教育

佐藤淑乃を占ってみました。

佐藤淑乃の運命データ

 地格13画 

 人格29画

 総格38画

 

●2023年は当たり年

女子バレー選手の佐藤淑乃は、2023年が人生の中で最大の当たり年となっている。

運気がいい時は、思いっきり攻め込んだ方がいい。

自分のやりたい事は幾らでも成功する。

既に2022年に石川真佑がブレイクしているので、彼女に続けて、佐藤淑乃だってブレイクしていく事が出来る。

実を言うと、俺は既に佐藤淑乃に会っている。

足が長い。というか、女子バレーの選手って、全員、足が長いな。

佐藤淑乃は、顔が面長。

ところが、姉の佐藤彩乃はそうではなく、美人である。

姉も女子バレーの選手をやっているのだが、芸能人になっても全然おかしくないほどの美貌を持っている。

 

●地格13画

佐藤淑乃の地格は13画なので、実は「お喋り」。

どういう話を振っても、うまく返しててくる。

男性からすると、女性は嫌な話題があると、会話を切ってしまう。

うまく返せば、そこから話は盛り上がるのに。

スポーツをやっている女性がいいのは、機転が利くという事である。

試合後のインタービューとかでも、選手がうまく話せば、それによって人気が出たりする。

コートの上だけが、戦いの場ではないのだ。

 

●淑乃の字相

「淑」は「清くたたえる水」、「乃」は「胎児」を意味する。

つまり、淑乃とは、「羊水の中の胎児」という事になる。

淑は女性にとって吉字で、この字が入っている女性は、大抵、頭がいい。

問題は「乃」で、乃が入ると、霊魂レベルで生きる事が求められる。

自分の考えで生きてしまうと、うまく行かない。

既婚女性で、名に「乃」が入っていると、必ず夫唱婦随をやるようになる。

まずは夫を立て、その上で自分の居場所を確保する。

 

●淑乃の音相

淑乃の音相は「よしの」で、「葦のようにすくすくと育ってほしい」と思いを込めての命名である。

葦は伸びるから、成長する事は良いという事になる。

成長し続けられる場所に行けば、いつでも成長し続ける。

もしも成長できない場所に行ってしまうと、思いっきり屈折するようになってしまう。

高校は敬愛学園で、大学は筑波大学。

所属チームは黒部アクアフェアリーズで、その上でナショナルチームに入っている。

今までの人生が、成長し続ける人生と成っているので、今後も活躍は期待できる。

 

●敬愛学園には瑞祥の気が立っている

現在、敬愛学園は瑞祥の気が立っている。

今は建て替え工事中なので解りにくいが、ただならぬ気を発している。

佐藤淑乃がこの学校で学んだとなれば、必ずや彼女は何かしらの事をやってくれる。

敬愛学園卒というのは、常に追い風が吹いているような状態になる。

 

●髪型は変えた方がいい

問題があるとすれば、髪型であろう。

石川真佑は、眞鍋政義監督の指摘を受けて、髪型を変更した。

すると、女子バレーの選手として活躍できるようになり、ブレイクしたのである。

女子バレーの選手たちは、みな長身なので、髪型を少し変えると、変化が出て来るのだ。

佐藤淑乃は面長なので、面長に合う髪型にすればいい。

バレーは激しい動きをするので、髪を束ねていないと、試合中、何度も髪を触る事になる。

そういう事をやっていると、試合に集中できない。

それでだけでなく、敵に次の行動を読まれてしまう。

女子バレーの選手として適した髪型にしないと拙いであろう。

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『鎌倉殿の13人』を占ってみました。

●大河ドラマ史上、最高傑作

今年の大河ドラマは、実に良かった~。

特に脚本が抜群。

脚本に関しては、大河ドラマ史上、最高傑作だと言っていい。

今年の梅雨あたりには、もう脚本は出来上がっていたのであろう。

時間を十分にかけて書いたからこそ、視聴者たちは沸きに沸いたのである。

もっとも、視聴率は振るわなかった。

『いだてん』で、大河ファンが去ってしまったので、これは致し方ない。

裏番組に高視聴率を取れるものがあるので、視聴率はそう簡単には上がらないだろう。

 

●史実では北条政子の発案

鎌倉幕府の13人衆は、ほんの一時期存在したものである。

『吾妻鏡』を読む限り、源頼朝の死後、北条政子の発案でなったものであろう。

ドラマは梶原景時の発案としているが。

この梶原景時が失脚すると、鎌倉幕府内では、粛清の嵐が吹き荒れる事になる。

13人衆の時はうまくバランスを取っていたのである。

梶原景時がいなくなったために、バランスが崩れ、とんでもない権力闘争が起こってしまったのだ。

 

●北条時政は厄年を利用して伸し上がる

北条政子が源頼朝と結婚したのは、北条時政が40歳の時である。

源頼朝が挙兵したのは、北条時政が厄年の時。

だから、一気に飛躍する事ができたのである。

北条時政は戦争に参加しているが、戦場では、大した功績をあげていない。

40代になって甲冑を着て、武器を持ち、戦場で戦うというのは、体力的にしんどいのだ。

北条時政が活躍したのは、むしろ外交に於いてである。

地格は19画なので、外交のように、知力を尽くして戦うものは得意。

 

●親子の相克で苦しんだ北条義時

北条義時は母親が早くに死んだ事で、実は、後継者から外されている。

この時代というか、近代以前は、母親が誰であるか、母親が生きている事が、物凄く大事である。

母親が早死にすると、父親は後妻を取る。

後妻は当然の事ながら、前妻の生んだ子を後継者にしない。

自分が生んだ子を後継者にする。

だから、北条義時は分家して、江間義時を名乗る。

つまり、後継者から外されたという事である。

ところが、後に、北条義時に戻る。

源頼朝の側近として活躍したので、北条義時は本家の跡取りに戻したのである。

北条義時の事を考える場合、親子の相克で苦しんでいたという事が解らないと、まともな結論に至らない。

 

●北条政子による政治介入

北条政子は「尼御台」「尼将軍」と言われたくらいだから、たびたび政治介入を行っている。

『吾妻鏡』は執権擁護の立場から描いているので、北条政子が政治に於いて重要な役割を果たしていた事を書いていない。

北条政子が建立した神社仏閣は異様に多い。

それだけ建てる事が出来たという事は、政治権力を持っていたという事である。

父親の北条義時は武士たちの支持の上に権力を築く。

対して、北条政子は神社仏閣といった宗教勢力を取り込んで、権力を築いていったのである。

ところが、北条政子のやった事は失敗の連続。

我が子である、二代将軍頼家と三代将軍実朝を暗殺されてしまう。

承久の乱にしても、本来は政治的に解決可能だったものを、北条政子は演説をぶつ事によって、戦争へと持って行く。

この時期、北条政子は「老人性鬱病」になっていた。

鬱状態にいる時に、後鳥羽上皇が喧嘩を仕掛けてきたからこそ、激怒したのである。

 

●北条政子と北条義時の相性は悪かった

北条政子は地格12画。

北条義時は地格22画。

ともに、他人を自分の思い通りに動かしたい性格である。

相性は悪い。

姉と弟が仲良く政治をやったなんて事は、絶対に起こりえない。

大河ドラマでは、北条政子が北条義時を死に追いやったとしたが、そういう事はおこりえないであろう。

やはり、北条義時は後継者を巡って、自分の妻「伊賀の方」に毒殺されたと考えるべきである。

北条政子は北条義時の死の翌年に死ぬ

相性は悪かったけど、お互いにすべき事をやって死んだ。

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れいちぇるさんへの運命鑑定

●転職
事務系の仕事は会っています。
栄養士の仕事をしたいのなら、そうすればいい。
今年はまだ定まらないかもしれないけど、来年には決まります。
●長男次男三男
子供たちの産み方が実にいい。理想的です。
長男は両親と霊線が繋がっています
次男と三男は父親と霊線が繋がっていますね。
長男はマイペースで、のんびり屋なので、次男に急かされるからこそ、怒る訳です。
芸術の世界の方に進ませるといい。
屋内でやれる物の方が思いっきり伸びます。
次男は芸能人向きですな。
表面的には派手に振る舞いますが、内面的には悪質極まりない所があります。
「大泉洋」みたいな人物と思った方がよく、中学生か高校生に成ったら、家から追い出した方がいい。
三男はこの三兄弟では後継者として最も向いています。
長男も向いているのですが、弟との仲が悪いので、落ち着いて、父親から学ぶ事ができないでしょう。
末子相続になると思って育てた方がいいですね。
●舅姑
舅と姑は名前の相性で引かれ合ったが、運命星は正反対なので、ボケが出て来たりします。
姑を1人暮らしさせると、そのボケは治るかもしれません。
れいちぇるさんにしてみると、舅の意見はきついと思うかもしれないけど、旦那の夫である以上、立てる事ですな。
●義兄と兄嫁
義兄こそ、跡取りに成ると出ています。
しかし旦那さんの方が先に結婚してしまったので、旦那さんの方が事実上跡取りに成ってしまったという訳です。
子供が出来れば変わるかもしれませんが、現時点では、旦那さんこそ跡取りと考えていた方がいい。
多分、兄弟の仲は悪いでしょうな。ただ、旦那さんはそれを口には出さないだけです。
ここまで婚期が遅れてしまうと、兄弟と雖も、その差は決定的となります。
旦那さんは自分こそ跡取りと思って、着々と手を打っていくようにした方がいい。
●お金の事
お金の事は心配いりません。
旦那さんには財運があるので、必ずお金は入って来ます。
家計簿を付ける事で、家計を統制すれば、お金では苦労しなくなるでしょう。
●旦那さんの病気
多分、冷えから来る物だと思います。
一度、漢方医に見せて、意見を聞くといい。
湯治も効果ありで、体を温めると、発症しにくくなるでしょう。

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角野栄子さんに会ってきました!

●いきなりの招待状
 知り合いの女性作家は様々なイベント情報を集めて、せっせと応募葉書を送ったりしているのだが、そのくせ、仕事が忙しいので、締切日が近くなると、折角当選したのに、そのイベントには行けなく成ってしまったりする。そういう時に、俺の方にその招待状が回って来るから、実に迷惑なのである。
 
 今回もまた、嫌々ながら招待状を受け取ったら、なんと角野栄子の講演会であり、それを見た瞬間に、「今回は行く!」と決めてしまった。とはいっても、こちらもその日には用事があり、角野栄子の講演会に行った後、すぐさま引き返して、全く正反対の方に行かなければならない。まさに東奔西走。
 
 当日、講演会に行ってみると、角野栄子の肌が白い事、白い事。「白肌は七難隠す」というが、82歳のお婆ちゃんだというのに、実に綺麗なのだ。しかも服装がお洒落。肌が白いので、赤系の服が良く似合う。更には眼鏡を着けているので、目の周りの皺が全然目立たない。眼鏡の思わぬ使い方を発見してしまった。
 
 
●講演内容
 講演内容は、
「突如、アイデアが続々と出て来る」
「家事や育児をしながらの小説制作」
「図書館が充実しすぎると、作家はやっていけない」
の3つと見ていいだろう。
 
 結論は、
「想像力があるからこそ、創造できる」
でいいと思う。
 講演内容はもっと大量にあるのだが、ま、要はそんな物である。喋りが巧いので、脱線話も面白い。江戸っ子で、落語が好きだから、笑いは随所にあった。
 
 小説家だからといって、必ず想像力がある訳ではない。二流の小説家たちは物語を人工的に組み立てて来る。ミステリー小説はその代表例であろう。しかし一流の小説家たちは神憑り的に成って、物語を作って行く。本当に或る日突然にアイデアが湧いてきて、それを作品として仕上げて行くのである。
 
●『スパゲッティが食べたいよう』
 角野栄子は絵本を大量に出しているのだが、絵本関係では『スパゲッティが食べたいよう』(ポプラ社)が一番であろう。要は、アイデア勝負でやっており、もっとプロットで工夫すべきなのだが、それをしないと、こうなってしまう。尤も子供相手なので、下手に捻った話にしてしまうと、子供たちは付いてきてくれないから、話は単純の方がいい。
 
 絵本である以上、とにかく音読してみる事であり、音読すると、どの絵本の出来がいいのかが実によく解るようになる。いい絵本は喋り易いし、内容がどんどん入って来る。これに対して出来の悪い絵本は喋りにくいし、内容がイマイチよく解らない。短い話なので、作者の能力が問われるのだ。
 
 
●改めて『魔女の宅急便』
『魔女の宅急便』(福音館書店)は全六巻で、27年かけて完結した。しかしスピンオフに3巻分、予定されている。既に特別編として『キキに出会った人びと』、特別編その2として『キキとジジ』が出ている。となると、特別編その3はキキがどうやって魔女になる事を決意したのかが語られる事であろう。

「グーチョキパン店の命名の謎は?」
「キキとジジの出会いは?」
はスピンオフした物を読めば解る。
 
●トンネルの森1945
『トンネルの森1945』(角川書店)は、角野栄子が疎開した際の話を元にして作られた物である。こういう物は「小説」ではなく、「脚色実話」と呼ぶべき物で、事実ではないが、事実をそのまま書くより、多少演出した方が解り易いからこそ、このような事をやる。作品では、主人公は継母と疎開した事になっているのだが、実際には父親と姉が東京に残り、角野栄子は弟と、それに継母とその子たち(弟と妹)と疎開している。
 
 戦時下の話は嘘が多い。政府は戦争の情報を正確に伝えなかった。だから国民は戦争に対してまともな態勢を取る事が出来ず、逆に大損害を出してしまったのだ。本当に物資が不足し出すのは、昭和19年後半からである。配給がある以上、そう簡単に物資が不足する事ないのだ。だから角野栄子は嘘をついていない。
 
 この本を読むと、千葉は本当に田舎だったというのが解る。一人称が「俺」というのは蝦夷の血の濃い地域であり、東北地方となんら変わらない。

●実を言いますと

 角野栄子にはロシア人の血が四分の一入っている。父親がロシア人と日本人とのハーフ。ネットでは「角野栄子はハーフ」という情報が流れているが、それは完全に間違い。結構、ネットにはガセネタが流れているので注意すべし。

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ケント・ギルバートに対して勝手に運命鑑定!

●歴史の逆説
 世の中というのは一直線では進まない。「歴史の逆説」が起り、常識では考えられないような事が起ったりする。特に宗教は歴史の逆説を引き起し易いので、要注意なのだ。アメリカ合衆国ではモルモン教に歴史の逆説が起っており、モルモン教徒の数は既に800万人を超え、他の教団たちが減少傾向にあるのに、モルモン教だけは増加傾向にある。
 
 かといって、モルモン教の教義は全く理解できない。キリスト教の宗派なんだろうけど、教義は完全にキリスト教の物から逸脱している。キリスト教徒たちの間では、「異端」という筝で定着している。しかしモルモン教徒こそ、アメリカ人らしいアメリカ人であり、普通のキリスト教徒たちよりもキリスト教徒らしいのはどうしてなのであろう。

 
●英語の名前と日本語の名前
 日本で最も有名なモルモン教徒のアメリカ人は「ケント・ギルバート」である。英語名では、
Kent Sidney Gilbert」
で、地格が9画なので父親とは縁が薄く、外国に出ると大吉となる。ケントとはイングランドに居た部族の名で、アメリカ人で「ケント」とくれば、実に「男らしい男性」で、道理に合わぬ事は絶対に言わない。但し、男らしさが欠けると、ちょっとおかしな事を言いまくるようになってしまう。総格は32画なので、「影の立役者」となり、人々に強い影響力を発揮してくる。財運は多く持ち、一時期、家族を犠牲にしてまで働くと、その後は豊かな生活を送る事ができる。
 
 日本語名では、
「ケント・ギルバート」
となり、地格は7画なので、性格は個性的であり、芸能界には似合っている。人格は7画なので、行動力があり、合理的な意見を言う。総格は21画なので、会社経営者向きとなる。英語名もいいのだが、日本語名はそれ以上にいい。だから日本に定住して仕事をしているのであろう。
 
 英語名と日本語名では相性が良い。幾ら日本語名が良くても、相性が良くないと、どうもおかしな事になってしまう。中には大凶の物のあるので、そういう人は早くに帰国しないと、日本で犯罪を起す事になってしまうのだ。外国人が日本語を覚えても、日本に定住する人とそうでない人に分かれてしまうのは、それが原因なのである。
 
●モルモン教の語学教育
 モルモン教では、2年間の宣教が義務付けられているのだが、外国に派遣する場合、集中的に外国語を教えてしまい、片言ができるようになれば、もう現地に派遣してしまう。その状態で生活していけば、帰国する頃にはもうその外国語を話せるようになってしまうのだ。ここまで凄い語学教育は他になく、モルモン教の最大の強みはこれであると言っていい。
 
 このため、モルモン教徒たちは国際的なビジネスで成功し易い。しかもCIAやFBIはその語学力のために優先的に雇用している。いずれ必ずモルモン教徒の男性がアメリカ合衆国の大統領に成るであろう。これだけ信者たちの質が高いのに、大統領を出さない訳がないのだ。
 
 ケント・ギルバートにしても、アメリカ人である以上、歴史に対して偏見を持っている筈なのだが、モルモン教徒ゆえにその偏った見方から離れ、正しく物事を見る事が出来ている。だから正論を言えるのである。まさに傾聴に値する意見を言っているので、彼の本で面白そうな物があるなら、読んでみるといいだろう。
 

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小学校教師の欠点 国語編

●小学校の教師たちは文系
 小学校の教師たちは基本的に文系であり、文系だからこそ、小学校の教師として使える。人文こそ学問の基礎に成っている物なので、小学校教育では文系の人たちの方が適している。自然科学は中学校からやっても充分に間に合うのであって、まずは人文で基礎を固めた方がいいのだ。
「人文」とは「文献に対する解釈学」の事である。歴史的に価値のある文献を研究する事によって人間の本性を研究していく。具体的に言えば「一般教養」であり、知識人として知っていなければ成らない事は知っていないといけない。一般教養があればこそ、専攻しても、偏った研究には成らないのである。
 
 この人文をより自分を高める事に使う事を「自己修養」と言う。日本は江戸時代に儒学によってこれを行った。だからすぐさま近代化できたのである。中国や朝鮮は儒学ではなく儒教であり、科挙に合格するために勉強していたからこそ、この自己修養が全くなかった。それで近代化に遅れてしまったのだ。
 
 現在の大学では、一般教養を教えはするが、自己修養はやっていない。社会主義の流行によって自己修養は完全に破壊されてしまった。これは外国でも同じで、せいぜいイギリスのオックスフォード大学で細々と行われているにすぎない。だから禄でもない学生たちが大量に発生してしまうのである。
 
 ちなみに「人文科学」という物はない。人文は科学ではない。人文では実験して実証をしていく事はできないからだ。それゆえもしも「人文科学」という言葉を使っている者が居るなら、「この者は人文を全然理解していない」と即断した方がいい。一般教養もなければ、自己修養もできていない、「大学を出たバカ」にすぎないのだ。
 
●大和言葉と漢語
 大学できちんと人文を教えていないので、小学校の教師たちが行う国語教育には重大な欠点が存在する。日本人なのに国語を理解していないので、そんな者が教師になって生徒たちに教えるのだから、幾ら教えたとしても生徒たちは理解できる訳がない。「国語は良く解んない」という生徒たちが結構居る物だが、それは正しい意見であるのだ。
 
 まず日本語の文法は縄文人が使用していた物であり、そこに匈奴系のウラル=アルタイ語の文法が後から付け加えられた。単語は呉人たちの言葉が訛った物であり、それが大和言葉に成った。漢字の大量輸入が始まると、漢字をそのまま使用し、日本語化して日本人の間だけで通用するようにした。
 
 例えば「三輪大社」の「三輪」とは、
「廟」→「みゃおう」→「みわ」
と変化していった物である。だから神社は基本的に霊廟であるという事が解る。仏教のお寺は「菩提寺」として入ってきたので、それで神仏習合が可能になったのである。ちなみに「お寺」はパーリ語で「長老」を「テーラー」と言ったので、それで「てら」に成った。仏教公伝以前に、日本の仏教は直接「カシミール」から伝来したからこそ、そうなったのである。
 
 日本語を正しく使いこなすためには、古語や現代語の勉強は絶対に欠かせない。古語辞典や国語辞典を読んで、大和言葉を覚えていくしかないのだ。それに漢字の勉強も欠かせないのであって、漢和辞典を読んで、漢語を覚えて行くしかない。漢字の発音には「呉音」「漢音」「唐音」があるので、この違いが解ると、漢字の理解度が格段に上がる事に成る。
 
 小学校の国語の授業では、そんなに難しい事は教えないので、とにかく「古語辞典」「国語辞典」「漢和辞典」を壊れるまで読んだ方がいい。勿論、授業の準備も必要だが、それは別に大した事はないであろう。そんな事よりも、教師自身が正しい日本語を使いこなせるようにならないと、国語の授業は巧く出来ないのである。
 
 
●国文法
 昭和憲法体制下では、占領軍の意向によって、国文法の授業が廃止されたままであり、未だに復活していない。だから小学校の教師と雖も、国文法の授業を受けていないのだ。国文法はせめて1年間はみっちりと習わないと物に成らない。日本人だから国文法を日々使用しているのだが、だからといって、学術的な事を解っている訳ではないのだ。
 
 国文法は、
「名詞文」
「形容詞文」
「動詞文」
という3つ文型からなる。なんでこんな事になってしまったのかといえば、縄文人が使用していた文法をそのまま使用しているからである。縄文人は日本列島で発生したのであり、「日本人はどこから来たか?」という愚問を発している限り、国文法を理解する事は決してない。
 
 これだと動詞文は単純な物に成ってしまうので、日本人は漢籍を読む事で、文章力を鍛えてきた。だから中国古典を読まなければならないのだ。中国古典は中国人たちにとって古典なだけではなく、日本人にとっても古典であり、日本人だからといって、日本の古典ばかり読めばいいという訳ではない。
 
 日本語では動詞が文章の後ろの方に来るので、日本語では「考えながら喋る」事が出来る。それだけ脳と言葉が近いのだ。しかし英語は動詞が文章の前の方に来るので、英語では「喋る前に内容を決めないと喋れない」。それで英語を母国語とする人たちは、必ず喋る前に間を置くのである。
 
 日本語は優れた言語なのだが、国文法が解っていないと、人の話を聞いていない人たちが出て来る。喋りながら考える事が出来るという事は、聞きながら考える事が出来てしまうので、それで人の話を聞いていないのである。もしも、
「そんな話、聞いてないよ~」
と言われたのなら、
「あなたは私が言った事を全然聞いていなかったんですね」
とやり返すしかないのだ。
 
●論理構成
 一般教養では「論理学」を学ばなければならないのが、この事を理解していない人たちが圧倒的である。大学では、一応、論理学の講座があるのだが、大概の学生たちは受けない。たとえ受けたとしても、全然面白くないから、頭の中には入ってこない。そういう事では、論理的に喋る事は出来なくなってしまうのだ。
 
 実際に使用される論理学では、論理という論法であり、
「結論先行」
「三段論法」
「四段論法」
程度であり、少なくともこれらは知っておいて欲しい。
 
 結論先行は自然科学の論文ではこれが用いられる。ビジネスでもこれを使用するのが殆どであろう。あれこれ理由を言われても、「結論は一体なんなんだい?」と聞き返される事に成ってしまうのが落ちだ。三段論法は「序破急」、四段論法は「起承転結」で論理を構成する。
 
 女性教師の場合、女性なので、長々と話した後で、
「実は~」
と最後の最後で、最も重要な話をし出す事がある。こんな事を学校でされれば、さっぱり訳が解らなくなってしまう。女性は女性脳がそういう話し方をするから、「これをやってはいけない」と規制をかけておかないと、ついついやってしまう事になるのだ。
 
 男性が教師の場合、男性ゆえに、最初から決めつけてかかる癖がある。
「アイツはダメだ」
と一度でも断定してしまうと、決して覆らない。だから男性教師だと、体罰を平気でやってくる。人間関係に於ける男性の脳という物は、女性脳に比べて異常なまでに単純なので、その危険性を認識していないと、平気で体罰をやりまくってしまう事に成るのだ。
 
 それと日本では仏教の影響が非常に強いので、自分の意見を全く言わない人たちが居る。散々話を聞いたのに、その人は意見は1つも存在しないのだ。自分の意見を言わない人は、絶対に無責任な態度を取る。イジメで生徒が自殺しても、なんで担任が全く責任を問われないのは、仏教の影響だと見ていい。
「無我は無責任を産む」
という事を、親であるならば、絶対に忘れない事だ。

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ゆうこさんの妹さんへの運命鑑定

ゆうこさん、それでは妹さんの運命鑑定行きますね!
 
●付き合って間もないですがもうすでに彼氏の自宅に入り浸るような感じで、結婚も考えているようです。
妹は前から26歳くらいまでには結婚したいと言っていたのですが、この彼と結婚できるのでしょうか?
 
名前の相性はいいので、これなら仲は良く成る事でしょう。
結婚しようと思えばできます。
但し、今じゃないですね。妹さんが結婚するのは、28歳でしょう。それがベストで、後は運気が低下していきます。
 
●結婚した場合どんな夫婦になるのか、また子供も欲しいようなので子宝についても教えて頂きたいです。
 
成功するまで、多少時間のかかる夫婦になります。彼氏はスタートダッシュ型なので、それを巧く活かせないのが残念ですね。
子供には恵まれます。彼氏の方は子供にエネルギーを注ぐタイプなので。
 
●タマティーからのアドバイス
 
多分、この2人は結婚しないでしょう。恋の勢いで行ってしまえば、結婚するかもしれないけど、妹さんの年齢を考えると、結婚はもう少し先ですよ。
妹さんの名前から判断すると、独身時代に何か大きな事をやり、その後、結婚して幸せな家庭を築きます。だから独身時代に何もせずに結婚するってのは、お勧めできないし、本人もしないでしょうね。
もしも結婚してしまえば、やり残した事があるので、それで早々と離婚という事はありえます。尤もそういう事があっても、すぐに再婚する事でしょう。
 
 

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創価教育学の凄さと限界点

●学歴社会と学歴差別
 日本は近代化の過程で学校教育制度を整えていき、そのために学歴社会が生み出されてしまった。高学歴の者たちは高収入で、低学歴の者たちは低収入になる。政界に至っては、中卒や高卒の者で政治家に成るのはほぼ不可能に成り、大卒か大学院卒の者たちでしか政治家に成る事は出来なくなっている。
 
 福沢諭吉は「門閥制度は親の仇でござる」といったが、門閥より学閥の方が遥かに恐ろしい。門閥なら生まれが違うという事で諦めが着く。しかし学閥となると、どこの大学を出たかで、終生、特権を得続けるので、他の大学を出ても、その大学の偏差値が低ければ、相手にされない。高卒や中卒の者たちは問題外となる。
 
 だから社会には学歴差別に根深い不満があり、新興宗教団体はそれを背景に登場してくる。新興宗教団体の教祖や教団創設者は大概「低学歴」であり、大卒の者は稀だ。創価学会は初代会長の牧口常三郎が尋常師範学校卒、二代目会長の戸田城聖が中央大学経済学部卒、三代目の池田大作が大世学院夜間学部卒と、低学歴者たちを三連発で出している。《因みに言っておくが、戸田城聖が通った頃の中央大学は私立なので大した大学ではなかった。今もあんまり変わらないが)
 
 尤もこれでは教団のレベルが上がらないので、教団のレベルを上げて行くためには、学歴社会の頂点に居る東大卒の者たちを入れていかなければならない。創価学会では池田大作が会長職に就任する前から、東大生たちへの工作を開始しており、東大卒の者たちを教団の専従者として雇い入れている。
 
 東大には毎年3千名ほどの者たちが入学してくるのだが、その内、宗教に興味を持つ者たちは90名から150名程度と見ていいだろう。宗教の興味を持っても、半分以上は既成宗教の方に興味が行くので、新興宗教に興味が行く者たちの数は非常に少ない。それを他の教団たちと争って取らなければならないのであって、その争いに勝利できれば、教団は突如として化学変化を起こす事に成る。
 
 
●『創価学会入門』
 俺はかなり前に牧口常三郎の『創価教育学体系』を読んだ事があったのだが、この本は全く関心しなかった。牧口常三郎は真善美を否定し、人生の目的は価値の創造にあるとして、真善美の代わりに利善美を唱えた。学問というのは真実の探求をやっているのであって、それなのに教育者である人物がそれを放棄するというのはどうも納得がいかなかったのである。
 
 ところが、この度、創価学会の事を調べて行く内に、『創価学会入門』という書物を見つけてしまった。この本は創価学会教学部が編纂した物で、昭和45年に聖教新聞社の方から出ている。聖教新聞社というのは株式会社ではなく、飽くまでも創価学会のいち機関であり、教団の方が創価学会の教学を示すために出した物という事に成る。
 
 往々にして「本は編著になると、質が下がる」という傾向がある。学校の教科書は全て編著なので、それを思い出せば解る事だろう。執筆している学者たちはバラバラだし、自分に割り当てられた事にしか関心がないので、1つの作品として整合性が全く取れていないのだ。だから教科書を読んでも解らない生徒たちが出て来てしまうのである。
 
 『創価学会入門』も編著なのだが、この本が作られた時期は、まさに池田大作が東大卒の者たちを教団に雇い入れ続けた時期であり、この本も東大卒の者たちが混じって書いている。それゆえ、新興宗教団体が出す本の中では格段に質が高いし、創価教育学の事もよく解るし、創価学会の法華信仰の部分もよく解るようになっている。
 
 創価学会の本では池田大作の『人間革命』がベストセラーになっているのだが、この本はゴーストライターが居て、池田大作自身は書いていない。しかも信者たちは、この『人間革命』を買う事はするのだが、読みもせずに本棚に死蔵しているらしい。そういう本だと幾ら読んでも創価学会の事は解らないだろう。
 
●創価教育学
 創価学会は日蓮宗系の新興宗教団体であり、正確には日蓮正宗の信者組織だった。過去形に成っているのは、日蓮正宗が創価学会を破門したからであって、日蓮正宗の方から「この団体は日蓮正宗とは関係のない団体である」と言われたのだ。じゃあ、「創価学会は何か?」といえば、飽くまでも中核になっているのは「創価教育学」であり、法華信仰の方は従の存在でしかない。
 
 創価教育学は真実の探求を諦めるという、とんでもない所からスタートする。戦前の日本の哲学界はカント学派が主流で、哲学を志す学生たちはカントの『純粋理性批判』を必読の書とした。しかしカントはイギリス系のドイツ人で、ドイツ語が余り巧くなく、『純粋理性批判』はドイツ人ですら難解の書とされている。しかも日本語訳が巧くなく、それで哲学をやる学生たちが自殺する事件が度々発生した。
 
 だから牧口常三郎は真実の探求を諦め、「人生の目的は価値創造にある」として、「真善美」ではなく、「利善美」を説いた。なんとも滅茶苦茶な学説ではあるが、自殺が社会問題になっていた事を理解しないと、なんでこういう学説が出て来たのかは解らないだろう。真実の探求をしていけば、頭の中がこんがらがって自殺する事はあるが、価値創造していくのなら、常に行動し続けなければならないので、自殺する事はなくなる。
 
 創価学会の会員たちは、新しい価値を創造している限りは、善であり、美を実現してくる。これは創価教育学の素晴らしい部分である。創価教育学はイギリスの功利主義、アメリカのプラグマティズムの流れを汲むが、それらの主義と違うのは、ただ単に利益を追求しているのではなく、善も美も追求しているのである。
 
 しかし創価教育学には裏の顔もあり、自分の利益を守るためには「悪」も「醜」も行う。善や美が要求されるのは、飽くまでも新しい価値を創造し、利益が出ている時だけであり、それ以外は悪も醜もやっていい。創価教育学を作った牧口常三郎はまさかそんな事になるとは思ってもいなかったであろうが、創価教育学は「利善美」「利悪醜」の2つの顔が存在するのである。
 
 
●創価教育学が強い分野
 創価教育学が強い分野はなんといっても「教育」の分野であり、牧口常三郎自身、小学校の教師だったので、学校で教師になっている人たちは良く理解できる理論になっている。それと学校に入学してくる「バカな人たち」であり、つまり生徒たちにも創価教育学は受ける事だろう。事実、創価学会は教育者たちとバカな人たちの双方を信者として取り込んでいる。
 
 創価学会には芸能人の信者たちが多いのだが、芸能界では毎年、新しい価値を創造していかなければならないので、それで芸能人たちには打って付けの理論となる。スポーツ選手たちも毎年成果を出す事を求められるので、それでスポーツ界に於いても創価教育学は強い。
 
 創価学会は公明党を作り、政界へと進出していったが、政治家も新しい価値の創造を強いられる仕事だから、当然に創価教育学が使える分野である。官庁にも創価学会の信者たちが進出していっているが、軍事や行政では正しい事をしなければならないと同時に、多少あくどい事をしなければならないので、それで創価教育学は使えてしまう。
 
 創価学会と日本共産党は犬猿の仲なのだが、創価学会は必ず「筋金入りの反共」となる。なぜなら共産主義は新しい価値の創造をせず、ただ単に資本主義経済の成果を分配しようとするので、そういう事では絶対に相容れない。それに共産党員たちは善だとか美とかには無関心なので、その点でも生理的に受け付けないのだ。
 
 創価教育学は教育者が作った理論なのに、学問は弱いという事になってしまう。真実の探求はしないので、それで学者になって研究しても、まともな研究成果が出て来ない。但し、仏教関係では法華信仰に関わって来るので、この分野だけはまともな研究成果を出してくるかもしれない。佐藤優のように創価学会に協力する知識人たちは居るだろうが、創価学会の信者で何かしら凄い研究をやってのけた学者というのは余り居ない。
 
●創価教育学批判
 創価教育学は人間が作りし哲学なので、完璧な物ではない。必ず欠点が存在するのであって、創価教育学を批判する事によって、その欠点を明らかにしなければ成らない。
 
①「真実の探求を絶対にしない」
 創価教育学は最初の段階で、真実の探求を諦めているので、創価教育学を受け入れてしまうと、真実の探求を絶対にしなくなる。要は必要とあらば幾らも嘘をついて来る事に成る。しかし新しい価値を創造する限りに於いては、それなりに正しい行動をしてくるので、それに惑わされてしまうと、とんでもない事になってしまう。
 
 例えば、創価学会はなんで池田大作が病気で死に体になっている事を報道しないのか? 彼が名誉会長である以上、彼の病状は逐一報告すべきであろう。一説には、かなり前に脳腫瘍で苦しみながら死んだらしいとの情報がある。もしも生きていたとしても、脳腫瘍である以上、植物人間状態になっている筈だ。
 
 それと池田大作は在日朝鮮人2世「成太作」であって、国籍こそ日本国籍を持っているのだが、親は朝鮮半島からやってきた人である。在日朝鮮人2世である事が悪いのではなく、「なんでそれほど重要な情報を信者たちに伝えないのか?」という事なのだ。創価学会は韓国に進出している以上、名誉会長が在日朝鮮人なら、より多くの韓国人たちに受け入れられるに違いない。
 
②「小利のために大利を失う」
 創価教育学では、新しい価値創造は、利善美に適うからこそ、評価される事に成る。尤も利善美の中で最も重要なのは「利」である。しかし利益追求ばかりやっていれば、小利ばかり追いかけてしまい、それで大利を失ってしまう事に成る。創価学会の信者たちには、貧乏人たちが多いのだが、小利ばかり追いかけているからこそ、貧乏になってしまうのである。
 
③「利益を守るために悪や醜をやっていいのか?」
 創価教育学では悪事を成す事が許されている。利善美が要求されるのは、飽くまでも新しい価値創造の時だけなのであって、後は悪事をやってもいい。職業柄、悪事をする必要性のある職業、即ち「政治家」「公務員」とかに、創価学会の信者たちが入り込んでくる事に成る。利益を守るための悪事は必要といえば必要かもしれないが、使い方を誤れば、創価学会への非難が凄まじい物と成る事であろう。
 
 神道からすれば、創価教育学には真心がないという事に成り、穢れた事を平然とやるので、忌み嫌われる事に成る。仏教からすれば、利に囚われている以上、煩悩まみれであるのだが、しかし新しい価値を創造して利益を得てしまえば、一時的に煩悩が消えるので、仏教と無縁の物ではないのだ。仏法が中心になっているのではなく、創価教育学が中心になっているからこそ、仏教ではないといえば、そう言えるだろう。
 
 キリスト教からすれば、創価教育学には愛がないという事に成る。仏教では愛は否定的な物なので、創価教育学を作り上げた牧口常三郎が、日蓮正宗へと傾斜していったのは当然といえば当然である。創価学会の信者たちに結婚しない男女が多かったり、結婚しても夫婦仲が最悪だったり、離婚する者たちが出て来るのは、創価教育学と日蓮正宗を組み合わせれば、致し方ないであろう。
 
 
●牧口常三郎は日本を代表する哲学者である
 近代日本は「西田幾多郎」という哲学者を産んだが、牧口常三郎は彼を遥かに凌駕する哲学者であり、牧口常三郎こそ日本を代表する哲学者だと言っていい。西田幾多郎の哲学はフッサールの哲学の影響を受けた物で、それなりに高い評価を与える事が出来る。しかし一般大衆への影響度を考慮してしまうと、牧口常三郎の方が断然に凄い事になっているのである。
 
 資本主義が発達してくると、人々は封建時代とは全く違う合理的な経済活動に巻き込まれる事になるので、どうしても功利的になっていく。イギリスでは功利主義が生まれ、アメリカではプラグマティズムが生まれた。日本では創価教育学が生まれたのだ。歴史の大きな流れに沿っているからこそ、創価教育学は一般大衆の支持を得たのである。
 
 一見、利益追求を行っている功利主義やプラグマティズムや創価教育学は非常に強い。しかしこれらのイデオロギーは利益を得てしまったがために、その重みのために沈んでいく事に成るのだ。事実、イギリスは覇権国家から転落した。アメリカ合衆国も今や覇権の終焉の時期を迎え、足掻きに足掻きまくっている。
 
 日本も経済発展が止まり、デブレが長々と続けば、幾ら創価教育学であっても、利益の減少を発生させてしまい、それで創価学会の信者数は頭打ちになってしまった。それどころか信者数は減少している。創価教育学には体制を作り変えるという発想がないので、それで人間革命は出来ても、社会革命を引き起こすという事ができないのだ。
 
 日本人の知識人たちは哲学に弱い。高校生の時に哲学をきちんと学んで行いないので、創価教育学の凄さと限界点が全然解っていない。創価学会の信者たちは創価教育学を持っている以上、それで哲学のない連中が幾ら批判してきても、創価学会はビクともしなかったのである。
 
 
●創価学会への解決策
 創価学会を非難している人たちは、創価学会のやった事に対して非難をぶつけているだけであって、創価教育学を正しく理解していない。まずは創価教育学を理解する。創価学会では、創価教育学が主で、法華信仰が従である。だから創価学会が他の日蓮宗系新興宗教団体とは全然違うのであり、法華信仰ばかり見ていてはダメなのだ。
 
 創価学会への解決策としては、宗教法人格を取消し、教育団体に戻す事が最善であり、これ以外に解決策はない。実践倫理宏正会は社会福祉法人であって、実践倫理を普及させる活動をやっているが、きちんと組織として成立している。創価学会の信者たちの中で法華信仰をしたい信者たちは日蓮正宗の法華講に戻ればいい。
 
 創価学会の事が正しく理解されなかった背景には、「日本の出版業界はデータ不正を行っている」という事情が存在する。戦後の出版業界では、池田大作の『人間革命』が最大のベストセラーなのだ。幸福の科学の大川隆法はなんと1000作品以上の本を出していて、ベストセラーになった作品も多々ある。宗教書がベストセラーになるのは、先進国では当然であり、日本だけが例外という訳がないのだ。出版業界が公然とデータ不正をやっているからこそ、世間の人たちの創価学会への理解度が余りにも低いのである。
 
 誰がなんと言おうが、「戦前は教派神道の時代、戦後は日蓮宗系新興宗教団体の時代」なのであって、戦前は天理教の「中山みき」、大本教の「出口王仁三郎」という宗教的巨人が出て来たし、戦後は創価学会の「牧口常三郎」「戸田城聖」「池田大作」という宗教的巨人が出来たのだ。会長に三代続けてスター級の人物を出せば、大発展するのは当然であろう。
 
 中山みきは、浄土宗や修験道や吉田神道の流れを汲みながら、天理教を生み出していった。だからヒットしたのである。牧口常三郎はドイツ観念論を批判し、プラグマティズム流れを汲みながら、創価教育学を作り、そこに日蓮正宗の法華信仰を組み入れた。それゆえ大ブレイクしたのである。
 
 天理教が中山みき一個人の考えではないように、創価教育学も牧口常三郎一個人の考えではない。やはり、日本の歴史に於いて出るべくして出て来た哲学であり、そう簡単に消える事はないのだ。もしも創価教育学が消滅する時は、創価教育学を上回るような偉大な哲学が日本に誕生した時だけであろう。
 
 

 
 

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エリザベス女王死去の大問題

●エリザベス女王の寿命は既に尽きている
 去年の段階で、「エリザベス女王の命運は既に尽きており、死ぬ可能性がある」と俺は予言しておいた。これはごく一部の人たちに伝えただけであり、このブログでは公開しなかった。すぐに死ぬ兆候は見られなかったし、エリザべス女王の死去より、パククネにとんでもない災厄が起る方がより強力に予言できたからだ。
 
 事実、パククネは大統領を辞職しない物の、大統領として権限を行使しないという事になってしまった。今年の大予言はなんといっても、ドナルド・トランプの事がメインなので、それでエリザベス女王の事はまたも公開しなかった。しかしエリザベス女王は年末にひどい風邪を引いたらしく、いよいよ寿命が尽きる来たと判断していい。
 
 エリザベス女王は1952年に即位しているので、2017年の段階でなんと「在位65年」である。どう考えても長すぎる。日本の昭和天皇の時もそうであったが、君主の在位が60年以上に及んでしまうと、どうしても次の君主の治世は停滞し衰退してしまう事に成る。日本は失われた20年を経験したのであって、イギリスも日本と全く同じような事になるであろう。
 
 立憲君主制国家の場合、君主は20年で交代するのがベストだと思う。どんなに長くても30年が限度であろう。如何なる政府も10年以上、同じ路線を取る事は出来ない。10年ごとに政策を変更していかないと、政府は維持できないのだ。政策をどうするかは首相が決める事なのだが、それでも2回か3回変更すればもう充分であり、君主は最大在位30年で譲位した方がいいのである。
 
 エリザベス女王は現在「90歳」であり、なんで今まで譲位してこなかったという事に成る。幾らなんでも90歳のお婆ちゃんが居れば、下の者たちは全員腐ってしまう事であろう。自分が健康で居られ、心身とも女王としての仕事ができるのは80歳が限度であり、80歳になる前までに譲位しておくべきだったのだ。
 
●皇太子殿下は訪英できるのか?
 日本にとって、エリザベス女王の死去は他人事ではない。もしもエリザベス女王が死去した場合、皇室の慣習法上、天皇陛下は訪英して葬儀に参加する事ができないので、その代り皇太子殿下を派遣する事に成る。「その皇太子殿下が本当に訪英できるのか?」という事なのである。
 
 ヨーロッパでは夫婦は一緒に行動するので、皇太子殿下が訪英するという事は、妻の雅子妃を連れて行くという事を意味する。だからこれは「雅子妃の問題」でもあるのだ。雅子妃は精神病を患っているので、病気のために訪英できないとなれば、皇太子殿下は大恥をかく事に成る。
 
 エリザベス女王の葬儀に雅子妃が参加しないと成れば、そのような問題のある妻が居る皇太子殿下を天皇に即位させる訳にはいかないというようになってくる事であろう。既に天皇陛下が退位の意向を示されているので、こんな大事な時期に妻の問題でケチが付けば、皇太子殿下の立場は非常に危うくなる。
 
 安倍首相は秋篠宮殿下を皇太子に相当する待遇を得させようという法律を国会に出すつもりでいる。という事は、皇太子殿下が天皇になっても、その在位は一時的な物であり、皇統は秋篠宮殿下の方に行くという事に成る。訪英は天皇即位のための「最大の試金石」になってしまうのであって、皇太子殿下は余程覚悟しないと、足を掬われてしまい事に成るであろう。
 
 本来であるならば、こんなに問題のある妻は捨ててしまった方がいい。今からでも若い女性を貰えば、その女性は男子を産む事に成るであろう。そうなれば、皇位継承の問題は何もなくなる。天皇家ではまずは男子を産まないと話にならないのであって、男子のいない皇太子というのは、どう立ち回ってもダメなのである。
 
 
●チャールズ王太子は国王たりえるか?
 エリザベス女王の死去が大問題を引き起こすのは、当のイギリスでも同じであり、チャールズ王太子が国王になってしまうからこそ、これは本当に大問題になってしまう。なぜならチャールズ王太子は家系からの食み出し者なのであって、もしもチャールズ王太子が国王になってしまうと、イギリス王室を潰してしまう事に成るかもしれいないのだ。
 
 チャールズ王太子には前の妻であるダイアナ妃が産んだ王子たちが居るので、国王になる条件は充分に満たしている。現在の妻ももうお婆さんではあるが、カミラ王太子妃が居るから、なんの問題もない。問題なのはチャールズ王太子本人であって、自分の運命星が王位継承者ではいからこそ、チャールズ王太子の即位を危険視しなければならないのだ。
  
 イギリスは現在、スコットランドの独立問題を抱えている。もしもチャールズが国王になってしまえば、本当にスコットランドが独立するとも限らない。ブリテン島を纏める事ができなければ、幾らイギリスと雖も国力は一気に低下してしまう事であろう。スコットランドが独立する事はないと思っている人が殆どだろうが、国王に国王にはなっていない者が就けば、何かの問題を切っ掛けに独立してしまうかもしれないのだ。
 
 チャールズ王太子とカミラ妃の運命星は、チャールズ王太子には精神的な苦悩を、カミラ妃には肉体的な病気を引き起こしてしまう関係にある。なんでこの2人が結びついてしまったのかというと、カミラ妃が大恋愛をする事によって自分の運命を大きく変える事ができるからで、それでチャールズ王太子と大恋愛をする事によって結ばれてしまったのである。
 
 しかも今年2017年に即位してしまえば、今年はチャールズ王太子にとっていい運気ではないので、それで早々と7年後辺りで死亡してしまうか、長生きできたとしても問題だらけの治世になってしまう。どう占ってみても、いい結果は何1つないのだ。やはりここでも、エリザベス女王の在位期間が長すぎた悪影響が出て来てしまっているのである。
 
 
●ウィンザー朝の呪われた王位
 現在のイギリス王室はドイツからやってきて、「ハーノーヴァー朝」と名乗った。この王朝名だとドイツを想像させてしまうので、1917年に「ウインザー朝」と王朝名を変えた。しかしこのウインザー朝と名乗るようになってから、イギリスは落ち目になっていき、殆どの植民地を手放す事になってしまった。
 
 ウインザー朝ではその王位は呪われており、国王が交代すると、戦争が起っている。しかもその戦争はイギリスの国益を大いに損ねているのだ。ジョージ5世(在位1910年~1936年〉の時には即位後に第一次世界大戦が起っている。ジョージ6世(在位1936年~1952年〉の時には即位後に第二次世界大戦が起っている。そしてエリザベス女王の時には即位後にスエズ動乱が起っているのだ。
 
 となると、チャールズ王太子が即位すれば、イギリスはどこかの国と戦争になり、その戦争でイギリスは敗北してしまう事に成る。イスラム教過激派からテロ攻撃を受けている以上、現時点で戦争が起る場所は中東という事になろう。既に中東では戦争が起っている以上、こんな所に手を突っ込めば、戦争に負けてしまうのは当然の事、イギリスの独立すら危うく成ってしまうに違いない。
 
 チャールズ王太子はハーノーヴァー朝としては12代目の国王、ウインザー朝の国王としては5代目の国王である。徳川将軍家は15代続いたが、12代目の家慶以降、3代続いたが、どの将軍たちもまともな政権を築けなかった。また5代目の綱吉の時は、武断政治から文治政治への転換という大きな作業をやってのけたからこそ、その後、江戸幕府を長持ちさせる事が出来た。
 
 尤も天皇家の方も他人事で済まされる問題ではない。明治以降の天皇としいぇは、皇太子殿下は5代目の天皇である、5代目の君主は「武断政治から文治政治への転換」を図らなければならないのであって、戦争するなど以ての他なのだ。しかし日本を取り巻く環境は平和を維持するのは難しくなってきており、日本もイギリスとは違う形で大変なのである。
 

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音読みの謎

●「呉音」「漢音」「唐音」
 音読みとは日本語に於ける漢字の字音の読み方である。日本語には日本独特の発音法があるので、中国人が発音しても、それをそっくりそのまま真似る事ができなかった。どうしても日本風の発音になってしまう。日本人が漢字を大量輸入したのは三回あって、「古墳時代」「奈良時代と平安時代」「鎌倉時代」の3つである。
 
 古墳時代に行われた音読みを「呉音」という。主に三国時代の「呉」から学んだからこそ、こういう言われ方をする。但し、呉だけでなく、その後の「西晋」「東晋」「宋」「斉」「梁」からも受け入れた。大和朝廷にしてみれば、外交交渉をするためにどうしても必要だったからこそ、漢字の大量輸入が起ったのである。
 
 奈良時代と平安時代に行われた音読みを「漢音」という。主に「隋王朝」や「唐王朝」の時の発音なのだから、「隋音」とか「唐音」といえばいい物を、漢王朝の時の発音ではないかと勘違いされてしまう漢音になっている。古代日本人は華北の人たちを「漢」(から)と呼び、華南の人たち「呉」(くれ)と呼んだので、それで漢音になってしまったのだ。
 
 鎌倉時代に行われた音読みを「唐音」という。これは本当に誤解を招く。主に「宋王朝」の時の発音なので、だったら「宋音」にすべきなのである。しかし唐王朝が崩壊する過程で、どうも日本に大量の亡命者たちが来たみたいで、その者たちは唐王朝の時の発音を行なっていたので、それで唐音になってしまった。
 
 例えば「京」という漢字は、呉音では「キョウ」、漢音では「ケイ」、唐音では「キン」であり、「平安京」(ヘイアンキョウ)では呉音を、「京阪」(ケイハン)では漢音を、「北京」(ペキン)では唐音で処理している。同じ漢字を使うのだから、発音を統一すればいい物をなぜだが3つも発音が存在しているのだ。
 
●抵抗したのは誰か?
 古代日本では壬申の乱が起り、これによって律令制度を本格的に確立していく事になる。この時期に漢音を一気に普及するので、この時に呉音を廃棄すべきだったのである。実際に朝廷は平安京遷都の直前に「漢音を持って正しい音読みとする」という勅令を出している。しかし抵抗した者たちが居たからこそ、呉音が生き残ってしまったのである。
 
 じゃ、一体誰が抵抗したのかといえば、まずは「僧侶」たちであり、仏教関係の用語には呉音が大量に残っている。例えば「成仏」(ジョウブツ)は呉音の発音であり、漢音なら「セイブツ」となる。但し「仏」は呉音だと「ブチ」なので、呉音で正確に言えば「ジョウブチ」で、「ジョウブツ」は多少なりとも妥協した結果という事ができる。
 
 第二の抵抗勢力は「医者」たちであって、医療関係にも呉音が大量に残っている。例えば「静脈」(ジョウミャク)は呉音の発音であり、漢音なら「セイバク」となる。「脈」は漢音だと「バク」なので、「心臓がバクバクする」という事で、多少存在している程度である。朝廷は医療には介入できなかったみたいで、医療関係には呉音がしっかりと残ってしまった。
 
 第三の抵抗勢力は「官僚」たち自身であり、法律関係にも呉音が残っている。平安京自体が呉音を用いている以上、官僚たちは天皇から勅令が下っても、そう簡単に漢音に移行する事ができなかった。尤も漢音を普及させる役目を負うのは官僚たちなので、官僚たちが呉音を残してしまえば、確実に残る事になる。
 
 中国は専制君主制を取るので、始皇帝の例を見ても解るように、発音を統一しようとすれば、本当に統一してしまう。それだけ政治権力が圧倒的に強大であるのだ。しかし日本は専制君主制を取らないので、どうしても朝廷の力が弱く、政治権力の及ばない箇所が出て来てしまうのである。
 
●慣用音
 
 呉音や漢音や唐音には或る一定の法則が存在するのだが、厄介なのが「慣用音」であり、慣用音は中国語に基づく事無く、日本人が発音し易いように発音してしまった物だから、訳が解らなく成る。それなのにその発音が使い勝手からいいからこそ、日本人はなんの疑問に感じないのである。
 
 慣用音の代表例が「茶」であろう。茶は慣用音で「チャ」と発音する事になっている。しかし呉音では「タ」、漢音では「ダ」、唐音では「サ」なので、漢字本来の発音とは一切関係ない。一体いつどこで誰が「チャ」と言い始めたのかというと、恐らく平安時代後期に医者たちの業界用語であったろうと推測される。
 
  臨済宗によって抹茶が普及する前、茶は薬であった。漢音で「ダ」と言ってしまうと、何を言っているのか解らないので、それで「チャ」にしたのではないか? 臨済宗は茶を「サ」と唐音で読んでいたので、禅僧たちが「チャ」という言葉を広めていない事はたしかなのである。
 
「茶道」は「チャドウ」か「サドウ」か非常に問題であり、これは茶道の命運を左右しかない問題だと言っていい。最近の流れとしては、「サドウ」から「チャドウ」へという流れになっており、茶人たちまでが「茶道」を「チャドウ」と言い始めている。しかし茶道を「チャドウ」というのはダメなのである。
 
 姓名判断的に「茶道」を「サドウ」と読むとお洒落で華やかという事を意味するが、「チャドウ」だと大胆だけど孤独という事になってしまい、「サドウ」の方が茶道の実態とピタリと一致しているが、「チャドウ」だと全然合っていない。大体、「喫茶店」は「キッサテン」であり、だから人々は行くのである。「喫茶店」が 「キッチャテン」では誰も行かないだろう。
 
 では、なぜ「茶道」が「チャドウ」と言われるようになったのかといえば、それだけ茶道が国民に普及したからであり、普及したからこそ、茶人たちですら日本語として言い易い物にしたいのである。尤も「茶道」が「チャドウ」になってしまうと、お洒落ではなくなるし、華やかな物でもなくなってしまう。
 
●元寇が日本を変えた
 元寇以降、日本は中国から漢字を大量輸入していない。元寇の際、鎌倉幕府は兵力的には圧倒的に不利だったのに、神風が吹く事でモンゴル軍を殲滅する事が出来た。これによって戦後、「神国思想」が生まれて来る。だから中国から漢字をもう大量輸入する事がなくなってしまうのである。
 
 尤も中国で発明された品物は元寇以後も入ってきている。例えば「行灯」「卓袱台」「麻雀」とかである。これらの漢字に共通する事は、当時の中国人たちが使っていたであろう発音に比較的近い発音を日本人がしているという事であり、呉音や漢音や唐音のようの法則性のある物とは根本的な所から違っている。
 
 モンゴル軍の中国侵略で中国文化のレベルが下がり、それと同時に日本は南北朝の動乱を迎えて、幕府が統治能力をなくし、それがために商業が活発になったので、だから日本と中国の間にそんなに差がない事になってしまった。寧ろ江戸時代になると、日本の学問の方が進み、朱子学で停滞しした中国の学問を追い抜いてしまうのである。
 
 近代以降、日本は西洋の文物を大量輸入したので、英語やドイツ語を日本語に翻訳していく作業に追われた。これによって今度は日本が中国に漢字を大量輸出するようになったのである。「哲学」「恋愛」「鉄道」とかいう単語は日本人が作った物であり、これは中国でも通用するレベルにあったからこそ、そのまま使用される事になった。
 
 戦後、学生運動や労働運動が活発になったが、しかし全く巧く行かなかった。失敗した最大の理由はこの手の運動をやった人たちが中国の「簡化字」を輸入したからであると言っていい。例えば「闘争」を「斗争」と書いたりして、できるだけ画数を少なくしようとした。これの一体何が間違いなのかといえば、日本はもう中国から漢字を大量輸入しなくなったのに、時代錯誤的に相変わらず中国から漢字を大量輸入してしまった事なのである。
 
●日本では革命が起っていない
 中国では革命が起ると、前の王朝の文化は全て否定される。全否定されるからこそ、漢字の発音も変わってしまうのである。中国人たちは「中国四千年」と言うが、実際の中国は中華人民共和国から建国してからの日数でしかない。想像以上に浅い国家なのであり、中国人たちの誇大表現に騙されては成らないのだ。
 
 日本に革命があったのか否かは時折問題になるが、天皇制が古代より続いている以上、日本には革命などなかった。確かに明治維新や敗戦によって価値観の変動はあった。しかしそれは革命ではないのであって、もしも革命が発生していたのなら、日本だって漢字の発音の仕方はがらりと変わってしまった筈なのである。
 
 日本には革命が起っていない以上、日本人がすべき事は日本文化の継承と発展であり、その積み重ねこそが大事という事になってくる。だから国語を教える事は日本史を教える事でもある。日本史が解ると、国語の理解度も高まって行く事に成るのだ。音読みはその代表格だと言っていい。
 
 音読みに対して一言言っておくと、
「音読みは飽くまでも日本人同士で取り決めた約束事であり、絶対に正しい物ではない」
という事である。漢字の正しい読み方は中国人たちのやっている物なのであって、その漢字を輸入し、日本人が発音し易いようにしただけに過ぎない。
 
 例えば「未曽有」は「ミゾウウ」と発音しているのだが、「ミウゾウユウ」と発音するのは決して間違っている訳ではない。「有」は呉音では「ユ」であり、漢音では「ユウ」である。だから漢音で発音すれば「ミゾウユウ」の方が正しい。しかし「未曽有」は仏教用語であり、僧侶たちは「有」を「ウ」と読んだからこそ、「未曽有」は「ミゾウウ」と発音しているに過ぎないのだ。
 
※参考文献
円満字二郎著『漢和辞典に訊け!』(筑摩書房』
円満字二郎著『大人のための漢字力養成講座』(ベストセラーズ)
(この円満字二郎は凄い人かも。出版社で漢和辞典の編集をしたので、漢字の問題を実に解り易く説明してくれる)
 
 

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