お金の話が出て来たついでに、経済学の話もしておこうと思う。多くの母親たちは経済学の基本的な知識がないために、家計を狂わし、人生を狂わしてしまっているからだ。勿論、学校や大学で経済学を習った筈なのだが、教師や教授たちは経済のなんたるかが解っていないために、逆に生徒や学生たちが解らず仕舞いになっているのだ。経済学は決して難しい学問ではない。経済のメカニズムが解れば非常に簡単な学問なのである。
●人口と食料
まず、人間の生存にとって経済は欠かせないものだが、この経済は人口が少なければ、人々は自給自足経済を取ってしまい、余り豊かにはならない。自給自足経済では協業と分業が働かないために、すべての作業を自分でやることになってしまい、非常に非効率的な経済になってしまうからだ。
経済が活性化し始めるのは、人口が増え始め、国内に「市場」が成立し始めた時からなのだ。市場ができれば、人々は物を交換し合うことによって、自分の得意な物を売り、不得意な物なら購入すればいいので、生産量が激増して行き、人々は急速に豊かに成り始めるのである。
そして、国内で経済力がついて来たのなら「、「国際貿易」をすることによって、更に豊かに成って行くことができる。自国で競争力の弱い産業があるなら、それを無理して強化することなく、逆に強い競争力を持つ外国から商品を輸入してしまった方が、安い値段で供給でき、消費者にとっては有利なのだ。弱い産業を淘汰することで、その労働力を自国の強い競争力を持つ産業に投入した方が、経済は活性化して行くものなのである。
但し、国際貿易は無制限に許されるものではないのだ。食料に関しては基本的には国内で生産すべきものなのだ。食料というものは、人間が生きている限り必ず食べざるを得ないので、必ず食料品に対する需要は存在するのだ。それゆえ、食料品の生産者たちは常にお金を得ることができ、これが自国経済の基本的な経済循環となっているのだ。これがなくなってしまえば、経済循環が不安定なものになり、景気の変動を激しく受けてしまい、国民は逆に貧しくなってしまうのである。
食料自給率の高い国は経済力に関わりなく豊かな生活を送ることができる。一方、食料自給率の低い国は如何に経済力の規模が大きくても、生活実感として貧しくなってしまうのである。国家というのは、無制限に独立を許すべきではなく、食料自給率を100%以上に出来る国家でなければ、独立を認めるべきではないのだ。国内で人口を養えるだけの食料を、生産できる領域で纏まるべきなのである。
●税金がインフレとデフレを作り出す
経済力の基本的な部分は人口が決定するものではあるが、景気の変動は基本的に政府の税金が決定するものなのである。今まで経済学者たちはインフレとデフレの原因を突き止めようと躍起に成って来たが、その原因を突き止めることができなかった。それもその筈、景気の変動は企業活動や消費者たちの動向に関係なく、政府の税金が決めてしまうものだからだ。
企業でも、消費者でも、お金が入れば、それを使って生活をしていくものだ。しかし、政府は税金でお金を徴収しても、国会で予算案が議決されない限り動かないものなので、1年間は死蔵されてしまうのである。それゆえ、税金で取られた分だけ、その国の経済力に穴が空いてしまうのである。
しかも、政府は戦争という大量の資金を使わざるを得ない行為をするので、戦争のために様々な物資は政府によって消費されてしまうのである。特に戦略物資のような物は、政府が戦争をするとなれば、それを政府が所有することになるので、市場では供給が少なくなってしまい、自然と値段が高騰して行くのである。これがインフレの根本的な原因なのである。
逆にデフレというのは、政府が戦争をしなくなり、政府が戦略物資を購入しなくなるなら、市場での供給が大きくなってしまい、自然と値段が低下して行くのである。これがデフレの根本的な原因なのだ。デフレに突入すると、国民の生活が一気に楽になるのは、物価が下落して行くからなのである。
それゆえ、政府が戦争を決意するなら、税金を高くしても構わないが、政府が戦争をしないのであるならば、税金を安くして行くべきなのである。日本は対外戦争をしないと憲法で規定しているので、税金は安くしなければならないのである。しかし、日本政府は社会保障制度を確立すると称して、国民に重税を課しているので、国民がデフレになったというのに、生活が豊かにならなくなっているのである。
国民租税負担率が20%を超えたら、如何なる政治家が現れて来たとしても、国民の生活を豊かにすることはできないのだ。国内で流通するお金の20%以上を政府が手にしてしまえば、国民経済を巡るお金が不足してしまい、政府が如何に経済政策をやっても、如何なる社会福祉を施したとしても、国民自体は貧しくなって行ってしまうのでる。
●通貨供給量
経済を巧く回転させて行くためには、通貨供給量が安定していなければならない。ところが、この通貨というものを経済学者が解らなかったために、常に通貨から大混乱が起こっているのである。通貨というのは、「商品」なのである。中央銀行とその国家の信用度自体が価値となる商品なおである。
昔から通貨は金や銀といった希少性のある物を流通させることによって、それを交換手段としていたのだが、金や銀では流通させるためには限界がある。そこで「信用」という価値に着目して、金や銀と切り離された「紙幣」というものを発行して、それを流通させているにすぎないのだ。
紙幣の信用となるものは、その国家の「軍事力」であり、「黄金保有量」であり、「安定利率」である。日本のように憲法で軍隊の保有が禁止されている国では信用度が低いし、軍隊があっても核兵器を持っていない国も信用度が低い。かといって、軍事費を大量に使ってしまえば、今度は経済がおかしくなってしまうのだ。
人間は最終的には黄金を以て価値基準として来るので、黄金保有率を上げて行かなければならないのである。政府や中央銀行が黄金を所有するのは勿論のこと、国民自体も黄金好きになって、黄金を所有していかなければならないのだ。現在、中国やインドが大躍進して来ているのは、国民が黄金好きであるために、大量の黄金を保有しているからなのである。
安定利率は、国民が銀行にお金を預ければ、1%から3%の利子がつくようにしてあげなければならないのだ。利率が高過ぎても駄目だし、利率が低すぎても駄目なのだ。通貨は国内だけで流通するのではなく、外国人や外国企業も所有するので、簡単には行えないが、そこを巧く調整して行くのが、中央銀行の腕の見せ所なのである
ところが、日本銀行は失敗の連続なのである。戦後の日本銀行はキリスト教徒たちに乗っ取られて状態になっているので、キリスト教徒でない日本国民がどのように窮乏しようがお構いなしなのだ。ゼロ金利政策はその中央銀行の首脳部が無能であるということを証明しているものにすぎないのだ。
●経済学を理解できない政治家たちの悪政
大体、国民経済は人口と税金と通貨供給量で決まってしまうものである。さて、これをどうやって運営して行くかなのであるが、政府は結婚し子供が多くいる夫婦を税制面で優遇する一方、政府や地方自治体内で独身者の出世を阻止しなければならないのだ。特に政治家には結婚していることと子供がいることを条件とすべきであって、独身者が政治家になってしまえば、無責任な政策が実施されるのは必至に成ってしまうおだ。
税金は所得税10%以内とすべきなのである。現在、政府の無駄な出費を削減しようと躍起になっている訳なのだが、税金その物を安くしてしまえば、使えるお金がなくなるのだから、必要な出費だけになり、自然と無駄な出費は削減されていくものなのだ。減税をしないで出費をいくら弄っても、絶対に巧く行かないのだ。
通貨供給量は絶対に中央銀行だけで決めてはならないのである。これは制度上の欠陥であるので、このシステム自体を改革しなければ、いくらでも日本銀行は出鱈目な措置を取って来るのである。通貨供給量は例えば「通貨供給量決定会議」を設置して、そこで300人ぐらいの専門家たちを集めて、そこで議論し決定していけばいいのである。
はっきりと言ってしまえば、日本の政治家たちはどいつもこいつも経済学を理解していないのだ。そのために自らは自信満々となりながら政策を実施しても、それは確実に悪政になってしまうのである。デフレ経済では減税政策が鉄則であり、政府の人員を削減して、政府を小さくして行くしかないのだ。
デフレ経済に入っているのに、社会保障を充実させて行けば、国民は一時的に政府から補助金が貰えるので、生活を潤すことができるが、それは飽くまでも一時的なものであって、その代償は経済力の低下となって、後日、国民は確実に貧乏になってしまうのである。政府が社会保障を充実させるよりも、政府が減税してくれれば、国民の間に充分なお金が行き渡り、自然と豊かに成って行くものなのである。
議院内閣制の存在こそが悪政の根源なのである。首相を国民が選ぶのではなく、国会議員が選んで来るので、どうしても現在の状況に適応した優れた政治指導者が選ばれないのだ。納税者と統治階級の一致こそ、国民国家の目指す政治システムなのである。現在の選挙制度を、所得税を納める者たちによって、首相を選挙で選び出す政治システムに変えれば、無能な首相が首相の地位に就任して来るということはなくなるのだ。
●デフレ経済下の生活
では、デフレ経済下では国民の生活は一体どうなるのであろうか? デフレ経済下では、物価が下落して行くので、貧乏人であっても、豊かな生活ができるようになるのだ。これがデフレ経済の最大の魅力だといっていいのだ。インフレ経済でなら、低所得者たちは生活が苦しかったのに、デフレ経済下なら一転して低所得者といえども生活が楽に成って来るのだ。
但し、インフレ経済時での浪費は厳禁である。どの人々も所得は余り増えて来ないので、浪費をすることをやめ、生活を質素なものに切り替えていかねばならないのだ。今までのような無駄な出費を抑えれば、所得が増えなくても、充分に暮らしていけるお金を確保できるものなのである。
デフレ経済下では物価が下がって来るので、物を大量に所有する生き方は圧倒的に不利な生き方なのである。それゆえ、生活を改善し、生活をシンプルなものに切り替えて行くべきなのだ。自宅に不用品がたくさんあるなら、それをいつまでも抱え込んでいるのではなく、売り払ってしまうべきなのである。
それと共に、資産を増やして行く努力を決して忘れないことだ。デフレ経済というのは、物よりもお金の方が価値が高いという経済なので、所得をすべて生活費に使ってしまうのではなく、所得から強制的に資産へと回すべきなのである。デフレ経済では、投資は地道に行っていくのが常道で、高利率の投資を行うのではなく、低利率でもいいから、確実に資産を増やせる投資を行って行くべきなのである。
デフレ経済では、貧富の格差が激化するものなのである。デフレ経済は言わば防御の生き方が要請されるので、その生き方に変えることができない人々は、当然に貧困化して行くのは必然なのである。一方、生活をデフレ経済に適うような生き方に変えてしまうと、自然と資産が増え始め、富裕化して行くのである。マスコミでは不況の情報ばかり流れて来るかが、不況だというのに、高級マンションがバカ売れしたり、宝石が売れまくったりと、お金を持っている人々は不況を契機に更に裕福になって行くのである。
●デフレ経済下での仕事
デフレ経済は物価が下落していくので、企業は「値下げ合戦」を強いられることになる。そのため「派遣切り」や「解雇」といった現象が起きて来るのである。派遣切りはマスコミが徹底的に批判してきたが、そのマスコミですら自分たちの会社では派遣切りを行っているのである。デフレ経済では派遣切りや解雇は当然の現象なのであって、誰がどうやっても避けることができないのである。
値下げ合戦は企業の収益を悪化させていくので、市場占有率の低い企業は経営が悪化してしまう。そこで「企業の統合」を行って、企業の規模を大きくしていくのだ。デフレ経済下では企業の吸収合併のニュースが日常的に流れて来るが、これはデフレ経済にとっては当然の現象なのである。
一方、企業の規模がでかくなってくれば、企業の動きは鈍くなって来るので、そこでベンチャー企業のような小回りの効く企業が出て来ることができるのだ。ベンチャービジネスは言わば「ゲリラ戦」なので、大企業の侵攻を食い止めることができるし、ビジネスが当たった場合、企業の規模が小さいために、巨万の富を得てしまうことができるのである。
デフレ経済では消費者の本物志向は高まって来るものなのである。高級ブランドというのは、すべてデフレ経済で鍛えられるのである。バカ売れを狙うのではなく、本物の商品を地道に作って行けば、確実に売れて行くものなのである。高品質の商品を細々と売って行けば、どんなに不況の風が吹こうとも、確実に収入を得続けることができるのである。
インフレ時なら豊かになるための進路は解り易かった。一流大学を出て一流企業に就職できればそれで安泰だったからだ。しかし、デフレ経済では一流企業に勤めたとしても、それで安泰とは行かないのだ。いつ何どき解雇されるか解らないのだ。そのくせ、ベンチャー企業のような胡散臭い連中が巨万の富を得たり、今にも潰れそうな町工場がフル稼働で仕事の注文が相次いでいるという現象も起こって来るのだ。
●子供たちの進路
デフレ経済になってしまうと、親が子供の教育費を負担することができなくなり始めるので、親の経済力によって子供の進学が左右されるということが起こって来る。それゆえ、大学に進学できるというのは、頭がいいから大学に進学できるのではなく、親に大学を進学させるだけの経済力があったからこそ、進学できたという事態になってしまうのだ。毎年、大学生の学力の低下が問題視されるが、大学教授たちは未就労の若者が大学に進学するためにはお金が必要なのだということが解るだけの知力を持ち合わせていないのだ。
このため「学歴差別」は恐ろしいものとなる。解り易く言うなら、大学に進学して来る人々は、裕福な家庭の若者たちであって、その若者たちが大卒という学歴を得て、社会に出て行くのである。当然、中卒や高卒の人々よりも優位な職に就いてしまうのだから、裕福な家庭が益々裕福な家庭になってしまうのである。
「貧富の格差」より「男女の性差」よりきついのが、この「学歴差別」なのである。貧富の格差がいかに激しくても、貧乏人なりに楽しい生活はあるものなのである。男女の性差がいかに厳しくても、女性なりに楽しめる生き方というものがあるからだ。しかし、学歴差別は10代後半という若い時期に差別が決定的になってしまい、その後の人生で自分の学歴が付き纏ってくるのである。これほど恐ろしい差別はないものなのである。
それゆえ、子供にはとにかく勉強させることだ。まずは母親が子供に直接教えてしまえばいいのだ。中学生辺りまでなら母親でも教えられるからだ。母親の学力ではしんどくなってきたら、学習塾なり予備校に行かせればいいのだ。もしもスポーツ推薦を狙えるなら、その推薦で大学に進学してしまうことだ。頭が悪かろうが、大学に進学してしまえさえすればいいのである。
だが、予め言っておくが、日本の大学はレベルの高い教育をやっていないということだ。国際的に通用する大学はごく僅かなのである。日本の大学は社会主義者やフェミニストたちの勢力が強いために、大学内で健全な競争が行われていないのだ。そのため、どの大学もレベルの低いものになっているのだ。しかも、私立大学には憲法違反の私学助成が行われているために、大学の競争力自体が低く、しかも補助金漬けになっているので、大学側に経営感覚がまるでないのだ。
もしも、我が子が学問の世界で活躍したいというなら、海外の大学に留学させてしまうことだ。そして留学を終えたら日本に帰って来るのではなく、その地で大学教授にでもなって学問に精進させればいいのだ。その方が優れた研究をすることができるものなのである。人文では国内の大学で職を得ないと出世は難しいが、自然科学なら万国共通なので、それほど強烈に国家意識を持たないことだ。
●頭脳資本主義の到来
現在、日本は「情報資本主義」に突入して、日本の至る所で情報資本が整備されて、国民の生活を豊かにさせて行っている。消費者たちは情報通信費にかなりの金額を支払っているが、いずれ情報通信費は激減して行くことになるであろう。情報資本主義の目指す所は、無料か低額料金によって情報を大量に行き渡らせることにあるからだ。
情報資本が整備し尽くされれば、今度は「頭脳資本」の整備が始まることであろう。情報資本主義から頭脳資本主義へというのが、自由経済の自然の流れだからだ。情報はそれ自体では大した価値を持って来ない。情報を分析し解析して、使用可能な知識になるからこそ、富を生み出せることができるのである。
頭脳資本の代表格は「大学の研究所」や「シンクタンク」や「企業の研究機関」などである。頭脳資本は資金が重要というよりも、優秀な人材こそが重要なのである。しかもそれほど大勢の人々を必要とはしないのだ。僅かの人々が研究に従事することで、巨万の富が生み出されて来るのである。
この頭脳資本主義を解り易い例をあげるなら、予備校である。学校でチンタラと授業を受けるより、予備校で生産性の高い授業を受けてしまえば、高い学力を得ることができる。そのことにお金を支払ってしまった方が、消費者にとっては利益が非常にでかいものになるのだ。勉強を漠然と教えて行くのではなく、知識をプログラム化して教えてくれるからこそ、親たちはお金を支払ってでも受けさせてくるのである。
今後は頭脳資本の整備こそが、経済を成長させ、国民の生活を豊かにしてくれるようになるのである。今回のデフレ経済の中で頭脳資本主義は徐々に成長して来ることだろう。今、電話会社などが活躍しているが、現在繁栄している企業は十年後には衰退するものと思った方がいい。我が子が企業に就職する時は、現状の経済に囚われることなく、将来の変動を見越して行うべきなのである。
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