結婚

オーサ・イェークストロムに対して勝手に運命鑑定

●北欧女子
 学術書ばかり読んでいると頭が固くなってしまうので、俺は平行しながら軽めの本を読むようにしている。今回、気晴らしで読んでいたのだが、超面白かった。それが、
 
オーサイェークストロムの「北欧女子シリーズ」。
 
学術書をそっちのけで読んでしまったぐらい楽しめた。
 
 日本に滞在する外国人が書いた物は下らない物が多い。理由は簡単で、日本の事をよく知らないからだ。日本に生まれ育った俺ですら、日本に関して解らない事が多々あるのに、それなのに滞在10年も経っていない奴がとやかく言うな。文句があるなら、とっと帰れ。せめて「厚切りジェイソン」みたいに、ジョークを飛ばすとかして来い。
 

 北欧女子シリーズでは、2巻の出来が一番良いと思う 1巻と2巻の出版間隔が短く、しかも締切ギリギリで出したらしい。そういう緊張感があると、作品の出来は良く成るのだ。たっぷりと時間を与えれば、いい物が出来るとは限らない。寧ろ考え過ぎたり、手を出し過ぎてダメにしてしまう物なのだ。
 
 俺としては、「オールカラーにして欲しかった」。というのは、オーサの色使いが物凄くいいので、「なんでオールカラーにしないんだ」って事なのである。印刷代が嵩んでいいからオールカラーにしておけば、このレベルの出来なら、ベストセラーになってもおかしくない。続けて出していけば、ロングセラーにもなるだろう。
 
 作者は外国人なので、誤字脱字や文法の間違いをしてくるから、それを編集者が直すのはいい。しかし編集者が作品内容にまで手を出してしまうと、オーサの良さが減少してしまうのだ。内容に関しては、下手でもいいから、オーサのありのままを見たかった気がする。オーサ自身も、無闇に手を出されぬよう、ちゃんとした日本語を使えるようにした方がいい。
 
●スウェーデン語での名前と日本語での名前
 オーサ・イェークストロムはスウェーデン人なので、名前は、
 
「Åsa Ekström」
 
と書く。「A」の上に小さな「〇」がある。これで「オー」。「sa」は「サ」で、合せて「オーサ」となる。エクストロームと思いきや、イェークストロム。英語に似ているけど、発音が全然違うので、実に厄介。
 
 地格は7画なので、性格は個性的。事実、スウェーデンでは典型的な「オタク」。人格は6画なので、結構のろま。総格は25画なので、生まれ故郷から離れる運命にある。スウェーデンを出て、日本に来たのが開運と成った。もしもスウェーデンに居続けたのなら、本当に普通の女性として終わった事だろう。
 
 日本語ではカタカナで「オーサ・イェークストロム」と書く。地格は7画で、性格は個性的。人格は5画なので、シェアハウスに住むくらい、人々と接するのが好きになる。総格は24画 なので、漫画家には適している。新しい物を創作していきたいという意欲がメラメラと湧き上がってくるのである。
 
 ちなみに、「オーサ」はスウェーデン語ではそれなりの意味があるだろうが、日本語では、
「王佐」
という言葉があり、この単語は「王を補佐する」「王を補佐する人」という物凄くいい意味になる。他には、
「往査」
という単語もあり、これは「公認会計士などの監査人が、遠くの事業所に出張して監査を行う事」を言う。
 
●性格はスウェーデンでも日本でも同じ
 オーサはスウェーデン語でも日本語でも画数が同じなので、性格は同じという事に成る。だから彼女の書いた漫画は面白い。彼女はスウェーデンでも日本でもそのまんまだから、彼女の言っている事が伝わってくるのだ。尤もスウェーデンに居た時は超ダサい。本人曰く「全然イケてない」。その女性が日本に来たら美人に成った。
 
 スウェーデン語の名前だと、総格が25画だから、これで漫画家としてやっていくのは難しい。これに対して日本語の名前だと総格が24画に成るので、これなら漫画家としてやっていける。漫画の激戦区である日本で漫画家としてデビューしてしまえば、たとえトップを取らなくても、祖国で自分の漫画本を出せば、それなりに売れる。となれば、漫画家として充分収入を得る事が出来てしまう。
 
 外国移住では事実上画数での「改名」が起るので、この改名には気を付けた方がいいかもしれない。同じ画数なら性格は同じだけど、外国語では画数が変わるので、それによって自分の性格が変わってしまう。その変わった性格に自分自身が付いていければいいが、付いていけないと、帰国せざるを得ないであろう。
 
 また画数が違う場合、祖国での名前と移住先の名前とで相性があるので、それも問題になる。相性が良ければいいのだが、相性が悪いと何をやってもチグハグしてしまう。そういう時は通称で対応すべきであり、通称を巧く使う事で、どうにかやっていけるようにした方がいい。
 
 折角、日本に憧れ、日本に来て、ちゃんと日本語が出来るように成り、日本で就職して仕事が出来るようになったのに、名前の画数が悪かったり、祖国での名前と日本での名前の相性が悪いとなれば、どうにも巧く行かないので、それで日本を去ってしまう事に成る。外国人だからこそ、日本で仕事をする際には、運命鑑定を受けた方がいいのだ。

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にこさんへの運命鑑定

にこさん、それでは運命鑑定行きますね!happy01
 
●「夫との相性」「夫との今後」
 旦那さんは生まれ故郷を離れる事が絶対に必要で、日本に来た事は非常に良い事です。但し、本名と通称が違うので、そこで2つの性格が入り乱れています。にこさんとは本名とも通称とも相性がいいのですが、通称は家庭を大事にしないので、それで浮気をしてしまった訳です。
 
 相性的にはいいけど、離婚の可能性がない訳ではなく、息子さんの運命星には父親と別れてもやっていける事が暗示されています。後はにこさん本人の判断次第でしょう。旦那さんは子沢山の星を持っているので、これで子供が1人しかいないとなれば、問題は多発してきますよ。
 
●「息子が1人ですが、もう1人2人子宝が授かれるかどうか」
 子供は授かれます。だけど、夫婦関係が維持できるかですよ。その方が優先で、とにかく夫婦関係を修復しないと、妊娠はできません。にこさんと息子さんの関係は、2人っきりになりたがる関係になっているので、意図的に作らないと、ずるずるとこのままになってしまう事でしょう。
 
●「夫のブラジルにいる家族との相性、特に母親」
 にこさんと姑との相性は、実はいい物になっています。なんで、にこさんが姑の事を嫌うのかといえば、それは必ず姑の方がリードしてしまう関係になってしまい、にこさんは付き従うだけになってしまうからです。結婚を維持したいのなら、この姑とは仲良くした方がいいでしょう。
 
●「今後、私達家族が日本の地で暮らすのか、ブラジルの地で夫の家族と暮らすのか…」
 どちらでもいいです。旦那さんは故郷から離れる事によって開運しているので、その後、故郷に戻ってもいい。日本とブラジルを繋いで、商売を始めるのもいいでしょう。商売をやっているのなら、日本とブラジルを行き来できるので、どこに住むかという事に、そんなに拘らなくなります。
 
●「夫の適職」「私の適職」
 旦那さんは通称の苗字を漢字にするのではなく、カタカナにした方がいいでしょう。それか、姓名の順番を逆にして、ブラジル人っぽくするといいです。通称に変化を加えると、芸能人としてもやっていけるし、商売も巧く行くでしょう。本名が長いから、人の下で働くのは、あんまり向いていないです。
 
 にこさんは離婚すれば商才を大いに発揮する事になるでしょう。旧姓の方が、財運はいいので、離婚後なんらかの商売をすると当たります。結婚し続ける事を選択するなら、旦那さんの仕事が巧く行くようにサポートするといいでしょう。旦那さんは杜撰な所が多々あるので、1人で成功するのは無理です。
 
 
●「息子の性格」「息子の適職」
 息子さんの性格は冷たい性格です。女性を自分の思い通りに動かそうとするので、思春期にちゃんとした恋愛をしないと危ないですね。子供と思うよりは、大人と接した方がいいです。子供のくせに、子供扱いすると怒ります。父親と離れると大吉なので、出来る事なら、父親は居ない方がいいんですよ。
 
 息子さんの適職は「芸能人」ですね。今の内から歌でも習わしておくといい。日本語だけでなく、ポルトガル語も出来てしまえば、日本語の発音が非常にクリアな物に成るので、それで歌が途轍もなく巧くなります。息子さんの人生は早くに決まるので、学校や大学には重点を置かない方がいいでしょう。
 
●「夫の健康」
 子沢山の星を持っているのに5年間もセックスレスなら、精巣を取られるような病気に成るのは当たり前です。まさに自業自得で、死にたくなければ、子供を産みまくる事でしょうね。もしも自分の妻とセックスしたくないら、とっとと離婚してしまい、他の女性と再婚して、子作りをしまくった方がいいでしょう。

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まいみさんへの運命鑑定

まいみさん、それでは運命鑑定行きますね!happy01
 
●まいみさんの運命
 旧姓の名前は最悪です。得体の知れない病気に罹ってしまうのは当然でしょう。その手の商売をする女性たちはみな名前が物凄く悪いです。運勢が悪いからこそ、そういう商売をして毒消しをしていくのかもしれませんね。殺人事件に巻き込まれなかった事に感謝した方がいい。恐らく、仕事をしている時は、金銭トラブルがあったんじゃないかな?
 
 ところが結婚後の名前が実に素晴らしい。旧姓の時とはまるで逆。結婚すると、人に尽そうという気持ちが出て来ます。独身の頃は自分の事しか考えていなかったので、それで何をやっても人生が巧く行かなかったんです。しかし結婚後は人に尽そうとするからこそ、その気持ちを忘れなければ巧く行きます。
 
●旦那さんの運命
 旦那さんは実に面白い人物です。他人よりも先に物事を考える事ができるので、それでなんとか巧くやっていけます。但し、自分の頭の良さをいい方向に使わないと、禄でもない事しか仕出かさないでしょう。恐らく格好いい男性なので、スポーツで体を鍛えて、肥満には気を付けた方がいい。
 
 仕事は何か事業を起こした方がよく、会社勤めもできるけど、出来る事なら自分の会社を持った方がいい。33歳になると、新しい人生が始まります。年齢的に、今はまだその職業でいいでしょう。しかし自分の心の中で変化が起き始めたのなら、自分がしたい事をやった方がいい。
 
●夫婦の相性
 まいみさん夫婦は、お互いに止め合う関係になります。一見、悪いように聞こえてしまいますが、まいみさんの結婚前までの人生が酷い物なので、この男性と巡り合う事によって、自分の不運にブレーキがかかりました。が、これは旦那さんの運勢をもかなり止めてしまっているという事を忘れてはなりません。
 
 相性的はには、子供には恵まれないでしょう。結婚した時期は大吉なので、出来ちゃった結婚とかすればなんとか子供を持てたでしょうが、この相性だと、避妊しなくても、子供はできにくいです。但し、まいみさんは子沢山の星を持っています。旦那さんは子供に愛情を注ぐ人です。子供が居ないという事は、それだけ離婚の可能性を高めてしまう事になります。
 
 夫婦共々、故郷から離れる運命にあり、故郷から離れると開運という事になりますが、故郷に居続けてしまうと、何をやっても貧乏続きになる事でしょう。旦那さんの仕事は移動可能だし、まいみさんの仕事も引っ越そうと思えばできる物だから、夫婦どちからかが仕事でヒットしたのなら、素早く転居した方がいい。
 
●タマティーからのアドバイス
 まいみさんには宗教と深い縁があります。まいみさんみたいな人生を送ってきた人は、宗教団体の宗教家になってしまい、そこで修行しまくり、人々を導くような生き方をすべきでしょう。占いに興味があるからといって、決して占い師にはならないように。自分自身がかなり運気を使いまくり、現時点ではどうにかプラスになっているので、何も修行せずに占い師をやれば、とんでもない事になってしまいます。
 
 結婚した以上、子供は産んだ方がいい。子供が居なければ、離婚の危機は充分ありえます。但し、この夫婦の相性では、子供が出来にくい事も事実なので。もしも子供を持たないというのなら、自分よりも若い人たちを手助けするような仕事をした方がいい。子供は居ないけど、他人の子たちを育てるという事で、なんとか世の中のお役に立てるという訳です。
 

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釈迦が流した愛の涙 続編

●「不倫の禁止」「女性出家者たちの誕生」「友情の強調」
 釈迦は出家前に、男女の愛で散々悩んだ。だから釈迦が唱えた教えは、男女の愛で懊悩した者ならではの物に成っている。
 
①「不倫の禁止」
 原始仏教経典で最も特徴的なのは、「不倫の禁止」を盛んに唱えている事である。釈迦自身が人妻に手を出し、自分の妻を寝取られたので、不倫の禁止を徹底的に唱えた。バラモン教では不倫の禁止など唱えなかったので、仏教の教えは当時のインド人たちにとって非常に新鮮だった筈である。
 
 但し、原始仏教教団では、男性僧侶たちは信者たちの所に托鉢して食料を調達してくるので、必ず人妻と接する事に成る。それで男性僧侶が人妻に手を出すという事件は多発してしまったらしい。不倫の禁止を唱えている教団だからといって、本当に不倫をしない訳ではないのだ。
 
②「女性出家者たちの誕生」
 釈迦はマハーパジャーパティーの要求を聞き入れ、彼女を出家させているのだが、女性出家者たちが居たという事は、原始仏教教団の特徴であった。バラモン教には女性の宗教家たちは居ないのであって、インドでは仏教の登場によって、初めて女性宗教家たちが誕生したのである。
 
 アクレサンダー大王がインドを侵略すると、仏教教団を見て心底驚いた。「女性たちが哲学をしている」というのは古代ギリシャ人たちにしてみれば、最大級の衝撃だったのである。これが後に、インドに残ったギリシャ人たちを仏教に改宗させ、大乗仏教を生み出していく事に成る。尤も釈迦族では女性たちが大量出家してしまったので、釈迦族は滅亡という最悪の事態に遭遇してしまう事に成った。
 
③「友情の強調」
 釈迦は家族愛に恵まれなかったので、家族の情愛を断ち切って、「マイトリー」即ち「友情」を強調した。釈迦は男性僧侶たちと一緒に居る事を好み、女性僧侶たちや女性信者たちを出来るだけ避けた。彼は男色家ではない。女性たちの感情的な言動が、釈迦の心を乱すので、それで遠ざけたのである。
 
 友情を強調した事は、当時のインドでは画期的だった。友情という物は存在していたが、その友情を家族愛よりも遥かに価値の高い物であると教えたのは、釈迦が初めてであったのである。しかし友情の強調は釈迦の甘さであった。人間には友情に反応するホルモンがないので、幾ら友情を強調しても、纏まりを欠くのだ。事実、僧侶たちは三宝帰依によって結束したのであり、友情で結束したのではなかった。
 
●慈愛を産んだのはマハーパジャーパティー
 マハーパジャーパティーは初の尼僧になっただけではなく、女性としては初の阿羅漢にもなっている。釈迦が優遇してそうなった事は想像が着くが、それでも阿羅漢になったという事は、やはり彼女の出来が良かったからなのであろう。マハーパジャーパティーにしてみれば、釈迦の苦悩が解ったからこそ、釈迦の説いている教えなど簡単に理解する事ができた。
 
 釈迦自身は友情を強調して失敗していたのだが、マハーパジャーパティーは尼僧たちに慕われ、尼僧たちの中で第一人者になっていた。尼僧たちはバラモン階級やクシャトリア階級の出身者や、庶民や奴隷、そして売春婦たちなども居た。それらの者たちから等しく愛されていたのである。
 
 釈迦は平等を唱えたのだが、男性僧侶たちは出身カーストで分かれていた。バラモンたちは舎利弗と目連を、クシャトリアは提婆達多を、庶民たちはヤサをリーダーで固まっていた。意外な事かもしれないが、男性僧侶たちの間では、奴隷出身の出家者たちは殆どいなかった。
 
 釈迦とマハーパジャーパティーの違いは、男女の違いと言ってしまえばそれまでなのだが、マハーパジャーパティーは3人の男子を産み育てたので、母性愛を以て尼僧たちに接したのであろう。だから尼僧たちは彼女の事を慕った、釈迦自身は、妻子を捨てて出家してしまった人物なので、そういう愛情を出せなかったのであろう。
 
 釈迦は友情だけでなく、生きとし生ける者への愛を唱えているのだが、この愛はマハーパジャーパティーの影響を受けての事だと見ていい。この愛が小乗仏教では「カルナー」即ち「憐み」になり、大乗仏教では「マハーカルナー」になり、中国語訳では「大悲」と成った。大悲をより解り易い言葉に変えるなら、「慈愛」であろう。この慈愛はマハーパジャーパティーこそが産んだ物なのである。
 
●提婆達多の分派
 釈迦の晩年には、原始仏教教団に提婆達多の分派という最悪の事件が発生する。この事件は、長らく提婆達多だけが悪いように言われてきたが、原始仏教教団が出身カーストを解消できなかった以上、これは原始仏教教団の後継者争いと見るべきであって、そう見た時に、この事件の真相が解って来る事に成る。
 
 原始仏教教団では舎利弗が第二位、目連が第三位であり、この2人によって教団経営がなされていた。釈迦は旅をする事を好んだので、雨安吾の時には教団中央に居るのだが、後の季節は旅行に出かけてしまう。そういう事では、教団経営は舎利弗と目連によって行われるのは当然であろう。この2人は教団経営をしているがために、現実的に成って、釈迦の定めた戒律を多少緩やかな物にしていった。
 
 これに反発したのが提婆達多であり、釈迦の理想を実現すべく、戒律重視路線を取るよう迫った。舎利弗と目連は釈迦よりも年上であり、提婆達多は釈迦よりも10歳以上若いので、これは事実上「後継者争い」であった。釈迦は提婆達多が異母弟なので、自分の後継者として考え、提婆達多の主張する意見に乗った。
 
 バラモン階級出身の男性僧侶たちは反発したのは勿論の事、庶民階級出身の男性僧侶たちまでもが反発した。だから釈迦は妥協し、戒律重視路線を廃棄した。これに怒った提婆達多は、クシャトリア階級出身の男性僧侶たちを引き連れて分派してしまった。その後、釈迦は舎利弗をも粛清した。舎利弗を事実上教団から追放し、故郷に戻らせ、そこで舎利弗は病死したのである。
 
 この事件は、マハーパジャーパティーをも窮地に陥れ、提婆達多が彼女の息子とするなら、ただでは済まされなかったであろう。彼女は釈迦が粛清したのか、自ら決めたのか解らないが、教団を去り、釈迦の死の三カ月前に死去した。やはり最後まで「結ばれぬ仲」だったのである。
 
 
●なぜ釈迦は阿難を連れて最後の旅に出たのか?
 80歳になった釈迦は最後の旅に出るのだが、この旅でまさか自分が死ぬとは思っていなかったらしい。事実、釈迦は教団代表の後継者を決めずして、この旅に出ている。旅を好む釈迦はいつも通りに旅をしたのだが、この旅で食中毒に罹り、下痢を繰り返し、遂には死んでしまった。
 
 最期の旅では釈迦は阿難を連れて行ったのだが、やはり阿難は彼の実の息子だったからこそ、手元に置いておいたのであろう。尤も阿難は大した僧侶ではなく、釈迦は阿羅漢にはしていない。阿難は秘書が務まる程度の能力しかなかった。ただ、釈迦の側にいつもいたので、それで「多聞第一」と呼ばれた。釈迦の教えを大量に聞いたからといって、理解している訳ではない。
 
 釈迦の死後、魔訶迦葉(マハーカッサパ)は仏典結集を行うのだが、阿難が阿羅漢になっていなかったので、この会議への参加を認めなかった。そこで急遽、修行をして、阿羅漢の境地にまで達したという。実に怪しい達し方であり、恐らく阿羅漢のレベルには達していなかった。しかしそれでは余りにも可哀想なので、教団の長老たちは阿羅漢にして、会議への参加を認めたのであろう。
 
 仏教の経典では「如是我聞」で始まる物が多いのだが、この「我」とは阿難の事である。釈迦の教えは飽くまでも阿難のフィルターを通して残っているので、釈迦の本当の教えは一体どうなのか、経典を鵜呑みしていると解らない。阿難は大まかな事なら記憶していたらしいのだが、細かい点は覚えておらず、それで教団の長老たちから非難を浴びせられたりした。
 
 釈迦は遺言で、「戒律が現実にそぐわないのなら、戒律を多少変更してもいい」と言い残した。阿難はこれを会議で伝えた。だからやはり釈迦の晩年、戒律を巡って後継者争いが起ったのであり、提婆達多だけを悪者にしてしまうと、歴史的事実が全く解らなくなってしまうのだ。
 
 
●「マハー」が付く、2人の僧侶
 釈迦が死ぬまでに、舎利弗と目連は死に、提婆達多は分派したので、魔訶迦葉は漁夫の利を得る形で、教団内で第二位にまで上り詰めた。有難い事に、釈迦の側近である阿難は阿羅漢になっていなかったので、こう成ると、原始仏教教団の後継者は魔訶迦葉しかいないという事に成る。
 
 魔訶迦葉は仏典結集を行い、経典を編纂し、戒律を整備した。人間の教えという物は、その人が生きている時は存在し続けるのだが、その人が死んでしまうと、あっという間になくなってしまう。そういう物だからこそ、死後にすぐさま経典を編纂してくれないと、如何に釈迦と雖も後世にその教えは残らなかった事であろう。
 
 彼は教団内で「頭陀第一」と呼ばれ、「清貧」に徹した。清貧であればこそ、戒律の問題を棚上げにし、とにかく僧侶たちは清貧に生きる事を手本として示した。だから戒律重視派からも、現実重視派からも支持を得る事ができた。二代目は教団を固める事が役割なので、下手に改革を行えば、教団を潰しかねないのだ。
 
 仏教を仏教に仕立てあげたのは「魔訶迦葉」であると言っていい。釈迦の教えは確かに素晴らしいのだが、教団組織を作り上げるという事をしなかったので、それでは宗教団体として成功しないのだ。仏教学者たちの中で、魔訶迦葉の事を悪く言う奴は、仏教の事を何も理解していないといっていい。
 
 原始仏教教団で「マハー」が付く僧侶はもう1人いる。それがマハーパジャーパティーである。彼女が居ればこそ、釈迦は愛に苦しみ、家族愛を乗り越えて、友情、そして慈愛を生み出していった。しかもマハーパジャーパティーは出家して尼僧となり、尼僧たちをしっかりと纏め上げ、その後、女性たちが出家して、尼僧になれる道をしっかりと切り開いた。
 
 宗教という物は、1人の天才的な宗教家だけで作られる物ではない。他に重要な協力者がいてこそ、新しい宗教は作り上げられる物なのである。原始仏教教団の僧侶たちは釈迦を教祖とし、魔訶迦葉とマハーパジャーパティーの2人が重要な僧侶であったというのは当然の評価であった。仏教原理主義という非常に偏った思想を持ってしまえば、釈迦ばっかり評価してしまい、魔訶迦葉もマハーパジャーパティーも全く評価されない事であろう。
 
 ちなみに、阿難には「マハー」が付いていない。という事は、原始仏教教団に於いて、重要な結果を残したのではないという事なのである。彼は原始仏教教団に於いて三代目の教団代表になるのだが、それでもマハーが付かないのだから、やはり釈迦が阿羅漢にしなかったのには、それなりの理由があったのである。
 
 
●ドロドロの愛憎劇を恥とせず
 釈迦はドロドロの愛憎劇を経験したからこそ、新たな愛を生み出す事が出来た。家族愛や氏族愛を突破し、友情や慈愛を生み出していくためには、悲惨な家庭に於いて育った人じゃないと出来ない。普通の家庭で育った人なら、家族愛や氏族愛しか説かないであろう。家族愛や氏族愛を超える愛を説くという事は、悲惨な家庭で育った事なのである。
 
 ところが仏教は小乗仏教になると、生身の釈迦を忘れ、「釈迦の神格化」が始まる。マハーパジャーパティーは養母として釈迦を立派に育て上げた。ヤショダラーは12年間も不妊症で悩んでいたのに、突如として妊娠しても、ラーフラは釈迦の子になってしまう。釈迦の晩年、釈迦は後継者を作る事に失敗したのに、提婆達多だけが悪いという事になってしまった。
 
 両親は立派、養母も立派、妻も立派、そんな事は現実にはありえないのだ。釈迦が教祖である以上、教団内で何か問題が発生すれば、それは釈迦が悪いに決まっているのであって、分派が発生したという事は、教団内に分派をやってしまうほどの深刻な問題があったという事なのである。
 
 不思議な事に、人工宗教の教祖たちは、全員が全員、普通の家庭に育っていない。モーゼもマホメットも捨て子。イエスは父無し子であり、母親のマリアは売春婦で、恐らく本当の父親はガリア人のローマ兵なのであろう。そういう連中だからこそ、家族を氏族の枠組みを超えて、新たな宗教を作り出していったのである。
 
 フェミニストに対して「お前の心の中に問題がある」といえば、必ず反発してくる事だろう。幾ら社会を幾ら変えても、自分は変わらない。自分が変わらない限り、世界は変わらないのだ。釈迦は苦しみに苦しみ抜いた上で、自分を変える事ができた。誰もが幸せな家族で育つ訳ないから、仏教というのは2500年経っても、未だに存続し続けているのである。
 

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釈迦が流した愛の涙

●仏教は女性差別の宗教?
 日本政府はフェミニストたちに騙されて、男女共同参画社会を実現すべく、様々な政策を打っているが、そのために日本は国力を落としまくっている。フェミニストたちが政治に或る一定の影響力を行使できている以上、次にやるのは宗教界への攻撃であろうとは大体予測できた。
 
 既にキリスト教内部では、「フェミニズム神学」という、神学的には絶対にありえないような学派が登場しており、盛んにキリスト教を破壊しまくっている。キリスト教では、神は「男神」であり、女神ではない。イエスは男性であって、女性ではない。パウロは女性差別の権化のような人物であり、フェミニズム神学をどのように展開させたとしても、まともな結論など出て来ないだろう。
 
 キリスト教ですらこうなのだから、フェミニストたちの攻撃は仏教にも及んできた。仏教は女性の出家者も認めており、女人成仏もあるだから、フェミニストたちが仏教に攻撃を仕掛けるのは完全に間違っている。幾らやっても勝利できず、敗北するのは必至であろう。そんな中、
 
丘山万里子著『ブッダはなぜ女嫌いになったのか?』(幻冬舎)
 
という本を見つけてしまった。どこぞのフェミニストが書いた本かと思ったが、読んでみると、
「これは凄い本だ!」
と感嘆してしまった。
 
 丘山万里子はフェミニストではなく、作曲家論の学者である。本来は音楽の方面で研究をやっていたのだが、仏教に興味を持って研究するように成り、それでこの本を書いた。仏教関係の本としては秀逸であり、この本を読めば、釈迦が一体何を言ったのかが解る。逆に言えば、仏教学者たちの書いた本は、釈迦の苦悩を理解していないので、それで釈迦が一体何を言いたかったのか、全然解らないのだ。
 
「仏教書の殆どは屑本である」といっても過言ではない。釈迦は解脱した上で、仏教の教義を述べたのであり、悟りを開いていない人が幾ら仏教の事をあれこれ書いても無意味である。丘山万里子は「釈迦の秘密」が解ったこそ、この本を書いた。だからこそ、この本は実に素晴らしいのだ。
 
 
●煩悩とは母性愛欠乏症なり
 煩悩とは、人の身や心を煩わせ、悩ませ、掻き乱し、惑わせ、汚す所の精神作用の総称を言う。何がなんだかさっぱり解らないが、「苦の極み」とでも思っておけばいい。なんで釈迦はこんな激しい苦しみに襲われたのかといえば、それは釈迦が生後7日目にして、「母親の死」に遭遇したからである。
 
 釈迦は実の母親「マーヤー」に愛された記憶がない。だから途轍もない苦しみを味わう事になったのである。という事は、煩悩とは「母性愛欠乏症」の事であり、母性愛の不足こそが、釈迦を苦しめ続けたという事に成る。母性愛は「絶対肯定の愛」だから、乳幼児が絶対肯定されなければ、その後の人生では苦しみだらけになってしまうのだ。
 
 仏教書を書く人たちは、両親が揃っているので、まず母親の居ない子の気持ちが全然解らない。釈迦は父子家庭の子なのであって、両親が揃っている普通の家庭で育った訳ではないのだ。そのため、仏教の教義の事を書いても、どこかピントがずれている。より正確に言うなら、釈迦の心の内を何も理解せずして書いている。そんな書物を幾ら読んだとしても、仏教の事を理解できる事はないであろう。
 
 煩悩を「執着」と捉えるのは決して間違いではないが、「じゃあ、なんで執着するのか?」という事なのである。母性愛に満たされた男性なら、下手に何かに執着しない。自分のすべき事をやり、終われば去って行く。しかし母性愛が欠乏していると、何かに執着してしまい、それが更なる苦しみを生み出してしまうのである。
 
 実の母親に捨てられたというのなら、母親に責があるのだから、まだ踏ん切りが着く事であろう。しかし母親は死んでしまった。7日間だけではあるが、母親の顔を見ただろうが、赤子ゆえに、その記憶は忘れてしまい、物心着く頃にはなんにも覚えていない。そして大きくなれば自分の心の中にポッカリと穴が空いている事に気付く。釈迦は子供の頃からノイローゼに罹っていたのであり、これは自分がやってそう成った訳ではないので、自分ではどうにもならなかったのである。
 
●釈迦の片思い
 仏伝ではマーヤーの死後、釈迦はマーヤーの妹である「マハーパジャーパティー」に養育されたとある。問題はその年齢であろう。マーヤーが16歳で結婚したというのなら、少なくともマハーパジャーパティーはそれよりも年下である。彼女は八人姉妹の末娘であったといわれる。とするなら、釈迦とは5歳程度しか違っていなかったと推定していい。
 
 とするなら、マハーパジャーパティーと釈迦は、事実上「姉と弟の関係」にあったと見るべきであろう。
 
 母親の居ない釈迦は、マハーパジャーパティーに頼る傾向は非常に強かったであろう。マハーパジャーパティーも、釈迦を弟して好いていた事だろう。しかし釈迦の父親「スッドーダナ」は彼女が亡き妻に似ているという事で、彼女と再婚し、後妻にした。この父親の再婚が釈迦を思いっきり懊悩させた。
 
 というのは、釈迦はそれまで姉としてマハーパジャーパティーを慕っていた。それなのに亡き母親に似ていると父親から言われた事によって、彼女に母性愛を求めるようになってしまった。そして16歳になった彼女は心身が女性へと変化していったので、異性愛の対象としても見るようになってしまったのだ。男女の出会いには、どうにもならない出会いがある物だが、二人の関係はまさにそれであり、これでは釈迦の心はグチャグチャになってしまったのは当然であるといえる。
 
 釈迦とマハーパジャーパティーの年齢が近かったというのなら、父親の行動も合理的な説明がつく。父親は釈迦をマハーパジャーパティーから遠ざけようと、別の宮殿に移し、踊り子たちを当てがった。釈迦はその踊り子たちとセックスに耽ったのだろうが、これでは心は何も満たされる事はない。
 
 踊り子たちは踊り子として釈迦に接しているのであって、彼女たちの行動にはなんの問題もないのであり、問題があるのは釈迦の方である。釈迦はマハーパジャーパティーから遠ざけられる事によって、益々彼女への片思いを強くした。況してや、マハーパジャーパティーが妊娠して出産し、母性愛を出せるようになれば、釈迦は自分が今まで絶対に手に入れる事のできなかった物を手にする事が出来るようになる可能性が出て来てのだから、どうやってもこの想いを止められなかった。
 
 
●釈迦の不義密通
 マハーパジャーパティーは結婚後、第一子「提婆達多」を産む。そして第二子「ウパダーナ」を産む。この提婆達多もウパダーナもスッドーダナの子である。しかし第三子の「難陀」はスッドーダナの子ではない。この難陀は釈迦の子である。釈迦は依りによって、父親の妻に対して不義密通を働いたのだ。
 
 難陀は釈迦と瓜二つの美青年であったと言われる。名義上、釈迦の異母弟だから、似ていてもおかしくはない。ところが、釈迦は解脱後、釈迦族の所に帰り、結婚式を挙げようとしていた難陀を無理矢理に出家させた。彼が父親の子ではないからこそ、こういう事をしたのであろう。
 
 難陀の出家後、マハーパジャーパティーは自ら出家を求めるのが、釈迦はそれを拒否した。それを見て、阿難は出家の許可を乞い、それでどうにか出家する事ができた。という事は、「阿難」と「難陀」は同じ人物であるといえる。なぜならなんで阿難がマハーパジャーパティーの出家を援護しなければならないのかという事になる。阿難にとって彼女が自分の母親だからこそ、出家の援護をしたのであろう。だとするなら、阿難と難陀は同一人物であり、難陀は僧侶に成るまでの名であり、出家後は阿難と言われるようになったのであろう。
 
 マハーパジャーパティーが第二子を産み終えた頃、20歳前後であり、その時、釈迦は15歳前後とするなら、釈迦の不義密通は充分にありえる。釈迦の出家の要因の1つに、叔母を孕ませてしまった事があると見ていい。本当にやってはならない事をやってしまった。それは「二人だけの秘密」であり、そして釈迦はやっと諦めが着いた。
「この関係は、もう、どうにもならないのだ」と。
 
●妻の不倫
 釈迦は16歳の時、ヤショダラーと結婚する。彼女は母親のマーヤーの兄「善覚」の娘であり、結婚相手としては最適だった。しかし彼女は釈迦の子を孕めなかった。釈迦が不妊症に悩んでいたという事実を絶対に忘れては成らない。もしもこの時、ヤショダラーが妊娠してくれたのなら、釈迦は本当にマハーパジャーパティーの事など忘れて生きる事が出来たであろう。
 
 ヤショダラーは妻である以上、釈迦の片思いに気付いたのではないか? それでは体を許しても、心は受け付けず、それで妊娠しなかったのかもしれない。ヤショダラーがバカ女なら別だが、釈迦が結婚したというのに、結婚生活を全然喜んでいない姿を見れば、「他に好きな女がいるのではないか?」と勘繰る事であろう。
 
 釈迦は二十代後半の時、馬車で遠出する事を好んだらしい。この時期の逸話が「四門出遊」である。この釈迦が城に居ない時に、ヤショダラーは妊娠した、釈迦にしてみれば、「この子は自分の子ではない」とすぐに解った事であろう。だから生まれると「ラーフラ」と名付けた。ラーフラとは、今まで「障害」とされてきたが、現在では研究が進んで「悪魔」という意味だという事が解った。
 
「ラーフラは提婆達多の子ではないか?」というのは、小乗仏教の段階でも言われ続けてきた。提婆達多は年齢的にヤショダラーを誘惑できる年齢になっている。しかしこの説は、釈迦が仏教教団成立後に、提婆達多を出家させ、しかも教団内第四位の地位にまで引き上げている以上、この説を取る事はできない。
 
 最も可能性の高いのは、父親のスッドーダナであろう。父親なら、息子の住む宮殿に入る事ができる。しかも釈迦は出家に際して、妻と父親には挨拶してから城を出て行っている。父親にしてみれば、息子が己の妻を孕ます事が出来ないなら、だったら俺がやってやろうという程度の気持ちでやったのであろう。
 
 但し、釈迦にしてみれば、自分が父の後妻と不倫してしまったからこそ、今度は自分の妻が父親から寝取られるのではないかと不安になっていたので、その不安が的中してしまった。だから「プッツン!」と切れてしまったのであり、出家という選択肢を選んだ。釈迦は解脱後、「縁起観」の教えを説く事になるのだが、 なんで縁起観なのかといえば、そういう背景があったからなのである。
 
つづく
 

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ようこさんへの運命鑑定

ようこさん、それでは運命鑑定行きますね!happy01
 
⚫「夫婦の相性とこれから気をつけていくべきポイント、どのように支えていけばよいのか教えてください
夫は既に一度転職しておりまして、現在中途採用でシステム開発会社に務めています。 ただ、今回待望の第1子を妊娠し、あと1ヶ月ほどとなったところで夫が抑鬱症になり、現在2か月目の休職中です。 収入は少なく(新卒ぐらいです…)、休職中は3分の2に減ってしまいます。現在私は仕事を辞めております。
子供の保険や細かいことも「よくわからない」などでなかなか進まず、このままでも大丈夫だろうか…と正直不安です。全体的に私が調べて進めてしまうような形になっています。」
 
夫婦の相性は「抜群」で、結婚した時期も「超大吉」。この組み合わせなら、出会えばフィーリングがピッタリと合います。
但し、この夫婦は夫婦共働きが強いられ、出来る事なら起業して、夫婦で会社を経営してしまった方がいい。
ようこさんが専業主婦というのは、絶対に拙いです。
 
システム開発では、抑鬱症などは職業病ですね。パソコンを長々とやっていると、電磁波を大量に浴びるので、それで精神がおかしくなってしまいます。
まずは「食事に気を付ける」「運動をする」「睡眠をしっかりと取る」「たまには休養を取って、温泉とかでリラックスする」、そういう事をしないと、この手の病気は治りません。
旦那さんが抑鬱症である以上、細かい事はようこさんがやるのは当然ですよ。それをやらないと、病気は益々悪化してしまいます。
 
 
⚫「実両親と夫の間で様々な小言を聞いて板挟みです。私から義父に現状などを伝えてしまってもよいのでしょうか
結婚前は2年ほど実両親に言わずに同棲をしておりました。その後、伝えるべきだと私が切り出し、実両親に話をしたものの、順序を誤っている上に挨拶にもこないとは相手の男も何事だ!となり一時は絶縁状態に。
しかし、その後は冷静になりお互いに意見を交換し、必ず娘を幸せにしてくれるなら結婚してもよいという条件の元で承諾してもらいました。そのときの夫と言えば、何でこんなに大事になるんだ?と言ったような反応で流れで結婚まで言ったような感じです。付き合っている当時は互いに結婚を前提にしていたので真剣ではありました。今も思いやりがあり、仲良くしています。
ただ、夫の父はその事実を知らずじまいです。実両親としてはそれも気に入らずにいます。夫が実の父とそのような大事な話もせずに、何故こちらだけかヤキモキするのだろうと小言の連続です。
既にお伝えした休職の件からも、さらに心配になった実両親は親になる自覚がない、うまく仕事をさばけてない、甘えてるんじゃないか、食っていけるだけの働きをするのは当然で結婚を承諾したのは間違いだったのでは?という発言が増えました。
かと言って夫が自分の父にその事実をきちんと話すこともなく、なぜ向こうの親は何も言わないのかと、これまたヒートアップです。もちろん夫が話していないのもあるのですが、どうしたらよいのか考えあぐねています…。
私から義父に現状などを伝えてしまってもよいのでしょうか。実両親としては、親から子である夫にガツンと言ってほしいようです。」
 
好きだから同棲してしまったのでしょうが、結婚を考えているのなら、同棲したのは拙かったですね。まずはその事を反省しないと。
旦那さんは長男だから、意外と抜けている所がありますよ。その点は要注意です。
病気と休職の事実は伝えた方がいいでしょうね。
 
 
⚫「子供は何人生んでよいのでしょうか
子供は宝と言います。私の実母も子供はたくさん欲しいと言って3人産みました。
私も家族は賑やかな方がよいと思っていますが…。」
 
子供は沢山産んだ方がいいです。
早目に第二子を産み、少し休んで第三子になる事でしょう。
子宝というくらいだから、子供の数が多く成れば、経済的な事は好転していきます。
 
 
⚫「私は働いた方がよいでしょうか
現在は時間を見て、在宅で仕事をしています。ゆくゆくは自営業として稼げるようになろうと考えています。ただ、夫としては在宅で適度に働いて、家事育児にも専念してほしいようです。しかし、それだけで足りなければ外に出て働きに行くことも考えています。
ゆくゆくは義父の家に入りますが、相続税もあると言われておりますので尚更働かなくてはと思っております。」
 
絶対に働いた方がいいです。
名前は専業主婦向きなのですが、夫婦の相性が夫婦共働きを強いるので、現在のように、在宅でもいいから仕事をしないと、運勢が良くなっていきません。
外に働きに出る事を考えるよりは、起業した方がいいです。
 
 
⚫「夫はどの仕事が向いているのでしょうか
趣味と言えば食べ歩き、やりたい仕事はまだ自分でも分からないというフワフワ感です。1人で黙々とやる方が向いているのでは?と思っています。」
 
旦那さんは会社経営者に向いています。
男性は「四十にして迷わず」なのであって、40歳以下ならフワフワと生きているもんですよ。
もしも会社を立ち上げないなら、ようこさんの言うように、1人で黙々とやる仕事の方がいいです。
 
 
⚫「この先、義父の家に入る予定ですがいつ頃がよいでしょうか
結婚当初から長男である夫が家に入ることが決まっておりました。現在収入減の状態で、賃貸住まいなので家賃に大きく持っていかれています。早めに家に入った方がよろしいでしょうか。※義父、義祖母が住んでいます」
 
この問題が最も重要なんですが、ようこさん夫婦は、旦那さんの実家には行かない方がいい。
というのは、旦那さんは父親と祖母との相性が悪く、このまま実家に帰れば、病気が悪化し、自殺する可能性も出て来ます。
尤も、旦那さんの霊線は父親と繋がっているので、家督相続権者といえばまさにそうなのですが、事情が事情ゆえに、実家に戻る事はやめた方がいい。
 
最善の選択肢はようこさん夫婦が、ようこさんの実家に養子に行く事です。
ようこさんの実家は娘たちばかりなので、このままでは絶家してしまう事になり、それでいて長女は結婚して家を出ているので、だったら、ようこさん夫婦が跡取りとして入ればいい。
有難い事に、旦那さんは改姓によって名前の運勢が良くなるし、ようこさんの父親や三女と相性がいいので、新たな人生をスタートさせる事ができます。
 
旦那さんの実家は、旦那さんの弟さんが家督を継げばいい。
弟さんは父親との相性が悪い物の、祖母とは相性がいいので、早くに結婚してしまえば、繁栄していく事でしょう。
なぜだか、舅は弟さんの方に通字を行っているので、こちらの方を跡取りにしても、別におかしくはないです。
 
 

 

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紅丸晴美、再デビュー記念企画:「この歌を歌えば、ブレイク間違いなし!」

●タマティーが3押しの演歌歌手「紅晴美」
 現在、タマティーいち押しの歌手はなんといっても「城南海」。城南海の声はもはや国宝級。そんで2押しは「BABY METAL」。ヘビメタとアイドルの融合は秀逸。3押しが誰かというと「紅晴美」。「紅晴美って誰?」と思うかもしれないが、超ブスの演歌歌手で、性別は一応女性である。 
 
 
 写真を見ると、もはや女性演歌歌手というよりは「怪獣」であり、人間の形をなしていない。ブス度は「天童よしみ」を遥かに超えている。ラーメン屋の寸胴鍋としても使用できそうな体、巨大なおむすびのような頭、ルックスに関しては最悪だから、歌が巧かろうが売れる訳がない。それでこの度、所属レコード会社移籍する事になった。
 
 ところが、紅晴美さん本人がタマティーのブログを見、俺が、
「紅晴美という芸名は良くないから、他の芸名に変えた方がいい」
と提案していたのを受け入れ、
「紅丸晴美」(くれないまる はるみ)
としてコロムビアレコードから再デビューする事になってしまったのだ。
 
「紅晴美」
だと、総格が30画になってしまうので、デビューするにはいい物の、ヒット曲を出せるまでは行かない。しかし、
「紅丸晴美」
だと、総格が33画になるので、盛運隆昌で、女性演歌歌手としては強烈な個性で以て、ヒット曲を飛ばしてくる可能性が大となる。
 
 この「紅丸」は戦前に瀬戸内海で使用されていた客船の名前でもあり、なんと「瀬戸内海の女王」と呼ばれていた。実に縁起のいい名前だから、これを用いればまさに「演歌界の女王」になれるかもしれない。演歌には船や海関係の歌が多いので、こうやって縁起を担ぐ事は決してバカに出来ない。巧く行けば、とんでもない力を発揮してくるかもしれないのだ。
 
●ブレイク可能性のある作品
 そこで今回、紅丸晴美として再デビューを記念して、タマティーが「こういう歌を歌えば、ブレイク間違いなし」という作品を考えた。尤も、再デビュー曲はもう決まっているので、それをどうにかする事は出来ないが、今後、紅丸晴美の芸名に合った作品を出して行けば、ヒットする可能性は高くなるのだ。
 
①『マジ惚れ』
 ♪あなたにマジ惚れで、好きだから、好きだから
   どんな愛の言葉でも、足りなくて、足りなくて
    永遠(とわ)のぬくもりに包まれた時
    ここより愛は永遠に~。
 
 『マジ惚れ』はこんな感じの歌。紅丸晴美さんは性格的に愛の歌をストレートに歌った方がいい。本人の自信作であろうと思われる『あんた』もはやりストレートに作っている。超ブスなのに、恋の駆け引きを扱う歌はやめた方がいい。現実的には絶対にありえないからだ。
 
②『恋するオッパイ占い』
 AKB48の名曲『恋するフォーチュンクッキー』をパクリ、『恋するオッパイ占い』を出す。多分、紅丸晴美さんは巨乳、但し、恐らく「垂れパイ」なので、オッパイネタで攻めるのは効果大であろう。ちなみに「オッパイ占い」とは、乳首を舐めて、喘ぎ声が聞こえてくれば「吉」、母乳が出れば大吉という物である。
 
③『銀座路地裏恋物語』
 演歌といえば「銀座」。銀座をネタに歌えばヒットする確率は格段に高くなる。但し、ありきたりに歌うと大ハズレをやってしまうので、『銀座路地裏恋物語』なんていう事にすると、ネタが新鮮なので、誰もやった事がない事が出来る。
 
④『おデブおデブのデブ尽し』
 紅丸晴美さん自身がおデブなので、おデブをネタに歌にすべきであろう。
 
 ♪おデブおデブのデブ尽し
  贅肉を掴めば空を飛べるわ
  おデブおデブのデブ尽し
  二の腕プルルン お尻はブルルン
 
 渡辺直美がおデブを利用してブレイクしているので、それに便乗して、巨体を振わせながら歌えば、インパクとは大である。
 
⑤『小さな事でも誠意を込めて』
 これは自分自身に対する歌。紅丸晴美さんは小さな事を疎かにする傾向があるので、それでヒット曲が出ないのだが、コンサートの度にこの歌をファンにではなく、自分に向けて歌えば、多少は変化する事だろう。「細部に神は宿る」ので、些細な事を疎かにするようでは、人気は出ないのだ。
 
⑥『真夜中の肉弾戦』
 演歌には男女の情愛を歌った物が多いのだが、『真夜中の肉弾戦』はセックスを歌った物である。美人の女性演歌歌手がこんな歌を歌うのは洒落に成らないが、紅丸晴美さんなら許される。人間は「怖い物見たさ」という禄でもない欲望があるので、それを満たしてあげるのである。
 
⑦『不倫の恋は蜜の味』
 最近の芸能界では不倫のために失脚する芸能人たちが多いので、敢えて『不倫の恋は蜜の味』という挑戦的な歌を用意した。この歌は、芸能界で不倫の事件が起こる度にBGMとして使用されるようになるので、それで楽曲の使用料が確実に入って来るのだ。ちなみに、ワイドショーで矢口真里の情報が出て来ると、この曲が自動的に流れて来る。
 
⑧『恋のパワースポット』
 パワースポットブームに便乗し、『恋のパワースポット』なんて歌もいいだろう。「恋のパワ―スポットは一体どこなのか?」とよくよく聞いてみたら、実は「Gスポットだった」という落ちにすると、爆笑間違いなし。
 
⑨『男なら私を抱いてよ』
 この『男なら私を抱いてよ』はコンサート用の歌。紅丸晴美さんがこの歌のサビの部分を歌うと、男性の観客たちが「抱かね~よ!}とやり返す。男性たちにしたくもない女性に迫られる恐怖を味わセる。
 
⑩『流れる涙は恋の跡』
 紅丸晴美さんは離婚を経験しているので、離婚を扱った歌も必要。『流れる涙は恋の跡』なんて綺麗なバラードに仕上げてしまうと、離婚を美化できる。尤も実際の離婚は悲惨な物だから、下手に生生しい物だと拒絶反応が出て来てしまうのだ。
 

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売れる女性演歌歌手の芸名に隠された秘密

●売れる女性演歌歌手には芸名に秘密があった!
 通常、姓名判断では「苗字」の事は余り考えない。それよりも「名」の方が大事なのであり、名を中心に運命鑑定を行う。しかし芸能人と成ると、姓名全てを考慮しなければ成らず、姓と名の双方が良くないと、ブレイクしない。特に演歌はヒットする確率が少ないし、ヒットすればロングセラーに持っていかなければならないので、芸名という物は歌声以上に重要な物になってくる。
 
●美空びばり
 女性演歌歌手の中で、断トツに歌が巧いのは「美空ひばり」なのだが、「美空」とは「青空」の事であり、「ひばり」は「雲雀」の事である。だから「青空に飛んで行く雲雀」という意味になるので、まさにその通りの人生を歩んだ。雲雀は綺麗な声を出すが、平均寿命は18年と短いので、美空ひばりは大活躍できたが、早死にしてしまった。
 
●石川さゆり
 女性演歌歌手の中で、歌唱力と美貌を兼ね備えたのが「石川さゆり」で、「石川」とは「倭人たちの川」、「さゆり」とは「聖なる百合」を意味する。だから石川さゆりの歌は、日本人には親しまれるのだ。因みに、神道では百合が聖花なので、芸能界で「ユリ」の名を持つ者は誰でもヒットし易い。
 
●八代亜紀
 「八代亜紀」の「八代」とは「山の民たちの住む領域」、「亜紀」とは「明らかにする」という意味を持つ。日本は島国でありながら、山岳国でもあるので、それで八代亜紀は根強い支持を受け易い。彼女の歌声がハスキーヴォイスなのは亜紀ゆえであって、暗い所から明らかにしていくからこそ、彼女の魅力が思う存分に発揮される事に成る。
 
●天童よしみ
 「天童よしみ」の「天童」とは「天道」の事で、「太陽」を意味し、「よしみ」は「葦」の事を意味する。「太陽光が降り注ぎ、葦がすくすくと成長していく」という事に成る。衣装をド派手にしているのは太陽として自分が光り輝かなければならないからであって、弟子をデビューさせたりするのも名に葦の意味を持っているからである。
 
●藤あや子
 「藤あや子」の「藤」とは「植物の藤」の事で、「寄生する」という意味を有する。誰かに寄生しながら生きて行くのであって、自分が前面に出てしまうと全く詰まらない。「あや子」とは「あや」の事で、「大変可愛い」という意味を持ち、他に「綾」という意味もあるので、着物には拘った方がいいであろう。
 
●五代夏子
 「五代夏子」の「五代」とは「舞台」の事で、「夏子」は「懐く」を意味する。「舞台に懐く子」だからこそ別に大したヒット曲がなくても出て来る。「五代夏子のヒット曲ってなんだったっけ?」と訊かれてもなかなか答えるのが出来ないのはそのため。[夏」という漢字は、「冠を付けて雅な舞を披露する夏祭りの姿」を字源なので、夏子さんはお祭りには持って来いの女性なのである。
 
●坂本冬美
 「坂本冬美」の「坂本」とは「酒元」を意味し、「冬美」は「殖ゆ」を意味する。苗字のお酒関連の言葉があるからこそ、『祝い酒』がヒットした。お酒にまつわる歌を作ると、売れる可能性は高井。名に殖えるという意味がある以上、作品数をどんどん増やしていけば、必ずヒット曲に恵まれる。
 
●島津亜矢
 「島津亜矢」の「島津」とは「島の港」の事で、「亜矢」とは「大変可愛い」を意味する。漁師たちに好かれる歌や、船旅で聞ける歌を作れば、ヒットし易い。本名は「島津亜矢子」なのだが、本名の方が断然にいい。亜矢だと締まりがないので、どうしても詰めの甘い歌にしてしまうのである。
 
●長山洋子
 「長山洋子」の「長山」とは「長く連なる山」即ち「連山」を意味し、一度、ヒット曲を出すと、ヒット曲を連発してくる。また長山には「山岳農耕をやる縄文人たちの山」という意味もあり、和楽器を取り入れるとより自分の良さを出していく事が出来る。「洋子」とは「幼」の事であり、幼いけど力はある。こうなってくると「こぶしの勝負」になってくる。
 
●水森かおり
 「水森かおり」の「水森」とは「水守」の事で、「用水路を管理を行った人々」の事を指す。水守は全国各地に居たので、それで「ご当地ソング」を作りまくっているのである。「かおり」は「香る」を意味し、それでいつも両肩を剥き出しにする服を着ている。遠山の金さんですら片腕だけ出したのに、彼女は両肩を出す事で、女の魅力を出しているつもりなのである。
 
●川中美幸
 「川中美幸」の「川中」とは、「山岳農耕を行う縄文人たちの川」を意味し、「美幸」とは「女神を降臨させる御神木」の事であり、だから川中美幸のオーラは半端な物ではないのだ。川中の川は山にある以上、水の流れが激しいので、もっとアップテンポの歌にした方が売れる。テンポがゆっくりな歌では本領をなかなか発揮する事はできない。
 
●都はるみ
 「都はるみ」の「都」は「京都」の事で、「はるみ」とは「歌声を張る」事を意味する。父親が在日韓国人であっても、彼女自身は京都生まれであり、ヒット曲の『北の宿から』『大阪しぐれ』でも、やはり歌声を張った形で歌っている。彼女のコンサートは面白いと定評がある一方で、歌声は余りにも酷いという悪評もある。常に声を張らねばならないので、歌唱力がしっかりとないと、いつまでも歌い続ける事はできないのだ。
 

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高橋翠さんへの運命鑑定 おまけ編

●父親の生年月日の件
  父親の生年月日が違うと思う。記憶違いか、それとも、実際にその生年月日であっても、本来生まれる日は違っていた。もしもそのままやってしまうと、母親が不倫をしまくった事になるので、それはないだろうから、生年月日を正しいだろう物だと思われる物に変えて運命鑑定を行います。
 
●長男
 長男は両親と霊線が繋がっています。という事は、両親はちゃんと愛し合っていたという事にになり、名前の相性通りになるんです。両親は会話こそ巧く噛み合わないけど、夫婦双方は協力し合って、家族を発展させていく事ができます。この子が両親にとって物凄く良かった。巧く「鎹」(カスガイ)の役割を果たしたので、両親の仲はしっかりと定まり、その後に子沢山という現象が起こったんです。
 
●長女
 長女は母親と霊線が繋がっています。母親と運命星が一緒なので、母親と居ても前進はないです。これだけ子供の数が多い以上、長女はとっとと結婚して、子供を産むべきしょう。
 
●次男
 次男は父親と霊線が繋がっています。或る意味、父親にとって最も頼りがいのある人物で、行動力を活かして、父親の役に立てる筈です。結婚した以上、子供は早くに産んでしまった方がいい。
 
●三男
 三男は母親と霊線が繋がっています。但し父親との相性が悪かったので、早目に家から出すべきでした。家に長く置いてしまった事が、早世に繋がってしまいました。
 
●次女
 次女は父親と霊線が繋がっています。巧く育てば、この子が一番の美人に成った筈です。父親の運気を大いにアップする役割を担っています。
 
●三女
 三女は母親と霊線が繋がっています。翠さん同様に、母親とは運命星が同じなので、母親と一緒に居ても前進できません。家を出たのは正しい選択でした。
 
●四女
 四女は母親と霊線が繋がっています。姉妹たちの中で母親とは最も相性がいい。但し、名前は「早めに結婚しろ」と出ているので、独身の期間が長いのは絶対にお勧めできない。独身の時期が長引けば、事故死や殺人事件に巻き込まれる危険性を持っています。
 
●四男
 四男は母親と霊線が繋がっています。財産運はいいので、本来なら起業して成功してもいいのですが、育った過程で悪い事を覚えてしまったのでしょう。お金にルーズだと、本当に家族であっても絶縁になってしまいますよ。
 
●五男
 五男は父親と霊線が繋がっています。この子は一番、父親と似ていますね。人生の早い段階で自分の人生の大半が決まってしまうので、早くに家から出した方がいいです。
 
●六男
 六男は両親と霊線が繋がっています。その役割は長男と似ていますね。両親にしてみれば、何かと役に立つので、自宅に置いておいた法がいいでしょう。
 
●結論
 典型的な父系家族だけど、霊線を見てみると、意外と母親の方が強い。母親のやっている事は、「産みっぱなし」に近いです。多分、妊娠出産が好きなんじゃないかな? 妊娠して生理がないと、女性はパワーを失わないので、それでパワーをより強大にする事ができるんですよ。
 

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暁玲華さんに対して勝手に運命鑑定!

●探し物をしていたら
 
 ここ半月ほど、「これはいい本だ」と他人から勧められた本を探していた。その本は既に絶版になってしまったので、書店では購入できない。しかも発行部数が少ないので、古書店でも手に入りにくい。最終的には見つけたのだが、読んでみると、「これのどこがいい本じゃ?」という感想しか持てないほど、禄でもない本であった。
 
 ところが、その本を探している過程で、
暁玲華著『女神と鳳凰にまもられて』(アメーバブックス新社)
という本を見つけた。最初、この本を見た時、
「なんて大袈裟なタイトル!」
という最悪の印象を持ったが、本を読み進めてみると、本の内容のレベルの高さに驚いてしまった。
 
 彼女はスピリチュアリストと古神道研究家を自称しているのだが、神道家でも、普通の神道家たちなら絶対に知り得ない事を知っているのであり、これは、
「巫病に罹患」
「神社巡り」
「霊的な師匠に付いた」
という事を経験しないと、ここまで辿り就けないだろう。霊的なレベルが格段に凄い女性であり、どう考えても普通の女性ではない。
 
 沖縄県ではユタが存在し、巫病に罹ったのなら、その対処法が存在するのだが、本州四国九州では、明治維新の際に政府が民間巫女に対して活動を禁止する措置を取ったので、それで巫病に対する方法を失ってしまったのである。巫病に罹る人は必ず居るのだが、対処法がないために、おかしな方向に行ってしまうのが常なのだ。
 
「霊の事は巫病に罹った事のある人に訊け」
というのは、俺の経験則であり、巫病に罹った事のない人だと、霊的な事に関して勉強すれば、それなりの知識を得るのだが、自分が巫病に罹った事がないから、本当の事が解らない。暁玲華は巫病に罹った事があるからこそ、かなり正しい事が言えるのである。
 

 
 
●霊力に対する考えの違い
 
 平凡な霊能力者と、非凡の霊能力者を分けるのは、「神社巡り」にあるといっても過言ではない。なまじ霊能力があると、それに過信して神社巡りをしない。自ら霊能力を使った仕事をして、それで悪霊に祟られてしまったりする。早くから神社巡りをしないと、自分の身を安全にする事は出来ないのだ。
 
 暁玲華はどうかというと、やはり神社巡りをしていた。そういう経験がなければ、これほどまでに霊的なレベルを上げる事はできないだろう。趣味で神社巡りをしても、別になんの変化も起らないのだが、霊能力があると、その神社の祭神に呼ばれるような形で参拝する事に成る。だから霊的な御守護を貰えるのである。
 
 霊能力がある人は、往々にして占いで生計を立てる事に成るのだが、日本の占いは日本独自の物もあるが、中国から伝来した物もあり、日本と中国の宗教観の違い、それは「霊能力の違い」に直結してくるので、これを解っていないととんでもない事になってしまう。
 
 中国の占いは、儒教の影響を受けて、霊的な物とは縁を切っている。神道では霊力は増減すると考えるが、中国の占いでは霊力は一定であると考える。だから日本の占いを使用する時は、どうしても祭壇とか設けて、常に神に通じておく必要性がある。それに対して中国の占いでは、占いだけをやれば良く、宗教の事には関与しなくていいのだ。
 
 陰陽道は中国から伝来した物が、日本で独自の発展を遂げた物だが、これは日中の物が折衷になっていて、かなり危険な物に成っている。神仙道は更に危険度が増す物に成っているので、絶対に手を出すべきではないのだ。暁玲華はこれに手を出してしまったので、とんでもない目に遭ってしまったのである。
 
 
●暁玲華への姓名判断
 
「暁玲華」という名前は霊的な師匠から貰った名前であるので、普通の名前ではない。これは「巫女名」であり、霊的な師匠はいずれ彼女を巫女として使用するつもりであったのであろう。勝手に姓名判断をさせて貰うと、音相は、
「明け方にだけ活躍できる、人の霊魂を取り扱う巫女」
という意味であり、まさに彼女はこの巫女名を貰ってから、その通りの人生を歩んできた。
「暁」「玲」「華」の漢字はどれも「吉字」であり、より効果を強める事に成る。
 
 地格は「19画」なので、若い男女たちの支持を受け易い。人格は「21画」、総格は「31画」なので、リーダーになりたがり、多少は成功を収めるかもしれないが、他人の意見を聞き入れないから、それで離反する者たちが出て来てしまう。霊的な師匠は巫女として使用する気でいたので、その霊的な師匠の許で働くなら、権力欲がそんなに出ず、機転の利く巫女としてやる事が出来たであろう。
 
 霊的な師匠は彼女を5年ほど修行してから使用しようと考えていたに違いない。巫女名としてはいい名前なので、それが巧く機能するためには、それくらいの時間はかかる物なのである。それなのに暁玲華は霊的な師匠から離れてしまったので、それでその後、とんでもない不幸に出くわす事に成る。師弟関係に於いては絶対にやってはならない事をやった以上、タダで済む訳がないのだ。
 
 因みに、霊的な師匠は、暁玲華の妹が女優になりたいという事で、
「泉野千里」
という芸名を与えたのだが、妹さんは「ダサい」という事で使わなかったらしい。しかしこの芸名は女優という事なら、これで充分行ける。但し「映画女優」専門であり、もしも妹さんがこの芸名を使用していれば、ヒットしていたかもしれない。
 
 霊的な師匠は姓名判断に詳しくなくても、かなりいいセンスを持っていた事は確かであり、無碍に否定すべきではない。姉も姉なのだが、妹はそれ以上に悪く、折角、霊的な師匠が芸名を与えたのだから、その芸名を使うべきなのであり、それをしないというのは、本当に大バカ野郎であり、問題がありすぎる。
 
 
●桜ノ宮事件と二度の離婚
 
 暁玲華は巫女名としてはいいので、彼女が街の占い師をやり始めると、すぐに成功してしまった。これは当然であり、霊的な師匠は彼女が街の占い師としてやっていけるように、その巫女名を付けたのである。しかし巫女名は霊的な師匠あっての物だから、彼女が独立して「桜ノ宮」という神殿を築いて神事を遣り出すと、裏切りが発生したり、警察沙汰になってしまったりした。
 
 彼女の運命星は外国に縁があるのだが、巫女名では外国には縁がなく、日本にこそ縁が大ありと成っている。総格が31画では、どうしても保守的になるので、外国に行く必要性は全くない。それなのに外国に行ってしまったので、更に運気が落ちてしまった。帰国後、二度目の結婚をするのだが、運勢が落ちている以上、この結婚は絶対に巧く行かない。当然、夫から暴力を振われ、最終的には離婚という事に成ってしまったのである。
 
 暁玲華という巫女名は、巫女としてやっていけるように作られているので、恋愛運とか結婚運の事は一切考慮していない。この画数だと、恋愛にも結婚にも失敗するようになっている。昔は美人だったのだが、二度も離婚すると、さすがに人相は悪くなってしまった。それだけでなく、個人レベルでは頭痛や肩凝りや精神障害に襲われ易いので、健康の方が大丈夫なのかと言いたくなる。
 
「桜ノ宮」とは実にいい名称であり、しかも暁玲華とは相性がいいので、本来なら成功した筈である。それなのになんで失敗し、その後も失敗が続いたのかというと、神道の場合、男女両王制を取るので、自分が「巫女の女王」になりたいのなら、「男弟王」が必要なのであって、それが居ないと、どうにも成らないのだ。
 
 これだけ霊的なレベルの高い暁玲華と対等な立場に立てる男性なんて、そう多くは居ない。非常に数が限られている。しかも男弟王である以上、年下の男性であり、年齢は近くなければならない。年齢は6歳も離れる事はないだろう。彼女が現在「47歳」である以上、40代の男性で、それなりに名のある男性が男弟王らなければ意味はない。
 
 
●本名は太田暁子
 
 暁玲華の本名は、「太田暁子」という。音相では「暁に生まれた子」という意味で、「隠された物を明らかにする役割」を負う人生を歩むことに成る。実際、彼女の人生は本名通りであり、この役割を果たしているからこそ、殺される事無く生きている。因みに、使用している漢字は全て「吉字」であり、親の人徳が大きい事を示している。
 
 地格が15画なので、みんでワイワイガヤガヤしたい。子供の数は多い方がいい。人格が17画なので、巫女名の人格の21画とは相性が大凶となり、それで巫女名を持つようになってから、巧く行かないのだ。総格が24画なので、新しい物を創造したい。だから「暁玲華事務所」の経営は巧く行く。小さな会社の女社長程度なら成功する事だろう。
 
 本名ではリーダーになる可能性は余りないのに、巫女名だとリーダーになろうとしたがる。しかもリーダーとしては巧くなく、他人の意見を聞き入れないという最大の欠点がある。本名の方では、他人の意見を聞き入れるようになっているので、本名を使う仕事は巧く行き、巫女名を使う仕事は占いなら巧く行くのだが、それ以外だと巧く行かないのだ。
 
 二度の離婚をしてしまったけど、子供が1人いるのは大いに評価される事である。彼女が本の中で述べているように、除霊とかをやってしまうと、自分の運や自分の子孫の運まで使ってしまい、それで子孫が絶えてしまう事に成る。霊能力者として成功したが、子供が居ないという人たちが結構居るのはそのためなのである。
 
 俺としては暁玲華に改名を勧めたい。この巫女名では、年を重ねるごとに運気が落ちて行ってしまうからだ。霊的な師匠から命名されたとはいえ、その霊的な師匠から逃げ出してしまった以上、いつまでもこの巫女名を使っていると、霊的な師匠から「本当の独立」ができない。俺は或る改名案が浮かんだんだけど、ここでは言わない事にする。本人に変える意思がなければ、幾ら言っても無駄だからだ。
 
 暁玲華ぐらいのレベルになってしまうと、今後はテレビには出ない方がいい。霊的なレベルが余りにも高いので、もう一般大衆とは距離を取った方がいいのだ。それよりも自分のしなければならない仕事に集中した方がいいだろう。これだけ霊的なレベルが高いのだから、死ぬまでの間には宗教界に於いて歴史的偉業を達成できる筈である。
 
 

 

 

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