだ。男親なら、仕事で疲れて帰宅した時、娘から「今日ね、妖精さんを見たの」という奇想天外の話を聞かされれば、仕事という現実と、妖精さんという空想の話には余りにもギャップが有り過ぎて、爆笑してしまうのだ。

 「それでその妖精さんと何をしたの」と話を聞くと、娘はきちんと話をして、物語が出来上がっているのである。これが息子だとこうはいかない。もしも「今日ね、怪獣を見たの」と言ってきても、「それでどうなった?」と尋ねると、いきなり「終わり」。この辺りが女の子と男の子の性差が如実に現れて来ることなのである。

 人間の子供は一人で育つわけではない。母親と密着しながら育てられるために、人格の成長に甚大な影響をもたらすことになる。自分の人格だけが育つのではなく、自分の心の中にもう一つの人格を発生させることになる。これが「上位自我」であり、子供に上位自我ができるからこそ、「オママゴト」や「お人形さんゴッコ」という複雑な遊びができるのである。上位自我が出来始めると、擬人化を行うことができ、この手の妄想が始まるのである。

 上位自我は言わば、子供にとっての「良心」の役割を果たす。自分が何をすれば正しいかを自動的に律してくれるのだ。子供の心の中にきちんと上位自我が形成されれば、それほど母親の手を焼くことのない子供になってくれるものなのである。女の子の方が育て易いと言われるが、女の子は母親と同性であるために、母親の人格が入り易く、健全な形で上位自我が形成され易いのだ。男の子の場合は、父親が仕事でいないために、父親の人格が入りにくく、あやふやな形でしか上位自我が形成されないのだ。

 上位自我は良心を作り出すだけでなく、「嘘」をも作り出す。上位自我ができたことで、現実にどっぷりと浸かっているわけではないので、現実から離れた空想を生み出すことができるのである。これが可愛い形で現れれば妖精さんなどが出て来る「妄想ワールド」が展開されるし、これが憎たらしい形で現れれば「嘘」という形で現れて来るのだ。

●してはいけない嘘

 育児をしていく時に、今まで「自分の天使ちゃん」だと思っていた自分の子供が、途端に嘘をつき始めることには、母親ならビックリするものなのである。赤ちゃんの時には嘘をつかなかったのに、言葉が喋れるようになってから、途端に嘘をつき始めるからだ。相手は子供ゆえに、嘘が発覚する事件は些細なものなのだが、嘘をつかれたために激怒してしまい、子供が泣きわめいているのに、叱り続けてしまうのである。

 子供がそれだけ成長したということなのであるが、母親の方はそうは受け止められないのだ。今まで嘘をついてこない人から嘘を聞かれれば、自分はこの子から裏切られたと思ってしまうのだ。子供は母親を裏切ったわけではなく、健全に成長したからこそ、嘘をつjける能力を持ったのだが、母親は決してそのようには受け取らないのである。

 勿論、子供が嘘をついたのなら、親として叱らねばならない。しかし、自分が感情的になって怒りを爆発させてはならないのだ。そうなれば、子供の精神的な成長を歪めてしまい、子供は母親を心の中で拒絶するようになってしまい、その後の成長で子供の方が怒りを爆発させてくるのである。

 だからこそ、子供を一人産み育てるのではなく、子供を多く産み育ていく必要性があるのだ。子供が嘘をつく頃には第二子を妊娠していれば、子供の嘘といえどもそれほど激怒することなく、冷静に対処できるようになるのだ。子供の方も母親が妊娠していれば、それほど悪どい嘘をつかないものなのである。

 子供が嘘をついた時に、絶対に叱らねばならないのは、「親に対して嘘をつくこと」に対してなのである。母親がすべての嘘を取り締まるのではなく、自分を産み育ててくれた母親、正確にいうと父親もなのであるが、親に対して嘘をついた場合は、それを見つけ次第、しっかりと叱っておけばいいのである。そうすれば、「親に対する嘘はいけなんだな」ということが心に刻まれ、嘘をつくことに対して制限を与えることになるのである。

●していい嘘

 「子供は純真だ」なんて思わない方がいい、それは大人たちが作り上げた妄想なのである。子供は嘘をついてくるものなのである。嘘をつくことによって上位自我を使う術を覚えていくのである。子供がオママゴトや怪獣ゴッコで空想を遊ぶことによって上位自我を使う術を覚えていくように、嘘を使うことで上位自我を使う術を覚えていくのである。

 この世には「してはいけない嘘」もあるが、「していい嘘」もあるのだ。この「していい嘘」とは「空想」なのでる。子供なりの空想の産物としての嘘は思う存分に使っていいのである。この空想こそが、後に想像力として成長していき、高い創造能力として発揮できるようになるのである。現実にどっぷりと浸かっていては、想像力も創造能力も生まれて来ないのだ。

 空想というのは、親が手出しをしないからこそ、自由に空想を展開していくことができるのである。すべての場面に於いて子供に手を出すのではなく、子供を空想の中で遊ばせておけばいいのである。過干渉になってしまう母親に弄られたり、子供に早くから仕事をさせてしまうと、子供は空想の世界で遊ぶことができないので、どうしても歪んだ大人に成長してしまうのである。芸能人でも子役あがりの芸能人は矢張り何か人格的に異常なものを持っているものなのだ。

 子供というのは、大きな場所で育ててはならないのだ。小さな場所で育てなければならないのだ。大きな場所で育ててしまえば、その子供が人間関係を処理するだけに終始してしまい、自分だけの時間を持って、自分の空想を楽しむことができなくなってしまうのだ。自分と接する大人たちが少なければ、人間関係の処理は短時間で終わり、後は空想の世界で楽しむ時間に充てることができるのである。

 子供が嘘をつき、空想で遊んでくれれば、その内、子供なりに親に隠したい独自の世界を作り出し、そこを安全地帯にして新たな成長を開始していくのだ。幼児であるならば、砂場とか空き地とか親の目の届く所で安全地帯を作るものだが、小学生にもなれば小学生だけで秘密基地を作って、親の目の届かない所で安全地帯を作っていくのである。だからこそ、健全な成長を果たしていくことができるのである。

●知的正直と馬鹿正直

 正直というのは道徳で最重要徳目であるが、この世は正直な人たちだけがいるわけではないのだ。いくら自分が正直に徹しても、相手が嘘をついてくれば太刀打ちの仕様がないのだ。嘘に対抗するためには、こちら側も嘘をつくべきだし、嘘をついて相手を迎撃することも必要なのである。

 「正直は美徳、嘘は必要悪」なのである。自分の子供には正直をしっかりと教えていかねばならない。その一方で、嘘のつき方もいずれ教えて行かなくてはならないのである。子供に言葉を教える努力をする必要はないものだが、正直と嘘を教える必要性は絶対にあるのだ

 いくら正直が倫理的に正しいこととはいえ、正直だけを教えていては、子供は「馬鹿正直」になってしまい、自分が不利になることでもベラベラと喋ってしまい、大損害を被ってしまうのである。この世で生きて行くためには、必要な嘘もあるのだ。この世で生きて行くためには正直も嘘も両方が必要なのである。

 嘗て孔子は弟子が「父親の罪を告発した息子こそ正直者である」と言ってきたのに対して、「そんな人は正直者とは言わない。父親が罪を犯しても隠すのが、本当の正直者である。」と言ったことがあった。人間は罪を犯した所で、すべての罪を告発すべきではないのである。誰だって罪を犯すことだってあるのだから。しかも、よりによって自分の父親が犯した罪を告発することなどないのだ。これこそ馬鹿正直であろう。大事なことは、自分が生きて行きくために、正しい正直の使い方と正しい嘘の使い方を習得していくことなのである。

 正直というは、「馬鹿正直」ではなく、「知的正直」であるのだ。知的正直とは、「自分自身に嘘をつかない」ということと、「インチキな観念には騙されない」ということなのだ。インチキな観念に振り回されて、自分の正直を悪用されてはならないのだ。この知的正直を持った者こそが、巧くこの世を生きていけるようになるのだ。物事を誤魔化すような子供は失敗する人生を歩むし、嘘を巧く使えない子供は失敗する人生を歩むものだ。逆に、物事を誤魔化さない子供は成功する人生を歩むし、嘘を巧く使える子供は成功する人生を歩むものなのである。

●上位自我のその後

 子供は自分の心の中に上位自我があることによって、自分が自分以上の存在になれる。なんせ男の子なら父親が入っているわけだし、女の子なら母親が入っているのである。子供は子供らしいことをして育ってくるのではなく、親の物真似をして育ってくるのである。だからこそ、自分の能力を大いに高めることができるのである。

 育児では母親が主に担当するために、女の子の方により強い上位自我が形成されてしまう。そのため、「オママゴト」や「お人形さんゴッコ」も非常に面白い物語を展開しながら遊ぶのが巧いのだ。その内、想像力は更に進んで、女の子の魔女や妖精や天使など、空想の世界を作り出していくのだ。それゆえ女の子のアニメなら魔女物が非常にヒットし易いのだ。自分の上位自我を大いに刺激してくれるからだ。

 これに対して男の子は仕事で父親がいなために、女の子に比べれば、貧弱な上位自我しか形成されない。そのため、男の子が「オママゴト」や「お人形さんゴッコ」などで遊ばないものだ。それができるだけの能力がないのだ。もしも女の子に付き合ってその遊びをしたとしても、女の子同士の遊びに比べれば、非常に程度の低い物語しか作れないのだ。

 男の子なら主にオモチャの「怪獣」や「ミニカー」や「電車」を使って遊ぶものだ。その遊びに物語などありはしない。ただ単に動かし、攻撃を加える程度だ。これが長じてくると、男の子はテレビで戦隊物やロボットアニメに夢中になってしまう。男の子の貧弱な上位自我を大いに刺激してくれるからだ。戦隊物もロボットアニメも、顔が無表情というのは、貧弱な上位自我に対応しているのだ。

 男の子も女の子も成長してくると、自分の親が他人から批判されるとカンカンに怒り出すものだ。たとえ自分の親がどのような人物であれ、他人から批判されれば、烈火の如く怒り出すのだ。親への批判は親への批判に留まらず、自分の上位自我に対する批判にもなってしまうからだ。これは子供が親に反抗したとしても、小学生まで続くものなのである。だからこそ、この時期は決して自立の時期ではなく、従属の時期なのである。

●上位自我が破壊される時

 上位自我は青春時代には決定的な役割を果たすことになる。青春時代とは自立していくための修行時代でもあるのだが、上位自我がきちんと入っていれば、この修行をちゃんとこなして実力を高めていくことができるのである。中学生や高校生の頃に勉強やスポーツに熱中できなければ、実力が高まっていくことができないのだ。

 実力が付き次第、男の子なら「冒険旅行」に出かけ、自分の実力を試す試練を迎える。自分が学んだ物が本当に正しい物なのか実践で試すのである。未知なる世界で見知らぬ人たちと戦うことによって、自分を鍛え、実力を高めていくのである。この推進力を果たすのが上位自我であり、そして上位自我は冒険旅行の中で破壊されていくのである。なぜなら、自分の本当の敵は、自分に不自然をもたらしている上位自我であるからだ。冒険旅行は上位自我に促されて出かけるのに、その冒険旅行の中で上位自我を破壊していくのである。

 だからこそ、男の子は「ガンダム」や「エヴァンゲリオン」などのアニメに熱中してしまうのだ。両方のアニメも主人公が乗るロボットを父親が作ったという設定である。このロボットは上位自我という暗喩なのだ。そして主人公はそのロボットを使って敵と戦い、戦いに勝利していくのである。最後にはそのロボットを捨てて、新たな人生を歩むのである。これはまさに男の子が経験する冒険旅行なのであり、だからこそ男の子たちはこれらのアニメを見ると興奮し熱狂してしまうのである。

 女の子の場合は、男の子のように冒険旅行をせず、女性同士で友情を育み、親友を作り、そしてたった一人の異性を捕まえて恋愛をし、上位自我を破壊していくのである。女の子の成長過程にはすべてが愛が絡んでくることになる。女性同士できちんとした友情を作り出せないと、健全に成長していかないのだ。だからこそ、女性同士での付き合いではレズビアンは締め出されてしまう。女同士の友情というものを破壊してしまうからだ。

 女の子は数多くの友達を持ち、その中で親友が出来てしまうと、その親友とべったりの時期を迎える。女の子にとってはその親友と深い友情を築くことによって、世間での様々な情報を集め、共感能力を高めていく。男の子は冒険旅行に行くために、自分とは違うタイプの男性を親友にするものだが、女の子の親友というのは、似た者同士で親友を形成していくのである。似た者同士でなければ、共感能力を高めることができないからだ。

 女の子は親友との友情が深まると、不思議と運命の男性が現れてきて、初恋をするようになる。その初恋の中で男性から愛を受け、自分の愛を出して行く過程の中で、上位自我を破壊していくのである。女の子の場合は、初恋の男性と失敗しても、その後、別の男性を探して恋愛をし、上位自我を破壊していくのである。女性は上位自我が破壊されれば、独身で居続けることはせず、結婚して新たな家族を形成していくのである。

●人間が作り出した架空人物

 男性も女性も上位自我を破壊されなければ、異常極まりない言動を取ってきてしまうのでる。上位自我は青春時代の中で破壊されるように仕組まれているのであり、その破壊が起きなければ、上位自我は自分自身を浸食し、不幸の人生を歩ませることになってしまうのだ。なぜなら、上位自我がある限り、その人は不自然な行動しか取れないからだ。

 男性だったら、まともな仕事ができないし、職を転々としてしまい定職に就かなくなってしまう。冒険旅行の中で愛情や知恵や勇気を試していないから、一つの仕事を取り行えるだけの力を持っていないのだ。だからこそ、男性は仕事で成功することに躍起になり、仕事で成功できたことを自慢しようとするのだ。

 女性だったら、まともな恋愛ができず、男性を取っかえ引っかえしてしまい、堕落してセックスに溺れてしまうのだ。女性は十代の頃に、女の子同士できちんとした友情を育んでいないと、男性を見る目を養うことができないのだ。女の子同士で共感しあっていないから、自分が共感できる男性を見つけられないのだ。敢えて自分と相性の悪い男性を見つけてきてはセックスをして捨てられてしまうのだ。

 モテない男性に限ってアイドルに夢中になるし、モテない女性に限ってイケメンに夢中になってしまうものだ。まともな恋愛をしていないから、現実離れした人間にしか興味を示さなくなってしまうのだ。或るアニメオタクの男性が、「僕はアニメキャラの女性にしか興味を持てないんですけど」と言っていたが、こうなってしまうと現実世界で生身の人間と恋愛することはできなくなってしまうことだろう。

 こうなってくると、世界に存在する架空人物たちを調査してみると、これが上位自我を破壊できなかった人たちの産物だというのが解る筈だ。アイルランドやイギリスでは「妖精」がいると言われるが、妖精を見たと言っているのは、友人の少ない孤独な女性たちなのである。上位自我をきちんと破壊できなかったために、妄想の産物としての妖精が産み出されてくるのだ。勿論、この孤独な女性たちの中では妖精は元気よく動きまわっているのだ。

 妖怪なども所詮は人間の妄想の産物なのだ。水木しげるに妖怪を教えた 「のんのん婆」は、貧しい生活を強いられた祈祷師であったのだ。のんのん婆はその悲惨な生活から脱がれたいために、些細な現象にこじつけて、妖怪を作り出し、その妄想を楽しむことによって、悲惨な生活を乗り切ったのである。

 現代に良く出て来る「宇宙人を見た」という話も、所詮は上位自我を破壊できなかった人たちの妄想の産物なのだ。この宇宙人と遭遇した話は、なぜかその遭遇話は殆ど同じである。まず最初に宇宙人は数人出て来て拉致され、円盤の中に連れて行かれるのである。そこで、拉致された他の地球人を見、その円盤の中で治療か検査か何かを行われるのである。折角、宇宙人に会い、円盤の中に入ったのだから、何か物的証拠でも持って帰ってくれば、まだその話に信憑性がつくものを、なぜか宇宙人を見たという人たちは何も物的証拠を持ち帰って来ないのである。

 精神医学的には、円盤の話は「全体性の回復」として捉えられている。その人に協調性がなく、集団から疎外されてしまうと、宇宙人を見たとか、円盤を見たとか、この手の妄想を見てしまうのである。正確に言うと、宇宙人とは自分を疎外している人々であり、円盤は自分を疎外した集団だということになる。

 この妄想がひどくなると、「自分は宇宙人である」と言い出すようになる。民主党の党首「鳩山由紀夫」は「僕は宇宙人」だと言っていたが、彼の人生を振り返っても、どこにも冒険旅行の話は出て来ないのだ。上位自我が破壊されていない人の行動は支離滅裂なのだ。「友愛」を唱えながら、友人の妻に手を出し、略奪婚をしてしまうのだ。これが奴の言う「友愛」なのだ。国民が精神的に独立していれば、この手の男の正体を見破り、彼を排除できるのだが、国民が精神的に自立すらしていないと、この手の男にまんまと騙され、選挙で彼を首相として選出してしまうのだ。国民が選挙で政治家を選ぶなら、その選挙権者が精神的に自立していることを要件にしなければ、衆愚政治にしかならないものなのだ。

●キリスト教の誕生の秘密

 上位自我が破壊されないと、人間は有り得ないような妄想を言い出すということが解ってくると、キリスト教の誕生の秘密も簡単に解ってくるのである。キリスト教は殺されたイエスは復活して蘇ったと主張してくるのだが、これは非常に疑いのある復活なのだ。なんせ最初に復活を見たのは、売春婦であった「マグダラのマリア」だからだ。

 その後、マグダラのマリアに復活を告げられて、「十一の使徒たち」がイエスを見た言い出したからだ。明らかにこの復活劇は異常なのだ。生前、イエスと深い関係にあった人たちだけが復活を見たと言い出したのであり、それ以外の人たちは復活を見ていないのだ。墓場の番兵はなぜか眠りこけているし、40日間に亘ってイエスは復活したと福音書は記しているのに、他にイエスを見たという人は、「マグダラのマリア」と「十一の使徒たち」意外、誰もいないのだ。

 もう解っていると思うが、これは上位自我が見せた妄想なのである。個人が自分だけで見たのではなく、十数名の人たちが同じような妄想を見た「共同幻想」であったのだ。人間は上位自我が破壊されていないと、この手の妄想を見てしまうのである。自分が上位自我を破壊し、精神的に独立してしまえば、キリスト教など信じることはないだろう。しかし、自分が青春時代の中で上位自我を破壊せず、精神的に自立していないと、キリスト教に心を鷲掴みにされてしまうのだ。

 キリスト教の教義など冷静に見れば、出鱈目以外の何物でもないのである。例えば、キリスト教では「原罪」を主張してくるが、なんでアダムが犯した罪を現代の人々が償わねばならないのだ。原罪とは、宗教世界に於ける究極的な冤罪であろう。神は一つであると言いながら、「父と子と聖霊」は一体であるという 「三位一体説」など、唯一絶対神に違反する教義なのである。イエスの母であるマリアが処女懐胎したというのも、これは事実ではなく、ギリシャ語で「若い乙女」が誤訳されて処女になってしまったのである。こんなことは文献を少し調べてみれば解ることなのである。

 自分が理性的態度を貫いてしまえば、キリスト教の教義がおかしいと言い出す筈なのである。しかし、いくら理性的態度を貫いても、精神的な自立が終わっていなければ、キリスト教に洗脳されてしまうのである。キリスト教こそ絶対に正しいと思い込んでしまうのだ。上位自我を破壊できなければ、その上位自我によって誤った世界が見えて来てしまうのである。

 子供が妄想を言ったり、嘘を言ったりするのは、可愛いものだ。しかし、それを大人がしてしまえば、信用を失墜し、「人でなし」となっていくのである。それなのに宗教を持ち出して、正当化してはならないのだ。我々は子供の頃に力を与えてくれた上位自我を、いつの日にか破壊していかねばならないのである。親から貰った上位自我を破壊できた時、我々は一人前の大人になれるのである。

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子供には徹底的に記憶をさせろ

●子供の脳は繰り返すことで成長していく

 育児をしていると、子供がいつも同じ絵本を持って来て、母親に読むことを頼むということに出くわす。母親としては、「その本は昨日読んだじゃん」と思っても、子供は飽きもせずに、同じ本を読んで貰おうとするのだ。こういう時は、母親は嫌がることなく、子供の要請には応じた方がいい。というのは、この子供の行為こそに、脳の発展が隠されているからだ。

 人間の脳というのは、何度も何度も同じことを繰り返すことで、記憶の回路を作り、それによって複雑な思考を展開していくのだ。子供は丁度、脳が成長する時期に当たっており、だからこそ母親に同じことを繰り返して貰うことによって、記憶の回路を作ろうとしているのだ。記憶の回路ができることこそが、知能が高いということなのである。

 母親がなぜ同じ絵本を読むことを嫌がるかといえば、大人は既に記憶の回路が出来上がっているために、本を一読すれば大体の内容を把握することができる。増してや絵本のような物は一読すれば内容をすべて覚えることができてしまうので、新しい発見など何もなく、なんの喜びもないからだ。だからこそ、我が子といえども、同じ絵本を読むことをせがまれると、嫌だという反応を示してしまうのである。

 では、もしも絵本のない国があるとするなら、子供は一体どうなるかといえば、子供はそれほど知能を高くすることができない。子供は幼児という大事な時期に、母親から絵本を読んで貰うことで、知能を高くすることができなくなってしまうからだ。勿論、子供も自分で文字が読めるようになれば、何も母親に依頼せず、自分で読むようになるが、文字が読めなかった頃の空白というのは、脳の成長から見て、意外と大きな差となって現れてくるのである。

 脳の成長が終わるまでは、頭がいいということは記憶の得意さと比例するのだ。いかに母親が子供の記憶の回路を作って上げるかで、その後の学校や大学への進学ルートが全く別のものになってしまうのである。子供は記憶が達者なのだから、とにかく記憶させてしまうことだ。詰め込み教育否定論者の意見を絶対に耳を貸さないことだ。19歳以下の人間に対しては、詰め込み教育こそが最高の教育法なのである。若い時に記憶をしてこなかった人で、優秀な人間になった人など一人もないのだ!

●絵本を繰り返し読む

 子供が同じ本を読んで貰うことをせがむ以上、絵本選びは慎重にした方がいい。ママ友に聞くなり、実母や祖母に聞いてみるといい。もしも実家に絵本が残されていたのなら、自分で探し出して読んでみることだ。絵本の出費は惜しまないことだ。身銭を切るのが、いい絵本に巡り合える一番の近道なのだ。

 絵本の好みは、男の子と女の子では好みが違うということだ。男の子は冒険物や戦争物が大好きで、女の子は結婚物や魔法物が大好きなのだ。絵本を読み聞かせて、子供が好きそうであるなら、その手の絵本を何度も読み聞かせてあげることだ。子供たちは所詮、一読した所で、話の内容なんて解っちゃいないのだ。事実、読み聞かせている途中で眠ってしまうのだ。

 母親になった以上、これだけは知っておいた方がいいのは、絵本作家は非常に特殊な人たちだということだ。普通の作家のように大人向けに作品を作るのではなく、子供向けに作品を作ってくるために、どうしても感性を子供レベルまで落としてこなければならないからだ。そのため、下手をすると、その作家自体が精神的に自立しておらず、その作品の内容や文章がどうも変だなということが有り得るのだ。だからこそ、粗悪な絵本も多く存在しており、それゆえに子供に絵本が必要としなくなれば、絵本は捨てられてしまうのである。

 こういった点からも、絵本は現代の絵本だけでなく、古典的作品を買っておくということを絶対にしておいた方がいい。絵本にも古典があるのだ。絵本で古典に入る作品は、数多の母親たちが自分の子供に読み聞かせて、母親の方がこれはいい絵本だという結論に落ち着き、子供の方もこの絵本は非常に面白いという結論に辿りついた絵本であるということなのだ。

 男の子向けなら『桃太郎』だし、女の子向けなら『シンデレラ』だろう。これらの絵本を何度読み聞かせても、子供たちは喜ぶものだ。いい絵本とは物語の展開が巧く、文章のリズムがいい物なのである。このことを判定するためには、何度も音読してしまうことだ。同じ絵本を何度も読んでいれば、母親の方がこれは名作だというのが解ってくるものなのである。ただ単にダラダラと読んでいると、この判別がつかず、子供に粗悪な絵本を読み聞かせてしまうことになるのだ。

●経典を繰り返し読み聞かせる

 絵本のように子供に読み聞かせるものではないが、結果的に経典を読み聞かせてしまうことも、子供にとっては記憶の回路を作ることを可能にする。この分野では仏教が抜きん出ており、両親が仏教徒の場合、子供は仏教経典に早くから慣れ親しむ機会を得ることができるのである。神道にもキリスト教にも、一般の信徒が音読して読経をする習慣がないために、仏教が圧倒的に優位に立つのである。

 日本人が好んだ仏教経典は2つしかない。それは『法華経』と『般若心経』である。仏教はインド生まれなので、仏教の原典はサンスクリット語で書かれているのだが、これを直接に日本語に訳してしまうと経典の内容が解ることができても、名文であるとは言い難いのだ。法華経も般若心経も、中国の文章レベルが最も高くなった時代に中国語に翻訳されたために、非常に格調の高い文章になっているのだ。このため、未だにサンスクリット語から翻訳された物が好まれず、中国語から翻訳された物が好まれているのだ。この翻訳の仕方の弊害としては経典を正確に理解することができないという難点も出て来るが、かといって解り易い経典にしてしまったら、経典の有難味がなくなってしまうのだ。ここいらは宗教的に言って難しいものだ。

 神道家であるなら、『祝詞』を音読してしまうことだ。祝詞は古代日本人が作り上げた文章なので、この祝詞のリズムが解ってくると、日本語で書かれた文章の良し悪しが解ってしまうようになるからだ。神道には『古事記』を読経する習慣はないものだが、古事記は語り部が話した内容を記録したものなので、古事記を音読してみると。非常に語り易い文章になっているのが解る筈だ。

 儒教の経典なら、『大学』『論語』を読み聞かせておくことだ。文字の解らない子供には珍紛漢紛であっても、その文章のリズムが解っていると、文字が読めるようになってから、読書の理解度が高まるし、大量の書物が読めるようになるのだ。江戸時代や明治期の日本人が英雄豪傑が湧出したのは、儒教の蓄積があったからなのである。

 宗教の経典はどの宗教であったとしても、その内容が素晴らしいものであるし、名文であり、リズムのいい文章でなのである。日本は長らく神仏習合で来たので、仏教徒といえども神道の古典を読まねばならないし、神道家といえども仏典を読まねばならないのだ。それに儒教も経典にも手を出しておくべきなのである。これが出来ていると、バランスの取れた子供が成長してくることになるのだ。

●言葉遊びで脳を鍛える

 言葉遊びというのも、子供の脳を鍛えることになる。子供に語呂のいい文章を教えて、同じ言葉を覚えさせるのだ。暇な時にこれをやると、いい刺激になるのだ。例えば、「にゃんにゃんゴロリン、わんわんわん」など日本語的には意味不明な文章なのだが、これを子供に教えると、結構喜ぶのだ。育児の巧い母親というのは、これが非常に巧いのだ。確かにこの手の母親たちが作る出鱈目文章は言い易いし覚え易いのだ。

 今から大学進学のことや偏差値のことを考えるのではなく、とにかく遊びながら脳を鍛えていくということをしていけばいいのだ。子供は遊びを通して学んでいくのであって、教育によって学んでいくのではないのだ。教育が必要になるのはずっと後のことなのである。今はまだ遊びながら学んでいく時期なのである。

 こういう観点からすると、子供にとってテレビは非常に有害なのだ。母親との遊びがないから、人間関係を構築した上で学ぶというのが欠落してしまうのだ。しかも、テレビには繰り返しがないために、非常に程度の低い内容になってしまい、だからこそ、テレビを見させると馬鹿になるといわれるのだ。

 子供の脳はまだまだ未熟で成長していく真っ盛りなのである。しぶとく子供に何度も何度も同じことを繰り返していくことだ。同じ絵本を読み聞かせ、同じ経典を読み聞かせ、同じ文章を読み聞かせていくべきなのだ。頭のいい大人なら、なんでそんな同じことを繰り返すのかと馬鹿にしてしまうものだが、同じことを繰り返すからこそ、子供は脳を発達させることができるのである。

 因みに、就寝直前は記憶され易いので、子供を布団に寝かして、子供が寝付くまで絵本を読み聞かせるというのは、脳の成長から見ても非常に有効なのだ。大方の子供は絵本を読み終える前に寝てしまうものだが、母親が飽きもせず、毎晩同じ行為を繰り返していると、子供は高い知能を持つことができるようになるのである。

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人間の脳の80%は3歳までに作られる

●2歳代は急激に使う言葉が増える

 人間の脳の80%は3歳までに作られる。その後は、脳の成長は緩やかになって、満12歳までに殆どができあがり、それ以降の19歳まではごく僅かしか成長しない。従って、脳の成長で重要な期間は3歳までであって、だからこそ、昔の人たちは、「三つ子の魂、百まで」と言い現わしたのである。だが、この三つ子は数え年の三つ子だから、正確に言うと満2歳までということになるのである。

 満2際になると急激に使う言葉が増える。理由は出生から今まで多くの言葉を聞いて蓄積したし、自分でも喃語から単語へと移行し、更に二語文を使い続けたので、自分の言いたいことを表現できるように成り始めたのだ。それと母乳が終わり、離乳食になり、そして正式な食事になったので、脳へ行く栄養が今までとは比較にならない量になったから、脳が高度な情報処理に耐えられるようになったのだ。

 正式な食事が始まると、子供への手間がかなり減ってくるので、この時期に会話をするなり、絵本を読ますなり、色々な所へ連れていって好奇心を掻き立てると、脳が充分に刺激され、高い知能を持つことができるようになるのだ。この時期を見逃してしまうと、他の時期では脳を成長させることはできないのだ。

 現在、日本では学歴社会となっているために、頭の良し悪しは学歴で決まってしまうことになっているが、実は頭の良し悪しは学歴で計れるほど単純なものではないのだ。人間の知能は成長の早い人もいるし、遅い人もいるし、学校の勉強が向いている人もいるし、学校の勉強が向いていない人もいるのだ。学歴で計れる知能はごく僅かな部分でしかないのだ。

 人間の頭の良し悪しは3歳までにいかに脳を刺激して、成長させるかで決まってしまうものであって、後は自分の努力でどうにでもなるというものなのだ。母親が子供の脳を充分に成長させてくれるなら、その子供のその後の人生は、いかに結果を生み出せる努力をし続けるかで、頭の良し悪しは決まるし、幸福質量も決まってくるのだ。要は「努力即幸福」という考え方を身につけることができれば、その後の人生でいくらでも脳を成長させていくことができるのである。

●二語文、三語文、そして文章化

 赤ちゃんは「泣く」という行為から、「喃語」へと移行していく。その喃語を使い続けていくと、「単語」を使えるようになるのだ。そして単語の語彙を増やしていくと、二語文を話すようになり、三語文を話すようになっていくのだ。三語文は文章として成立しているから、それ以降は文章化して自分の言いたいことが言えるようになるのだ。

 解り易く説明すると、

「ウンチ」

「ママ、ウンチ」

「ママ、ウンチが終わった」

となり、三語文になると、文章としてほぼ成立しているのが解るであろう。乳幼児を良く観察している母親なら、乳幼児というものは単語の時期が非常に長く、二語文の期間もかなり長いが、三語文になると急速に言葉が喋られるようになることに気付く筈だ。それだけ三語文というのは、脳を成長させ、語彙を急激に増やしていくのである。

 自分の子供が三語文を話してくれれば、会話がきちんと成立するから、とにかく子供と会話しまくることだ。子供にとって母親の話を聞くだけで語彙を増やせるし、母親に自分の言いたいことを言わなければならなくなるので、自分の頭の中で文章を組み立てていかねばならなくなり、その結果、人の話を聞くこともできるし、人に意見を言うこともできるようになるのだ。

 良く、育児書とかでは子供の反抗期ということに着目しているが、子供の反抗で手を焼いているのは、子供と会話をしない母親たちであるのだ。母子が充分に会話をしていれば、たとえ子供が反抗したとしても、子供は自分が反抗している理由をちゃんと言えるものだし、それほど反抗が悪化するものではないのだ。自分の子供の脳が急成長して行く時に、子供をそっちのけにして、テレビを見たり、電話をしたりしているからこそ、子供は脳を充分に成長させることができず、得体の知れない反抗をしてくるだけなのである。

 子供との会話など、肩肘を張らなくても、些細なことを話していけばいいのである。特に子供の方に何か言いたいことがあるなら、それを封じてしまわないで、ちゃんと話を聞くことだ。良くある危険な光景は、母親が子供の腹話術師になってしまい、子供の意見を代弁してしまうことなのである。「何々ちゃんは、何々が好きなのよね~」と母親が強制的に言ってしまうので、子供は自分の意見を発言する機会を失ってしまうのだ。こうなると子供は自分の中に閉じ籠ってしまい、ちゃんとした会話をすることができなくなってしまうのだ。

●言語能力には性差と個人差がある

 言語能力はすべての子供に対して平等に発達するということはない。不平等極まりない発達の仕方をするのだ。まず男女の性差というのが、明確に現れて来る。喋るのが達者なのは女の子の方で、一方の男の子は言語能力の発達が非常に遅いものだ。男女平等に取りつかれてしまうと、成長の遅い男の子を馬鹿扱いしたり、成長の早い女の子を「うるさい!」と怒鳴りつけてしまうことになるので、その後の成長で凄まじい反抗を食らってしまうことになるのだ。

 言語能力の発達の性差は、性ホルモンの影響によるものであって、女性ホルモンの影響を受ける女の子は喋るのが上達し、様々な情報交換をするように仕向けられ、男性ホルモンの影響を受ける男の子は喋ることが余り得意ではなく、電車だとか自動車などのように動く物に興味を示し、狩猟者としての道を歩むべく仕向けられていくのだ。

 もう一つは、個人差が必ず存在するということだ。これはその子供の育った環境によって大きく左右されてしまう。例えば、親子3人で育った子供と、親子3人に祖父母がいる家庭で育った子供では、言語能力が高く発達するのは、圧倒的に5人家族で育った方である。子供は両親だけでなく、祖父母からも話を聞けるので、言語能力を高くしていくことができるのである。

 子供の中には、言語能力の成長が非常に遅い子供のいるので、決してその子供を否定しないことだ。個人差は必ず出て来るのであって、余所の子供が達者に喋っているからといって、我が子も達者に喋るわけではないのだ。その子なりの成長速度というものがあるのだ。

 こういう場合、母親が語りかけることが大事なのだ。子供は喋らなくても、聞いているだけでも、脳は記憶しているのだ。そして子供が何か言いたいことがある時は、時間をかけてゆっくりと聞いてあげることだ。母親がせっかちになってしまうと、子供は自分の意見を言わなくなってしまい、喋ろうとしなくなるのだ。「うちの子は喋るのが下手で~」という前に、まずは子供の喋る機会を確保してあげることだ。

●幼児の頭の良し悪しは語彙の数である

 新米ママにとって自分の子供の言語能力の成長を見るのは、非常に楽しいものだ。なんせ自分が産んだ赤ちゃんが、最初は泣きわめくことしかしなかったのに、喃語を喋り、単語を喋り、二語文を喋り、三語文を喋り、そして文章を喋るようになるからだ。人間の言語の発展を間近で見てしまったからだ。

 語学というのは、要は「単語」と「文法」なのである。これさえできれば、言語は成立するのである。そしてただ単に単語や文法を学べばいいというのではなく、生活に密着し自分に必要性があれば、いくらでも言語能力を発達させていくことができるのである。その言語能力の発達は苦しいものではなく、楽しいものなのである。

 良く「日本人は中学高校で6年間も英語を学んでいるのに、どうして英語が喋れないんだ?」という質問を目にするが、これは愚問なのである。学校では単語も文法も習ったのであり、それでも英語が喋れないというのは、日本では英語を使わなくても生活していくことができるからである。英語が生活に密着してしないし、英語を使う必要性もないのだ。大体、こういう愚問をしてくる人は、高校を卒業してから、英語を学び続ける努力をしなかったのだ。

 俺は中学高校生の頃は国文学専攻の文学少年であったので、外国語には落ち零れてしまい、外国語には散々苦労させられたが、それでも英語の単語を覚えたし、英語の文法も習得した。英語の試験の結果はひどい点数であったが、それでも高校を卒業して、英語に触れる機会がある時は、その文章が読めてしまうのである。勿論、知らない英単語が出て来てしまえば、正確な翻訳はできないが、知っている英単語の範囲内なら、文章が理解できてしまうのである。

 なんで英語で落ち零れた人間にこんな不思議な現象が起こったのかといえば、これこそが「文法」の威力なのである。文法さえ解っていれば、その文章の意味は大体解り、後は知らない単語が解明できれば、文章をちゃんと理解できるのである。即ち、外国語ができないと騒いでいる人たちは、若い時に学校で単語と文法をしっかりと学んでいないからこそ、大人になってそのツクが回ってきたのである。単語と文法が解りさえすれば、後は実践あるのみで、その外国語を使っている国を訪問して滞在してしまえばいいのだ。そうすればその外国語を使わざるをえない必要性に迫られるので、否が応でも喋られるようになるのものなだ。

 幼児の頭の良し悪しは語彙の数なのである。自分の思いをどれだけ豊富な語彙を使って文章化できるか否かなのである。母国語なら文法というものは自然と身につくから、子供が文法上の言い間違いをしたら、それを指摘して、「こういう時はこう言うんだよ」と教えてあげればいいのだ。

 子供に言葉を教えるためにも、母親の方も「会話する習慣」「読書をする習慣」「文章を書く習慣」をしっかりと持っておいた方がいい。母親自身に語彙が少なかったり、まともな文章を喋ることができなければ、子供の言語能力の発達だって頭打ちになってしまうのである。テレビを長時間見て過ごしているようでは、自分の言語能力は落ちて行く一方なのである。自分自身の言語能力を高めるためにも、他人と会話し、読書をし、文章を書いていくことだ。母親の言語能力が高くなってくれれば、子供の言語能力も高くなるものなのである。

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子供は外に出して体を鍛えよ

●正式な食事が始まれば、正式な運動も始まる

 離乳食が終わり、正式な食事が食べられるようになれば、運動量も増えて来るということだ。正式な食事を食べているのに、幼児を外で遊ばせなければ、幼児はそのエネルギーを巧く使いこなせることができないのだ。幼児は体が小さいために、いつまでも乳児の気分でいると、とんでもない病気を引き起こしてくることもあるのだ。

 人間は体を動かせば、エネルギーを使い果たしてくれるので、空腹になる。空腹になると、お腹が鳴って「モリチン」という内臓を掃除してくれるホルモンを出し、内臓がそれによって掃除されるのだ。だから、空腹を感じる回数が多い人ほど、内臓が丈夫になるという不思議な現象が起こるのだ。

 幼児の成長を願って、幼児に大量の食事を与え、オヤツも大量に食べさせているのに、幼児を外で遊ばさせず、家の中でウロチョロしていたら、その幼児は肉体上の病気を負うことになるし、精神上の病気を負うことにもなってしまうのだ。空腹を感じず、内臓が掃除されないから、内臓が疲労しきってしまい、正常なパワーを発揮できなくなってしまうのだ。

 子供の健康的な成長を願うのなら、とにかく幼児を外に出して遊ばさせて、空腹にさせてしまうことだ。幼児が「お腹すいた」と言ってから、食事を作り出せばいいのだ。空腹になっていない幼児に食事を与える必要性はないのだ。お腹がすいてないにも拘わらず、食事を与えても、なかなか食べようとしないし、食べ物をオモチャのようにして遊ぶだけなのだ。お腹がすいていれば、ガツガツと食うものなのである。

 特に気をつけるべきは、母親の年齢が上がってしまい、体力が衰え始めた時に、育児をしなければならない時だ。幼児が外で遊び回っているのに、母親がそれについて行こうとしても、「ハァハァ」と息切れをして付いていけなくなり、その内に外で遊ぶのを控えるようになってしまうのだ。こういう場合は、母親自身が多少は断食をして体重を落とし、その一方で軽ジョギングや筋肉トレーニングをするとかして、体力をつけていくことだ。育児は最後には体力勝負になるということを決して忘れないことだ。

●肉体の成長

 幼児は正式な食事を以て肉体の成長を加速させていくことになる。乳児は満2歳までは免疫力をつけさせるために、肉体上の成長が遅いものなのだが、満2歳を過ぎると、自分で抗体を作り出せるようになるので、免疫力の問題がなくなって、肉体の成長に全力を投入できるようになるのだ。

 この時期からは肉体の成長を行うために、大量のカルシウムと大量の蛋白質が必要になってくる。この時期にカルシウムと蛋白質をしっかりと与えておき、外で遊ばせていると、幼児は骨太で体格のいい幼児になり、将来、長身で筋肉隆々たる大人になることができる。

 ところが、日本では長らく仏教戒律の影響を受け続けてきたために、カルシウムや蛋白質の取り方が巧くないのだ。日本の土壌は火山灰質なので、そのままにしていたら、充分なカルシウムが摂取できないのだ。だからこそ、日本の農民は農業を始める際は、外国の農業とは違って、土壌改良から着手せねばならないのである。それほどカルシウム分が少ない土壌なのである。

 和食には動物の骨からダシを取るという習慣がないのだ。中華料理が美味しいのは、「タン」と呼ばれる鶏を丸ごと使ってダシを取っているからなのである。そのため、味噌汁のダシを鰹節や煮干しで取るのもいいが、たまにはトリガラを使ってダシを取ることもやった方がいい。トリガラだけだと臭うので、ニンニクと生姜と長ネギを一緒に入れて煮込むことだ。このダシを溜め込んでおいて料理のたびに使えば、トリガラ風味の味噌汁の出来上がりだし、鍋物にも使えば鍋物が一層美味しくなる。

 日本人のカルシウム不足を解消させたのは、牛乳なのであるが、日本人は長らく牛乳を飲む習慣がなかったために、乳性蛋白質を分解できる酵素を持っていない人たちがおおいのだ。そのため、牛乳をそのまま飲ませるのではなく、ヨーグルトにして食べるしかないのだ。ヨーグルトは人間の食べ物の中で最長の滞留時間を誇るので、長らく小腸や大腸に滞留して、最高の確率でカルシウムを吸収させることができるのである。

 蛋白質といえば、「肉」という短絡的な発想をしてしまいがちだが、蛋白質はまずは植物性蛋白質を取り、次に魚を食べ、その上で肉を食べて行かないと、途端に体に異常が出て来てしまうのだ。自分の子供にしっかりとした筋肉をつけさせたいのなら、まずは木の実や豆類や落花生を大量に食べさせることだ。そして魚を食べさせ、それから肉なのだ。肉も筋肉や脂肪の場所だけを食べさせるのではなく、内臓を食べさせることだ。動物の肉は内臓にこそ、大量の栄養素が詰まっているのである。

 幼児の骨や筋肉を鍛えたいのなら、ジャンプさせたり、走らせたりすることだ。骨や筋肉に刺激を与えれば、幼児は自然と骨と筋肉を鍛えることができ、スクスクと成長していくことができるようになるのである。幼児を遊ばせると、自然とこのジャンプと走るというのを組み入れて来る遊びをし出すものだ。幼児の体の方が何をすれば健康になるかが解っているのだ。

●脳の成長

 肉体の成長があってこそ、脳の成長があるというものなのである。幼児の肉体を成長させずに、脳の成長を人為的に成長させようとすると、幼児は途端にバランスを崩してしまい、異常な行動を仕出かすというものだ。自分の子供が頭のいい子供になって欲しいということは解るが、知能だけを高めても、異常な子供ができるだけなのだ。

 幼児が最も知能を発達させることができるのは、実は親との会話なのである。親と会話をするからこそ、幼児の脳は刺激され、語彙が増えていくことになり、知能を高めていくことができるのである。それゆえ自分の子供の知能を上げたいのであるならば、まずは親子の会話量を増やしていくことだ。話し合えば話し合うほど、知能が高まっていくのだ。

 もう一つは、自分時間を大切にしてあげるということだ。絵本を読んだり、積み木をしたり、お人形さんごっこをしたりと、自分一人でできる遊びを充分にやらしておくと、物事を深く考察することができる子供に成長していくのだ。幼児に自分時間を与えずに育ててしまうと、非常に薄っぺらい子供になってしまうのである。

 そして脳の成長を決定づけるものは、外で遊ぶ回数が多かったか否かなのである。自宅の中にいればどうやっても情報が制限されてしまうので、外に連れ出して、大量の情報に晒させないと、脳が充分に発達してくれないのだ。幼児は外で遊べば遊ぶほど脳が刺激され、高い知能を持つ子供へと成長していくことができるのである。

 幼児を可愛過ぎる余りに、自分の子供に早期教育を受けさせる必要性なんてどこにもないのだ。いくら早期教育をやったとしても、それは幼児にとって健全な脳の成長ではないのだ。幼児の脳も少しは早期教育に対応することができるが、しかしそれは幼児にとって必要なものではないのだ。幼児の知能を高めたいのであるならば、とにかく遊ばせることだ。

●子供は遊びが仕事

 大人になってしまえば、仕事がメインになってしまうので、子供にとっての遊びの重要性が解らなくなってしまうのだ。遊ばすことが健全な成長に繋がるのである。外に出て遊ばせず自宅に籠りっきりになったり、親子で会話することもせずに早期教育をした所で、幼児は高い知能を獲得することはできないのである。

 新米ママなら自分が幼児の時のことなど忘れてしまっているのだから、幼児の遊びを一緒になって楽しんでしまうことだ。幼児というのは、とんでもない遊びをして、母親を笑わしてくれるものなのである。母親が自宅でニコニコしていれば、幼児はなんの不安を抱えることもなく、自由に遊ぶことができるので、幼児は知能を高めていくことができるのである。

 我が子に早期教育をしたがる母親というものは、それほど高い知能を持っていない母親たちなのだ。自分が若い時に何かしらの功績を打ち立てることができたのなら、我が子に早期教育をしようという発想は持つことがないものだ。子供の頃に塾通いをして偏差値の高い学校に進学してきたからこそ、自分の子供に早期から教育を施せば、高い知能を持てるだろうと思ってしまうのだ。

 しかし、幼児の成長は、幼児を充分に遊ばせ、空腹にさせ、美味しい料理を食べさせる。その上で親子の会話をし、一人遊びをさせておけば、自然と知能を高めていくことができるのである。無理をすることなく、自然に育てていくからこそ、幼児は肉体も脳も健全に成長することができるのである。

 自分の子供は思っているように、頭のいい子でも、体力のある子でもないのである。まだまだ馬鹿でアホで、弱弱しい体しか持っていないのだ。だからこそ、知能を高めていくことができるし、肉体も鍛えていくことができるのである。自分の子供を健全に成長させたたかったら、とにかく子供を外で遊ばせることだ。遊んでいれば、自然と成長していくことができるのである。

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自閉症児の育て方

●自閉症の原因

 精神未成熟症候群の話が出たので、ついでに自閉症児のことも述べておく。自閉症とは先天的な病気で、生まれつきの脳の障害を持っているために、人間関係の構築が困難になってしまう病気だ。健康な赤ちゃんとして産まれた筈なのに、赤ちゃんは早い段階で親と目を合わせないとか、他人との接触を嫌い、自分の世界に閉じ籠ってしまう傾向を見せて来るのだ。

 自閉症児は国籍や民族を問うことなく発生してくる。どの国にも自閉症児は存在しているということである。しかし、自閉症児は、男の子に発症する確率が非常に高く、80%近くの自閉症児が男の子である。これは受精当時から何かしらの問題があった可能性があるということなのである。

 人間の病気は脳に及んでしまうと、その病気の研究や治療法の開発が非常に遅れてしまうものになる。幾ら治療のためとはいえば、頭をかっ割いて調べるわけにはいかないからだ。そのため医者の方が自閉症のことを的確に把握することができないし、患者の家族もそれに振り回されることになってしまうのだ。

 自閉症児は言語の発達が遅れてしまい、人間関係を限定しようとし、自分の能力も満遍なく発達するのではなく、限定されたことにしか興味を示さず、活動が非常に偏ってくるのだ。このため、通常の生活ができない自閉症児が出て来る一方で、突出した才能を持つ自閉症児が出て来ることにもなる。

 自閉症の原因は「脳の障害」だから、問題は脳の障害を引き起こした誘因を突き止めてしまえばいいのであって、それが何かが解れば、自閉症の研究が大いに進むことになる。自閉症の誘因は一つで起こることもあるし、複数の誘因が重なって起こることもあることであろう。

●自閉症の誘因

①劣化した精子

 自閉症児の場合、そもそもが劣化した精子のために、この病気を発生した可能性が高いのだ。男性の精子はいつも健康的な精子を出せるということはなく、性交時のタイミングを間違えてしまうと、精子は劣化した状態で卵子と結合してしまい、それが胎児へと成長していく過程で何かしらの問題を発生させたのではないかということだ。

 自閉症児は国籍や民族を問うことなく満遍なく発症してくるといわれるが、実はユダヤ民族だけが自閉症児の発症率が非常に低いのだ。これはユダヤ民族の遺伝子がそうさせるのではなく、タルムードで定められた性交の仕方が、精子を劣化しない状態で卵子と結合させることが可能になるのだ。そのために自閉症児の発生率が下がるのである。

 男性は女性が排卵するまで、或る程度は禁欲せねばならず、精子を溜め込むことによって、数を多くして、より優秀な精子が届くように仕向ける必要性があるのだ。しかも、女性が排卵してから射精するのではなく、排卵する前に女性が性欲を持った時に射精しないと、健康な精子を卵子のもとにまで送り届けられないのだ。

②水銀

 昔から自閉症児を治療してきた現場の医者たちが指摘していたのは、「水銀」が何かしらの問題を発生させているのではないかということだった。母親が妊娠中に水銀を含んだ食べ物を食べてしまったために、その水銀によって脳に何かしらの異常が発生したのではないかというのだ。

 現在では規制されているが、昔はインフルエンザなどの予防接種に水銀が使用されていたために、女性は妊娠前にその予防接種を受けて、その水銀が体内に残留してしまい、それによって自閉症児が生まれてしまったのではないかということだ。また、農薬にも水銀が使用されていたことがあるので、この農薬をきちんと除去しない限り、体内に水銀が残留してしまうことになるのだ。

 動物はその体が大きくなればなるほど、水銀を濃縮していくことになる。そのため、妊婦が妊娠中にマグロやクジラなどの大型の魚を食べると、その魚に含まれる水銀が限界量を超えてしまい、胎児の成長に何かしらの影響を与えてくるのである。魚は健康にはいいといっても、妊娠中は沿岸で取れる魚に限定すべきなのである。

 家畜の中では牛が最も多くの水銀を持つので、牛肉を常食とすると危険なことになってしまう。しかもアメリカ人のように、牛肉のステーキを食べた後に、アイスクリームを食べ、その翌朝には珈琲を飲むという食生活は非常に危険なものになってしまうのだ。牛肉によって体内が酸化して、タダでさえ血流が悪くなっているのに、アイスクリームで内臓を冷やし、しかもアイスクリームに含まれる白砂糖は赤血球を溶かしてしまうのだ。更に翌朝、珈琲によってビタミンやミネラルを破壊してしまえば、体内は決定的にビタミンやミネラルが不足してしまい、自閉症児が生まれ易くなってしまうのだ。だからこそ、アメリカ合衆国では自閉症の発症率が異常に高いのである。

③何かしらの重金属

 粉ミルクは牛乳から作られるので、微量ではあるが多少は水銀が入っている。これ自体はさほど問題にならないのだが、問題は粉ミルクの精製の過程で出る重金属が粉ミルクに入ってしまうことだ。粉ミルクは工場で作るために、その機械が摩耗して、多少は重金属が混入してしまうのである。これは機械を使っている以上、ゼロにすることはできないのだ。自閉症児が何かしらの重金属を含んだ粉ミルクを飲んでいれば、自閉症の症状が悪化してしまうのだ。

④植物性脂肪不足

 人間の脳は脂肪からできているために、妊娠中に脂肪の摂取が不足してしまうと、胎児は脳を正常に発達できないという危険性が生じてしまう。妊娠中は植物性脂肪をしっかりと摂取し、木の実や豆類や植物油をしっかりと取っていかねばならないのだ。それと共に、肉食を控えて、体内が酸化しないようにし、自分が摂取して植物性脂肪がちゃんと胎児の成長のために使用されるよう仕向けなければならないのだ。

⑤葉酸不足

 遺伝子の分裂には葉酸が必要不可欠なので、葉酸が不足してしまうと、細胞分裂ができない状態になってしまうのだ。そのため妊娠中はせっせと野菜を大量に食べていくべきであって、常に葉酸が不足しないように仕向けなければならないのだ。葉酸はお酒によって破壊されてしまうために、妊娠中は原則として飲酒が禁止されるのである。

⑥睡眠不足

 胎児は母親が睡眠中の時に成長することができるので、母親が早寝早起きを心掛け、充分な睡眠時間を確保してくれないと、健康的な成長ができなくなってしまうのだ。特に午後10時から午前2時の間には大量の成長ホルモンが分泌されるので、午後10時までに就寝していないと、自閉症が起こる確率が高まってしまうのだ。

●自閉症児への対処法

 自閉症は精子レベルで起こった問題に対しては、もう何も対処することができないが、それ以外の誘因で起こったことに関しては、自分の子供が自閉症児であると解った時点でも、何かしらの対処法を施すことで、多少は自閉症の症状を和らげることができるのである。

①大腸を奇麗にする

 人間は大腸から水分を汲み上げるので、脳に何かしらの問題があっても、大腸が奇麗であるならば、その問題を解消できるのである。自閉症児に浣腸して腸内洗浄をさせると、自閉症に効果があったということが医者たちから伝えられているのだが、自閉症を治療している医者たちはなぜかこの情報を握り潰してしまっている。浣腸が自閉症に効果ありという情報を頭から否定しているのだろう。

 腸内洗浄をして貰える医者の所にいって、自閉症児の大腸を奇麗にしてしまうことだ。それと共に、普段の生活で朝食を抜いて排便に集中させ、朝に大量の水を飲まして、排便排尿を大量にさせまくることだ。朝に排便が出ない時は、浣腸をさせて、強制的に排便させてしまうことだ。

②玄米食+発酵食品

 玄米は有毒物質を除去する能力が非常に優れている。特に水銀や重金属などは、玄米を常に食べていれば、体外に排出されていくものなのである。玄米食だけだと飽きるので、「玄米食」と「発芽玄米食」を交互に食べさせて行くことだ。味噌汁もたっぷりと飲まして、炭水化物とビタミンB1のコンビで脳にエネルギーを届けてあげることだ。

 発酵食品は腸内環境を整えるので、毎食、発酵食品を出してあげることだ。糠漬けや納豆などを毎回食べさせていけば、排便量も増えるし、大腸が奇麗になって、安全な水分が脳に行ってくれることになるのだ。発酵食品の量は普通の人たちよりも多目に出して、翌朝の排便の具合を見ながら調整していくことだ。

 それと同時に、腸を汚す「肉」「卵」「乳製品」を徹底的に除去していくことだ。これらを控えると、腸内環境は劇的に奇麗なものになるのだ。蛋白質の不足は豆類を食べることで補うことだ。特に粉ミルクで自閉症の症状を深めた子供には効果が甚大となるのだ。それだけ粉ミルクは大腸を汚してしまうということなのだ。

③亜鉛の摂取

 亜鉛は水銀を排出する威力を持つ。亜鉛は「ゴマ」「高野豆腐」「海苔」「アーモンド」「抹茶」「銀杏」に多く含まれるので、これらをコンスタントに摂取していくことだ。特にゴマは「スリゴマ」にして、ご飯の上にかけて食べることだ。ゴマは知能を高くさせるので、言語機能が向上することであろう。

④ドクダミ茶

 自閉症児に飲み物を飲ませるなら、ドクダミ茶を飲ましてあげることだ。ドクダミ茶は解毒作用があるので、体内に蓄積された水銀や重金属を輩出してくれることになるのだ。ドクダミ茶なんか効くわけがないと言う前に、とにかくドクダミ茶を飲んでみることだ。自閉症の症状が改善していく筈である。

⑤オシャブリで口呼吸を防ぐ

 自閉症児は口呼吸をしているために、常に酸素不足なっているのだ。そのためオシャブリをさせることで口呼吸を防ぎ、鼻呼吸に変えてあげるのだ。鼻呼吸に切り替えると、酸素量が増えるために、体の各細胞に酸素が送り届けられ、活性化し、体内の老廃物や毒素を除去しようとし出すのだ。口腔科のある病院にいけば、大きくなった子供向けのオシャブリを得ることができる。

●自閉症児を身体障害者扱いしないこと

 自閉症児を抱えてしまうと、母親のショックは非常に激しいものがあるのだ。「なんで私の子が自閉症なの!?」と叫んで、泣き崩れてしまうのだ。そのつらい気持ちは解るが、泣いて過ごしていても、なんの解決にもならないのだ。まずは自分の子供が自閉症児であるという現実を受け止め、それに対処していくことだ。

 まず自閉症児を抱えた母親に解って欲しいのは、「自閉症児は脳に問題があるのであって、体に問題があるのではない」ということだ。それゆえ自閉症児を身体障害者扱いをしないことだ。この決断をするだけで、自閉症児を巡る環境が劇的に変化するのだ。人間関係を構築するのが下手なのであるならば、「別にそれでいいじゃん!」と決め込んでしまえば、自閉症という病気はなんの苦痛も発生させなくなるのだ。

 自閉症という症状ばかりに着目するのではなく、自閉症児が持つ「自己生活能力」と「特殊能力」に着目してあげるべきなのである。自閉症児を抱える母親たちにとっては、たとえ自閉症児であっても、自分のことは自分でやってほしいということであろう。個人的な身の回りの世話まで母親がやらなければならないとすると、体力的にギブアップしてしまうからだ。とにかく、自分の身の回りのことは自分でできるように躾けていくことだ。それさえ出来れば、自閉症児であっても、そんなに苦痛にはならないのだ。

 それと同時に、自閉症児は特殊能力を持つ傾向にあるということを評価してあげることだ。数字を記憶したり、音楽に熱中したり、絵を描くことに夢中になったりと、自閉症児はサヴァン症候群という症状を出してくるのだ。我が子を否定的に見るのではなく、その才能を肯定的に見てあげて、何か特別な能力を引き延ばしてあげることだ。

 そしていくら自閉症児を抱えていても、これだけは絶対に忘れないでほしい。それは、

 「この世には、アホな人間はいても、無駄ない命を持った人間は一人もいない!」

 ということだ。自閉症児は何かしらの役割があるからこそ、この世に生まれてきたのであって、その命を否定したり、消し去ったりしないことだ。他の子供たちとは違った子供でも、自分の子供であることには変わりないのだ。平等イデオロギーに取りつかれては、自分の子供を不幸にすることしかできないのだ。自分の子供は他人の子供たちといくら変わっていても別にいいのだ。大事なことは、自分の子供を有りのままに肯定してあげられるか否かなのである。

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精神未成熟症候群

●精神未成熟症候群とは何か?

 離乳食病で最も悲惨なのが、小児癌や小児白血病と思いきや、それを上回る悲惨な病気がある。それが「精神未成熟症候群」である。「そんな病名は知らない」というのは当たり前で、これは俺が命名したものなのである。自分の子供がこの病気を持とうものなら、現在の医者たちはこの病気を把握していないので、病院を盥回しにされるだけとなってしまうのだ。

 精神未成熟症候群とは、体は一人前の体になっているのに、脳が全く成熟していないのだ。脳に異常があるといっても先天的になったのではなく、後天的に、しかも粉ミルクと離乳食のために脳を発達させることができず、木偶の坊のような人間になってしまったのである。

 口をポカ~ンと開け、明らかに頭が悪い行動を取ってくるのである。だが、見た瞬間にこれは先天的な身体障害者ではないというのが解るのだ。というのは、体自体は立派な体を持っており、先天的な身体障害者のような貧弱な肉体を持っていないからだ。明らかに充分な栄養を取って育ってきた体をしているのだ。

 粉ミルクを使った育児をしても、こういう病気は絶対に発生しない。粉ミルクといえども、そこまで危険な代物ではいからだ。では、その母親は何をしたかといえば、赤ちゃんにたくさんのミルクを飲んで欲しいと思って、哺乳瓶の入り口を人為的に大きくしてしまい、その哺乳瓶を使い続けたことでこうなってしまったのだ。

 赤ちゃんは大量のミルクがあれば成長するとは限らないのだ。赤ちゃんは必要以上の母乳を決して飲まないように、必要以上のミルクなど必要ないのだ。それなのに人為的に大量のミルクを飲ましてしまうと、それを消化吸収するのに大量のエネルギーを奪われてしまい、逆に成長のためにエネルギーを回せなくなってしまうという異常事態が発生してしまうのだ。

 勿論、栄養は大量にあるのだから、体はどうにか大きくなっていくことだろう。しかし、体が大きくなっていくのに、脳が全く成長しなくなってしまうのだ。脳というのは余分の栄養があったから発達するものではなく、適度に空腹を感じて、内臓に食べ物がなくなって、血液が大量に脳に行ってくれるからこそ、脳は成長を遂げることができるのである。満腹ばかりでは馬鹿になるだけなのである。

●精神未成熟症候群の原因

 精神未成熟症候群の原因は、なんと言ってもその母親が「哺乳瓶の吸い口を人為的に大きくしたこと」に起因する。哺乳瓶の吸い口を大きくし、大量にミルクを飲ませたことで、内臓がそれに追いつかなかったということである。それと「吸啜力不足による頭蓋骨と脳の成長不良」という現象が起こったのだ。

 ミルク育児をしてしまうと、母乳育児に比べて、30分の1しか吸啜力を使わない。そのためミルクで育った赤ちゃんはどれも顎が小さくなり、頭蓋骨を発達させることができなくなるのだ。ミルクで育つと小顔にはなるが、小顔の人間で知能の高い人はいないものだ。小さな頭蓋骨が邪魔をして、脳を大きくすることができなかったのだ。

 それ以上に哺乳瓶の入り口を大きくしたことで、顎が発達せず、頭蓋骨を大きくすることができず、そのために脳が発達できなかったのだ。精神未成熟症候群に罹っている人は、体の割に頭の大きさが非常にアンバランスなのである。これは赤ちゃんの時に非常に弱い吸啜力を使っていなkったから、その後の成長でどうしても頭を大きくすることができなかったのである。

 粉ミルクといえども、最低限の安全性を確保した上で販売がなされている。しかし、想定以上のミルクを赤ちゃんに与えてしまえば、内臓が消化吸収に追いつかず、ミルクの何かしらのホルモンが脳を直撃することだってありえるのだ。一体なんのホルモンが直撃したかは不明だが、明らかに何かしらのホルモンの直撃を受けなければ、人間として最低限の知能すら発達できなかったという事態にはならなかっただろう。

 更に大量のミルクを与えたことで、大腸が決定的に汚染されてしまい、大腸の汚染による体内水分の悪化という現象が起こって、その汚い水分を回すことで、脳に異常が出て来てしまったのである。精神未成熟症候群に罹っている人の小便や大便が非常に臭いというのも、この腸内環境の悪化のためなのである。

 このような状態で、生後5ヵ月から早すぎる離乳食を開始したために、赤ちゃんは食べ物を食べる習慣を持つことができず、食べ物を飲む習慣になってしまい、更に脳にダメージを与えてしまったのだろう。咀嚼するというのは、非常に大事で、これをするからこそ、顎の筋肉を鍛え、脳に血液を送ることができ、脳を発達させることができるのである。食事の際に咀嚼をしなければ、脳を発達させる機会を失ってしまうことになるのだ。

●精神未成熟症候群の治療法

 我が子が精神未成熟症候群に罹っても、いくら病院に行っても医者でも治せないだろう。哺乳瓶の入り口をいじくるなんて、想像もつかないからだ。医者が治せない以上、母親がその子を連れて病院を転々としている姿は哀れなものだが、医者としても最早どうすることもできないのだ。しかし、このまま放置しておくのは余計に悲惨なので、俺なりにこういうことをすれば効果があるのではないかなという治療法を挙げておく。

①宿便排出断食+腸内洗浄

 とにかく粉ミルクのために相当に腸内環境が悪化しているので、まずは宿便排出断食を行って、宿便を出してしまうことだ。宿便さえ出してくれれば、腸内環境も正常化し始めるからだ。それと宿便を出した後も、定期的に腸内洗浄を行い、腸内が汚くならないようにしておくことだ。そうすれば脳に奇麗な水分を送ることが可能になるのだ。

②オシャブリをさせて口呼吸を防ぐ

 精神未成熟症候群に罹った患者は、顎が発達していないために、常に口を閉じているということができない。そのために、いつも口呼吸をしてしまい、脳に充分な酸素が行かないということになってしまうのだ。そこで病院の口腔科に行ってオシャブリをつけて貰い、口呼吸を封じてしまうのだ。鼻呼吸になれば、脳に充分な酸素が生き渡るようになるのだ。

③活性水素水による体内水分の総入れ替え

 今まで腸内環境が最悪なまでに悪化し続けたということは、体内の水分が非常に汚いということなのだ。そのために脳が正常に機能しなくなってしまったのである。そこで活性水素水を飲むことによって、体内水分の総入れ替えを行うのだ。毎日3ℓ程度の活性水素水を飲まし続ければ、3ヵ月には水分が完全に入れ替わる筈だ。そうなれば、脳に対して常に奇麗な水分が供給され続け、脳が正常化していくのだ。

④玄米食+発酵食品+木の実

 食べ物を噛んで食べる習慣がないので、とにかく噛んで食べさせる習慣を身につけさせることだ。毎食、玄米食にして、一口あたり100回以上は噛ませることだ。噛めば噛むほど、脳が発達するので、病状も徐々に沈静化していく筈である。それと共に発酵食品を食べさせて、腸内環境を整えることだ。精神未成熟症候群の子供を抱えた母親は、糠漬けなどの発酵食品を出したことがないのだ。それに木の実を食べさせることだ。木の実は植物性脂肪が大量に含まれているので、食べ続けていれば、脳が成長していくことになるのだ。

⑤脳を鍛える

 水や酸素や栄養が脳に行き渡っても、脳を使わなければ、脳は発達しないものだ。出来る限り、手や足を使って遊び、脳を刺激していくことだ。手足を使えば使うほど、脳が発達していくので、手足を使っている内にきちんとした言葉を喋り出すものなのだ。言葉さえ喋ってくれれば、後は会話で知能を上げていくことができるようになるのである。

●母親が犯した罪は自分の子供が償うこともある

 精神未成熟症候群の子供を抱えた母親たちが良く言うのは、「子供のために良かれと思ってやったのに」というのだが、世の中には母親といえども、やってはならないことがあるものなのである。母親がいくら健康な赤ちゃんを願っても、禁じ手を使って育児をすれば、その悲劇は赤ちゃんに訪れてくるものなのであr。

 現在は余りにも個人主義的になってしまい、自分勝手に気儘に生きる人々が多過ぎるのだ。人間は個人が一人で生きていけるようにはできていないのだ。母親が犯した罪は母親自身が背負うのではなく、何も悪いことをしていない自分の子供が償わなければならないことだってあるのだ。

 精神未成熟症候群は、母親自身が引き起こしてしまった悲劇である。この罪の意識を持ってくれない限り、この病気を治して行くことは絶対に不可能なのだ。精神的に自立しきっていないから、自己責任を取ろうとせず、どこか人任せにしてしまい、この病気を最悪なまでに悪化してしまうのである。

 一方、哺乳瓶を製造販売する企業も、哺乳瓶の入り口をいじくる母親が出て来ないように、注意書きを書き入れておくと同時に、精神未成熟症候群という病気があるということを伝えていくべきなのである。この世には想像を絶する馬鹿がいるものなのである。企業内で「これは常識!」などといっていると、馬鹿な母親が自分で精神未成熟症候群を引き起こしたのに、それを棚に上げて、企業に製造物責任を問うてくる母親たちが出て来るかもしれないのだ。

 育児では多少の失敗は付き物である。しかし致命的な失敗は絶対にしないことだ。それゆえ、自分の母親に育児の仕方を聞いたり、育児をしている母親同士で情報を交換することを決して怠らないことだ。情報収集を無視して、子供のために良かれと思ったことをしても、それが悲惨な出来事を引き起こしてしまうこともあるのだ。世の中には取り返しのつかない悲劇というものも存在しているのである。

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母親の邪念が難病を作り出す

●難病奇病の子供がいる家族には共通項がある

 難病奇病の子供を抱える家族には、或る共通がある。それは母子がべったりとなっていることなのである。難病奇病の風景を見た時、その子供の難病奇病より、その母親の異常な態度の方こそが目立つのである。病院のベッドにへばりついた「看護ロボット」ではないかと思うくらいに、母親がその子供に付きっきりとなっているのである。

 病気の子供を看護しているのだから、母親の献身的な態度は当たり前はないかと思う人もいるが、これは最早、看護の域を超えているのである。本当に看護をしているのであるならば、看護を受けたその子供は自分の病気が徐々に治っていく筈だ。しかし、実際にはその子供の病気は益々悪化し、結果的にはその子供は病死してしまうである。

 しかも、この母親は常にシャシャリ出て来るので、誰と会話しても自分の意見を言ってくるし、まずは相手の意見を聞こうということが全くないのだ。これだから夫婦関係も巧く行っておらず、常に夫を蔑ろにしているのだ。この家族は母子の関係だけが異常に目立ち、夫は存在感が非常に薄いのだ。

 難病奇病を治す時、その難病奇病を治せばいいというものではないのだ。その難病奇病だけでなく、その家族の関係をきちんと正しいものに修正してあげないと、幾ら物理的に正しい治療法を施しても、その病気が一向に回復しないということもあるのだ。だから、病気の治療には医者だけが必要なのではなく、宗教家も必要なのである。宗教家がその家族を精神的に治すことがなければ、病気など治らないものなのだ。医療と宗教というのはセットなのである。

 ところが、難病奇病を治療している医者という者は、宗教家を寄せ付けないものだ。なぜなら、難病奇病というのは格好の研究材料であって、宗教家が患者の家族たちの精神を治してしまい、奇蹟を起こされたら、堪ったものではないからだ。その難病奇病を治して研究論文でも発表できれば、その分野での第一人者となることができるのに、宗教家が奇蹟を起こしてしまえば、単なる平凡な医者のままでしかないからだ。

●渇愛の発生原因

 では、一体、難病奇病の子供を抱える家族には、どのような異常事態が起こっているのだろうか? それはその母親や父親が「渇愛」を出しているということだ。渇愛というのは、正常な愛ではなく、その愛を貰えば貰うほど、心が乾いてしまい、その渇愛を貰った方が不幸になってしまうのだ。

 家族の愛は、夫を起点とし、妻に流れ、そして子供たちに辿りついていくものなのである。そのため、妻が夫を蔑ろにして、自分がご主人様になってしまうと、途端に家族の中で愛は流れなくなってしまい、その妻は愛と思って渇愛を出してしまい、自分の子供たちを不幸にしてしまうのだ。

 愛は家族の中を巡るものだ。もしも子供たちにまともな愛が流れてこなければ、その子供たちは自分が病気になることで、その異常を両親に知らせてくるのだ。母親が夫を敬わない、夫を愛さないでいると、その母親は夫から父性愛が入ってこないので、まともな母性愛が出せなくなるのだ。母性愛というのは、「絶対肯定の愛」であるから、もしも子供たちに母性愛が不足してしまえば、絶対否定の状態、即ち「死」の病態へと突き進んでしまうのだ。

 父性愛というのは「絶対価値の愛」である。妻はこの父性愛を夫から貰うからこそ、自分がやっている育児が絶対に価値あるものだと思うことができ、自分の育児を価値あるものにしていくのだ。夫から父性愛を貰わない限り、妻は正常な母性愛を出し続けていくことは不可能なのである。それゆえ、育児をしていても、夫婦は仲良くしておくべきであって、夫が妻よりも上になって妻を甘えさせて父性愛を出したり、夫が妻よりも下になって妻に甘えたりして母性愛を貰い、そうやって自分たち夫婦の父性愛と母性愛の不足を補い、多くの愛を出せるように仕向けているのである。

 この世には人間が平等ということは絶対に有り得ないのだ。結婚すれば、夫婦は対等であるが、上下関係をしっかりと築いているものなのだ。表面的には夫を家督権者と認めて「一家の主」とし、実質的には妻が実権を握って家族を運営していくのである。表面的には「男尊女卑」であり、実質的には「女尊男卑」である。ところが、平等イデオロギーに取りつかれて、「男尊女卑は怪しからん!」と唱えてしまうと、途端に家族はまともな秩序を構成できなくなり、家族は機能不全に陥ってしまい、その母親は渇愛を出しまくって、自分の子供のを難病奇病の餌食にしてしまうのである。

●人間の従属と自立と独立

 人間は男女ともに、結婚する前までに精神的な自立を終えていなければ、まともな結婚にならないし、まともな夫婦にならないし、まともな家族にならないのだ。人間の家族というものは、結婚届けを出し、出産して赤ちゃんができてしまえば、家族が出来上がるというものではないのだ。その夫婦が精神的に独立していなければ、家族を独立させることはできないのである。

 人間の成長過程は、主に「従属時代」「自立時代」「独立時代」の三つを経て、一人前の大人になっていく。従属時代は両親を始めとして、みんなら愛され、正しいことは一体何かを教えて貰う時代だ。この従属時代で最も大切なのは、母親の母性愛であって、子供は母性愛をたくさん貰えば、その愛を溜め込んでいくことができ、自分を肯定できるようになるのだ。一方、父親の父性愛も必要であって、父親から父性愛を貰うことで、この世に何があろうとも大切な物は何かを学んでいくのだ。

 自立時代は、自分の感性と理性と意志と行動力を使って、自分自身を修行させていく時代である。大体、中学生頃から自立が始まり、この辺りから両親とは一緒に暮らしていても、精神的に離れていく。両親から離れることによって、自分を自立させていこうとするのである。男の子たちは冒険旅行をすることで自立していき、女の子たちは同性同士で友情を深め、たった一人の異性と恋愛をすることで自立していく。自立時代では男女の自立の仕方は、全く別なのである。

 独立時代は、結婚して一人前として認められることで、愛と知恵と勇気を使って、世のため、人のため、お国のために貢献しいく時代である。幸せを貰う立場に立つのではなく、幸せを与えて行く立場に変わることで、多くの人々を幸せにしていくのである。だから、精神的に独立できた男女が独身ていることは有り得ないし、結婚しても子供がいないということは有り得ないし、自分たち夫婦が産んだ子供が難病奇病に罹るということもないのだ。幾ら結婚したとしても、その夫婦が精神的に独立していなければ、明確にその異常が現れてくるものなのである。

 我々が出せる愛は、成長過程ごとに異なっている。従属時代では「渇愛」、自立時代では「出愛」、独立時代では「創愛」である。結婚してからは渇愛は問題になるけど、従属時代なら渇愛は問題にならない。子供は両親から愛を貰いまくることで成長していくからだ。自立時代では今まで貰った愛を出していくのである。これが出愛である。しかし、出愛は自分が蓄積した愛しか出せないので、それ以上の愛を出そうとすると、途端に渇愛を出してしまい、これがために自立時代は様々なトラブルを発生させるのである。

 創愛は自分の精神的自立を完成させた時から出て来る。大方は運命の人と出会うことで、大恋愛をして、今までの自分を捨てて、新たな自分を生み出していった時に創愛が出て来るものなのである。自分の心の壁がバキバキと音を立てて崩れ落ち、自分の心の中から無制限に愛が溢れ始めるのである。

●母親が変われば、子供の病気は治る

 言ってしまえば、難病奇病を抱える夫婦というのは、その夫婦の精神的自立を終えていないのである。結婚しているのに従属状態にあるために、渇愛を出してしまい、折角、自分がお腹を痛めて産んだ子を病魔の餌食にさせてしまっているのである。それゆえ、その夫婦が性根を変えて、精神的に独立して貰わねば、この難病奇病を治せないのである。

 じゃあ、その夫婦が再び恋愛をして精神的に独立できるのかといえば、そうではないのだ。その夫婦は心がこんがらがっており、もう恋愛をした所で、その心の歪みを取り除くことができないのだ。精神的に独立できない妻というものは、夫が何をしたとしても夫の行動を否定してくるし、精神的に独立していない夫というものは、自分の妻の心の歪みを正せるだけの力を持っていないのだ。

 だからこそ、夫婦以外の第三者が必要なのである。自分たち夫婦よりも精神レベルの高い人と出会って、自分たち夫婦の生き方の誤りを正して貰い、自分たち夫婦の心の壁をブチ壊して、創愛が出て来るようにして貰わねばならないのだ。人との出会いがなければ、この夫婦は精神的に独立できないのである。渇愛が止まらないのである。

 こういう場合、夫にではなく、妻に重点をかけねばならない。その妻が渇愛を出し続けている限り、子供の難病奇病は決して治らないからだ。不思議なことに、母親が心を入れ替えると、母親の邪念は打ち砕かれてしまい、子供の病気は呆気なく消えてしまうのだ。ということは、その難病奇病というのは、母親の歪んだ心が作り出した病だったのである。

 現代の人々は宗教に対して否定的だし、病気は医者が治せばいいのであって、宗教家は出て来るなと思っているものだ。しかし、この世にある病気で、医者が治せない病気があるという事実を知っておいた方がいい。その医者が最もがっくりきてしまうのは、自分が治せない病気を宗教家が治してしまった時なのである。

 宗教団体も既成宗教化し出すと、奇蹟を起こそうとしなくなるが、新興宗教団体では難病奇病を治すのは得意技なのである。要は宗教の力を使って、その夫婦を精神的に独立させてしまえば、その夫婦は渇愛を出さなくなるから、難病奇病は治ってしまうのである。この遣り方を習得した新興宗教団体は信者を多く獲得して発展していくし、それをせず、壺や印鑑を売りつけて、「これを買えば病気は治る!」といっている新興宗教団体は、遅かれ早かれ、様々なトラブルを起こして、消滅していくだけなのである。「新興宗教といえばカルト教団!」という短絡的な知識しか持たないからこそ、難病奇病の餌食になってしまうのである。

 難病奇病の子供を抱える夫婦は、まさか自分たち夫婦にその病気の原因があるとは思いもつかないものだ。しかし、結婚する前にきちんと精神的自立を終えていなければ、その悪魔のツケは自分の子供が犠牲になることで、支払われるものなのである。医者がお手上げの難病奇病なら、ベッドの横にへばりついていないで、自分自身を変えていくことである。自分が変わらなければ、自分が産んだ子供を助けることはできないのである。

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子供が難病になったら、断食をさせて治す ~小児癌と小児白血病の治し方~

●離乳食病が作り出す難病奇病

 人間の哺乳動物なのだから、生後2年以前に母乳以外の物を与えてしまえば、その乳児の体になんらかの異常が出て来て、病気になってしまうのは当然のことなのだ。乳児の内臓は母乳を消化吸収するようにできており、他の食べ物が入ってきてしまえば、予想外の事態に陥ってしまうのだ。

 人間の体は多少の無理が効くようにもできているので、母乳ではなくミルクを与えても、多少は対応できるし、生後2年以前に離乳食を与えても、多少はそれを処理する能力を持っているものだ。しかし、その無理が限度を超えてしまうと、死の病に取りつかれてしまうことになるのだ。

 離乳食病が作り出す病気で、難病奇病の最たる物が、「小児癌」であり、「小児白血病」である。これらの病気は、出生当時は健康に生まれたのに、その後の育児の仕方が悪かったからこそ、罹らなくてもいい病気に罹ってしまったのである。小児癌も小児白血病も、一人歩きをし出す前には発症してこない。一人歩きという、「2G」の重力を受け始めた途端に、発症してくるのである。体内に異常な抗原抗体反応が出て来てしまうために、血液がそれに耐えられなくなってしまったのだ。

 小児癌や小児白血病を発症した場合、母親は我が子を連れて病院に駆け込んでしまうものだが、現在の医療では小児癌にはお手上げ状態だし、小児白血病の完治率は非常に低いものとなっている。医者たちはどうしても抗癌剤を使って治療を開始してくるために、乳幼児の体力を最大限に奪ってしまい、癌や白血病によってではなく、医者が使った抗癌剤によって死に至らしめてしまうのだ。

 しかも、入院してしまえば、病院食で牛乳や小麦が出されてしまうので、そのために異常な抗原抗体反応が止まらなくなってしまい、益々病状が悪化していくことになるのだ。食べ物こそが、小児癌や小児白血病といった難病奇病を作り出しているということを、医者たちは全く解っていないのだ。

●「小児癌の原因」「小児白血病の原因」

 小児癌も小児白血病も、原因が解らなければ、本格的な治療を開始してはならないのだ。小児癌はその子供の体内で「癌遺伝子の発動」という事態が起こったからこそ小児癌が発症したのであり、小児白血病はその子供の体内で「白血病遺伝子の発動」という事態が起こったからこそ小児白血病が発症したのである。

 小児癌も小児白血病も遺伝子レベルの問題で発症してきているのだから、小児癌や小児白血病の症状に囚われて、馬鹿の一つ覚えの如くに抗癌剤を使用をすべきではないのだ。その癌遺伝子の発動や白血病遺伝子の発動を止めない限り、病状は益々進行していってしまうのである。

 では、なぜ癌遺伝子や白血病遺伝子が発動したのか? 小児癌を患う子供も、小児白血病を患う子供も、健康な体で産まれてきた筈である。出生後の育児のどこかで大失敗をやらかしてしまったったのだ。癌治療は白血病治療では、その病気の原因ではなく、その病気の誘因こそが大事で、そこが解れば小児癌や小児白血病を治していくことが可能になるのである。

①水道水の使用

 妊婦が妊娠中に水道水を飲んでいると、その水道水に含まれた塩素がビタミンを破壊してしまうので、胎児は決定的なビタミン不足に陥ってしまう。しかも、出生後にも水道水を使って作ったミルクを飲まされると、乳児の体内の腸内細菌が破壊されてしまい、これによって癌遺伝子や白血病遺伝子にスイッチが入ってしまうのである。

②電磁波被曝

 妊娠中にテレビやパソコンなどによって電磁波の被曝を受け続けていると、その赤ちゃんは後に癌遺伝子や白血病遺伝子にスイッチが入ってしまう。気をつけるべきは離乳食を作る際に電子レンジを使ってしまうと、その離乳食が電磁波によって死んだ食べ物になってしまい、しかも電磁波を大量に帯びた離乳食になっているので、その離乳食を食べ続けると、癌遺伝子や白血病遺伝子にスイッチが入ってしまうのである。

③喫煙者の存在

 タバコは最強の発癌性物質なので、妊婦や母親が吸うのは言語道断であるが、夫が吸っているだけでも非常に危険となる。副流煙の方がタバコの煙の量は多いものだし、しかもフィルター抜きでタバコの煙を吸ってしまうので、その煙が胎児や乳児を直撃してしまうのである。乳児がミルクを飲んでいる時、離乳食を食べている時に、側でタバコを吸っている人がいれば、その乳児がタバコの煙も一緒に食ってしまっているのだ。

④粉ミルクによる腸の汚れ

 粉ミルクを飲んで育ってしまうと、そのミルクがそのまま腸の壁を通り抜けてしまい、抗体を作ってしまい、それが異常なる抗原抗体反応を引き起こしてしまうのである。もう一つはミルクによって腸が汚れてしまい、そのために奇麗な水分を全身に供給することができなくなり、小児癌や小児白血病を発症してしまうのだ。特に脳は最も奇麗な水分を必要とするので、小児癌は大抵が脳腫瘍という形で現れてくるのだ。

⑤早すぎる離乳食

 生後2年を過ぎないと、人間の赤ちゃんは母乳以外の食べ物を食べることができないので、早くに離乳食を開始してしまうと、様々なアレルギー症状が出始めることになる。しかも人間は生き続ける以上、食事をし続けざるをえないので、そのアレルギー反応が止まらなくなってしまい、小児癌や小児白血病を発症してきてしまうのだ。幼児期の食事こそが難病を作り出しているのだ。

●難病を治したければ、宿便排出断食

 小児癌も小児白血病も抗癌剤では治らない。その患者の異常なる抗原抗体反応を止めない限り、死ぬまで死の病に苦しまされ続けるのだ。それゆえ、まずはその異常なる抗原抗体反応を止めることが必要なのである。そのためには宿便排出断食しかないのだ。宿便を出してしまえば、腸内はクリーンになり、異常なる抗原抗体反応は停止するのである

 断食は母子ともに行うことだ。いくら小児癌や小児白血病とはいえ、自分だけが断食を強いられ、母親が飯を食っていたら、その子供は隠れて飯を食い出すものなのだ。母親と子供が一緒にやるからこそ、その真剣さが伝わって、子供も真剣に宿便排出断食をしようと仕出すのだ。

 宿便排出断食では、何も食べることなく、午前中に水を飲んで排便を促していくのだ。水を大量に飲むと塩分が不足するので、天日塩は少々舐めてもいい。とにかく排便を優先させ、ウンコをしまくるのだ。ただ、そうはいっても育ち盛りゆえにお腹がすくので、その際は寒天を食べさせればいい。これなら子供も騒がなくなるのだ。

 宿便は子供の宿便の出る方が早く、最短で3日で出て来る。宿便は通常のウンコとは違い、黒いタール状のウンコで、洗面器一杯ぐらいの量が出て来るのだ。何も食べていないのに、なんでこんな大量にウンコが出て来るのか、殆どの人たちが驚くものだ。これがお腹の中に入っていたからこそ、小児癌も小児白血病も発症してきたのである。

 宿便は1回で終わることがなく、その後、何度も出て来る。必ず宿便を出した翌日まで断食を続けることだ。母親の方は宿便が出るのが遅く、最長で20日かかることもある。ただ、自分の子供が宿便を出してしまうと、それに釣られて自分も宿便を出してしまうことがあるので、とにかくその場の勢いを巧く利用することだ。病気の治療をしているのは、自分の子供なのだから、自分は宿便を出さなくていいと思ってはならない。これは自分が実際に体験してみないと、解らないことなのだ。

●宿便後の食事に気をつけろ

 宿便が出たら、大抵の難病奇病は治せる。いかなる治療を施そうとも、宿便こそが最大の障壁となって現れてくるからだ。それゆえ宿便を取り除いてしまえば、小児癌も小児白血病も治っていくのだ。その後は食事を使って、巧く体力を回復させ、自分の体を健康な体に作り変えてしけばいい。

 その前に、まず知っておくべきことは、「血液は葉緑素と鉄分の組み合わせでできている」ということだ。葉緑素の分子配列とそこに鉄分の原子を組み合わせると、理論上、血液が出来上がってしまうということだ。だから、野菜と鉄分を大量に取れば、大量の血液を作ることができ、小児癌も小児白血病も完治させることができるということだ。

 小児癌も小児白血病もそれが完治するまで、朝食抜きで1日2食制にすることだ。朝は排泄の時間帯なので、水を大量に飲んで排便をしまくることだ。最低でも1日2回の排便をし、できればそれ以上の排便をすることだ。午前中は体を動かして、体温を上昇させ、血流を良くしまくることだ。

 食事は「押麦入り玄米食」と「味噌汁」を基本とし、それに「野菜料理」を大量に出していけばいい。糠漬けや納豆などの発酵食品や、木の実や豆を使った料理は必ず出すようにすることだ。動物性蛋白質と動物性脂肪は原則として禁止し、週に1回だけ、魚料理を食べてればいい。離乳食病を引き起こしている牛乳は当然に禁止である。

 古代ギリシャの名医ヒポクラテスは言う。「食べ物で治せない病気はない。もしも食べ物で治せないのなら、医者でも治せない」と。母親の立場にある者が、我が子を小児癌や小児白血病に追いやっているのなら、それはその母親が作った料理に問題があったということなのである。我が子を食べ物で死の病に罹らせたのなら、食べ物で我が子の死の病も治せるということでもあるのだ。いくら小児癌や小児白血病になったとはいえ、これらの病気を完治できない医者に頼らないことだ。医者は幼い患者が死んでも、悲しまないし涙を流さないものだ。我が子が死ねば、一番悲しみ、一番涙を流すのは、母親であるということを絶対に忘れないことだ。我が子の命は、どんなことがあっても母親が自分の手で守るべきなのである。

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子供には白砂糖を食べさせるな

●オヤツは1日2回まで

 幼児に正式な食事が始まった後に、1日3回の食事を取っているにも拘わらず、オヤツを要求し出してくるのだ。人間の血糖値は、食事をした後には急上昇するが、その2時間後には下がって行き、蛋白質や脂肪の消化吸収を開始してくるのだが、まさにこの変わり目にお腹がすいてしまい、オヤツを要求し出してくるのだ。幼児の反応は本当に正確な反応を示しているといっていい。

 成長期の終わった大人がオヤツを食べると確実に太ってしまう。オヤツによって再び血糖値が上昇するので、蛋白質や脂肪の消化吸収が後回しにされてしまうからだ。自分がいつまでも美しい体でいたいのなら、まずはオヤツを抜いて、食事は食事の時だけで済ましてしまう生活を心掛けるべきなのだ。

 しかし、幼児にオヤツを与えても決して太らず、それどころか体がオヤツを消化吸収してしまい、成長に寄与することになるのだ。だからこそ、幼児は成オヤツを欲しがってくるのだ。もしも幼児にオヤツを与えるなら、1日2回と限定した方がいい。午前10時と、午後3時の2回だけにしておくのだ。それ以外でダラダラとオヤツを食べさせしてしまえば、それは幼児としても多過ぎなのだ。

 オヤツを与える時は、必ず母親と一緒に食べることを定めておくことだ。オヤツの時間に話をしてしまい、情報を収集していくのだ。幼児に一人でオヤツを食べさせてしまうと、幼児は無制限にオヤツを食べてしまい、そうなると今度は食事になっても血糖値が下がらないので、食事を余り食べなくなってしまうのだ。

 新米ママにとっては、この幼児と一緒にオヤツを食べる習慣こそ、自分を肥満にさせる最大の原因であると知っておいた方がいい。大抵の母親は、このオヤツを食べ始めることで太ってしまうのだ。だから、オヤツは幼児にとっても美味しく食べられ、自分が食べても太らないようなオヤツを作るようにしていくことだ。

●木の実がベスト

 幼児にとって健康に寄与し、母親が食べても太らないオヤツは、「木の実」である。木の実は血糖値をそれほど上げないくせに、歯ごたえが充分なので、オヤツを食べた満足感が出て来るのだ。しかも、木の実の栄養成分は非常に優れているので、木の実をオヤツに食べされば、成長にも寄与することになるのだ。

 母親にとって木の実は、いくら食べても太らないという最大の利点がある。これは木の実が栄養豊富なのに、血糖値を上げないからであって、蛋白質や脂肪の消化吸収を妨げないからなのだ。しかも植物性脂肪が充分に含まれているために、お肌に潤いが生じてくるのだ。

 和食では木の実を殆ど食べていない。縄文時代では木の実をちゃんと食べていたのに、弥生時代が始まると木の実を食べなくなってしまったのだ。稲作を遣り過ぎてしまったために、穀物中心の食事へと変わっていってしまったのだ。このため、和食だけを食べていると、決定的な木の実不足になってしまうので、意図的に木の実を食べるようにしていくことだ。

 木の実はスーパーなどで買うと非常に高価になってしまうので、問屋に行くなり、専門店に行くなりして、木の実を大量に買い込んでおくことだ。木の実は長期保存が効くので、親子でオヤツのたびにポリポリと食べておくことだ。また、たまには木の実を使ったお菓子を作ってみて、変化をに富ますようにしていくことだ。

 幼児に木の実をたべさせると、とにかく食べ物を噛む習慣が身につくのだ。それほど通常の食事は柔らかい物ばかりで、顎を鍛えているわけではないのだ。幼児の頃から木の実を食べさせておくと、しっかりとした顎ができあがるので、虫歯にならないし、頭蓋骨も発達して、脳が大きくなり、知能も高くなるのだ。幼児向けのオヤツで木の実以上に優れたオヤツはないといっていいくらいなのだ。

●白砂糖を使ったお菓子を食べさせるな

 いくら木の実がオヤツとして素晴らしいからといって、いつも木の実ばかりを出していくわけにはいかない。そのうち幼児の方が飽きてしまい、木の実を有難がって食べなくなってしまうからだ。それゆえ、たまには小麦を使ったお菓子を作って出せばいいのだ。あくまでもたまにである。

 小麦を使ったお菓子は血糖値をあげてしまうので、大量に食べさせたら、蛋白質や脂肪の消化吸収に遅れが生じてしまうのだ。それゆえ、小麦でお菓子を作る際は、少な目に作り、絶対に白砂糖を使わないことだ。白砂糖は血糖値を上げ過ぎてしまい、幼児に異常行動を取らせてしまうことになるのだ。

 自分の子供を頭のいい子に育て上げたいのであるならば、子供に白砂糖を絶対に与えないことだ。白砂糖は人間が作り出した食品の中で、最も純度が高い純粋物だからだ。白砂糖は糖分の塊ゆえにすぐさまエネルギーに変わってくれるという利点を持つが、そのために体内のビタミンやミネラルを大量に奪ってしまい、そのためにビタミンやミネラルが決定的に不足してしまうことになり、脳の機能が衰えてしまうのだ。白砂糖を食べると、確実に馬鹿になると思っておいた方がいい。白砂糖を食べ続けると、非常に感情が激しくなり、キレ易くなり、そして頭の中が真っ白になってしまい、勉強どころではなくなってしまうのだ。

 昭和憲法体制下の幼児や小学生や中高生の異常行動は、その殆どが白砂糖を食べていることに起因しているといっていいのだ。白砂糖を食べ続けていれば、誰であろうとも感情を制御できなくなってしまい、すぐにキレるようになり、いくらでも犯罪を犯してしまうようになるのだ。麻薬が人間にとって悪い物であるように、白砂糖も人間にとって悪い物であるのだ。

 お菓子を作る時は、必ず「黒砂糖」や「蜂蜜や「メイフルシロップ」を使うようにすることだ。これらの甘味料には糖分だけでなく、ビタミンやミネラルがちゃんと含まれているがゆえに、健康を害さないし、知能を高くさせていくことができるのである。しかも味がまろやかになるので、白砂糖を使ったお菓子のように、ただ甘いだけということにはならなくなるのだ。

●たまにはオヤツ抜きも必要

 いつも幼児の要望に対してオヤツを出していれば、幼児は忍耐力の弱い子供に育ってしまう。幼児の忍耐力を鍛えるためにも、たまにはオヤツ抜きが必要であって、オヤツを抜かすことで空腹を覚えさせるのだ。幼児といえども空腹になれば、その空腹を耐えなければならなくなるので、忍耐力が付き始めるのである。

 豊かな国の人たちになぜ忍耐力が失われてしまうかというと、それは食事過剰になっているからなのだ。食事過剰になってしまえば、体は四六時中、消化吸収に追われることになってしまい、内臓が勤続疲労を起こしてしまい、常に疲れきった状態になってしまうのだ。その中でも副腎が衰えてしまうと、副腎皮質ホルモンが分泌されなくなり、ストレスに対抗していくことができなくなってしまうのだ。

 幼児といえども、1日3度の食事を食べ、1日2回のオヤツを食べ続けてしまえば、副腎が衰えてしまい、忍耐力のない子供になってしまうのだ。何をやらして集中力が続かないし、中途半端に物事を放り投げ、何に対しても諦めモードになってしまうのだ。母親がオヤツを与え過ぎてしまったばっかりに、子供らしくない子供に育っていってしまうのである。

 また、幼児にオヤツを無制限に認めておくと、好き嫌いの激しい子供になるのだ。これはオヤツによって血糖値が下がらないためであるのと、副腎の機能低下によって嫌いな物でも食べるという忍耐力が失われてしまったからなのだ。子供の好き嫌いをなくすためにも、たまにはオヤツ抜きで幼児の副腎を鍛えておくことだ。

 自宅にいればオヤツを要求されるので、親子でハイキングにでも行って、歩き続けてしまえばいいのだ。運動していればお腹がすかなくなり、しかも肝臓からグルコーゲンが放出され、更には脂肪が燃焼し始めるので、そのエネルギーで充分に活動できるのである。こうなると幼児もオヤツを請求することなく、副腎を鍛えることができるのである。これだけ運動すれば、夕食時にはお腹がペコペコになるので、好き嫌いをすることなくなんでも食べてくれるようになるのだ。

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なんで幼児は飲み物を欲しがるのか?

●飲み物を欲しがる幼児たち

 離乳食が始まり、正式な食事へと移っていくと、幼児は矢鱈に飲み物を欲しがり出すのだ。自分専用のコップを持って、母親に飲み物を要求してくるのだ。幼児が飲み物を欲しがることを当たり前と思ってはならない。母親の方はもう過剰な水分を必要としなくなっている年齢であって、逆に幼児は過剰な水分を必要としている年齢であるのだ。

 人間の70%は水分でできているために、幼児のように日々成長している者にとっては、大量の水分が必要となる。過剰な水分を取ったとしても、それを肉体の成長に回せるし、体内の循環もいいために汗や尿として排出できるのだ。これは成長期が終わる19歳まで続くのであって、人間の子供はかなり多くの水分を飲み続けることで大きくなっていくのだ。

 ところが、成長期が終わってしまえば、もう大量の水分を必要としなくなる。それなのに、今までの大量の水分を摂取してきたために、その習慣が止まらなくなってしまい、体には不必要なのに大量の水分を飲み続けてしまうのだ。清涼飲料水やミネラルウォーターやお酒をガブ飲みし出すのである。これがために水分過剰となって、体が冷えてしまい、その冷えた体を温めるために大量の食事を食べてしまい、徐々に太り出し、病気の温床になっていくのである。

 女性なら20代後半でもう贅肉が付き始めるし、男性なら30代後半を過ぎれば贅肉が付き始める。この男女差は、女性の方が早くに成長期が始まることと、男性の方が筋肉量が多いために、その筋肉によって過剰な水分を吸収してくれるからなのだ。男女共に肥満になってしまえば、体の機能が低下してしまうために、様々な病気をするようになってしまうのだ。

 どんなに太っている女性でも、食事以外での飲水を禁止してしまうと、大抵が体重を落としてくる。肥満というと、脂肪を目の仇にしてしまうのだが、実は体内の過剰な水分を減らしさえすれば、簡単に体重を落とすことができるのである。それほど、過剰な水分というものは、体を重たくさせてしまうのである。

●水を飲ませるな

 母親の方はもう過剰な水分を必要としなくなっているために、幼児が水分を要求し出すの驚いてしまうが、かといって、幼児の要求するままに適当に水分を与えてはならないのだ。特に、「水」そのものを与えて飲ませないことだ。水を与えてしまうと、幼児の体は機能を低下させてしまうことになるのだ。

 人間は本来「果実食動物」なので、水が飲めない生き物なのだ。だから、幼児に水を与えてしまうと、途端に動きの悪い幼児になってしまうのだ。水は朝の排便を促す時だけに使用すべきであって、それ以外では要らないのだ。この原則としての「水そのものを飲ませてはならない」ということを知っているだけで、自分の子供を有り得ないような健康な子供に育て上げることが可能になってくるのだ。

 幼児に水を飲ませてしまうと、体内でナトリウムが薄くなってしまい、その影響を受けて、神経や筋肉の機能が低下し、疲労し易いようになってしまうのだ。この悲惨な状況を脱すために、小便をして体内の過剰な水分を排出するまで待たねばならず、小便をして体がナトリウムバランスを回復すると、正常な動きをするようになる。だが、水を飲むことになれてしまうと、体が冷えてしまうので、どうしての頭も体も正常に動かなくなってしまうのだ。

 いつも水を欲しがっている幼児が無闇に病気をしているのなら、まずは水の摂取そのものをやめることだ。幼児はまだ身長が低いので、水を取ってあげるのは、母親がやっていることだからだ。母親さえ、水の危険性について解っていれば、水によってナトリウムバランスを崩すことながなくなるので、病気をしなくなるのだ。

 今まで水を与え過ぎてしまい、自分の子供の動きがどうも鈍いと言うなら、運動をさせるなり、風呂で汗をかかせるなりして、過剰な水分をなくさせてしまうことだ。過剰な水分をなくさせさえすれば、自分の子供は有り得ないような利発な子供になり、健康そのものになっていくのだ。

●果物や野菜を大量に食べさせよ

 幼児に水そのものを与えないとするなら、では一体何を飲ましたらいいのかといえば、それは「果物」であり、「野菜」である。果物や野菜の中に含まれている酵素水分こそ、成長している幼児には必要な水分であって、これが大量にあれば、順調に成長していくことがかのうになるからだ。

 朝食時や昼食時にフルーツジュースや野菜ジュースを作って飲ましてしまえば、幼児はその後、余り水分を欲しがらなくなるのだ。要は食事の際にきちんと酵素水分を摂取していないからこそ、食事以外の時に水分を要求してくるのである。まずは食事の際にきちんと酵素水分を与えていくことだ。

 野菜嫌いで困っているなら、野菜ジュースを巧い具合に作ってしまうことだ。こうすると幼児は野菜嫌いであったとしても、きちんと野菜を飲んでくれるようになるのだ。野菜嫌いの幼児はビタミンが不足しているので、そのままにしておくと病気し易くなるし、最悪の場合は白血病になってしまうので、絶対に放置しておかないことだ。

 幼児も運動をして汗を大量にかけば、水分補給が必要となる。その時は、「蜂蜜レモン水」や「蜂蜜カボス水」を作ってあげればいいのだ。蜂蜜レモン水は、水にレモン汁を入れて、そこに蜂蜜を落として掻き回せば出来上がりだ。蜂蜜カボス水は、水にカボス汁を入れて、そこに蜂蜜を落として掻き回せば出来上がりだ。レモン汁やカボス汁が疲労物質を除去してくれるし、蜂蜜の糖分で低下した血糖値を元に戻してくれるのだ。

 幼児は体内の循環がいいために、酵素水分をきちんと取らしていくと、お肌がピカピカになってくる。体の全細胞に充分な酸素と栄養が補給されているために、病気にならないし、超健康体になってくれるのだ。たとえ、病気に罹っても、その病気からの回復が他の子たちよりも早くなり、病気を悪化させずに済むようになるのである。

●健康にいい飲み物

 果物や野菜以外で、健康にいい飲み物には、「味噌汁」がある。味噌汁は味噌は発酵食品なので、ビタミンやミネラルを効率よく消化吸収していくことができるのである。食事の際に味噌汁を出す時は、大きなお椀についで、多目に出しておくことだ。食事の際に味噌汁を大量に飲ましておけば、食事外でそれほど頻繁に水分を欲しがらなくなるのだ。

 牛乳を出すなら、「ヨーグルト」を出した方がいい。幼児の中には乳性蛋白を分解できない子供もいるので、ヨーグルトにしてその乳性蛋白を分解しておけば、下痢をしなくて済むようになるのだ。牛乳は人間が飲む飲み物の中で最も体を冷やすので、幼児に牛乳を飲まし続けていると、忍耐力がなくなってしまい、非常にキレ易い子供になってしまうのだ。自宅でヨーグルトを作り、それを常温で出せば、そういう牛乳の悪影響がなくなるのである。しかも、ヨーグルトは腸での滞留時間が長いために、最も多くのカルシウムを吸収することができるようになり、自分の子供の身長を高くすることが可能になるのだ。

 もしも、食事以外で飲み物を要求されたのなら、「カフェインの入っていないお茶」を出せばいい。例えば「麦茶」「鳩麦茶」などを出せばいい。麦茶は暑い夏には持って来いのお茶で、麦茶を飲むことで迅速に水分補給が可能になるのだ。麦茶はパックの物を買ってくるのではなく、焦がした麦を買ってくるべきであって、朝の内に麦茶を作ってしまい、それを日中に飲めばいいのだ。

 鳩麦茶は別名「イボコロリ」。自分の子供にイボが出来たら、鳩麦茶を飲まし続ければいい。子供は本当にイボが出来易いので、子供にイボができたら、すぐさま鳩麦茶を飲ましてイボを取ってしまうことだ。鳩麦茶はお肌のトラブルを解消してくれるので、お肌のトラブルに見舞われたら、鳩麦茶を飲ませばいい。女の子の場合、ソバカスができた時には鳩麦茶を飲ませば、ソバカスを除去していくことができる。

 カフェイン入りのお茶は、カフェインがビタミンやミネラルを奪ってしまうので、成長していく幼児には不適格なのだ。夫婦でカフェイン入りのお茶を飲んでいても、絶対に自分の子供にはカフェイン入りのお茶を飲まさせないことだ。子供の頃から珈琲を飲んでいたら、身長は低くなるし、病気し易くなるし、精神的に異常な子供になってしまうのだ。

 幼児に飲み物を与える時は、飲み物は冷やさないことだ。常温で飲み物を出しておけば、お腹を冷やさなくなるので、風邪をひく確率が激減するのである。幼児が風邪をひいてくれなければ、他の病気に罹る率も下がるので、育児が非常に楽になるのだ。幼児に水分補給させる時は、過剰な水分や冷たい水分というものが、病気と密接な関係にあるということを絶対に忘れないことだ。

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離乳食のメニューは記録しておく

●食事を記録しておくと、料理が楽になる

 新米ママがブクブクと太り出すのは、離乳食を開始してからと見ていい。幼児が母乳を飲まなくなったので、体重が減らなくなるのだ。しかも、幼児の離乳食を食べる姿に釣られて、自分もかなりの量の食事を食べてしまうようになるからだ。その上、第二子を妊娠しようものなら、妊娠によってお腹が大きくなってしまい、自分が太り始めているということすら解らなくなってしまう。この一連の罠に嵌るからこそ、多くの既婚女性は太って行ってしまうのである。

 赤ちゃんを産むことによって、自分が母親らし体形になることは必要性があっても、肥満になる必要性などどこにもない。肥満になれば、食事の量も増えるし、洋服代が高くなるし、動きが鈍くなって行動範囲が狭まってしまう。肥満になっても碌なことがないのだ。母親になったからこそ、少しは筋肉がついたとしても、引き締まった体でいることだ。

 体を引き締めるためには、運動することも大事であるが、とにかく食事を管理していくことだ。肥満を防止したければ、毎日の食事を記録していけばいい。この簡単なことをするだけで、人間は肥満にはならなくなる。人間はただ単に食事をしていると、大量に食べてしまうが、食事を記録しながら食べると、適正な量しか食べなくなるし、かなり多目に食べてもそれほど太らなくなるのだ。記録するということで頭を使っているので、常に余分なエネルギーが頭に回り、そのために贅肉がつかなくなるのだ。

 母親が食事を記録してくれるということは、幼児にとっても嬉しいことになる。離乳食がワンパターンにならなくなるのだ。初期の離乳食は離乳食のために離乳食を作るものだが、離乳食に慣れてくれば、夫婦の食事の余り物で離乳食を作ることになる。このため、離乳食はワンパターン化していき、幼児の方も食事をすることにだれてきてしまうのだ。

 そこを新米ママが離乳食のメニューを記録していくと、離乳食に何を出したか一目瞭然となり、離乳食にバリエーションを持たせようとし出すのだ。離乳食というものは、不思議なもので、メニューを記録していくと、離乳食を作る際にネタに困らなくなり、しかも作ってみると、幼児の方もきちんと食べてくれるようになるのだ。

●幼児の好き嫌いが明確に解るようになる

 離乳食のメニューをつけてしまうと、幼児の好き嫌いが明確になるのだ。幼児も人の子だから、好き嫌いがあり、或る物に関してはきちんと食べてくれるのに、或る物に関してはなかなか食べてくれなかったりする。この情報は物凄く貴重なのに、記録しなければ、育児に追われてしまい、その生活の中で忘却していってしまうのだ。

 幼児が好きな物を出していけば、きちんと食べてくれるのだから、まずはこの好きな食べ物を多くしていくべきなのである。そして嫌いな食べ物には何かしかしらの改善策を施して、食べさせるように仕向けていけばいいのだ。幼児が嫌いだと言っているのに、前のと同じような料理の仕方で出せば、食事の際に悪戦苦闘するのは当然なのだ。

 食事のメニューを記録していくという習慣は、離乳食が終わり、正式な食事は始まると、食事と病気との因果関係が明白になるのだ。幼児は満2歳を過ぎると、病気しにくくなるものだが、それでも幼児は病気をする。幼児が病気になるのは、食事で余りにもビタミンやミネラルが不足した時なのである。

 例えば、「カレーライス」。カレーは煮込んで作るために、野菜を多目に入れても、ビタミンが破壊され易くなってしまう。そのためカレーライスは幼児にとって好物なのに、風邪をひきだす幼児も出てくるのだ。だから、カレーライスを出す時は、カレーライスを単品で出すのではなく、ドレッシングをかけたサラダを必ず出すようにすることだ。

 もしも幼児が病気をしたのなら、病気の対応に追われるのではなく、料理のメニューを読み返してみて、病気を引き起こした料理を見つけ出すようにすることだ。栄養バランスの悪い食事を出し続けていると、幼児はすぐに病気をしてくるものなのである。我が子が病気をしたのなら、自分の作っている料理に改善を施すことは絶対に必要なことなのだ。

●新米ママ自体が肥満にならなくなる

 幼児の離乳食が始まり、そして正式な食事に移行していくと、毎日料理を作らざるを得なくなるので、料理を作っている新米ママの方が、勤続疲労を起こしてしまい、料理をだらけた形で作ってきてしまうのだ。そのため、栄養バランスは滅茶苦茶で、それだけ偏ったs料理を食べていれば、幼児の心もおかしくなってしまい、母親の手を焼かす子供に成長していってしまうのだ。

 料理は漠然と作ること勿れ。頭を使って楽しみながら作るべきなのである。そのためにこそ料理のメニューが必要なんであって、そのメニューを見てしまえば、今日はあれを作ろうというのが、不思議に浮かんでくるものなのだ。料理というものは、料理のメニューがなければ、場当たり的にやってしまうものなのである。

 脳は体の全エネルギーの20%もの量を消費するので、料理といえども、頭を使いながら料理をすると、料理をしている最中にかなりのエネルギーを消費してくれるのである。頭を使わずに、食事の時間が来たからという理由で料理を作っていると、それほど脳はエネルギーを消費してくれないので、どうしても太ってしまうのである。

 新米ママは我が子が料理を食べてくれるだけで嬉しいので、遂々自分の体のことを忘れてしまうものなのだ。妻がぶくぶくと太っていっても、夫は何も指摘しないものなのだ。敢えて夫婦喧嘩の原因になるような発言をする夫などこの世にはいないものだ。そのため、誰の指摘を受けることなく、贅肉が徐々に付き始めるのである。

 料理のメニューを記録する習慣があれば、テレビの料理番組を見ていて、気に行った料理があれば、すぐにメモすることができるのだ。そのメモを見て、新たな料理に挑戦すれば、料理が巧くなっていくものなのである。しかし、料理のメニューをつける習慣のない母親は、幾ら料理番組で料理が紹介されても、それを見ているだけで終わってしまうのである。だから、いつまで経っても料理の腕が上がらないのだ。

●二人目以降の離乳食が自然体で行えるようになる

 第一子の際に、離乳食のメニューを記録しておくと、第二子目以降の離乳食のメニューに困らなくなるのだ。離乳食に情熱を燃やすのは、第一子の時だけと見ていいのだ。第二子はドタバタの中で離乳食を与えねばならないし、第三子に至ってはいつの間にかに離乳食を食べているものなのだ。

 第一子の離乳食で悪戦苦闘したのなら、第二子以降の離乳食はスムーズに行くものなのである。既に上の子が正式な食事を食べているので、下の子も離乳食をすんなりと食べてくれるようになるのだ。それゆえ、第一子の際に離乳食をきちん習得しておかないと、第二子以降の離乳食は滅茶苦茶になってしまうものなのである。

 そうやって第三子まで来ると、離乳食は簡単なものになってしまい、母親がささっと離乳食を手早く作ってしまうのである。離乳食がどうたらこうだらと言ってくるのは、大抵が子供が1人か2人しかいない母親たちだ。恐らく離乳食の回数が少なかったために、離乳食をきちんと習得できなかったのであろう。

 この世には新米ママ向けに離乳食専用の料理本とかが出版されてているのだ。「こんな本、売れるのかな?」と思っていても、この料理本を買っていく新米ママがいるものなのだ。非常に驚きの光景である。矢張り、最初の子供なら不安になってしまうのだろう。だが、その離乳食専用の料理本を見てみると、結構、出鱈目なことが書かれているものなのである。幾らでも改善の余地はあるのだ。

 商才のある母親なら、自分が記録していた料理のメニューを基に、離乳食専用の料理本を作ってしまえばいいのだ。離乳食のことなんて、学者が書く本よりも、実際に育児をしてきた母親たちの方が良く知っているものなのである。育児をする時は、漠然と育児をしていくきではないのだ。記録しながら育児をしていくことだ。その記録した物が、後にビジネスチャンスを生み出し、巨万の富に変わっていくかもしれないのだ。

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幼児の最大の試練:「ウンチの大移動」

●乳児のウンチは食後、幼児のウンチは朝

 ありとあらゆる動物は食べ物を変えることで進化してきた。このことは人間といえども例外ではない。人間も食べ物を変えれば、進化せざるをえなくなってくる。乳児は母親の母乳を食べ物にしていたのに、幼児になると離乳食を食べさせられ、通常の食事を食べるようになっていく。幼児には最大級の進化の試練を受けることになるのである。我々大人ですら、このような過酷な試練を受けたことはないのである。

 何がどう進化していくのか? それは母乳から離乳食への移行に伴って、内臓を進化せさざるをえなくなるということなのである。通常、離乳食を食べさせると、幼児のウンチは臭くなるものだ。母乳を与えていた時はウンチは臭くないのに、離乳食を食べさせた途端に、ウンチが臭くなり始めるのだ。これは内臓がまだ充分な消化吸収機能を持っていないために、胃腸内で異常発酵が起こってしまい、どうしてもウンチが臭くなってしまうのである。まだ充分に消化吸収しきれていないといいことは、ウンチが流動形ではなく、固形物になるということなのである。乳児に離乳食を食べさせると、途端にウンチがウンチらしいウンチになるのである。

 もう一つは離乳食、そして通常の食事に移行することによって、高エネルギーを得たことによる知能の発達と行動範囲の拡大が起こるのである。玄米と大豆のコンビを食べると知能が高くなるし、小麦とヨーグルトのコンビを食べても知能が高くなる。通常の食事の開始は、幼児の脳の発達の時期にピタリと重なってしまうために、この時期に良質の穀物を食べさせておくと、高い知能を持った人間を作ることができるのである。それと母乳では比較にならないほどの高エネルギーを得ているのだから、行動範囲が広がって、より活動的な人間に育てていくことが可能になるのである。

 第三の変化は排泄時間の大移動である。通常、乳児は母乳を飲み終えた後にウンチをする。これはどの動物でも同じ現象を取る。しかし、幼児に離乳食を与え、正式な食事に変えていくと、幼児は朝の時間帯に排泄するようになり、食事をしたらウンチをするということがなくなっていくのだ。

 ここで「あっそうか!」と気付いた新米ママは頭がいい女性である。少なくとも昼以降排泄しなくなり、そのため睡眠中も排泄しないので、食べ物を内臓の中に仕舞っておくことが可能になるのである。そのためより多くの栄養を吸収できるので、人間の知能は他の動物とは比較にならないぐらいに高いし、行動量も他の動物とは比較にならない多くなるのである。

●朝は排泄の時間

 普通、どの動物も、餌を取った場所と、排泄をする場所は、同じ場所か、近接した場所である。ところが、人間の排泄の時間が朝であるということは、人間は食べ物を取った場所では排泄をしないということなのである。これには我々人類の進化の歴史が我々の体の中に刻まれているからなのである。

 太古の昔、男女が平等に共同して労働をするということはなかった。その集落の男性たちは男性たちだけで集まり、男性たちだけで狩猟に出かけ 女性たちは女性たちだけで集まり、女性たちだけで採集に出かけた。これが狩猟採集経済なのである。人間の平等性なんてどこにもないし、原始共産制というものなどどこにもないのだ。

 男性の狩猟も女性の採集も大抵は午前中で終わった。男性の狩猟は成功することは稀で、失敗することの方が多かった。それに対して女性は木の実や野草や芋を掘り出してくるので、その収穫の時期であるならば、失敗することがなかった。当時は1日2食で、昼食に女性たちが取ってきた物を食べ、夕食に男性たちが取ってきた物を食べた。

 食べ物の量は平等に分配されるのではなく、集落のリーダーが最も多く食べ、その次に狩猟に出かけた男性たち、そして採集に出かけた女性たち、残りを子供たちが食べ、病人には大した量の食事が行き渡らなかった。このため食料不足になると、病人は切り捨てられ、子供たちもバタバタ死んでいくことになった。この習慣は今でもアフリカの原住民たちは持っており、だからこそ飢饉になると凄まじい量の餓死者を出してしまうのである。飢饉で病人や子供たちが死んでいっても、大人の男性たちは食べ物を多く食べてしまうのだ。これが飢饉に対する人口調整なのである。そうやって人間の数が増えないように制御してきたのである。

 通常の狩猟採集経済であるならば、食事をした途端に排泄をする筈である。それなのに食事をしても排泄をしないというのは、その狩猟採集経済が定住しながら狩猟や採集をしていたのではなく、住居を移動し続けながら狩猟や採集をしていたということなのである。人間の体自体を長距離移動が可能な体に変えることで、より多くの獲物を求めることができ、だからこそ人類は全世界に広まっていくことができたのである。

 幼児はこの人類の進化の歴史が体に出て来て、朝に排泄時間を大移動させてくるのである。この排泄時間の大移動を軽視してはならない。幼児が朝のうちにウンチをするというのは、大変なことであり、ウンチには大変苦労するのである。幼児が朝のうちにウンチをしてしまえば、健康な子供に育っていくし、幼児が朝のうちにウンチができなければ、その幼児は老廃物や毒素を溜め込むことによって病気がちな子供になってしまうのである。

 だからこそ、母親の排便も大事なのである。母親が朝の時間帯にきちんとウンコをしていれば、幼児も母親の行動を見習って、ウンチをしようとするのだ。しかし、母親が便秘気味だと幼児は母親の行動を真似することができず、幼児も排泄が乱れてしまったり、便秘になってしまったりするのだ。

●離乳食は昼食からスタートすべき

 幼児の排泄時間が朝に大移動しているというのなら、排泄しようとしている朝の時間帯に食事などすべきではないのだ。食事は排泄を阻害してしまうので、幼児に朝食を食べさせれば、幼児は朝の時間帯に排泄をするチャンスを失ってしまうのだ。排泄が乱れている幼児に限って、朝食を食べているものなのである。

 殆どの新米ママたちは離乳食をいきなり朝食から始めてしまうものだが、離乳食というのは昼食からスタートすべきなのである。幼児には午前10時以前には食事を与えないことだ。とにかく幼児には朝のウンチをしてもらい、そのウンチを見届けた後に母乳でも与えていけばいいのだ。離乳食はお腹がすいた昼時でいいのであり、昼食に離乳食を出せば、幼児は好き嫌いを言うことなく、食べてくれるようになるのだ。

 離乳食といっても、幼児はいきなり慣れるわけではないので、当分の間は離乳食は昼食だけでいいのだ。他は母乳を与えていけばいいのだ。こうすれば幼児としても1日1回しか離乳食を与えられないので、離乳食を食べることによる内臓の変化を、時間をかけて行えることができ、胃腸内の異常発酵を起こさずに、内臓の変化を行えることができるようになるのである。

 昼食の場合だと、平日は母子二人の食事になってしまうので、まずは母親から食事をしていくべきなのである。幼児は涎を垂らしながら母親の食事の風景を見ることで、食欲を湧かして、母親が食べ終わった後に、離乳食を出されると、勢いよく食べ始めるのである。離乳食を食べさせるのが面倒だからと言って、先に幼児に離乳食を食べさせてしまうと、幼児は離乳食を食べないものなのである。

 離乳食の時期になると、離乳食のことばかりに頭が一杯になってしまうものだが、幼児のウンチの変化をきちんと見ておくことなのである。朝に何も食べずにウンチをしてくれたら、その幼児は健康に育っているのである。そうしたら離乳食の量や回数を増やしていけばいいのであって、朝にきちんとウンチができなければ、離乳食に変化をもたらしてはならないのである。

●離乳食は1日2食が基本

 幼児は朝に排泄をするというのが慣れていないために、離乳食は1日2食が基本なのである。朝の時間に離乳食を与える必要性はないのだ。幼児には朝に朝食を食べるよりも、朝の排泄をきちんと行って貰う方が先なのである。離乳食の期間中は、昼食と夕食で充分なのである。

 1日に3度の食事を与えるのではなく、1日2食にして、その離乳食を徐々に充実させていけばいいのだ。どのように充実したかが解るかは、朝にウンチをすることと、そのウンチが臭くないということなのである。昨日の離乳食がどうだったかは、翌朝のウンチを見れば解るものなのである。

 離乳食で足らないものは、母乳で補えばいいのだ。離乳食の期間は、絶対に離乳食と母乳は並行して存在するのであって、幼児が離乳食以外の時間でお腹がすけば、母乳を与えればいいのである。母乳さえ与えておけば、離乳食がどうであっても、栄養的にはなんの問題もないのである。

 幼児が離乳食を卒業できるのでは、離乳食をきちんと食べられるだけではなく、朝の排泄がきちんとでき、そのウンチが悪臭を放たないことを見届けてから、正式な食事へ移行させていけばいいのである。新米ママが急いで離乳食を卒業させてしまうと、朝にきちんとウンチができなくなってしまうし、幼児なのに既にウンチが悪臭を放っているのである。こうなれば幼児は病気をし出すし、母親に有り得ないような悪態をついてくるのである。

 離乳食の時期は、今まで母乳育児をしてきた新米ママにとって最大の試練の場所であるのだが、幼児の方も最大の試練を迎えているのである。朝になって、きちんとウンチができるということは、睡眠中に消化吸収を終えて、排泄することによって体内の老廃物や毒素を出すということなのである。それができれば、体内は高エネルギーを獲得し、体はクリーンになるので、知能を高くすることができるし、行動範囲も広がっていくことになるのである。自分が産んだ赤ちゃんを、元気一杯の幼児に育てるのは、新米ママが離乳食の時期を巧く乗り切っていくかにかかっているのである。

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食事のスピードが速い子、遅い子

●良く噛んで食べることの大切さ

 新米ママが幼児に離乳食を食べさせ始めた時、驚くのは幼児の食事の遅さであろう。とにかく動作が鈍いし、手間がかかるのだ。そのためイライラしてしまい、早く食べさせようとしてしまうのだ。しかし、これは非常に危険なことだといっていいのだ。これこそが離乳食の落とし穴なのである。

 人間は噛むことで、顔の筋肉を発達させることになるので、母親が離乳食を急かして食べさせてしまうと、顔の筋肉が発達しなくなってしまい、無表情の子供へと成長してしまうのだ。要は、食事を噛んで食べる習慣がないために、いつも食事を飲んでいる状態になってしまい、胃腸に物凄い負担をかけながら生きていることになってしまうのだ。しかも、顔に表情がないために、何に対しても感動せず、消極的な人間になってしまうのだ。

 食べ物を噛むというのは非常に大事で、噛めば噛むほど脳への血流が多くなるので、それだけ脳を発達させることができ、知能を高くすることができるのである。離乳食の段階から、良く噛んで食べる習慣をつけさせると、その幼児は正式な食事が始まっても良く噛んで食べるようになるのだ。そのため脳が発達して知能を高くすることができるのである。こういう子供は顔のバランスが非常に巧く取れており、オデコが非常に大きくなって、いかにも頭の良さそうな子供へと成長してくるのである。

 自分の子供が良く噛んで食べる習慣を身につけさせるためには、両親が良く噛んで食べている所を見せないと、幼児は真似してくれないのだ。幼児に良く噛むように教えておきながら、夫婦で食べ物をきちんと噛んでいなければ、幼児はいずれ噛まずに飲む込むようになってしまうことだろう。まずは自分たちから良く噛んで食べることだ。

 食事を良く噛んで食べさせると、食事の時間はかかるが、その効果は絶大で、幼児が病気しにくくなるし、顔の表情も豊かになって会話し易くなるし、知能も高くなってくるのだ。それゆえ、食事の時間には余裕を持ってあたり、絶対に急かさないことだ。新米ママが食事を急かさなければ、幼児は食事をゆっくりと食べてくれるのである。

●速い子の長所と短所

 食事のスピードは人それぞれであるということである。個性差がモロに出て来るので、自分の子供の食事のスピードがどのようなものなのか、早い段階で掴んでしまうことだ。食事スピードが速い子はいつも速いし、食事スピードが遅い子はどうしたとしても遅いのだ。子供は決して平等なスピードでは食べてくれないのだ。

 食事の速い子は食事がテキパキと進むのだ。母親としては食事の手間がかからないので非常に有難いのだ。離乳食の段階で食事のスピードが速ければ、正式な食事が始まればもっと速くなるのだ。勢いよく食べてくれるその姿は、母親としては食事の作り甲斐があるので、遂々可愛がってしまう傾向にあるのだ。

 しかし、その反面、その幼児は食べ物を良く噛んでいないのだ。食べ物を飲み込んでいる確率が高く、噛んだとしてもそれほど噛まずに飲み込んでしまうのだ。こうなると、顎が巧く発達していかないので、虫歯に罹ったり、踏ん張りのきかない子供に成長してしまうのだ。

 しかも、良く噛まないことで、脳への血流が悪くなるから、知能がなかなか発達しないのだ。食事の速い子供は大抵が馬鹿である。こういう子供は頭を使うと、小手先の悪知恵しか思いつかないものなので、親に対して散々悪さをするようになってしまうのだ。集中力に欠けるために物事に対して本格的に取り込むことができず、いつも中途半端になってしまい、物事に挫折する確率が多くなってしまうのだ。

 うちの子は食事のスピードが速いなと思ったら、とにかくその幼児に運動をさせることだ。体力が有り余っているから、食事で体力を使おうとするのであって、その体力を外で使ってしまい、ヘトヘトにさせてしまえば、食事の際は意外と大人しく食べるようになり、食事のスピードも落ち着くようになるのだ。

●遅い子の長所と短所

 幼児に食事を与えると、10人に2人ぐらいは、異様な遅さで食事を食べる幼児が出て来る。この遅さは離乳食の段階から現れ始めるので、新米ママとしては非常にイライラしてしまうのだ。普通の幼児の倍以上の時間がかかってしまうために、その後の時間が押された格好になり、忙しくなってしまう事態になってしまうのだ。

 しかし、こういう幼児は良く噛んで食べるために、食べ物が粉々に壊されて、しかも唾液がきちん絡まるので、消化吸収し易くなり、病気に罹りにくくなるのだ。そのため、充分な体力があるために、行動がエネルギッシュになり、何に対しても真剣に取り組むようになり、物事の上達が早くなるのあ。

 更に食べ物を良く噛んで食べているために、脳への血流が多くなり、知能が発達してくるのだ。このため、言語能力が発達して大人顔負けのことを言い出したり、絵を描く才能が他の子たちよりも高かったり、歌を歌わせるとビックリするくらいに上手に歌うようになるのだ。

 こういう子供は若い頃から頭角を現し易いので、そのつもりで育てていくことだ。食事のスピードが遅い分、出世のスピードが速いのである。自分の子供が何かに特別な興味を示し出したなら、その興味に付き合ってあげることだ。そういう集中力を発揮できる場所を与えることが、後の人生で大きな影響を与えることができるのである。

 但し、新米ママの方としては、食事の余りの遅さには閉口してしまうものだ。みんなの食事が終わっているのに、まだ食べている。自宅ですらそうなのだから、幼稚園や小学校に行くと、みんなが昼食を食べ終えているというのに、ポツンと一人で食べているのだ。これはその子の生まれ持った特徴であるので、絶対に矯正したりしないことだ。食事のスピードが遅いことこそが、その子の個性なのである。

●幼児を画一的には見ない

 食事のスピードは速くて困ることはあるが、遅くて困ることはないのだ。新米ママの方としては、大急ぎで食事を作ったために、自分の子供にも大急ぎで食べさせてしまおうとしてしまうのだ。そうなれば、子供は親に釣られて大急ぎで食事を食べてしまい、顎を発達させることも、知能を高くすることもできなくなってしまうのだ。

 食事をする際は、ゆっくりと食べ、余りにも子供を忙しくさないことだ。幼児に食事を食べさせる時は時間がかかるものなのだから、食事の時間を多目に確保しておくことだ。幼児が食べ物を良く噛んで食べるようになってくれれば、健康になってくれて病気に罹る回数が少なくなり、知能も高くしていくことが可能になるのである。

 離乳食が始まると、他の子供はどうしているんだろうと、気になってしまうものだが、幼児を画一的に見ないことだ。画一的に見たとしても、なんの解決にもならないのだ。食事のスピードは人それぞれなので、速くすべきことは食事のスピードではなく、自分の子供の食事スピードを早くに掴んでしまうことなのである。

 今まで母乳を与えていた時は、それほど時間がかからなかったのに、離乳食を与えると、離乳食を作るのにも時間がかかるし、離乳食を与えるのも時間がかかるし、離乳食の後片付けにも時間がかかってしまう。だからこそ、家事をテキパキとこなすようにしていくべきであって、肝腎の離乳食の時間を急がせて短縮すべきではないのだ。 

 食事の時間を削っても、結局はテレビを見て時間を潰してしまうのだから、それならテレビを視る時間を減らして、食事の時間をたっぷりと確保してあげればいいのだ。食事の時間がたっぷりとあれば、幼児は自分のペースで食事をすることができるようになるのである。それが結局は健康に寄与し、知能を高くすることができるのである。

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幼児に食べ物の好き嫌いがあるのは当たり前

●なぜ食べ物の好き嫌いが出て来るのか?

 育児をしていく上で、絶対に忘れてはならないということは、自然界では食べ物を与えてくれる人が一番偉いということだ。だからこそ、乳児や幼児は母乳や離乳食や食事をくれる母親に従うし、その食費を稼いでくる父親に従うのだ。それゆえ、与えられた食事には文句を言わせないことこそ、親の権威を確立させることができ、その権威によって正常な育児をすることができるのである。

 母乳を与えている段階では全くなかったのに、離乳食を与えていくと、幼児というのは、好き嫌いを示し始める。離乳食の段階では好きな食べ物は早く食べるが、嫌いな食べ物になると食べなかったり、わざと遅く食べて母親の手を困らせるのだ。これを放置しておくと、正式な食事になると、有り得ないような好き嫌いを言い出してくるのだ。

 実を言ってしまうと、幼児の好き嫌いは或る程度までは、正しい反応を示しているのである。人間は自分が欲しくない食べ物は食べないという本能的に持っている。例えば、幼児の嫌いな食べ物ナンバーワンである「ピーマン」は、ピーマンの持つ苦味成分が疲労物質を除去する役割を果たすので、疲労物質を溜め込んでいない幼児には殆ど必要のない食材なのである。だからこそ、幼児たちがピーマンを嫌うのである。

 もう一つは母親が偏食を与え続けてしまったということである。離乳食自体が偏食なので、離乳食の後期には栄養バランスを整えていって、栄養が偏らないようにしておかないと、偏食のまま正式な食事へと突入してしまうのだ。それゆえ、離乳食を作る際は、精白穀物を絶対に使用しないことだ。精白穀物を食べさせていると、どうしてもビタミンやミネラルが決定的に不足しすぎてしまうので、偏食をし出すのである。

 トドメが育児の仕方が間違っているということである。母親が適切な愛情を与えなかったり、家庭内の秩序を教え込まなかったりすると、幼児は強烈な好き嫌いを発揮し始める。家庭内の愛の流れは、父親に発して、母親を経て、幼児に辿りつくので、夫婦間でどんなことがあっても最終的には仲直りすべきだし、幼児にはお父さんが一番偉いのだということを教え込んでおくことだ。間違っても、幼児の前で父親の悪口を言ってはならないのだ。こうすると、幼児は家庭内の秩序を受け入れ、両親の愛が流れ込んでくるので、食べ物で好き嫌いをしなくなるのである。

●好き嫌いを言うのは成長した証

 離乳食で好き嫌いを言われるのは困りものだが、好き嫌いを全くしないというのも、それはそれで問題なのだ。離乳食は幼児にとって、未知との遭遇の連続であって、中には自分がどうしても嫌いな物も出て来るし、自分が大好物な物も出て来るのだ。それはそれで成長した証なのだ

 但し、好き嫌いをそのままにしてはいけない。好き嫌いを放置しておくと、幼児中心の家庭に変わっていってしまうので、幼児の好き嫌いを認めてはならないのだ。幼児の好き嫌いを粉砕することで、親の権威を確立するのである。これをやらないと、母親は幼児の我儘に振り回されてしまうようになるのだ。

 嫌いな物を食べ終わるまで、絶対に食事を終わらせないことだ。幼児にへばりついて、問答無用で食べさせるのだ。母親というのは、何も食堂のオバチャンではないのである。自分の子供の健康を思って食事を出しているのであって、それは幼児がどのように思ったとしても、食べて貰わねばならない物なのである。

 母親が離乳食の段階で、幼児の好き嫌いを認めないと、正式な食事を開始した後は、余り好き嫌いを言わなくなるものなのだ。離乳食でズッコケていると、正式な食事が始まった時に、散々に手を焼くことになるので、離乳食の段階で好き嫌いの芽を摘み取っておくことだ。

 その反面、幼児の好きな料理や嫌いな料理を覚えておき、定期的に好きな料理を出していけばいいし、嫌いな料理も少しは改善した方がいいのだ。どうやって嫌いな物を改善すればいいかは、ママ友たちに聞いてみればいい。みんな悪戦苦闘しているので、いいアイデアを持っていることもあるのだ。少しヒントを与えるなら、幼児は食べ物の臭いに敏感なので、その臭いを巧く消し去ってしまうと、嫌いな物でも食べてくれるようになるのだ。

●空腹を味合わしてから食事をさせるようにする

 幼児の好き嫌いを克服していくために、まずは幼児を空腹にしてしまうことなのである。人間は誰しも空腹になれば、どんな物でも美味しく感じることができ、何も残さず食べるようになるのである。満腹の状態ではいかに美味しい料理を与えても、不満を言い出し、食べ残すようになってしまうのだ。

 そのため、離乳食を作ることに追われてしまうのではなく、食事の前に幼児を空腹にさせるという作業を怠ってはならないのだ。食事の前に外に出かけて、遊んでしまい、お腹がすいた頃を見計らって帰宅し、それから料理を作って出せばいいのだ。こうすればお腹がすいているために、好き嫌いを言うことなく、なんでも食べてしまうのだ。

 空腹になると、最も先に炭水化物が欲しくなるので、炭水化物中心の食事を食べさせていくと、その他のオカズもきちんと食べてくれるようになるのだ。離乳食で張り切ってしまうと、オカズの量を増やしてしまう傾向にあるので、離乳食は炭水化物中心の食事であるということを決して忘れないようにすることだ。

 幼児は食後、すぐさま動き出してしまうので、食事が終わったら、必ず食休みをして、胃腸に血液を集中させてあげることだ。こうすると食べ物の消化吸収が早くなるので、次の食事までにはきちんと空腹になるのだ。最低でも15分程度は、居間でゴロゴロとしていれば、充分な食休みになるのだ。

 食休みをさせないと、次の食事の時間になっても、まだ消化吸収が終わらず、お腹がすいていないということになってしまうので、いくら美味しい料理を出しても、食べ残してしまうようになるのだ。この手の好き嫌いは、食休みをさせなかったことが原因なので、今後、きちんと食休みを取らせるようにすることだ。

●家族の中で食べるようにする

 幼児の好き嫌いをなくすためには、とにかく家族の中で食べるようにさせることだ。幼児は両親の食事の姿を見て、食欲が湧いてしまい、それで釣られて食べてしまうのだ。この「釣られ食い」こそ、幼児の好き嫌いをなくしてしまう最大の対策なのである。その食材の栄養がどうのこうのではなく、食事をするのが楽しいということを覚えさせてしまうことだ。

 それうえ、離乳食の初期は、両親が先に食事をし、楽しい会話をしてから、その後に離乳食を与えるというスタンスを決して崩さないことだ。幼児は両親の風景を見ているだけで食事は楽しいものだなということが脳内にインプットされるので、その後に離乳食を与えると、大急ぎで食べ始めてしまうのだ。

 これは離乳食を終えて、正式な食事をするようになった時、食事を食べさせすればいいのではなく、食事の際は会話をして、楽しみながら食べるという習慣を教え込ましてしまうことになるのだ。食事をしても楽しくないからこそ、得体の知れない好き嫌いを言い出してくるのである。

 新米ママだと離乳食を作ることに肩が張り過ぎてしまい、夫婦で楽しく会話をするということを忘れてしまいがちだ。しかし、そんなことをやっていると、幼児が凄まじい好き嫌いを言い出し、離乳食の段階でズッコケてしまうことになるのだ。自分の子供が余りにも激しい好き嫌いをしてくるなら、自分たち夫婦に何かしらの問題があると思った方がいい。家庭内できちんと愛が流れていないのである。

 人間は本来「果実食動物」のくせに、進化の過程で雑食になっていったので、なんでも食べて行かねばならないのである。好き嫌いを言っているようでは、非常に偏った人間になってしまうものなのである。自分の子供をまともな人間に育てあげたいのであるならば、食べ物で好き嫌いを言わせないことだ。食べられるだけ有難いということを教え込み、食べ物に対して感謝の気持ちを持たせることだ。

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幼児の食事は炭水化物中心である。

●炭水化物を多くすれば、幼児は好き嫌いなく食べることができる

 離乳食というと、炭水化物中心の食事になってしまう。「栄養的にこれでいいのかな?」と思っても、実はそれで構わないのだ。幼児は炭水化物を多く必要とし、炭水化物の多い離乳食だからこそ、好き嫌いなく食べることができるのである。幼児が余りにも好き嫌いを言うようであるならば、炭水化物の量が少なすぎるのだ。

 人間の体は食事をしたら、まず先に炭水化物を消化し、炭水化物の消化が終わったら、脂肪や蛋白質の消化に移ってしまう。そのため、幼児に脂肪や蛋白質の多い食事を取らしてしまうと、エネルギーが余りにも多すぎることになり、しかもなかなかお腹がすかないようになってしまうのだ。それだからこそ、まだ空腹になっていないにも拘わらず食事を出されてしまうと、好き嫌いを言うことで食べるのを遅らせようとし出すのである。

 離乳食は必ず炭水化物を6割を下回らないようにしておけば、幼児は好き嫌いを言うこともなく、ちゃんと離乳食を食べてくれるようになるのだ。幼児は必要であるなら、嘗て乳児の時に空腹になれば乳房にしゃぶりついたのと同じように、空腹になれば離乳食に食らいつくようになるのだ。それゆえ、離乳食をただ単に食べればいいというのではなく、幼児の態度や表情というのをきちんと見ておくようにすることだ。幼児が離乳食を食べている時に、テレビを見ていたり、台所の方に行っていては、大事な情報を掴み損ねてしまうからだ。

 新米ママが30歳を過ぎている場合、自分の炭水化物の摂取量が減ってきてしまうために、自分の子供にもそれを適用してしまう危険性があるので要注意だ。人間は離乳食の開始から、19歳で成長期が終わるまでは、体だけでなく、脳も成長していくので、炭水化物中心の食事にした方が、健康になるものなのである。しかし、この炭水化物の肉体的成長が終わってしまえば、それほど必要としなくなるのだ。そのため、炭水化物の摂取量を減らしていくことになるのだ。だからといって、今まさに離乳食を迎えた幼児が、炭水化物を減らしていいわけがないのだ。

 幼児は行動量が多くなってくるので、大量の炭水化物を必要とするのだ。特に女の子の場合、お喋りが更に炭水化物を消費してくるので、女の子といえども、かなりの炭水化物を摂取するようになるのだ。体も脳も炭水化物を必要としている真っ最中なので、離乳食は炭水化物中心で行くべきなのだ。

●果物をしっかりと食べさせる

 離乳食を炭水化物中心にした場合、多くの新米ママたちが考えるのは、「お粥」なのであるが、白米のお粥ではビタミンやミネラルが決定的に不足してしまうことになる。白米のお粥を幼児に食べさせ続けると、風邪をひき易くなるし、近視になったり、他の幼児をイジメるようになるし、積極的に行動せず、知能が低く、手のかかる幼児へと間違った方向に成長して行ってしまうので、絶対に食べさせないことだ。

 お粥にするなら、玄米と押麦で作るようにすることだ。この玄米と押麦のコンビだと、ビタミンとミネラルが足りるようになるし、しかも、押麦に含まれるグルテンが免疫力を活性化して、病気になりにくい幼児にしてくれるのだ。更に、グルテンは知能を高める効果があるので、離乳食の段階から押麦を食べさせていれば、知能の高い子供へと成長していくことになるのだ。

 離乳食は何もお粥だけではないので、「果物」をきちんと食べさせるようにしておくことだ。果物のは酵素水分が大量に含まれているので、果物を食べさせると、幼児は殆ど病気しなくなるのだ。乳児の頃から病気で悩まされていたというのなら、離乳食の開始以降は果物を食べさせることで、病気と無縁の幼児に育てあげてしまうことだ。

 但し、どの果物も体を冷やす効果を持っているので、日が暮れたら果物を食べさせないことだ。日が暮れてから幼児に果物を食べさせてしまうと、お腹が冷えてしまい、それを切っ掛けに病